深淵に秘めたる想い (2/2)




「――危ない所でしたね」
「ええ。本当にね……」
工場内部に二人の女の声がする。
一人は有紀寧、そしてもう一人は――敬介に決死の攻撃を仕掛けられた筈の、リサだった。
リサは背中を冷や汗でびっしょりと濡らしながら、後頭部を砕かれた敬介の死体を眺め下ろしていた。
あの時、間違いなく自分は死にゆく運命にあった。
その運命を捻じ曲げたのは、ライターの側面に見える、小さな罅だろう。
その罅が自分達との戦いの時に生成されたものか、それより以前からのものかは分からないが――ともかくそれが原因で、ライターより燃料が漏れ出たのだろう。
敬介のライターには十分な燃料が無く、火を巻き起こす事が出来なかった。
結果として、ライターのスイッチを入れても何も起こらず、唸りを上げるトンファーが敬介の頭部を破壊したのだ。


リサが頬に付着した汗を拭い取り、ゆっくりと口を開いた。
「有紀寧。貴方は岡崎を連れて、佐祐理達を殺してきなさい」
それを聞いた有紀寧は、訝しむような表情となった。
相手は怪我人だらけな上に、工場内の戦いなら電動釘打ち機を持つ自分が相当有利なのだから、追撃する事自体に文句は無い。
しかしリサの口ぶりに少し違和感を覚え、有紀寧は問い掛けた。
「……それは構いませんが、リサさんはどうなさるおつもりで?」
「私は此処に残るわ――彼と決着をつけなければならないようだから」
リサが首を回した先、工場の正面入り口。有紀寧はその空間を眺め見る。
「……成る程、そういう事ですか」
そこには、白いカッターシャツで長身の体躯を包み、眼鏡の下には紅蓮の炎を宿した眼を持つ男。
『鬼の力』を持つ、正真正銘の人外――柳川祐也が立っていた。

「――岡崎さん、行きますよ。私達は逃げた人達の方を追い掛けましょう」
素早く朋也に命令を下すと、有紀寧は留美達が走り去った方向へ駆け出した。
柳川の姿を確認した有紀寧の心に湧き上がったのは、恐怖や焦りなどではなく、声を張り上げたくなる程の喜びだった。
有紀寧が策を弄するまでも無く、柳川とリサの対決は実現した。
自分と朋也が死に損ないの始末をしてる間に、怪物共は二人で勝手に潰し合ってくれる。
どちらが生き残るにせよ、勝った方もとても無事では済まない筈。
おまけに電動釘打ち機とガソリンにより、自分だけが飛び道具を使用出来るという圧倒的な優位性まである。
怪物狩りにはこれ以上ないくらいの、好条件だった。
自分はまず死に損ないの一般人達を悠々と始末し、それから駆けつけてくる手負いの獣を狩れば良いのだ。

有紀寧は走りながらも、口元に浮かぶ笑みを押さえ切れなかった。

   *     *     *    *     *     *

有紀寧が走り去った後の作業場で、柳川とリサは正面から向かい合っていた。
「貴様――倉田達を襲っていたのか」
「ええ、そうよ。たっぷりと痛め付けておいたから、もう少しすれば有紀寧達に追いつかれて、殺されてしまうでしょうね」
リサが無表情で告げると、柳川は鞘より日本刀を抜き出した。
「そうか。ならば早く貴様を殺して、助けに行かねばならんな」
「それは無理ね。貴方も此処で死ぬのよ、柳川」
お互いに、負けるなどとは微塵も思っていないような口振りを見せる。
「ふん……この臭い、ガソリンだろう。銃器の使えぬこの場所でなら、前のようにはいかんぞ」
柳川からすれば、不慣れな機関銃での戦いを避けられるこの場所は、最高の戦場だった。
「それはどうかしらね? 案外前より酷い結果になるかも知れないわよ」
リサからすれば、たとえ異能の力を持っていようとも、戦闘のプロで無い人間などいくらでも倒しようがある。

柳川が、怒りを押し殺した声で言った。
「殺す前に聞いておこう。貴様――何故、ゲームに乗った? 同じ志を抱いていた筈の貴様が、一体何故……!」
「――何故、ですって?」
リサは一瞬どうするか迷ったが――素直に本当の理由を話す事にした。
理論や理屈による判断ではない。この男相手には、話さなければならない気がしたのだ。
「簡単な事。ここで主催者を敵に回しても犬死するだけ……。私は優勝して、褒美で仲間を蘇らせなければいけないのよ」
「褒美、だと……? 下らん。まさか貴様があのような虚言に騙されるとは思わなかったぞ」
「下らない、ね。貴方にとってはそうかも知れない。だけど私にとって、宗一や栞、それに栞の大切な人達を生き返らせるのはとても大切な事だわ。
 それに今反旗を翻した所で勝算はゼロよ。だったら、褒美の話がブラフで無い可能性に賭けた方が良い。
 褒美が本当なら宗一やエディを生き返らせる事が出来る。そうすれば主催者だって、十分倒せるもの」
今は亡き那須宗一とエディ。
彼らは間違いなく世界最高のコンビであり、数々の不可能を可能にしてきた猛者中の猛者。
そしてリサと非常に親しい間柄にあるアメリカ大統領、アレキサンダー=D=グロリア。
彼らの力を借りれば、主催者がどれ程強大な存在だったとしても十二分に対抗出来る筈。
そう、十分な勝算を以って、主催者に決戦を挑める筈。
だからこそ、リサにとっては優勝する事こそが最優先事項なのだ。
勿論優勝したって殺されてしまう可能性はあるし、無事に帰らせてもらえる保障など何処にも存在しないだろう。
それでも今主催者に決戦を挑むより、優勝を目指した方が勝算は遥かに高くなる。
宗一の、栞の、命を背負っている自分は、絶対に勝ち残って目的を成し遂げねばならないのだ。

「……それが理由か。その為に貴様は、罪の無い人間をその手にかけるというのだな」
「そうよ。だけどそんなの今に始まった事じゃない……私は昔からずっと人を殺し続けてきたわ。任務の為に、正義の為に、目的の為に、何人も何人も。
 私の前に立った人間は容赦無く屠ってきた……その中にはきっと罪の無い人間も少しは混じっていたでしょうね」
柳川は黙したまま、複雑な表情でリサを眺め見る。
鬼に操られての事とはいえ、人を殺し続けてきたのは柳川も同じだった。
「だって仕方ないでしょう? そうしないともっと多くの人が、苦しむ事になったんだから。今回だってそうよ。
 このゲームの主催者を放っておけば、いずれもっと多くの人間が犠牲になる。ここは泥を被ってでも生き延びて、体勢を整えてから反撃するべきよ」

――それがリサの選んだ道、そしてこれまで歩んできた彼女の人生そのものだった。
悪を滅して、罪の無い人々を救う。己の心を凍らせてでも、巨大な悪への復讐を果たす。
その為に何か代償が必要ならば、支払うだけだ。たとえその結果、自分の手を汚す事になっても。
篁の悪事に加担した事だってある。雌狐は、今更躊躇いなどしない。

しかし、柳川はリサの言葉を認める気にはならなかった。
眉を鋭く吊り上げ、強い怒りを籠めて言葉を紡ぐ。
「……貴様は間違っている。正義を語るのならば、この島にいる人間も救ってみせろ。
 多勢の為に少数を見捨てるというのなら、貴様は正義などでは無い……ただのエゴイストだ」
柳川の言葉を受け、元より氷の仮面を纏っていたリサの顔が、より一層凍りついた。
「愚かな人ね。実現しようが無い夢を追いかけるのは、子供だけ。そう、私がエゴイストなら、貴方はただの子供よ。
 もう御託は要らないし、時間も勿体無いわ――決着をつけましょう」
言い終わるとリサは、一対のトンファーを構えた。
リサの瞳が、獲物を射抜くソレへと変貌してゆく。
応じて、柳川も日本刀を構えた。
息苦しいまでの圧迫感が、周囲の空気を支配する。
二人の間を灼けつくような、或いは凍りつくような、人智を超えた殺気が飛び交ってゆく。

直後、辺りに旋風が吹き荒れた。
同時に踏み込んだ二人の距離が、一瞬にして無になる。
まずは柳川の攻撃が嵐の如き勢いで繰り出されたが、それは一対のトンファーによって悉く弾き飛ばされる。
続いて放たれたリサの連撃に、柳川は戦いの最中にも拘らず見惚れそうになってしまった。
一発、二発、三発、四発――次々と迫る烈風に、柳川は守勢を強いられる。
リサの流れるような華麗な動きから放たれる攻撃には、全くと言って良い程無駄が無い。
リサの膂力は、通常の成人男性を遥かに上回ってはいるが、柳川と比べれば女のソレに過ぎぬ。
しかし速い――余りにも速過ぎる。
その動きは人間の常識を超えており、制限付きとは言え鬼の力を有している柳川すらも凌駕していた。
更に悪い事には、得物の差だ。
幾らでも他の武器を得る機会はあっただろうに、何故わざわざリサが、殺傷力に劣るトンファーを選んだのか。
その理由を柳川は、自身の身を以って思い知らされていた。
刀の方がリーチと殺傷力には優れるが、トンファーは小回りが効く上に一対の武器である。
故に柳川が一の攻撃を放つ間に、リサは悠々と二発の攻撃を繰り出せる。
他の武器を用いる必要など無い――こと近接戦に限っては、この武器こそがリサのスピードを最大限に活かせるのだ。

常に先手を取られる形となり、柳川は一発一発の攻撃を十分な予備動作を伴って放つ事が出来ない。
閃光のようなリサの連撃に対抗しようとすると、攻撃は全ては半端なものとなってしまう。
衝突を重ねる度に受けきれなかったトンファーが迫り、身を捻って躱そうとしても、避けきれない。
「くぁ……!」
一発、二発と柳川の身体に硬いトンファーが打ち込まれる。
内臓にまで響く衝撃に、柳川は呻き声を上げた。
急所は避け衝撃もある程度は逃している為、それは致命傷と成り得ないが、軽視出来るような甘い代物ではない。
雪崩のようなリサの連撃は確実に柳川の身体を傷付け、その機能を低下させてゆく。
「……まだだ!」
柳川は痛みを堪えて、大きく日本刀を振り上げた。
両の腕にこれ以上無いくらい力を込めて、速さを放棄し一撃の重さに賭ける。
例えその動作中に攻撃を受けようとも、敵の命を絶てさえすれば良い。
衝撃波を巻き起こし、空気を切り裂きながら、リサの肩口へと迫る日本刀。
それは刀の強度を度外視すれば、岩をも砕きかねない剣戟だった。
しかし――
柳川の手に、十分な反動が伝わってこない。
「ば……馬鹿なっ……」
渾身の一撃を簡単に、受けられた――否、受け流された。
リサはトンファーを斜めに構えて、刀の軌道を変える事により衝撃を逃していたのだ。

至近距離で顔を突き合わせながら、リサが余裕の笑みを浮かべる。
それとは正反対に、柳川の顔は焦りの色に染まっていた。
「白兵戦なら勝てるとでも思ったの? お生憎様、私はありとあらゆる状況に対応出来なければ生きていけない世界の人間なのよ」
「チッ……」
単純な身体能力だけ見れば、柳川に分があるかも知れない。
しかし戦いは、一方的にリサが押していた。
片や平和な島国の一刑事。
片や世界最強の軍隊を誇る米国において、なお頂点に君臨する最強の雌狐。
無駄が多い柳川の攻撃に対して、リサの攻撃は最小限の動作で正確に急所目掛けて放たれる。
生まれ持った物だけでは埋めきれない技術差が、二人の間には存在していた。
リサが両の手に堅持したトンファーを、同時に振り回す。狙いは柳川の右脇腹と左肩だった。
一本しか無い刀で、二条の閃光を全て防ぎ切るのは困難を極める。
柳川は刀を斜め上に薙ぎ払い、続いて身体を斜め後ろへと逸らす。
「――――っ……」
上から迫る一撃は食い止めたものの、脇腹への攻撃は避け切れない。身を捻って、衝撃を緩和する程度が限界だ。
痺れるような激痛、体の内側が破壊される感覚。柳川が苦悶に顔を歪める。
動きが鈍ったその隙を、リサが見逃すなどあり得ない。
ここで必要なのは大振りよりも、確実な攻撃――速さのみに重点を置き、トンファーを奔らせる。
連続して旋風が巻き起こり、その内の一つがまたも柳川の腹を掠めた。

「があっ……!」
度重なる衝撃に堪りかねた柳川が、跳ねるように後退する。
その最中、思った。
(駄目だ――正面勝負ではこの女に勝てない!)
激しい斬り結びを経て、柳川はその事実を認めざるを得なくなっていた。
スピード勝負では、はっきり言ってお話にならない。自分の動作はリサに比べて、無駄が多過ぎるのだ。
パワー勝負も試みたが駄目だった。恐らく何度やっても、さっきと同じように受け流されてしまうだけだろう。
ならばもう、小細工を弄すしかない。
そして幸いにも、その為の策は既に準備してある。
自分が唯一リサに勝っているのは、鬼の力による膂力だ。
先程までは両腕で日本刀を握り締めていたが、右腕だけで持ったとしても力負けはしない筈。
ならば――柳川は左手をぱっと離し、残る右手だけでしっかりと日本刀を握り締めた。
それを見て取ったリサが、訝しげな表情となる。
「それは何のつもり? 両腕を使っても勝てない癖に、その上手加減をしてくれるのかしら?」
「ふん、ほざいてろ。非力な貴様如き、片腕でもお釣りが来るというものだ」
「そう。それじゃ、その自信の所以を見せてもらいましょうか」
「――良いだろう!」
柳川が上体を折り畳むようにして体勢を低く保ち、そのまま猛然と前方へ駆ける。
疾風と化した柳川は一瞬のうちに間合いを詰め、リサの足元まで潜り込んでいた。
「シッ!」
密着に近い状態から、頭上に見えるリサの首へと狙いを定め、斜め上方の軌道で日本刀を振るう。
当然そのまま切り裂かれるのをリサが許容する筈も無く、柳川の攻撃はトンファーによって遮られた。
超近距離戦でならば、小回りの効くトンファーの方が圧倒的に有利に決まっている。
それを思い知らせるべく、リサは刀の動きをトンファーで封じ込めたまま、もう片方のトンファーを柳川の顔面へと振り下ろす。
だが柳川は顔をリサの方へと向け――笑った。

「――かかったな」
日本刀を右腕だけで振るうという事は、左腕は自由に使える状態であるという事。
柳川は自由になった左腕の前腕部を盾にして、迫るトンファーを受け止めていた。
敵の攻撃が振り切られる前に止めたのである程度威力は抑えられたが、それでも生身で防ぐのは無理がある。
「…………っ!」
激痛が頭脳に伝達されるが、しかし気になどしていられない。
何しろ勝利の好機は、今を置いて他には無いのだから。
柳川は左手に握り締めた青矢――先の突撃の際に取り出しておいた物を、リサの両目を割く軌道で横薙ぎに振るう。
「――くぅぅっ!」
リサが超人的な反応で上体を逸らし、辛うじて視界を潰される危険より逃れる。
だがその刹那、柳川は握り込んだ手をぱっと開いた。
縛めを失った青矢は勢いに任せて宙を突き進み、リサの頬を軽く切り裂く。
(――勝った!)
柳川は勝利を確信していた。
リサに与えた傷は、本来ならば戦闘に影響など無いものだっただろう。
だが青矢には麻酔薬が塗ってあり、しかも佐祐理の話によれば相当強力な即効性の筈。
程無くしてリサは倒れるか、或いは大きく動きが鈍るに違いない。
自分は佐祐理達の後を追わなければならないのだから、決着は早いに越した事は無い。
柳川は決戦に終止符を打つ一撃を叩き込むべく、日本刀を全身全霊の力で振り下ろした。

「何だと!?」
そこで柳川の胸を、驚愕をよぎった。
柳川の剛剣が目標に達する寸前で、リサが横方向に軽やかなステップを踏んだのだ。
リサは迫る一撃からあっさりと身を躱すと、そのまま腰を大きく捻らせて鋭い回転蹴りを放ってきた。
柳川は慌てて後ろへ跳ねようとしたが、間に合わない。
半ば弾き飛ばされる形で後退し、苦しげな表情で蹴られた腹部を押さえた。
(……どういう事だ? 俺はあの女の身体に、間違いなく青矢を掠らせた筈だ)
どうして敵が何事も無かったかのように反撃に移れたのか、まるで理解出来なかった。
その疑問を見透かしたかのように、リサが口元を吊り上げる。
それから腰に手を当てて、余裕の表情で口を開いた。
「その矢は確か、麻酔薬が塗ってるのよね? でも悪いけど私にそういった類の薬は一切効かないわ。
 職業柄――そういう身体なのよ、私」
それで柳川は全てを理解した。この女の素性は知らないが、軍の関係者なのは間違いない。
そして、そういった裏の世界で生きる人間ならば、薬への耐性をつける訓練ないしは実験をしていても可笑しくは無いのだ。

「クッ……!」
柳川は一旦仕切り直すべく、大きく後ろへ飛んだ。
身体の節々に走る痛み、乱れる呼吸。
左腕は一度攻撃を受けたものの、まだ動く。骨に罅が入っているかも知れないが、まだ動く。
しかし先程の不意を突く回し蹴りは不味かった――恐らく、腹部の骨が一本、折れている。
救いは日本刀がよほど出来が良い品なのか、未だに罅一つ入っていない事だけだった。
「グ……ハァ……ハァ…………」
外部だけでなく、内臓にもダメージを受けている所為で、時折喉の奥から血が溢れそうになる。
「苦しそうね。眼は闘志を失っていないようだけど、身体の方はそろそろ限界かしら?」
悠々と話すリサの身体は、戦いが始まる前の姿と見比べてもなんら遜色は無い。
手にしたトンファーも表面こそ木製である為にボロボロとなっているが、中に仕込まれた頑強な鉄芯は健在だった。
「貴様、本当に人間か……!」
「ええ、生物学的にはその筈よ。けれどね、とっくの昔に私は人間なんて捨ててるわ。
 ある時は狡猾な雌狐として、ある時は獰猛な兵士として目的を果たす、ただの兵器よ」
リサは冷たい声でそう言うと、地面を大きく蹴った。
金色の髪が翻り、影が柳川の下へ迫り来る。

「チィ――ッ!」
柳川が苦し紛れに日本刀を何度も振るう。
リサはそれを難なく掻い潜って、柳川の眼前まで肉薄した。
超至近距離で柳川の目を睨みつけながら、鬼気迫る形相で口を開く。
「これが貴方の実力よ。私一人に勝てない男が主催者を倒すなんて、妄言もいい加減にしなさい!」
叫びと同時に、トンファーが振り下ろされる。
それはこれまでとは違い、疾さを感じさせぬ強引な一撃だった。
しかし、重い――どうにか受け止めはしたが、刃伝いに凄まじい衝撃が伝わる。
「理想を追い続けた所で、何にもならない……貴方は偽善者に過ぎない! 理想を追った所為で悪を倒せなければ、誰も救えないじゃない!」
リサが再び、大きくトンファーを振り上げた。
己の中に蓄積した鬱憤を込めて、何度も何度もそれを叩きつける。
柳川の刀を持つ腕がガクガクと震える。
次第に痺れるような感覚が両腕を襲い始める。
「貴方は冷徹なフリをしてるけど、本当はとても甘くて弱い人! 足手纏いに過ぎない佐祐理をいつまでも連れていたのが、その証拠よ!
 でも私は違う。何を犠牲にしてでも、絶対に悪を滅す……それが私の生き方なのよ!」
爆撃のようにすら感じられるリサの攻撃。
リサの攻撃が柳川の体と精神を、次々と蝕んでゆく。
身体の節々から伝わる激痛が、歪む視界が、限界を報せる。
「主催者打倒の為に人を殺さなければいけないなら! 私は敢えてその道を突き進む! それこそが真の正義!」
間断無く豪快な金属音が工場内に響き渡り続ける。
柳川の膝が、ガクガクと力無く揺れる。繰り返し打ち込まれる、強固な意志。
宗一を死なせてしまったという後悔と、ゲームの勝利を栞に託されたという責任感が、リサに後戻りを許さない。

「ヤッ――!」
リサが大きく叫んで踏み込んだ。これまで見せた中でも一番の、異常なまでの速度。
その手に握り締められた、二つの凶器。
殆ど同時のタイミングで、天より二つの流星が落とされる。
柳川はそれを受け止めようとして――
「――――ッ!?」
上段への攻撃はフェイク。トンファーは柳川の目前で止まっていた。
意識が上に行っていた柳川の鳩尾に、渾身の蹴りが突き刺さる。
数々の屈強な軍人を沈めて来た、高速ワンツーから蹴撃に繋げるコンビネーション、それを応用した必殺の一撃だった。
警戒し受身を取っている状態で攻撃を受けるのと、全くの無防備で受けるのではまるでダメージが違う。
「が――はっ……!」
柳川の身体が放物線を描き、後方に勢いよく弾き飛ばされる。そのまま彼は、背中から地面に叩きつけられた。
倒れこんだまま咳き込んだ柳川の息には、赤い鮮血が混じっていた。

「終わりね……でも安心なさい。主催者はいずれ、私が倒してみせるわ」
リサはすぐに追撃を仕掛けようとはせず、祈るように軽く目を閉じた。
これで勝敗は決したと、そう思ったから。
もう相手は起き上がれないだろう――後は落ち着いてトドメを刺すだけだ。
それ程改心の手ごたえであり、絶対の自信があった。

     *     *     *

意識が薄れてゆく。もう体が、言う事を聞かない。
俺は……負けたのか。まさかこの世に、鬼の一族を凌駕する者がいるとは思わなかった。
リサ=ヴィクセンは、信じ難い強さだ。
口惜しいが、制限されている鬼の力ではとても敵わない。
それに、リサの言い分の方が正しいかも知れない。
たとえこの島で正義を振りかざして戦い続けた所で、最後には主催者との対決が待っている。
あのリサですら、対決を避けた程の相手。
リサを、俺を、柏木家の人間を、一夜にして拉致してみせた怪物。
想像を絶する程の存在が、このゲームの裏には隠されているのだろう。
そんな存在を相手にして、一体どれだけの勝ち目があると言うのだろうか。
……少なくとも、主催者打倒を掲げておきながら、人の感情を捨て切れていない俺では勝てぬだろう。
そうだ、ここで勝ったとしても、俺を待つのは死のみなのだ。
しかしリサならきっと、何時の日か主催者に手痛い反撃を食らわせてくれる気がする。
なら、もう良いんじゃないか……。
俺の目標を、”主催者を倒す”という事を、自分より上手くやってくれる人間がここにいるのだ。
この状況で立ち上がる意味が、どれ程あるというのだろう。
もう、俺は――

だが、そこで俺の脳裏に映像が次々と浮かんだ。

――彼女は戦っていた。唯の女子高生に過ぎぬ身で、鬼の血を引く柏木梓から俺を庇っていた。
無謀にも思えるその行為のおかげで、俺は救われた。

――彼女は泣いていた。二度と動かぬ親友の亡骸を抱えて、まるでこの世の終わりが来たかのように泣いていた。
俺は助けられなかった。彼女の親友を守ってやれなかった。

――彼女は笑っていた。俺などより遥かに重い悲しみを抱えている筈なのに、それでも笑い続けようとしていた。
それは優しい、しかしとても悲しい笑顔だった。何時の日か、彼女が本当の意味で笑えるようにしてやりたい。

彼女は言った。『これからも、ずっと……よろしくお願いしますね』と。
それは何よりも優先しなければならない約束だ。主催者の打倒よりも、大事な約束だ。
そうだ――人の感情を捨てる必要など無い。
リサがこれまでどんな道を歩んできていたとしても、最終的には主催者を打倒するつもりであろうとも、関係無い。
リサに目的があるように、俺にだって絶対に譲れない目的がある。

刑事の役目?主催者の打倒?最早そのような物はどうでも良い。
俺は貴之を守れなかった。楓を守れなかった。
だが今度こそ、何としてでも倉田だけは守り抜いてみせる。
倉田を元の世界へ帰して、彼女の幸せを取り戻してみせる。
それを成し遂げるにはこの女に……リサ=ヴィクセンに、勝たねばならない。
あの柏木耕一すらも上回る強さの、怪物に。
しかし俺は、圧倒的な力量差で戦い抜いた人間を知っている筈だ。

川澄舞――彼女はあの耕一を相手に相当の時間を稼いだ。
そして傷付いた体で尚戦い続け、柏木千鶴から倉田を守り抜いてくれた。
人の想いは時として、信じられぬ程の力を生み出すのだ。
制限されている鬼の力だけではリサに及ばぬのなら、後は人間としての想いの力で補うまでだ。
今なら出来る筈だ……俺も川澄と同様、もう倉田を守る事しか考えていないのだから。
俺の心は鬼の物では無いのだから。

そうだ――俺は人間、柳川祐也だ!

     *     *     *

「――――ッ!?」
リサが唖然とした表情になる――有り得ない事態が起こっていた。
「グ……ハァ、ハァ……」
必殺の一撃を受けた筈の柳川が、起き上がろうとしていた。
彼は日本刀を地面に突き立て、それを杖のように用いている。
そうしなければ起き上がれぬ程、深いダメージを受けているのだ。
それでも、今にも飛びそうな意識を強引に押し留め、柳川は立ち上がった。
かつて川澄舞が使っていた日本刀を、しっかりと握り締めて。
「ど……どうして起き上がれるの……?」
リサが呆然としたまま呟く。だが、その質問に答えは返ってこない。
「アアアアアアアアアッ!!」
正しく猛獣の咆哮を上げて、柳川が駆けた。一瞬で間合いを詰めて、斬撃を放つ。

「――なっ!?」
リサは信じられない思いだった。
柳川の肉体は満身創痍、最早立っているだけで精一杯の筈。
その身体から繰り出される攻撃。それは間違いなく、脆弱なものとなるに決まっているだろう。
しかし、かつてない気迫で打ち込まれたその斬撃は、異常なまでの重さだったのだ。
「ありえ、ない!」
驚きは連続する。再度迫る刀の速度は予測を大幅に上回るものだった。
咄嗟の判断で、リサは両手に握ったトンファーを用いて刀の軌道を遮った。
「…………!!」
体を支える両足が悲鳴を上げる。防御の上からでもなお、柳川の攻撃はリサにとって十分なダメージとなっていた。
「――調子に乗らないで!」
リサはすっと腰を落とすと、肩口を突き出した形で猛牛の如き当身を繰り出した。
体格では遥かに勝っているにも拘らず、当身を受けた柳川がよろよろと後退する。
それを見たリサは、敵は確実に死に体であり、先の攻撃は燃え尽きる前の蝋燭のようなものだと判断した。
ならばこれ以上、無駄な足掻きを許す必要など無い。
次の一手で全てを終わらせる。
リサの両手に握られたトンファーが、目にも止まらぬ速度で、眼前の敵を排除しようとする。
続いて何度も激しい金属音がした。
「そんなっ!?」
リサの口から零れ出たのは、勝利の雄叫びでは無かった。
勝負を決める筈だった連撃は、一つ残さず叩き落されてしまったのだ。

「オオオオオオオッッ!!」
柳川が喉の奥底から、凄まじい戦叫を上げる。
その間にも引き千切れそうな腕で、爆撃の如き斬撃を幾度と無く繰り出す。
戦槌によるものかと聞き間違えんばかりの炸裂音が、何度も何度も工場の中に響き渡る。
意識は朦朧としている――もう、技術も何も無い。より速く、より強く、刀を振るっているだけだ。
度重なる衝撃で損傷した肺が酷く痛み、限界を報せる。
気を抜けば一瞬で意識が飛ぶだろう。
壊れかけたテレビのように、視界が時折白で覆い尽くされそうになる。
理屈や復讐心などでは、この満身創痍の体を支える事など出来ぬ。
身を任せるのは鬼の本能、心の奥底より沸き上がる破壊衝動を躊躇いも無く吐き出してゆく。
この肉体は鬼の血を引いてる以上、それは当然の事だ。
しかしいかに鬼の力が強力であろうとも、それだけでは耐えれない。
自分は別の――もっと大事な物を支えとして、この身を動かし続けている。
狩猟者としての誇りも、主催者への復讐心も、既に心の中では大した比重を占めていない。
この身に秘められているのは鬼の力だが、それを根底で支えてるのはただ一つの想い。
――何よりも強き想いを胸の内に秘めて、柳川は刀を振るい続けた。

「Shit!」
リサが舌打ちしながら刀を受け止めた。
度重なる猛攻を受け、リサもとうとう息を切らしていた。
対する柳川の攻撃は、ここに来て更に勢いを増している。
「――――フッ!」
リサは頭上で刀を受けながら、素早くローキックを放った。
それは間違いなく柳川の脛のあたりを捉えていた。
威力よりも疾さを重視した一撃とはいえ、完全に不意を突いたのだ。
あわよくば転倒、最低でも動きは大きく鈍るに違いない。
しかしリサのそんな思惑とはまったく別の方向へ、事態は移り変わる。

「……効いてない!?」
狼狽するリサをよそに、柳川は機械か或いは手負いの猛獣のように、攻め手を全く緩めない。
断裂寸前の筋肉、呼吸の度に激痛を訴える肺、しかし瞳の奥底に宿る獄炎だけは決して衰えない。
「ウオオオッ!」
咆哮と共に、柳川の剛刃が振り下ろされる。続いて鳴り響く、爆音。
受け止めたリサの両腕に鋭い痛みが奔り、自身の状態を思い知らされる。
(駄目……このままじゃ持たない!)
リサの体もまた、限界が近付いていた。
柳川の怪力を受け止め続けた両腕の筋肉が、激痛を伝達する事で休養を訴える。
身体を支えてきた足腰にも、人間離れした動力を提供し続けた心臓にも、酷く負担が掛かっている。
とは言え、敵の方が自分より遥かにダメージは大きい筈。
なのに何故、これ程の動きが出来るのだ――

そこでリサはようやく思い至る――柳川を突き動かしているモノの正体に。
橘敬介は瀕死の状態にも拘らず、自分を上回る膂力を見せた。
那須宗一は、普段でこそ自分とせいぜい互角程度だが、いざという時は桁外れの強さを誇っていた。
彼らに共通しているのは、強い信念に基き、人を守る為に行動していた。
『愛と平和の代理人』とは宗一の言葉だが、彼はその台詞通りの生き様を貫いていた。
そう、コウモリのように揺らいでいる自分などとは違って、頑なに子供のような信念を貫いて生きていた。
今の柳川を支えている力は、彼らと同じ類のものだ。
ならばこの男はどれだけ傷を負おうとも、生半可な攻撃では決して止まらぬだろう。
柳川を仕留め得るには、死に物狂いで放つ渾身、必殺、捨て身の一撃のみ。
ならば――リサは痛んだ両足の筋肉を総動員して、全力で後方へ跳躍した。
そのままステップを踏むように、華麗な動きで後退してゆく。両者の間合いが大きく離れる。
それからリサは、尋ねた。たった一つの疑問を解消する為に。

「最後に一つ、答えて。貴方は何故、私と戦うの? ここで勝ったとしても最後には主催者に殺されるだけなのに、どうしてそんなに強い意志を貫き続けれるの?」
するとそれまで猛獣の――いや、それすら遥かに上回る殺気を放っていた柳川の目が、唐突に人間のものへと戻った。
「……俺の中では、もう主催者の打倒など二の次というだけだ。貴様の言うとおり、俺は甘くて弱い『人間』だからな」
そこで柳川は目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、一人の少女の笑顔。
親友を二人共失い、それでもなお笑顔を失わずに自分を支えてくれた少女――倉田佐祐理。
「理屈や計算などどうでもいい。俺はただ倉田を守りたいだけだ。俺はたとえ心臓が止まろうとも、魂だけで戦い続けて倉田を守ってみせる。
 その為に主催者を倒す必要があるなら、躊躇わずその道を突き進む。たとえそれが不可能な目標だったとしても、俺は迷わない」
佐祐理を守りたい――柳川の心を占める思いは、ただそれだけ。
辛い思いをし続けてきた彼女を幸せにしてあげたい。
主催者の打倒も、ゲームに乗った人間の殲滅も、それ自体は既に二次的な目的となっている。
この島から佐祐理を生きて帰す為に必要だから、行うだけだ。
自分には佐祐理を守るという選択肢以外有り得ないのだから、主催者に勝てるかどうかなど関係無い。
そこには小難しい理屈も計算も、復讐心すらも存在しない。
「OK……貴方の決意、よく分かったわ」
リサは静かに頷きトンファーを構えた後、重く纏わりつく殺気を放出した。
「それでも私は次の攻撃で貴方を倒し、自分の目的を成し遂げてみせる。それが多くの人を殺めてきた私の義務よ」
応じて柳川もまた、日本刀を深く構えた。
「そうか。だが次の攻撃で最期を迎えるのは、貴様の方だ」

これが正真正銘、最後の勝負。
両者共に防御を捨てた以上、どちらかの渾身の一撃が必ず決まる。
(さて……奴はどう出る?)
柳川は考えた。
リサの攻撃――特に、あの上段攻撃からの蹴撃を両方防ぐ事はまず不可能。ならば、攻めるしかない。
リサが先と同じように上段フェイントからの蹴撃で来るならば、トンファーを無視して刀を横薙ぎに振るえば良い。
さすればリサの蹴撃が放たれる前に、こちらの刃が相手を切り裂くだろう。
だが、あのリサが全く同じパターンで来るとは考えがたい。
上段攻撃がフェイントではなく、本命の可能性もある。
どうする――?
そこでリサが地を蹴って、文字通り神風と化して疾駆してきた。
それを見た柳川は鞘に刀を収め、いわゆる居合い抜きの体勢を堅持したまま前方に弾け飛んだ。
工場内の空気がビリビリと揺れる。二つの暴風が激しく接触する。

「ヤナガワァァァァッッ!!」
「リィィィサァァァァッッ!!」
頭上から振り下ろされるトンファーが、唸りを上げて柳川に迫る。
フェイントでもなければ、速さを重視したものでもない、恐ろしい殺傷力を伴った文字通り必殺の一撃。

――リサの狙いは単純にして明快、全ての攻撃を必殺の気合で放つ。
もう防御は考えない――この衝突に全力を注いで、骨が切られようとも敵の命を絶ってみせる。
全力で攻撃を放てば隙が生まれ、次への行動が遅れるのは自明の理。
しかしそんなもの、超越してみせる。
柳川も限界を越えて、今自分と対峙しているのだ。
ならば自分も肉体の可動限界を越えて、その隙を縮めてみせよう。
相手がトンファーを受け止めなければ、そのまま頭蓋骨を粉々に砕く。
受け止めたのならすぐさま渾身の襲撃を見舞い、間髪入れずにトドメも刺す。

――対する柳川の攻撃は、鞘から鋭く抜き放つ居合い抜き。
ここで決めなければ、長期戦になるのは避けられぬだろう。
既にボロボロになってしまった今の身体で長期戦は、余りにも不利過ぎる。
廃車寸前の車と相違無いこの身体では、いつ限界が来ても可笑しくは無いのだ。
ならばこの瞬間、この一撃に、己の命、信念、全てを注ぎ込むしかない。
居合い抜きは放った直後の隙こそ大きいが、速度や威力という点では申し分無い。
勝負を賭ける攻撃には最適と言えるだろう。

そして――終局。
衝突は一瞬、ほんの一秒にも満たぬ時間で決着を迎えた。
柳川の振るった渾身の一撃は、リサ本体では無く、一対のトンファーを狙ってのものだった。
彗星と化した刀と、疾風を纏うトンファーが正面衝突し、激しく爆ぜ合う。
リサにとっては、トンファーを全力で握り締めていた事が完全に逆効果となった。
単純な膂力の勝負となってしまえば、結果は一つしか有り得ない。
得物から伝わる膨大な衝撃をモロに受けて、リサの上体が大きく後ろに流される。
そこに柳川が踏み込んで、一直線に刃を突き出した。
それはあくまで先の居合い抜きのおまけに過ぎぬ、速度も迫力も伴わぬ一撃だった。
しかしその一撃はリサの腹を、深く刺し貫いていた。


それまでの戦場のような狂騒が嘘かのように、辺りが静寂に包まれる。
「……Nice Fight」
ガソリンの臭いが充満する薄暗い工場の中で、リサが静かに言った。
その直後、夥しい量の血がリサの口より吐き出される。
柳川がゆっくりと刀を引き抜くと、支えを失ったリサの身体が、ドサリという音と共に地面へ崩れ落ちた。
直後、眩暈を感じて柳川の身体が力無く左右に揺れる。
「く……ぐうっ……」
戦いに集中していた為に多少は目を逸らせていた痛みが、負債の如く一気に襲い掛かってくる。
異常に上昇した体温を発散させるべく、額や背中は汗でびっしょりと塗れている。

柳川が口許にこびり付いた血を、乱暴に服の袖で拭っていると、弱々しい声が掛けられた。
「……柳川」
柳川が視線を移すと、無機質なコンクリートの上、自らの身体より漏れた血の中に、リサは仰向けに倒れていた。
「何だ?」
「私の負けね……」
リサはそう呟くと、多分に自嘲の意味が込められた笑みを漏らした。
しかしすぐさま柳川は、本心を包み隠さずに吐露した。
「ああ。だが俺の方が強かったという訳では無い……ただ運が良かっただけだ」
敗者への慰めなどでは無く、心の底からそう思う。
もしこれが銃撃戦ならば、最後の衝突における直感が外れていたならば、間違いなく勝敗は逆だった。
圧倒的な技術の差を、幸運で補っただけなのだ。

だがリサはゆっくりと、本当にゆっくりと、首を振った。
「いいえ……それは違うわ……。少なくとも貴方は……自分に負けなかった……」
「自分に……だと?」
意味が分からず、柳川の表情が怪訝なものへと変わる。
問い返されたリサが、一度血を吐き出した後、喉の奥から声を絞り出す。
「そう。私は……貴方とは違う。私は、殺し合いに乗った時点で……貴方との約束を放棄した時点で……、きっと自分に、負けて……いたのよ」
「…………」
柳川は黙したまま答えない。
それには構わず、リサは言葉の意味を噛み締めるように、ゆっくりと話を続けてゆく。
「虫の良い話だけど……、後は貴方に……任せたわ。あくまで……自分の道を貫くと、言うのなら……、そのまま最後までやり遂げて。
 佐祐理を……守り抜いて、そして主催者を……倒しなさい」
それは、依頼。か細い声だったけれど、とても強い感情が込められた依頼だった。
リサはあくまでも最後まで己の使命を果たすべく、柳川に全てを託そうとしているのだ。
その依頼を、柳川は――
「当然だ」
透明な声で、まるで躊躇う事無く引き受けた。

柳川は床に落ちている自身のデイパックを拾い上げた後、日本刀の刃先をリサに向けた。
「俺はもう行くが、そのままでは苦しかろう。貴様が望むのなら、楽にしてやるが?」
腹を深く穿たれたリサがもう助からないのは、誰の目にも明白だった。
だからこそ安楽死を提起したのだが、リサはゆっくりと首を振る。
「いいえ、結構よ……。残された僅かの時間で……、色々、考えたいの」
「……そうか」
柳川は短く答えて、踵を返す。自分は急いで佐祐理を助けに行かねばならない。
これ以上この場で費やして良い時間など、一秒たりとも存在しなかった。
けれど――背後からとても寂しい青の瞳が向けられている気がして、最後に一度、口を開いた。
「リサ=ヴィクセン。出来れば貴様とは同志として、共に歩みたかった」
それだけ言うと、柳川はもう足を止めず、かつての仲間が横たわる作業場を後にした。


「ごめん、宗一、栞。私、駄目だったわ……。形振り構わず人を殺したけど、駄目だった……」
リサは独り、自嘲気味に呟いた。
自分は負けたのだ。柳川にも、自分自身にも、負けてしまったのだ。
大切な人を守りたい――たった一つ、そのシンプルな想いさえ貫けば良かったのに。
有紀寧が悪魔の囁きを口にした時、問答無用で斬って捨てていれば栞は守れた。
それなのに、自分は勝手に希望を捨ててしまい、何も守れなかった。
結局自分は柳川や敬介ら、最後まで希望を捨てない人間よりも、遥かに心が弱かったのだ。

「パパ……ママ……」
思えば両親が死んでしまった時から自分はそうだった。
別に復讐などしなくても良かったのだ。
新しい幸せを探す事だって出来た筈なのに。
わざわざ自分から戦いに身を投じ、不幸になる道を選んでしまった。
きっと自分の人生は、間違いだらけだったのだ。

だがそれでも、これだけは思う。
生まれて来て良かったと。
宗一と、栞と出会えて良かったと。
あの二人と過ごした時間はとても短かったけれど、一生で一番大切な思い出だ。
自分の人生は、殆どが暗いものだったけれど、楽しい時間が無かった訳ではないのだ。
「……スパスィーバ、ソウイチ、シオリ」
たっぷりの後悔と、感謝の気持ちを抱きながら、リサの意識は途絶えた。

     *     *     *

「――ッハァ、ハァ……」
意識が途切れ途切れになりつつあり、視界が時折断線する。
圧倒的な酸素不足と過剰な強度の運動により、今にも心臓が破裂するような感覚に襲われる。
指先は痺れ、手足の筋肉は疲弊し尽し、喉はカラカラに渇いている。
一歩を踏み出す度に身体に響く小さな衝撃が、今は脊髄に直接電撃を流された程にも感じられる。
身体を支える足は頼り無く、油断するとすぐに前のめりに倒れそうになる。
「くら、た……倉田っ…………」
それでも柳川は進み続ける。ただ一つの想いを貫く為に。




【残り31人】

【時間:2日目23:35】
【場所:G−2平瀬村工場】
柳川祐也
【所持品:イングラムM10(24/30)、イングラムの予備マガジン30発×6、日本刀、支給品一式(食料と水残り2/3)×1】
【状態:左上腕部亀裂骨折、肋骨三本骨折、一本亀裂骨折、内臓にダメージ大、肩から胸にかけて浅い切り傷(治療済み)、極度の疲労】
【目的:佐祐理達との合流、有紀寧と主催者の打倒。最優先目標は佐祐理を守る事】


【時間:2日目23:25】
【場所:G−2平瀬村工場】
宮沢有紀寧
【所持品@:トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)・参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(0/6)】
【所持品A:ノートパソコン、ゴルフクラブ、コルトバイソン(1/6)、包丁、電動釘打ち機(46/50)、ベネリM3(0/7)、支給品一式】
【状態:軽度の疲労、前腕軽傷(治療済み)、腹にダメージ、歯を数本欠損、左上腕部骨折(応急処置済み)】
【目的:まずは佐祐理達を追撃。リサと柳川の生き残った方も殺す。自分の安全を最優先】
岡崎朋也
【所持品:・三角帽子、薙刀、殺虫剤、風子の支給品一式】
【状態@:軽度の疲労、マーダー、特に有紀寧とリサへの激しい憎悪。全身に痛み(治療済み)、腹部打撲。最優先目標は渚を守る事】
【状態A:首輪爆破まであと23:15(本人は47:15後だと思っている)
【目的:有紀寧に同行、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】


【時間:2日目23:20】
【場所:G−2平瀬村工場】
姫百合珊瑚
 【持ち物@:デイパック、コルト・ディテクティブスペシャル(2/6)、ノートパソコン】
 【持ち物A:コミパのメモとハッキング用CD】
 【状態:軽度の疲労】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
ほしのゆめみ
 【所持品:無し(持てる状態で無くなった為に廃棄)】
 【状態:疲労、胴体に被弾、右肩に数本の罅、左腕右腕共に動かない】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
倉田佐祐理
 【所持品1:支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】
 【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、レジャーシート】
 【状態:疲労、右腕打撲、左肩重症(止血処置済み)】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
七瀬留美
 【所持品1:S&W M1076 残弾数(7/7)予備マガジン(7発入り×3)、消防斧、日本刀、あかりのヘアバンド、青い矢(麻酔薬)】
 【所持品2:何かの充電機、ノートパソコン、支給品一式(2人分、そのうち一つの食料と水残り2/3)】
 【状態:疲労、腹部打撲、右拳軽傷、ゲームに乗る気、人を殺す気は皆無】
 【目的:まずは屋根裏部屋に移動】
向坂環
 【所持品@:包丁、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(10/10)】
 【所持品A:救急箱、ほか水・食料以外の支給品一式】
 【状態@:作業場で気絶中、後頭部と側頭部に怪我・全身に殴打による傷(治療済み)、全身に痛み、脇腹打撲】
 【状態A:左肩に包丁による切り傷・右肩骨折(応急処置済み)、疲労大】
 【目的:不明】


リサ=ヴィクセン
 【所持品:包丁、鉄芯入りウッドトンファー、懐中電灯、支給品一式×2、M4カービン(残弾3、予備マガジン×3)、携帯電話(GPS付き)、ツールセット】
 【状態:死亡】
橘敬介
 【所持品:ベアークロー、FN Five-SeveN(残弾数0/20)、支給品一式x2、花火セット、燃料切れのライター】
 【状態:死亡】

 【備考1】
  ※イルファの亡骸(左の肘から先が無い)は工場入り口付近に置いてあります。
  ※以下のものは平瀬村工場作業場に置いています
 ・日本刀、忍者セット(忍者刀・手裏剣・他)、おたま、青い矢(麻酔薬)、ほか支給品一式
 【備考2】
工場内は気化ガソリンが充満(濃度は金属の摩擦程度の火花では爆発しないが、火薬の類は使用出来ない程度)
有紀寧の電動釘打ち機は岸田が持っているのとは別タイプ
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