終点/《Mk43L/e》







十四時二十分/高天原格納庫

「ちょっちょっちょっとー! どうしてくれんのこれ!」
「うるせえ馬鹿! 言う前に考えろ!」
「お二人とも、言い争いは……!」

 四脚が振り回される。低いモーター音の唸りと共に迫る鉄棒を、三人は紙一重、しゃがんで回避する。
 鈍重そうな外見からは考えられないほど動きは俊敏で、逃げようとしてもすぐに回り込まれる。
 事実、先程の攻撃も髪を掠めていた。不味い、とほしのゆめみの頭脳は分析する。
 シオマネキの装甲はどれほどのものなのか、スペックは知りようもないが手持ちの携行武器だけで破壊できるはずがない。
 だからこそ高槻はシオマネキを奪おうとしたのだし、その発想は正しい。
 しかし、実際に動き出してしまった。どうすればいいのか。
 逃げるのが一番いい手段ではある。だが逃げられない。誰かが囮になってですら。
 シオマネキがバックし、前面にある二連装のチェンガンを傾ける。

「してる場合じゃないなっ!」

 発射される寸前、高槻の放ったM79の榴弾がシオマネキのチェンガン砲塔に命中し、爆炎を吹き上げる。
 代わりに補助装備と思われる側面の機関砲を移動しつつ斉射してきたが、急場しのぎの攻撃だったのか格納庫の壁に罅を入れただけに留まる。
 それを機に麻亜子が離れ、ゆめみもまた弾かれるようにして移動を開始した。
 一箇所に留まっていては的にされるだけだ。彼女はそう感じて行動したのに違いなかった。

「よし……装甲以外なら効く可能性がある!」

 ならば無力化することだって不可能ではない。ゆめみは忍者刀を手に突進する。
 素早く側面を向いたシオマネキが機関砲の掃射を開始したが、砲塔の旋回もできない固定砲台である側面砲を避けることは難しくない。
 動き自体は素早いが、大丈夫だとゆめみは判断した。
 四脚の足元まで辿り着く。即座に脚が振り回されたが、格闘AIに切り替わっているゆめみに見切れないはずはなかった。
 横に薙がれた脚をジャンプして回避し、そのまま主砲頭頂部へと飛び乗る。
 異変を察知して振り落とそうとしたが、しっかりと左手で機体を掴む。残った右手で忍者刀を逆手に持ち替えて突き刺してみたが、通るはずもなく弾き返される。
 やはり外部からの攻撃は不可能なようだ。ならば次の行動はと行動パターンの羅列を行おうと考えたとき、回り込んでいた麻亜子の声が聞こえた。

「ハッチ開けたときに見えたけど、あの中にアハトノインがいた! あいつがきっとこれ動かしてる!」
「了解しました!」

 つまり、ハッチの内部に入ってアハトノインを倒す、もしくは彼女を繋いでいる回線を切ってしまえばいい。
 外殻が硬いならば、内側から切り崩せばいい。当たり前の戦術だったが、それこそが一番有効なのだとプログラムを通じてゆめみは理解していた。
 未だに振り落とされぬゆめみに苛立ったか、シオマネキが大きく上下に揺れ動く。落差の激しい動きに足がぐらついたものの、意地でもゆめみは手放さなかった。
 この機会を逃せば次はない可能性は高い。それは理由のひとつであったが、もっと大きな理由があった。
 失敗を繰り返したくはないから。
 沢渡真琴が命を落としたとき。小牧郁乃が岸田洋一に襲われたとき。ゆめみは何もできなかった。
 『お客様』の安全を守るはずの自分はどうしようもない無力を晒すばかりだった。
 戦闘向きではない。状況が悪かった。理屈をつけるならばいくらだってできた。
 けれどもそんな理由付けをしたところで命は帰ってこない。失われた生命の重さが軽くなるわけでもない。
 以前にそんな自分自身を『こわれている』とゆめみは評した。
 間違ってはいないのだろう。与えられた使命を遂行することもできず、何が正しかったのか、何が間違っていたのか、正確な答えも出せていない。
 ロボットにあるまじき、曖昧に答えを濁したままの自分は、きっとこわれている。
 だからこそ……今がこわれているからこそ、次は成功させなければならない。
 行うことを止めてしまったら、きっとそのまま、自分は何者でもありはしないまま瓦礫の山に埋もれてゆくのだろう。
 それは受け入れるべきではなかったから。今の自分がやりたいことは、人間の役に立つことなのだから。
 何があっても、ここでやり通さなければならない。

 シオマネキはしばらく暴れていたが、どうにも振り落とせないことが分かったらしく一旦上下の動きを停止した。
 行ける。ゆめみは動き出そうとしたが、今度は猛烈な勢いで前進を始めた。
 強烈な慣性がかかり、後ろへと押し流されそうになる。砲塔を掴んで再び張り付くことには成功したが、代わりに目に入ったのはターゲットにされた高槻の姿だった。
 殺害する対象を変更したのだ。理解したゆめみは狙いを変えようと自ら飛び降りようとしたが「やめろ!」という高槻の怒声に阻まれる。

「いいからそのままやれ! こっちは心配するなっ!」
「で、ですが……!」

 人間を助ける。それこそがゆめみの作られた目的であり、存在している理由。
 それをやめろと言われて、ならば自分はどうすればいいのか。
 加熱する思考回路は矛盾する状況に今にも焼き切れそうだったが、まだこわれるわけにはいかない。
 それが望まれていないと分かっていながら、ゆめみは高槻の援護に回る行動を選択しようとした。

「来るなって言ってんだ! 命令だ!」

 命令。その一語を捉えた耳が手放す寸前だった砲塔を掴ませる。
 高槻にそう言われれば、やるしかない。だがそれでは、人間を助けられるのか?
 再び迷いが生まれる。あるはずのない逡巡が起こる。まただ。いつも過ちを犯すときは、この迷いが生まれる。
 命令に従え。だがそれでやれるべきことを果たせるのか。命令。やるべきこと。わたしは、どちらを――

「いいから! アイツは心配しなくたって大丈夫! あたしらはゆめみさんを信じてるから!
 今なんとかできるのはゆめみさんだけなんだよっ! だからちっとは……自分を信じなよっ!」

 思考に割って入ったのは麻亜子だった。シオマネキの背後に陣取った彼女はイングラムを構えていた。
 シオマネキの右部にあるレドーム目掛けて乱射する。レーダーの役割を果たしているそこは言わば目とも言うべき場所だった。
 生命線を狙撃され、火花を散らし、円形の盾のようにも見えるレドームがグラグラと揺れた。
 すぐさまバックして後ろの脚で麻亜子を蹴り飛ばす。ギリギリまで射撃していた麻亜子のイングラムが弾き飛ばされ、本人も余波を食らって大きく吹き飛ばされる。
 そのままローラーで押し潰そうとするのを、今度は高槻が遮った。
 最後の榴弾。脚を狙撃された脚部が榴弾の破片を貰い、ガリガリと不協和音を立て、次の瞬間にはローラーの一部が弾け飛んだ。
 バランスを崩し、傾くシオマネキ。ゆめみは必死に掴まりながら、彼らの言葉を聞いた。

「おい美味しいとこ持ってくんじゃねえよ! 俺が言おうと思ってたんだぞ!」
「へーん! 言ったもん勝ちだぞぅー! 悔しかったらもっといいタイミングで言ってみろよほれほれー!」
「お前ぇ! 後で殴る! 殴り倒す!」
「はっはっはー! ねえねえどんな気持ちー?」

 いつもの会話だった。死線の中にいるというのに、まるで彼らは変わらなかった。
 信じているとはこういうことなのだとゆめみは理解することにした。その場を全力で生きること。それが未来に繋がるのだと。
 何も諦めてなどいない。一挙手一投足を他人に預けつつも、やれることをやっている。

 なら、わたしもあの人達に倣えばいい。

 それで自らの目標が達成できると断じたゆめみはもう振り向かなかった。
 ハッチを目指す。その一念だけを胸に、ゆめみは僅かでも前に進めるように足を動かした。
 周囲からは二人の怒号、機関砲が掃射される音、四脚が大地を踏みしだく音が聞こえている。
 ゆめみ自身も必死にしがみついてじりじりとしか進めていない。動力を全開にしてこの程度なのだから、
 麻亜子が言った、「ゆめみにしか出来ない」という言葉は真実なのかもしれなかった。
 思う。考える。他人の期待を背負ったことは、初めてだった。
 自分ならばやりとげてくれるだろうという信頼。
 別に失敗しても代わりはいる、所詮は量産品でしかないという認識しかなかったゆめみには、現在も思考回路の中を巡っているこのデータの意味が分からなかった。
 この『気持ち』。やらなければいけないではなく、絶対にやってみせると言葉を書き換えているこの『気持ち』のデータは何なのだろう。
 知ったところで、ロボットでしかない自分が真の意味で理解できることはないのかもしれない。
 けれども、なればこそ、その意味を解き明かし、後世のロボット達に伝えてゆくのも自分達の役割ではないかとゆめみは感じた。
 それが責任。存在している者全てが背負う、責任という言葉の重さだった。

「よし……!」

 ハッチは未だに開け放しになっている。侵入するのは容易い。
 一足で飛んで辿り着けるように脚部に力を込める。後はいつ飛ぶか。
 タイミングを窺っていたそのときだった。
 シオマネキ側面にあるレドームが、ギョロリとこちらを凝視したような気がした。
 まるで視線のように感じ、何かあるのかとゆめみは感じたが、それが既に遅かった。
 ひゅっ、と右腕を何かが駆け抜ける。痛覚を持たないゆめみは何があったのか理解できなかった。
 理解できたのは――ふと見た右腕が、丸ごとなくなっているのを見たときだった。

「えっ……?」

 呆気に取られた声を出すと同時に、またこれが起こりうると電子頭脳が咄嗟に答えを出し、体を反らさせていた。
 人間であればもう少し反応が遅れていただろう。体を捻った次の瞬間、ごうと唸りをあげてそれまでゆめみの頭があった場所を小型のワイヤーアンカーが通過していた。
 あれがゆめみの右腕を忍者刀ごと持っていったのだ。恐らく機体を固定するためのものを、攻撃に転化したのだろう。
 腕がなくなった異変を下の二人も察知したらしく、次々に声がかかった。

「ゆめみっ!」「ゆめみさん!」
「だ、大丈夫です、痛くはありませ……」

 応えようとしたとき、三発目のワイヤーアンカーが発射された。返事を已む無く中断し、回避しようとしたものの足場が不安定過ぎた。
 ずるっ、と足元が滑る。踏み外したと認識したと同時、ワイヤーアンカーがゆめみのいた場所を通過し、背後の壁へと刺さった。
 既に三つ刺さっている。引き抜かれる気配こそなかったものの、ゆめみの状況は最悪だった。
 片腕だけで機体の角に掴まっている状態でしかなく、さらに前後左右に激しく揺れるためいつ振り落とされてもおかしくなかった。
 ぐっ、とゆめみは歯を食いしばった。人間はこうすることで土壇場でも力を発揮できるのだという。
 まるで願掛けだった。しかし今はなんでもいい、ここから打開するためならどんなことでもしてみせなければならない。

「馬鹿! 気にしてる暇あったら……」

 いつもの叱る高槻の声はそこで中断された。
 動きが鈍くなったのを敏感に察知したシオマネキが再び目標を切り替えたのだった。
 さらに運の悪いことに、高槻がいる位置は機関砲の真正面だった。
 高槻の声が、機関砲の掃射音に呑まれた。壁からもうもうと粉塵があがり、高槻の姿が見えなくなる。
 やられた、とゆめみは判断しかけたが、直後に聞こえたぴこぴこー! という鳴き声が粉塵を突っ切って飛び出してくる。
 ポテトだった。M79をくわえ、軽やかにシオマネキの背へと降り立つ。

「ゆめみ、プレゼントだ! 大事に使えよ!」

 生きていた。体中埃だらけで汚れながらも、しぶとく高槻は機関砲を避けきった。
 ボロボロになって倒れていたが、それでも生きている。
 はい、と答えようとした刹那、今度は四脚が振りかざされる。
 動けなくなったところをローラーで押し潰そうとしているのに違いなかった。

「そうはいかんざき!」

 麻亜子が体ごと飛び込み、高槻ごとごろごろと転がる。
 俊敏で目の広い麻亜子でなければ間に合わなかった。
 それでもギリギリでローラーが掠ったらしく、麻亜子の背中からは血の川が滲んでいた。

「ぴこっ!」

 指が引っ張られる。お返ししてやれ、と言ってくれている。
 散々いたぶったツケをお前が返せと、力強く引っ張ってくれている。
 ええ、とゆめみは応じた。

 わたしのお客様に手を出した代金は、しっかりと払っていただきます。

 一銭の釣りも残さない。綺麗に支払ってやる。
 体のばねを総動員し、腕の力一つでゆめみはシオマネキに復帰した。
 人間ならばよじ登らなければならない。だがゆめみは機械だ。こんなことくらい簡単にできなくてどうする。
 M79を拾い、そのまま空中へと跳躍。
 シオマネキ――いや、アハトノインの失敗は、自分をロボットではなく、人間と同じように認識してしまったことだ。

 人間では為し得ないことだって……わたしには、できる!

 横飛びの体勢のまま、全く姿勢をブレさせることもなく……ゆめみは、M79から火炎弾を発射した。
 火炎弾が吸い込まれるようにハッチの中へと突入してゆく。
 着弾する寸前、信じられないというように目を見開いたアハトノインの姿を、ゆめみは見逃さなかった。
 哀れだとも、悲しいとも思わなかった。ロボットは所詮――ロボットでしかない。
 けれども……行為で感情を表すことも自分達にはできると、そう知っているゆめみは、別れの言葉を紡いだ。

「お待ちしております」

 爆発的に広がった炎の波に飲まれたアハトノインがどんな表情を浮かべたのかは、知ることができなかった。

     *     *     *

十四時三十分/高天原格納庫

 内部から派手に炎を吹いたシオマネキとやらは脚をガクンと折ってそのまま動かなくなった。
 現在も煙がもうもうと上がり続けている。火災防止装置がそのうち作動するだろう。また濡れるのは面倒だな……
 今も俺の横でキュルキュルと唸りを上げて回転しているシオマネキのローラーとハッチを交互に眺めながら俺はそんなことを思っていた。
 結局奪い取ることはできないわ武器を使いまくるわで骨折り損のくたびれもうけだったような気がする。
 こんなのばっかだな。三歩進んで二歩下がるとかそんな感じだ。
 はぁ、と溜息をつく。疲れた。もう走りたくもない。
 でも立たなきゃいけないんだよな。かったるい。誰かどこでもドア持ってきてくれないもんかね。

「ご無事で何よりです」

 が、ひょっこりと現れたのは片腕がなくなったゆめみさんだった。
 ケーブルやら金属骨格やらが露出している姿を見るとやっぱロボットだなと思った。
 俺達なんかよりも遥かに優れている。羨ましいもんだ。

「そっちも無事……じゃ、ないな」
「修理が必要です」

 その割には全然何でもなさそうににっこりと笑う。可愛らしいが、どこか憎らしい微笑みだった。
 ボリボリと頭をかきつつ立ち上がる。その隣ではまだまーりゃんが寝ていた。こいつ。こんなときに寝てるんじゃねえよ。
 蹴っ飛ばしてやろうかと思ったが、身を挺して助けられた手前そんなことは出来ない。俺はこう見えても仁義に厚いのさ。
 別に驚いても嬉しくもない。本当だぞ?

「おい、起きろ」
「ん……くぅ……」

 軽く揺さぶってやると、まーりゃんは苦悶の表情を浮かべた。背中の血は止まっていない。
 あれだけでかいのにやられたんだ、物凄く痛いのには違いない。が、悠長に寝ている暇を与えるほど余裕はない。
 もうボロボロなんだ。ここらで俺達はスタコラサッサと逃げたいところだった。
 最低限の破壊活動はした、はず。
 もう一度叩いてやろうかと思ったところで、大きな地響きがしてここも激しく揺れやがった。
 しかも何かが崩れるような音もして、さらにヤバげなことに、俺達の近くでそれが起こったらしい。
 ガン、ガラガラという崩落の音が今も聞こえてくる。

「今のは……」
「あまりここにもいられねぇな」

 そして、崩落が起こったらしい場所は俺達がやってきたルートにあったらしいということだ。
 ――つまり。

「あの、わたし、他の皆さんが心配ですので、少々様子を」
「その必要はない。行くな」
「ですが」
「言いたくないこと言わせるな。あいつらは、死んだ」

 そのつもりはなかったはずなのに、凄みを利かせた言葉にしてしまった。
 どうやら俺もあいつらは嫌いではなかったらしい。
 俺の言葉にゆめみは泣きそうな表情を浮かべ、ゆっくりと頭を下げた。

「……申し訳ありません」

 言葉の裏を読み取れない自分を恥じるように、ゆめみはしばらく頭を上げることもなかった。
 ロボットは、優秀だが、不完全だった。
 俺も言うまでもなく不完全だ。ひとつだって気の利いた言葉も出てこないしあいつらに向ける言葉だって浮かんでこない。
 頭で考えていることといえば、今この状況にどう対処するかということくらいだ。

 そうとも。俺達はこんなことしかできない。
 その都度その都度微妙に異なる道を選んでいるだけで全く新しい道を選ぶことなんて出来やしない。
 でも、そうして生きていくしかない。選んだ道の積み重ねがマシになってるはずだと信じて。
 今は生きることだけを考えろ。自分の目に見えるものを生かすことだけを考えろ。
 俺はもう一度まーりゃんの頭を叩いた。

「起きろ。寝てる暇ねえぞ」
「無茶言わないでよ……結構痛かったんだぞ、アレ」
「自業自得だ」

 まーりゃんは一瞬色を失い、「そうかもね」と自虐的な笑みを浮かべた。
 それで俺は理解したのだが、過去に遡っての皮肉を言ったのだと思われたみたいだった。
 単にあのバカげた飛び込みに対して軽く言ったつもりだったのだが、自分で作ってしまった溝を放置した結果がこの有様だった。
 流石のゆめみも不安げな表情でこちらを凝視している。違うぞ。
 これこそ自業自得というやつだった。確かにまーりゃんは嫌いだ。だが憎いってわけじゃない。
 ……身を挺して守られて悪いなんて思えるわけがない。
 少なくとも、今の俺はここで何かを言葉にする必要があった。ほんの少しだけレールの向きを変える新しい言葉を。

「……でもな、お前を放っておくわけにもいかない」
「死なれると気分が悪いから?」
「違う。そこまで性根悪くねえよ」

 俺は倒れたままのまーりゃんに手を差し出したが、奴は遠慮するように手を引っ込めたままだった。
 こういう奴なんだと、今の俺は知っている。
 自分以外には積極的に動けるくせに、肝心な自分のこととなると臆病になっている。
 いや多分、奴と出会っていたときから俺はそれがわかっていたのだろう。
 奴にとっての親友を守ろうとした行動。全員のためにけじめを取った行動。
 ……傷ついてまで、俺を守ろうとした行動。
 羨ましかったのかもしれない。そして、理解したくなかったのかもしれない。
 何かから逃げるためだとしても、何かを誤魔化すためのものだったとしても。
 終始自分のことしか考えず、冷めた目でしか周囲を見てこれなかった俺自身が全く持ってないものを持っていたからだ。
 今は?
 理解した今、俺は自分と違い過ぎる奴にどうすればいいのか?
 決まっている。羨ましいなら……手に入れてしまえばいい。

「お前が、必要なんだ」

 結局自分本位で動くことが根底に残っているのは変えようがない。
 だがそれがどうした。欲しいものを得るために他者と付き合うのだって悪くないはずだ。
 それも選択肢のひとつ。
 俺が手を取って無理矢理引っ張り上げてやると、しばらく面食らった顔をして俺を見ていたが、やがて照れ臭そうに顔を赤くして視線を逸らした。

「……別に、あたし一人で立てたよ」

 そうは言うものの、背中のダメージは思っている以上らしく一歩進むだけで痛そうな顔になっている。

「立てても歩けないようじゃな」
「うるっさいなー」
「ほれ」

 脇の下に頭を入れ、支えるようにして肩を組んでやる。
 小柄なまーりゃんの体の線はやっぱり細く、期待はずれもいいところだった。
 ちっ、もっとむっちりしとけってんだ。
 まーりゃんはしばらく複雑そうな顔をしていたが、俺が逃すはずもないので逃げられず、仕方なくという様子で合わせて歩き始めた。
 身長の違う奴に合わせて歩くのは中々難儀だったが、まあ出来なくもない。
 さてどこに向かったものかと考えていると、図ったかのようにポテトがぴこぴこと尻尾を揺らしていた。
 こっちに来いってか。
 手回しのいい犬だった。こいつとの腐れ縁もまだまだ続きそうだった。

「ゆめみ」
「はい」
「先にポテトと一緒に行って何か杖みたいなもの探して来い。少しは楽になるだろ」
「了解しました」

 言うが早いか、ゆめみは片腕なのにバランスを全く崩さず小走りにポテトのところまで行く。
 その様子を見ながら、まーりゃんがはぁと溜息をついていた。

「なんかさー、あたし年寄り扱いされてない?」
「るせぇ、だったら歩いてみろドチビ」
「んだと天パのくせに」
「何だとコラ」
「やるかー?」

 ガルルル、と勝負の視線を絡ませたところで「お二人ともー、小学生の喧嘩はそこまでにしておいてくださいー」とゆめみが間延びした声で言っていた。
 今度は、二人分の溜息が出ていた。やれやれだ。

「行くか」
「そだね」

     *     *     *

十四時二十分/高天原コントロールルーム

 一目見て、ことみはここだ、と直感した。
 ウォプタルから降りてコンソールを目指す。
 体中に巻いた包帯から鈍痛が走り、ことみの体を痛めたが動きが鈍るほどではない。
 コンソールは複数あり、たくさんの人員で動かしていたのだと窺い知ることができる。
 不思議なのはそのいずれもに電源がついたままだということだったが、構うことなくことみはコンソールを弄り始めた。
 罠だと思う。しかし罠だとしても、かかる前に逃げてしまえばいい。逃げるのは得意だ。
 片目が潰されているせいか、半分になってしまった視界では画面が見にくく、かなりの距離まで近づけなければ見ることすら覚束ない。
 単に疲労しているからかもしれない。想像以上の苦痛、想像以上の疲弊の中にいて、なお動けているのは極限状態での人間の生きようとする力そのものか。
 全く、この世の中は不思議で満ち溢れているとことみは思った。
 人殺しを強要された状況で人生の目的を見つけ出せたことも意外なら、巡り巡って両親の最後の言葉が聞けたことも意外。
 どちらも決して、自分が手に入れられないものだと思っていたのに。
 どんな苦境に立たされたとしても、生きてさえいればこんな偶然に巡り合うことだってできる。それを改めて実感させられた気分だった。

「ん〜……ここでもない」

 可能な限り早くキーボードを叩きながら、ことみはこの施設のマップを探していた。
 脱出路への近道さえ分かれば。通信機能と合わせれば皆を迅速にここから出させることができる。
 しかしシステムの構造はかなり複雑であり、しかもことごとく英字であったため、探すのも一手間だった。
 読むことが得意ではあったため詰まることはなかったのだが、何しろかなり独特の言葉が入り混じっていたため、いつもの感覚ではなかった。
 今まで紙の書面ばかり読んできたが、これからは電子書籍にも触れてみようと詮無いことを考えつつ、
 ツリー状に表示されたシステム構造のマッピングから怪しいものを手当たり次第にクリックしてゆく。
 と、画面上に表示された文字で目を引くものがあった。

「アハトノイン……の、AI?」

 遠隔操作で命令を伝えるシステムなのだろうか。今時はこんな技術もあるのかと関心しつつ、ことみは試しにこのシステムを実行してみることにした。
 仮に命令を操作できるなら、今戦っているアハトノインを全員無力化することだって可能なはず。
 多少計画から逸れてしまうが、ないよりあったほうがいい。よし、と気合いを入れ、システムへの潜入を試みる。
 しかしいきなり行く手を阻まれる。この手のシステムにはよくある、セキュリティ用のパスワードの入力画面だった。
 当然ことみがその内容を知るわけがない。だがこちらにだって心強い武器があるのだ。ぺろりと舌なめずりして、ことみはあるプログラムを呼び出した。
 それはここに突入する際、ワームを侵入させたと同時に組み込んだプログラム。姫百合珊瑚が作った即興のハックツールだった。
 流石に天才というべきなのか、ツールというだけあって操作は簡単でありシステムをそのまま放り込めば勝手に解析してくれるという優れものだった。
 ただし、莫大な計算を行うためなのかやたら重くなってしまうという欠点があり、解析中は他の動作が行えないという欠点があった。
 だがそれを差し引いても優秀な代物には違いない。例のシステムを放り込み、解析を待つ。その間に他のコンソールもちょこちょこと弄ることにした。

「『ラストリゾート』? ……うーん、すごい。バリア展開装置なんてSFなの」

 次に見たコンソールはラストリゾートというバリアシステム専門のコンソールらしかった。
 詳しいことまではよく分からなかったものの、凄まじい演算速度を持つコンピュータである『チルシス・アマント』を使って力場を起こし、
 物理的障壁を起こすというものらしかった。物理好きなことみは心動かされるものがあったが、流石に紐解いている時間があるはずもない。
 ラストリゾートの起動には専用の装置が必要であり、かつここでないと使用が不可能とあったので、こちら側で使うことは不可能だろう。
 とはいえ、これも止めておいて損はない。ことみはこのシステムも呼び出そうとして、またもやパスワードに阻まれる。

「……えいっ」

 ツールに放り込んで、結果を待つ。なんとも機械任せだと嘆息するが、自分は天才ハッカーでもなんでもないし、このくらいが関の山なのだろう。
 椅子に腰掛けて一息つく。こういう時間がもどかしい。ただ待つだけの時間にも、そろそろうんざりしてきた。
 昔はそうでもなかったのだが。堪え性がなくなったのだろうかとことみは考えた。
 いや違う。待つことがつまらないのではなく、行動している楽しさを知ったからなのだろう。
 少ない時間だったとはいえ、自由に行動し、様々な言葉を交わすことのできた学校でのひと時は楽しかった。
 一人で篭っているよりも、ずっと。
 比較する対象ができてしまえばそんなものだった。今は、知ることも遊ぶことも大事だと思っている。
 そういえば趣味の一つも持っていなかった我が身を自覚して、帰ったら何か始めてみようとことみは思った。
 何がいいだろうか。パッとは思いつかない。音楽もやってはいたが、習い事であったし何か違うと思っていた。
 そうだ、確か家の周りが荒れ放題になっていたから、まずはそこを綺麗にしてみよう。
 趣味とは言いがたいが、まあ園芸でも好きになれるかもしれない。長い人生だ、色々試してみるのも悪くはない――

「……!」

 様々に思いを巡らせかけたとき、視界の上の方で移るモニタにあるものが映ったのをことみは見逃さなかった。
 こちらへと向かって歩いてくる一団。人数は五、六人くらいだろうか。
 いやそんなことはどうでもよかった。ことみは部屋の外に待機していたウォプタルを呼び寄せようとして、それが遅きに過ぎたことを目撃して実感した。
 悲鳴のような鳴き声を上げ、ウォプタルが首をかき切られて倒れた。思わず立ち上がり、ことみは先程の一団が部屋に侵入してくるのを眺める。
 アハトノインだった。それぞれにグルカ刀を持ち、のろのろとこちらに向かって歩いてくる。
 以前目撃したものとタイプは同じなのだろうか。だとしたら命はない。コンソールを見るが、アハトノインのAI管理画面はまだ出てこない。

 遅かったか。後悔するより先に、ことみはM700を構えて撃った。
 先頭を歩いていたアハトノインの胸部に直撃し、倒れる。起き上がってくるかと思ったが、そのまま動くことはなかった。
 他のアハトノイン達も行動を変えることもなく、そのまま前進するだけだった。
 いける……? 恐慌しかけている精神を必死で抑えつつ、ことみはさらに射撃してみた。
 もう一体、倒れる。起き上がることはない。自分ひとりでも十分対処可能だと判断したことみは間髪入れず射撃を続けた。
 二体、三体。倒しても倒しても残ったアハトノインが前進を続けてくる。
 一歩近づかれるたびに鈍く光るグルカ刀に怖気を感じるが、逃げも隠れもできない以上やるしかない。
 やれやれ、と思う。熱中しすぎて機会を逃してしまうのもいつもと変わりない。
 追い詰められてはいても、寧ろ平時以上にどこか冷静になっている部分は聖から受け継いだのかもしれない。
 今までの自分なら、怯えてロクに銃も握れなかっただろうから。
 五体目を倒す。銃を撃ち続けたせいかズキリと肩が痛んだ。まだだ。まだ一体残っている。
 渋面を作りながらもしっかりと最後の一体をポイントした。距離はある。十分すぎるほど間に合うと断じて、ことみはトリガーを引いた。

「あ、れ……?」

 だが、弾丸が出なかった。弾切れと判断した瞬間、アハトノインがグルカ刀を振りかぶった。
 あの距離から!?
 半ば恐慌状態に陥りつつも、ことみは少しでも逃れるように、コンソールに背中を思い切り押し付けた。
 ぶん、と刀が縦に振られた。銀色の線を引いたグルカ刀はことみの膝をギリギリで掠め、空を切った。
 想像以上の射程だったことにヒヤリとしつつコンソールから離れる。何か音を発していたような気がしたが構っている暇はなかった。
 懐からベレッタM92を取り出し、発砲する。
 しかし先のM700と違い、きちんと狙いをつけていなかったためか連射しても全弾外してしまった。
 しっかりしろと自分に叫びながら今度こそしっかりと狙いをつけようとして……アハトノインが突きの構えを取ったのを見た。
 もう攻撃することも忘れ、遮二無二後ろに下がる。今度は肩を刀が抉る。チリッとした熱さが肩を巡り、ことみは「ぐうっ!」と短い悲鳴を上げた。
 そのままよろけ、後ろに下がる。雑魚相手にこの様か。悔しさを覚えながらも痛さでそれ以上何も考えられず、ただ下がるしかなかった。
 ぶんと再度刀が振られ、次は伸ばしたままの腕を切られる。包帯がはらりと解け、切られた部分が赤く染まる。
 せっかく治療したのに。焼け付く痛みを必死で我慢しながら後退しようとしたが、どんと何かにぶつかる。壁だった。

 もう逃げ場はない。
 正面を見ると、無表情にこちらを凝視し、グルカ刀を真っ直ぐに構えたアハトノインがいた。
 殺してやるという意志もなく、ただ作業のひとつとして人間を殺そうとしている。
 それを理解した瞬間、ことみの中で俄かに熱が湧き上がり、全身を巡る血を滾らせ、痛みを吹き飛ばした。

 物みたいに殺されてたまるか。そんな人間らしくない死に方なんて、私は絶対に認めない。

 決死の形相を作り、ことみは攻撃されるのも構わずベレッタM92を向けた。
 同時にアハトノインも腕を引いた。突きだろう。そして自分の攻撃が間に合う間に合わないに関わらず、確実にそれは到達する。
 構うものか。僅かに生じた恐れさえ、自らに内在する熱情に押し流されすぐに姿を消した。
 後悔はない。自分で選んだ選択肢なのだから……!
 力の限りベレッタM92を連射すると同時、アハトノインの腕がばね仕掛けのように動いた。

     *     *     *

十四時二十七分/高天原司令室

 高速で振り回されたグルカ刀を弾き、そのまま懐に飛び込む形で体当たりする。
 しかし思いの外アハトノインの体は重たく想定のダメージすら与えられていないようだった。
 僅かに身じろぎしただけで、今度はアハトノインの肘が振り落とされる。
 舌打ちしつつ捌き、ついでにと一発蹴りを放つ。
 アハトノインは上体を器用に反らして横に回避。そのまま移動しつつ斬りつけようとしたが、
 サバイバルナイフでガードし間一髪で防ぐ。防御できなければそのままリサの首を吹き飛ばしていたであろうグルカ刀とリサのナイフがせめぎ合う。
 重量があり刀身も長いグルカ刀とあくまでも小型のナイフでしかないサバイバルナイフとでは分が悪いことは承知している。
 刀身を少しずらし、滑らせるようにしてグルカ刀にかかっていた力を受け流す。前のめりに注力していたアハトノインは抗する力がなくなった分前へと動き、
 その隙を突いてリサが再び距離を取る。先程からこれの繰り返し。一進一退と言えば聞こえはいいが、実際はこちらがどうにか防いでいる状況でしかなかった。

 一撃として有効なダメージが与えられていない。やはり格闘戦では向こうに分があるということなのだろうか。
 一瞬でも気を抜けばあっという間に距離を詰めてくる瞬発力。的確にこちらの急所を攻撃してくる精度。こちらの攻撃をあっさりと回避する運動能力。
 正しく全てが一流の動きだった。タイマンというシチュエーションならば那須宗一でも互角とはいかないだろう。
 以前あっさりと倒せたのは不意打ちや精度の高い射撃を駆使していたからか。
 アハトノインを冷静に分析しつつも、リサは安全なところに退避もせずに戦いを眺めているサリンジャーの方に目を移した。
 自分が殺されるなどとは微塵も思っていない傲慢が冷笑を含んだ目とふんぞり返った姿からも分かる。
 実に気に入らない。その気になれば手を出せる距離なのに、サリンジャーに狙いを変えた瞬間アハトノインが割り込んでくる。
 恐らく最優先で守るべき対象に設定しているのだろう。せめてラストリゾートさえ無効化できれば手の打ちようはあるのだが。
 接近しての格闘では絶対にアハトノインには敵わない。それはれっきとした事実だ。
 それを踏まえ、なお勝つためにはどうすればいいか。
 最善の手段を模索し、リサは腰を落としながらアハトノインにじりじりと近づく。

「期待外れですねぇ、リサ=ヴィクセン。そんなものですか、地獄の雌狐の実力は」
「……まだ体が暖まってないだけよ」
「そうですかそうですか。それではもう少し遊んで差し上げろ」

 サリンジャーが顎で指示すると、アハトノインが少しだけ踵を浮かせた。
 飛ぶつもりか? そう考えたとき、ガシャンという音と共にローラーが足の裏から飛び出した。

「面白い玩具ね……!」

 挑発の言葉を投げかけられるのはそれが精一杯だった。
 脚部の動力をそのまま使用して回転させているらしいローラーが唸りを上げる。
 まるでローラースケートを履いているかのようなアハトノインは、しかしそんなものとは比較にならないスピードで接近してきた。
 すれ違い様に斬りつけられる。分かりやすい動きだったために剣筋を見切るのは容易いことだったが、パワーが今までの比ではなかった。
 加速力を上乗せされたグルカ刀による一撃はナイフで受け止めようとしたリサの体をあっさりと吹き飛ばした。
 無様に転ぶことこそなかったものの、腕にはじんとした痺れが残り、筋肉が悲鳴を上げている。
 すれ違った後、アハトノインはローラーを器用に使って品定めでもするようにリサの周りを旋回している。
 爪を噛みたい気分だった。代わりに顔を渋面に変え、次の攻撃に備える。
 備えきったのを待っていたかのように、アハトノインが角度を急激に変え再接近してくる。
 加えて更に急加速をしていた。次も今までの速度と同じならと甘い期待をしていたリサは対応が間に合わなかった。
 脇腹をグルカ刀が擦過し、焼けた棒を押し付けられたような痛みが走る。
 僅かにたたらを踏んだリサに畳み掛けるように、通り抜けたはずのアハトノインがUターンして迫っていた。
 息つく暇のない連続攻撃。完全に体勢を立て直すこともままならないまま、リサは攻撃を受け続ける。
 顔を、腕を、肩を、足を、上体を、腰を、あらゆる体の部分をグルカ刀が抉る。
 リサだからこそギリギリで致命傷は免れていたものの、傷の総量は無視できないレベルにまで達していた。
 次の突撃が迫る。攻撃は直線的ゆえ、読めればかわせないものではなかった。剣筋を判断し、横に避けつつナイフで軌道を逸らす。
 そうして攻撃を回避し続けてきたが、先に限界がきたのはナイフの方だった。
 グルカ刀と触れ合った瞬間、ナイフに罅が入り刀身の一部がぱらりと落ちた。
 もう受け止めきれない……! く、と歯噛みするリサに、目ざとく感じ取ったらしいサリンジャーが哄笑する。

「おや、もう終わりですか? 私のアハトノインはまだまだ行けますよ?」
「黙りなさい……!」
「なんでしたら武器をくれてやってもいいんですよ? なに、ちょっとした余興ですよ」

 明らかにこちらを見下し、支配しようとしている男の姿だった。
 少しずつ痛めつけては僅かに妥協を仄めかし、そうして人を諦めの境地に誘ってゆく。
 つまるところ、この男は自分と同等の人間にさせたいだけなのだろう。
 自らは決して劣等ではない。それを証明するために、他者も同じ劣等の格まで下げてしまえばいいと断じているのがサリンジャーなのだろう。
 全員が卑屈になってしまえば、恐れるものはない。全員が同じなら、優れているのは自分なのだ、と。
 柳川と相対したときのような人間の闇、虚無を感じる一方で、柳川ほどの恐ろしさも価値もないとリサは感じていた。

 サリンジャーの発する言葉には何も重みも圧力もない。人を殺しきるだけの力もない。
 当然だ。誰かの尻馬に乗り、好機と判断すれば裏切り、より力のある方に付いているだけの人間は、結局支配されているのと何も変わりない。
 それでいて自らの弱みを隠しもせず、寧ろ他者に受け入れてくれとだだをこねているような態度を、誰が恐れるものか。
 私が積み上げてきたものはこの程度のものに屈しない。
 リサは無言でサリンジャーを見つめた。もはや怒りも哀れみの感情もなく、ただの敵、つまらないだけの敵として冷めた感情で見ることができていた。
 サリンジャーは気に入らないというように露骨に表情を変え、負け惜しみするように言った。

「死を選ぶとは、つまらないことをする……やれ」

 アハトノインが自身を急回転させ、こちらに方向を変じて突進してくる。
 まだ行ける。今の自分の感情なら、どんな状況だって冷静に見据えることができるはずだ……!
 ナイフを構え直したその瞬間。
 ぐらりと地面が揺れる。
 眩暈や立ちくらみなどではなかった。まるで突発的な地震でも起こったかのように地面が揺れていた。
 急な振動に対応できずにアハトノインがバランスを崩し、コースから逸れた。
 千載一遇の好機と瞬時に判断し、リサがアハトノインの元へと駆ける。
 距離は少しあった。およそ十メートル前後というところか。アハトノインが起き上がるのに一秒。こちらに追いつくまで数秒。
 十分だ。リサは僅かに笑みの形を作り、しかしすぐに裂帛の気合いを声にしていた。

「何をしてる! 私を守れっ!」

 背後に動く気配はない。既に起き上がっているはずのアハトノインは、なぜか微塵も動く気配を見せていなかった。
 何かが違う。異変が起こっていると感じたのはリサだけで、単に動きが鈍いと思っているだけのサリンジャーはヒステリックな声を張り上げるだけだった。

「く、くそっ! 役たたずめ!」

 それまでの余裕が嘘のように恐慌そのものの表情を作り、椅子を倒しつつサリンジャーが逃げ出す。
 所詮は元プログラマー。加えて丸腰の人間にリサが負ける道理はなかった。
 サリンジャーは必死に、部屋の奥にある扉を目指す。距離は殆どなかった。恐らく、万が一のために逃げやすい位置に陣取っていたのだろう。
 そう考えると最初から余裕などなかったのだと思うことができ、リサは冷静にM4を取り出して構えることができた。
 扉を潰す。取っ手を破壊してしまえば逃げられない。
 扉の取っ手は小さく、距離は七、八メートル。フルオートにすればいける。
 レバーを変え、フルオートにしたのを確認した後、トリガーに手をかける。
 だが危機察知能力だけは優秀らしいサリンジャーが気付き、意図を読んだようだった。

「ら、ラストリゾートを最大出力に……!」

 既に指は装置に届いていた。間に合うか、と感じたもののトリガーに指はかかっていた。
 ラストリゾートが発動している今、サリンジャーの目論見どおりに弾は逸れ、弾丸は全て外れるはずだった。

「……な……?」

 だが、弾は逸れることはなく、取っ手に当たることもなく……綺麗に、サリンジャーの背中を捉えていた。
 サリンジャーの背中を狙ったものではなかったのに。
 ぐらりと倒れるサリンジャーの手から、ラストリゾートが離れる。
 血は出ていないことから、中に最新鋭の防弾スーツでも着込んでいたのかもしれない。
 ともあれ、最後の楽園から追放された男の哀れな姿がそこにあった。

「ば、馬鹿な……なぜ収束している……く、くそ……故障か……」

 恐らく、違うだろうとリサは感じた。
 アハトノインがまだ動かないこと。そして不可解なラストリゾートの動作。
 考えられる可能性は一つしかない。誰かが操作系統を弄ったのだ。
 誰がやったのかは分からないし、検討もつかなかったが、感謝するのは後だった。
 ラストリゾートが使えない今、サリンジャーを倒すのは今しかない――!
 M4を向けたリサに、ギロリと凝視していたサリンジャーと目が合った。

『ここで死ぬわけにはいかないんだよ、猿がっ……!』

 いきなり発されたドイツ語。その意味を理解しようと一瞬空白になったその間。
 隙を見逃さず、サリンジャーは懐からスタン・グレネードを取り出し、爆発させた。
 凄まじい閃光と爆発。訓練を受けていたリサは気絶こそしなかったものの一時的に視覚と聴覚を奪われる。
 真っ白になった感覚の中で、リサは己にも聞こえないサリンジャーの名前を叫んだ。

     *     *     *

十四時三十分/高天原コントロールルーム

 アハトノインは、石像のようになったままピクリとも動くことはなかった。
 綺麗に。芸術的に。そして奇跡的に。
 彼女の突き出したグルカ刀は――刃先の、その先端がことみの右胸に触れる形で停止していた。
 もう一秒でも遅ければ胸を深く貫いたグルカ刀はことみの心臓を破壊し、生命を奪っていたのだろう。
 突きつけたままのベレッタM92を未だに下ろせず、ことみは慣れようのない緊張と生きていることの驚きを実感していた。
 疲れてもいないのに息が荒い。体が苦しい。だがその苦痛がたまらなく嬉しいのだった。
 なぜ止まったのかは分からない。額に穴を開けたまま、茫漠とした瞳で、何も捉えることのない金髪の修道女は答えを教えてはくれないのだろう。
 必ず相打ちだろうと予測していたのに。まるで壁にでも突き当たったようにアハトノインはその動きを止めている。
 何かが起こったことは明らかだったのだが、アハトノインそのものが物言わぬ骸になってしまったため調べようもない。
 ベレッタM92を撃った前後で激しい地震のようなものも感じたが、それが原因なのだろうか。

 ともかく、今言えることは刃先を突き付けられたままでは心臓に悪いということだった。
 修道女の体を蹴り倒し、壁際から脱出する。どうと音を立てて倒れたアハトノインは奇妙なことに、死後硬直にでもなったかのように全く体勢を変えていなかった。
 機能を停止した彼女は最後に何を感じていたのか。それとも何も感じていなかったのか。
 見下ろした視線に一つの感慨を浮かべたが、すぐにそれも次の行うべきことの前に霞み、頭の片隅に留まる程度になった。
 生きているのならば、まだやることがある。
 コンソールに取り付き、作業の続きを行おうとしたところで、ことみは全ての真相を知った。

「……偶然って、怖いの」

 画面の中ではアハトノインの機能を停止させ、然る後に再起動する命令が実行されていた。
 グルカ刀を振られ、コンソールに倒れこんでしまったはずみで起動していたのだろう。
 悪運と言うべきなのか、それとも運命の悪戯と表現するべきなのか。
 少し考えて、ことみはくすっと微笑を漏らしてからこう表現することにした。

「運も実力のうち」

 隣のラストリゾート管理装置も時を同じくして起動していたらしい。
 効果の程は定かではないが、とりあえず『拡散』から『収束』にモードを変えておく。
 ラストリゾートが物理的に攻撃を遮断する仕組みは力場によって力の向き、つまりベクトルを外側にずらすことによって擬似的なバリアを張るといったものだった。
 そこでベクトルのずらす向きを外側ではなく内側へと変更した。攻撃が集まるということだ。
 実際ラストリゾートが起動しているかすら分かってはいないのだが……

 とりあえず、やれることはここまでだ。後は何とかしてここから逃げ出すだけ。
 ことみは物言わぬ骸となってしまったウォプタルの遺骸を寂寥を含んだ目で眺めた。
 正体不明で、どんな動物なのかも分からなかった。最後の最後まで、人間に従って死を受け入れていった動物。
 血を流し、ぐったりとして動かないウォプタルは役割を終えて眠りについているようにも見えた。
 もしかすると、この動物はここで生み出され、殺し合いゲームのためだけに作られたのかもしれないと訳もなくことみは感じた。
 確証があったわけではないし、ただの勘でしかなかったが、あまりにも大人し過ぎた死に様がそう思わせたのだった。
 さよなら、と心の中で呟いてからことみは部屋を抜け出した。

 ここまで運んでくれてありがとう。
 後は――自分の足で、歩く。

 以外に体は軽かった。血を流して、血液が足りていないのかもしれない。
 どちらでも良かった。今はただ、自分を信じて足を動かすだけだ。
 小走りではあったが、ことみの足はしっかりと動き前を目指していた。
 途中で包帯を直していないことにも気付いたが、この動いている体を感じているとどうでもいいと思い直し、
 赤くなった包帯をはためかせながら走ることを続行した。
 そういえば、と包帯を見ながら、タスキリレーに似ているとことみはぼんやりと思った。
 何を繋ぐためのリレーなのかは、分からなかったが。

     *     *     *

十四時三十二分/高天原

『クソッ、クソックソッ! 猿どもめ!』

 口汚く己を脅かす者共を罵りながら、サリンジャーは対人機甲兵器がある格納庫へと足を運んでいた。
 何故こうまで上手くいかない。こちらの勝利は完璧だったはずではないのか。
 怒りの形相を浮かび上がらせるサリンジャーの頭の中には何が失策だったのかと反省する色は見えず、役立たずと化したアハトノイン達に対する不満しかなかった。
 AIは完璧だった。搭載したシステムも同じく。ならばハードそのものが悪かったとしか考えられない。
 予算さえケチっていなければこうはならなかったものを。
 少し前までは真反対の、賞賛する言葉しかかけていなかったはずのサリンジャーは、今は機体の側に文句をつけ始めていた。

『復讐してやる……猿どもめ、今に見ていろ……』

 呪詛の言葉を吐きながら、サリンジャーはカードキーをリーダーに押し付け、続けて暗証番号を入力する。
 パワードスーツとも言うべき特殊装備が配備された格納庫。軍人でなくとも楽に扱え、
 それでいてHEAT装甲による通常兵器の殆どを無力化する防御力となだらかな動作性による運動力。
 単純な戦闘能力ではアハトノインを遥かに凌駕するあの兵器で全員抹殺してやる。
 サリンジャーは逃げることなどとうに考えず、自分を辱めた連中に対する報復しか考えていなかった。
 そうしなければ自分はこれから先、ずっと敗北者でしかいられなくなってしまう。
 理論を否定され、機体を破壊され、それどころか受け継いだ篁財閥の力すら扱えずに逃げるというのは到底許しがたいことだった。

 所詮負け犬などその程度。

 いないはずの篁総帥や醍醐にせせら笑われているような気がして、サリンジャーはふざけるなと反駁した。
 今回は違う。ここにあるアレはハード面から設計を担当しているし、機能までも完全に把握済みだ。
 下手な軍人よりも遥かに上手に使いこなせる自信がある。
 結局のところ、最後に信用できるのは自分だけか――他者に僅かでも任せた部分のあるアハトノインを信用していたことを恥じつつ、暗証番号の入力を完了する。

『ちっ、網膜照合もあるのか……急いでるんだよ私はっ!』

 電子音声による案内すら今の自分を阻害しているようにしか感じない。
 苛々しつつ目を開いて照合させると、ピッと解錠された音が聞こえ、格納庫へと通じるドアが開いた。
 確認した瞬間、サリンジャーの手元で火花が散った。続いてバチバチとショートした音を立てるキーロックが、敵が来たことを知らせていた。

「サリンジャー!」

 リサ=ヴィクセンだった。早過ぎる。閃光手榴弾まで放ったのにもう追いついてきたことに怖気を覚えながらも、サリンジャーは格納庫へと逃げ込む。
 ちらりと確認したが距離はまだ十分ある。そもそも距離が近ければリサが外す道理もない。
 立方体のような形状の格納庫の奥では、神殿にある石像のように安置された人型の物体があった。
 静かに佇み、暗視装置のついた緑色の眼でサリンジャーを見下ろしている。まるで来るのを待っていたかのように。
 やはり最後に信用できるのは自分だけだ。屈折した笑みを浮かべながら、サリンジャーは乗り込むべく像の足元まで走った。
 直後、リサ=ヴィクセンが格納庫に侵入してくる。扉が開いたままだったのはキーロックが破壊されたからなのだろう。
 だがもうそんなことも関係ない。パネルを動かし、コクピットを下ろす。
 股間、いや正確には胸部から降りてきたコクピットにはマニピュレーター操作用のリモコンと脚部操作用のフットペダルがある。
 試験動作は完了していた。サリンジャー自身でやっていたので今度こそ故障はない。
 一旦中に入ってしまえば外と内の分厚い二重装甲が自分を守ってくれる。
 さらにパイロットを暑さから守るための冷却装置も搭載しているため、たとえ蒸し風呂にされようがこちらは平気だ。
 再三安全を確認したところで、リサ=ヴィクセンの追い縋る声が聞こえた。

「逃げても無駄よ……! 貴方はここで終わり!」
「死ぬのは貴女達ですよ。私に逆らったことを後悔させてあげますよ! 貴女が大切にしようとしていたミサカシオリのようにね!」

 ふんと笑ってみせると、リサ=ヴィクセンの目から冷たいものが走った。完全に殺す目だ。
 関係ない。精々追い詰めた気になっているがいい。コクピットに乗り込みパネルを操作すると、一時視界が闇に閉ざされた。
 完全密閉型になっているためだ。だが機械により外部カメラで外界は捉えることはできるし、オールビューモニターという優れものだ。
 電源が入り、内部が徐々に明るくなってゆく。ぶん、と特有のエンジン起動音を響かせるのを聞きつつ、サリンジャーは操縦桿を握り初動へと入った。
 オールビューモニターが表示され、M4を構えているリサ=ヴィクセンの姿が目に入る。
 見下ろした自分と、見上げるリサ。やはりこの位置こそが相応しい。そう、自分は誰よりも優れていなければならないのだとサリンジャーは繰り返した。
 そうしなければ負け続ける。他者を常に下し、見下ろさない限りずっと惨めなままだ。

 出来損ないのお坊ちゃん野郎。サリンジャー家の面汚し。
 他のエリート達よりも格下のハイスクールに行かざるを得なくなったとき。プログラマーという職業に就くことになったとき。
 いつも周囲の目は自分を見下していた。内容に関わらず、勝負に負けた自分を慰めもしてくれなかった。
 世界はそういうものだとサリンジャーは悟った。誰かを踏み台にしなければ生きてゆくこともできない。
 長い間待った機会だった。負け続けることを強いられ、見下されることを常としてきた自分がようやく得た千載一遇の機会。
 それも、自分以外の全てを見下せるようになるという機会だ。
 こんなところで失ってたまるか。勝つのはどちらであるかということを教えてやる。

「見せてあげますよ。これが私の鎧、『アベル・カムル』だ!」

 格納庫に、獣のような咆哮が響き渡った。
-



PREV:終点/あなたを想いたい  NEXT:終点/Nor shall my sword sleep in my hand,Till we have built Jerusalem 


BACK