彼女達の流儀





「有紀寧お姉ちゃん!」

 戻ってきた宮沢有紀寧を目にするやいなや、柏木初音は待ちかねていたように駆け出し有紀寧の胸に飛び込んだ。
 中々帰ってこない(とは言っても精々数十分の間なのだが)有紀寧に、初音は心細くて仕方なかった。
 何せ丸二日以上経過しているのに家族にはまるで会えないのだ。

 柳川裕也という親類には出会えたものの正直に言えば初音には縁の薄い関係であったし、彼の持つ人を寄せ付けない雰囲気にも少々戸惑いを感じていた。
 むしろ、まるで本当の姉のように振る舞ってくれる有紀寧の方に初音は信頼を寄せていた。彼女といた時間が長かったというのも理由の一つではあったのだが。

 とにかく、家族に会えない不安を有紀寧がいくらか緩和してくれていたのは事実であった。
 初音は抱きついたまま、飛び出していった柳川の行方を尋ねる。

「おじさんは……どうなったの?」
「すみません、見失ってしまったんです。足が速くて……」

 肩を落としながら謝る有紀寧に、初音は慌てたようにフォローしようとする。
「責めてなんかないよっ、だって」

 そこでハッとしたように口をつぐむ初音に、「だって?」と先を促す有紀寧。
 が、言えるわけがない。柏木家が鬼の血を引く一族だということは軽々しく口外してはならないことであるからだ。
 柳川が親類であるのなら、当然鬼の力はあるはずだ。それも白状するわけにもいかない。

 初音はしばらく「あー、うー……」と口を濁しながら言い訳を考え、適当にでっちあげることにした。
「え、えっと、おじさんは男の人だし、それにわたし達の家族ってみんな運動神経がいいんだよ。あ、別に有紀寧お姉ちゃんが運動オンチって言ってるんじゃないよ? あははは……」

 元々正直者である初音は嘘をつくのが下手だったが、有紀寧は「そうなんですか、道理で……」とあっさり納得してくれた。
 ホッとため息をつきながらも、それでも柳川とはぐれてしまったということはまた不安の一つになった。

「……それで、どうするの? 有紀寧お姉ちゃん」
「とりあえず、診療所で待ちましょう。一時間経っても戻ってこなかったらそのときはまたどうするか考えるべきです」

 うん、と初音は頷く。
 一応戻ってくると柳川は言ったのだから大人しく待っているのが筋というものだろう。
 やはり同じ意見を持っていてくれていると思うと、少し嬉しい。

「さ、外は危険ですから早く中に入りましょう――」
 そう言って診療所に行くことを促そうとしたときだった。

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 悪夢は、突然舞い降りてきたのだ。

     *     *     *

 計画は上手くいった。
 柳川をリモコンと口車で操り、殺し合いに乗らせることに成功し、対策も万全には近い状態にした。
 『盾』を失ったのは仕方がない。元より攻撃的な性格であろうことは伺い知れる。善人の振りをして誘導するのは困難であっただろうから、この判断は概ね間違ってはいないと言える。

 ここで犯してはならないミスは初音と柳川に合流されることだ。嘘がバレてしまえば孤立無援となることは明らかだし、よしんば二人から逃げることに成功しても自分が殺し合いに乗った者だと情報が伝わってしまう。それだけは阻止せねばならなかった。
 故にあの時は余裕ぶっていたが実は焦り半分でもあり、初音が動かずに診療所にいてくれたのはこれまでに積み重ねたものの勝利と言える。

 こうして決定的に主導権を握れたのだから。
 さて、ここからどう行動したものか。まずは隠れつつ様子を窺って……と考えていた矢先。有紀寧自身でさえも忘れていた、放送が始まったのだ。

「う……そ……」

 虚空に向かってそんな声を漏らしたのは初音だった。
 ぱくぱくと金魚のように口を開きながら、しかし言葉とは裏腹に視線が定まることはなく、身体が震えていた。

「うそだよ、うそだよ、こんなの、うそ……」
 頭を抱え込んだかと思うと、初音はへたりと地面に座り込み、「うそ」という言葉を何度も吐き出し続ける。
 そう、放送では柏木梓、柏木耕一、柏木千鶴の三人の名前が呼ばれていた。つまり、例外である柳川を除けば初音の親類は全て死に絶えてしまったということである。

 これは有紀寧にとっても痛手であった。初音と行動を共にし、信頼を重ねていたのも要は残りの柏木家の人間を盾にして生き延びようとする算段があったからだ。つまり、最早初音と共にいる理由もなくなったということだ。
 殺してもいい。もう有紀寧にとっても初音は用済みであるはずだった。寧ろ生かしておくとリスクが高くなる一方である。

 何らかの方法で柳川の情報が伝わっても困るし、戦闘能力に関しても柳川ほどの期待は持てない。利点はと言えば精々柳川のときのように無力で無害な人物を印象付けられることくらいだが、この局面でそうする必要性は薄くなりつつある。
 第二回目の放送では生き残りは確か70人前後。今回の放送では40人以上が呼ばれているらしいから、実質30人ほどとなっている。
 そろそろ動くべき時期だ。リモコンを有効に使い、参加者を操り、自らも強力な武器を入手し、優勝へと向けて動くべきなのだ。
 いつまでも弱者を演じていては攻勢に出る機会を失ってしまう。
 だから初音は切り捨てるべきだった。

 だが……有紀寧の脳裏には自分を慕ってくれる初音の姿があった。
 嘘偽りの自分だったとはいえ、まるで家族のように接し、時には無力なりに守ろうとさえしてくれた。
 重なるのだ。かつての兄との、家族との幸せな日々が。
 半ば自分の過ちにより、永久に兄と会話する機会を失ってしまった。

 しかし今、目の前には初音という形で家族が姿を為している。
 偽りで、儚い幻だということくらい有紀寧には当然理解出来ている。今でも理性はかなぐり捨てろと声を上げ続けている。
 だがそれでも――損得だけで切り捨てることの出来ないものが、有紀寧にもあった。
 後悔しているからこそ、取り戻したかったものがあったのだ。

 故に――

「初音さん、二人で、優勝しましょう」
「……え?」

 急に言葉をかけられたからか、予想だにしない言葉が飛び出してきたからか、鳩が豆鉄砲を食らったように呆けた顔で、初音が有紀寧を見た。
 今までのような作り物でない笑顔を見せながら、有紀寧は続ける。

「ご家族は亡くなってしまわれましたが……手立てがないわけではありません。優勝すればいいんです。優勝して、褒美の『何でも願いを叶えてもらう』……これで生き返らせれば大丈夫です。わたしも協力します。二人で、全員殺して……取り戻しましょう、家族を」
「……ゆきね、おねえちゃん……でも……」
「先程の放送でも、生き残れるのは二人になりました。だから最終的に初音さんとわたしが残っていればいいんです。何も心配することはありません。それに、初音さんだって家族を殺した人間に何も感じてないわけではないでしょう?
 ……初音さんは優しい人ですから、言い出せなかったのは分かります。でも何よりも大切なものを奪った人を……妹同然の初音さんの家族を殺した人を、わたしも許せません。だから、二人で殺しましょう?」

 半分は嘘。半分は本当。
 初音となら生き残ってもいい、そんな感情を持ちながらも自分がまず生き残りたいという思いもあった。
 実際に、初音を殺し合いに乗せるために心にも思ってないことをベラベラと言ってのけているのだから。
 結局は利用しているのに過ぎないのかもしれない。しかし、それで自分達が生き残れるのなら、いくらでもそうする。いくらだって嘘をつく。
 それで、幸せになれるのなら。

「わたしが初音さんを守ります、何があっても」
「……お姉ちゃん」

 迷いを含んでいた初音の瞳から、それがだんだん抜けていっているのが、有紀寧には分かった。
 代わりに、その色が黒く、闇に染まってきているのにも。

「……いいの? それで、いいの? わたし、止まらないよ? 止まらないかもしれないよ?」
「じゃあ、もう一度聞きます。初音さん、あなたの家族を殺した人たちが……憎くないんですか」
「憎いよ」

 答えが返ってくるまで、一秒となかった。それも、有紀寧でさえも震え上がるようなおぞましく、唸るような低い声で。
 拳を握り締めながら、凶暴な歯を覗かせながら初音は感情を吐き出す。

「憎い。千鶴お姉ちゃんも、梓お姉ちゃんも、楓お姉ちゃんも、耕一お兄ちゃんだってみんなみんな大好き。
 なんで殺されなきゃいけないの? なんで私たちだけ悲しまなきゃいけないの?
 悪い人だけがのうのうと生きてるなんて、許せない。
 理由なんて知らない……どんな事情があったって、私にはとてもかけがえのないものなのに。
 人は殺しちゃいけないって分かってるけど、もう我慢できない。
 そんなことをされて笑っていられるほど、私は残酷じゃない。殺したい。
 でも、それに有紀寧お姉ちゃんを巻き込みたくない……」
「初音さん……いいんです。わたしは初音さんのお姉さんですから。本当のお姉さんじゃないですが、気持ちは分かります。足手まといになるつもりはありません。見てください、これを」

 有紀寧は懐から、姫川琴音を死に追いやった原因でもあり、今さっき柳川を修羅の道へと歩ませた原因たる、爆弾起動のリモコンを取り出して見せる。
「これはわたし達がつけている首輪の爆弾を起動させるリモコンです。一度起動したが最後、24時間後には爆発してあの世行きです。わたしは、これを使いました。さっきに、です。さて、誰だと思います?」

 隠していたものを見せ始めた有紀寧の表情に少々面食らいながらも、別段咎めることもなく、「わかんない」と先を促す。知りたがっているようにも思えた。
 ふふ、と有紀寧はここで、初めてあの悪魔の如き笑顔を向けた。まるで子供がやってはいけない悪戯をしているかのような。

「あなたのおじさん……柳川さんにですよ。偽善者ぶっている、あの人にね。初音さんの家族と出会っておきながら保護することもしてくれなかった、あの馬鹿な人にです」
「あ、あは、あは、あはははははは! 本当!? 有紀寧お姉ちゃん、あの人が私の親類だって分かっててやったんだ!?」
 けらけらと、予想もしなかった事実に初音は狂ったように笑う。……いや、すでに彼女はおかしくなっていた。まともな人間の反応ではなかった。

「ええ、だって、そうでしょう? 初音さんを放って飛び出していくような人に家族を名乗るような資格はないと思いましたから、制裁を下したんですよ」
「そうだね……考えてみれば、そうだよね。梓お姉ちゃんと会っていたっていうのに、放り出してここまで一人で来てたんだもんね。
 仲間が殺されたからだって言ってたけど、それって家族よりも見ず知らずの他人の方を優先したってことだよね?
 酷いよね、どうして気付かなかったんだろ……うん、あんな人を信じかけてた私がおかしかったんだ。
 それを有紀寧お姉ちゃん、私なんかよりも早く気付いてたんだ……すごいなあ」

 尊敬に満ちた眼差しで、初音は有紀寧に語りかける。
 通常ならば在り得ない思考である。しかし崩落しかけていた初音の精神には、彼女をおいて飛び出していったという些細な事実でさえ裏切ったという事に置き換えられるのは容易かった。
 初音の心は、既に真っ黒に塗り潰されている。世界への憎悪が、そのまま個々人への憎悪に結びついていた。
 有紀寧に信頼を寄せれば寄せるほど、彼女はそれ以外のものを信じられなくなっていた。何故なら、ここまでに有紀寧以外のもの全てが彼女から何もかもを奪ってきたのだから。
 長瀬祐介も、初音の家族も、全て。

「ですから、わたしも初音さんの力になります。わたし達は非力ですが、力を合わせれば優勝だって不可能ではありません。初音さんが、わたしに力を貸してくれるのなら」
「そんな、当たり前だよっ。だって、有紀寧お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん。有紀寧お姉ちゃんのためなら私は喜んで何でもするよ」
「初音さん……」
「お姉ちゃんがいてくれて良かった……こんなことを相談出来るの、有紀寧お姉ちゃんだけだもん。だから、大好き、有紀寧お姉ちゃん」

 それは耕一が『天使』と評した笑顔。
 だがその翼は黒く濁っている。憎悪によって染められてしまった彼女の羽は……『堕天使』と呼ぶに相応しいものになっていた。

「行こう? みんな殺して、私達で優勝しようよ。それで、願いを叶えてもらうんだ」
「……そうですね、やりましょう。わたし達なら出来ます」

 お互いにくくっ、という鬱屈した笑みを漏らしながら、彼女達は奇妙な繋がりを確かめ合うように並んで歩き出す。
 一方は思う心と利用しようとする心の狭間で、矛盾を抱えながら。
 一方は壊れた心の内で、歪んだ愛情と憎しみを携えて。

 何かがおかしくなった二人が、何もかもがおかしいこの島で。
 『家族』を演じようとしていた。
 空が、雨を伴って泣き出す。




【時間:二日目19:00】
【場所:I-7、北西部】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす。初音と共に優勝を狙う】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:精神半分崩壊。有紀寧に対して異常な信頼。有紀寧と共に優勝を狙う】

【その他:19:00頃から雨が降り始めています】
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