月下の錯綜模様 〜混戦〜 (1/3)




 殺意の視線に蠢く影。
 それがルーシー・マリア・ミソラ(120)を狙っていると分かった時には、理性など吹き飛んで彼女を突き飛ばしていた。 
 その結果、雛山理緒(083)の胸を容易に貫いた銃弾の一撃が、彼女に決定的な生死を隔てることになる。
 庇ったのは衝動的なものだった。

「―――あ、ぅ……」
「お、おい!! マジかよっ」
「―――大丈夫!?」

 地に伏した理緒へと、慌てた春原陽平(058)と霧島佳乃(031)が屈みこんで彼女の身体を起こさせる。
 古河渚(095)は青褪めながら悲鳴を噛み殺し、突き飛ばされたるーこは尻餅をついて未だに唖然としていた。
 理緒へと触れた時の生暖かい感触が全てを物語っており、春原は留まる気配のない血液に息を飲み下す。

「こ、これヤベェって……っ。と、ともかく血を止めないと―――」
「必要ないわよ。その子はもう死ぬわ」

 混乱の極みに達した春原の耳朶を、凛とした女性の声が夜の闇を切り裂いた。
 悠々と現れた襲撃者―――来栖川綾香(037)は、冷酷な瞳で彼等を眺め見る。
 我に返ったるーこは、彼女こそが襲撃者ということにいち早く気付いて腰を浮かそうとするが、綾香の向けた拳銃に動きを止めざるを得なかった。

「ストップ。あなた達の生殺与奪は私が握っているのよ? 長生きしたかったら質問に素直に答えることね」
「……何のつもりだ」

 唸るように呟いたるーこの眼光を、この状況で何を今更、そう言いたげに一笑に帰す綾香。
 
「つもりも何も、一参加者としてルールに従ったまでのことだけど? 本当は貴女を狙ったつもりだったんだけど……命拾いしたわね?」
「……ゲームに乗ったということか」
「……そうね。私はゲームに乗った。だから殺すのよ……悪い?」

 ゲームに乗ったという一言に少し眉が顰めさせたが、それでも綾香は悪びれもなく言い放つ。
 春原は余裕の態度を見せる綾香へと、怒りが篭もった敵意の眼差しを向けた。

「なんでこんなことすんだよっ! お前頭おかしいよ! なんだって―――」
「―――うるさいのよ。今すぐ死にたいの?」
「う、ぐ……」

 拳銃の照準がるーこから春原へと正確に向けられて、彼は萎縮したように顔を引き攣らす。
 下手に綾香を刺激して拳銃を発砲されるのだけは、春原としても控えたかった。
 根性無しと、自身で罵りながらも、彼は気丈に綾香を睨みつける。
 渚は懸命に震えを堪えているようだが、やはり恐怖は隠しきれていない。
 診療所の惨劇が彼女の脳裏を過ぎったからだ。
 それは佳乃も一緒のことだが、何よりも母親を失った渚の方が精神的の差異を比べるまでもないほど磨耗している。
 そして一番冷静であるるーこは、好機の瞬間を見計らっていた。
 銃は突き飛ばされた勢いで後方に転がっていおり、手を伸ばせば届かない距離ではない。
 だが、少しでも不審な動きを見せれば、恐らく綾香を躊躇いなく引き金を引くだろう。
 無闇に行動してしまったばっかりに、この膠着を悪い方向へと傾けたくはない。
 今は、大人しく様子を見るべきだ。
 幸いなことに、綾香は問答無用に彼女達を殺すつもりはないようで、何やら訪ねたいことがある模様。
 四人は警戒気味に押し黙って、綾香の言葉に耳を傾けることにする。

「それでいいのよ。ちょっと人探しをしていてね、今から上げる名前に心当たりがあれば答えて頂戴」
「…………」
「朝霧麻亜子、鹿沼葉子、川澄舞、小牧愛佳、沢渡真琴、広瀬真紀、観月マナ。
 そしてルーシーの九人」
「っ!?」

 春原がるーこを覗き見るが、彼女自身は表情に変化はない。
 渚と佳乃にも顔が一致する名前があった。
 その四人の反応に、綾香は満足気に微笑んだ。

「いくつか知っているようね。で? 教えてもらえるかしら」
「…………」

 明らかにそれらしい素振りをしておきながら、彼女達は一様に口を閉ざす。 
 綾香はスッと目を細めて、るーこに照準された銃口をこれ見よがしに上下させる。

「ふぅ。わかったわよ……さよなら―――」
「―――待ってよ!!」

 彼女の決して威嚇ではない真剣な表情に、慌てて佳乃が制止の言葉を掛ける。
 綾香は先を促すように、佳乃へと視線を移す。

「余計な手間を取らさせないでもらえる? 心当たりがあるのなら知っている限りの情報を吐きなさい」
「い、言うから……。あたしと渚ちゃんが知ってるのは鹿沼葉子って人だよ」
「……それは身長が中学生ぐらいの幼児体系な女なの?」
 
 綾香の問いに、佳乃は訝しげな表情を見せながらも首を横に振って否定する。
 二人が遭遇した鹿沼葉子(023)の体系を幼児とするには流石に無理があったため、そこは素直に答えておいた。
 それ依然に、葉子に対して庇う余地などあるわけもなく、渚に至っては恨む事情さえあるのだ。
 包み隠さず喋ったところで、彼女達には何の不備もない。
 嘘を吐いている様子がなかったため、綾香は渚と佳乃から視線を外した。

「貴女達はどうなの? 一方は確実に知ってそうな雰囲気だったけど」
「……名目上、るーがルーシー・マリア・ミソラだ」
「名目? るー? あぁ、貴女が……るーこね。じゃあ、そっちの男が春原陽平かしら?」
「な、なんで知ってんだよ……?」
「……どうだっていいでしょ、そんなことは」

 るーこと春原は、綾香が面識のない自分達を知っていることに驚いた。
 聞き出そうとするも、彼女は途端に苦々しい表情を形作って目を逸らす。
 綾香が二人のことを知っているのは当然だ。
 巳間晴香(105)の情報通りだとすれば、二人は浩之一行の中にいた筈である。
 だが、晴香のことを想うと、どうしても忌々しい少女の顔を思い浮かべずに入られなかった。
 怒りに震えそうになる感情を強引に振り払い、平常心を保ちつつ再度尋問に移る。
 
「ともかくルーシーは違うのか……他には?」
「小牧愛佳。同じクラスだが、幼児体系ではなかった筈だ」

 綾香は淡々と答えたるーこの言葉に頭を巡らせて考え込む。
 その際に春原にも視線を寄せるが、彼は心当たりがある名前が無かったために小さく否定の言葉を洩らした。
 何故、このような問答を綾香が行っているのか。
 それは他でもない、綾香の怨敵の情報を少しでも多く探るためだ。
 綾香に与えられた情報は数少ない。
 外見的特長と、あと一つ―――

「―――それじゃ、まーりゃんという渾名に心当たりは?」
「……確か、うーささの……」
「―――知ってるのね」

 綾香の顔が凄惨に歪んだ。
 歓喜の笑みを浮かべる綾香を見て迂闊だったかと、るーこは眉を顰めるに留めたが、春原に渚、そして佳乃の三人に至っては余りの笑みに身を引かせた。

「私が先に上げた名前の中にまーりゃんという人物はいるの?」
「知らん。名前に覚えはない」
「じゃあ貴女の言ううーささってのは誰のことよ?」

 実際まーりゃんという人物は知っていはいたが、本名に関しては聞き及んでいない。
 だが、これ以上情報を分け与えていいものなのだろうか。
 一瞬不安が脳裏を過ぎるが、一度口に出した以上素知らぬ振りは出来ぬだろう。
 るーこは止む無く口を開く。

「……久寿川ささらだ」
「久寿川ささら……ね。そのささらさんは、まーりゃんといった人物と仲はいいの?」
「…………」

 雲行きが怪しくなってきた。
 まーりゃんという言葉を綾香が発した途端、空気が極端に重くなった気がする。 
 それは決して勘違いではなく、瞳をぎらつかせながら言葉を待つ綾香の姿に執念が感じられた。
 それもその筈。
 綾香の最優先目的。最上級の標的。それがまーりゃんという名の少女。
 だが、綾香は少ない材料で彼女を探し当てなくてはならないのだ。
 先に挙がった九人の名前は、まーりゃんという渾名をつけても可笑しくはない人物名を抜粋したもの。
 酷く短絡的ではあるが、渾名というものは得てして単純なものであるために、一概には見当違いとは言えない。
 流石に本名以外から渾名を拾ってきたのならお手上げだが、それでも綾香自身は気付いていなくともまーりゃんの本名とて挙がっているのだ。
 そして、るーこの情報。これには綾香も喜ばずにはいられない。
 目的達成に一歩近づけたと、彼女の陰鬱とした感情が滲み出ても無理もないということだ。

「……どうなのよ? 親密なの? そうじゃないの? まぁ、悪い関係じゃなさそうってことは確かね」

 沈黙を深めるるーこの様子は、まーりゃんとささらの二人は無関係とはいえないことを言外に語ったいた。
 それは間違ってはおらず、綾香も既に確信している。
 さらには、るーこの関係者ということで対象を狭めることにも成功していた。

「ねぇ、ささらさんは貴女と同じ学校なんでしょ? つまり、その制服ってことよね」
「……ああ」

 ここまでくれば、もはや隠し事に意味はないだろう。
 諦めて頷いたことに、綾香は更に笑みを深めた。
 どうやらまーりゃんなる人物は綾香の姉である来栖川芹香(038)と同じ学校の関係者のようだ。
 ここまで分かれば、彼女の目的遂行に必要な情報は集まったといえる。
 まーりゃんなる人物の名前は、次の機会で訪ねればいいのだ。
 綾香が表情を消したことに気付かないで、二人の応答を緊張して聞いていた佳乃が焦った様に口を開く。

「ね、ねえ。もういいでしょ? 早くこの子の手当てをさせてよっ」
「そ、そうだよ! 早く治療しないとコイツ……」

 同調したように春原も口を開く。
 二人の手の中には、血の気を失い既に息もか細くなっている理緒が生命活動を必死に繋ぎとめていた。
 渚も懇願する瞳で綾香を上目遣う。

「あぁ……まだ生きてるの? 言ったでしょ……もう死ぬって。その前にすることがあるんじゃない?」

 だが、理緒の存在そのものを今思い出したかのような言動は、酷く無慈悲で容赦のないものだった。

「―――貴方達も時期にそうなるんだから、御祈りなり命乞いなりしたらどうなの?」
「なっ!? おいっ、話が違うじゃないか!!」
「ははっ。話? どこにそんな余地があったのよ? 慈悲深い私が延命させてあげていたの間違いでしょうが」
「そ、そんな……っ」

 情報を摂取した以上、彼女達の利用価値など既にない。
 春原に渚、佳乃は綾香の言葉に愕然とし、るーこはやはりそうなったかと苦虫を噛み締める。
 人一人を瀕死に追い込んでおいて、目撃者を残す事自体が有り得ないのだ。
 そもそも、綾香は始めから好戦的であった。
 接近にも気が付かなかったことから、やはり水瀬秋子(103)に先導されてた時には張り付かれていたのだろう。
 別段綾香とて、当初の目的では彼女達を皆殺しにするつもりなどなかった。
 情報を聞き出して、彼女達が目的に沿う人物ならば殺すといった方針であったが、四人の合流の展開を見た時に一変したのだ。

「だって、おかしいじゃない? 精一杯生き残ろうとしている人を貴方達は死地に向かわせたんでしょ?」
「な、なんのことだよ……」

 春原が困惑気味に問い掛けるが、それこそが罪だと言わんばかりに綾香は鼻で笑い飛ばす。

「だから甘いってのよ。聞くけど、さっき駆けつけて行った傷だらけの人……あれは何なのよ?」
「あの人は……お父さん達を助けに行って……」
「行って? 行かせたの間違いでしょうが! 私はね、自分で出来ることをしない人間が大嫌いなのよ!
 子供だから、怪我してるから……そんな理由がまかり通るほどね、このクソッタレなゲームは甘くないのよ!!
 貴女達みたいな思考停止した他人任せな人間が、何でのうのうと生きてんのよ? ねぇ……恥かしくないのっ!?」 

 綾香は銃口を突きつけていたるーこへと歩み寄り、容赦なく下段蹴りを噛ます。
 るーこは座り込んでいたために、当然その矛先は頭部に相当し、綾香の蹴りは彼女の頬を抉った。
 吹き飛びそうになる身体をなんとか地に手を付けて押し留めるも、口内を切ったのか、唇の端から血が滴り落ちてくる。
 悲鳴一つ上げなかったるーことは反対に、佳乃と渚は小さく悲鳴を洩らした。
 そして、綾香の仕打ちに血が昇った春原は理緒を佳乃へと任せて飛び掛かかり、彼女を捕らえようと手を伸ばす。
 だが、それよりも早く銃口が彼へと向いたことでやはり足を止めてしまう。

「―――う、ぐ……」
「そうよ。そうやって激情の赴くままに行動すればいいのよ。何もしない馬鹿よりは幾分かマシでしょうしね。
 後から後悔しても遅いのよ! 自分の手を汚す覚悟で! 全てを投げ打ってでも生き続ける必要があるのに何で動かない!?
 もしかして綺麗なまま生き残ろうと夢を見てんじゃないでしょうね? そんな奴は一回死んで一生寝てればいいのよ!!
 殺すのよ! 大切な人を守るなら他は殺すべきなのよ!!」
「じゃあお前みたいに人を殺し続けることが正しいって言うのかよ!? どいつもこいつもさぁ! 生き残るために殺しあって満足してんのかよ!
 僕は嫌だね! お前結局逃げてんじゃん……まあ殺すほうが簡単だもんな!?」
「何よそれ、寝言? 安易に他人任せのアンタらが偉そうな口を利かないでもらえる!? 逃げるって……私が? ホントに何それ」

 加熱した二人は、顔を突き合せながら睨み合う。
 どちらも自身が正しいと思い、一方を間違っていると避難する。
 決して纏まらない不毛な言い争い。
 銃を突きつけられた状況を忘れたかのように、春原は怒声を飛ばす。


「未だ寝惚けているアンタにじゃあ言ってやるよ! 逃げてるね! 
 完全無欠に現実が怖くて恐ろしくてガクブル震えながら負け犬のように尻尾をプルつかせて逃げてるね!!
 確かに僕らだって情けないさ! 踏み出す勇気がなくて手をこまねいてるさ!」

 相容れぬ彼女へと、春原は自身の情けなさを自覚しつつ指を突きつける。

「でもさ、アンタよりはマシじゃん。
 積極的に行動しているつもりなんだろうけどさ、結局はあのウサギ野郎が用意したルールに従ってるだけだろ?
 アンタこそ自分の考えを歪めてまで、ゲームを始めた主催者の殺し合えって一言を素直に守ってるじゃないか。他人任せな思考だよね!?
 関係ない人殺して、意味もなく殺して……それで守って綺麗にオチつけられんのかよ!? 守った人間が生き延びる保障があるのかよ!」
「あるのよ!! 少しでも人数を減らせばそれだけ生存率が上がるでしょうが!! あんた達はそういった努力をすればいいのよ。
 それに私は綺麗に終わるつもりなんかないの……。言ってなかったから教えてあげる……」

 怒りに顔を歪めた綾香が、心底忌々しげに呟いた。 

「―――巳間晴香……知ってるでしょ?」
「うーはる……?」
「し、知り合いなのかよ?」

 少しの間しか共にいることが出来なかったが、晴香とは情報交換をした仲だ。
 彼女はこの殺伐とした状況でも冷静な思考を崩すことはなかった覚えがあるが、暴走した柏木梓(017)を追って行ってそれっきりの関係だった。
 何故その晴香の名前が挙がるのかは不思議に思えたが、単に知り合い、もしくは春原達の前後に遭遇したのだろうと当たりをつけていたのだが。
 しかし、綾香の口からは予想だにしないことが飛び出してきた。

「―――彼女ね……死んだわよ?」
「……は?」
「なんだと……」

 一瞬何を言われたのか把握できなかった。
 今まで襲撃されたことはあるものの、まだ知人が死に瀕した場面に遭遇してこなかったために、その言葉は酷く非現実的に感じられた。
 そして、綾香が余りにも無表情に呟くものだから、春原は彼女が晴香へと手を掛けたのかと疑ってしまうのも無理からぬことだ。 

「おい! 巳間にも僕達と同じように情報を聞きだした後に殺したってことかよ!?」
「殺した……? 殺されたのよ!!」

 込み上げた怒りを発散させるが如く、綾香は睨み合っていた春原を左手で殴り飛ばした。
 女性とは思えぬ強烈な一撃。春原は唖然としながらたたらを踏んでよろめいた。
 今まで女性から物を投擲されたことや蹴り飛ばされたことは多々あれど、拳で殴られる経験は始めてである。
 綾香は憤怒の表情に顔を歪めながら、溜まりに溜まった怨み言を彼女達へと向けた。

「晴香はねえ! 腹に銃弾受けて喉元掻っ捌かれたのよ!! 冗談ぐらいに血を撒き散らして死んじゃったのよ!!
 それをやったのが笑えることにぃ! 私より一回りも小さいチビガキだってんだからもうお笑い種よね!?」
「……まさか」
「そうよっ!! あんたの学校の関係者でまーりゃんとかいうふざけたクソガキよ!!
 あんな奴に油断した私が馬鹿だったのよ! 気を許した私が愚かだったのよ! でもね、そのおかげで気付けたわ。
 進んでゲームに乗った奴こそ生存率も高まり、数を減らしてこそ大切な人だって守れるってことをね!」

 綾香を果敢に睨みつけるるーこへと再度近づき、彼女は銃口の先端で殴りつける。
 怒りに狂った綾香をこれ以上刺激させぬためには、抵抗しないで無防備を甘んじる以外方法はなかった。
 その一撃が額を切ったのか、パックリと割れた箇所から血が滴って彼女の顔の半面を濡らす。
 先は止めようとした春原も、今は晴香の死に動揺してしまって展開に付いていけてなく、他二人も綾香の暴君振りに怯えてしまっている。
 綾香は濁った瞳で全員を舐め回す。中でも、るーこに対しては凄みを利かせて睨みつける。

「―――だから私決めたのよ……。ゲームに乗ったアイツを、ゲームに乗った私が惨く殺してやるってね。
 コケにし腐ったあの餓鬼の顔を恐怖と絶望に歪ませて救いのない遣り方でぶっ殺してやるのよ!! あなたにはこれでも感謝してるのよ?
 ヤツの交友関係に、学校まで突き止めとめることができたんだから。確か、ささらさん? 殺す……絶対ソイツも殺す!! 
 そしてアンタと同じ学校のヤツも尋問して関係者かどうか吐き出させる。当然殺す!! でね? 殺した奴等の一部を持っていくのよ。つまり証拠よ。
 あなたが殺し損なった来栖川綾香はこんなにも貴女のために頑張りましたよってね!! 見せびらかしてやるのよ! 
 最悪でしょ? でも叶えば最高よ。フフ……そしたらあの餓鬼どんな顔するのかしら?」
「お、おかしいよぉ……」

 余りにも綺麗に笑うものだから、佳乃は背筋が薄ら寒くなるのを止めることが出来なかった。
 それは先程正気を疑っていた春原も同じであり、るーこの反応も似たり寄ったりだ。
 だが、渚は震える身体を唇を噛み締めながら堪えて、気丈にも口を開いた。

「そんなことしたって意味なんかありません! な、亡くなっちゃった人だって望んでいる筈がありません!!」
「……何言ってんのあなた?」

 言うに事欠いて説教かと、綾香は嘲笑しながら渚を見下ろすが、彼女は瞼の下に涙を湛えながらそれでも懸命に言葉を掛ける。

「わたしもっ……わたしもお母さんが殺されちゃいました!」
「え……嘘だろ……早苗さんが?」

 渚の言葉に唖然としたのは春原だ。
 自分の馬鹿な頼みを聞いてくれた心優しい女性、早苗の印象が悪い筈もない。
 その女性が殺されたという事実に、また一つ現実を喪失した気がした。
 現場に居合わせた佳乃も痛ましげに顔を伏せる。
 
「そう。ならあなたも当然殺した奴らに復讐するつもりよね?」

 反対に、綾香は先の発言との矛盾に不思議そうな顔をするも、彼女ならば自身に同意するものだとばかり思っていた。
 だが、渚は否定するように頭を振った。

「そんなつもりはありません! わたしが郁未さん達に追い縋ることをお母さんは望まない……。
 だからわたしは間違っていると分かっていることは絶対にやりません。苦しいけれど……絶対に諦める道には進みたくありません!!」
「何よ……何なのよ? どいつもこいつも逃げただ間違ってるだ諦めただ……何簡単に言ってくれちゃってんの!?」

 渚の淀みのない真っ直ぐの瞳は、嘗て天沢郁未(004)を苛ただしく思わせ、そして今も綾香を癪に障らせていた。
 一度決めた事だ。郁未や綾香が厳しく糾弾したとしても、渚の信念を揺るがすことはない。

「だからわたしは、あなたにもそんなことはしてほしくないです……。復讐なんてしても誰も喜びませんし、悲しいことばかりです」
「あああぁぁ!! うるさいうるさいうるさいっ!!」
「だからっ!! まだ大丈夫です、あなたも―――」
「―――黙れって言ってんでしょ!! その定型的なテンプレ文句をこれ以上口に出すな忌々しい……っ!!
 誰も喜ばない? 悲しい? 知ったことか! 私が満足できればそれでいいのよ!!
 これは私の後輩や晴香の弔い合戦……今更引き返す道なんてありゃしないわよ!」

 禅問答は終わりだと言わんばかりに、遂に綾香は拳銃を本気で構える。
 銃口の先は、彼女の目的に当て嵌まるるーこだ。
 これで一人目と、悲願達成の序章に向けて舌なめずりをした綾香が引き金を引こうとした。
 ―――その時だった。四人が背にする民家に電灯が唐突に灯ったのは。

「―――っ。なに……?」

 外窓やドアの隙間から光を洩らす一軒の民家。その正面に位置していた綾香は、暗闇に慣れきって視界が突然の光量に眩んでしまう。
 それは又とない絶好の機会。
 それこそるーこが待ち望んでいた好機の合図。
 綾香にただ無防備に頬を蹴り飛ばされた訳ではない。獲物を拾うロスを計算し、銃に手が届く位置に陣取れるようわざと体勢を落としたままなのもそのためだ。
 そして隙を見せた今だからこそ、後方に落ちた短機関銃を、るーこは腕を伸ばして手に取った。
 膝を崩した状態で、彼女は何の躊躇もなく両手で構えた銃の引き金を引く。

「ちっ!!」

 視界が光に遮られたとしても、動きがあったことを見抜けぬほど綾香とて油断はしていない。 
 迎撃する時間は無い。危険を察知した綾香は視界に入っていたある少女の下へと転がり込んだ。
 直後、綾香の側面を通過する数発の銃弾。
 るーこと春原から距離を取り、その二人より少し離れたい位置にいる渚と、重症の理緒に付き添う佳乃。
 綾香の標的は単身佇む渚の姿。転がり込んだ勢いのまま渚に掴みかかり、息つく間もなく彼女の腕を取って後方で固めた。
 渚の身体を前面に押し出す。さながら盾のようにだ。

『―――渚ちゃん!!』

 春原と佳乃の悲鳴に近い言葉が重なった。
 綾香の腕に首元を圧迫されて羽交い絞めにされた渚は、苦しそうに吐息を洩らした。

「―――甘いのよ。誰も抵抗なんて許しちゃいないってのに、跳ね上がってんじゃないわよ……」
「ぅ、くぁ……っ」

 綾香の抑えた声色と共に、渚を押さえつける腕にも力が篭もった。
 勝ち誇りの笑みを浮かべる綾香は、るーこへ向けて手に持つ拳銃の先端をクイッと左右に揺らせて見せる。
 つまり、武装解除の仕草だ。

「ほら、とっとと手放しなさい。この子の脆弱な首なんて十秒もあれば容易く落とせるのよ?
 仲間思いで絶対に殺し合いをしない春原君? 早くその女を説き伏せて拳銃を下ろさせなさいよ」
「ぐ、くそ……。るーこ、下ろしてくれ……」

 先の発言を根に持っていたのか、綾香は皮肉気に春原へと笑いかける。
 るーこの銃が失われてしまうと圧倒的不利を覆すことは難しくなるが、渚の命には変えられない。
 この後どういう仕打ちが待っているかは想像に難しくないが、それでも見捨てることは出来なかった。
 春原は悔しそうにるーこへと銃を下ろすよう促すが、彼女は依然として動かない。
 全員が怪訝とるーこに視線を移してギョッとした。

「―――勘違いしてもらっては困る」

 るーこの無機質で冷酷な表情に皆が驚く中、彼女はやはり躊躇もなく銃を撃ち放つ。

「えっ……」

 パンっという銃撃音は、綾香ではなく、正確に渚の太腿へと吸い込まれていった。
 渚は理解できずに呆けた顔のまま、下半身は力を失ったかのように崩れ落ちた。
 地に膝をつけることが出来たのは、るーこの予想だにしない行動に唖然とした綾香が腕の力を緩めため。
 無防備になった綾香の姿に目を光らせて、再度短機関銃が火を噴いた。

「―――!?」

 夜の闇を切り裂くけたましい銃撃音は、綾香の胸部や腹部に着弾させる。衝撃を吸収しきれずに、彼女の身体を後方へと吹き飛ばしていた。
 倒れ伏した綾香を一瞥して、硝煙が立ち込める銃を下ろしたるーこは春原へと向き直る。

「危ない所だったなうーへい。今度ばかりは駄目だと思ったぞ」
「お、おい……なに言って……」

 左目を血で濡らし、何処か誇らしげにるーこは微笑んだ。 
 綾香はともかく、渚を平然と撃っておいて何故そこで笑うのか。春原には理解できなかった。
 佳乃は理緒を一端横たえて、慌てて渚の下へと駆け寄る。 

「渚ちゃん! 大丈夫っ!?」
「うぅ……だい、じょうぶで、す……」

 渚の強がりも、涙を湛えながら顔を顰めていては効果はない。
 撃たれた直後は痛覚がなかったものの、息を吐いてからが激痛を伴わせた。
 今まで味わったことのない痛みと湧き出る血液の量に、渚は顔を青褪めながら目を逸らすように瞼を閉じる。
 苦しそうに呻く渚のことを省みないるーこへと、佳乃は怒りが篭もった視線でキッと睨み付けた。

「どうして撃ったの!? 他に方法だってあったかもしれないのに……っ」
「……そうか? るーにはあれが最善だと思えたぞ。全滅するのとどちらがいいのか分かるだろう?」
「る、るーこ……。お前何を簡単に……」
 
 佳乃の言い分が心底理解できないと、るーこは不思議そうに首を傾げてみせる。
 渚を撃つしか開放する方法がなく、止む無く攻撃した。これはいい。
 だが、人を撃つ以上、そこに普通は躊躇いが生じるものだ。それが顔に出るものなのだ。
 なのにるーこは一切の遠慮もなく渚を撃ち抜いた。仕舞いには彼女を労わる素振りさえも見せない。
 佳乃には、それが何よりも許せなかった。

「何でそんなに平然としてるのっ!? キミが渚ちゃんを撃ったんだよ? 渚ちゃん、こんなに苦しんでるんだよ!? なのに何で―――」
「―――うーも勘違いしている様だから言おう」

 必死で訴える佳乃を少し鬱陶し気に遮って、るーこは口を開く。

「るーはうーを探している。うーたまやうーこのも探す必要があるだろう。そして逸れたうーひろやうーみさ、うーゆきとも合流したい。
 今はうーへいと行動を共にして皆を探している途中だ。何故だか分かるか? 仲間だからだ」
「る、るーとかうーとかなに言ってんの……」

 何かの固有名詞なのか。言葉の都合上うーというのは人物名だというのは分かる。
 だが、独特であり奇抜とも言える口調を至極淡々と口にする様は、佳乃が見なくとも不気味に思えるだろう。
 ましてや無表情に呟くものだから、正気を疑うもるーこの視線は並々と佳乃へと降り注いでいたために、迂闊に目を逸らすことさえ出来ない。
 そして、るーこは何の気なしに言葉を紡ぐ。

「だが、お前たちは知らない。遭って数分だ、出会いに意義があったとも思えない。るーとうーへいの足枷でしかない。
 仲間じゃないから義理もない。それなのに文句を言われるとるーも不愉快だ」
「―――ふざけないでよ!!」


 るーこのあまりの言い草に、佳乃は怒声を上げた。
 普段の佳乃を知る者からしたら、それは驚くほどの感情の起伏だ。
 確かに彼女達はろくに言葉を交わす間もなく現在顔を付き合せており、渚と春原を除いた面々は顔と名前が一致しない現状である。
 それにしたって、るーこの言い分は幾らなんでも倣岸不遜とも思える態度だ。
 関係がないからと言って、仲間外の者を蔑ろにしていいはずがない。
 そして、るーこの価値観の較差に一番愕然としたのは春原だった。
 確かに彼女は普通とは言い難い感性を持っていたものの、藤田浩之(089)達五人と行動を共にしていた時は仲間想いの変わった少女という印象だったのだ。
 そんな人間が、実のところ興味に値しない人物に対しては、こうまで冷たく接するものなのか。
 今までの印象を翻された春原は、それを誤魔化したい心情でるーこに厳しく指摘する。
 彼女の認識は一時の気の迷いであるという願望を込めて。

「おいるーこ! それは言いすぎだよっ。確かにるーこと渚ちゃんは関係ないかもしれないけど、僕の知り合いでもあるんだぞ!」
「む……。そうだったな。すまないことをした」

 謝罪とは言い難い簡素な言葉に、当然納得できるはずもない。
 顔色一つ変えないるーこの様子に、まるで本気が感じられなかった。
 佳乃の見解は、るーこから見れば渚と自分は取るに足らない見下された存在という認識である。
 ―――許せるはずもない。
 るーこの態度を咎めようと春原は再度口を開きかけるが、それよりも早く佳乃が憤慨した様子で顔を歪めた。
 そして、綾香が手放した拳銃を拾ってるーこへと向ける。衝動的に向けてしまった。

「―――ちゃんと謝ってよ! ちゃんと渚ちゃんに謝って!! じゃないと撃つよ! 撃つからね!?」
「か、佳乃ちゃん……。わたしのことは、いいから……」


 佳乃の行き過ぎといえば行き過ぎの行為を押し留めるべく渚が弱弱しく声を掛けるも、興奮した彼女の耳はるーこの謝罪以外の声を意図的に遮断している。
 思えば、診療所からここまで渚と佳乃には気の休む暇さえなかった。
 緊張に次ぐ緊張で、佳乃の精神の負担は半端ではなく、無駄に疑心を高まらせていたのだ。
 渚はまだいい。母親を亡くした事実は確かに心身を苛ませたが、彼女には共に支えあう父親が居た。 
 だが、佳乃には溜まりに溜まった感情を吐露すべき相手がいないのだ。
 出来ることなら姉の霧島聖(032)や友達のポテト、国崎往人(035)を探し出したい。
 しかし、渚の父親である古河秋生(093)に保護されていた以上、気安く助けを請うことも出来ない。
 この殺伐とした環境のせいで、ストレスを押し殺していた秋生は近寄り難いということもあったために、道中会話自体が交わされることもなかった。
 結果、深層意識では既に追い詰められていた佳乃の精神が、更なる刺激を持って表立つ。
 極限状態に高まった不安と恐怖、そして警戒心が佳乃を過剰な手段へと駆り立てるのだ。
 何処までも真剣で、今にも殺意が滲み出る彼女を、それでもるーこは問題外とばかりに目も向けない。

「うーへい。何故か家の電気が灯った。寝ていたうーあきの娘が起きたのかもしれないぞ。ともかく混乱を招く前に事情を説明しに行くべきだ」
「ちょ、待てよるーこ……。渚ちゃんの治療もして、その子も置いていけないって―――」
「わかっている。だが、今はここから離れる方が先決だ。こんな暗闇の中だ。電気が灯った民家は酷く目立つ。
 ―――治療など、後から幾らでも出来る。死にはしない、死なないように撃ったからな」
「っ!?」
 
 るーこの言い分は至極正しい。
 だが、佳乃の本能は今や完全に彼女を敵対視していた。
 認めない人間は意識の隅に追い遣る行いや、あくまで優先事項を徹底する人とは思えぬ冷徹な思考。
 ―――既に我慢ならなかった。
 佳乃とて当初は本気ではなかった。威嚇して謝ってもらえさえすれば、それだけで精神の安定が取れる筈だった。
 しかし、彼女の感情が耐え切れなくなって遂に破裂した。

「―――馬鹿にしてええぇぇ!!」

 背を向けたるーこへと佳乃は引き金を引く。
 背後から強襲する一発の銃弾は、るーこの長い髪を抜けて耳朶を貫いた。
 自制の聞かない感情を従わせる術はなく、それでも震えていた手元が照準を乱して頭部を外させたのだ。
 それは、佳乃にとって幸運だったのか、不運だったのか。
 唯一つ言えることは、これ以上精神の修復は不可能ということだ。

「―――佳乃……ちゃん」
「お、おい……るーこ大丈夫―――」

 佳乃の危うさは誰が見ても一目瞭然ではあったが、まさか本気で撃つとは春原も思っていなかった。
 異常に逸早く気が付いた渚だからこそ、拳銃を手にした佳乃を引き止めようとしたのだ。引き止めることは叶わなかったが。
 そして、るーこだ。敵意を放った者を無視できるほど彼女は寛容ではない。 
 耳朶を半場で喪失したるーこは、今度ばかりは振り返った。
 血に濡れた冷徹な表情で、下ろした銃を再び持ち上げて。

「―――あ……」

 るーこの双眸と交差したとき、撃たれると佳乃は何よりも理解した。
 彼女は自分にとって害悪にしかなりえない存在を排斥すべく無感情に撃つつもりだろう。 
 
 それは間違いではない。命を奪うつもりはないが、手足は打ち抜いて無力化する必要はあるとるーこは思っていたからだ。
 彼女はこの中で仲間と認めた人間は春原陽平ただ一人。それこそ、命の重さを天秤に掛けても言わずもがな。
 錯乱気味の佳乃をここで捨て置いた場合、百害あって一利なしとも言える状況なのだ。
 この先自分達が生き延びる確立性を検討するならば、佳乃は不要であり、言ってしまえば渚までも邪魔でしかない。
 一般的とは言い難い、何処か機械を思わせる懸け離れた思考。
 だが、るーこ自身はこれが当然の帰結と考えており、春原も同調してくれると本気で思っていたのだ。

「―――おい! 早く逃げろっ!!」
「……うーへい……?」


 なのに、春原から飛び出した声は、るーこを制止する声でも心配に心痛める声でもない。
 何処かショックを受けた表情でるーこは小さく春原の名前を洩らしたが、聞こえていなかったのか、彼はこちらを見向きもしなかった。
 るーこに見切りをつけて、茫然とする佳乃へと必死に言葉を掛ける春原の姿。
 何故認めてくれないのかと、動揺に震えていた瞳が徐々に鋭くなっていく。
 ―――感情が冷え込んだ。
 自分の価値観を信頼する仲間に否定された気がした。
 危険な自分を遠さげるよう佳乃を促す春原ではなく、言葉を掛けられている彼女が一番許せなかった。 
 形容し難いドス黒い感情が、彼女の精神をどっぷりと浸す
 振り切るように目を閉じて、開いた時には冷酷な双眸が浮んでいた。

「―――もういい」
「―――え」

 命は保障して無力化するつもりであったが―――やめた。
 理解できぬ感情に支配されたまま、るーこは抗うことなく銃弾を放った。
 ―――一発。二発、三発と佳乃の身体を容赦なく蹂躙していく。
 銃声が鳴り止むと、座り込む渚の横へと佳乃は目を見開きながら倒れこんだ。
 彼女にとって唯一幸いと思えたことは、早々と心拍を停止させて痛みを感じる間もなく逝けたことだろう。
 
「え……佳乃ちゃん……?」

 自身が感じる痛みも忘れて、渚は無垢な赤子のように呆けていた。
 先程まで確かに人間であったものが、今や感情を感じさせない人形のように横たわる。
 それを冷然と見下ろするーこには、罪の意識があるようには到底見えない。 
 恐れか怒りか、春原は身体を震わせながらるーこの肩を掴んで振り向かせた。

「何やってんだよるーこ!! お、おま、お前……何やったか分かって……」

 だが、肩に掛かる春原の手をるーこは振り払った。

「……騒ぎが大きくなった。うーあきには悪いが早々と離れることにしよう」

 るーこは春原へ極力目を合わさないようにして、その場から離れようとする。
 もうるーこが何を考えているのか理解できなかった。
 声を震わせながら、最後の望みを掛けて声を掛ける。

「―――渚ちゃんは……渚ちゃんはどうするんだよ……?」

 るーこは春原の声に歩みを止めはしたが、決して振り返らずに答えた。

「見捨てる。生き残るためだ、余計な負担は掛けられない」
「―――っ!?」

 間髪入れないるーこの簡潔な言葉。それは予想できた言葉であり、望まない返答である。
 俯いていた春原が顔を上げたときには、怒りとも悲しみともいえない曖昧な表情で顔を引き攣らせていた。 
 春原の視界が真っ白に染まり、気が付いたときにはるーこの背にスタンガンを押し付けていた。

「うーへいっ!? お前―――」

 ビクンと、電流が駆け巡ったるーこの身体を一際大きく跳ねさせた。そのまま糸が切れたように地へと倒れ付す。
 一瞬視線が交差したとき、裏切られたように彼女の瞳が揺れていた。
 春原はるーこの視線に込められた意図に気付いていたからこそ、負い目を感じて彼女から目を離す。
 立て続けの展開に声も出ない渚へと、彼は駆け寄った。

「渚ちゃんっ。傷見せて……」
「す、春原さん……佳乃ちゃんは、佳乃ちゃんはもう……」
「……ごめん」

 誰に対して謝ったのか、当の本人も分からなかった。
 佳乃の遺体や倒れたるーこらには目を向ける勇気がなかった春原は、二人を視界に収めぬよう脂汗を浮ばせる渚の容態を確認しだす。
 見たところ、銃弾自体は彼女の右の太ももを貫通していた。体内に銃弾が残っていなくて幸いだった。
 だが、この場に治療具などあるはずもないので、今は血止めをすることしか出来ることはない。
 春原は足から流れ出る血液の量に動転しながらも、逸らしていた佳乃の亡骸を目にした時、その左手に巻きつけられたスカーフの存在を思い出した。
 借りるよと、言葉を吐くことも叶わぬ彼女へと小さく声を掛けて、慎重に結びを解いていく。

「それ、佳乃ちゃんの……」
「……うん。渚ちゃんの為に、使わせてもらうよ……」

 民家から洩れる光を頼りにして、痛々しく赤に染まっていた白磁のような柔肌へと黄色のスカーフを慎重に巻いていく。
 痛みを堪える喘ぎのような吐息に、スカートから伸びるしなやかな太腿に触れていると、欲情心が高まってくるのを自覚する。
 こんな状況でなければ、春原が親友と思っている岡崎朋也(012)を差し置いてどうにかなってしまいそうだった。
 不謹慎な感情を気力で自制して、何とか結び終わることが出来た。

「……ごめんなさい、春原さん……」
「いや、るーこを止められなかった僕の責任でもあるから、さ……」

 お互いが言葉を失くした様に顔を俯かせる。
 暗い表情を浮ばずには入られなかった。るーこのある意味蛮行な乱心に佳乃の死。
 何もかもがやるせなかった。
 無力な喪失感を抱えながら、これからどうするべきかと二人は頭を悩ませる。
 ―――その時、渚の視界を何かがちらついた。 
 なんだろうと思い、目を凝らして間もなく驚愕に硬直する。

「―――春原さんっ!!」
「―――え?」

 渚の切羽詰った声に春原が疑問を感じる暇もなく、彼の即頭部に強烈な衝撃が走った。
 膨れ上がる混乱をそのままに、春原は衝撃に吹き飛ばされて昏倒する。
 渚の瞳には、足を振り抜いた姿勢のままで不適に笑う綾香の姿が映っていた。

「いっ、てえ、ぇ……」
「大人しく見ていれば仲間割れ? 笑わせないでよ」
「ど、どうして……」

 るーこに撃たれた筈の綾香が、何故か五体満足な姿に渚は身を凍らせる。
 地に頬をつけた春原も、信じられないような視線を寄越した。
 二人の視線に満足そうな笑みを浮かべて、彼女は服の上からお腹を擦って見せる。

「ホント、ダニエルには感謝ね。衝撃は吸収し切れなかったけど、銃弾は防ぎきれるようだし」
「ぼ、防弾チョッキ……」

 納得がいったことに対する満足感などあるはずもなく、この構図は限りなく絶体絶命であった。
 膝に上手く力の入らない春原と、同じく立ち上がることが難しい渚。
 少量の抵抗で如何にかできるほど今の綾香は温くないだろう。
 綾香は立ち上がろうと足掻く春原へと悠々と歩み寄り、その背を問答無用に踏みつけてやる。

「―――げっ、ぇえ……」
「あら、さっきまでの勢いはどうしたのよ? 偉そうな能書きを垂れ流していたわりには情けないんじゃないの」

 潰される形になった春原を、今度は脇腹を蹴り上げて仰向けに転がせた。
 彼は大きく咽ながら、表情を口惜しげに歪ませる。
 抵抗する術のない春原を、綾香は思いのまま足で嬲っていく。
 頭部を蹴り上げ、肩口に踵を落とし、胸を抉って、腹を蹴り飛ばす。
 自由に動けぬ渚が、悲鳴混じりの声で制止を訴えるが、聞いてやる必要などありはしない。

「―――うぁ! がっ。ぐっぁ……っ」
「はははっ。大ぼら吼えてたあんた達も形無しね!? ほらっ! ねぇ、現実を見たでしょ? っと! そこのるーことか言う女も野蛮極まりなかったわよね!?
 ある意味っ! 大したものよ! でもね、間違っちゃいないのよ! 実際っ! 馬鹿なコトしてんのはアンタ達なのよ!!」

 口を開いても、彼女は蹴ることをやめない。
 身体を丸めて痛みを耐える春原の必死な抵抗を、嘲笑うかのような防御の隙間を狙って攻撃していく。
 春原には散々好き勝手に言われたのだ。鬱憤を晴らすかのように綾香は蹴り続ける。

「ホント最ッ悪! 私が早急にゲームに乗ってればねっ! あんなクソガキなんて秒殺なのよ! 殺したモン勝ちよねっ!?
 情けないったらありゃしないわよ!! あんた達も! 早くねっ、気付きなさいよ!!
 この島にはねっ! 上手いこと人を殺す悪者と! まんまと騙されるぅ! 馬鹿しかいないってことをね―――っ!!」
「ひっ、ぐぁ! っあ、う、や、やめ―――」
「―――酷いですっ! やめてっ、やめてあげてくださいっ!!」 

 憂さ晴らしの対象は春原だけではない。
 自分を騙した朝霧麻亜子(003)の怒りも今ここで発散していた。
 綾香の猛威を一身に受ける春原は溜まったものではなく、血反吐を吐きながら身体を固める。
 だが、それに意味はなく、頭を庇ったら脇腹を。蹴られた箇所へと手を伸ばすと、待ってましたとばかりに頭部を炸裂する渾身の一撃。

「ほらっ! ほらっ!! 女に好き勝手嬲られる気分はどうっ!? 悔しいでしょ! 憎らしいでしょ!!
 言わなくても分かるわよ! でもね! そんな顔してもダメよ! 馬鹿なあんたが死んでいくのは馬鹿なあんた自身が悪いのよ!!」
「やめてください! やめてください!」
「―――は、はぁ、はっ。……ふん、ヘタレ野郎が。そこで見てなさいよ……」

 反応が薄くなったてきた春原に面白みをなくしたのか、ようやく暴行の手ならぬ足を止めた。
 渚があまりにも懇意に叫ぶものだから、鬱陶しく思ったという理由もあるが。
 そして、その矛先が渚に向かうのは不思議ではない。 

「―――結局ね。貴女みたいに叫ぶだけで何もしない奴が一番気に食わないのよ、私は」

 座った眼つきで歩み寄る綾香の姿に、今度は自分の身に危険が迫っていることを自覚して、渚は恐怖に駆られる感情を隠せずにいた。
 近づく綾香を必死に遠ざけようと駄々をこねる様に後退るが、民家の壁にぶち当たって容易く追い詰められた。
 ゆらりと、綾香の両手が渚の首へと掛かる。
 喉仏を押し潰すように、ギュッと握りこんだ。

「―――っ、あぁ……」
「ふふ……。あんたなんかね、どうせ直ぐ死ぬに決まってるわ。銃で撃たれたらきっと痛いわよ? 喉を切り裂かれたら物凄い激痛かもよ?
 でも安心して……私が一時の苦しみと引き換えに優しく殺してあげるから―――っ!!」

 握り潰すかのように押し込んだ両手が、渚の顔色を土気色に染めていた。
 掠れるような吐息を洩らし、悲鳴を上げようにもそれさえも許されず。
 全身ぼろぼろとなった春原が、軋む身体に無茶を利かせて立ち上がろうとするも、二人は手が届かぬ位置にいる。
 苦しみから解放されるべく、渚の視界が霞んできた時に。
 ザッと土を踏みしめる音が彼女達の膠着を切り裂いた。

「―――こ、これは一体……」

 肩口を押さえた男性―――橘敬介(064)だ
 何発かの銃声に止む無く引き返してきた敬介の眼前には、まさに死屍累々といえる光景が広がっていた。
 現在進行形で首を絞める見知らぬ少女に、絞められる先程逸れたばかりの渚。
 るーこと春原は蹲り、佳乃に至っては血塗れで倒れ付していた。
 そして、一番理解したくない光景が目に映ったとき、敬介は我を忘れて絶叫する。

「―――理緒ちゃんっ!?」
「ぁ、……ち、ばな、さん……?」

 敬介の悲痛なその叫びは、生死を漂っていた理緒を虫の息で覚醒させる。
 不鮮明な意識の中で、確かに彼女は口を開いた。
 その声が敬介に聞こえていたのかはともかく、彼は理緒へと我先に駆け寄ろうと走り出す。

「―――ちっ。戻ってきたのか……」

 駆け寄ってくる橘の姿に舌打ちし、渚の首に掛かる両手を乱暴に振り払った。
 渚は頭を壁に打ち付けながらも、開放された首元を押さえて咽込んだ。 
 綾香の優先度の対象が敬介へと移行したため、まずは佳乃の近くに転がった自身の拳銃を拾おうとこちらも駆け寄った。
 視界に嫌が応にも入ってくる綾香の姿に、この惨状を引き起こした原因は彼女であると敬介は当たりをつける。
 そして、綾香が拳銃を目指していることには気が付いており、まずは彼女をどうにかするべきだとは分かっていても、既に拳銃までは目と鼻の先。
 間に合わないと、半場諦めかけていた時に、走っていた綾香の膝がガクンと落ちた。
 綾香は倒れそうになる身体を何とか掌を地に付けて留め、引力を感じた脚部へと振り返る。

「―――なっ。まだ動けて……っ!!」

 何と綾香の足首を、理緒が横たわりながら握り締めて行動を妨害していた。
 とっくに死んだものとばかり思っていた綾香は、予想外の横槍に慌てて理緒の手から引き抜こうともがく。
 だが、最後に振り絞った力は存外に強く、抜けないことに若干動転していた綾香は、理緒の動きも見過ごした。
 理緒は震えた手付きでポケットから鋏を取り出し、精一杯もう一方の腕を振るって地を滑らせる。
 意図に気付いた敬介も、彼に向かって放られた鋏を足を止めないで回収して綾香に迫った。
 同時に、未だ足首を掴まれて動けぬ綾香が痺れを切らし、始めからこうしていればよかったと言わんばかりに理緒の鼻っ面に拳を叩き込んだ。 
 鼻骨が折れたのか、ゴキリという嫌な音を響かせて鼻血を盛大に散らせた。

「鬱陶しいのよ死に損ないが! 放しなさいよ……!!」
「―――離すのは君だ!!」
「っ!?」

 ようやく緩んだ理緒の腕を蹴り払うが、既に敬介は綾香へと肉薄している。
 光物を女性に向けるには抵抗があったが、それでも判断を見誤らずに敬介は彼女の左の肩口へと鋏を突き刺した。

「っあああぁぁ―――っ!?」
「―――理緒ちゃんっ!!」

 肩口を中心に広がる激痛に、綾香は地面を転げまわる。
 その隙に理緒の傍へと寄り、彼女の小さな身体を抱き起こす。

「理緒ちゃん! 理緒ちゃん!! くっ、どうしてこんなことに……っ」

 微かに開いた理緒の眼は、焦点が合わさっていないように彷徨っている。
 ―――地へ撒き散らす鮮血の水分。素人目から見ても、どう転んだとて助かりそうにない。
 彼女の目を逸らしたくなるような凄惨な容態に、敬介は後悔の残る表情で歯を食いしばっていた。
 この状況。敬介が判断しても、これでは全滅ではないか。
 あの時、幾ら慌てていたとはいえ理緒を残してきたことは失敗だったのだろうか。
 彼は今日一日で幾多の参加者と遭遇したが、それでも類稀な幸運で生き延びてきた。
 そして、そんな敬介に同行を申し出たのは他でもない、理緒である。
 彼女は言っていた。

 ―――私は、一人の女の子の犠牲の上で生きているんです

 澄んだ瞳で、何処までも真っ直ぐに進もうとする彼女の心意気。
 頑張ることだけが取り柄だと、一切の誇張なく誇らしそうに語っていた純粋な姿。
 その時点で、敬介にとって理緒との関係は保護者ではなく、この異常な半島で生き残るべく、協力し合う心強い仲間であった。
 苦労や災難を共に乗り越えて、何時か年の近い娘と仲良く話す姿を、彼は夢見ていたのだ。
 だが、その矢先の出来事。
 もうそれが叶わぬことと思ってしまうと、理不尽なやるせなさに涙が込み上げてくる。
 敬介は感情の吐露すべき相手を、半身を起こして此方を睨みつける綾香へと定めた。
 理緒を優しく横たえさせて、感情を爆発させたように綾香へと飛び掛る。
 綾香は、挙動無しに襲い掛かってきた敬介に反応できずに、勢いのまま押し倒された。
 両の手を押さえつけるように、綾香を馬乗りの姿勢で拘束する。

「―――何故こんなことをした……?」
「くっそ……っ。はな、しなさいよっ」

 四股が束縛された以上、彼女の抵抗は難しい。
 片足や片腕という一方が使用できる状況ならば、寝技でも反撃でも出来ようものだが、流石に純粋な大人の力を退けるような怪力は綾香とて持ち合わせてはいない。
 敬介の言葉には耳を貸さず、拘束を解こうと暴れ狂う。
 ―――彼は激情した。

「―――何故こんなことをしたと聞いている!!」
「っ!? な、何なのよ……」

 綾香は敬介の迫力に蹴落とされて、抵抗の力をピタリと止めてしまう。

「理緒ちゃんが何かしたのか!? 彼らが何かしたのか!? どうして殺し合いなんて真似が出来るんだ!」
「五月蝿いのよ優男が! あなたも助け合うとか甘いことを夢見るクチなワケ? はっ」

 敬介の言葉に、綾香は心底馬鹿にした態度でせせら笑う。

「……何が可笑しいんだい」
「何から何まで可笑しいわよ。いい大人が馬鹿じゃないの? こんな状況になってまで覚悟を決めないなんて正気の沙汰とは思えないってことよ。
 一体ゲームに乗った奴が何人いると思っているの? そこに殺意がある以上、人が死なないなんてある訳ないじゃない。
 それとも何、あなた自殺志願者だったりするの? そうじゃないなら、積極的に殺し合いした方が利口だし長生きできるわよ」
「じゃあ、君は正しいと思って人を殺しているのか……? それが利口だと思うからゲームに抗わないのか……っ!」

 淀みなく言葉を滑らせる綾香の意見は、敬介の意見と真っ向から対立する。
 年端も行かぬ少女が、こうまで物騒な物言いを平然と口にすることが驚愕に値した。
 そんな敬介の視線に当てられても、彼女は事もなく口を開く。

「私? 私の目的は復讐よ。正しいと思っているかって? そうでも思わないとやってられないわよ。
 ……私はね、もうこれ以上偽善的なことをして馬鹿を見るのは沢山なのよ。だからね、嘗ての馬鹿だった私を見ているようで、あなた達は不愉快なの」

 同類嫌悪と近いものだ、綾香の感情は。
 敬介とて始めから説得が出来るとは思っていなかったが、こうまで価値観の食い違いがあると驚かざるを得ない。
 先程相対した神尾晴子(024)の方がまだ分かる。
 過激な手段ではあるが、あくまで娘を生かそうとする奉仕精神があるのだから。
 だが、綾香は復讐と同時、受動的なことに疲れを見出していた。
 積極的に行動しない輩を、何よりも積極的に動いている自分が嫌悪してしまうのは致し方ないこと。
 つまり、情けない人間を見ていると、無性に腹が立ってくることと大差ない。
 ある意味最も人間らしく、狂気に走った正常な少女といったところか。
  
 ともかく、綾香は何とかして拘束の手が緩まないものかと試行錯誤する。
 四股が不自由なこの状況、綾香自身が好転させるべきことは存在しない。
 地に倒れる春原と渚もしばらくは立ち上がれそうにもないだろう。どの道、綾香にとっては二人とも敵なのだが。
 即ち、捕らえる当の本人が何かしらの要因で手を緩めなくてはならない。
 そして、それは唐突に到来した。
 無論、綾香にとっては好機と呼べること。


「―――渚あぁぁっ!!」
「お父さんっ!」

 古河渚の父―――古河秋生が神尾晴子の妨害を振り切って現れた。
 秋生の双眸は、まず始めに渚を捉える。太腿を打ち抜かれて、座り込んだ渚の姿を。
 次いで、綾香に馬乗りになる敬介を眉を吊り上げて睨みつける。

「テメェ……上等じゃねェか橘敬介ぇ!! 」

 それは、敬介が現れた時とまるで構図が逆だ。
 烈火の如く怒りの表情を浮ばせる秋生に、それこそまったく心当たりがない敬介は当然困惑する。
 何故敬介の名を名指しで罵っているのか、疑問に尽きるが今は謂れのない事実を否定するべく言葉を洩らす。

「な、なにを言ってるんだ……。この少女は―――」
「―――早くこの男を!! これ以上死人は増やしたくないのよ私は!」

 してやったりと言わんばかりに敬介の言葉を遮った綾香は、秋生から見えない角度でさも愉快気に笑みを形取る。
 信じられない瞳で敬介は綾香を直視する。それは、渚と春原も同じこと。
 確かにこの状況ならば、敬介が綾香に危害を加えるべく襲っているようにしか見えない。
 マーダー像を植えつけられた敬介より、現在切羽詰った様子で言葉を掛ける綾香の方が説得力があるというものだ。
 綾香の不自然のない擬態に、秋生は傷付いた渚も相成って興奮の度合に拍車を掛けた。

「そこぉ動くんじゃねェぞ馬鹿野郎が……! 嬢ちゃんは……クソっ! やられたのか……っ」

 さらに近くに転がる春原にるーこ。そして、血塗れで倒れる同行者の佳乃の姿。
 秋生の敬介を見る目は、完全に大量殺人者を既に疑ってはいない視線だ。

「待ってくれ! 僕じゃない! そもそも急に何故そんなことを……」
「お、お父さん……この人はわたし達を助けようと―――」
「―――黙されるな渚!! コイツはな、人が良さそうな顔で近づいて不意打ちを噛ます悪徳非道な輩なんだよ!!」

 晴子と遭遇したときは何も言わずに助けてくれた筈なのに、この翻した態度は何だ。
 彼女に何か吹き込まれたのだろうか、そう思わずにはいられなかった。
 綾香の戯言に驚きはしたが、我に返った渚は弁護の口を開くも、秋生は聞く耳を持たない。
 秋生からしたら、無条件で人を信じ込んでしまいそうな人柄の渚は、敬介にまんまと騙されているとしか思えないのだ。

「本当に待ってくれ!! 僕は今の今まで不意打ちなんてやっちゃいない! 何かの間違いでは……」
「じゃあ、この惨状をどう説明つけんだよ!」
「僕が来たときには既にこうなっていた!! 理緒ちゃんだってこの女の子に―――」
「なっ……酷い! ちょっと待ちなさいよ、私に罪を擦り付けるの!?」
「き、君は何を言って……」
「テメェ……言うに事欠いてツラが厚すぎんじゃねぇのか……」

 綾香が加わる激化した罪の罵りあいに、誰の真偽が正しいのか判断がつかなかった。
 春原と渚の二人は、敬介がマーダーかはともかくに綾香が間違いなく人を殺していることは直に体験したから疑うべくもない。
 だが、衰弱気味の春原は口を開く事も億劫で、渚のか細い声では加熱する激論に口を挟む余地もないのだ。
 言えることは、敬介にとって有利な点は見当たらないということである。

「なら聞くけど、どうして僕を疑うんだ! 確かにこの状況なら疑われるのは仕方ないとは思うけど、これは必要処置であって―――」
「―――天野美汐って子にあったかよ?」
「あ、会ったよ。彼女がどうしたんだ……?」
「そうかい。俺も会ったぜ。テメェから命辛々逃げ延びたっていう天野美汐にな……!!」
「―――なっ!? そんなバカな……」

 秋生とて、美汐の眉唾ものの話をすんなりと受け入れるつもりはなかったが、都合よく襲い掛かっている現場を見てしまえば事実を頷かざるを得ない。
 春原や渚、そして綾香までもその話に驚きの表情を浮かべた。
 そして綾香は、敬介にしか聞こえぬ声量で呟きかける。

「へぇ……。何よあなた同類? あの餓鬼と同じ手法に騙されるなんて……。やってくれるじゃない」
「やってくれたのは君だろう……っ!!」
「グダグダ言ってんなよ!! いいからテメェはその嬢ちゃんを離しやがれ!」

 ―――駄目だ。
 どう弁解しても、秋生の勘違いを今は正すことが出来ない。
 そして、秋生の要求を聞いてやることも出来ない。
 危険な思考を持つ綾香を解放するわけにもいかないのだから、ますます疑惑も深まって自身の命までも危うくなってくる。
 秋生は牽制のためか、既に拳銃を敬介へと向けていた。
 苦虫を噛み締めた表情で、敬介は自問するように秋生の銃口を眺め見る。
 ―――それは、綾香にとって絶好の隙。 
 意識が拳銃に逸れていた敬介は、綾香が右腕に力を込めたことに遅まきながらに視線を寄せるも、既に片腕は切り払われた後だった。
 密かに背で隠していたものを自由になった右腕で握り、躊躇なくそれを敬介の腹部へと突き立てる。

「何時までも乗っかってんじゃないわよ!!」
「―――ぅが……!?」

 敬介は腹から広がる苦痛を感じる間もなく、綾香に強引に振り払われた。
 地を転がる敬介の腹には、彼自身が綾香へと突き刺した鋏が突き刺さっている。
 生憎と刃渡りの短い鋏であったために、それは致命傷とは成りえぬが、下手に刺さっていたものだから激痛を催す効果は充分にあった。
 嘗て椎名繭(053)を刺し、綾香を刺し、そして敬介を刺すといったまるで鋏としての用途とは懸け離れた使用方法。
 生活用品が凶器へと変わる様は、まさしく凄惨な殺し合いと言えた。
 その鋏を敬介は歯を食い縛りながら引き抜いて、既に難を逃れて勝ち誇る綾香を仰ぎ見る。

「残念だったわね? ともかく……そこのおじ様、助かったわ」
「ああ。気にすんな―――」
「―――ち、がい……ます……!!」

 友好的な笑みを浮かべる綾香と秋生を遮って、か細い声が空気を震わせた。
 もう生きているかどうかすら判別できぬほどの青白い顔色で、夜空を仰ぎ見ながら倒れ伏す理緒が口を開いた。

「―――っ……ないで。……わ、ない……で」
「まだ生きてんのかっ!?」

 佳乃以上に血液の池を作り出す理緒の身体に、もう息を止めていたと思っていた秋生は純粋に驚いた。
 その秋生が吐く言葉と同じでも、意味合いが異なる意見を持っていた綾香は、何故まだ生きていると言わんばかりに眉を引き攣らせる。
 何を口に出すか分からぬ以上、止めを刺しておきたい所だが、拳銃を持つ秋生がいる以上迂闊には動けない。

「―――理緒、ちゃん……」

 理緒が何かを訴えようとしていた。
 視界もまともに定まらない状態で、それでも何かを訴えようとしていた。

 ―――頑張ることが彼女の取り得。
 入院していた母の代わりに、弟や妹を養っていた雛山理緒は文句の一つ言わなかった。
 勤労少女と言える彼女は、それでも多忙に根を上げることなくやるべき事を貫き通してきた。
 彼女の取り得は、場所が何処であろうと変わりはしない。
 優しく受け入れてくれた敬介に対して、まだ自分は頑張れることがあるはずなのだ。
 犬死で死んでやるほど、彼女は恩知らずではない。
 手足は動かない。視界も定まらない。聴覚は既に曖昧だ。痛みなど始めから感じていなかった。
 だから、彼女は最後に想いを告げる。
 ―――息を大きく吸って、大きく吐いて。
 本当に深呼吸が出来ていたかを認識できる程、彼女の神経は既に機能していない。
 それでも理緒は、生涯で一番心を落ち着かせた気がした。
 思いの丈を、微かに聞こえる敬介の息遣いへ向けて、精一杯喉を奮わせる。

「―――っばな、さんを……。たちば、なさんを! わるく、言わないで……っ!!」

 その一声は、敬介に留まらず渚に春原、綾香に秋生にまで確かに響いた。
 余計なことをと、内心苛立たせる綾香とは反対に、秋生は理緒の真偽を確かめるべく耳を傾けた。
 敬介のことは当然疑っている。理緒がいい具合に騙されているとも言えない。
 なればこそ、瀕死な身体に鞭を打ってまで言葉を連ねようとする彼女の意思だけは、決して蔑ろにすることは出来なかった。
 片や焦燥に聞き入る者や、素直に受け止めようとする者、様々な聴衆の中、震える口を従わせて理緒は言葉を投げかける。

「……たちばな、さん。き、こえてますか……?」
「聞こえてる! 聞こえてるよ理緒ちゃん……!!」

 腹部を押さえた敬介は、夜の闇から囁きかかる真摯な声を一句洩らさず聞き取った。
 もうこれが最後だと、漠然とした直感が脳裏を巡る。
 彼女が敬介へと笑いかけることも、言葉を交わすことも、これが最後。

「……私、こんなに、なって……迷、惑ですよね。……めん、なさい」
「君が……どうして君が謝るんだ……。僕の判断ミスだ! 迷惑だなんて、決してそんなことはない!!」
「えへへ……。ホント、に、優しい人……。わ、たしね? ちゃん、と人……助け、られたんだよ……?」
「……そうか。うん、そうか……っ」

 口許を綻ばせて、理緒は誇らしそうに笑った。
 敬介は緩んだ視界で、何度も彼女の言葉に肯定してみせる。
 その姿は理緒の視界には届くものではないが、彼女の心に確かに伝わった。
 父親に褒められたように、理緒は嬉しそうに表情を緩める。

「―――わたし……あの子、に……顔向け、できるかな? 報い、ること……でき、たかな?」
「勿論……勿論だよっ」
「でも、でもっ……やっぱり、頑張り、たりないよ……」
「……人を一人助けた。後悔しているかい……?」

 小さく首が揺れた気がした。

「うん、そうだね。この島で、君は素晴らしいことをした。立派に胸を張れる行いだ! 君が頑張っていないなんて……そんなことは僕が言わせない」
「ふふ……うん、うんっ。嬉し、いな……。わた、し……まだ、沢山お礼しな、きゃ……。―――あ、ダメだ……し、した、よくまわら、ないよ……」
「―――理緒ちゃん!! 僕は此処にいる! ちゃんといるから……っ!!」

 敬介の言葉は、もう理緒には届かない。
 ―――でも、理緒はそれでも構わなかった。

「あ、ぅ……あ。み、すずさんと会え、たら……仲良く、なれた……かな。……れ、たら、嬉しい、かも……」
「当たり前だろう! いい子なんだ……二人ともっ、いい子なのに……っ!」

 ―――敬介は確かにそこにいて、今も理緒を見守っていると確信がもてるのだから。
 敬介の娘―――神尾観鈴(025)と戯れる姿を夢想して、理緒は幸せそうに目を閉じた。

「―――たち、ばなさん。こ、んな……私と、一緒してく、れて―――」

 ―――どうも、ありがとうございました!

 彼女は、そうして口を閉ざした。
 呆気のない最期であるが、未練など数え切れないほどあるが、それでも後悔だけはしなかった誇り高い姿だ。
 彼女の想いは、確かに敬介の胸へと届き渡る。
 
 敬介は溢れ出る涙は決して零さぬよう、目元を掌で覆い隠して項垂れる。
 秋生と春原は、美しくも思える気高い最期に圧倒されて言葉を失くし、渚に至っては貰い泣きだ。
 ―――だが、そんな神聖とも言える空間を、土足で踏み散らすかのように肩を震わせる女性がいた。

「―――くっ。くく……っ」
「……?」

 腹を押さえて苦しそうに震えていたのは、綾香であった。
 訝しそうな秋生に構わず、遂に耐え切れなくなったように失笑する。

「く、くはっ。アハハハハっ! な、何これ? 何なのこのセンチメンタルな空気は? あんた達……此処に何しに来てるのよ?」

 堪えきれないといった風に腹を抱える姿は、誰がどう見ても嘲笑しているようにしか見えない。
 余りにも不謹慎といえる綾香の態度に、秋生は凄みがある睨みを利かせる。

「おいコラ! 何がおかしいんだ!!」
「―――しいて言えば全部? もう我慢できないからぶっちゃけるけど、私に意味もなく殺されたその子が報われるわけないじゃない」
「なっ、んだと……っ!?」

 あっけらかんと何の悪気もなく種明かしをする様に、眉を吊り上げる秋生。
 だが、気にも留めない様子で彼女はゆっくりと歩を進めた。
 何処か自然に、そして不自然さを装わないようにして。佳乃の遺体の傍に転がる拳銃を視界に収めて着々と距離を縮める。

「もう無駄死も無駄死。何も出来なかった奴が無様に死んでいっただけの話でしょ? 見ていて私は惨めに思えたけどね。
 私が言うのもなんだけど、せめて一人でも道連れにしないと普通は満足しきれないわよ」
「テメェ……乗ってたのかよ……っ?」
「私の目的に沿う人間と、それを邪魔する奴は当然殺すわよ。この島では常識よね? こちとら一度痛い目見てるから手は抜けないのよ」
「渚を撃ったのも、そこの小僧と嬢ちゃんをヤッタのも全部テメェかよ……!?」
「あー、それは違うわよ。その女は勝手に死んだのよ。あなたの娘だって私は何も手を下しちゃいない。ねぇ、そうでしょ?」

 春原を嬲り続け、渚の首を絞めといて調子のいい物言いだが、確かに理緒以外には致命傷を浴びさせてはいない。
 理緒を蔑ろにする綾香に小さく非難の視線を寄せていた渚だが、四人の確執に関しては直接的には無関係であったために口も挟めず顔を俯かせる。
 反論のない渚を見て、綾香の言い分は強ち間違っていないことは一目瞭然であり、あの時の敬介の弁に至っては真実ということだ。
 何という失態。秋生は見誤った自身の判断を悔やむが、これで明確ながらに敵対関係が見えてきた。
 綾香にとっては全員が敵。秋生は綾香は敵であり、敬介は依然として警戒すべき対象だ。
 ある意味選り取り見取りで気楽な綾香は、自身あり気に笑みを浮かべていた。 
 秋生の表情を見る限り、まだ人を殺すことに対する甘さが見え隠れしている。問答無用で拳銃を撃たないのがいい例だ。
 そして、既に敬介を綾香は問題としていなかった。
 理緒を失って悲しみに暮れ、完全に腑抜けたと思っていたからだ。

「現実はまったくもって非情ね。私なんかが手を下さなくともバタバタ人間が死んでいくんだから。
 言ってしまえばね、その子は死期が早まっただけでしかないのよ。
 あなたの娘も、今死んだ奴も……今後苦しむことを前提にして早々と殺してやったほうが幸せってモンでしょ?
 目的ないんだから、グダグダ生き残ってても仕方ないわよね」
「―――黙れ」
「は?」

 綾香が声のしたほうに振り向くと、そこには一切の陰りのない敬介が面を上げていた。
 真っ直ぐに彼女を射抜く視線は、決して腑抜けてはいない。

「―――もう、僕がどう疑われたって構わない。だけど―――」

 鈍痛が広がる腹部を顧みず、彼は綾香の前に立ち塞がった。
 夜の闇に溶け込むようにして、静寂に息を閉ざす理緒を眺め見る。
 数時間というほんの僅かでしかない協力関係。
 元の生活では交わることのない人生を、それこそ数奇なる偶然を経て巡り合った敬介と理緒。
 後悔なく逝った彼女と、その出会いに価値を見出す敬介以外の人間が―――

「―――理緒ちゃんを冒涜することは! 絶対に許しはしない!!」

 そんな彼らの絆を否定することは、何人たりとも蔑ろにすることを容認できない。
 揺るがない決意を固めて、綾香の眼前に立つ。
 進行上、邪魔としか言えない敬介の姿に、彼女は鼻で笑いながらも眼光を鋭く尖らせる。

「許さない? 許さないと具体的にどうするのかしら」
「―――止めるさ。僕も精一杯頑張ってみるつもりだ……」
「―――面白いじゃない。満身創痍で何が出来るのか拝見したいものね?」

 綾香は上手く動かぬ肩口へ強引に力を流し込み、左右両手を拳で固める。
 脂汗を滲ませる敬介も、一歩も通さないと言わんばかりの心構えで、彼女の動きを見落とさぬよう冷静に頭を落ち着かせる。
 緊張高まる二人を横目に、比較的自由に行動できた秋生は渚を回収すべく走り出した。
 
「―――渚! 今行くっ!!」

 お互いを敵視していた敬介と綾香が相対している以上、少なくとも秋生に対する警戒が若干薄まることを分かった上で、彼は走り出した。
 この分が悪い状況下で、秋生からしてみれば彼女達と戦おうとする必然性はない。
 正直な話、渚を拾って早々と離脱することが今は得策と考えていた。
 殺された佳乃を弔うべく復讐を行うか、自身の娘の安全性を優先するか。どちらを考慮するか、言うまでもなく後者を選ぶに決まっている。
 敬介はともかく、虚を突く形となった綾香を出し抜いている状況で、彼が渚の下へと辿り着くことに何の障害もないはずなのだ。
 ―――問題がなかった筈の秋生へと、空気を裂く一条の銃弾さえなかったら、問題もなく辿り着けたのだ。
 疾走していた秋生が転倒した。

「―――お父さん!?」
「いって……何だ……?」

 じぐじぐと痛みと熱が急速に発生した脇腹へと手を伸ばすと、ぬちゃりと生暖かい水分が掌に纏わりついた。 
 撃たれたということをまずは認識し、次いで背後を振り返る。
 悲鳴を上げた渚も、発射された銃弾の始点へと正しく視線を向けていた。

「―――はぁ、はぁっ、はぁ……。自分速過ぎや……。えらい手間取ったやないか」

 秋生が突き放した筈の、神尾晴子がそこに立っていた。
 全速力で追い縋ったのか、吐息を荒げながらも、秋生へとニヤリと不敵な笑みを差し向けている。

「くそ……っ! 完全に忘れてた……」
「ほう、忘れとった? いけずやなぁ……うちはこうしてけったくそ悪いわれの為に駆けつけたっちゅうのに」

 秋生は苦々しい顔で立ち上がり、仕方なく晴子へと拳銃を向けて視線を交差させる。
 笑みの表情の裏面で決して浅くない怒りを浮上させる晴子に、背後を見せて無防備を晒すという真似は流石にできない。

「は、晴子……」
「……あなた確か、あの時の……」

 敬介は勿論のこと、晴子との面識は綾香にもあった。
 晴子もそれに気付いたのか、一度綾香に邪魔された経験のある彼女は眉を潜めて睨みつける。

「なんや……数時間ぶりやな? 邪魔すんなら今度ばっかしは容赦せんぞ」
「はぁ? 尻尾巻いて逃げたのはどこのどなたかしら? 私の記憶上、目の前のオバサンしか該当しないけれど……」
「聞こえんかったな……なんやて?」
「老化現象が進行してんじゃないの醜いババアが。引っ込めって言ってんのよ」
「―――あー、あかんわ……ぶっ殺す」
「晴子っ! もうやめろ……っ!!」
「あん?」

 この集団の中では限りなく影が薄い敬介を、今気付いたとばかりに目を向ける。
 そして、秋生が洩らした敬介マーダー発言を思い出し、周囲をざっと見渡した。
 死人の理緒と佳乃、生死が判別できぬるーこに傷だらけの春原と渚。
 晴子と遭遇したときの態度は擬態で、実の所冷酷で残忍な人間だったのだろうと、見当違いの認識を彼女は浮かべた。
 少なくとも敬介は娘の観鈴を大切に想っていることだけは、気に喰わなくとも認められる。
 ならば、お互いの見解と方針のために手を組むのもやぶさかではない。
 晴子は満足気に怒りを引っ込め、意外と役立ちそうな彼の利用価値に感心したように頷いた。

「敬介ホンマやるな……。水臭い、協力するなら嘘言わんでもええやんか」
「……僕ではない。大半はそこの子が原因だ」

 実際は晴子の考えは的外れもいいところなのだが、今この状況で必死に弁解したとしても晴子の機嫌を損なわす恐れもあったために、強く言い返すことはしなかった。
 変わりに、その矛先を綾香へと向かわせる。
 晴子も危険だが、今は極めて危険な思考や方針を定める綾香のほうが始末に終えない。
 秋生には辛うじて敵対視はされていないし、晴子に関する対処も何とか説得して説き伏せるつもりだった。
 つまり、一番扱いづらいのはヤル気満々の綾香であり、一番何とかしたいのも彼女である。
 その当の本人である綾香は、一斉に視線が集まっても肩を竦めるだけで表情に変わりはなかった。

「諸悪の根源みたいに言わないでもらえる? 間抜けなコイツラが自爆したようなものじゃない」

 渚と春原を見下したように嘲笑う。
 二人は悔しそうに唇を噛み締める。
 そして、昼に遭遇した時との余りの温度差と変わり様に、晴子は不思議そうな眉を寄せた。

「なんやねん、その一変した態度。狂ったか……?」
「うるさい。やっていることはあなたと大差ないわよ」
「確かになぁ……。自分も覚悟きめたいう訳か」
「―――っ!」

 手強い敵と成り得た綾香に、納得したように頷いていた晴子の姿を隙と見たのか、秋生が駆け出そうとする。
 だが、それよりも早く秋生の眼前の地面が銃弾で弾け、彼の動きをせき止めた。

「こら、勝手に許可なく動くなや」
「じゃあ許可くれよ」
「やるかアホ」

 秋生が動いたことにより、各々の緊張が膨れ上がる。
 際立った面々は綾香に敬介、秋生に晴子の四人。
 綾香を除いた三人は、どれも子の親であることと目的意識という二つの事項に関する共通点に誤差は殆どない。
 守るべく三人と、自身の欲を優先させる一人の人間が、ぶつかり合おうという直前。
 民家の入り口付近で転がっていた春原の耳に、ギィっという開閉音が耳朶を打つ。
 ―――一つの家の、扉が開いた音だった。
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