突きつけられた選択(U)/アンサー (2/2)




「たああああっ!!」

――数々の戦闘を経て、制限されている環境下での戦い方がようやく分かってきた。
郁未は可能な限り不可視の力を引き出して、鉈を横薙ぎに振るう。
常人の限界を凌駕した一撃が、宗一の喉を噛み千切らんとする。

「っ――――」

宗一は上半身を僅かに後方へと逸らし、迫る白刃より逃れた。
この好機に郁未の腹部を撃ち抜きたい所だが、残念ながらそういう訳には行かない。
すぐ斜め後ろでは、綾香がこちらに向けて銃を構えて居るのだから。
宗一は即座に振り向き、それと同時にFN Five-SeveNのトリガーを引く。

「――――チ、出鱈目な察知能力ね……!」

綾香は狙撃を中断し、舌打ちしながら上体を大きく捻った。
それまで綾香の頭部があった辺りを、正確に破壊の塊が貫いてゆく。
ほんの一秒でも回避が遅れていれば、間違いなく致命傷になっていたであろう銃撃。
碌に照準を絞れぬ振り向き様の一撃だと云うのに、その精度は筆舌に尽くし難い。
それに何より、背後からの奇襲を未然に防いだのが有り得ない。
背中に目が付いているとしか思えないような勘の鋭さは、余りにも人間離れしている。
だが、綾香とて並の人間ではない。
銃器の扱いにこそ慣れていないものの、身体能力は此度の殺人遊戯に於いてもトップクラスだ。
綾香は銃撃戦では勝負にならぬと判断し、少し前の宗一と同じように自分から銃を捨てた。
腰を深く落として、吹き荒れる風のように疾駆する。

「―――ーセッ!!」

郁未が異能力による力押しを武器とするのならば、綾香は極限まで練り上げた技術を武器とする。
綾香は何一つ無駄の無い流麗な動きから、正拳突きを繰り出した。
芸術の域にすら達したと云えるそれは、宗一にガードを強要させる。
そして宗一が攻撃を受け止めたその瞬間、郁未もまた動いた。

「でりゃあああ!!」
「…………ぐっ!」

顔面に襲い来る鉈を、宗一は何とかFN Five-SeveNで受け止めた。
だが次の瞬間には、綾香が更なる連撃を繰り出していた為、反撃など許されない。
全能力を回避に注ぎ込んで、薄皮一枚の所で命を繋ぐのが精一杯だ。

佳乃が倒される前に比べて、宗一の動きは格段に向上している。
郁未一人では銃撃を封じ切れなくなったのが、その証拠だろう。
今の宗一ならば、たとえ相手が『狂犬』醍醐や『地獄の雌狐』リサ=ヴィクセンであろうとも、負けはしない。
だが、二人掛かりとなれば話は別。
綾香と郁未の二人に張り付かれてしまっては、いかな宗一と云えども不利は明白。
まずは一旦距離を取って、仕切り直すべきだろう。
だが殺意に取り憑かれた宗一が、そのような選択肢を選ぶ筈も無い。

「……このおおおおおぉぉっ!!」

宗一はその場に留まったまま、強引に反撃しようとする。
腹部に迫る綾香の膝蹴りを放置して、相打ち狙いでFN Five-SeveNを放とうとする。
確かに相打ちにさえ持ち込めば、銃を用いた側が勝利するのは明白。
だがもう一人の強敵――天沢郁未の存在が、それを許さない。
宗一がトリガーを引くよりも速く、郁未の鉈が一閃された。
FN Five-SeveNの銃身が強打され、銃口は明後日の方向へと向きを変える。
それと同時に――

「――――ぐがっ……!」

宗一の腹部へ、綾香の放った膝蹴りが叩き込まれた。
強烈な衝撃に息が詰まり、視界がチカチカと点滅する。
手足の先端を痺れにも似た感覚が襲い、即座に次の動作へと移る事が出来ない。
そして至近距離での硬直は、綾香達のような強敵が相手では致命的。
綾香は全身全霊の上段蹴りを、郁未は強烈な薙ぎ払いの一撃を、ここぞとばかりに繰り出した。
二つの攻撃は、両方共が必殺と云うに相応しい威力を秘めており、生半可な防御では止めれない。
この場に留まったままでは対応不可能と判断し、宗一は否応無く後方へと飛び退いた。

「――――ク、ハ――ハァ…………」

宗一は十数メートル程の間合いを確保してから、懸命に乱れた呼吸を整える。
敵の片割れは日本でも有数の格闘技術を誇り、もう片割れは驚異的な身体能力を有している。
その両方を同時に相手するのは、想像以上に体力面への負担が大きかった。
そしてそんな宗一を前にして、郁未はニヤリと口元を吊り上げた。
見下すような、馬鹿にするような、そんな笑みだった。

「……フン、啖呵を切った癖にこの程度? 世界トップエージェントっていうのも、案外大した事が無いようね」
「…………っ」

笑みをより一層深めながら、郁未は続ける。

「佳乃もこんな奴を庇って死ぬなんて馬鹿ね。そこらの蟻の方がまだマシな死に方してるわよ」
「――――ッ!!」

己の仲間に向けて浴びせられた、口汚い罵倒の言葉。
瞬間、宗一は怒りの余り視界が真っ白になった。

「黙れっ……黙りやがれええぇぇっ!!」

激情の赴くまま、真っ直ぐ郁未に殴り掛かろうとする。
だが何の工夫も無い感情に任せた突撃では、郁未と綾香の二人を打ち破るのは不可能だろう。
先の一戦で、既に双方の戦力差は証明されているのだ。
良くて先と同じく貴重な体力を浪費、最悪の場合致命傷を負わされてしまう危険性すらある。
余りにも無謀な行為。
それを止めたのは、突如聞こえてきた弱々しい声だった。

「だ……め……だよ……」
「――佳乃っ!?」

聞き慣れた声に宗一が振り向くと、こちらに視線を向けている佳乃の姿があった。
佳乃の瞳は既に半ば光を失っていたが、とても強い意志を感じさせるものだった。

「霧島さん、喋ったら駄目です! 今は安静にしてないとっ……」

渚が佳乃を抱き上げた態勢のまま、必死に制止の声を上げた。
しかし佳乃はゆっくりと首を横に振ってから、一つ一つ言葉を紡ぎ始めた。

「宗一くん……は……エージェント、なんでしょ? だったら……落ち着かないと……駄目だよぉ……」
「…………っ、分かった……」

宗一は掛けられた言葉に何も反論出来ず、ただ頷く事しか出来なかった。
善良な人々を傷付ける綾香と郁未は憎いが、今は佳乃の云い分に理がある。
今自分達が追い込まれている窮地は、感情任せの戦い方では覆せない。

「すまん佳乃……。俺、お前を守るって云ったのに……助けられてばっかりだ」

宗一は自分の不甲斐なさが憎かった。
本来守るべき対象である筈の佳乃に救われた自分自身が、心底情けなかった。
佳乃達を守ると宣言しておきながらこの体たらくでは、糾弾されて叱るべきだろう。
だというのに――佳乃はにこりと微笑んで、云った。

「気に……しないで……。仲間って云うのは……助け合う、ものなんだから……。
 それに、宗一くんは……こんな所で……死んじゃ……いけない人だから……」

紡いだ言葉は、嘘偽りなど一切混じっていない。
佳乃は宗一を恨んでなどいなかった。
既に40名以上もの人間が死んでしまった殺戮の孤島で、自分がこれまで生き延びて来れたのは、間違い無く宗一のお陰だ。
宗一は足手纏いでしかない自分をずっと保護してくれた上、危険な場面では必ず先陣に立っていた。
渚の両親が殺されてしまった時は、心の底から激昂していた。

そのような経歴を踏まえれば、理解出来る。
Nastyboy那須宗一が、どれ程の実力者なのか、どれ程の正義感を胸に秘めた男なのか、十分に理解出来る。
宗一はこのような所で死んで良い男では無い。
もっと多くの人間を救える筈だ。
だからこそ、己の身を挺して庇った。
自分自身の命を盾にして、凶刃から宗一を救ったのだ。
そんな自分の選択が、間違いだとは思っていないから――穏やかな笑みを湛えたまま、問い掛ける。

「ねえ宗一くん……。仕事を……依頼しても……良いかな……?」
「……ああ。何でも云ってくれ」

もう身体の感覚は無いし、視界もぼやけ始めている。
これ以上話を続ければ、只でさえ残り少ない余命が更に削られてしまうだろう。
それでも佳乃は最後の力を振り絞って、己の想いを告げる。

「お願いNastyBoyさん……皆を助けてあげて。
 渚ちゃんを……そして往人くんやお姉ちゃんを、守ってあげて……」

皆の幸せ――それこそが佳乃の願い。
死に往く少女が抱いた、一番の願いだ。

「でも、ごめんね……。依頼料は……払えそうも……無い、よ……」
「……金なんかいらないさ。安心してくれ、絶対に俺が皆を守ってやるからな……!」
「えへへ、ありがとう……。どうか、宗一くん……渚ちゃん、も――――」

そこで、佳乃の動きが緩やかに停止した。

「霧島さんっ!? 霧島さん、しっかりして下さい……!!」

渚が必死に佳乃の身体を揺さぶったが、言葉の続きは紡がれない。
佳乃の口は閉ざされたままで、もう動こうとはしない。
全てを伝え切る前に、満身創痍の肉体が生命活動を停止してしまったのだ。

「霧島さんっ……、どうしてこんな事に…………!!」

宗一が必死に激情を噛み殺し、綾香と郁未が呆れ気味な表情を浮かべる中、渚の嗚咽だけが響き渡る。

佳乃は結局、宗一に与えられたS&W M29のトリガーを引く事は無かった。
早苗や秋生が殺された時も、渚を人質に取られた時も、恐るべき襲撃者達に立ち向かう事は出来なかった。
それでも――それでも、彼女は何も成し遂げずに逝った訳では無い。
彼女の行動があったからこそ、宗一は今も未だ生きていられるのだ。
佳乃は自身の命と引き換えに、主催者に対抗し得る数少ない希望を繋ぎ止めたのだ。
そして彼女の死に様は、残されたもう一人の仲間にも大きな変化を齎していた。

古河渚。
両親を殺されたにも関わらず、尚戦いを否定しきてた少女が、ゆっくりと立ち上がる。
両の瞳から涙を流したまま、郁未達の方へ首を向ける。

「天沢さん。貴女は前、わたしに云いましたよね――『あなたに一つの選択肢を与えるわ』と」

語る渚の手には、S&W M29が握り締められていた。
先程の戦いで佳乃が取り落とした、人を殺す目的で作られた武器が、しっかりと握り締められていた。

「ああ、そんな事もあったわね。それで? 貴女は何が云いたい訳?」
「あの時わたしは戦いを拒否した。殺し合う事を拒否した。だけど、それはもう終わりです。
 霧島さんは精一杯、自分に出来る事をやりました。だから――」

精一杯の勇気を振り絞って、心の中で両親に謝りながらも、告げる。

「――わたしも戦います。貴女達と戦って、仲間を守ります」

それは、明らかな宣戦布告。

「お前、何云ってんだよ!? そんなの、危険――」
「霧島さんは……仲間として、命懸けで那須さんを助けました。それなのにわたしだけ、ただ守られてるなんて出来ません」

慌てて制止しようとする宗一を、渚はピシャリと撥ね付けた。
自分なりに一生懸命考えて、仲間の死を受けて、ようやく出した答えなのだ。
どのような言葉を掛けられようとも、決意を改めるつもりなど毛頭無かった。
だがそんな少女の決意を、綾香が一笑に付す。

「――仲間? アンタ何寝惚けてるの? 何時裏切られるか分からないんだから、他人なんて信用出来る訳ないじゃない。
 ましてや命懸けで助けるなんて、タダの莫迦よ」

実際に一度騙された経験がある綾香からすれば、渚の言動は無価値な綺麗事だ。
いかに優れた力を持った人間であろうとも、内部からの裏切り行為には対応しようが無い。
無防備な背中を一突きされてしまえば、若しくは食事に毒を盛られでもしてしまえば、それで終わりなのだ。
ならば他人を信用するなど、有り得ない話だった。

「……そう云う割には、お前だって天沢と手を組んでるじゃねえか。お前達二人は仲間じゃないのか?」

嘲笑交じりの綾香に対し、宗一が疑問を投げ掛ける。
先程から綾香と郁未は肩を並べて襲撃して来ているのだから、両者が手を結んでいるのは明らかだった。
だが綾香は一つ溜息を吐いた後、やれやれと云った風に肩を竦めた。

「とんだ勘違いをされたものね……これはただ利用し合ってるだけよ。そう、アンタ達みたいな偽善者の群れを叩き潰す為にね」
「そうね。最後には綾香も殺して、私が優勝するわ」
「ほざくな、死ぬのはアンタよ。……でも、今は――」
「ええ、分かってる」

綾香と郁未は穏やかでない言葉を交わしながらも、臨戦態勢へと移行し始める。
郁未は鉈を深く構え、綾香は鍛え抜いた己の拳を撃ち出す構えとなる。
実力者二人が戦闘態勢を取った事により、否が応にも戦場に漂う緊張感が高まってゆく。
渚が戦う事に難色を示していた宗一だったが、このような状況下では、もう迷っている暇など無かった。

「――古河。敵は強い……どうしても戦うと云うのなら、絶対に躊躇なんてするな。
 一瞬の遅れが致命傷に繋がると思ってくれ」
「はい……大丈夫です」

宗一と渚が各々の銃器を構える。
圧倒的な身体能力を持つ三名に比べて、渚だけが余りにも無力。
間合いを詰め切られてしまえば、瞬く間にやられてしまうだろう。

――勝負は、一瞬。

郁未と綾香の足元が、ほぼ同じタイミングで爆ぜた。
突撃する二人に向けて、宗一と渚が次々に銃弾を撃ち放つ。

「――――そこだっ!!」
「――っ、まずは私狙いって、ワケね…………!」

宗一の標的となった郁未は即座に前進を中断して、自身の全能力を回避に注ぎ込んだ。
恐るべき精度で放たれる宗一の銃撃も、反撃さえ考えなければ、決して対応不可能ではない。
郁未は銃口の向きから攻撃箇所を予測し、連射される銃弾を間一髪の所で躱してゆく。
そして、郁未が宗一の攻撃を引き付けているという事は、即ち綾香が自由に動けるという事。


「――ほらほら、何処狙ってるのよ! そんなんじゃ何時まで経っても当たらないわよ!?」

綾香はジグザグに走行する事で渚の銃撃を掻い潜りながら、まるで臆さず間合いを詰めようとする。
宗一のものと違い、渚から放たれる銃撃は極めて狙いが甘かった。
照準を定めるまでの時間も長い為、十分な余裕を持って躱す事出来る。
加えて自身の胴体部を守る防弾チョッキの存在。
それが綾香に絶対の自信を齎していた。

「甘いってんのよ! アンタみたいな偽善者に、この私が負けるものか!」

渚が引き金を絞るよりも速く、綾香は横に身体を動かして銃の射線上から逃れる。
その間も駆ける足は止めず、見る見るうちに両者の距離が縮まってゆく。
そして回転式拳銃であるS&W M29の装弾数は、決して多くない。
ガチャッガチャッ、という金属音。

「た、弾切れっ……!?」
「さあ――血反吐をぶち撒けろ!」

狼狽する渚の眼前に、絶対に逃がさないと云わんばかりの勢いで綾香が迫る。
勝利を確信した綾香が、銃弾を切らしてしまった渚に猛然と襲い掛かる。
その構図は、哀れな犠牲者である草食動物と、捕食者である肉食動物のようだ。

だが――それは、絶対じゃない。
時には草食動物が一糸報いる事もある。

「てやああああああっ!!」
「な――に―――――!?」

綾香の瞳が、驚愕に大きく見開かれる。
綾香は既に、大の男すらも一撃で悶絶させるボディーブローを放とうとしていた。
だというのに渚は後ろに下がったりせず、寧ろ自分から綾香に向かって踏み込んだのだ。

自分は戦うと決めた。
ならば相手が屈強な難敵であろうとも、やるべき事は一つ。
逃げ惑う必要など無い。
怯える必要など無い。
腹部に迫る綾香の拳など無視して、全力でS&W M29の銃身を振り下ろす――!

「がっ…………」
「―――ぐああぁ、ク、ソッ……!」

結果は相打ち。
渚は短い呻き声と共に地面へ崩れ落ちたが、綾香もまた即頭部を強打され、一時的な脳震盪に襲われた。
そして、その隙を宗一が見過ごす筈も無い。
宗一は一瞬にして標的を切り替え、綾香の胸にFN Five-SeveNの銃口を向けた。

「――沈みやがれえええええええ!!」
「そ、そんなモノ――――」

絶対的絶命状況だったが、未だ綾香は諦めていなかった。
何しろ彼女の胸部は、堅固な防弾チョッキで覆われているのだから。

しかし数々の戦場を渡り歩いた宗一が、防弾チョッキの存在に気付いていない筈も無い。
FN Five-SeveNは、凄まじい貫通力を誇る特殊拳銃。

唸りを上げる5.7x28mm弾の前には、防弾チョッキなど無意味……!



――照り付ける太陽の下、一発の銃声が響き渡った。



「―――ーガ、ハッ……」


放たれた銃弾は防弾チョッキを貫き、正確に綾香の心臓へと突き刺さった。
紅い花が咲き誇るかのように、綾香の胸部から鮮血が噴き出す。
途方も無い量の血が地面に撒き散らされ、あっと言う間に水溜りを形成した。
そして、ビシャリという音と共に、綾香の身体がその上に倒れ込んだ。
心臓を破壊されて生きていられる人間など居ない。

狩られる立場だった筈の人間による、決死の反撃。
それが決定的な要因となって、修羅道を歩んでいた少女――来栖川綾香は、此度の殺人遊戯から脱落した。




宗一は綾香が息絶えたのを確認してから、すぐさま倒れ伏す渚へと駆け寄った。

「――大丈夫か、古河っ!」
「ええ、何、とか……」

渚は腹部を押さえながらも、宗一の肩を借りてゆっくりと立ち上がった。
本来の綾香のボディーブローならば、内臓を潰される恐れもあったが、意表を突いた為に最小限の被害で抑えられたのだ。
とは云えその怪我は決して軽いもので無く、戦闘の続行は不可能だろう。
だが問題無い――敵は、もう一人だけなのだから。
宗一はそっと渚から離れて、残る敵対者である郁未を睨み付けた。
早苗の信頼を踏みにじった憎むべき怨敵に対し、身体中で吼える。

「見たか! これが……何より気高い想いの力だ! 仲間を想う『愛』の力だ!!」

叩き付けた言葉には、筆舌に尽くしがたい程の想いが籠められている。
――娘を遺したまま逝った、早苗と秋生。
――己の身と引き換えに仲間を救った、佳乃。
――この島では合流する事すら出来なかった、伏見ゆかりや梶原夕菜、そしてエディ。
今の宗一は、多くの仲間の死を背負っている。
身体能力を制限されているとは云え、凄まじいまでの力を発揮する事が出来るだろう。
だがその宗一を前にして尚、綾香の死を受けて尚、郁未は何事も無かったかのように哂っていた。

「フン……何が『愛』よ。綾香を倒したからどうだって云うの? まさか私を倒せるとでも思ってるワケ?」
「それはこっちの台詞だな。俺に勝てるとでも思ってるのか?」
「……残念だけど、実力では劣ってると思うわ。でもね、さっき渚が証明したばかりじゃない――」

郁未はそう云って己の腕時計――民家で入手した物――を一瞥した後、鞄に手を押し込んだ。
中に入っていたあるモノを取り出して、思い切り投擲する。

「――強い方が必ず勝つとは限らないって!」
「―――――――ッ!?」

郁未が放り投げたのは、一見何の変哲も無い『アヒル隊長』という遊具だった。
投げ飛ばされたアヒル隊長が宗一達の足元に転がると同時、郁未は弾かれたように駆け出した。

「じゃあね、生きてたらまた会いましょう!」

傍に落ちてあった綾香の鞄とS&W M1076を拾い上げ、一目散にこの場から逃げ出そうとする。

「このっ、逃がす――」

怨敵の逃亡を防ぐべく、宗一はFN Five-SeveNの照準を合わせようとした。
だが何故か、脳裏に嫌な予感が沸き上がった。
銃で狙われている時すらも凌駕する程の、圧倒的悪寒。
宗一はその理由を考える暇すら惜しみ、渚の身体を抱え上げてから全力で疾走する。

「宗一さん、いきなりどうしたんですか!?」
「何か――ヤバイッ!!」

決定的な好機を放棄してまで退避しようとする、おおよそ常人には理解出来ぬ行動。
だが宗一の取った行動は正しい――郁未が投擲したアヒル隊長には、時限式爆弾が仕込まれているのだから。
宗一達の背後で光が膨れ上がり、その直後に荒れ狂う爆風が巻き起こった。

「……うあああああっ!!」

宗一と渚は爆風の煽りを受け、ゴロゴロと地面の上を転がってゆく。
舞い上がる土煙が視界を埋め尽くし、激しい爆音が鼓膜の機能を一時的に奪い去る。
早めに察知出来た事が幸いし、大きな傷を負うのは避けられたが、すぐに行動を再開出来る程楽な状態でも無い。
地面に倒れ伏してから、数十秒。
ようやく宗一達が身体を起こした時にはもう、郁未の姿は何処にも見当たらなかった。

「クソッ、逃げられたか!」

宗一は口惜しげに舌打ちしたが、最早どうしようも無い。
郁未が何処に逃げたかも分からない以上、今から追いつくのは不可能だろう。
宗一がそう判断したのとほぼ同時に、渚が哀しげな声を上げた。

「宗一さん。わたし……霧島さんの……お墓を、作ってあげたいです」
「ああ……そうだな。俺達の……命の恩人だもんな」

墓を作るという行為は、常識的に考えれば体力の浪費としか言いようが無い。
しかしながら、宗一は迷わず首を縦に振った。
エージェントとしての判断では無く、一人の人間として判断がそうさせた。
宗一と渚は二人で協力して、佳乃の亡骸をゆっくりと運び始める。
大きな悲しみを、そして揺ぎ無い決意をその胸に抱きながら。


――仲間との連携によって、絶対的な窮地を覆した那須宗一と古河渚。
――己一人の力のみで、危機的状況から逃げ切った天沢郁未。

対照的な両者が再び出会う事があるのかどうか、それは未だ誰にも分からない。




【時間:2日目12時40分頃】
【場所:G−2】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 0/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労】
【目的:まずは佳乃の死体を埋葬する。その後どうするかは不明。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、包丁、SPAS12ショットガン0/8発、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大】
【目的:まずは佳乃の死体を埋葬する。その後どうするかは不明。最優先目標は往人、聖、渚、その他善良な人々を守る事】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(4/6)とその予備弾丸22発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)
 腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:まずはもう少し離れた場所まで逃亡する。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

霧島佳乃
【状態:死亡】

来栖川綾香
【状態:死亡、一部破損した防弾チョッキを着ている】


【備考:綾香が着ていた防弾チョッキ(一部破損)は現場に放置】
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