Human Warrior(berserker) (前編)





「愛佳っ!」
 真っ先に飛び出したのは十波由真だった。
 小牧愛佳のものと思われる悲鳴を聞いた瞬間、弾かれたように飛び出していた。
 愛佳は由真の親友とも言える存在であったし、元々心根の部分が正義漢である由真が黙っていられるはずもなかったからだ。

 鉄砲玉のように駆けていく由真を、慌てて追う伊吹風子と笹森花梨の二人。
「ちょ、ちょっとー! 武器も持たずに、危ないんよー!」
 聞く耳持たぬかのように由真の速度は変わらない。危ないからと言って立ち止まっていては手遅れになるかもしれないではないか。
 それに由真には、岡崎朋也とみちるを見殺しにしてしまったという罪悪感もあった。

 あの時、勇気を持って行動さえしていれば。
 恐らくは無残な姿に成り果てているのであろう二人の姿を想像すると、自分の惨めさが悔しくてたまらなかった。
 だから今度こそ、と由真は誓う。
 過ちは犯させない――!

 心中での叫びと共に、由真は勢いよくホテルのドアを開け放つ。そうして状況を考える間もなく叫んだ。

「愛佳! こっち!」
「っ!? ゆ、ゆま……?」

 走っていた愛佳は、ホテルのすぐ横を通り過ぎようとしていた。恐らくは由真が飛び出さなければ気付くこともなかっただろう。
 また新たなる敵対者かと一瞬怯えた愛佳ではあったが、それが今や数少ない友人である十波由真だと確認するやいなや、そちらの方へと、まさしく脱兎のごとく、涙目になりながら走り出した。

「ゆま、ゆま! お願い、たすけてっ、あの人が、あの人が!」
 こくりと由真が頷いたときには、既に眼前の敵――七瀬留美へと格闘の構えをとりながら、距離を測っていた。
「ホテルの中に入ってて! そこなら安全だから!」

 遅れて到着してきた花梨と風子が、必死に走ってきた愛佳に指で示す。
 それを分かっていたかどうかは判断できなかったが、一目散に愛佳は二人の横を抜けてホテルの中へと入っていく。
 残されたのは、対峙する七瀬と由真、花梨、風子。七瀬は既に警戒するようにSMGUを構えていた。

「……あなた、何のつもりなの? よくも私の親友を襲うような真似をしてくれたわね」
「違うわ、誤解よ! つか、それを解くために追っかけてたの。あたしはあの子は襲ってない。殺し合いをしない人を襲う理由なんてないでしょ?」
「誤解って、あなた何をしたのよ」
「と、十波さん。どうどうです。喧嘩腰はよくないです。ヒトデのようにクールに話し合いましょう。ということでそちらもその危なっかしいものを下ろしてくれると風子的に少しは安心できるのですが」

 牙をむき出しにして敵対心を向ける由真に、風子がぽんぽんと肩を叩きながら宥める。なぅ、とそれに乗じるように、今までずっと花梨にぴったりとくっついていたぴろが器用に由真の肩に乗り、落ち着けとでもいうように身体を寄せる。
 動物にまで諭されるのは流石に血が上りすぎかとようやく判断した由真が「分かった」と構えを解く。
 ならば七瀬もそうしないわけにはいかず、SMGUを下ろす。
 七瀬としては誤解を解きたいので、下手にその友人と思われる人間を刺激して泥沼になるのは避けたい。
 将を射んと欲すればまず馬から。愛佳がこれ以上逃げられる場所はないのだからまずは周りを味方につけるべきだ。そう考えてこれまでに起こったことの説明を始める。

「ちょっと前に、役場の方で争いがあってね……そこで殺し合いに乗った奴らと交戦してたの」
「それで、あなたが戦ってる姿を見た愛佳が殺人鬼と勘違いして逃げていた……と?」
「そこまで単純な話じゃないけど。大筋はそうかもしれないわね。……でも、多分そこが一番の理由じゃないかもしれない」
「どういうこと?」

 追及する由真に、言っていいものかどうか迷うように頭を悩ませる七瀬だが、特に自分が悪いわけでもなければこの場にはトラウマを刺激しそうな愛佳の姿もない。隠す理由はないだろうと考え、話を続ける。

「ある外道のせいでね……あの子、多分仲間だった人を間違えて撃ち殺しちゃったの。わざとじゃなかったと思うんだけど」
「仲間って……だ、誰を?」
「みさえさん……とか言ってたけど、聞き覚えはある?」

 確認する七瀬に、しかし三人とも首を振る。あれほどショックを受けていたのだから大事な仲間だったのだろうと推測し、できればその知り合いとも話を持ちたかったのだが、いないのでは仕方ない。次に重要なことはそれを画策した人物が誰かを伝えることだった。

「その外道……名前は分からないけど、凶悪な奴で特徴的だったからよく姿は覚えてる。長身で、男にしては髪が長くて、後ろでお下げみたいに結ってたわ。後は……目つきが最悪」
「え? それって……ひょっとして……花梨?」
「……うん、多分間違いないんよ」
「知ってるの?」

 尋ねる七瀬に、二人が何とも言えないようなため息をつく。
 直接二人を分断した理由であり、特に花梨は散々追い回されたので苦い記憶になっている。

「名前は分からないんだけど、前に襲われて、その時まで由真とは一緒だったんだけど、そいつのせいでバラバラになっちゃって。雌豚ー、とかクソアマー、みたいなこと叫んでなかった?」
「……それに近しいことは。あなた達も災難だったわね……」
 はぁ、とため息をつく三人。こんなところで被害者に会うとは思っていなかったので、図らずも親近感を覚えてしまう。それに、そういう事実があったのなら少なくともこの二人は敵ではない、と七瀬は判断する。

「と、忘れてた。もう一人交戦してた奴がいるのよ。そいつも名前は分からないけど、そいつは割りと女顔で、マシンガンやらグレネードランチャーやら持った危ない男だった。あたしもそいつに一杯食わされてね……あいつも容赦ないわよ、気をつけて」
「マシンガン……」

 その単語に反応したのは、風子と由真だった。
 朋也とみちる、二人の命を奪った、あの「タイプライター」の音を忘れるわけがない。そして七瀬の上げた特徴にもおおよそ一致する。

「ひょっとしたら違うかもしれませんが、そちらには風子と十波さんが襲われた可能性があります。その人も、ぱらららって音のするマシンガンを持っていました」
「ウソ、そっちも? ……はぁ、なんというか、奇妙な縁と言えばいいのかしら……?」

 花梨や由真のみならず、風子までも共通した部分があることに七瀬は驚きを隠せない。
 袖振り合うも他生の縁、というものだろうか。なんとなくではあるが運命を感じずにはいられない。
 いっそのこと被害者の会でも結成したらいいかもしれない、などと思いながら七瀬は一方で坂上智代と里村茜などを襲ったことについては棚に上げながらうんうんと頷いていた。

「ええと、話を戻すようで悪いけど、察するに愛佳は仲間を間違えて殺しちゃって、それでパニックになってここまで走ってきた……のかな?」
「うん、それで間違いないと思うわ。よほどパニックだったみたい。見かけられただけで逃げ出されちゃったんだから……でも、これでもう大丈夫ね。あなた達がいるから。改めて言うようだけど、あたしは殺し合いに乗っている奴以外と戦うつもりはないわ。それと……ヘンに疑ってごめんなさい。自己紹介するわ。あたしは七瀬、七瀬留美」
「いや、こっちこそ誤解してたようでごめん。愛佳と一緒に居てくれようとしてたんでしょ? 礼を言うのはこちらの方よ。……あ、私は十波由真って言うの。よろしく」
「円満に解決したようで何よりですっ。風子の仲裁術は世界一ですね。ということで伊吹風子と申します。名刺もありませんが、お見知りおきを」
「あんまり出る幕がなかったけど……よろしく。笹森花梨でーす。で、由真。さっき行っちゃったあの子、なんて言うんだったっけ?」
「ん? ああ、あの子は小牧愛佳っていう名前よ。普段はあんなのじゃないんだけど……少し落ち着いてもらうのを待った方が良さそうね」

 傍目から見ても、愛佳の精神状態は察するに余りある。時間をかけて徐々に落ち着きを取り戻してもらうほかないだろう。
 そしてそれは必然的に、彼女らのここからの出発を遅らせることを意味していた。
 それは風子も花梨も理解していて、同じく納得もしていたので「待つよ」という旨の言葉を伝えてホテルに戻ろうと告げる。

「ありがとう……助かるわ。で、七瀬さん、あなたはどうするの?」
「まぁ誤解は解けたと思うし、それにこっちは仲間が欲しかったところだから……よければ、あなた達に同行させてもらえないかしら?」

 それは構わない、と三人は喜んで頷く。境遇を同じくする人間であったから、妙な連帯感があったというのも快諾した一因だった。
 七瀬にしても、善人を守る正義の味方という体面を得る事ができるのは願ってもないことだったので三人の返答を素直に喜んだ。

「そうだ、ホテルの中にはもう一人いるんだけど……あれはどう説明したらいいのかな?」
「……すれ違っただけの人でいいと思います」

 天沢郁未のことを言う花梨に、風子は不機嫌に応じる。
 どうも風子からすれば郁未は胡散臭く、いまいち信用ならなかった。
 無論そこに主観が入っているということは風子にさえ分かってはいたのだが、なんとなく風子の中にある何かが警鐘を鳴らすのだ。

「伊吹さん……その、気持ちは分かるけど……」
「分かってます。でも、渚さんに会えるまでは風子は信じません。渚さんはそんな人じゃないって、今だって風子思ってますから」
「……? 何の話?」
 話が見えないことに首を傾げる七瀬だが、
「それは後々本人から聞いてもらうわ。多分まだホテルの中にいるでしょうし」
 と由真が言ったのでとりあえずは納得してついていくことにする。言葉から察するに、ホテルの中にいるというもう一人は三人にとって敵でも味方でもないような人物なのだろう。

 七瀬としては殺し合いにさえ乗っていなければいい。三人が無傷であることから見るとその危険性はなさそうだが、信用はしないほうがいい。
 そう結論付けてホテルに入っていく三人に、七瀬も続いた。

     *     *     *

「はぁ、それで逃げてきたってこと」
「は、はい……もうなんというか無我夢中で」

 四人が外で会話を交わしているころ、そろそろ行こうかと思っていた郁未の前に現れたのは混乱しきっていた愛佳だった。
 別に外の騒ぎに興味も関心もなかったのでさっさと探索に移ろうかと思っていた矢先の出来事であり、面倒臭いことこの上なかったが放送までは迂闊な行動を取るまいと心に決めていたので話くらいはしてやるかと声をかけた。腕時計を見る限り、どうせ放送までは後一時間もないから時間を潰すには丁度いいだろう。

 ひぃひぃ言って逃げてきたのだから大した話は期待できないと考えていたが、愛佳の顔を見た瞬間その思いはすぐに吹き飛んだ。
 顔面には裂傷が走っており、身に纏っている服は塵や埃で汚れきっている。ざっと見回しただけでも彼女がただ単に怯え、逃げ惑っていただけではないのが分かる。

(へぇ、中々面白いことをしてきたのかな)
 渚のような人物は吐き気を催すほど気に入らない郁未であったが、愛佳に対しては多少の好感を持っていた。もっとも、話の内容次第ではすぐにそんな印象など変わってしまうかもしれないが。
 最初は郁未にも怯えきってロクに話もできない状態の愛佳であったが、郁未が辛抱強く話しかけていたからか次第に落ち着きを取り戻し、質問に答えてくれるようにはなってくれた。

 やはりというか、郁未の予測は当たっていて、一度交戦状態になって熾烈な戦闘を生き抜いたことに関しては郁未はそれなりの評価を下していた。
 なんだかんだと理由をつけて戦うまいとする善人ぶった奴よりは、死の危険を避けるために応戦するような人物の方が好感は持てる。
 まぁ、何かにつけて誤射で撃ち殺してしまった仲間のことで自分を責めていたのには辟易したが、気持ちは分からなくもない。郁未でも葉子や晴香を間違って傷つけてしまったら気に病むだろう。戦闘からまだそれほど時間も経っていないのであれば尚更だ。

 とにかく、一通り聞いた話によると愛佳を含む四人が役場で殺し合いに乗ったのであろう人間たちと交戦。そのうちの一人が今さっき愛佳を追いかけていた人物であり、残りの二人も凶悪な殺人鬼であるという。
 先程までパニックに陥っていた人間の言う事なので話半分くらいに聞いておいたほうがいいだろうが、少なくとも郁未以外に三人もこの殺し合いに乗っていた人間がいると分かったのは収穫である。やはり殺し合いを肯定し、戦っている人間は大勢いる。

 ならば言うまでもなく、動かずにもう少し人数が減るのを待つのが上策だということは目に見えている。
 外にいる人間との交戦は避けたいところなので銃声も悲鳴も、何も聞こえてこない以上説得を行い、成功しているのだろうかと予測はできるが万が一のことを考え、逃げる算段だけは立てておくことにしよう。

「さて、私は少しここに用事があるからそろそろ行くつもりだけど……愛佳はどうするの? ここで待っとく?」
「え? あ、あたしは――」

 おろおろする愛佳がどう答えようかと迷っていると、騒がしい声と共に由真たちが戻ってきた。
 『先程まで愛佳を追っていた七瀬留美と一緒に』。

「――っ!?」

 何事も無かったかのように平然と一緒に歩いている四人に、愛佳の精神が再びパニックを起こす。
 大慌てで、愛佳は立ち上がると郁未の服裾を引っつかみ、彼女の影に隠れようとする。

「ちょ、ちょっと! どうしたってのよ!」
「だ、だって、あの人は、あの人は!」

 異常としか思えない反応だった。交戦していて敵対関係だったにしろ、この怯えようは大袈裟過ぎる。
 それは愛佳が七瀬を目撃したときの、あの獲物を見つけたかのような表情が半ば脚色されてそうなったのであるが、そんな愛佳の心情など郁未は知る由もない。ひたすら鬱陶しいだけである。
 とは言っても公衆の面前で無下に引き剥がすこともできずどうしたものかと考えていると、愛佳を落ち着かせるように由真が駆け寄ってくる。

「愛佳、大丈夫だから! この人は愛佳を襲うつもりなんてなかったんだって。ただ話がしたかっただけなんだって!」
「ゆ、ゆま……で、でも、でも……」

 愛佳は目の前の親友の顔と、遠くで不安そうに見つめるツインテールの少女の顔を見比べる。
 怖い。怖い。まだ怖い。近くにいたくない。逃げたい。でも由真は大丈夫だと言ってくれている。
 信と不信の間で愛佳は揺れ動く。脳裏に焼きついた七瀬のあの凶暴な笑いがどうしても忘れられない。

「大丈夫、愛佳、私を信じて。もう平気だから」
 そんな愛佳の不安定な心を読み取ったかのように、柔らかい笑みで由真が応える。
 それは普段の彼女にあった、どこまでも信頼できる表情。親友が、大丈夫だと言ってくれている。
 にゃぁ、と、それまでずっと花梨の傍にいたぴろが慰めるように愛佳に擦り寄る。
 そのせいもあり、はっ、はっ、とまだ呼吸を荒くしながらも、愛佳の身体の震えは少しずつ収まってきていた。

「ほ、本当に、だいじょうぶ……?」
「当たり前じゃない。私はウソをつかないわよ。知ってるでしょ?」
「……うん、知ってる……」
「あの、もうそろそろ手を離してくれないかしら」

 機を見計らったのように、未だに裾を掴んでいる愛佳に郁未が言った。
 とりあえず目の前で友情劇を見せ付けられるのは鬱陶しいことこの上なかったので一刻も早く離れたかったのだ。

「あ、ご、ごめん……」
 ようやく気付いた愛佳はそろそろといった調子で手を離す。ようやく開放された郁未は一つ息をついて、髪をかき上げる。
 まったく、どうしてこうも人が集まってくるのか。
 幸いにして皆が皆好戦的な人間ではなかったからいいものの、下手すれば隠れるどころの問題ではなくなっていた。
 先見性がないのかなあと肩を落とすしかない。これなら神社に留まっていた方が遥かに一目につかなかったかもしれない。
 代わりにいくらか情報を入手できたのは在り難いことだったのだが。

 ……まあ、結果が良ければいいかと何とか思いなおし、郁未は七瀬の方へと向く。
 愛佳が異常に怯えを見せていた人間。油断はならない。観察はじっくりとしておくに越したことはない。

「ふーん、あんたが愛佳を追っかけまわしてた奴か……ま、確かに逃げたくなるのも分かるわ」
「どういう意味よ、それ」
「オーラ。ヒグマも素手で倒しそう」
「フツーの女子高生にんなことが出来てたまるかっ!」

 大声を出す七瀬にヒッ、とまた愛佳が身体を震わせる。一方の郁未はまるで動じることもなく、七瀬に言葉を続ける。
「まあ冗談はともかくとして、あんた、愛佳の仲間とやりあってたんでしょ? そこんとこどうなの? どうしてあんなことをしたの?」
 郁未の口から開かされる新たな事実に、そんなことは聞いていなかった風子、花梨、由真が一斉に目を向ける。
 七瀬の表情が強張るのが、郁未には分かった。別に糾弾しているわけではなかった。ただ事実がどうなのか確かめ、脅威の度合いを測ろうとしているだけだ。どうやらあの三人にはそれを話しているわけではなかったようだが。

「それは……事実よ。でもあの時は既に戦闘状態で、誰が殺し合いに乗ってて誰が乗ってないのか分からなかった。あたしもその時は頭に血が上ってて……全員殺し合いに乗ってるんだと思い込んで、皆殺そうとした。でもしばらく後になって、間違いだって分かったから、小牧さんに話を聞こうと……」
「……なるほど、殺し合いに乗ってる奴は皆殺し、か。良かったわね、間違えて殺さずに済んで」
「……」

 七瀬の口ぶりから考えておおよそ真実だろう。下手な言い訳は表情に出る。七瀬からはそれが感じられなかった。
 そして、その人間性も大体は掴めた。
 殺し合いに乗っている……即ち、危険人物は即座に排除するという危険思想の持ち主だ。典型的な独善思考の人間だろう。
 まぁ偽善者よりは数百倍マシだ。敵にならないように行動してさえいればいい。

「ともかく、挨拶くらいはしておくわ。七瀬留美……覚えておいて」
「どうも。そう言えば、まだ私は名前も言ってなかったか。全員に言っとくか。天沢郁未。よろしく」

 いくみ。
 その言葉の響きに、何かの違和感を花梨は覚える。なんだったっけと思索しようとしたときだった。
 ジャリッ、と砂と泥が踏まれる音が、背後から聞こえた。

「……」

 そこに殺意が、ドス黒いものが一瞬で満ちていくのが、全員に伝わった。それほどの禍々しいものが、背後の人物から溢れ出していた。
「逃げてっ!」
 七瀬が叫ぶと同時、いつの間にかホテルの中に侵入していた、空虚と狂気の闇に飲まれた少女――水瀬名雪――が持ち上げたジェリコ941を発砲していた。

 花火のように弾けた弾丸が空間を引き裂く。七瀬の声に応じて素早く動いていたお陰で、それが当たることはなかった。
 撃たれたという事実を真っ先に把握した七瀬が、SMGUを構え、名雪に向かって弾丸を撒き散らす。

「このっ! 何様のつもりよっ!」
 しかし反撃を予測していた名雪は素早く柱の影に隠れ、掃射を回避する。
 明らかに戦闘に慣れている、と七瀬は判断した。それは着ている割烹着が血まみれであることからも予測がつく。ならば、間違いない。
 彼女は100%、敵だ。

「皆は逃げてっ! ここはあたしが引き受ける! 殺人鬼は、あたしの敵よ!」
「七瀬さん!?」

 驚きの声を上げる由真に、七瀬はSMGUを柱にチラつかせながら応える。
「そっちは小牧さんのことがあるでしょ? お詫びってわけじゃないけど……こんな奴、あたし一人で十分! ケリをつけたらすぐに合流するから、行って! 多分他にも出入り口はあるはずだから!」
「……分かったわ! でもあまりに遅かったら戻ってくるからね! 約束!」
「オーケイ! 約束よ!」
 親指をグッと立てて、七瀬は再会を誓う。その背中に、花梨や風子からも声が飛ぶ。

「戻ってきたら手伝って欲しいこともあるから! 早くしてよね!」
「あまり無理はしないで下さい。すみません、先に行きますっ!」
 奥へと消えていくメンバーを横目で見送った後、七瀬は慎重にSMGUを構えながら語りかける。

「さて、これであんたとあたしの二人っきりね……さっさと続きを始めましょ」

 一歩、七瀬が踏み出す。その瞬間、名雪もまた飛び出し空中を、跳ねるようにしてジェリコを数発発砲。
 油断なく身構えていた七瀬はダッキングして難なく回避。お返しとばかりにSMGUを向け、ありったけの弾を撃ち込む。
 だが名雪の運動能力もまた七瀬の予想を超えていた。小刻みにサイドステップを繰り返し銃弾の雨をすり抜ける。
 やがて弾を全て吐き出し終えたSMGUは空しい弾切れの音を鳴らす。

 それを名雪が見過ごすわけがない。
 素早く両手で狙いを定め、これでもかと言わんばかりに名雪は連射を開始する。
 直感で狙いは正確だと判断した七瀬は、とっさに持っていたデイパックの中から折りたたみ式の自転車を放り投げる。
 果たしてその直感は正しかった。七瀬の心臓を守るように立ち塞がった自転車に次々と弾丸が命中し、フレームに損傷をつけつつ、それでも弾き返しながら七瀬を守った。

 ガシャン、と自転車が床に落ちたときには、名雪のジェリコも弾切れを起こしていた。
 七瀬もSMGUのマガジンを交換する暇がなく、ならばと落ちた自転車を乗り越え、拳を握り名雪へと突進。勝負を格闘戦に持ち込む。

「はぁっ!」
 素早く繰り出される右フックを避けきることが出来ず、左肩に重さの乗った一撃を叩き込まれる。
 くっ、と名雪が痛みに顔をしかめる。

「初めて表情、変わったじゃない! 次行くわよ!」
 格闘ゲームのコンボさながらに次々と繰り出される拳の群れに、名雪は回避することでしか応じることが出来ない。
 陸上部の部長を務めている名雪のフットワークは評価すべきものがある。しかし格闘に関しては別だった。
 剣道部の経験から上半身を使うことに七瀬は慣れていたが、名雪の所属する陸上部ではどちらかというとそんなに上半身を用いることがない。
 故に応じ手を打とうとしてもその暇が与えられず、なおかつ効果的な攻撃を繰り出せる自信がなかった。
 防御や回避のみでは戦局は変えられない。反撃できない名雪は次第に壁際へと追い詰められていく。

「どりゃぁっ!」
 防御を続ける名雪へ、気合の入った前蹴りが名雪へと迫る。
 ガードはしたものの勢いまでは殺しきる事が出来ず、勢いに圧されて数歩、下がってしまう。そしてその場所は、壁だった。

「もう逃げ場、ないわねっ! 観念しなさい!」
 とうとう追い詰められたのだ。これで終わりだ、とでも言うように七瀬は裂帛の気合と共に顔面へとストレートを放つ――
「!?」
 ――はずだった。一歩踏み込もうとした七瀬の視界の端に、ちらりと人影が見えたのだ。

 それは退避した四人の誰かではないことは明らかだった。正面玄関から入ってくるはずがないし、何より、マシンガンを持っている!
 切磋の判断で、七瀬は大きくバックステップしてその場から離れる。
 一瞬の後に、ぱらららららららら、とタイプライターを叩くような音が響き、空間を貫いた。

「……!」
 二人纏めて攻撃するつもりだったのだろう。発射された弾の群れは七瀬のいた場所と、そして逃げられなかった名雪を蹂躙した。
 頭部に命中することこそなかったものの、体の中心部に弾丸が何発も命中し、ぐらりと名雪が倒れる。
 明らかに決定打だった。あれでは生きていたとしてもそう長くは持つまい。

「くっ、あんた……!」
 新たなる闖入者へと、七瀬は敵意の篭もった視線を向ける。そこにはかつて、いやつい先程交戦していた、もう一人の七瀬の姿があった。
「くそっ、相変わらず反応だけは鋭いな……さっさと倒れていればいいのに」
 七瀬彰が、苦々しげな顔をしながらそこに佇んでいた。

 愛佳と七瀬を追ってはきたものの、追いついたときには既に相手方で和解が成立しており、とても襲撃をかけられるような雰囲気ではなかった。
 これでは当初の計画が台無しであり、かといって尻尾を巻いて引き下がるのも彰としては頂けない。
 どうしたものかと離れた場所で思案していたのだが、そこに一人の少女がふらりと現れた。
 それはホテル跡までやってきた水瀬名雪だった。最初のうちはこいつをターゲットにでもするか、と思った彰だったがどうも様子がおかしい。
 しきりに様子を窺っているし、それに何度か手に持っていた拳銃を威嚇するようにこちらに向けてきたのだ。
 ただの偶然だろうかと彰は思っていたが、それを何度も繰り返されたのでやがてそれが偶然ではないということを理解せざるを得なかった。
 どのようにして彰の居場所を掴んでいたのかは定かではないが、恐らくはレーダーの類としか思えない。

 しかし狙い撃つには距離が遠すぎたのか、銃は向けられるだけで撃ってはこなかった。
 一応安全を期して後方へと引き下がった彰に、逃げたと判断したのか、名雪は再び手元にある何かを確認すると、ホテルの中へと入っていった。
 残された彰は、名雪の一連の行動から賭けを打つことにした。
 もしもあの少女が中でドンパチをやらかしてくれるのなら、今度こそそこに乱入して皆殺しにする。
 一斉に反撃される可能性もないではないが、無謀な突撃を仕掛けるより勝算は遥かに高い。雲泥の差だ。
 しかしもしも何事も起こらなければ、もう退却するしかない。これ以上合流されては本当にどうしようもないからだ。
 そうして、じっと彰は機会を待った。乱入できる最善のタイミングを待ったのだ。半ば祈るような気持ちで。
 そして――

「まあいい。一人は倒せたんだ。後はあんた一人だけ……一思いに葬ってやる!」
「ほざきなさいっ! あんたも地獄送りよ!」

 七瀬はSMGUのマガジンは既に交換済み。七瀬のSMGUと、彰のイングラムが交錯する、が。
 カチ。
「なッ、弾切れ!? こんなときに!」

 慌てて武器をM79に切り替えようとする彰だが、時既に遅し。七瀬の指はトリガーにかけられている。
 後は、引き金が引かれ、不運に見舞われた彰に銃弾を撃ち込むだけだった。
 ――しかし、不運だったのは彰だけではなかった。

「ぅぐっ!?」
 ぱん、ぱんという二つの音が聞こえたかと思うと、七瀬が左肩を押さえる。そこには血がべっとりと付着していた。
「う、撃たれた……? 誰に!?」
 痛む肩を必死に押さえながら、七瀬は急いで柱の影へと隠れる。
 一体誰が? また乱入者なのか? そんな疑問を持ちながら向けた視線の先には、驚きべき人物が立っていた。

「ウソ……!?」
「バカな、ちゃんと当てたはず……」

 驚いたのは七瀬だけではなかった。彰も目の前の事実を信じられないかのように目を見開いている。
 そう、二人の間に悠然と立ち塞がっていたのは……

「……」

 水瀬名雪、その人だった。どろりとした、濁った視線を相変わらず携えながら。
「防弾チョッキか!? くそっ、これは計算外だぞ……!」
 今度はジェリコの銃口が彰へと向けられる。彰は素早く反応すると七瀬同様に柱の影に隠れ、辛うじて発砲から身を躱す。
「防弾チョッキですって……? 厄介なもの着てるわね……?」

 七瀬彰の存在。厄介な装備を持つ水瀬名雪。どうしたものかと思案していた七瀬の耳に、息つく暇もなく、次のハプニングが耳に飛び込んできた。
 それは由真たちが逃げたはずの、ホテルの奥から聞こえてきた。
「っ!? 何、今の……銃声!?」
 聞き違いでなければ、それは確かに銃声であった。パァン、という残響音がまだ少し残っている。まさか……向こうでも誰かが襲われているのか!

「ああもう! 次から次に! 何とかして早く決着をつけないと!」
 苛立ちながらSMGUを構え、三者三様の戦闘に早期の決着をつけるべく、痛みを押して立ち上がる七瀬。

「くっ、結局上手くはいかないか……だが、勝つのは僕だ……!」
 イングラムにマガジンを装填し、M79に火炎弾を装備する彰。彼は執念の元に。

「……」
 腹部に残る衝撃から自身のダメージを考え、どう動くべきか模索する名雪。

 地獄の三つ巴の戦いが、第二幕を飾ろうとしていた。
-


NEXTBACK