走れ獣よ、お前は美しい





 ボタンは激怒した。
 必ず、かの邪智暴虐の主催者を除かなければならぬと決意した。
 ボタンには殺し合いをする理由がわからぬ。ボタンは、藤林杏の飼い猪である。笛を吹き、人間と遊んで暮して来た。
 けれども邪悪に対しては、人(?)一倍に敏感であった。
 きょう正午ボタンは出発し、野を越え山越え、十里(くらい。本人の感覚で)はなれたこの鎌石村にやって来た。

「……やれやれ。杏の姉御もどこに行ったものやら。無事だといいのだがな」(※ボタンの声は翻訳されています)

 高くそびえ立ち、威嚇するように自分を見下ろしている民家群の中を移動しながら、ボタンはそう呟いた。
 ちなみにやたらとハードボイルド風味なのは仕様である。

「しかし、何の匂いも……いや、『ニンゲンの』匂いはあるか。……以外は何も匂わんな。犬どもや猫どもの匂いが微塵も感じられん。それだけじゃない、植物や建物も新しすぎる。言っちゃなんだが、温室栽培、って感じだ」

 違和感。それはどいつもこいつも「天然物」ではないということだ。
 それは即ち、全部が作り物ということを意味している。
 ボタンとて人間の世界に住まう以上、人工物には幾度となく触れてきたし、所謂養殖物と言われる食べ物が現在の主食だ。
 だからと言って、この世界は異常だ。全てが人工物であるなど在り得る訳がない。

 そう、島をまるごと一つ作り上げるなど。
 しかもかかる費用が莫大過ぎる。埋め立てるならともかく、どことも知れぬ海上に一から建設し、その上電気、水道などの管理施設まで用意するとすればそれは娯楽の範疇を超えている。
 加えて土地の問題もある。いきなり島一つ建てられるわけがない。時間は必ずかかるはずなのだ。だとすれば、その途中で必ず権利問題などが生じるはず。そこをどうやって切り抜ける?

 今のうちに解説しておくが、ボタンが博識なのはいつも杏の膝の上でテレビを見てたり床に置いてある新聞を眺めたり近所のおばちゃんの世間話を聞いたりしていたお陰である。人間バンザイ。

 それはさておき、こんな催しを開催するとすれば国家単位でやっているという可能性が一番大きい、がリスクが大きすぎる。
 人間界の情報は驚くほど早く、正確だ。マスコミならともかく、国家単位で行う諜報のレベルからすると、とてもではないがこんな催しを隠しきれるわけがない。並大抵の国家なら全世界から非難を浴びて大爆撃の喝采は確定だろう。
 ……そう、権力と圧力が必要なのだ。殺し合いを開催するのであれば、その非難すらも押し潰す圧倒的な権力が。
 アメリカ。権力の大きい国家としては世界でも随一だ。その線もある。だが如何にアメリカとて軽々しくそのような行いができるはずもない。それくらいの理性はある。
 だとすれば、可能性はもう一つ。もうそこしか見当たらない。

「……篁財閥。ここ最近、一気に有名になった、全世界に影響があるとすら言われる巨大企業……」

 テレビから得た情報でしかないが、それくらいはボタンも知っている。
 全世界に影響を及ぼす、などという言葉があるくらいなのだから開催すること自体は可能だろう。
 問題は巻き起こるであろう、全世界からの非難をどう回避しているかということだ。
 金だけで倫理や道徳は踏み潰せない。国家に手出しをさせないためには絶対的な恐怖と、脅威が必要だ。
 そう、今やっているこのバトル・ロワイアルのように。

「……まさか、な」

 ボタンの中に一つの可能性が浮かぶ。
 核兵器。それを篁財閥が所有しているという可能性だ。
 核の抑止力は有効性が薄れつつあるとは言え、現代においてもその効力はまだまだ十分に力を発揮している。篁財閥ならばそれを手に入れるのも容易いことだろう。いや手に入れるだけでなく、発射する手段すら確保できると言っても過言ではない。
 篁財閥はあらゆる事業に手を出していると耳にしたことがある。それこそ、食品販売から武器兵器の売買にまで。その上で太いパイプを持っているとするならば、おおよそ不可能ではない。
 ……放送で、篁、という人物が呼ばれていたのが気にかかるが……同姓の別人であろう。トップが現場に出てくることなど在り得ない。

 オーケイ。ならば篁財閥がこの殺し合いを開催したとしよう。
 その目的は何だ?
 こんな非人道的なことを無理矢理させるのに意味があるとは思えない。
 単に殺し合いをさせるだけならそれこそ闘技場のようなところに集めて一斉に戦わせればいい。その方が高尚な悪趣味を持っておられる方々もお喜びになるでしょう、ええ。

 それに自由度を持たせているということは、それだけ参加者に抗う手段を持たせているということに他ならない。
 ちょこっとしか見てないが、USBメモリなんてのはその典型だろう。他にも何かを解除できるスイッチなんてのもあった。
 時間もかけすぎている。こんなものは誰かに気付かれ、妨害をされる前に手っ取り早く終わらせたほうがいいに決まっている。無駄に時間をかけても遊戯としての面白みも薄れる(参加しているこっちは全然面白くもありませんが、クソ)だろう。それこそ首輪に時間制限を設けて短期決戦にした方が早い。
 それに参加させられている面子も、この間まで普通に学生していたような連中や、普通の人間ばかりだ。
 恐怖を煽り、疑心暗鬼から来る人間の醜さでも演出したいのだろうが、だとしたら尚更短期決戦に……という結論にしかならない。

 まるで素人だ。いや、単純に殺し合いという枠の中に放り込んだだけのようにすら見える。
 そこに合理性や目的は見えない。それなりの形にさえなればいい、という意思すら見え隠れする。
 いや、まさにそれだとしたら?

「人が減った後にでも……何かを仕掛ける気なのか」

 何度も繰り返すようだが、ボタンがここまで賢いのは日々の努力と彼の明快なる頭脳のお陰である。
 つまり、ボタンは天才なのだ! それはともかく。

 だとして、何を仕掛ける? わざわざ殺し合いをさせるという手間をかけてまで、それに誰が生き残るかも分からない状況で、特定の人物だけが生き残るのを期待するのはほぼ不可能だ。
 つまり、生き残る人間自体は誰でも良くて、その上で殺し合いに勝ち残り、肉体的にも精神的に変貌した人間を集める。

 怯え、逃げ惑うだけの人間。
 狂気に駆られ、殺戮の波に飲み込まれた人間。
 理想だけの非現実主義者的な人間。

 これらの人物はここまでに淘汰されている可能性が非常に高い。そして生き残るのは……
 鋼の如き心を持った、芯の強い、屈強な人間だ。
 それが殺し合いに乗っているいないに関わらず。

 ……そして考えられるのは、強くなった連中を「何か」と戦わせることだ。
 殺し合いという異常な環境を通して強くさせる。恐らく、ではあるがどんなに精神的に強固になったとして、その根底にあるのは「生き残りたい」という思いであろう。そこに服従といった主催者に従わせる意思は多かれ少なかれ失われていくはずだ。
 最初から主催者の手駒にする気など毛頭ない。その代わりに何かと戦ってもらう。もしくはその力を何かに試す。実験台として。
 弄ばれ、モルモットにされている……そうであるかもしれないと思うと、ボタンのはらわたが燃えるように煮えくり返っていた。

「ちっ、杏の姉御をそんな実験台にさせてたまるか」

 己の主人であり、絶対的な忠誠心を捧げている杏のことを思えば尚更であった。
 路頭に迷っていた自分を優しく抱き上げ、暖かさで接してくれて、今日まで大事にしてもらった恩義を忘れたことなどありはしない。
 ボタンは情の猪であった。ボタンは仁義の世界に生きる猪である。ぶふー、と獰猛な鼻息を吐き出しながら更に考えを進める。
 そう、仮にこの説が正しかったとして何の実験にするのか。

 鬼ヶ島の鬼退治か?
 世界に誇る最強軍隊の実戦練習?
 それとも未知の超兵器との対決?

 どれもありえそうだから困る。何せ相手は篁財閥なのだ。
 ……しかし、これだけははっきりしている。
 この殺し合いに優勝はない。参加者に待ち受けているのはお互いに殺しあっての死か。
 或いは今後待ち受ける主催者の実験台にされての死か。

 まともに戦っているなら、運命はこの二択しかない。
 無論伊達や酔狂で、上層部の人間たちの悪趣味でこんなことをした、という可能性もある。
 ボタンの考えはあくまでも推測でしかなく、真実など分かりようもない。
 ならば運命に逆らうしかない。真実を知るためには、反逆の道を選ぶしかない。

 そうだ、考えろ。この殺し合いは過程だとするなら。過程だからと高をくくっているのなら。
 抜け道はどこかにあるはず。どんなに包囲網を厳しくしようともそれを考え出すのは人間。ならばどこかに必ず穴がある。
 その穴の一つが、ボタンだ。

「……俺には首輪がない。ポテト……いや、マスター・オブ・裏庭にもな。獣だからと、舐めてかかったな」

 参加者には必ずある首輪。それは絶対的な拘束力であると同時になければもはや縛る要素はないと言っても過言ではない。
 そう、それが自分達にはない。つまり、本来の参加者が入れないところにもボタンやポテトは入れるはずなのだ。
 突くべきはそこ。だが、その入れる場所の、そこが分からない。そこだけは人間の力を借りる必要があった。

「杏の姉御が第一目標だが……他の人間とも接触を試みてみるか……賢そうな奴がいい」

 幸いにして、自分は人間に可愛がられやすい姿である。無闇に攻撃はされまい。

「……ま、ボチボチやってみますか……ん!?」

 ふと、風に乗って何やら焦げ臭い匂いが鼻につく。
 ふごふごと鼻を鳴らしながら、ボタンはその根源を探る。犬ほど利かぬとは言え、これでも獣の端くれだ。
 探りを入れつつ辿ってみれば、その大元は今差し掛かっている坂の上から来ていることに気付く。

「ドンパチか……ちっ、どうする、行くか……?」

 考えかけて、ふと主の杏ならばどうするだろうと想像してみる。

『行くに決まってるじゃない! もしあそこで誰かが助けを求めているなら……放っておけないでしょ!?』
「……ああ、そうだな、杏の姉御ならそうするか!」

 威勢のいい掛け声と共に、想像の杏が華麗に、真っ直ぐに、しなやかな足を振りかざしながらボタンの眼前を駆けて行く姿が見える。
 ならば、それに従わぬ理由はない。
 時既に遅し、かもしれないが。行かぬよりはマシ。
 言葉通りの猪突猛進で、ボタンは坂を駆け上がっていくのだった。

「……あいてっ!」

 ……時折、くねった道を曲がりきれずに木に激突したりしていたが。




【時間:二日目午前18:50】
【場所:D-3】

ボタン
【状態:杏を探して旅に出た。火災元(ホテル跡)へ直行。主催者に怒りの鉄拳をぶつける】
-


BACK