全き人





 雨が降り始めていた。
 最初はぽつぽつとだったのが、今はざあざあとした激しいものに切り替わっている。

 空は灰色のキャンパス。
 時刻から考えればまだ日は見えていてもおかしくはないというのに、元気をなくしたかのようにその姿は皆目掴めない。
 そんな雨の降る空を、高槻はぼんやりと見つめていた。両腕に、小牧郁乃の遺体をお姫様抱っこの要領で抱えながら。

 郁乃の顔はひどく穏やかだった。まるで眠っているかのように満足げな表情。
 先程の戦闘でついていた泥や血糊も、今は雨が綺麗に洗い流してくれている。雨はそのために用意されていたかのように絶妙なタイミングで降っていた。

「高槻さん、そろそろ雨宿りなされては……お体が、冷えます」

 その後ろで同じく雨に濡れながら話しかけるのはほしのゆめみ。
 ゆめみはロボットであったから寒さなど感じることはなかったのだが、雨の中でじっと佇み続ける高槻を見かねてなのかおずおずと声を掛ける。

「……ヒーロー、か」

 白くなった息が吐き出される。その言葉には自嘲するようなものが含まれていた。

「そんなつもりじゃなかったんだがな……」

 踵を返すと、高槻は無言でつい先程までいた民家へと向けて歩き出す。
 ゆめみはその言葉の意味が分からず、後ろをついていきながら疑問を投げかける。

「そんな、高槻さんは……わたしが言うのもおこがましいかもしれませんが、小牧さんを始めとして色々な方を助けてこられました。お世辞でもなんでもなく、わたしはそう思っています。間違ってはいないと……そう考えます」
「そうじゃない。本当にそんなつもりじゃなかったんだよ」

 高槻は玄関の扉を開けると、濡れた格好のまま郁乃を寝室へと運んでいく。
 ゆめみは高槻の言葉に未だ戸惑ったままだったが、今やるべきことを必死に思考して、こう提案する。

「あの、体を拭くタオルを探してきましょうか。今のままでは風邪を召されてしまいますし」
「そうだな。郁乃もこれ以上冷える前に暖かくして寝かせてやりたい。早くしろ」
「分かりました」

 ゆめみは一つ頷くと、高槻から離れてタオルを探しに行った。
 一方の高槻は寝室に入ると、郁乃をそこにゆっくりと横たえ、服などを綺麗に整えなおそうとしていた。
 桜の花びらのような淡い色合いの制服は血に染まり、所々裂け、無残な姿を晒している。出会ったときには新品同然だったというのに。
 一通り、不器用ながらも直し終えた高槻はゆめみが戻ってくるまで待つことにして、その横にあぐらをかいて座る。

「ぴこ」

 その膝の上にポテトが座る。雨に濡れてもこもこしていた身体はガリガリに……何故かならずに、いつものようにふわふわとした毛並みのままだった。
 どうあってもこの畜生の謎は解明できないだろうなと高槻は思った。NASAでも無理だろう。間違いない。

「お前がいなけりゃこんなことにもならなかっただろうによ」
「ぴこぴこ?」

 さあ何のことやら、と大袈裟な仕草でポテトは首を傾げる。
 高槻がここに来てからの行動はおおよそポテトに拠っていた。支給品が彼(?)でなければ恐らくは殺し合いに乗り、女を犯そうと企んでいたかもしれないし、増してや誰かと行動を共にすることなど考えもしなかった。
 それどころか、こうして生き方さえ変えようとしている。犬がその原因だということは多少なりとも高槻には癪であったが、逆にそれが相応しいのかもしれない、とも思った。

「お待たせしました」
「おう、意外と早かっ……」

 タオルを持ってきたのであろうゆめみの方に振り向いた高槻が唖然とする。それもそのはず、ゆめみの顔はこれでもかと積まれたタオルの山に隠れて見えなくなっていたからだ。一体どこからかき集めてきたのだろうと逆に感心するくらいだ。

「申し訳ありません、どれくらい持ってきたらよいものか分からなかったもので……あっ」

 何かに躓いたのであろう、ゆめみの体がぐらりと傾く。それだけなら被害を受けるのはゆめみ一人だけだし、微笑ましい光景なのでよしとしよう。
 が、今ゆめみが抱えているのは大量のタオル。そしてその先には高槻が。

「ちょ」

 後はお約束。タオルの山に埋もれる高槻と、必死に頭を下げるゆめみ。そしてその横でやれやれだぜとぴこぴこ言っているポテトの姿があった。どうしてポテトだけ脱出に成功したのかはこの際問わないで頂きたい。

「申し訳ございませんっ、誠に申し訳ございませんっ」
「いや、もういい……だからさっさと片付けてくれ」

 ぺこぺことしがないサラリーマンのように平謝りするゆめみに、散乱したタオルを拾いつつ高槻はそう言った。既に慣れてきてしまっている自分が悲しくなるくらいに。

「それとポテト」
「ぴこ?」
「逃げたろ」
「ぴ、ぴこぴこっ」
「オーケイ、バスケ確定な」

 言うなり、高槻はポテトの首根っこを引っつかむ。

「左手はそえるだけ……」
「ぴ、ぴこぴこー!」
「シュート」
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜……」

 情けない声を上げながらゴミ箱の中へとダイブするポテト。ぽすっ。ナイスシュート。

「あ、あの……」
「気にするな。アフリカではよくあることだ」
「はぁ、そうなのですか」

 ポテトの悲惨(?)な扱いに疑問の一石を投じたゆめみではあったが高槻の一言ですぐに納得してしまった。もっとも、ポテト自体も既にもそもそと何事もなかったかのように這い出てきていたのであるが。

「……でだ、早いところ郁乃の身体を拭ってやろうぜ。くだらないことで時間を潰している場合じゃない」
「そうですね……では高槻さん、お願いします」
「俺がやるのか? いや、確かにもう文句も飛んでこないだろうが……」
「わたしがするのは、筋違いだと思いますから……人間の、血の通ったひとがするのが礼儀だと思うので……」

 高槻は言葉を失う。そんなことをゆめみが考えていたとは思いも寄らなかったからだ。それだけではない。死者の弔いは生者がするべきだという、あまりにも人間らしい思考をしているというのに、それを考えているのがロボットだということも、そんな考えなど及びもつかなかった高槻自身の浅ましさにも嫌気が差したからだ。


 お前の方が、全然人間らしいじゃないかよ。


 その言葉は辛うじて飲み込んだ。
 ゆめみとて本当はしたかったに違いない。しかし彼女は、あまりにもロボットとしての分をわきまえ過ぎていた。
 どこまでも愚直で、正直で、純朴で、やさしい。
 人間よりも、人間らしいというのに。
 ゆめみの下した判断は額面どおりのものではないはずだった。
 ロボットなりの葛藤もあったのだろう。
 それでもなおロボットとしての立場を貫くゆめみの意思を軽んじることは、今の高槻にはできなかった。
 それに、ここで引き下がってはまた逃げてしまうことになる。
 頷くと、改めて高槻は郁乃へと向き合う。

「……さて、何を言うべきなのかね。ま、とりあえずこれだけは言っておくか。俺はお前が望んだようなヒーローでも、お前が想像していたようなヒーローでもない」

 水分をたっぷりと含んだ髪の毛をゆっくりとタオルで拭いながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
 まるで懺悔のように。

「本当にどうでもよかったんだ、何もかも。
 最初にお前を助けたときだってただの気まぐれだったし、あまつさえいつか雌奴隷にしてやる、なんて考えてたくらいだからな。
 お笑いだろ? お察しの通りアメリカン・コミックヒーローなんて出任せさ。
 その後だってただの偶然。ポテトに振り回されてたらたまたまお前が襲われてた現場に遭遇しただけだし、助けたのだって成り行きさ。
 いや、今までだって全部そう。成り行き任せで、俺の意思で何かをしてきたことなんて一つもなかった。
 でもそれでいいと思ってたよ。実際事は上手く運んでたしな。何も難しいことは考えずに済んだ。
 このまんま流れに身を任せてなんとなくこうしてりゃハッピーエンドになるんだって考えてたよ。
 は、結果がこのザマだ。放送でも七海や折原が死んじまってたしな。別れた久寿川もあのチビガキも、貴明って奴も」

 雨が降り始める前に放送があった。40人以上もの人間が12時間の間に命を落とした。それ自体は別段何の感慨も沸かなかったが、かつての仲間が次々と呼ばれていったことについては別だった。
 既に、この島で出会った高槻の仲間はゆめみと杏だけになってしまっていた。無学寺ではあんなにたくさんいたというのに。

「なあ、おい。そんなことを知った上で、しかも戦っているときでさえ必死なんかじゃなかったんだって知ったら、お前はどう言うよ?
 ……ああ、俺は面子のためだけに戦ってた。とりあえずは『ヒーロー』っていう役職を演じるためだけにやりあってきたんだ。
 別にお前らを守るためにやってたわけでもない。なんとなくだ。たまたま勝ててただけで、もし負けそうになったら逃げ出してたかもな。
 プライドなんてハナクソほどもありゃしなかった。俺だけが生き延びられればいいって、本気でそう思ってたんだからな。
 別に罪悪感もなかった。お前は知らないだろうが、ここに来る前にも俺はたくさん人を殺してきたし、女を犯しだってした。
 とてもヒーローのすることじゃないな。精々が三流悪役ってところだ。まあその自覚はあったし、別に何とも思わなかった。
 根性は昔っからひん曲がってたしな。……いや、それすらも演技だったかもしれないがな。
 そうしていたときだって立場上そうすることが出来て、そういう仕事だった。だからその役割を果たしていた、それだけだった。
 要は単純労働さ。命じられたことをやればいいだけ。考えて何かをすることなんて、俺の人生ではありゃしなかったんだ。
 そうしなくても勝手に時間は流れていってくれたしな。後は適当に欲に身を任せて貪っていればよかった。
 まあ最悪な人間だわな。自分で言ってて、ますます嫌気が差してきたぜ。
 あの岸田の方がよっぽど有意義な人生だったかもな。下衆野郎だったけどな。同族嫌悪って奴には違いないが」

 口に出されるのは今まで意図的に隠してきた高槻という人間の姿。堰を切ったように避け続けてきたことを話し続ける。
 今更遅すぎるということは高槻にも分かっていた。それでも尚語りかける。
 最後に己の心情を吐露してくれた、そして信頼してくれた郁乃に応えるために。

「そんな奴だからよ、自分で何もかもを決めなきゃいけないこのクソッタレた島で何をすりゃいいのかなんて分かるわけもなかった。
 いつものような決まった仕事もない。おあつらえ向きの役割もない。それより何より、怖かった。
 自分のしたことが責任を伴うのが怖かった。誰のせいにも出来ない、責任転嫁ができないことが怖かった。
 誰かと出会って、信頼されて、それに応えることが出来ないのが怖かった。追及されるのが怖かったんだよ。
 そうして、居場所を無くすのがな。だからのらりくらりと適当に関係を作って、役割を作り上げようとした。
 無責任でいたかった。人を背負うのが嫌だったんじゃない、その重圧が嫌だったんだ。何かに対して『責』を負うことがな。
 だからバカなことを言って、『俺様』なんて虚像を作り上げて、ちょっとオチャメなナイスガイ、なんて役割を演じようとした。
 いや逃げようとした。人の想いを背負うことが怖くてたまらなかった。
 だから、ヒーローなんかじゃないんだよ。それ以下の、薄っぺらいチンピラ以下さ。
 お前らが、必死にそれを教えてくれようとしてたっていうのによ。……気付いたのが、今更さ」

 誤魔化して、嘘をついて、逃げ続けてきた人生。それが高槻という男の人生だ。
 考え直せば、そこから更生する機会は何度もあったというのに。
 全てを不意にした結果がこの有様だった。こんなちっぽけなことすら理解するために支払ったものはあまりにも大きすぎた。
 小牧郁乃という少女のウェイトは、いつの間にか高槻の中では大きなものを占めていたのだ。
 それは男女関係などというものではなく、敬愛の念に近く。
 いつだって必死に何かを考え、責任を真正面から受け止めてきた彼女の生き方が、本当に尊敬すべきものだと考えていた。
 それを、見ないようにしてきただけで。

「……今だって、そんなに考え方は変わっちゃいない。別にどこで誰が死のうが俺には関係ないし、涙を流せるほどお人よしになれない。
 だが、俺の目の前にいる奴らが、俺が逃げてしまったせいでこんな結果になるのは真っ平ご免だ。
 そんなのは他人任せの人生だ。人に責任を押し付けて、それでバタバタ死んでいくのを黙って見過ごせるほど、俺は根が腐っちゃいない。
 いや、もうそうしないと決めた。俺は俺に拠って立っていたい。お前ほど小気味良い生き方には出来ないがな。
 ヒーローになんてなれなくてもいい。今度こそ俺は自分の果たすべき責任を全うしたい。『生きる』って責任をな」

 喋り終えたときには、作業は終わっていた。心なしか郁乃の顔には幾分かの温かさが戻ったかのように見える。
 高槻はもう一つタオルケットを取ると、それを丁寧に郁乃の身体へとかけてやる。永遠の安息を願うかのように。

「……それだけだ。何か言う事はあるか、ゆめみ」

 立ち上がった高槻が一歩下がり、ゆめみのためにスペースを空ける。
 ゆめみは一歩進み出ようとして、しかし何かを思いなおしたのか踏みとどまり言葉だけを告げる。

「わたしは……失敗ばかりです。どんなに動けるようになってもいつも誰の安全をお守りすることができません。
 ロボットとしては、欠陥品なのだと思います。本当はもっと早くにこわれるはずだったのかもしれません。
 ……でも、今はまだこわれていないのなら、それは、小牧さんの仰られた『成長』なのだと考えます。
 努力して、間違って、少しずつ。そう、認識します。
 皆様に誇れるロボットになれるとは思っていませんが、小牧さんに誇れるロボットでありたいと、そうするつもりです。
 ですから、もう少しだけ……わたしを赦してください」

 両手を組み、慈悲を請うかのようにゆめみは跪く。
 なんとなく、高槻も理解する。ゆめみは郁乃を尊敬し、敬愛している。
 不幸な時代だ。愚か者だけが取り残されている。いや違う。神様は善人を好む。だから近くに置こうとして、連れて行ってしまうのだ。
 どこかの本でそう読んだことがあるが、すぐにバカバカしいと高槻は思い直した。

 善人なんかいるわけがない。勝手に郁乃にそういう思いを抱いているだけだ。客観的に見れば郁乃の方こそ愚か者と見る人間だっているに違いない。
 だがそんなこともどうでもいい。郁乃は死に、自分達が生き残った。事実はそれだけだ。その事実を踏まえ、どうするべきなのか。
 それが新たに課せられた責務だった。

「ゆめみはどうする」
「……?」
「いや、訳分からんって顔されても困るんだが。つまりだ、俺はこれから何が何でも生き残らなきゃいけない。
 とりあえずはこのクソ忌々しいゲームの主催者を潰す必要があるな。元々気に食わなかったがな。
 なら、そのためにはまずはコイツを、首輪をなんとかしなきゃいけない。とは言っても俺は科学者であって技術者じゃない。
 よってそっちに関しては役立たずだ。しかしこの島から脱出するには足も必要だよな。例えば船。もしくは飛行機などだ。
 で、だ。俺はそちらを探そうと思う。役割分担ってやつだ。まぁ見当はつかんから直感頼りになるんだが……
 俺はそうするつもりだが、お前はどうする。ここからは自由意志だ。無理に付き合う必要もない。
 ゆめみはゆめみの目指す生き方をすりゃいい。俺は俺の生き方を全うする」
「ぴこ」
「……ああ、忘れてねえよ。お前もいたな」

 ぴこ、と満足そうにポテトは頷いた。高槻にとってもポテトは初めて組んだパートナーであり、コンビネーションもしっかりしている。犬だが。

「いえ、わたしも高槻さんにお供させていただきます。小牧さんが信じていた高槻さんを、わたしも信じさせてもらいます」
「俺の正体、聞いてて分かったろ? 今までお前らを騙し続けていた奴だ、どうしてついてくる気になった」
「ですが、今は違いますよね? ご自分の間違いにも気付いておられました。なら、それだけで十分です」
「……好きにしろ。自分の身は自分で守れ。俺はヒーローでもなんでもないんだからな」
「ありがとうございます」
「ぴこぴこ」

 何かを耳打ちするように、ポテトがゆめみの足を叩く。
 あいつの口の悪さは気にするな、と言っているようであった。

「はい。分かっています。ポテトさんも、よろしくお願いしますね」
「ぴこぴこっ」

 腰を下ろしつつポテトと握手するロボットと犬。異種族の美しき友情が生まれた瞬間である。人類の調和はそんなに遠くないのかもしれない。

「おい、荷物をまとめるぞ。さっさと手伝え。それとポテト、俺をツンデレだとかほざきやがったな? ちょっとこっちに来い」
「ぴ、ぴこ?」
「とぼけても無駄だ」

 再びポテトの首根っこを掴む。

「左手は、そえるだけ」
「ほっ」
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 情けない声をあげながら、ポテトはゴミ箱の中に突っ込んでいった。




【時間:2日目・19:30】
【場所:B-5西、海岸近くの民家】

天才バスケットマン高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:やや疲労、左腕に鈍痛。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ニューナンブM60(3/5)、ニューナンブの予備弾薬4発、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

【備考:19:00頃から雨が降り始めています】
-


BACK