突きつけられた選択(U)/アンサー (1/2)




何時の間にか陽は天高くまで昇り、己が存在を誇示している。
宇宙の彼方より放たれる膨大な熱量が、大気圏を乗り越えて地上に降り注ぐ。
少々度が過ぎた熱気の所為で遅くなってしまったが、那須宗一とその仲間達は、ようやく平瀬村の前まで辿り着いていた。
早速同志を探し出すべく、霧島佳乃が村の中に足を踏み入れようとしたが、そこで宗一が片手をサッと横に突き出した。
所謂、制止のポーズだ。

「宗一くん? どうしたの?」
「二人は此処で待っててくれ。俺が先に、周囲の安全を確認してくる」

不思議そうな顔で問い掛けてきた佳乃に対し、真剣な表情で言葉を返す宗一。
それも至極当然の事だろう。
村には人が集まりやすい――言い換えれば、襲撃される危険性も高いという事なのだ。
そして万が一強力な敵に襲撃されてしまった場合、足手纏いが居ては、守りながら戦いざるを得なくなる。
ならば此処は宗一単独で動いた方が良いように思えた。

「う〜ん……そうだね、分かったよ。宗一くん、君を探索役一号に任命する!」
「でも気を付けて下さいね? 那須さんに何かあったら、わたし悲しいです」
「ああ、大丈夫さ。こういうのは慣れっ子だ」

佳乃も古河渚も、宗一が世界トップクラスのエージェントである事は聞かされている為、無理に引き止めようとはしない。
少々心配ではあるが、プロの判断を信じて素直に見送る事にした。
宗一は自信に満ち溢れた笑みを浮かべた後、FN Five-SeveN片手に独り村の奥へと歩を進めてゆく。

そして、そのまま歩き続ける事数分、宗一の嗅覚が妙なモノを捉えた。

(これはまさか……血の匂いか?)

恐らくは、間違いない。
エージェントという職業柄、凄惨な現場に立ち会う機会も頻繁にある。
そして遠くからでも嗅ぎ取れる程の臭いがするという事は、それだけ激しい戦闘があったという事だろう。
宗一は益々警戒を強め、臭いがする方へと慎重に近付いてゆく。
ある時は民家の壁に身を隠し、ある時は腰を低くした態勢で駆け、狙撃される危険性を最小に抑える。
そんな行軍の末発見したのは、無惨にも殺し尽くされた二人の死体だった。

「……っ、酷いな……」

倒れ伏す死体――北川潤と広瀬真希のもの――は両方が両方、頭部をボロボロに引き裂かれていた。
疑いようも無く、即死だっただろう。
下手に腹部などを撃ち抜かれるよりは、苦しまずに逝けた分マシと云えるかも知れない。
それでもその凄惨な死に様は、耐性の無いものが見れば吐き気を催してしまう程だった。
宗一は私情を抑え込んで、今後の戦いに必要な道具を揃えるべく、地面に落ちていたSPAS12ショットガンを拾い上げる。
調べてみれば弾切れであるようだったが、もし散弾を入手する事が出来れば、強力な広範囲攻撃が可能となるだろう。
SPAS12ショットガンを鞄に放り込み、続けて死体の片割れの肩に掛けられてある、デイパックを覗き込もうとする。
だがそこで、一際大きな銃声が宗一の鼓膜を震わせた。

「今のは……佳乃達を置いてきた方向からっ……!?」

一応佳乃にS&W M29を持たせてはいたものの、彼女達がマトモに戦闘出来るとはとても思えない。
宗一は直ちに荷物の回収を中断して、一目散に銃声のした方へと駆け出していった。



    ◇     ◇     ◇     ◇


「あ……貴女はっ……!」

銃声と共に現われた襲撃者の姿に、渚が怯えたような声を洩らす。
渚と佳乃の前方十メートル程の所に、二人の少女が屹立していた。
その片割れである見知らぬ少女――来栖川綾香は、S&W M1076の銃口をこちらへと向けている。
だが渚にとって衝撃的だったのは、綾香の登場などでは無い。
もう一人の襲撃者が、心底可笑しげな様子で口を開く。

「あら、貴女まだ生きてたんだ?」
「天沢、さん……」

記憶の奥底にまで刻み込まれた顔。
古河秋生と古河早苗を殺害した憎むべき怨敵――天沢郁未の再来。
それは渚にとっても、佳乃にとっても、余りに衝撃的過ぎるものだった。

「貴女みたいなのが、これまで生き延びれたなんて……余程運に恵まれていたのかしら」
「天沢さんは未だ……殺し合いを続けているんですか?」
「ええ、当然でしょ? この戦いは、生き残りが一人になるまで続くんだから」

問い掛ける渚に対して、郁未は何の臆面も無く答える。
郁未からすれば、この殺人遊戯に於いて殺し合いを肯定しないなど、自殺行為としか思えない。
生き残れるのは一人である以上、真の信頼関係など有り得ない。
人を信用した所で、古河早苗のように寝首を掻かれてしまうだけなのだ。
続けて郁未は何か云おうとしたが、それを遮るように綾香がずいと前に躍り出る。

「ふん、何時までも下らないお喋りしてんじゃないわよ」
「……綾香。アレについて聞くつもりなのね?」
「ええ、私が聞きたいのは一つだけ。アンタ達……『まーりゃん』という女に心当たりは無い?」

綾香の握り締めたS&W M1076は、渚達の方へと向けられたままであり、交渉の余地など残されていない事は明らかだった。
佳乃も銃を持っているものの、構える時間があるとはとても思えない。
抵抗を試みれば、若しくは素直に答えなければ、すぐさま綾香の手元より凶弾が放たれるだろう。
そう考えた佳乃と渚は、正直に首を横へと振った。

「……ううん、知らないよ」
「わたしも……知りません」

答えた言葉は、全く嘘偽りのないものだった。
二人の表情には、嘘を吐いているような様子など一切見受けられない。
両方共がまーりゃんなる人物と出会った事すら無いのだから、当然の事だ。
その様子を確認した綾香は、大きな溜息を吐いた後――凍り付いた声で、言い放った。

「そう。じゃ、もう用は無いわ――死になさい」
「え……?」

これで話は仕舞いだと云わんばかりに、綾香はあっさりとトリガーを引き絞った。
呆然とする佳乃に向けて、無常にも10mm弾が放たれる。
唸りを上げる凶弾が、そのまま佳乃を貫こうとして――そこで、場に一陣の風が吹き荒れた。

「わ、わわわっ!?」

突如腰に奔った衝撃に、突如訪れた浮遊感に、佳乃は混乱を隠し切れない。
佳乃の身体が、本人の意思とは無関係に宙を舞う。
決して逃れ得ぬ筈だった死の運命から身を躱した後、地面にそっと降ろされる。
済んでの所で現われた人物。
佳乃の腰を抱きかかえて跳躍し、運命を覆した人物は――

「やれやれ……ギリギリで間に合ったみたいだな」
「――――宗一、くん」

世界トップエージェント『Nasty boy』こと、那須宗一だった。

「佳乃、大丈夫か? 怪我は無いか?」
「……うん、平気だよ」
「そうか。なら――」

宗一は佳乃の無事を確認した後、前方の殺戮者達を思い切り睨み付けた。
郁未が殺し合いに乗っているのは周知の事実であるし、もう一人の女も佳乃を殺そうとした以上、打ち倒すべき敵であるのは明らかだ。
ならば、容赦する必要など何処にも無い。
敵が明確な殺意を以って襲い掛かってくると云うのならば、何をすべきかなど決まり切っている。

「――後はお前達を倒すだけだな」

告げられた声は、明確な敵意が籠められていた。
数々の戦場を潜り抜け、数多の強敵を打倒したトップエージェントが放つ、絶対的な威圧感。
篁や鬼の一族と云った人外連中を除けば、恐らくは世界一の威圧感。
常人ならば、それを向けられただけで竦み上がってしまうだろう。
だがその強大な威圧感を前にして尚、綾香と郁未は余裕の表情を浮かべたままだった。
見下したような目をした郁未が、悠々と口を開く。

「随分と簡単に云ってくれるわね。何、世界トップエージェントの自信ってヤツ?
 でもその割には、私が殺し合いに乗ってる事すら見抜けなかったようだけどね」
「……ああ、確かにそうさ。俺はお前や葉子が殺し合いに乗ってるって、見抜けなかったよ。
 その所為で、古河の両親が死んじまった事も認めてやる」

宗一はそう云って一瞬目線を伏せたが、すぐに顔を上げた。
頭の中に湧き上がった昏い感情を振り払い、心の奥底より叫ぶ。

「でもな――だからこそ、古河と佳乃だけは絶対に守り抜いてみせる!」

それは揺ぎ無い決心。
エージェントとしてではなく、一人の男としての決意だ。
宗一は視線を横に送り、優しい声で言葉を紡ぐ。

「古河、佳乃。お前達は、傍にある民家の塀にでも隠れといてくれ」

流れ弾が当たる危険性なども考慮し、手早く指示を出す。
もっと遠くまで逃がした方が良い、という考えも浮かんだが、すぐにそれは打ち消した。
自分は世界トップエージェントNastyboyなのだ。
たとえ敵が二人居ようとも、一分と掛からずに無力化出来る筈。
ならば下手に遠くまで移動させるよりも、近場で待機して貰っておいた方が、後々の合流が楽になって良いだろう。

「分かりました……どうかお気をつけて」
「宗一くん、頑張ってね!」

渚と佳乃は宗一の指示に従い、すぐさま後方の民家目指して駆け出した。
そして、それを綾香が黙って見過ごす筈も無い。
無防備な背中を狙い撃つべく、S&W M1076の照準を動かす。

「はん、逃がすとでも――」
「……させるかっ!」
「チィ――――!」

だが綾香がトリガーを引くよりも早く、宗一のFN Five-SeveNが火を吹いた。
必然的に綾香は回避を強要され、銃弾を放つ事無く横へと飛び退く。
それは綾香にとって、予期していた行動ではなく、あくまで緊急退避用の苦し紛れと云えるもの。
着地の際に大きくバランスを崩してしまい、一、二秒程の隙を晒してしまう羽目になる。
そして通常なら問題無いようなその隙も、相手が宗一ならば話は別だ。

「――まずは一人目だ!」

宗一は綾香の硬直を狙って、素早く銃弾を放とうとする。
使い慣れたFN Five-SeveNならば、照準を定めるのに一秒と掛からない。
しかし刹那のタイミングで、宗一の発達した第六勘が警鐘を打ち鳴らした。
脳裏に沸いた悪寒を信じて、宗一は大きくサイドステップを踏んだ。
その直後、それまで宗一が居た空間を、鋭利な刃物が切り裂いてゆく。
宗一が視線を移すと、そこには鉈を構えた郁未が立っていた。

「さあ、Nasty boyの実力とやらを見せて貰うわよ?」
「ク――天沢郁未っ……!」

下がる宗一の懐に、驚くべき速度で郁未が潜り込む。
ほんの瞬きの間程に、二度に渡る剣戟が繰り出される。
宗一は上半身を横に傾ける事で一撃目を回避し、続く二撃目をFN Five-SeveNの銃身で受け止めた。
一瞬の鍔迫り合いの後、宗一は間合いを取るべく後退しようとするが、そこに郁未が追い縋る。

「――逃がさないわよ。贓物を思い切りブチ撒けなさい!」
「く――は――このっ……!」

至近距離で矢継ぎ早に振るわれる鉈を、紙一重のタイミングで躱し続ける。
郁未が先手を取り続け、宗一には中々反撃の機会が訪れない。
銃は確かに強力な武器だが、どれだけの熟練者が扱おうとも、発射までには時間が掛かる。
照準を定めて、そしてトリガーを絞るという、二動作が必要なのだ。
それに対して、郁未の鉈は射程こそ短いものの、複雑な動作など必要としない。
近距離まで詰め寄ってしまえば、後は無造作に振るうだけで事足りるのだ。
それでも宗一本来の実力ならば、そして相手が只の女ならば、その程度の不利は跳ね返せる筈だったのだが。

(これがクラスAの能力者か……このスピード、隊長と大差無いじゃねえか!
 それに、何か身体の調子がおかしい……?)

相手はFARGOが生み出したる異能者、天沢郁未。
エージェントである宗一すらもその全貌は知り得なかったが、実際戦ってみると、予想以上の実力を持っている事が分かった。
太刀筋こそ未だ拙いものの、その速度、その迫力は、そこらの傭兵などとは比べ物にならない。
そして、それよりも更に不味いのが、先程から身体の反応が鈍い事だ。
何時もなら余裕を持って躱せる筈の一撃が、髪の毛を、服の先端を掠めてゆく。
それは、主催者の施した『制限』が原因なのだが――この島で碌に戦う機会が無かった宗一が、その事実に気付ける筈も無い。
だが宗一とて数々の修羅場を体験している以上、冷静さを失ったりはしない。

(落ち着け――任務中にはこれくらいのピンチ、幾らでもあったじゃないか。
 諦めずに打開策を見つけ出すんだ、Nasty boy!)

身体能力で圧倒出来ぬのなら、数々の経験によって培われた判断能力に頼るだけだ。
喉を裂きに来る剣戟を銃身で弾きながら、肩を砕きに来る一撃をステップで躱しながら、落ち着いて思案を巡らせる。
そして――

「ちょこまかと……鬱陶しい!」

なかなか決しない勝負に業を煮やした郁未が、鉈を天高く振り上げる。
宗一はそれを銃身で受け止めようともせず、身を躱そうともせず、唯只立ち尽くす。
そうだ――近距離の戦いを強要されている以上、銃を撃てる機会など無い。
ならば、この状況を打開し得る手段は一つ。

「――どうせ撃つ暇が無いんなら、こんなモノいらねえ!」
「な――――!?」

郁未の表情が、驚愕に大きく歪む。
宗一は貴重な銃火器であるFN Five-SeveNを投げ捨てて、所謂徒手空拳の状態となったのだ。
世界トップエージェントは銃に頼り切るような小心者じゃない。
鍛え抜かれた肉体を生かした高速の肉弾戦こそが、Nastyboyの真骨頂……!

次の瞬間、郁未の腹部に奔る強烈な衝撃。

「ガアアアッ…………!」

鉈を振り下ろされるよりも早く、宗一の放った凄まじい右ストレートが、郁未の腹部へと突き刺さっていた。
一瞬にして、攻める者と守る者の立場が逆転する。
たたらを踏んで後退する郁未に、世界最強のエージェントが追い縋る。
郁未が苦し紛れに放った横薙ぎの一撃を、宗一は上半身を沈める事で空転させる。
続いて、がら空きとなった郁未の顎に向けてアッパーを繰り出した。

「フ――――!」
「ア……くああぁぁ…………!!」

勝負を決め得る一撃は郁未の左腕によって防がれたが、その程度で衝撃全てを殺せる筈も無い。
郁未の表情が苦痛に大きく歪む。
続けて宗一は小刻みに左のジャブを連発する。
それは勝負を決める為ではなく、あくまで速度を重視した牽制用の連撃だ。
繰り出した拳は間一髪の所で避けられたものの、郁未から反撃の時間を奪い去るという目的は果たした。
そして、宗一の狙いはもう一つあった。

「――足元ががら空きだぜっ!!」
「――――あぐっ!?」

先程までの宗一の攻撃は、殆どが上半身を狙っていた為に、郁未の意識は上に集中していた。
そこで宗一は頃合を見計らって、防御が手薄となった郁未の左足にローキックを叩き込んだのだ。
予期せぬ衝撃に郁未の体勢が大きく崩れ、完全に無防備な状態となる。
今度こそ勝負を決すべく、宗一は拳で郁未の顎を打ち抜こうとして――

「きゃああああぁぁぁっ!」
「――――!?」

突如聞こえてきた悲鳴に、思わず振り向いてしまう。
そこで宗一の瞳に映ったのは、綾香に捕らえられている渚の姿だった。
残る佳乃も腹部を強打されたらしく、銃を取り落として地面に倒れ込んでいる。

綾香は渚の頭部にS&W M1076を突き付けながら、何処までも愉しげに口を開いた。

「ほら、お遊びの時間は此処までよ。これ以上抵抗すればどうなるか……云わなくても分かるわよね?」
「糞っ、しまった……!」

目の前で繰り広げられる現実に、宗一はぎりぎりと奥歯を噛み締めた。
甘かった。
もっとあらゆる事態を想定して、判断を下すべきだった。
天沢郁未との戦いに於いて、綾香は一度も攻撃を仕掛けて来なかった。
それは、銃火器を用いてしまえば郁未も巻き込みかねないからだ、と思っていたのだが。

「宗一くん、ごめんね……。あたし、すぐやられちゃったよ……」
「那須さん、わたしに構わず戦って下さい!」

人質に取られたままの渚が、地面に蹲ったままの佳乃が言葉を送って来たが、宗一は無言で首を横に振った。
悪いのは、自分だ。
もっと深く考えれば分かった筈である。
全日本女子エクストリームチャンピンオンである来栖川綾香については、当然宗一も知っている。
己の拳一つで頂点を掴み取った女。
それだけの格闘能力を持った人間が、ただ手を拱いているなど、有り得ない話なのだ。
ならば何故襲って来なかったのか――答えは一つ。
綾香は宗一との戦いを放置して、渚と佳乃を人質にするべく動いていたのだろう。

何から何まで見通しが甘かった。
そもそも戦闘が始まる前に、敵を瞬殺出来ると決め付けていたのが、一番の間違いだった。
――全日本女子エクストリームチャンピオン、来栖川綾香。
――クラスAの能力者、天沢郁未。
彼女達は戦場用の訓練を受けている訳では無いが、警戒に値する肩書きを持ち合わせている。
ならば、もっと慎重に対応すべきだった。
敵がプロの軍人でなかろうとも、その実力を過小評価せずに、佳乃達を遠くまで逃がしておけば今の事態は避けられた。
古河親子を殺された時と同様、自分はまたも取り返しの付かぬ失敗を犯してしまったのだ。

郁未が不思議そうな表情をしたまま、動くに動けなくなった宗一を眺め見る。

「あら、もう終わり? 抵抗しないの?」
「出来る訳……ねえじゃねえか……」

疑問に対し返ってきた答えは、酷く弱々しい声だった。
郁未は一瞬目をパチクリとまばたきさせたが、すぐに歪んだ笑みを浮かべ、宗一に歩み寄った。
おもむろに大きく足を振り上げてから、吐き捨てる。

「フフ、確かに貴方は強い。でもね――」
「――うごッ! が……うぐっ……ぐあぁぁ……!」

郁未は何ら躊躇する事無く、宗一の腹部を思い切り蹴り飛ばした。
三発、四発と連続してその行動を繰り返すと、耐え切れなくなった宗一が地面に倒れ込んだ。

「アハハハハハハッ、貴方馬鹿でしょ!? 足手纏いを庇って殺されるなんて、只の犬死にじゃない!」

耳障りな哄笑を洩らしながら、郁未は天高く鉈を振り上げた。
慌てて渚が飛び出そうとしたが、綾香に抑え付けられている所為でそれは叶わない。
宗一も自分が動けばどうなるか分かっている為、逃げようとはしない。

「さよなら、那須宗一。何も成せないまま、蟻のように無意味に死んでいきなさい!」

その言葉と共に、凄まじい勢いで鉈が振り下ろされた。
逃れ得ぬ死の運命が、Nastyboyに降り掛かる。
そこで、誰かの叫び声、駆ける足音。

「……駄目ぇぇぇぇぇぇぇっ!!」


そして――紅い鮮血が舞った。


「え…………?」


驚きの声は、この場に居る全員のものだ。
渚も、綾香も、郁未も、死に逝く運命にあった筈の宗一さえもが、呆然と目を見開いていた。
済んでの所で佳乃が飛び出してきて、宗一の代わりに鉈の犠牲となったのだ。
余りにも唐突な事態に、全員の思考が一時的に停止する。

それでも――それでも、宗一だけは即座に行動を起こした。
幼き頃より積み重ねた訓練のお陰で、身体だけは自然に動いた。

全員の意識が佳乃に集中している今こそが、唯一にして最大の好機。
宗一は地面に落ちていたFN Five-SeveNを拾い上げ、ほんの一息の内に構えた。
綾香がそれに気付いたのとほぼ同時、思い切りトリガーを引き絞る。
放たれた銃弾は狙い通りの位置へと飛んでゆき、綾香のS&W M1076を弾き飛ばしていた。
とは云え、未だ渚は拘束されているのだから、これ以上銃を用いるのは危険だろう。
宗一はすぐさま大地を蹴り飛ばして、綾香の懐にまで踏み込む。
そのまま突進による推進力も、不甲斐ない自分への怒りも上乗せして、恐るべき左ストレートを放った。

「――ウオオオォォォォォ!!」
「…………ちっ、この……!」

堪らず綾香は渚の拘束を解除して、自身の身を守る事に専念する。
綾香の顔面に向けて繰り出された拳。
それは今まで綾香が戦ったどんな相手の攻撃よりも、速く重いものだった。
ルールに守られた環境下で放たれる拳などとは、比べ物にもならない。

「ぐぅぅぅっ!?」

宗一の放った一撃は、綾香がガードに用いた両腕へと突き刺さった。
圧倒的な破壊力により、無理やり綾香の身体を後方へと弾き飛ばす。
その直後、宗一は渚を抱かかえて後ろに跳ね飛び、両者の間合いはあっと言う間に10メートル程まで広がった。
人質の救出に成功した宗一は、ようやく佳乃の状態を確認しようとし――そして、見てしまった。

「か、の…………?」

宗一の喉奥から、酷く弱々しい声が漏れ出る。
眼前の光景が上手く理解出来ない
佳乃の斬り裂かれた腹部を染め尽くす、真っ赤な血。
一目で致命傷と分かってしまう程の、余りにも深過ぎる傷口。

――此度の苦戦は、全て自分に責がある。
自分は大きな失敗を犯してしまった。
自身の力を過信し、敵の実力を過小評価し、結果佳乃達を人質に取られてしまったのだ。
ならば此処で命を落とすべきは、自分を置いて他にはいない筈だった。

だというのに。
どうして佳乃が犠牲になったのだ。
どうして佳乃が、犠牲にならなくてはいけないのだ。。
頭の中が後悔と疑問で埋め尽くされ、他には何も考えられない。
そこで宗一の背後に迫る、一つの影。

「隙だらけよ――今度こそ死になさい!」

今が好機と云わんばかりに、郁未が宗一の背中へと斬り掛かる。
必殺を期したその攻撃は、決して生温いものなどでは無い。
だが宗一は背後へ振り向こうともしないまま、後ろ手で郁未の腕を受け止めた。
そのまま無造作に、郁未を綾香の方へと放り投げる。

「……チッ、しっかりしなさいよ」

悪態を吐きながらも、綾香が郁未の身体を受け止める。
それは十分な隙だったが、宗一は敢えて直ぐに追撃を仕掛けない。
只唯その場に立ち尽くしたまま――自分の中で、一つの感情が膨張していくのを感じていた。
殆ど無意識に、口が動いた。

「殺して、やる……」

紡がれるは呪詛の言葉。

「よくも早苗さんを……よくも佳乃を……。皆……皆良いヤツだったのに……!」

古河早苗は死んだ――その優しさを、最悪の形で裏切られて。
霧島佳乃も、間も無く息絶えるだろう――不甲斐ない自分の、そして眼前の悪魔達の所為で。
殺される謂れなど何も無い、善良な者達だったのに、死んでゆく。

「絶対に許さねえ! お前ら全員、俺がブッ殺してやるっ!!」

瞬間、宗一から放たれる殺気が大きく膨れ上がった。
そう、それは正しく殺気。
混じり気の無い、極めて濃い純度の殺意。
危険な任務中に於いてでさえ、可能な限り相手を殺すまいとしていた宗一が、此処に来て初めて修羅と化した。
宗一が放ったドス黒い殺意は、周囲の空気を一瞬にして凍り付かせ、綾香と郁未の警戒心を最大限まで引き上げる。

「郁未、此処は……」
「……分かってる!」

綾香と郁未の間には信頼関係など築かれていないし、お互いを庇い合うつもりなどない。
だからこそ、これまでは各々が好き勝手に動いていたのだが、今回ばかりはそうも云っていられない。
目の前の敵は、二人で協力し合わなければ対抗し得ない存在だろう。
綾香はS&W M1076を拾い上げ、郁未は鉈を構え、二人同時に駆け出した。


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