Trust (1/2)





「……ここまで来れば」
 平瀬村で自らが起こした惨劇の後、逃げるように村から南下し十分に距離を取れたと判断した藤林椋は弾む呼吸を抑えるようにゆっくりと道なりに歩き出し、これからの方針について計画を立てることにした。

 基本は姉の藤林杏を守り、二人だけで生き残ること。まずは杏を探す事が大前提になるが中々見つからない。運が悪い、というとそれまでになるがとにかく探し出さねばならない。この島には恐ろしい殺人鬼どもがうようよしているのだから。
 そして、そんな奴らと杏を遭遇させないためにも片っ端から殺していく必要がある。とにかく信用などならない。仲間仲間などとほざいてはいるが実のところ皆利害関係でくっついているだけだ。役立たずになれば、窮地に立てば平気で見捨てる。殺す。裏切る。危うく椋自身も殺されそうになった。
 だから、もう信じない。裏切られる前に裏切る。殺される前に殺す。見捨てられる前に見捨てる。

 やらなきゃ、やられる。

 お守りを握り締めるようにぶつぶつと繰り返しながら思考を移す。
 真っ直ぐ南側に逃げているが、このまま進んでしまってよいものだろうか。
 道なりに進むと次は氷川村に辿り着く。以前椋と、殺害した長瀬祐介が滞在していた場所であり、椋の出発点とも言うべき地点である。
 それが問題だった。

 あの長瀬祐介には一応共に行動していた人間がいるようだったし(柏木初音と、こっちは知っているが宮沢有紀寧)、今頃は祐介が死んだと感づいているはず。あるいは椋が知らぬだけで既に現場を目撃されている可能性だってある。
 さらに上手く騙して殺害した倉田佐祐理と行動していた柳川裕也は今頃椋を探して奔走しているに違いない。常識的に考えて各地の村を探し回っているはず。あの神社と氷川村は比較的近い場所であるからして、今まさにここに柳川が潜んでいることは十分に考えられた。

 つまり、ここに逆戻りするのは非常に危険を伴う。さりとてここで平瀬村に戻ったところであの惨劇の生き残り達と鉢合わせし、一対多数の戦いを強いられることすら考えられる。つまり、椋は逃げ道を間違ったせいで進退窮まってしまったのだ。
 残された道はこの中間地点である平瀬村−氷川村にある民家、あるいは山中に隠れ耐え忍ぶかしか思いつかない。
 ただこの辺りに民家があるとしてそれはかえって目立つ施設となりかねないし、村を捜索し終えた連中が道すがらそういうところを尋ねてくるかもしれない。極力、隠れようとするならそういう場所にいてはいけないのだ。
 となれば、もう山中、すなわち地図で言うならH-4の地点に隠れるしかないのだが……

「私に、登れるんでしょうか……」

 山の方は切り立った崖のようになっていて行こうとするならよじ登る、即ちロック・クライミングの要領で登らなきゃならないし、それだけならいいがデイパックのこともある。これを抱えて登れるか、と問われると残念ながらノーと言わざるを得ない。運動は苦手なのだ。
 崖の高さは精々5メートルほどなのだが……この時ばかりは杏の運動能力が心から羨ましくなった。
 結局のところ、あの山に入れる場所を探してこのまま歩くしか当面の解決策はなかった。しかもそれで道が見つからないものなら……
 慎重派の椋にとってはとかく安全策がないと不安で仕方ないのだ。

(お姉ちゃんなら、きっとこんな時でもどーんと構えているんだろうなあ……)

 何とか姉のことを考えることで不安を晴らそうとするが、やはり気分は曇り空のように晴れない。一人、というのもあった。
 そう思い始めるとどっ、と疲れが押し寄せてきて椋の体が重石を載せたようになる。それはある意味当然である。
 祐介殺害以降慣れない行動、運動の連続で肉体的には既に限界を超えている。それに眠ってもいないし、食事すらしていない。

「……ちょっと、疲れました」

 ここまで緊張感で抑え込まれてきたものが一度に噴き出してきたのだ。休憩したいとの誘惑に負けてしまうのも無理からぬことだった。ふらふらと目立ちにくいと思われる岩陰に隠れ、腰を下ろす。途端、何とも言えぬ脱力感が椋の足先から全身に駆け上がり、はぁ……とため息をつかせる。
 これが柔らかい布団であるならどんなに良かったことだろうと椋は思ったが文句よりも先に食欲の方が催促を告げる。誘われるようにして椋の手がデイパックに伸び、いくらかくすねていた携帯食を取り出し、元気のなくなった小さな口で咀嚼する。

「美味しい……何でこんなに美味しいんだろ」

 普段なら何とも思わない味であるのに、抑えられた僅かな甘味が絶妙に身体に浸透し、疲れた体を癒していくようだ。
 支給品である水もまるでアルプス山中から直に取ってきたもののように喉から沁み込んで体全体を潤していく。
 はぁ、と先程の脱力感から来るものとは違うため息が椋の口から漏れた。
 そのまま今度は、強い眠気が襲ってくる。こんなところで寝てしまえば襲われて死ぬかもしれないというのに――既にその欲求に、体は降参しかけていた。

(ちょっとだけ……ちょっとだけなら)

 誰にともなく言い訳するように、椋の瞼が、少しずつ閉じられていった。

     *     *     *

「で、腹の調子はどうよ、相棒」
「まあまあだな。つかお前、なんか俺が腹を下してるみたいに言ってねぇか?」
「なに、違うのか?」
「おい」
「はっはっは、冗談だって。だから殺虫剤を向けない。俺は害虫じゃないぞ」
「……楽しそうだね」
「にはは、仲良しが一番」

 氷川村の南から迂回するようにして、相沢祐一、藤田浩之、神尾観鈴、川名みさきはD-6にある学校へと続く街道をゆっくりと歩いていた。傷が塞がっていない観鈴と、怪我をしている浩之に配慮してのことだ。
 浩之が怪我をしている都合上、祐一がずっと観鈴を背負って歩いている(もっとも、浩之がみさきと手を繋いでいることもあったが)。道は診療所に行くときと違って平板な道だったので祐一には割りと余裕もあったし、そもそも観鈴が軽いのでしばらくは問題ない。むしろ問題なのは浩之だ。

「で、本当大丈夫なのか。無理すんなよ? 血ぃ吐いたんだからな」
「ああ、まあ、見た目ほど怪我は酷くない。気分が少しばかり悪いだけだ……あの戦闘で」

 腕を曲げたり首を左右に動かしたりしながら、浩之は体の調子を確かめているようであった。表情などに変化はなく、概ね好調のようである。
 急ぎたいのはやまやまな祐一ではあるが強行軍はリスクが伴う。ただでさえボロボロだというのに、これ以上の危険は避けたい。
 それは皆も同じだろう。だからこそゆっくり進もうという意見に賛同してくれたのだと、祐一は思っていた。
 もうこれ以上、誰も危険な目に遭わせる訳にはいかない。

(五体満足に近いのは、俺だけだからな……俺が神尾や川名を守らないと)
 頼れる『大人』である緒方英二のいない今、男として皆を守っていかなければならない――そんな責任感のようなものが、祐一の肩に深く、強迫観念のように圧し掛かっていた。今はデイパックにあるワルサーP5を、常に持っていないと不安に感じるくらい。

「ところでさ、神尾はどうなんだよ」
 そんな風に考える祐一の後ろで、浩之が声を掛ける。そうだ、忘れてはならないが、依然として神尾観鈴も重傷である。いや、それは既に十分理解していることであるが、怪我の度合いはどうなっているのだろうか。少しはマシになっているのだろうか。
 まあ、同じ怪我人の浩之に心配されるのはどうなんだろうな、とも思わないでもなかった祐一だが、そこには触れないようにすることにしておく。

「にはは、イタイけど、たぶん大丈夫」
「「……」」
 顔を見合わせる二人。恐らくはまだ完治どころかズキズキと痛むのだろう。しかし耐えられないほどの苦痛でもなさそうだ、ということでまだ背負って歩いた方がいいだろう、と意見を(無言だけれども)一致させる。

「しかし、まぁ、俺もお前も、不運と言えば不運だな。一体何度襲われたよ?」
「確か……えーと、四回くらいは戦闘に巻き込まれてるかもな。よく覚えてない」

 考えてみれば、気の休まるときがなかった気がする。行く先々で戦闘に巻き込まれてきたのだ。それはもう、疫病神がついているのではと疑いたくなるくらいに。

「四回……お、多いね……」

 みさきが心配そうな視線……らしきものを二人に向ける。先の戦闘を除けば、みさきと浩之は以前のチームをバラバラにされた巳間良祐との戦いだけしか遭遇していない。だからこそ雄二とマルチのコンビに苦戦したと言えばしているのだが。

「全くだ。しかも、仲間を何度も殺されて……何度も逃げる羽目になって……俺の力のなさを痛感させられたよ」
「ごめんなさい、わたしのせいで……」
「神尾のせいじゃないさ。原因は全てあいつなんだからな……」
「……」

 観鈴を撃った人物であるまーりゃんこと朝霧麻亜子に憎悪に近い感情を抱いているであろう祐一を前にして、観鈴は複雑な気持ちになる。
 環はまだ麻亜子は同じ時を過ごした仲間であり、説得できる余地も残っていると考えていた。なるべくだって人が死ぬのを避けたい観鈴も、説得できるならそれに賛同したい。
 しかし祐一があのように考えることも当然だろうと理解していたし、たとえ説得に成功してもわだかまりは残るだろう。
 それでも、時間さえかければある程度は緩和されるだろうし、何よりもここから脱出するためにはいがみあっている場合ではない。
 しかし、そんな先のことを考えたって仕方がないのは観鈴にも分かる。今はとにかく霧島聖を探し出すことが先決だ。

「ところで、あの時は色々ドタバタしてて深く聞けなかったが、この三人について何か少しでも知っていることはないか?」
 観鈴がそんな風に考えていると、祐一がポケットから診療所にあった例の置き手紙を改めて三人に見せる。

「あぁ、確かナスティボーイってのが世界一のエージェントなんだっけ? 俺もよくは知らないけど……」
「うーん、後は確か『ポテトの親友一号』と『演劇部部長』……だったかな? 私の知り合いに演劇部の部長さんはいたけど……もう、雪ちゃんは」
「……みさき」

 既に鬼籍に入ってしまった深山雪見のことを思い出しているのか、みさきが肩を落とす。場が少しばかり重い空気になりかけたところで、ほぐそうとするように観鈴がわざと明るく言った。

「あ、あの、わたしにも見せて欲しいな。ほら、観鈴ちん、こっからじゃちょっと遠くてよく見えないから」
「あ、ああ。そうだな。ほら」

 それを察して、浩之が手紙を回す。改めて観鈴はしばらくそれを食い入るように、署名された三人の名前を見つめていたが、時折首を捻ったりするばかりで知っていると思われる人物はいなさそうであった。

「心当たりはないか?」
 少しでも会話を挟むべきだと思った浩之が尋ねると、「うーん」と靄の晴れない表情で言った。

「ポテト、って名前は往人さんが何回か口にしてたんだけど……わたしには分からないかな。往人さんなら知ってるかも」
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「ああ、いいんだ。おまけみたいなものだしな。どうせ、先に行くのは学校だ。それに、もうそいつらだって移動してるかもしれないしな」

 素性が少しでも分かればより味方かどうかの判断がつく。安全性を高める上で限りなく重要な情報ではあるのだが、そこまで心配するほどでもないだろうと考えた結果である。

「やっぱこんなところか……」
 若干の失望を残す祐一の声に、悪いな、力になれなくて、と浩之が告げる。みさきがそれに口添えするように、仕方ないよ、私こそ雰囲気悪くしてごめんね、と謝る。しかし浩之はいやいやと首を振って、
「そんなことはないって。あの反応は当然だ。俺がみさきでもそうするさ」
「……うん、ありがとう」

 言ったかと思うと、今度は何やらいい雰囲気になっている。ぴったりと手を繋いでくっついているその姿は、誰だって言わずとも分かる。

「バカップルだな……」
「うん、バカップルさん」
 うんうんと、二人は納得していた。

「あ、そうだ……えっと、祐一さん、ちょっといいかな」
「ん? どうした?」
 少し遠慮した物言いだったが、なるべく気さくに祐一は返事する。観鈴はその雰囲気に少し安心したように続ける。

「えっと、その……わたしのことは、観鈴、って呼んで欲しいな……にはは、ダメ、かな」
「……ああ、そんなことか。別に構わないぞ。もっと早く言ってくれても良かったのに、『観鈴』」
「……ありがとう」

 嬉しそうにはにかむ観鈴。今まで癇癪持ちで、同世代の人間から名前で呼ばれることがあまりなかったから……本当に嬉しかったのだ。

「もういいのか? 何だったら俺のことは『祐一お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいぞ」
「もういいよ。早くいこっ、祐一くん」
「……スルーっすか」

 見事なスルーの観鈴と、肩を落とす祐一。その後ろではいい雰囲気の浩之とみさき。
 今は幸せな四人。
 そのもう少し先からは、一人の人物が忍び寄ってきていた。

     *     *     *

 藤林椋が目を覚ましたのは、既に夕方近い時刻になっているときだった。
「!?」

 その時になってから、ようやく椋は自分が浅くはない眠りに落ちていたことに気がついた。
 果たして眠っていたのは数十分か、数時間か?
 いや、いずれにしろこんなところに居ては危険が大きい。

(とにかく、はやくどこかに逃げないと)
 どこか? どこに? 果たして逃げるところはあるのだろうか。
 そんな疑問を持ちながらも、とりあえずこれまでのように、南へと移動していく。

 その道中で、ゆっくりと移動している四人組を発見する。遠目なのでよく分からないが、何やら怪我をしているようにも見受けられる。
 さて、どうする。
 まだ相手がこちらに気付いていないことを生かして奇襲か、それともこれまで通り内部から切り崩していくか。
 このままぼーっと突っ立っていても良いことは何もない。それこそ、今にでも後ろから迫っているかもしれないあの生き残りどもが拳銃を向けて――

(し、仕方ないです……!)
 下手に討って出てそれが柳川裕也のような戦闘力のある人物でも困るし、万が一仕留め損なって逃げられると後々厄介なことになる。何せ敵は大人数だ。
 やはり安全策に出た椋ではあったが、結果的にそれは椋も、そして遭遇する祐一、浩之、観鈴、みさきの四人にとっても取り敢えずは命を繋ぐことになった。

「あ、あの……」
 こそこそと様子を窺うようにして出てきた椋に、浩之と祐一が思わず身構えた。
「わ、わ……ご、ごめんなさい」

 萎縮するように身を縮こませる椋に対して、警戒心を高めていた二人、そして背中にいた観鈴も、戸惑いの雰囲気を感じ取ったみさきも顔を見合わせる。
 見れば目の前の少女はいかにも大人しそうでそればかりか怪我をしているようにも見受けられるではないか。どうしてこんなところに、一人で?
 四人にそんな疑問が浮かんでくるのは当然だった。目の前の椋は「あの、あの……」とおどおどするばかりで話そうとはしない。仕方なく、という風に浩之が質問を投げかける。

「……あの、そんなに警戒しなくてもいいぜ。俺達は殺し合いに乗っているわけじゃない。それより、どうしてこんなところにいるんだ?」
 構えを解いてなるべく、といった風だが優しく話しかける浩之に、椋は未だびくびくしたように、しかし心中では「しめた」と思いながら事情を説明し始める。

「実は……私はさっきまで、ここから少し先にある村にいたんです。けど……」
「けど?」
「そこで……この殺し合いに乗ってる人たちに襲われて、無我夢中でここまで逃げてきたんです。この傷もその時に負って……」

 ぐっ、と血の滲んだ左腕の包帯を押さえる。もちろん言っていることの大半は嘘だ。本当のことなど言えるわけがないし、この連中が平瀬村に向かっているとしたならばこのまま向かわせるわけにはいかない。あそこの生き残りと鉢合わせしたら椋自身の立場が危うくなるからだ。
 嘘に嘘を重ねて……引き返させる必要があった。

「何とか逃げ切ることができて、包帯を巻いたまでは良かったんですけど……その時に人を見つけて……」
「それが俺達、ってわけか」
「はい……」

 四人が顔を見合わせる。この先の平瀬村に、乗った人物『たち』がいるという事実。椋の喋り口からして嘘とは考えにくかったし、あのような目立つ場所ではそのような人物がうようよしている可能性も高い。
 幸いにして、四人の目的地は平瀬村ではない。事前に情報を手に入れられたのは、幸運だった。
 祐一たちは半ば安心したように、椋に言った。

「……そうだったのか。それは助かった。そっちには気の毒だと思うが……」
「いえ……」

 一方の椋は、平瀬村に行っていないというばかりか、こちらの言葉を鵜呑みにしてくれたことはチャンスだ、と考えていた。
 上手くいけば平瀬村の連中を敵視させ、共倒れにすることだって可能かもしれない。
 それに、椋は殺し合いに巻き込まれた哀れな被害者であり、無力な人間ということを証明する材料になる。
 つまり、それはこの集団における油断を誘う結果となり、内側から切り崩すのを容易くしてくれるということだ。
 他の連中と争そわせ、疲れたところを椋で止めを刺す。そうすれば一気に四人、あるいはそれ以上も倒す事が出来る。
 彼らと行動した先で柳川が潜んでいる可能性もあるが、その時も椋ではなく彼らに戦わせれば被害は最小限で済む。危なくなれば逃げればいいのだ。

「……そうだ、この三人について心当たりはないか? あだ名、みたいなんだが」

 祐一は観鈴を背負ったまま器用にポケットから例の手紙を取り出して椋に渡す。
 書かれていた内容は全然信じる気のない椋だったが、署名していた三人のうち、一人は見当がついた。
 演劇部部長――つまり古河渚。何度か演劇部には出入りしていたので彼女については知っている。とは言えど信用などできるわけがない。普段の渚と、ここにいる渚が同じなわけがないのだ。生き残るために平気で他人を裏切るに決まっている。

「……知ってます。この人は。ですが……」
 またもや口を濁す椋に不安を感じる四人。若干の間をおいて、椋が『演劇部部長』の文字を指でなぞりながら続ける。
「この人たちに、襲われたんです。古河渚、っていうんですけど……」
「な、なんだって……!?」

 信じられないとった驚き方に椋は内心ほくそ笑む。そうだろう。書かれた内容とは裏腹に、裏切って襲ってきたというのだから。
「この、渚って人とは知り合いだったんですけど、私が平瀬村についたときに話しかけてきて……あ、私は吉岡チエさんと観月マナさんって人と行動してたんですが、その時に近づいてきたと思ったらいきなり包丁で刺そうとして……その時の傷が、これです」

 左手の傷を見せられ、次々と明かされる椋の『真実』に不安の色を強めていく四人。
 ……だが、観月マナの名前を聞いた祐一が椋に質問する。

「ちょっと尋ねたいんだが……観月マナ、って奴は結構前に、ちょっと話をしたくらいなんだけど、会ってたことがある。で、そいつと……河野貴明って奴が一緒にいたんだが、それは知らないか?」
「……いえ、それは知らないです」

 マナと貴明は一緒に行動していたが、ここは嘘をついておく。どうせ分かりっこないとはいえ、保険はかけておく。チエとマナと行動していた、と言ったのは椋の目で死亡を確認できたのがその二人だからだった。死者は何も語らず。
 無論、連中の誰かが生きていて、椋の嘘をばらしてしまうことも考えられたが普通に考えればあのスープの一件で椋を除く七人が殺しあっていたとすれば一人しか生き残らないのが定石である。
 さらに戦闘で傷ついていたのだとすればそこを更に誰かに襲われ死亡することも考えうる。現に渚を含む三人が平瀬村に向かった、というのだから。
 故にチエとマナと行動していた、というこの嘘はバレにくい。

「途中で離れ離れになったのかな……向坂に伝えてやりたかったが……あ、悪い。それでここまで逃げてきたのか? ……その、残りの吉岡と、観月は?」
「……」
 黙って首を振る椋。その仕草に、話を聞いていた浩之が毒を含んだ声で吐き散らす。

「ふざけんな……! じゃあ、あれは、あの手紙は俺達を騙して殺すためのものだったってのか!? 何だよ、それ……!」
「ひ、浩之君……おちついて」

 祐一の怒りを手から直に受け止めていたみさきが、宥めるように肩を叩く。
 それで椋が少し怯えているのを見てとった浩之が、「……すまん」とだけ言って、それでも怒りの気配は隠しもせずに俯いていた。

「いや、謝るべきは俺だ……手紙の内容をストレートに伝えていなかったからってあっさり信じ込んだんだからな……こいつがいなかったら、また……」
「祐一くんも……が、がお、わたしも同じなんだけど……あ、そうだ。自己紹介してなかったよね? わたし、神尾観鈴。仲良くしてほしいな、にはは……」

 沈んだ雰囲気を何とかすべく観鈴が必死に笑顔を振り絞って椋に笑いかける。ちょっと苦痛に歪んでいるのはご愛嬌だが。
 椋にはその笑顔を信じる気もなかったが、まずは溶け込むことに成功したので返事をしておくことにする。

「ふ、藤林椋です。こちらこそ、よろしく……」
「ん、藤林……?」

 椋の名字を聞いて、反応を示した祐一にまさか、と考えた椋が祐一に詰め寄る。

「ひょっとしてお姉ちゃんを知っているんですか? お姉ちゃんの名前は杏、っていうんですけど、探してて……」
「あ、ああ。そうだ、杏だ。大分前に俺達と行動しててな。妹を探す、って出てったきりなんだが……と、俺の名前は相沢祐一だ」
「お姉ちゃん、どの辺りに行ったか知りませんか?

 祐一の名前などどうでもよかった。とにかく、杏の行方が心配で仕方ない椋は続けざまに聞く。
「いや、目的地は告げずに出て行ったからどこにいるかは分からないんだが……悪いな」
「そうですか……」

 役立たずめ、と心中で罵りながら椋は落胆する。せっかく杏を知っていても居場所を知らないのでは意味がないではないか。
「……俺もいいか? 俺は藤田浩之。まぁ、色々あってボロボロだが、よろしくな」
「あ、どうも……」

 無意識のうちに、椋は浩之から距離を取っていた。あの態度――あの怒りの表情は、殺人も躊躇わないような、そんな雰囲気に椋は感じたからだ。
 とはいえ、かつていきなり襲ってきた向坂雄二と違ってまだ彼女には椋を殺す気はなさそうだった。ならそれでいい。
 最終的に生き残ればそれで勝ちなのだから。

「最後だけど、私は川名みさき。よろしくね」
「……ええと、失礼なんですが、その、あなたは……」
 みさきの目を見た椋が、躊躇いながら尋ねようとする。しかしみさきが先手を打つように言った。
「うん、私は目が見えないよ。でも大丈夫、浩之君がいるから」
「はぁ……」

 目が見えないという椋の憶測は、間違ってはいなかった。なら、さしたる脅威にはならない。殺害する優先順位は下だろう。
 いや、むしろ生きててもらっていた方がいい。その方がいざこの四人を殺害するときに有利だからだ。
 逆にどうしてこんな人間が人が疑い、殺しあう中で生きていられるのかが気になったが……上手く取り入ったのだろうか? ひょっとすると思いも寄らぬ知識を持っているのかもしれない。あるいは……体でも売ったか。
 ともかく、今しばらくは殺す必要もないだろう。

「相沢さん、ともかくここに留まるのは危険だと思うんです。ひょっとしたら私を襲ったあの三人組がまた来るかもしれませんし……」
「そうだな……この手紙が信用できなくなった、ってか嘘だったって分かった以上もう平瀬村に行く義理はないぞ」
「うん……わたしもそう思う。でもまずは学校に行く事が先だよね?」
「学校……?」

 首をかしげる椋に、みさきが説明する。
「うん……実は、私達の仲間の一人が危険な状態で……学校にお医者さんがいるから、呼んでこよう、ってことになって」
「……どうして、そんなことが分かったんですか?」

 学校といえば、ここからは結構遠いはずだ。そんな遠くにいる人間の位置が、何故分かるというのか。それとも、また情報に踊らされているのか?
 疑念の声を上げようとする椋に、浩之が補足する。

「いや、実は限定的だが参加者の位置を掴めるものを持ってるんだ。詳しいことは実物を見せりゃ分かるが……パソコンがないと使えなくてな。まあ、そいつで医者が学校にいることが分かったってわけだ」
「……そうだったんですか。それは、別にパソコンに詳しくなくても使えるんですか?」
「まあな。ちょっとした操作手順は必要だが」

 その言葉を聞いて、心中で椋はほくそ笑む。参加者の位置が分かるという代物。
 生き残りを図るには最適。姉の位置を知らないといったが、中には掴めないものもあるのだろう。それならそれでいい。見つかるまで探せばいいだけのこと。
 それよりも、是が非でもこれを手に入れなければ。
 ……いや、その前に、氷川村に向かわせよう。ルート的に神社方面から向かうのは柳川達に遭遇する危険がある。
 なるべくなら、安全策をとるべきだ。

「そうですか……あの、なら、いきなりで差し出がましいようなんですが……怪我人もいらっしゃるようですし、山から行かれるのは」
「ああ。それは分かってる。今から氷川村を通ってなるべく負担がかからないように行くつもりだ。……急がなきゃ、いけないんだけどな」
「うん……ごめんね、祐一くん」

 背中の観鈴が、しょんぼりという様子でうな垂れる。それは椋にとってはどうでもいいことだったが、誘導する必要がなくなった分、それはありがたいことではあった。
「なら……その、これからも、お、お願いしますね」
 ぺこりと頭を下げ、偽りの仲間入りを果たす椋。その悪意にも気付かず、四人はそれを快く出迎えた。

 それがまた、一つの運命を、変えることになる。

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