激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ (1/2)





絶望の孤島で巡り合った四人――坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳。
彼女達は全員が全員、此度の殺人遊戯を断固として否定してきた者達だった。
鎌石村役場の一室で出会った同志達は、深い絆を培ってゆける筈だった。
襲撃者がこの場に現れさえ、しなければ。

轟く爆音、煌く閃光。
戦場と化した鎌石村役場の一階にて、凶悪な火力を誇る短機関銃――イングラムM10が猛り狂う。
強力無比な重火器を駆りし者の名は、七瀬彰。
己が想い人を生き返らせる為、既に二名の人間を手に掛けた修羅である。
彰が繰り出した高速の銃撃は、半ば弛緩していた智代達の意識を強引に覚醒させた。

「……皆、こっちだ!」

思わぬ奇襲を受ける形となった坂上智代が、咄嗟の判断で傍にあった机やテレビを拾い上げて、ソファーの上に積み重ねた。
続いて仲間達と共に、即席のバリケードへと身を隠す。
だが耐久性に乏しい日常品を組み合わせた所で、短機関銃が相手ではそう長い間耐えられない。
降り注ぐ銃弾の嵐と共に、ソファーや机の表面が急激に削り取られてゆく。

「美佐枝さん、反撃だ! アサルトライフルで応射してくれ!」
「ゴメン、無理よ。さっきの攻撃を避けた時に、入れてある鞄ごと落としちゃったから……」
「く――――」

焦りを隠し切れぬ面持ちで、智代が強く唇を噛んだ。
このままでは不味い。
防壁が破られる前に、自分達にとって有利な場所――罠を張り巡らしてある二階まで逃げ延びる必要がある。
しかし、と智代は横方向に視線を動かした。

(……駄目だ、遠過ぎる)

唯一の脱出経路である廊下への入り口は、此処から十数メートル以上も離れた所にある。
卓越した身体能力を持つ自分ならばともかく、他の仲間達にとっては絶望的な距離。
強引に逃げようとすれば、ほぼ確実に仲間達の中から犠牲者が出る。
かと云ってこの場に留まり続ければ、いずれ防壁が決壊し皆殺しにされてしまう。
智代に残された選択肢は、最早唯一つのみ。

「……私が時間を稼ぐから、皆は先に逃げてくれ!」
「な!? 智代、ちょっと待ち――――」

茜が制止する暇も無い。
叫ぶや否な、智代は跳ねるような勢いで遮蔽物の陰から飛び出した。
弧を描く形で駆けながら、手にしたペンチを彰目掛けて投擲する。
しかし人力による射撃程度では、相手を打倒し得る一撃とは成らない。
ペンチは簡単に避けられてしまったが、そこで智代は鞄からヘルメットを取り出した。
先程と同じように、彰へと狙いを定めて投げ付ける。

「ほら、もう一発だ!」
「チ――――」

彰が横方向へと跳躍した事でヘルメットは空転したが、構いはしない。
この連続投擲は、あくまでも敵の攻撃を封じる為のもの。
遮蔽物の無い場所では、マシンガンの銃撃は正しく死のシャワーと化すだろう。
間断無く牽制攻撃を行って、敵にマシンガンを撃たせない事こそが、この場に於ける最優先事項だった。
そして既に、仲間が逃げ延びるだけの時間は稼ぎ終えている。

「……そろそろ潮時か」

智代は自らが逃走する時間を稼ぐべく、残された最後の武器――手斧を投擲して、投げ終わった瞬間にはもう廊下に向かって駆け出していた。
破壊の跡が深く刻み込まれた部屋の中を、一陣の風が吹き抜ける。
駆ける智代の速度は、常人では及びもつかない程のものだった。

(大丈夫……二階にさえ辿り着ければ、きっと何とかなる)

銀の長髪を靡かせながら、智代は全速力で疾駆する。
敵は強力無比な銃器で武装しているが、自分達とて無策でこの建物に篭っていた訳では無い。
二階には幾多もの罠を設置してある。
罠を張り巡らせた場所まで移動出来れば、十分対抗し得るように思えた。

しかし彰とて数度の戦いを潜り抜けた修羅。
単調な牽制攻撃のみで、何時までも抑え切れる程甘い敵ではない。

「このっ……!」
「――――!?」

高速で駆ける智代を撃ち抜くのは困難。
故に彰は智代を狙うのでは無く、寧ろ廊下の入り口方向にマシンガンを撃ち放った。
逃げ道を防がれる形となった智代が、後方への退避を余儀無くされる。
その隙に彰は床を蹴って、廊下の入り口に立ち塞がるような位置取りを確保した。
五メートル程の距離がある状態で、智代へとマシンガンの銃口を向ける。

「残念だったね。君は頑張ったけど、そう簡単に逃がしてあげる訳にはいかないんだ」
「く、そっ…………!」

絶体絶命の窮地へと追い込まれた智代が、心底忌々しげに舌打ちする。
――逃げ切れない。
それは、智代が抱いた絶対の確信。
もうバリケードの影へと逃げ込む時間は無いし、廊下へと続く道も塞がれしまっている。
今の智代に、イングラムM10の銃撃から逃れ得る術は無かった。

(これで――三人目!)

彰は目標にまた一歩近付くべく、手にしたマシンガンのトリガーを引き絞ろうとする。
銃の扱いに於いて素人に過ぎない彰だが、この距離、この状況。
外す訳が無い。
しかしそこで響き渡った一つの叫び声が、定められた結末を覆した。

「智代、頭を下げて下さい!」
「…………ッ!?」

甲高い声。
智代は促されるまま上体を屈めて、彰も本能的に危険を察知し横方向へと飛び退いた。
次の瞬間、空気の弾ける音と共に、それまで彰や智代の居た空間が飛来物に切り裂かれてゆく。
前屈みの状態となっていた智代が視線を上げると、廊下の先に電動釘打ち機を構えた茜の姿があった。
一旦退避した茜だったが、智代を援護すべく舞い戻ってきたのだ。

「智代! こっちです、早く!」
「ああ、分かった!」

智代は上体を屈めた態勢のまま、廊下に向かって全速力で駆け出した。
その間にも茜が幾度と無く釘を撃ち放ち、彰の追撃を許さない。
廊下の奥で智代と茜は合流を果たし、そのまま傍にある階段を駆け上がっていった。

「っ……逃がして堪るか!」

遅れ馳せながら彰も地面を蹴って、智代達の後を追ってゆく。
複数の銃火器の重量に耐えつつも廊下を走り抜けて、勢い良く階段を駆け上がった。
二階に着いた途端見えたのは、一際大きな扉。
彰はマシンガンに新たな弾倉を装填した後、扉に向かって掃射を浴びせ掛けた。
扉は派手に木片を撒き散らしながら、穴だらけとなってゆく。

「ふ…………っ!」

彰はボロボロになった扉を押し破って、そのまま奥へと飛び込んだ。
開け放たれた視界の中に広がったのは、優に数十メートル四方はある大広間。
元は役場の職員達が使用してたのか、大量の作業用机が規則正しく並べられている。
そして彰の前方二十メートル程の所に、走り去ろうとする智代の後ろ姿。

(他の奴らは何処に――いや、それは後回しで良い。まずはアイツから仕留めるんだ!)

二兎を追う者は一兎も得ず、という諺もある。
欲を出し過ぎる余り、結果として一人も倒せなかったという事態は避けなければならない。
彰は机の間を縫うように疾走しながら、智代の背中をマシンガンで撃ち抜こうとして――

「…………ッ!?」

瞬間、大きくバランスを崩した。
慌てて態勢を立て直そうとしたが、既に両足は地面から離れてしまっている。
どん、という音。
イングラムM10を取り落としながら、彰は勢い良く床へと叩き付けられた。

「あ、がぁぁぁっ…………!?」

予期せぬ事態に見舞われた彰が、苦痛と驚愕に塗れた声を洩らす。
状況が理解出来ない。
自分は決して運動を得意としていないが、戦いの場で足を踏み外す程に不注意な訳でも無い。
なのに、何故――そんな疑問に答えたのは、近くの机の影から聞こえてきた声だった。

「まさか、こんな子供じみた罠が決まるなんてねえ……」
「灯台下暗し、ですよ。勝利を確信している時こそ、足元が疎かになるものです」

そう言いながら姿を現したのは、長い金髪の少女と、成熟した体型の女性。
里村茜と相良美佐枝である。
二人が眺め見る先、細長い縄が机と机の間に張られていた。
人間の膝の位置くらいに仕掛けられたソレこそが、彰を転倒させた罠だった。
立ち上がった彰がイングラムM10を拾うよりも早く、茜の釘撃ち機が向けられる。

「無駄です。自身の装備を過信して深追いしたのが、命取りになりましたね」
「ク――――」

これで、完全に形成逆転。
釘撃ち機の発射口は、正確に彰の胸部へと向けられている。
既に発射準備を終えている茜と、未だ得物を回収出来てすらいない彰、どちらが先手を取れるかなど考えるまでも無い。
それに愛佳や智代も、彰を取り囲むような位置取りへと移動していた。
茜は抑揚の無い冷めた声で、死刑宣告を襲撃者へと突き付ける。

「それでは終局にしましょうか。これまで何名の人達を殺してきたか知りませんが、その罪を自身の命で清算して下さい」

茜に迷いは無い。
殺人遊戯の開始当初、自分は優勝を目指して行動する腹積もりだったのだ。
智代の説得により方針を変えたとは云え、殺人者に掛ける情けなど持ち合わせてはいなかった。
しかしそこで愛佳が、茜を制止するように腕を横へと伸ばす。

「……小牧さん? 一体何のつもりですか?」
「あの、その……ゴメンなさい。でも、幾ら何でもいきなり殺す事は無いと思います」
「嫌です。殺人鬼となんて、話し合う必要も意味もありませんから」
「そんな、頭から決め付けたら駄目ですよ。話し合えば、分かり合えるかも知れないじゃないですか……!」

その提案に茜が難色を示したものの、愛佳は引き下がろうとしない。
自分達はあくまでも殺し合いを止めるのが目的であり、殺生は可能な限り避けたい所。
話し合って和解出来ればそれが一番だと、愛佳は考えていた。
先ずは当面の安全を確保すべく、地面に落ちているイングラムM10を回収しようとする。

「悪いけど、コレは預からせて貰いますね。そうしないと、落ち着いて話も――――」
「……小牧、危ない!」

だが突如横から聞こえて来た叫び声が、愛佳の話を途中で遮った。
愛佳が横に振り向くのとほぼ同時に、叫び声の主――智代がこちらへと駆け寄って来ていた。
智代は強く地面を蹴ると、スライディングの要領で愛佳の腰へと組み付いて、そのまま地面へと倒れ込んだ。
次の瞬間、けたたましい銃声がして、愛佳の傍にあった机が激しく木片を撒き散らす。


「――見付けたわよ。殺し合いに乗った悪魔達」


冷え切った声。
愛佳が声のした方へ目を向けると、大広間の入り口、開け放たれた扉に青髪の少女が屹立していた。
少女――七瀬留美は短機関銃H&K SMG‖を握り締めたまま、憎悪で赤く充血した瞳を愛佳達へと向けた。

「アンタ達みたいな……アンタ達みたいな人殺しがいるからっ! 藤井さんは死んでしまったのよ!!」

それは、留美と面識のある愛佳や美佐枝にとって、寝耳に水の発言だった。
嘗て自分達はこの島で留美と出会い、志を共にする者として情報の交換等も行った。
少なくとも敵対するような関係では無かったし、自分達が殺し合いを否定している事は留美とて知っている筈である。

「ちょ……ちょっと待って下さい、いきなり何を言い出すんですか? あたし達は殺し合いになんて乗っていません!」
「だったら、さっき聞こえて来た銃声は何? それにどうして、その男の人を集団で囲んでるのよ?
 前に私と会った時は善人の振りをしてたって訳ね……絶対に許さない!」

謂れの無い言い掛かりを否定すべく、愛佳が懸命に声を張り上げたが、その訴えは即座に一蹴される。
冬弥の死により復讐鬼と化した留美は、既に冷静な判断力を失ってしまっている。
怒りに曇った目で見れば、彰を取り囲む愛佳達の姿は、殺人遊戯を肯定しているとも判断出来るものだった。
最早、愛佳の言葉は届かない。
ならば、と元の世界で留美と同じ学校に通っていた茜が、一歩前へと躍り出た。

「七瀬さん、落ち着いて下さい。先に襲って来たのはその男の方です」
「五月蝿い、言い訳なんて聞きたくない! 私を騙そうたってそうは行かないんだから!!」
「――っ、話に、なりませんね……」

全く話を聞こうとしない留美の態度に、茜は元より、他の仲間達も一様に表情を歪める。
今の留美は、怒りが一目で見て取れる程に激昂している。
とても、会話の通じる状態とは思えない。
それでも未だ諦め切れない愛佳が、再度対話を試みようとする。

「七瀬さん、お願いですから話を聞いて下さい! 前はあんなに仲良く…………ッ!?」

愛佳の言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
皆の注意が留美に引き付けられている隙を付いて、彰が床に落ちてあるイングラムM10を拾い上げたのだ。
愛佳達が机の影に駆け込むのと同時、彰の手元から激しい火花が放たれた。
彰は一箇所に狙いを絞ったりせずに、留美を含めた全員に向けて、弾切れまで掃射を浴びせ掛けてゆく。
銃撃は誰にも命中せずに終わったが、皆が回避に意識を裂いている間に、彰は少し離れた位置にある机へと退避していた。

「……そう。折角助けてあげたのに、アンタも殺し合いに乗ってたって訳ね。
 良いわ、なら最初にアンタから殺してやる!」

彰の行動に怒りを露とした少女の名は、七瀬留美。
留美からすれば、今彰が行った攻撃は完全に裏切り行為。
取り囲まれていた所を助けて上げたというのに、その返礼が鉛弾では余りにも理不尽である。
己が激情に従って、留美はH&K SMGUのトリガーを攣り切れんばかりに引き絞った。
無数の銃弾が、彰が隠れている机に向かって撃ち放たれる。

「くぅ――――」

短機関銃の集中砲撃を受けては、机程度の防備ではとても防ぎ切れない。
危険を察知した彰が、弾倉の装填作業を中断して、一も二も無く机の影から飛び出した。
殆ど地面を転がるような形で、何とか留美の銃撃から逃れる事に成功した。
程無くして、留美のH&K SMGUが弾切れを訴える。
彰と留美の銃は、共に弾丸が切れた状態となった。

「今…………!」

彰は何よりも優先して、イングラムM10に新たな銃弾を装填しようとする。
得物は互角――彰も留美も、短機関銃で武装している。
ならば先に銃弾を装填し終えた方が、圧倒的な優位性を確保出来る筈だった。
しかし次の瞬間留美が取った行動は、彰にとって予想外のもの。

「てやああああああああっ!!」
「な――――!?」

留美は装弾作業を行おうとせず、彰に向かって全速力で走り出した。
智代程では無いにしろ、嘗て剣道部で鍛え抜いた身体能力は、並の女子高生とは比べるべくも無い。
十数メートルはあった間合いを一息で詰め切って、駆ける勢いのままH&K SMGUを横薙ぎに一閃した。
彰も反射的に左腕で防御しようとしたが、高速で振るわれる鋼鉄の銃身は正しく凶器。

「ガアァッ…………」

攻撃を受け止めた彰の左上腕部に、痺れる様な激痛が奔る。
意図せずして動きが鈍くなり、次の行動への移行が遅れてしまう。
だが、何時までも痛みに悶えている暇は無い。
眼前では留美がH&K SMGUを天高く振り上げており、もう幾ばくの猶予も無い。

「く、あ……このおぉぉぉ!」
「っ――――」

彰は強引に痛みを噛み殺すと、イングラムM10を右手で強く握り締めて、留美の振るう得物と交差させた。
二つの凶器が衝突して、激しい金属音を打ち鳴らしたが、多少左腕を痛めていようとも男と女では腕力差がある。
彰は力任せに留美の態勢を崩して、そのまま容赦の無い中段蹴りを放った。

「――甘い!」

留美も伊達に中学時代、剣道に打ち込んでいた訳では無い。
腹部に向けて迫る一撃を、留美は体勢を崩したままH&K SMGUの銃身で打ち払った。
しかし衝撃までは殺し切れずに、後方へと弾き飛ばされてしまいそうになる。
留美はその勢いに抗わず、寧ろ利用する形で一旦彰と距離を取った。

(良し、今の内に……!)

一方彰は、機を逃さずして近くにある机の影へと飛び込んだ。
運動神経で劣る自分にとって、単純な力勝負ならともかく、銃を鈍器代わりにしての近接戦闘は間違い無く不利。
闘争の形式を銃撃戦へと戻すべく、イングラムM10に新たなマガジンを詰め込んだ。
時を同じくして、留美も銃弾の装填作業を完了する。
二人は机と机の影を移動しながら、互いに向けて銃弾を放ち始めた。


眩い閃光が瞼を焼き、強烈な銃声が鼓膜を刺激する。
激しい破壊が撒き散らされる大広間の中、彰達から大きく離れた位置に、裏口から逃亡しようとする智代達の姿があった。
裏口の先は、智代と茜が幾多もの罠を張り巡らしたロッカールームである。
そこまで行けば、後は容易に逃げ切れる筈だった。

「美佐枝さん、茜、小牧――全員揃ったな。あの二人が潰し合ってる間に、私達は退散するとしよう」
「けど、良いのかな……。 七瀬さんがあんな事になってるのに、止めずに逃げるだなんて」
「……小牧の言いたい事も分かる。でも私達の装備であの戦いに飛び込めば、まず無事では済まないだろう。
 此処は退くしかないんだ」

愛佳の指摘を受け、智代は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それでも決定は覆さない。
自分達の武装は、彰や留美に比べて余りにも貧弱である。
無理に戦いを止めようとすれば、仲間内から犠牲者を出してしまう可能性が極めて高いだろう。
仲間を救う為ならばともかく、襲撃者同士の潰し合いを止める為に、そこまでのリスクを犯す義理は無いように思えた。

「それじゃ、良いな?」
「……分かりました」

愛佳が渋々といった感じで頷くのを確認してから、智代は裏口の扉を押し開けようとする。
だが、その刹那。
智代達の後方で、ダンと床を踏み締める音がした。

「おいおい、何処に行くんだよ? パーティーはまだ始まったばかりじゃねえか」
「あ、貴方は――――」

愛佳が後ろへ振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
肉食獣のような鋭い眼光に、成人男性の平均を大きく上回る長身。
忘れる筈も無い。
今眼前に居る男は、間違い無く殺人鬼――岸田洋一その人だった。

「……愛佳ちゃん、この男を知っているのかい?」
「はい。名前は分かりませんけど、この人が芹香さんを殺した犯人です……」
「――――っ、コイツが……!」

その言葉を聞いた瞬間、美佐枝は眉をキッと斜め上方に吊り上げた。
美佐枝の脳裏に浮かび上がるのは、冷たくなった芹香の死体。
そして芹香を守れなかったと知った時の、どうしようも無い程の後悔だった。
後悔は怒りとなって、美佐枝の思考を埋め尽くす。
美佐枝は鞄の中から鋭い包丁を取り出して、戦闘態勢に移行しようとする。
そこで、横から投げ掛けられる茜の声。

「……相良さん、落ち着いて下さい。悔しいとは思いますが、今は退くべき時です」
「でも、コイツが来栖川さんを……!」
「聞き分けて下さい。今此処に留まれば、七瀬さん達も交えた泥沼の戦いになってしまいます」

茜の言葉は正しい。
大広間の反対側では、今も留美と彰が戦っているという事実を失念してはいけない。
二人の襲撃者の矛先が、何時こちらへと向いても可笑しくは無いのだ。
此処で岸田洋一を倒そうとすれば、恐らくは留美達とも戦う羽目になるだろう。
だからこそ激情を押さえ込んで退くべきだ、というのが茜の判断だった。
しかしそのような判断を、眼前の殺人鬼が良しとする筈も無い。

「はっ、連れねえな。もっと怒りに身を任せようぜ?」
「一人で勝手にどうぞ。貴方が何を言おうとも、私達は退かせて貰います」
「……チッ、ガキの癖に冷静ぶってんじゃねえよ」

落ち着いた茜の声を受けて、岸田は苛立たしげに舌打ちをした。
少しでも多くの人間を殺し、犯したい岸田にとって、茜達の撤退は極力避けたい事態。
逃げ去る茜達を一人で追撃するという手もあったが、敵は四人。
彰達を巻き込んだ乱戦状態ならばともかく、正面から戦えば勝ち目は薄いと云わざるを得ない。
故にあらゆる手を用いて、茜達をこの場に留まらせようとする。

「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――お前と同じ年頃の女を二人、殺してやったぞ」
「私と同じ年頃の……ですか?」

茜が問い掛けると、岸田は邪悪な笑みを口の端に浮かべた。

「ああ、殺したよ。二人共思う存分に犯してからな。名前は確か……長森さん、柚木さんと呼び合っていたな」
「え…………」

岸田の言葉を聞いた瞬間、茜は即頭部を強打されかのような衝撃に見舞われた。
クラスメイトである長森瑞佳の事もあったが、それ以上に茜に衝撃を与えたのはもう一人の名前。

「詩子、を――――」

幼馴染で、それと同時に掛け替えの無い親友でもある詩子が殺された。
それも、女性の尊厳を奪われた後で。
実際に岸田が犯したのは瑞佳一人のみだが、その事実を茜が知り得る方法は無い。
茜の動揺を見て取った岸田が、心底愉しげに笑い声を張り上げた。

「ハハハッ、ハハハハハハハハハハ! どうやら大当たりだったみたいだな? 苦痛と恥辱に歪んだ女達の顔、お前にも見せてやりたかったぜ」
「貴方は……貴方という人は…………!」
「ほら、掛かって来いよ。俺の事が憎いだろ? 殺してやりたいだろ?」
「くっ…………」

怒りで肩を震わせる茜に向けて、嘲笑混じりの挑発が投げ掛けられる。
それでも茜は、決壊寸前の理性を危うい所で何とか保っていた。
今すぐにでも眼前の怨敵を殺してやりたいが、此処で激情に身を任せる訳にはいかない。
血が滲み出る程に拳を握り締めながらも、沸騰した感情を少しずつ冷ましてゆくよう試みる。
しかし茜が怒りを抑えられたとしても、他の者達もそうだとは限らない。

「――そう。そんなに殺して欲しいのなら、望み通りにしてあげる」
「美佐枝さんっ!?」

怒りの炎を瞳に宿し、包丁片手に岸田の方へと歩いてゆく女性が一人。
相良美佐枝である。
岸田が行ってきた数々の卑劣な行為、人を見下した言動に、美佐枝の我慢は最早限界を突破していた。
驚愕する智代にも構わずに、眼前の殺人鬼目掛けて疾走を開始する。

「来須川さんが受けた痛み、その身で味わいなさい!」
「ヒャハハハッ、良いぞ! その調子だよ!!!」

岸田は鞄から大きな鉈を取り出すと、美佐枝を大広間の奥に誘い込むべく後ろ足で後退してゆく。
頭に血が昇っている美佐枝は、派手な足音を立てながら追い縋ろうとする。
その行動は、過度に場の注意を引き付ける愚行である。
案の定、新たな敵の接近に気付いた彰が、美佐枝目掛けて銃弾を撃ち放った。
所詮素人の銃撃であり、しかも遮蔽物が極めて多い屋内。
銃弾が命中する事は無かったが、美佐枝の鋭い視線が彰へと向けられた。

「……邪魔をするつもり? だったら、アンタも殺すよ!!」
「やれるものなら、やってみるが良いさ。尤も――負けて上げるつもりは無いけどね」

加速する憎悪、伝染してゆく殺意。
美佐枝が叫んでいる間にも、彰や留美の短機関銃は幾度と無く火花を放っている。
岸田も得物をニューナンブM60に持ち替えて、安全圏から必殺の機会を淡々と見計らっている。
鎌石役場の大広間は、最早完全なる死地と化していた。

「……っ、美佐枝さんを見捨てる訳には行かない。皆、行こう!」

強力な武器を持つ襲撃者二人に、殺人鬼・岸田洋一。
その三人に比べて、美佐枝の戦力は圧倒的に劣っている。
このまま一人で戦い続ければ、確実に命を落としてしまうだろう。
故に智代は仲間達の決起を促して、美佐枝を援護すべ戦火の真っ只中へ飛び込んでいった。

一度戦いが始まってしまえば、最早行く所まで行くしか無い。
坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳、七瀬彰、七瀬留美、岸田洋一。
総勢七名による激闘の火蓋が、切って落とされた。



「茜、小牧! まずはあの外道から何とかするぞ!」

智代が叫ぶ。
此度の戦いを引き起こした元凶は、執拗に挑発を繰り返した岸田である。
智代は岸田一人に狙いを絞って、仲間達と共に猛攻を仕掛けようとする。
だが智代達が岸田の元に辿り着くよりも早く、飛来して来た弾丸が前方の床を削り取った。

「……ふん。やっぱり、狙い通りの場所を撃つのは難しいわね……。でも、下手な鉄砲も数撃てば何とやらよ」

銃撃を外した留美だったが、すぐに智代達目掛けて次なる銃弾を撃ち放ってゆく。
留美にとってこの場で一番脅威なのは、徒党を組んでいる智代達に他ならない。
ならば智代達を優先的に狙っていくのは、至極当然の事だった。

「くそっ……先にお前から倒すしかないか!」

横から短機関銃で狙われている状態では、岸田を仕留めるなどまず不可能。
智代は腰を低く落とした態勢となって、留美に向けて疾走し始めた。
それと同時に、茜が釘撃ち機による援護射撃を行って、留美の銃撃を封じ込める。
やがて茜の武器が弾切れを訴えたが、既に智代は留美の近くまで詰め寄っている。
留美のH&K SMGUが構えられるよりも早く、空を裂く一陣の烈風。

「――せやああ!」
「あぐッ…………」

智代が放った中段蹴りは、正確にH&K SMGUの銃身を捉えて、遠方へと弾き飛ばしていた。
慌てて後退する留美の懐に智代が潜り込んで、次なる蹴撃を打ち込もうとする。
しかし留美はバックステップを踏んでから、手斧――下の階で回収しておいたもの――を鞄より取り出して、横薙ぎに一閃した。
済んでの所で屈み込んだ智代の頭上を、恐ろしく鋭い斬撃が切り裂いてゆく。
時を置かずして、返しの袈裟蹴りが智代目掛けて振り下ろされた。

「っ――――」

智代は咄嗟に首を逸らして逃れたものの、斧の先端が右頬を浅く掠める。
更に立ち上がる暇も与えんと云わんばかりに、留美の手斧が横一文字の軌道を描いた。
屈み込んだままの智代の脇腹に、鋭利な刃先が迫る。
それは常人なら回避不可能な一撃だったが、智代は強靭な脚力を存分に生かして、只の一跳びで優に一メートル近く跳躍した。
留美の手斧を足下で空転させながら、宙に浮いた状態のまま強烈な回し蹴りを繰り出す。

「シッ――――!!」
「く、う…………!」

智代の蹴撃は、防御した留美の上腕越しに強烈な衝撃を叩き込んだ。
留美はその場に踏み止まり切れず、一歩二歩と後ろ足で後退する。
そこに智代が追い縋ろうとしたが、留美は下がりながらも迎撃の一撃を振り下ろす。
縦方向に吹き荒れた凶風は、智代が踏み込みを中断した所為で空転に終わった。

「……アンタ、相当やるわね」
「お前もな。正直な話、接近戦で私と渡り合える女が居るとは思わなかった」

正しく刹那の攻防。
二人は一定の距離を保った状態で、警戒の眼差しを交差させる。
智代の身体能力は筆舌に尽くし難いものだし、自由自在に斧を振るう留美の手腕も侮れない。
殺人遊戯に対する方針や戦闘スタイルこそ異なれど、両者の実力は拮抗していた。

時と場所が違えば名勝負になっていたであろう組み合わせだが、こと戦場に於いては、何時までも眼前の敵だけを意識している訳にはいかない。
正面の獲物に拘り過ぎれば、第三者に横から漁夫の利を攫われてしまうのだ。
智代と留美が各々の方向へ退避するのとほぼ同時、それまで二人が居た場所を、猛り狂う銃弾の群れが貫いてゆく。


「くそっ、今のを避けるなんて…………!」

予想以上に高い智代と留美の危険察知能力に、彰は苦虫を噛み潰す。
狙い澄ました今の連撃でさえ、戦果を挙げる事無く回避されてしまった。
これでは闇雲に銃弾を連射した所で、弾丸の無駄遣いに終わるだけだろう。
イングラムM10の銃弾も無限にある訳では無い。
彰は一旦机の影へと頭を引っ込めて、次の好機を待とうとする。
しかし好機を探っている人間は、この場に彰一人だけという訳では無い。
彰の背後には、密かに忍び寄る美佐枝の姿があった。
気配に気付いた彰が振り返るのと同時、美佐枝の包丁が斜め上方より振り落とされる。

「隙らだけよ――死になさい!!」
「っ…………、ガアアアアアッ!」

彰も身体を横に逸らそうとしたが、完全には躱し切れず、左腕の付け根付近を少なからず切り裂かれた。
切り裂かれた傷口から紅い鮮血が零れ落ちる。
続けざまに美佐枝が包丁を振り被ったが、彰もこのまま敗北を喫したりはしない。
優勝して澤倉美咲を生き返らせるという目的がある以上、未だ倒れられない。
無事な右腕を駆使して、イングラムM10の銃口を美佐枝の方へと向ける。

「こんな所で! 僕は負けられないんだっ!!」

右腕一本では銃身の固定が不十分だった所為で、そして咄嗟に美佐枝が飛び退いた所為で、弾丸が命中する事は無かった。
しかしそれでも、距離を離す時間だけは十分に確保出来た。
彰は近くの遮蔽物にまで逃げ込んで、鞄から新たな弾倉を取り出そうとする。
そうはさせぬと云わんばかりに、美佐枝が彰に向かって駆け出したが、そんな彼女の下に一発の銃弾が飛来した。

「……くあああっ!?」

左肩を打ち抜かれた美佐枝が、激しい激痛に苦悶の声を洩らす。
美佐枝の後方、約二十メートル程離れた所に、ニューナンブM60を構えた岸田が屹立していた。
岸田はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら、格好の標的となった美佐枝に追撃を仕掛けようとする。
しかし咄嗟の判断で攻撃を中断すると、上体を大きく斜めへと傾けた。
案の定、岸田のすぐ傍を鋭い飛来物が切り裂いてゆく。

「くっくっく……お前もやる気になったみたいだな」

岸田は銃撃して来た犯人達の方に視線を向けると、口許を三日月の形に歪めた。
視線の先には、里村茜の姿。
茜は電動釘打ち機を水平に構えた状態のまま、絶対零度の眼差しを岸田に返した。

「ええ。こうなってしまった以上、もう怒りを我慢する必要はありませんから」

親友の命を奪った岸田は、茜にとって憎むべき怨敵。
それと同時に、可能ならばこの場で倒しておきたい強敵でもある。
戦いは最早止めようの無い段階にまで加速してしまった以上、岸田を最優先に狙うのは当然だった。
余計な会話など無用とばかりに、茜は電動釘打ち機のトリガーを何度も何度も引き絞る。

(……高槻の野郎に復讐するまで、弾丸は使い過ぎない方が良いな)

飛来する五寸釘を確実に回避しながら、岸田は瞬時の判断で得物を鉈へと持ち替えた。
修羅場に於ける高い判断力こそが、この殺人鬼の快進撃を支えている大きな要因である。
リスクを犯してまで血気に逸る必要は無い。
岸田は冷静に遮蔽物の陰へと身を隠すと、茜の釘打ち機が弾切れを起こすまで守勢に徹し続けた。
電動釘打ち機がカチッカチッと音を打ち鳴らすと同時に、弾けるような勢いで物陰から飛び出す。
肉食獣の如き殺気を剥き出しにして、岸田が茜に向けて疾駆する。

「くぅ――――」

茜も急いで次の釘を装填しようとしたが、とても間に合わない。
眼前には、既に鉈を振り上げている岸田の姿。
刃渡り一メートル近くもある鉈の直撃を受ければ、即死は免れないだろう。
茜は考えるよりも早く、膝に全身の力を集中させた。
後の事を心配している余裕は無い。
とにかく全力で、力の限り真横へと跳躍する――!

「………………っ」

ブウン、という音。
加速する身体に置いて行かれた金の髪が、唸りを上げる鉈によって両断される。
正に紙一重のタイミングで、何とか茜は己が命を繋ぐ事に成功した。
跳躍に全てを注ぎ込んでいた所為で、着地に失敗して隙だらけの姿を晒してしまう。
地面に倒れ込んだ状態の茜に向けて、岸田が追撃の剣戟を叩き込もうとする。
だが岸田と違って、茜には仲間が居る。
向けられた殺気に気付いた岸田が飛び退いた直後、一条の銃弾が傍の机へと突き刺さった。

「里村さん、大丈夫ですか!?」
「……有難う御座います、助かりました」

救援者――小牧愛佳に礼を言いながら、茜は直ぐに立ち上がって、釘打ち機に新たな釘を装填していった。
その一方で愛佳は、狙撃銃であるドラグノフを装備している。
二つの凶器、二つの殺意が同時に岸田へと向けられた。

「二人掛けかッ…………!」

不利を察知して後退する岸田に向けて、次々と五寸釘が迫り来る。
このままでは良い的になってしまう。
岸田は近くの机に身を隠そうとしたが、そこで広間中に響き渡る一発の銃声。
音が鳴り止んだ時にはもう、机に深々とした穴が穿たれていた。

「本当はこんな事したくないけど……でも、皆を守る為なら!!」

備え付きのスコープを覗き込みながら、愛佳が自らの決意を言葉に変えた。
貫通力に優れるドラグノフの銃弾ならば、机の防御ごと岸田を倒し切る事が可能。
素人に過ぎない愛佳が用いている為に、そう簡単に直撃はしないだろうが、敵の警戒を促すには十分過ぎる。

「チィィィ――――――」

遮蔽物を利用出来なくなった岸田が、それでも卓越した身体能力を活かして耐え凌ぐ。
ある時は上体を逸らし、ある時は横に跳び、またある時は地面へと転がり込む。
しかし時間が経つに連れて、回避に余裕が無くなってゆき、済んでの所で命を繋ぐといった場面が増えてきた。
追い詰められた岸田が、焦燥に唇を噛み締める。

(糞ッ、このままじゃ不味い……! どうすれば――――)

そこで視界の端に、あるモノが映った。
同時に、頭に浮かぶ一つの案。
リスクは伴うが、成功すれば間違い無く敵を『絶望の底』へと叩き落せるであろう悪魔的奇手。
悩んでいる暇は無い。
直ぐ様岸田は、己が策を実行に移すべく動き出した。
まずは集中力を最大限に引き出して、茜が放つ攻撃を弾切れまで躱し続ける。
その作業は決して楽なものでは無かったが、十分な距離を確保していたお陰で、何とか避け切る事に成功した。

「次は…………」

岸田は何処までも冷静に計算を張り巡らせながら、目的の地点へと移動する。
到着するや否や、その場に仁王立ちして、愛佳の動向に全集中力を注ぎ込んだ。
戦場で足を止めるのは自殺行為に近いが、それでも早目の回避行動を取ったりはしない。
愛佳に狙いを外されては、『困る』のだ。
十分な時間的余裕を与える事で、正確に照準を定めて貰わなければならない。
そしてドラグノフの銃口が岸田の胸部へと向けられた瞬間、二人分の叫びが部屋中に木霊した。


「ここだ――――!!」
「当たって――!!」


愛佳のドラグノフが咆哮を上げる。
岸田は全身全霊の力で横へと飛び退いて、迫るライフル弾を薄皮一枚程度の被害で回避した。
次の瞬間、部屋の中央部付近で、唐突に真っ赤な霧が広がった。
美しい薔薇の花のような、そんな光景。
戦っている最中の者達も、一旦敵から間合いを取って、各自が霧の出所へと視線を集中させる。


「――――あ、」


愛佳の喉から、酷く掠れた声が漏れ出た。
目の前の光景に、あらゆる思考が停止してしまっている。


「あ、ああ――――」


頭の中を、ミキサーで乱暴に掻き回されているような感覚。
全身の表面には鳥肌が立ち、喉はカラカラに乾いている。


「ああ、あ、あああ…………ッ」

愛佳が銃口を向けている先。
古ぼけた机の影には――頭の上半分を消失した、相良美佐枝の姿があった。


「あああああアアァァァアアああああああああああああああああッッ!!!!!」


愛佳の絶叫を待っていたかのようなタイミングで、美佐枝の身体が地面へと崩れ落ちる。
何故このような事態になったか、考えるまでも無い。
愛佳の発射した銃弾が、岸田の後方に居た美佐枝を撃ち抜いたのだ。

「あたしは……あたしはぁぁぁ…………っ!!」

愛佳はドラグノフを取り落として、地面へと力無く膝を付いた。
美佐枝は何時も自分を気遣ってくれていたのに。
何時も自分を守ってくれていたのに。
その恩人を、自らの手で殺してしまった。

「フ――――ハハハハハハハハハハハハハハッッ! 良いぞ、もっと喚け! もっと叫べ!
 そうだよ、お前がその女を殺したんだよっ!!!」

更なる追い討ちを掛けるべく、岸田が愛佳へと哄笑を浴びせる。
お前が殺したのだ、と。
お前の所為で相良美佐枝は死んだのだ、と。
覆しようの無い残酷な事実を、少女の心へと突き付ける。

「あたしはああああアアアァァああああああああああアアアア……ッ!」

愛佳は壊れ掛けたラジオのように叫び続けながら、自身の顔を乱暴に掻き毟った。
皮膚が裂け、赤い血が漏れ出たが、愛佳の狂行は止まらない。
喉から迸る絶叫は悲鳴なのか慟哭なのか、それすらももう分からない。

「うわあああああああああぁあああああああっ!!!!」

救いは無い。
頭部を砕かれた美佐枝は、もう二度と動かない。
疑う余地は無い。
ドラグノフのトリガーを引いた指は、間違い無く自分自身のモノ。
理性を完全に失った少女は、獣じみた本能で逃走だけを乞い求めて、大広間の外へと走り去っていった。



「美佐枝、さん…………」

静寂が戻った大広間の中で、智代は呆然とした声を洩らす。
岸田と愛佳の会話から、大体の状況は把握出来ている。
過程までは分からないが、愛佳は自らの手で美佐枝を殺してしまったのだ。
最悪の事態を防げなかったという絶望が、智代の心を押し潰そうとしていた。

「こ、んな…………事って…………」

深い失意の底に在るのは、茜も同じだった。
標的を岸田一人に絞っていた自分は、危険を察知出来る状況にあった筈なのに。
攻撃に意識を集中する余り、岸田の後方に美佐枝が居るという事実を見落としてしまった。


「くくく、くっくっく……ハーハッハッハッハッハッ!」

哄笑は高く、屋根を突き抜けて、天にまで届くかのように。
岸田は絶望する智代達を見下しながら、狂ったかのように笑い続ける。
智代も茜も未だ、岸田に立ち向かえる程精神を回復出来てはいない。
だから岸田の狂態を遮ったのは、意外な人物の一声だった。

「――この、下衆が…………!!」

放たれた声に岸田が視線を向けると、そこには留美の姿があった。
留美は怒りも露に、鋭い視線を岸田へと寄せている。
H&K SMGUを握り締めている手から零れる血が、彼女の怒りが並大抵のものではないと物語っていた。

「おいおい、お前が言うなよ。殺し合いをしてたのは、お前だって同じだろ?」
「私をアンタと一緒にしないで! 少なくとも私は、アンタみたいに人の不幸を楽しんだりはしてない!」

眼前の男がどれ程外道か、復讐鬼と化した留美でも理解する事が出来た。
何か譲れぬ目的があって殺人遊戯に乗っているのなら、許しはしないが未だ分かる。
だがこの男は、只自分が楽しむ為だけに、非道な行為を繰り返しているのだ。

「そんなに殺し合いが好きなのなら! そんなに人の不幸を楽しみたいのなら! 地獄に堕ちて、其処で勝手にやって来なさい!!!」
「ハッ、お断りだね。俺はまだまだパーティーを盛り上げなくちゃいけないからな」

岸田洋一は何処までも愉しげに、留美は般若の形相を浮かべて。
二人の殺戮者が、各々の銃器を携えて対峙する。
感情を剥き出しにして行動する二人は、良くも悪くも人間らしい。
しかし全員が全員、彼らのように感情で行動している訳では無い。
この場には一人、己が目的を果たす為だけに、文字通り修羅と化した男が居る。
皆が各々の心情を露にする中、彰は一人淡々と行動を続けていた。

(……僕は彼女みたいに怒れないし、怒る資格も無い。僕は目的の為に全てを棄てたんだ。
 美咲さんを生き返らせる為には、絶対に勝ち残らないといけないから――)

感情任せに、これ以上戦いを続けるのは愚行。
お世辞にも体力があるとは云えない自分の場合、極力長期戦は避けるべきだろう。
故にこの場に於ける最善手は、最強の一撃を置き土産として撤退する事だった。
既に必要な位置取りは確保した。
得物の準備も済ませてある。
遅まきながら他の者達も彰の動向に気付いたが、最早手遅れ。
出入り口の前に陣取った彰は、M79グレネードランチャーを皆が密集している地点へと向ける。



「――全員、死んでくれ」



短い宣告と共に、猛り狂う炸裂弾が撃ち放たれた。
正しく突然の奇襲。
七瀬留美や岸田洋一といった面々は各々が即座に回避行動へと移ったが、茜は一瞬反応が遅れてしまった。

「あ――――」

立ち尽くす茜の喉から、呆然とした声が零れ落ちた。
視界の先には、高速で襲い掛かるグレネード弾の姿。
駄目だ、もう間に合わない。
茜は自身の死を確信して――――

「茜―――――――!!」
「智代ッ…………!?」

そこで、真横から勢い良く智代が飛び込んできた。
その直後、大広間の中央部で激しい爆発が巻き起こされる。
爆発の規模は建物を倒壊させる程では無かったが、それでも大きな破壊を齎した。
轟音と爆風が大気を震わせて、閃光が部屋中へと広がってゆく。
規則正しく配列されていた机が、次々と中空に吹き飛ばされる。
爆風が収まった後も、巻き上げられた漆黒の煙が、大広間の中を覆い尽くしていた。

「あっ――、く……そ……」

怒りと苦悶の混じり合った声。
飛散する木片を左手で振り払いながら、留美が黒煙の中から姿を表した。
整った顔立ちは埃に塗れ、制服は至る所が黒く汚れている。

「やって、くれたわね……」

爆心地から比較的離れた位置に居た為、深手を負う事は避けられたが、爆発時の閃光を直視してしまった。
お陰で視力は大幅に低下し、前方数メートルに何があるのか把握するのも楽では無い。
恐らく症状は一時的なものだろうが、これ以上戦闘を継続するのは不可能だ。
此処は一旦撤退するしか無いだろう。
勘を頼りに出入口へと向かう最中、留美は一度だけ後ろを振り向いた。
頭の中を過るのは一つの疑問。

(――私は本当に正しいの?)

小牧愛佳は殺し合いに乗っていなかった。
優勝を狙おうという腹積りなら、いずれは共闘者すらも殺す覚悟があった筈。
手違いから早目に殺してしまったとしても、あそこまで取り乱したりはしない筈なのだ。
間違いなく愛佳は殺し合いに乗っていないし、その仲間達も美佐枝が死んだ時の反応を見る限り、恐らく殺人遊戯否定派だろう。
だというのに自分は、一方的に彼女達を襲ってしまった。
これでは、冬弥を殺した殺人鬼と何も変わらないのではないか。
そこまで思い悩んだ後、留美は左右に首を振った。

(……考えるのは後ね。まずはこの場から離れないと)

此処は戦場だという事を忘れてはならない。
煙が晴れる前に脱出しなければ、いらぬ追撃を被ってしまうかも知れない。
そう判断した留美は、途中で見付けたH&K SMGUを回収した後、大広間の外へと歩き去っていった。
心の中に、大きな迷いを抱えたまま。

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