予定外だ。 これでは計画が台無しだ。 天沢郁未は先頭に立って他にホテルから脱出できるところはないかと探し回っている由真や風子、花梨の姿を眺めながらそう思った。 こっちが我慢に我慢しているというのに、勝手にドンパチを始めて、騒ぎ立てて…… 幸い、矢面に立ってくれた人物がいたから良かったものの、もうホテルは安全圏ではない。 また一からやり直さねばならないのだろうか。 (……癪ね) イライラが自分の中で澱みを成しているのが分かる。どうせなら誰かに一泡吹かせてから逃げ出したいところだ。 (いっそ、こいつらを一気に……) 考えかけて、まだ早計だと思い直す。 流石にここまで生き延びてきただけはある。愛佳以外の誰もが冷静に眼前の事態に対処し、脱出路はないかと連絡を適度にとりあいながらまとまって行動している。 一方愛佳はまだ恐怖が残っているのかいつの間にか懐いていたぴろを撫でながら郁未の近くでぼんやりとしている。 今ここで武器を持って本性を見せたとして、すぐに殺害できるのは未だ不安定なままの愛佳だけだろう。 まだこの状況では一つとして怪我は負いたくないし、何より脱出路が定まってない。 とにかく何をするにも、まずは様子見だ。 「あーもう、こっちも行き止まりか……非常口の一つや二つないわけ? 不親切な設計ね……」 「だから潰れたんじゃないのかな、このホテル」 「なるほど、納得です」 考えを巡らせている郁未の前では、三人が顔を合わせて意見を言い合っている。 最初の方は七瀬が残った方角からいくらか銃声が聞こえてきていたが、今は静まって何も聞こえない。 もう決着がついたのか、あるいは白兵戦にもつれ込んでいるのか。 七瀬はまだ戻ってきていない。どうなっているのか、全く分からない。 唯一分かることは、時間はあまり残されていないであろうということだ。 急がなければならない。特に前の戦闘でトラウマが残っている愛佳は早く逃がさなければ。 「仕方ない、ここは一旦戻って別の道を探しましょ。愛佳、まだ大丈夫?」 「……うん」 少しは気力が戻ってきているのか、愛佳は返事もはっきりしてきたし、自分でしっかり立って歩いてきている。 ひょっとしたら、単に疲れていただけなのかもしれない。そんなに心配するほどでもなかったか、と由真は苦笑いする。 「戻るなら、結構ロビーの近くまで戻ることになるんよ。だから危ないことになるかもしれないと思うから……由真と風子ちゃんに、これ貸しとくね」 花梨はそう言うと、風子にグロック19を、由真にステアーAUGを渡す。 初めて手に圧し掛かる、重たい銃の感触に息を呑みながらも、二人はそれをしっかりと受け取る。 「でも弾は殆ど入ってないと思うから、万が一使うとしても、気をつけて。あくまでも護身用と考えてほしいんよ。……それと、風子ちゃんには、これも」 銃の中身について説明すると、続けて花梨は風子にポケットからあの青い宝石を取り出し、風子に手渡す。 「預けとくね。私より風子ちゃんが持ってた方がいいと思うから、これは」 「……どうしてですか? 見つけたのは笹森さんです。笹森さんが持つべきだと思うのですが」 「いや、何となくだけど。……んー、私より、これについては分かってると思ったんよ。あのときの話を聞いてね」 「あれは風子が思ったことを言っただけです。あてずっぽうです」 「まーそう言わずに。それに、風子ちゃんなら大事に扱ってくれそうだし」 無理矢理手に宝石を握らせる花梨に、 「……仕方ないです。そこまで言うなら風子が責任をもってお預かりします」 と受け取って制服のポケットの中に仕舞う風子。 「よろしい。素直な子は私好きだな〜。ということで」 「ミステリ研には入りません」 「……」 花梨はうなだれるが、すぐに顔を上げると「ま、いつかね」と勝手に納得して来た道を歩き始めた。 まだ諦めてなかったんだなあ、とそんな様子を見ていた由真はその根性に感心していた。ついでに、きっぱりと容赦なく断り続ける風子の姿勢にも。 (っと、んな悠長に構えてる場合じゃなかったか) 今の状況を思い出し、そんなことをしている暇はないと己に言い聞かせ、花梨に続こうとしたときだった。 廊下の向こうから、反響音と共に由真と風子にとっては忘れられるわけもない、あの『タイプライター』が聞こえた。 「あの……音は!」 体を駆け上がる戦慄と共に、由真の頭にも血が上る。 仲間を奪い去った、あの悪夢。その根源たる人物が、再びこの場に現れたというのだ。 銃という『力』を手に入れたこともあり、それにあの相手だけに対しては逃げたくない、という思いを抱えていた由真はギリッと歯を食い縛ると一直線に銃声の聞こえた方へと向かって走り出そうとした。 「あ……! と、十波さん! いけませんっ! 待ってください!」 「っ! 行かせてよ! あいつに岡崎さんとみちるちゃんがやられたのに! 黙って見過ごせっての!? それにあいつが来たってことは、七瀬さん、一対二じゃない! 援護に行かないと!」 「そ、それは、そうですが……」 風子としてはまずは皆を無事に逃がすことを第一の目標としていたが、見捨ててはおけないという由真の意見にも同調はできる。 しかし正面から突っ込むのはあまりにも危険だと考える風子は簡単に行かせるわけにもいかない。 「で、でも一人で行くのは危険です。もう少し考えて……」 「じゃあどうしろって――」 口論になりかけた二人を遮ったのは、銃声だった。 それは先程のような廊下の向こうから聞こえてきたものではなく。 「……え?」 すぐ近く。 天沢郁未の持っているM1076の銃口からは硝煙が。 そして――その真正面にいた、笹森花梨の胸からはおびただしい量の血が、噴き出していた。 「あ――」 ぐらりと、花梨の体が傾き、広がっていた血の海に沈む。直前、花梨は郁未にあった違和感の正体を思い出していた。 ――そっか、天沢、郁未……国崎さんが、芳野っていう人から聞いてた、危険な人の名前……あは、国崎さん、私、やっぱりバカだ―― 「花梨っ! あ……あんた……っ!」 突然の裏切りに、由真は怒りも露に郁未に向き直る。元々熱くなりやすい彼女は、さらに加熱していた。 対照的に郁未は冷徹に、血に沈んだ花梨を見下ろしながらふん、と鼻を鳴らす。 「そろそろ潮時だと思ってね。いい加減逃げるのにも嘘をつくのも飽きたわ。やっぱり人間、正直に生きないと」 「――っ!」 まるで当たり前のように言った郁未の言動に、ついに由真の堪忍袋の緒が切れた。 勢いもそのままに、由真は郁未へと掴みかかろうとする。 だが郁未は余裕たっぷりに由真の突進を回避すると、素早く羽交い絞めにして頭部へと銃口を突きつけた。 「うぐっ!」 「は、勢いだけでどうにかなるとでも思った? バカよね、まだそこのチビの方が評価できるわ。……さて、見りゃ分かると思うけど、こいつは人質にさせて貰ったわ。二人とも、大人しく武器を置いてもらいましょうか」 銃口を突きつけながらも同時に首を絞めて抵抗する暇を与えない。 郁未は完璧に由真の影に隠れるような位置に陣取っており、盾にもしている。風子はとっさにグロックを構えていたものの、撃てるわけがなかった。 残された愛佳も急変した事態にまるで対応できずおろおろとするばかり。 ぴろも毛を逆立てて唸っているが、猫など問題外だ。 「ど、ど、どうして、こんな……ゆ、由真を放して!」 「嫌よ。だって放したらそこのチビに撃たれるかもしれないじゃない。そういうわけだから、ね、早くこっちにその銃を投げなさい」 「……お断りです」 えっ、と愛佳は風子の反抗的な発言に愕然とする。それは、見捨てるということなのに? 郁未も予想していなかったのか、少々驚いた様子ではあったが、それでも有利なのは自分だとでも言わんばかりにぐりっ、と銃口を由真に押し付ける。 「死んでもいいってわけ? あんた、意外に冷たい人間なのね?」 「違います。どうせ捨てたところで風子たち全員を撃ち殺すつもりでしょう? そんなこと、させません」 「……いい度胸してるじゃない。なら撃ってみなさいよ。撃てないでしょ? プロならともかく、素人が私だけを狙えるとでも思ってるの?」 「伊吹……さん!」 由真が苦しそうな表情を向ける。 風子は極限の緊張の中にいながらも、銃の構えは解かなかった。 「お、お願い! やめて! 由真に当たっちゃう!」 「……」 愛佳の悲痛な叫びにも、風子は首を振る。 風子とて当てられる自信はとてもじゃないが、ない。だがらと言って郁未に服従するつもりもない。 本気で狙うわけじゃない。郁未は撃てるわけがないと高をくくっているが、威嚇射撃であろうとも発砲すれば驚き、由真を手放すだろう。 そこを突いて、由真と愛佳を引き連れて逃げる。 花梨を失ってしまったのは風子にもショックだった。 お姉さんとして、皆を守る。そう誓ったのに。 しかしこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。殺させるものか。 気負いと共に、トリガーを引こうとしたときだった。 「ま……だ! 死んでいないん……よっ!」 「ふにゃぁっ!」 「なッ!?」 突如、郁未の足元から花梨が起き上がり、掴みかかった。 更にぴろが郁未の顔面へと向かって飛び掛かる。 全くの不意打ちに対応できず、郁未は由真を放してしまったばかりか押し倒されてしまう。 そう、花梨は死んでいたわけではなかった。 確かに胸を撃たれ、半ば致命傷であったものの残された命の欠片を振り絞って動けるだけの気力はまだあったのだ。 風子と同じように、これ以上死人を出してたまるか。そんな一念の元に機会を窺い、そして飛びついた。 「三人とも! 逃げて!」 郁未を押し倒しながら花梨が叫ぶ。 由真は息を苦しそうにしながらも走れるだけの体力は残っていたようで、風子の方に走ってくる。 良かった、これでいける……そんな一瞬の緩みが風子の中に生まれた。 ――それが悲劇の引き金になった。 一瞬の緩みがもたらした、手にかかる力の弛緩。それが下ろしかけていた、グロックのトリガーにかかった。 「……!」 ドン、という衝撃が由真の胸を貫いた。 何が起こったのか分からず、ゆっくりと由真は自分の体を見下ろす。 「あ、れ……」 血が出ている。ドクドク、ドクドクと。花梨と同じように。 そして、衝撃は前からかかってきた。それが意味する事実。その根源を、由真はのろのろと見つめる。 「あ、あ、あああ……っ!」 「……い、ぶ……」 風子が、目の前の由真の姿に絶望の呻きをあげていた。そう、撃ってしまったのだ。 風子が、由真を。思いも寄らぬ形で。 「――いやぁぁああぁぁあぁあぁああぁあーーーーーーっ!!!」 響き渡る絶叫。愛佳が狂乱の叫び声を上げていた。 「こ、こまきさ、風子は、風子は……!」 のそりとした視線を向ける風子に、愛佳は再び、怒りや憎悪よりも、恐怖を覚えていた。 ――殺した! ――敵じゃないと思っていたのに! ――みんな、みんなあたしを裏切って殺そうとする! ――天沢さんも、この子も! ――イヤ、イヤ! 殺されたくない、死にたくない、死にたくな…… 「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。 ――では、第三回目の放送を、開始致します」 恐慌する場にそんな声が響いてきた。それが、愛佳の精神にとっての決定打となった。何故なら。 「44 小牧郁乃――」 「……え、いく、の……?」 それは愛佳にとっても最愛の、大切な家族。妹。 妹が……死んだ? 殺された? あたしが みさえさんを 殺しちゃったから ? 『そうだよ。 殺人鬼 』 侮蔑する声。殺そうとする人たち。いなくなった妹。 広がる血の海。そこに投げ落とされるあたし。引きずり込む幾人もの人の手。 むしりとられるあたしの皮。肉。骨。べちょべちょと笑いながら頬張ってる。 あははは。あははは。あははは。あははは。 ひひひひ。ひひひひ。ひひひひ。ひひひひ。 けらけら。けらけら。けらけら。けらけら。 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ!!!!!! 「ひっ、ひ、ひふっ、い、い、いいいいいい、いくのいくのいくのいまいくのぉぉォォォォォオォーーーーーーーー!!!!!」 愛佳は狂った叫びを上げながら、デイパックから今まで危険だからと収めていた火炎放射器を取り出す。 「あはっあはははははあははははははははははははあはははははははははははははは!!!!!!」 愉快そうに愛佳は笑う。 正気どころか、判断する頭脳さえない。 まさに死人。本能のままに人を襲う、哀れな怪物に成り果ててしまった人間の崩壊した姿がそこにあった。 「燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろモエロモエロオォォォォーーーーー!!!」 愛佳は火炎放射器の矛先を、残っている連中へと向け、文字通り丸焼きにしようとする。 しかし焼き尽くそうと向けた視界の中で、僅かに動き、静止をかける人間がいた。 「ま、なか……! なに、やってるのよ……!」 「っひぃ!?」 それは人殺しの風子によって致命傷を与えられ、倒れたはずの由真の姿だった。 未だにドクドクと湧き出てくる血を、申し訳ばかりに手で押さえながら、凶行に及ぼうとする親友を見咎めるように睨む。 「ひ、こ、こないでこないでこないでしぬしぬしぬしぬぅぅぅぅ!!」 崩壊した愛佳にとって既に由真は死人。生き返るはずがなく、ただのモノであるはずだった。 つまり、這いずってでも自分に手を伸ばそうとするこの女は……死神。 恐怖に駆られた愛佳は、火炎放射器で攻撃こそしなかったものの、それを背負ったまま反対方向へと逃げようとする。 するとそこに。 「ちっ、手こずらせてくれたわね……まさか猫にまで歯向かわれるとは計算外だったわよ」 「っ、こい、つ、もう……!」 顔面を散々に引っかかれ、服を花梨の血で塗らした郁未が反対側に立ち塞がる。 足元には、今度こそ息絶えた花梨と、同じく惨殺されたぴろの死体を伴って。 右手にはM1076。左手には血濡れの鉈を持ち。 「へぇ、撃たれてるじゃない……そこのチビも優勝狙いだったってワケか……いいわ、そういうの、嫌いじゃない」 「っ、ち、違います、ふ、風子は……」 何が違うのか、と首を傾げる郁未の前。 愛佳の前に立ち塞がるように、今度は戻ってきた女がいた。 「な……これは、どういうことなの!」 疑問ではなく、騙されていたのだという絶望と怒りを携えて、七瀬留美が戻ってきていた。 守るはずだった味方が、目を離してみれば皆が皆殺し合いをしているではないか。 血濡れの鉈と銃を持った郁未。 血の海に落ちた由真の近くで拳銃を持っている風子。 火炎放射器を持って逃げようとしていた愛佳。 動かない花梨とぴろ。 状況から七瀬が叩き出した結論は一つだった。 「そう、結局みんな殺し合いに乗ってたってことか……バカにされたもんね、あたしも……もういい。もう誰も信じるもんか……皆殺しよ! 全員! ブチ殺して地獄に沈めてやる!」 七瀬は手斧を取り出し、悪鬼羅刹を思わせる瞳で全員を見据える。 「……く、なんで、こんなことに……!」 由真はまだ辛うじて動ける状況にあった。 血は流れ続けているが幸いにして銃弾が肺を貫くことはなかった。半ば下方向きに風子が撃ったお陰だ。 ま、誤射だけどね。……今更事実に文句を言っても仕方ないか。 由真はこっそりと手を伸ばし、ステアーAUGを手に取ると、風子を逃がす算段を立てる。 もうこの状況と傷では助かるまい。その諦めがかえって由真に冷静さと覚悟を引き出していた。 (もう、せめて伊吹さんだけでも……! 私の、最後の意地……!) 由真の中の命の蝋燭が、激しく炎を立てて燃え始めた。 * * * それより少し前。時間は七瀬がホテルの奥の銃声を聞きつけたころに遡る。 早急に銃声の事実を確かめねばならない七瀬にとっては、最早こんな戦闘などさっさと抜け出すべきだった。 最大の問題は背中を見せた途端二人から一斉に射撃を浴びることだ。 だが七瀬にはスタン・グレネードという目くらましにはもってこいの代物がある。 後はいつこれを使うかということだけ。 ポケットの中にそれを仕舞いなおした瞬間……七瀬彰が、真正面にM79を構えていた。 「燃え尽きてしまえっ!」 彰が構えているのがイングラムではないと判断した瞬間、七瀬は大きく飛び跳ねてできるだけ距離を取るように離れる。 ここでも七瀬の直感は正しかった。 少し外れ、柱に命中した火炎弾が、盛大に炎を巻き上げ火の粉を降り注がせる。 間違いなく、その場にいたら煽りを食っていただろう。 SMGUを即座に構えようとした七瀬だったが、今度は彰が何かに気付いてごろごろと床を転がる。 直後、二発ほど銃声が聞こえた。七瀬からは死角になっていて分からなかったのだが、名雪が彰を攻撃したのだ。 名雪にとっての優先事項はとにかく武器の豊富な相手を狙うことだった。 銃は二つ持ってはいるがどちらも拳銃であるし、残弾数も心許なくなってきている。 彰の装備はサブマシンガンにグレネードランチャー。単純に攻撃力としてはかなりの高レベルである。 無論隙さえできれば七瀬を狙うつもりでもあったが、優先して狙っているのは彰だった。 彰も名雪の狙いに気付いていたようで、舌打ちをしながら回避に専念する。 「ち、防弾チョッキさえなければ……」 彰は迂闊にイングラムを撃てない。防弾チョッキで無効化されてはまさしく弾の無駄遣いだ。 既にマガジンの残りは半分を切ってしまっている以上慎重に使わねばならなかった。 彰は走り回りつつ、ロビーの奥……受付のカウンターの奥に隠れ、篭城戦の体制に入った。 名雪は続けて銃弾を撃ち込もうとするがそれを阻む人間がいた。 「このぉっ! いくら防弾チョッキを着てたって!」 狙いを切り替えた七瀬が名雪へと向けてSMGUを乱射する。 その目標は頭部。そこに一発でも撃ち込んでしまえばどんな人間だろうが即死する。 下手な鉄砲数撃ちゃ当たるを信条とする七瀬には残弾など関係なし。とにかく撃ち続ける。 「……」 名雪も彰同様、走り回りながら七瀬の掃射を回避していく。 格闘戦でこそ遅れをとった名雪だが、走り回ることに関しては七瀬の比ではない。 蛇行して走りながら、名雪は懐から携帯電話を取り出す。 「何? 電話なんかで何をしようって……?」 何かを入力したかと思うと、名雪はそれを七瀬へと向かって放物線上に投げる。 投擲してぶつけるだろうかとも思ったが、山なりに投げるのはおかしい。 三度、七瀬は己の直感に従って携帯から離れようとした。が、僅かに遅かった。 「っ!? 電話が、光っ――!?」 名雪が投げたのは時限爆弾機能入りの携帯電話。数字を入力することでその秒数後に爆発を引き起こすといった仕組みだった。 セットしたのは一般的な手榴弾と同じ五秒後。 閃光と爆風が七瀬を襲う。 爆薬量が少なかったのと至近距離ではなかったお陰で致命傷を負うことこそなかったものの、爆風で吹き飛ばされ床に体をしたたか打ち付ける。 そのまま床を転がりながら、七瀬は不覚と体勢を立て直そうとする。 しかしその隙を見逃すわけがない。名雪は立ち上がろうとする瞬間を狙ってジェリコを構えるが、目論みはまたもや失敗に終わる。 カウンターから飛び出してきた彰が、M79を構え、炸裂弾を発射していた。 「……!」 彰の狙いは走りながら撃ったせいか、僅かに逸れていたものの、本来炸裂弾は爆風よりもそれにより撒き散らされる破片での攻撃が主なダメージソースである。 小規模な爆発と共に飛び出した榴弾の破片が次々と名雪を襲う。 避けきれないと悟った名雪は顔面へのダメージを防ぐべく両手で顔を隠し、防御体勢をとったが、流石にそれ以外への攻撃まではどうしようもない。 ある破片は浅く、ある破片は深く。手足、身体を問わず切り裂かれ、少なからぬダメージを名雪が受ける。 だがただやられている名雪ではなかった。相沢祐一のために全てを抹殺する、その目的を達成するために全てを捨て去った少女はそれくらいでは突き崩せない。膝をつくとばかり思われていた名雪は、しかし倒れることなく踏み止まり、あまつさえ彰に反撃の一発を見舞ったのだ! 「何っ!? がっ……!」 半ば無茶苦茶に乱射したので急所に命中することはなかったが、数発が彰の肩や脇腹を抉る。 大した被害ではないが、慌てて彰はサイドステップして回避行動に移る。 彰が先程までいた場所には、更に数発の銃弾が撃ち込まれていた。 冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、それでもダメージは向こうの方が大きい、ケリをつけるなら今とイングラムに装備を切り替え、思い切り乱射する。 「倍返しだっ!」 撃ち返す彰だが、名雪も怪我を負ったとはいえ脚力は健在であった。イングラムの掃射を彰の周りを円を描くようにして走り、回避していく。 彰もじっとして撃つだけでは撃ち返されると踏んで動きながらイングラムを撃ち続ける。 そこに、ようやく起き上がった七瀬が苦々しい顔をしながら、スタン・グレネードを取り出していた。 「このっ……やってくれるじゃない……けど、コイツを投げられる状況にしてくれてありがとう!」 ピンを引き抜くと、七瀬は思い切りそれを二人の間へと向け、投げつける。 ころろろ、と転がってきたスタン・グレネードに気付いた二人は慌てて爆風から逃れようと飛び退いたが、それは普通のグレネードではない。 爆風と破片による攻撃ではなく、スタン・グレネードは閃光と爆音によって視覚と聴覚を奪い、敵を無力化するものである。 当然そんなことを知るわけがない二人はまともにその影響を受ける。 「!!」 「ぅぁっ!?」 凄まじい音響と閃光。 目をつぶり、耳を塞いでいた七瀬でさえ頭がクラクラするほどであったのだがら、二人は何をいわんや。 視界とバランスを失い、よろよろと動き回る。 七瀬はしばらくして、頭に感覚が戻ってきたのを確認すると、自分のデイパックを回収して奥へと駆けていった。 どれくらい時間が経っているのか分からない。あれからも断続的に向こうから銃声のような音が聞こえてきたような気もする。 戦闘が起こっているのだろうか。既に被害者が出ているのかもしれない。 「お願い、無事でいてよ……!」 そう願いながら、七瀬は全速で走る。 願いは叶うことなく、また彼女を修羅の道に堕とすことになるとも知らずに―― 「っ、クソ……!」 悪態をつきながら、彰は柱に背中をもたれさせ未だ定まらぬ視界に四苦八苦していた。 名雪の気配は既に消えうせている。スタン・グレネードを投げた七瀬から逃げるためなのか、彰を攻撃してくることもなかった。 それは不幸中の幸いと言える。こちらも早く体勢を立て直さねば。 何だか閃光が走った直前からくらいに何かぶつぶつ声が聞こえていたような気もするが、聞き逃した。まあどうでもいいが。 ズルズルとそのまま床に座り込みつつ、彰はこれからの戦術を模索する。 襲撃は失敗に終わった。予想外の事態により倒せたはずの相手も殺し損なった。 やはりまず、とどめはきっちりと刺さなければならない。頭部を破壊するまで、相手は死なないものと仮定したほうがいい。 それと回避行動は素早くだ。 数回の戦闘を経てようやく効果的な弾の躱し方が身についてきた気がする。 円を描くように回った方がより当りにくい。広い場所で戦うときはこの戦法をとるべきだろう。 最後に攻撃法。 復活したらあの女(七瀬留美)を追うのが普通だろうが、ホテルというフィールドを利用しない手はない。 まず階段などを使って上の階へ移動し、回り込んで不意打ちを仕掛ける。 概ね方針としてはこうだ。悪くはないはず。問題は同じように考えたもう一人の女(水瀬名雪)と鉢合わせすることくらいだが……そこは慎重に行動することで何とか会わないようにするしかない。 「……よし、今度こそ」 再び自分に喝を入れ直し、彰はゆっくりと立ち上がる。 その目は、もはや戦士と呼べるに相応しい顔つきになっていた。 * * * 以上、これが七瀬がやってくるまでの事のあらましであった。 とにもかくにも今の七瀬は怒り心頭どころかこの世の全てを悪と見なさんばかりに鼻息を荒げつつ、ぎろりと愛佳を睨む。 怯えて逃げ惑っていたかと思えば、今度は放火魔か。要するに、あのときは自分に勝てないと思って逃げていただけだったのだ。 弱者だけを狙い、強者には媚を売って延命を図る。最低の愚図だ。死ねばいいのに。いや、殺す。 「まず、あんたからよ……」 「ひ、ひひ、あ、あんたは怖くない怖くない怖くないぃぃぃぃんだからぁああぁあぁあ!」 愛佳は火炎放射器を向けると、今度は躊躇いなく七瀬へと紅蓮の炎を撒き散らす。 燃え盛る炎の腕が七瀬を包み込まんとするが、戦闘慣れしている七瀬にはそう簡単に通じはしない。 熱風に顔をしかめつつ、七瀬は手斧を振り上げる。 「あっち! 乙女の肌に黒コゲにする気!? 小麦色ならちょっと歓迎するけど!」 「ひゃはっ!?」 とっさに放射器の向きを変えようとするがそれより斧の方が早かった。 炎の暑さに僅かに狙いが逸れたか、手斧は愛佳の服を浅く切り裂いたのみで手傷を負わせるに至らなかった。 「いいいいいたいのいたいのとととんでけぇぇえぇぇええぇ!」 トリガーを引き続けたまま放射器を振り回したので炎は鞭と化し、七瀬を薙ぎ払う。 荒れ狂う炎の勢いに接近を拒まれ、さしもの七瀬も近づく事が出来ない。 だが、炎で燃えるのは人間だけではない。飛び散った炎が壁材や床のカーペットに引火し、瞬く間に群れを為して火災の様相を呈し始めた。 機能を失ってしまっているホテルには火災報知機もスプリンクラーもない。消火器さえあるかどうか怪しかった。 「あは、燃える燃える燃えるるるるる! もっともっともっともっとぉぉぉぉおおぉぉぉぉお!!!」 オレンジ色の光景に愛佳は狂笑を浮かべながら傍にあった階段を駆け上ろうとする。 七瀬は熱風にたじろぎながらも目ざとくその姿を見つけ、追おうとする。 「待ちなさい! この放火……」 途端、再び紅蓮が降り注ぐ。愛佳が階段上から階下へ向けて火を放ったのだ。 今の愛佳に残る思考はただ一つ。「しにたくないから、ぜんぶもやす」これだけだった。 燃えてしまえば何も怖くはない。そんな子供じみた考えの下に。 「くあっち! あーもう! 乙女の髪の毛をアフロにする気かぁ!」 地団駄を踏みつつ、七瀬は火の粉を追い払いながら、既に二階へと消えた愛佳を追って駆け上がった。 「……ちっ、やるだけやってトンズラとはね。熱くって仕方ないわ」 パチパチと焦げ臭い匂いと揺らめく炎の舌の中、郁未は髪をかき上げながら、腹を押さえつつステアーAUGを持って立ちはだかる由真を前にしながら、悠然と呟いた。 「……殺し合いに乗っていた割には、やけに好戦的じゃないわ、ね……けほっ、それに、私達もすぐに襲ってこなかったし」 こほこほと咳き込みながら、由真は未だショックから抜け切れてない風子を横目にしつつ、郁未に問いかける。 血の味が口に広がっている。どうやら煤と煙のせいだけではないようだ。時間は残り少ない。 一歩、前に踏み出す。 「まぁね。無駄な争いは避ける方が賢いって気付いたのよ。倒せるなら弱者から。如何にリスクを少なく、リターンを大きく出来るかが、この殺し合いの鍵だってこと」 「っとに、性質の悪い……けほっ」 「……さっさと死んでればよかったのに。苦しいでしょ?」 「……どうも。でも、この島には山ほど貸しがあるの。借りは、返すのが礼儀でしょ……?」 ほぅ、と郁未は感心したように由真を見やる。 初めて同調できる意見を他者に見たからだ。立場、目的こそ違えどその精神は郁未が持っているものと同質のものだ。 殺すには惜しい。いや、こんな状態で戦うのが惜しい。 お互い万全で殺しあえればよかったのに、と郁未は思った。 「じゃ、最後に一つ言っとくか……あんた、自分を撃った奴を守ろうなんておかしいわよ? ひょっとしたら今まで仲間ごっこを演じてただけかもしれないってのに」 「……伊吹さんを馬鹿にしないで。あんないい子、誰が疑うってのよ……それに、分かりやすい敵が、目の前に、いる……」 そこまで言ったとき、視界が一瞬揺らぐ。暑さと血が足りなくなってきているせいだ。まだ折れるわけにはいかない。 少し腰を落とすと、由真はステアーAUGを構える。 「それに、意地ってものがあるでしょ、女の子にもッ!」 一声叫ぶと、由真は思いっきりステアーの引き金を引き絞る。 しかし花梨が注意したように、ステアーには殆ど残弾がなかった。僅か一秒にも満たない間に、ステアーから弾が途切れる。 郁未は飛んでそれを回避していた。弾が少ないということは郁未も知っている情報だった。入れ替わるようにして鉈を振り下ろす。 もちろん由真はそのことを承知済みだった。腰を落としたのは理由がある。 花梨が撃たれたとき、彼女はデイパックを落としていた。その中身も零れ出ている。 そう、腰を落としたとき、由真は同時に花梨の『遺物』をすぐ拾えるようにしておいたのだ。由真が手に取ったのは―― 「貰ったッ!」 「っ、甘いっ……!」 特殊警棒が、郁未の鉈を弾く。金属製であるそれは硬度で言うなら互角の能力を有している。 一歩、ダッキングして郁未は距離を取った。 「ちっ、やる……」 「けほっ、まだまだよっ!」 咳き込みながら、由真は警棒を持って追撃。体力のあるうちにありったけ力を入れておかないとまずい。そう判断していた。 「伊吹さん! 聞いてる!?」 「……っ、はっ……」 鉈と警棒がぶつかり合った瞬間、怯えたように、弾かれたように風子が反応する。由真からは確認できなかったが、その目は罪悪感に満ち満ちていた。 だが構わず、由真は言葉を続ける。 「私は、別に気にして、ないから……伊吹さん、わざとやったんじゃないって、分かってるから!」 「無駄口が多いわよ!」 郁未の切り返しの一撃。それが由真の肩を深く切り裂く。 悲鳴を上げたくなったが、根性で堪える。というより、痛すぎて悲鳴があげられなかったのだ。 「だから、行って! それでも申し訳ないって思ってんなら、体勢を立て直して、私のカタキを討ってよ! かはっ、岡崎さんと、みちるちゃんと、花梨のカタキ、討ってよ! お姉さんなんでしょ!!!」 「っ!!!」 お姉さん、という言葉が風子の瞳に正気を取り戻させる。一歩、風子が下がる。 後一押しと言わんばかりに、由真は渾身の叫びを放った。 「走れえぇえぇぇぇぇぇぇえぇえ!!!!!!!」 意識したのかそれとも偶然か、その言葉は朋也が最後に由真と風子に向けて言ったものと全く同じだった。 風子は、もう振り返らなかった。炎の中へと突進していく。流星のように。 「残念だけど、逃がしゃしないわよ!」 さっさと倒そうと、郁未は喉を切り裂かんと鉈を横に薙ぐが、由真は素手で鉈を受け止めた。 手から感覚が零れ落ち、命がまた流れていく。 「っ、なら頭を!」 M1076で頭部を狙おうとするが、今度はもう片方に握っていた警棒を捨て、無理矢理銃口を押し下げる。 だが引き金を止めることまでは出来ず次々と発射された弾丸が由真の内臓をぐちゃりと押し潰す。 「っぁ、……勝っ、た、わ……!」 命が完全に尽きる寸前、由真は勝利の笑みを浮かべた。 伊吹風子を逃がすという、命の代償を支払った勝負に。 それが証拠に、目の前の郁未は悔しそうに顔を歪めていた。 だから。 最後に、由真が握った拳は天を高く衝いていた。 【時間:二日目午後19:00】 【場所:E-4 ホテル内】 伊吹風子 【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(1/15)、支給品一式】 【状態:泣かないと決意する。全力で逃げる。仲間の仇を必ず取る】 十波由真 【持ち物:特殊警棒、ステアーAUG(0/30)、ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】 【状況:死亡】 笹森花梨 【持ち物:海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、エディの支給品一式】 【状態:死亡】 ぴろ 【状態:死亡】 天沢郁未 【持ち物:S&W M1076 残弾数(2/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】 【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、顔面に細かい傷多数、中度の疲労、マーダー】 【目的:由真に敗北感。ホテル内の人間を全て抹殺。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】 小牧愛佳 【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】 【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、発狂。目の前の全てを燃やし尽くす】 七瀬留美 【所持品1:手斧、H&K SMGU(13/30)、予備マガジン(30発入り)×1、何かの充電機、ノートパソコン】 【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】 【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、肩に銃傷、激しい憎悪。参加者全員を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】 七瀬彰 【所持品:イングラムM10(6/30)、イングラムの予備マガジン×3、M79グレネードランチャー、炸裂弾×8、火炎弾×9、クラッカー複数】 【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、肩や脇腹にかすり傷多数、疲労大、マーダー。ホテル内の全員を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】 水瀬名雪 【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾7/14)、予備弾倉×1、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】 【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルのどこかに逃亡。放送は戦闘の影響で聞き逃した】 【その他:折りたたみ式自転車はロビーに放置(多少傷アリ)。ホテルの一部で火災発生。現在も燃え広がっています】 - ←PREV BACK