深淵に秘めたる想い (1/2)




暗黒の空より降りしきる陰鬱な雨、じっとりと濡れた地面。生暖かい風が、頬を撫でる。
湿った空気が、耳障りな雨音が、荒野の雰囲気をより一層不快なものへと変えてゆく。
河野貴明の離脱から暫く時が経過した頃、七瀬留美達はようやくショックから立ち直りつつあった。
貴明の走り去った方向にずっと視線を送っている姫百合珊瑚の肩を、留美が軽く叩く。
涙目で振り返った珊瑚に対して、留美は優しく言った。
「いつまでもこうしちゃいられないよ。そろそろ、行こう?」
「で、でも……」
「河野も言ってたじゃない。『皆は何処か安全な場所を探して、隠れてくれ』って。
 大丈夫……ささらも追い掛けて行ったし、きっと無事に戻ってくるよ」
弱々しく肩を震わせる珊瑚を励ますように、力強い声で語り掛ける。
だが珊瑚は留美の言葉に対して、ゆっくりと首を振った。
「アカンよ……。そんな保障、何処にもあらへんやん……」
「…………」

確かに、それはそうだった。
留美の言葉は何の根拠も伴わぬ、気休め以外の何物でもない。
いくら強力な装備を持っているとは言え、重傷である貴明が無事に帰ってくるかどうか確証などない。
しかし留美は珊瑚の両肩をしっかりと掴んだ後、顔を引き寄せた。
「留美……?」
「珊瑚の言ってる事は分かるわ。でも実際問題、今から追い掛けても貴明には追いつけない。
 ここで立ち尽くしてても、何にもならないよ。今は貴明とささらを信じるしかないの」
それにね、と付け加えて留美は言った。
「河野が帰ってきた時に、あたし達の誰か一人でも欠けてたら、きっとアイツ凄い悲しむよ?
 河野が帰る場所を守れるように、あたし達は今出来る事をしよう?」
「あう……」
恐らくはまだ不安を拭えないのだろう――真剣な眼差しを受けた珊瑚が、困ったような表情を浮かべる。

留美は顎に手を当てて少し考え込んだ後、にこっと笑って、言った。
とても、場違いな事を。
「見てたら何となく分かったけど……好きなんでしょ? アイツの事」
「え……」
珊瑚は一瞬口を小さく開いて、ぽかんという表情になった。
しかし次の瞬間には、はっきりと頷いていた。
「そうだよね。だったら信じてあげようよ」
「……うん、分かった」
珊瑚の返事を確認すると、留美は他の者達の方へ振り返った。
「じゃあ、みんな行きましょうか。……と言っても、何処に行けば良いか分からないんだけどね」
留美は苦笑混じりに、後頭部をぽりぽりと掻きながら言った。

自分達は村にいるのだから、隠れる場所自体は幾らでもある。
しかし下手な場所を選べば、襲撃された時に圧倒的に不利となる。
それに仲間すら知らぬ場所に隠れてしまうと、合流はかなり難しくなるだろう。
ここは慎重に行動しなければならなかった。
留美は珊瑚とほしのゆめみに視線を向けたが、両方共心当たりは無いようで、首を横に振るばかり。
どうしたものかと留美が思い悩んでいたその時、倉田佐祐理が言った。
「……北川さんが言っていた『工場』はどうでしょうか?確かここからそう遠くない位置にある筈です。
 前回参加者の方達が滞在場所に選んだみたいですし、隠れ家としては最適だと思います」

北川潤が訪れたという平瀬村工場――工場というくらいなのだから、色々と使える物があるかも知れない。
それに屋根裏部屋もあった筈だから、上手く隠れれば敵が来てもやり過ごせる可能性が高い。
佐祐理が思いつく中では最良の選択肢だった。
他の者も特に異論は無いようだったので、一行は速やかに移動を開始した。

・

・

・

歩く事、十分。
短い時間とは言え、豪雨に見舞われ、雷も断続的に響く中での移動は決して楽なものでは無かった。
しかし、北川より大まかな位置を聞いていた事も幸いして、留美達は無事に平瀬村工場の前まで辿り着いていた。
「ふえー……思ったより大きいですね」
佐祐理が工場を眺めながら、困ったような表情で呟く。
こんな孤島にあるくらいだから小さな工場だと思ったのだが、実際は予想以上に大きかった。
「これはちょっと隠れるのには向いてないかも知れませんね……。大き過ぎて目立っちゃいます……」
「っていうか……ガソリン臭いわね……」
各々が各々の感想を口にする。
本当にこの建物を隠れ家として良いものか――留美の頭を疑問が過ぎる。
しかし外で考え込んでいても始まらない。
こんな所で雨に打たれているよりも、今はまず中に移動すべきだ。
留美がそう思った時だった。底冷えするような声が聞こえてきたのは。
忘れる筈も無い悪魔の声が、聞こえてきたのは。

「――やはりここにいましたか」
「…………っ!?」
後ろから聞こえてきた声に、誰もが弾かれたように振り向き、そして絶望を覚えた。
七瀬留美達の眼前には、絶対の殺気を纏ったリサ=ヴィクセンと、歪んだ笑みを浮かべた宮沢有紀寧、そして見知らぬ男が直立していたのだ。
「どうしてこの場所を……?」
留美が震える声で問い掛けると、有紀寧は愉しげに答えた。
「脱出派の方々は教会にいらっしゃらなかったので、地図に載っていないこの場所へ逃げ込んだと予測したのですが、案の定でしたね。
 この方――岡崎さんが、工場の場所については知っていました。仲間を集めようとする余り、情報を広め過ぎてしまったみたいですね?」
有紀寧はそう言って、横にいる朋也に視線を移した。
佐祐理がその視線を追って、ゆっくりと口を開いた。
「岡崎さん、春原さんから貴方の事は聞いています……。貴方も殺し合いに乗ってしまわれたのですか……?」
「くっ……」
朋也は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それ以上は何も言えなかった――余計な事を言えば、首輪を爆破されかねない。

「…………最悪ね」
留美が複数の感情――怒り、そして恐怖が入り混じった声を絞り出す。
冬弥を殺した宮沢有紀寧は絶対に許す事が出来ないが、今回は柳川がいない。
即ちあのリサ=ヴィクセン……向かい合ってるいるだけで寒気を催す怪物を、自分達で相手にしなければならないのだ。
しかもゲームに乗っているのか、脅されているだけなのかは分からないが、新たに一人、敵側の人間が増えてしまっている。
黒い憎悪をそれ以上に大きな絶望が塗りつぶしてゆき、心臓が早鐘を打つ。
「あの人らが……」
リサ達とは初見である珊瑚だったが、尋ねるまでも無く、目前に立ちはだかる敵の正体が理解出来た。
有紀寧の外見的特長は春原陽平から、リサの外見的特徴は倉田佐祐理から聞いていたというのもある。
しかしそんな情報を引き出さずとも、際限無く向けられる凍りつくような殺気が、敵がどれだけ危険な存在であるかを認識させる。
下手な動きを見せればその瞬間に撃ち抜かれかねない事を、本能が報せていた。

有紀寧が、絶対の余裕に裏付けされた優美な笑みを湛えながら、口を開く。
「藤井さんがいませんね? もしかして私に撃たれた所為で死んでしまいましたか?」
――決まりきった事を聞く。大口径の拳銃で腹部を撃ち抜かれて、死なぬ人間などいる筈が無い。
忌々しげに歯軋りする留美だったが、そんな彼女にリサが追い討ちを掛けた。
「あら、何を悔しがってるのかしら? あの男は私の大切な人を奪った連中の片割れ……死んで当然の人間よ」
闇夜に良く響く、冷え切った声。
リサからすれば、藤井冬弥は那須宗一の命を奪った怨敵であり、絶対悪以外の何物でもない。
出来る事ならば自らの手で、凄惨に縊り殺したい程憎い相手だった。

物の怪のような視線に射抜かれて萎縮しそうになった留美だったが、別れる間際に見た柳川祐也の背中を思い出す。
度々意見がすれ違う気に食わない人物ではあったが、彼はこの圧倒的な相手に一人で挑んだのだ。
ならばここで自分が気後れする訳にはいかない。
自分達では敵わないかも知れないけれど、心まで折られてしまってはならない。
留美はしっかりとリサの目を睨み返しながら言い放った。
「よく言うわね。あんた達だって罪の無い人の命を幾つも奪ってるじゃない。
 それに藤井さんは少なくとも、自分の命惜しさに戦ってたんじゃないわ。
 自分の事しか考えてないあんた達なんかよりも、何十倍もマシよ」

それを後押しするように、佐祐理も迷いの無い声で口を開く。
「七瀬さんの言う通りです。藤井さんは一度は道を間違えたかも知れないけれど……最後には分かってくれました」
大きく一度息を吸って、覚悟を決めた瞳で敵を見据えながら続ける。
「佐祐理達にはリサさんのような力はありません。それでも皆で力を合わせて、頑張っています。
 脱出への道程も少しずつ明確になってきています。佐祐理達はまだ諦めていませんが、リサさん……貴女は希望を捨てました。
 少なくとも心の部分では、貴女に劣っているとは思いません」
「……そうかも知れないわね。でもそんな事、どうだって良いわ。貴女はここで死ぬのだから、佐祐理」
リサの視線が細まり、M4カービンの銃口が持ち上げられる。
気温が急激に低下したかと錯覚を覚える程の威圧感が、佐祐理達を襲う。
「そして、貴女だけじゃない。貴女以外の人間も全員仕留めて、『脱出への糸口』とやらを断ってあげる」
もはやリサの声からは、怒りや迷いといった感情は感じられない。
これ以上の会話は不要とばかりに、純粋な殺気だけを向けてくる。
――始まる。圧倒的戦力を誇る相手が、躊躇う事なく自分達を仕留めに来る。

そこでこれまで一言も言葉を発していなかったゆめみが、突如右手を振り上げた。
「――――ッ!?」
ロボットのゆめみには気配と言うものが無い為、リサの反応が一瞬遅れる。
次の瞬間にはゆめみは地面へ、忍者セットの中の一品――煙球を叩きつけていた。
「What!?」
外人にとっては未知の道具により、視界が突如封じられてしまう。
「こっちよ!」
煙の向こう側で、留美の叫ぶ声と、駆け出す複数の足音が聞こえた。
しかし流石に歴戦のエージェントは立ち直りが早く、すぐに冷静さを取り戻して狙撃を開始する。
リサは敵が外に向かって逃げ出すと予測し、留美達の左右の空間を中心に弾丸をばら撒いたが、それが敵を射抜く事は無かった。
「……わざわざ逃げ道の無い場所に逃げ込むなんて、どういうつもり?」
煙の向こうにうっすらと見えた留美達の影は、悉くが工場の内部へと駆け込んでいったのだ。
その意図こそ理解しかねるが、悩んでいる暇など無い。
リサはすぐに有紀寧と朋也を急かして、工場の中へと飛び込んだ。


内部に突入した有紀寧達は、目前に広がる光景を観察した。
最早使われていない施設なのだろうか。それともこの部屋だけが、例外なのだろうか?
工場の一室である作業場には大した設備は無く、せいぜいボイラーが数個並んでいる程度だった。
作業場の四隅には、言い訳程度に工具や雑品が幾つか転がっている。
大規模な工場の実に半分程度を占めるだだっ広い空間が、酷く寂しいものに感じられた。
そんな場所で、留美達が拙い陣形を組んで待ち構えていた。
先頭は留美、その左右に佐祐理とゆめみ。
そして三人に守られるように、後方にいるのが珊瑚だった。
有紀寧にとって一番不可解だったのが、留美達の手に持っている武器だ。
銃くらい持っている筈なのに、留美達は揃いも揃って日本刀やナイフなどの刃物で武装していたのだ。
「何のお遊びですか? そんな物で銃に勝てるとでも思っているのですか?」
有紀寧はそう言って、トカレフ(TT30)の銃口を留美に向けた。
「……随分とナメちゃってくれるわね。でも、あたし達はいたって真面目よ。ほら、撃ちたきゃ撃ってみなさいよ」
ただの強がりかどうかは分からないが、留美は口元に勝気な笑みを浮かべていた。
――何か考えがあるのか?
そんな疑問も浮かんだが、有紀寧はすぐに考える必要など無いと思い直す。
ともかく実際に撃ってみれば良いのだ。
相手が強がりを言っているだけならそれで仕留められるし、対策があったとしてもその正体は掴めるだろう。
有紀寧は銃口にかけた人差し指に、力を入れようとする。
しかしそこでリサが横からすっと手を伸ばしてきた。
「……どうしたのですか?」
「駄目よ。この場所はガソリンの臭いが充満してる……銃なんて使ったら、爆発してしまうわ」
「――――!」
有紀寧はぎりぎりの所で指を押し留め、大きく息を飲んだ。
この工場内には、気化したガソリンが充満している。即ち、銃など使ってしまえば間違いなく自滅する。
だからこそ敵は全員、火薬を用いぬ装備で武装していたのだ。


――出来れば敵が自滅してくれればと思い挑発したのだが、思惑が外れた留美は大きく舌打ちした。
「く……大人しく引っ掛かってくれれば楽だったんだけどね」
「残念だけどそれは無いわ。私が居る限りはね」
リサはそう言うとM4カービンを鞄に戻して、傍にいる有紀寧へと小さく耳打ちした。
(……私があの三人を殺してる間に、貴女達は佐祐理達の後ろにいる女を倒して。
 佐祐理達の陣形は一人を守ろうとしている――奥にいる女がきっと『脱出の糸口』であり、キングよ)
(――了解、お任せください)
確かな承諾の意を確認してから、リサが一歩、足を前に踏み出す。
続いて目にも留まらぬ動作で真空を巻き起こしながら、一対のトンファーを構える。
その姿を目の当たりにした留美は、警戒心を強め刀を深く構え直した。
「さて、神様へのお祈りは済んだかしら? まさか勝てるなんて思ってないわよね?」
「勝負はやってみなきゃ分からない。少なくとも、慣れない銃で撃ち合いをするよりはマシよ」
次の瞬間、疾風と化したリサが、留美達に襲い掛かった。

――有紀寧は珊瑚を襲撃するのも、朋也へ指示を出すのも忘れて、目の前の光景に魅入っていた。
冷静沈着である彼女にそうさせてしまう程、雌狐は圧倒的だった。

リサは一瞬で間合いを詰めると、留美の鎖骨に狙いを定めて、右手に携えたトンファーを振るう。
信じられない速度を誇ったその一撃を、しかし留美は何とか受け止めていた。
留美がリサの攻撃を受け止められたのは、かつて剣道部に所属していた時の経験のお陰だろう。
曲りなりにも剣の道を歩んでいたからこそ、ぎりぎりの所で反応出来たのだ。
だが、そこまでだった。
「今の攻撃を受けたのは褒めてあげる。だけど次の動作への移行が遅すぎるわ」
リサは冷え切った声でそう言うと、留美の刀をトンファーで押さえつけたまま、鋭い中段蹴りを放った。
「がっ……」
無防備な脇腹に衝撃を受けた留美が、がくんと地面に膝を突く。

続いてリサは視線を動かさぬまま、左手のトンファーをさっと斜め後ろへ振るった。
「――――!」
がきんと大きな音がして、佐祐理の手に持った暗殺用十徳ナイフが弾き飛ばされる。
背後より隙を突いたつもりであった佐祐理だったが、リサにとってはその程度の攻撃、楽に予測出来るものだ。
素手となってしまい大きな隙を晒した佐祐理を、リサは敢えて攻撃しない。
リサは佐祐理を攻撃する前に身体の向きを変え、ゆめみを前方に捉えていた。
ゆめみの振るう刀をしゃがみ込んで躱した後、海老のように背中を丸めたまま体当たりを敢行する。

「あぐっ!」
意表をついたその攻撃に、ゆめみが弾き飛ばされ、尻餅をつく。
続いてリサは斜め後ろにいる佐祐理目掛けて、衝撃波付きの回し蹴りを打ち込んだ。
高速の蹴撃はガードの上からでも十分な衝撃を伝え、佐祐理がたたらを踏んで後退する。
その後リサは尻餅をついているゆめみの腹を、刃物さながらの片脚で踏みつけようとし――背後へ、跳んだ。
留美が地に膝を付いたままの体勢で、横薙ぎに日本刀を振るってきていたのだ。
その一撃を悠々と躱してみせたリサは、すたんという音と共に、地面へと降り立った。

「一瞬で決められると思ったけど……意外にしぶといのね」
よろよろと立ち上がる少女達を、リサが凍った瞳で睨みつける。
圧倒的に押しているリサだったが、その言葉に嘘偽りは無い。
敵三人のうち、二人は戦いが始まる前から怪我をしていた。
故に数秒で決着をつけれると判断したのだが、読みが外れた。
原因はあのツインテールの女だ――あの女が自分の初激を止めたからこそ、攻め切れなかった。
あの動体視力、そして攻撃を受けてからの立ち直りの早さは評価に値する。
しかし所詮は素人に過ぎないのだから、問題になる程では無い。
もう一度攻め込めば今度こそ、敵全員を戦闘不能に追い込む事が出来るだろう。
リサは早々に決着をつけるべく、腰を低く落とし脚に力を込める。
しかしそこで、背後より走り寄ってくる音が聞こえた。

「――リサ君。まさか本当に、君が殺し合いに乗ってしまっていたなんて……」
工場の入り口に一組の男女――橘敬介と向坂環が現れていた。
彼らは工場外でリサが放った銃声を耳にして、急いで駆けつけてきたのだ。
二人の視界に飛び込むのは、苦悶の表情を浮かべる少女達と、ブロンドのハンターの姿。
敬介は双眸で目前の光景を視認し、リサが紛れも無くゲームに乗っているという事を理解した。
続けてわなわなと肩を震わせながら、リサに視線を送る。
「どうして……どうして殺し合いに乗ってしまったんだ……リサ君……」
それは音声だけでも十二分に感情が伝わってくる程、重く哀しい声だった。
しかしリサは、敬介の感情を受け流すように、肩を竦めて言った。
「別に大した理由なんて無いわよ? 足手纏いの貴方達と協力するのが馬鹿らしくなっただけよ」
「何だと……?」
「貴方達のフォローをして命を落とすなんてお断りよ。貴方達なんかと協力して脱出するよりも、優勝を勝ち取る方が遥かに容易だわ」
「クッ……!」
自分達が足手纏い――この点に関して敬介は、何も言い返せなかった。
実際診療所に居た時の自分は、宗一とリサに頼りっぱなしだったのだから、反論出来る訳が無かった。
だが脳裏に浮かぶ、栞とリサの暖かいやり取り。
少なくとも栞と接している時のリサは、心の底から笑っていたように思えた。
「君は嘘を言っている。君は自分の命惜しさにそんな選択をする人間じゃ無い筈だ。
 君がそんな人間なら、美坂君と行動を共にしたりしないだろう」
そうだ――リサは優しい心を持った女性なのだ。それは殆ど、確信に近かった。
黙すリサに対して、敬介が続けて話す。
「……宗一君か? 宗一君が死んでしまったから君は――優勝の褒美で、生き返らせようとしているのか?」
敬介の言葉を受けたリサが、眉間へと微かに皺を寄せ、パチンと右の親指を噛む。

リサはすっと視線を横に移した。
「有紀寧、あの二人は貴女達が相手してくれないかしら?」
「あら? 図星を突かれてやり辛くなりましたか?」
有紀寧が嘲笑交じりにそう言うと、リサの双眸に怒りの色が浮かんだ。
すると有紀寧は取り繕うように、ひらひらと手を振った。
「まあまあ、言われた通りにしますから怒らないで下さい。さて、岡崎さん」
「……何だよ」
朋也が陰鬱そうな口調で声を出す。
有紀寧は右腕を伸ばして、環と敬介を指差した。
「いよいよ出番です。あのお二人の相手をしてあげて下さい。
 分かっていると思いますが、拒否権はありませんからね?」
「……畜生!」
朋也は苦々しげに毒づくと、鞄から薙刀を取り出し、すっと前に出た。

環は、朋也の向こう側に見える少女達へと言葉を投げ掛ける。
工場内に良く響く、凛と透き通った声で。
「留美、佐祐理、また会ったわね。長々と話してる時間は無いから手短に言うわ。
 私と橘さんはそこの男の人と有紀寧を倒すから、それまで何とか粘って頂戴」
「で、でも向坂さんは怪我をしてらっしゃるんじゃ……」
佐祐理がそう言うと、環は腰に手を当てて呆れたような表情となった。
「貴女達も似たようなもんでしょ。こんな状況だもの、やるしかないわ」
環の言葉通り、自分達の中で無事な者など殆どいない。
ゆめみは左腕が動かない。佐祐理は右肩を負傷している。
環も敬介も、あちこちに傷を負っている。
このような状況下で、怪我人だから静観するなどといった事は不可能なのだ。
圧倒的に戦力が不足している以上、傷付いた体に鞭を打って戦うしかなかった。

環は鞄から包丁を取り出すと、その切っ先を朋也へ向けた。
「貴方……有紀寧に脅されているのね?」
「…………」
朋也は答えない。それに構わず、環は続けた。
「……やっぱり答えられない、か。良いわ、私が貴方を止めて、有紀寧の性根も叩き直してあげる。
 それから首輪を外して、こんな馬鹿げた殺し合いなんてとっとと終わりにさせて貰う」
「そうだ、殺し合いなんて絶対に間違ってる。これ以上人が死ぬのなんて、僕は認めない。
 君達が話しても分かってくれないというのなら、力尽くでも止めてみせる」
敬介がベアクローを取り付けながら、澄んだ目で朋也を見据えた。

朋也は、環・敬介と対峙していた。
リサは、留美・ゆめみ・佐祐理を獲物と断定していた。
各々がそれぞれの敵と、睨み合う。
「前口上はもう十分――死になさい」
リサが獲物を狙う肉食獣のように、ぐっと頭を下げて攻撃態勢に入る。
次の瞬間雌狐は、弾けるように駆けた。

前の突撃が疾風なら、今度は暴風だ。
今度こそ敵を仕留めるべく、リサが殺気を剥き出しにして留美に襲い掛かる。
「――――ハァァァッ!」
「くぅぅぅ!」
真空波を巻き起こしながら迫るトンファーを、留美はどうにか受け止めた。
あまりの衝撃で、受けた手に痺れが走る。
鍔迫り合いの形で二人は顔を突き合わす。
烈火の如きリサの眼光が間近で留美を射抜いたが、しかしーー
「こんのっ…………どおりゃああぁっ!!」
「なっ――!?」
武器を突き合わせての押し合いは、裂帛の気合を搾り出した留美が勝利した。
リサは両方の手に一本ずつトンファーを握っている為、今の力比べでは片手しか用いていない。
だがそれでもあの雌狐に、一介の女子高生が押し勝ったのは驚くべき事態だった。
後退するリサに、ここぞとばかりにゆめみが斬り掛かる。
「――ク!」
リサは尋常で無い早さで態勢を整え、くるりと体を横回転させ、ゆめみの攻撃より逃れる。
そしてそのままの勢いで、独楽のように回転しながらトンファーを横薙ぎに振り回す。
留美が素早く飛び出して、その一撃を刀で受け止めた。

リサはもう力比べに固執せず、すっと腰を落としてゆめみの懷に潜り込んだ。
ゆめみの右腕を掴み取り、流麗な動きで極めの形に移行する。
続けて力任せに、ゆめみの体を真横へ振った。
「――――!?」
横でナイフを振り上げていた佐佑理の腕が止まる。
リサの体がゆめみの後ろに隠れる形となっていたのだ。
リサはその隙を逃さず、ゆめみの体を佐佑理に叩きつける。
「つぅ……」
リサは佐佑理が尻餅をつくのを待たずに、今度は背負い投げの要領で、ゆめみの体を留美へと投げつけた。
腕を極められた状態から強引に投げられた為、ゆめみの右肩に罅が何本か入る。
「ゆめみ!」
留美は日本刀を手放して、何とかゆめみの体を抱き止めた。
そしてリサは後ろを振り返って――思い切りトンファーを投げた。

   *     *     *    *     *     *

「く……」
環が焦りを隠し切れない様子で舌打ちする。
環と敬介は、朋也相手に攻めあぐねていた。
相手の薙刀と、自分達の得物のリーチ差が災いしての事だ。
敬介はベアクローを右腕に付けているものの、扱いづらい武器である為に思ったような動きが出来ない。
一方環の得物は比較的扱いが容易な包丁であったが、敵を倒すにはもう少し距離を詰める必要があった。
環は相当勝れた運動神経と身体能力を誇っている。
全快時なら造作も無く、敵に接近出来ただろう。
だが満身創痍の今の体では、薙刀から身を躱しつつ前進するのは厳しいものがあった。
どうしても自分の間合いまで踏み込めず、一方的に攻撃されてしまう。
一発、二発と、連続して薙刀が奔り、環はぎりぎりの回避を続けていた。
とは言えこのままでは埒が開かない。
「どうせ避け切れないなら――」
上方から迫る白刃をバックステップでやり過ごした後、環は一気に前へと駆けた。
「そこだっ!」
間合いに踏み込んできた敵に対して、朋也が素早く返しの一撃を放つ。

「っ……!」
脇下より迫る鋭い一閃を、環は敢えて避けなかった。
前進を続ける環の脇腹に、薙刀の柄の部分が食い込む。
だが、これは環の想定通りだ。
白刃の部分さえ食らわなければ、致命傷にはならないのだから問題無い。
環は薙刀の柄の部分を、尋常でない握力で握り締めた。
「くそっ、なんて馬鹿力してやがる!」
朋也が強引に薙刀を振るおうとするが、どれだけ力を入れてもビクともしない。
女のものとはとても思えぬその膂力に、朋也は驚きを隠せなかった。

「橘さん、今です!」
「ああ!」
仲間の作ってくれた好機を活かすべく、敬介が大きく前に踏み込む。
続いてベアクローを大きく上に振り上げた。
――狙いは朋也の右肩だ。
その場所なら、恐らく致命傷にはならないだろうから。
「悪いけど、暫らく大人しくしててくれ!」
「チィ――!」
朋也が薙刀を手放して、後方に飛び退こうとする。
しかしそこで環の腕が伸びて、がっしりと朋也の右腕を掴み取った。
「しまっ!?」
身動きの取れぬ朋也に、鋭い爪が空気を割きながら襲い掛かる。
次の瞬間、鮮血が舞った。

――敬介の、鮮血が。
「ごふっ……」
「た、橘さんっ!?」
腹から鮮血を迸らせ崩れ落ちる敬介の姿を目の当たりにし、環の胸を驚愕が過ぎる。
「――岡崎さんにはまだ利用価値があるので、今殺されては困りますね」
聞こえてきた声の方へ顔を向けると、有紀寧がにっこりと優雅な微笑みを浮かべていた。
右手に、電動釘打ち機を握り締めて。
「流石に工場だけあって、便利なものが落ちていますね。
 火薬を用いないコレなら、この場所でも好き放題に使えます」
「な……何て事……」
最悪の事態に、環が掠れた声を絞りだす。
電動釘打ち機は空気圧を利用する武器なのだから、引火の心配が無い。
つまり敵はこの場所においても、強力な遠距離攻撃が可能となったのだ。
そして――

ガツンという、鈍い音がした。
「がっ……!?」
環は突然即頭部に衝撃を受け、意識が遠のいていくのを感じた。
ゆっくりと崩れ落ちながら、地面に倒れ伏せている敬介に目をやる。
(たち――ばなさん――ごめん……なさい……)
岸田洋一に遅れを取った時と同じく、突然の奇襲により環は意識を失った。

「――油断は禁物よ? 私が留美達だけを狙うとは限らない。
 これはスポーツでも何でも無い、ただの殺し合いなんだから」
リサがそう言って、環の傍に落ちたトンファーを拾い上げる。
先程環を襲った衝撃の正体は、リサの投擲したトンファーによる不意打ちだったのだ。
続いて、くすくすという笑い声が工場の中に響き渡る。
有紀寧が眼を細めて、どこまでも愉しげな声で口を開いた。
「ふふ、そろそろチェックメイトのようですね」


確かに、勝負は決まったも同然だった。
敬介と環は倒れ、留美だって体力を消耗してしまった。
ゆめみは右腕を破壊され、佐祐理も前から左肩を負傷している。
唯一珊瑚だけは無事であったが、彼女が殺されてしまった時点で全ては終わりなのだから、前線で戦う戦力としては数えられない。
対する敵は、三人とも余力十分である上に、新たな武器まで入手してしまったのだ。
(柳川さん……すみません。佐祐理達はここまでかも知れません……)
もう勝ち目など無い――いや元から勝算など、微塵も無かったのかもしれない。
たとえ自分達が全員五体満足な状態であったとしても、リサと有紀寧を打倒するなど出来ないのではないか。
そんな思いに駆られ、佐祐理の頭を深い絶望が支配する。
それは留美も、ゆめみも、珊瑚も同じで、誰もが悔しげに敵を睨みつける事しか出来ない。

「――それじゃ、キングを取らせて貰いましょうか」
リサは異形のような眼で珊瑚を睨みつけた後、ゆっくりと足を踏み出そうとする。
しかし突如足首に違和感を感じ、一歩も先に進めなくなった。
「……敬介?」
何本もの釘で腹を穿たれた筈の敬介が、リサの右足首をがっちりと掴んでいた。
敬介は大きく息を吸い込んで、人生最大の、そして恐らくは最後になるであろう絶叫を上げた。
「みんな、逃げろおおおおおおおおっ!!」
工場内に――いや、それどころか村中にさえ響き渡ったのではないかと思える程の声量。
その叫びは、絶望に打ちひしがれていた佐祐理達の心を揺れ動かす。
「早く……逃げてくれっ! 僕がリサ君を、止めていられる間に……!」
今度の声は、先程より随分と小さかった。
無理もないだろう。口の端から、次々と血の泡が吹き出ているのだから。
しかしそれでも、敬介の言葉は十分に伝わった。
敬介と留美達は面識が無いにも拘らず、心が伝わった。

「――みんな、行くわよっ!」
留美がそう叫ぶと、弾かれたように珊瑚もゆめみも佐祐理も動き出した。
入り口方面にはリサ達が居るのだから、正面の扉を通って工場の外に出るのは不可能だ。
ならば奥に逃げ込むしかない。
北川の話によれば、奥の方にある階段から屋根裏部屋へと行ける筈。
前回参加者達が使っていた場所なのだから、もしかしたら逆転の切り札か何かがあるかも知れない。
一抹の希望に縋りつくように、留美達は工場の奥に続く扉を目指して駆けた。

「逃がさない!」
それを黙ってリサが見逃す筈も無く、素早く後を追おうとする。
敬介の手を振り解くべく、思いきり右足に力を込める。
死に損ないによる拘束如き、一秒と掛かからずに外せるだろうという確信を持って。
しかし一秒後には、確信が驚愕へと変貌していた。
「外れ……ない……?」
足は腕の三倍の筋力があるという。ましてや雌狐の脚力は、常人と比べ物にならぬ程強いだろう。
それなのに、敬介の手を振り解くことが出来なかった。
何度足を引き抜こうとしても、がっちりと固定されたままで、状態は一向に変わらない。
まるで物理的なものだけでなく、目に見えぬ何かで掴まれているような、そんな感覚。
だがリサはすぐに思考を切り替えて、別の手段で脱出する事にした。
「外れないなら――壊してしまえばいい」
そう、頭を砕いてしまえば確実に敬介の手は外れるだろう。
わざわざ力比べを続ける理由など、何処にも存在しないのだ。
リサは眼下の負傷兵を見下ろしながら、トンファーを大きく上方に振り上げた。
だがそこで、リサは初めて気付く。敬介の口元が、笑みの形に歪んでいる事に。

「何が……可笑しいの?」
「いや、旅の道連れが君みたいな美人なんだから、僕は案外恵まれてるかも知れないと思ってね」
「…………?」
まるで意味が分からず、リサが怪訝な表情となる。
敬介は一度咳き込んで、大きく血を吐いてから、言った。
「知ってるかい? 逆転のカードは、こういう時にこそ使うものだよ」
敬介はそう言って、ポケットから左手を出した。
「僕は観鈴を探さなきゃいけなかった。観鈴と一緒に花火をしたかった。だけど僕はもうここまでみたいだから……」
「それはっ……!」
リサの表情が、見る見るうちに驚愕と焦りの色に染まってゆく。
敬介の左手に握り締められているのは、花火セットの一つである百円ライターだったのだ。
「まさか、貴方――!」
「そのまさかさ。一緒に見ようじゃないか――飛び切り派手な花火を!」
ガソリンの充満した場所でライターを点ければどうなるか――少なくとも、間近にいる人間が助からぬくらいの爆発は起こるだろう。
リサが慌ててトンファーを振り下ろすが、明らかに遅い。
どう考えても、敬介が指を動かしてライターを点火する方が早い。
カチャッ、という音がしてライターのスイッチが、入った。




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