朝焼け後より桃色な





「上手くいきそうか」
「ぼちぼち」

パソコンルーム、黙々と作業する一ノ瀬ことみのタイプ音だけがこの場に絶え間なく響いていた。
それなりに広いこの部屋には、二人の人間が存在した。
パソコンをいじることみの邪魔をすることなく、少し離れた場所で佇んでいたのは霧島聖である。
コンピューターに関して詳しい知識を持ち得ない聖がここにいるのは、あくまで警護の意味だった。
一人パソコンに向かうことみを、第三者が狙ってくるかもしれないという可能性はゼロではない。
いざという時に無防備な状態になっているであろう彼女を守るべく、聖は椅子に腰掛けていることみと背中合わせのような形になり、入り口を凝視し見張り役のようなものをしていた。

「せんせ」
「何だ」
「無理しないで」

ぱちぱちということみの指先が奏でる作業とは、全く関係のない話題が彼女の口から放たれる。
聖は何も答えない。
恐らく、ことみは第二回目の放送のことを指しているのだろう。
行われた第二回目の放送にて、聖の探索している人物が読み上げられることになる。
霧島佳乃。聖の実妹である少女は、聖の知る由も無い場所で命を落とした。
顔には出していないものの、聖の受けたダメージは計り知れないものだろう。
身内を失うという痛みをことみも全くの想像ができない訳ではない。
それに、ことみも失った。
明るい笑顔が映える、長いストレートの髪が印象的だった友人。

「せんせ」
「……」
「もう誰も、死なせたくないの」
「私だって、そう思うさ」

そしてこれは、そのための行動だった。
会話が途切れ、再びパソコンルームにはことみのタイプ音だけが支配するようになる。
二人は涙を流さなかった。
そんな行為にひたる時間すら、惜しいと考えたのかもしれない。





「で、私達だけど」
「真希さん、ガンバ」
「いや、あんたも頑張るのよ」

ことみがパソコンを弄っている間その場で待機しているだけなのも何だということで、二人は学校の中を探索することにした。
広瀬真希と遠野美凪は、相変わらずの様子で外敵がいるかもしれないここ、鎌石小学校の中を歩き回る。

「真希さん、虫さんがいます」
「ぎゃ! ちょっと、そんな報告いらないんだけどっ!?」
「可愛いです」
「可愛くないっ!」

しかし、それにしても二人には危機感がなかった。
二人は今ことみ達が留まっているパソコンルームから離れ、一回の廊下を歩いている。
ここ、鎌石村小学校はスタート地点にもなった場所だ。
爆破されたこともあり建物にも自体にも歪みのあるここは、それプラス争いのあった後も外から確認できているため足場の注意も必要だろう。
今真希と美凪は、どうやら爆破が起こったらしい側の校舎を歩いていた。

「……っていうか、何であたし等わざわざ危ない橋渡ってんのよ」
「勇敢です、真希さん」
「あーもう、つまずきそうになる! イライラする!」
「真希さん、どうどう」

きーっ! となる真希に、美凪がおっとりと声をかける。
すっかりツーカーな二人のテンションは、傍から見れば微笑ましいものだろう。
……二人の様子は、まるで変わりがなかった。
第二回目の放送は彼女等がここ、鎌石村小学校に向かっている際に行われている。
真希は、そこでクラスメートである長森瑞佳、住井護、里村茜を失った。
残った彼女の知り合いは、折原浩平と七瀬留美だけである。
確執の残る相手だけが上手く残ったものだと、皮肉めいた感情が真希の腹の底を撫でた。

同じく美凪も、神尾観鈴という見知った名前が上がったことにより寂しさを感じただろう。
彼女とのつながりは、国崎往人との延長で作られたものである。
往人が、そして何よりもみちるの安否が、美凪も気になっているに違いない。

しかし二人は、そんな不安を口に出すことをしなかった。
今までの日常的なものを守ろうとしているその姿の意味を、彼女等は自覚していないかもしれない。
また真希と美凪は、これまで血をみる危険な争いというものを体験していない。
大切に守ろうとする日常を維持できるだけの余力が、二人にはまだあるということ。
精神的な余裕と呼べばいいだろうか。
どこにでもいる普通の少女達が潰れずに自然体でいられることは、この状況下では幸いな事実としか表しようがないかもしれない。

ふらふらとした足取りの美凪の手を取り、真希は足元の瓦礫に気をつけながら先導して進んでいく。
その様子は、どこか微笑ましい。
少し浮世離れした感のある美凪のスローペースと真希のはきはきした性格は、非常に良い相性を見せていた。

「……真希さん、すとっぷ」
「え?」

少しずつ前進いていた二人、先導していた真希の足を止めたのは後続の美凪だった。
振り返る真希に美凪はいつものぽやんとした表情のまま、少し先の廊下を指で差す。
つられるように視線を送る真希だが、美凪の意図にはすぐ気づけなかったのだろう。
目を細め様子を窺う真希、目に入る異常に気づくのはそれから三テンポ程ずれた後である。

「……」

真希の大きな瞳が、時間をかけ見開かれていく。
その間真希の網膜に焼きつけられた異常の正体は、瓦礫だらけの廊下に点々と伝わっている赤黒い水滴だった。
小走りで近づき改めてみれば、真希の嫌な予感は現実となって彼女に圧力をかけてくる。
廊下の先、ずっと続いていると思われるそれは……どう見ても、滴る血液が作ったものに他ならなかった。

「み、美凪!」

振り向く真希のすぐ傍、美凪は既に待機していた。
美凪が小さく頷くと同時、真希は美凪と二人しては血痕を追い駆けるようにて走り出す。
彼女等が初めて出会う、非日常。
これがそれだった。

暫くの後廊下の端に人影を発見し、真希はまっすぐにその人物へと近づこうとした。
壁に背を向けた状態で横たわり身動きを取らない彼から窺える面影は、真希達と同じ世代という幼さである。
少年の場所的には腹部に値する箇所を覆うシャツは、赤黒く濡れ変色していた。
廊下にある血の軌跡の出所は、恐らくこれだろう。

電気がついていないため決して視界がいいとは言えないが、真希の目に入る光景はあまりにもグロテスクだった。
少年の着用しているシャツが白地を帯びたものなのも原因だろう、漏れ出た血液の広がる様は一目で確認できる。
顔面蒼白になった真希は、その状態を理解した時点で金縛りにあったかのように足を止めてしまう。
背筋が伸びる。
真希の体に走るのは、未知のものに対する緊張だった。
その横をもう一人の少女がすり抜けていく、真希が身動きをとる気配はない。
真希は勢いで左右に揺れる少女の黒髪を、瞳で追いかけるだけだった。

「真希さん、先生を」

立ち尽くすだけだった真希の正面、少年に駆け寄った美凪の冷静な声が場に響く。
失血により顔色も不健康そうな少年と目線を同じにするようかがんだ美凪は、そのままの状態で真希に話しかけていた。

「生きています。気を失ってるだけでしょう、手当てが必要です」

てきぱきと少年の体を確認する美凪は、どこか手馴れている所がある。
真希はそれが不自然でならなかった。

「な、何で美凪……そんな、普通にしてられんのよ」
「?」
「だ、だってこんな、こんな血が出て……」

まるで自分だけ狼狽しているのがおかしいようだと、真希はそのように感じているようだった。
今まで同じような朗らかな時間を過ごしていたはずなのに、むしろしっかりしていたのは真希の方だったはずなのに。
戸惑う真希の心とは、美凪の行動はあまりにも裏腹なものである。

「真希さん」

名前を呼ばれ、真希は改めて美凪を凝視する。
相変わらずその表情の変化は乏しい、しかし漂う雰囲気から美凪が真剣である様を、真希もすぐに窺うことができた。
それは、まるで別人のものであった。
柔らかいぽやぽやとした彼女らしさが失われた訳ではない、しかしそれでも違うのだ。
今まで真希が同じ時間を過ごしてきた、遠野美凪という女の子が出す空気とは違うのだ。

「真希さん。生きている人を死なせてしまうのは、駄目です」
「な、何よ突然」
「……それだけです」

美凪の言葉は、人として当然の主張である。真希もそれが理解できないわけではない。
しかしそれでも、拭えない疑問が真希の中には残っている。
真希は問いただしたかった。
美凪に、自分の心に沸き上がる熱をぶつけたかった。
『おまえは、本当にみなぎなのか』
いつも真希の後ろをついてきて、北川と織り成すやり取りにもちょこちょこ少ない言葉を挟みこむ、ぽやぽやとした天然少女。遠野美凪。

それは、真希の心にあった驕りかもしれない。
美凪はこういう子と決め付けていた自分、それにより守ってあげなくちゃと先行していた思い込みが真希の中には少なからずあった。
だからこその混乱であり、棘が真希のプライドを刺激するのだ。

「真希さん、先生を。真希さんの方が、足、速いです。お願いします」

呆ける真希が何かしゃべろうと唇を開きかけようとするその前、美凪の唇は先に言葉を紡いでいた。
それはこの場ではどうでもいいことであると、まるで真希に言い聞かせるようでもある。
……それで真希は、何も言えなくなった。

「すぐ、呼んで来るから。ごめん、お願い」

少し硬さの残る声、真希はどこか居心地の悪さを感じながら聖がいるパソコンルームに向かい駆け出していく。
自然と込みあがる涙が恥ずかしかった、しかし真希は決してそれを溢してはいけないと歯を食いしばりながら足を動かす。
そうしてがむしゃらに走ればこのもやもやも薄れていくはずだと。真希は必死に思い込もうとするのだった。

一方、遠ざかっていく真希の気配を感じながら、美凪は改めて少年に目を向ける。
そして。
小さく、首をかしげた。
廊下の壁に寄りかかりぐったりとしている少年の麓には、何故か丁寧に畳まれた彼の物と思われるジャケットが置かれている。
どうみても、この状態の彼が施したとは思えないだろう。
反対側にも首を傾けてみる美凪だが、勿論それで何か案が浮かぶはずも無い。

「……ぁ」

ぴろーんと広げてみて、美凪はそれが見覚えのある制服だとすぐに気づいた。
上ったばかりの朝陽が差し込み視界に色を与えているこの状況の中、美凪はジャケットの色、デザインから数時間前に離れた一人の男の子を思い浮かべる。

「北川さんと、同じ学校の方?」

首を傾げたまま問いかける美凪の言葉に、答えは返ってこなかった。




一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:パソコン使用中】

霧島聖
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:ことみの警護】

広瀬真希
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校、一階】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:聖を呼びに行く】

遠野美凪
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階、左端階段前】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:祐一の状態を確認している】

相沢祐一
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階、左端階段前】
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:気絶、腹部刺し傷あり】
【備考:勝平から繰り返された世界の話を聞いている、上着が横にたたまれている】
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