アイニミチル (4)





 
「―――聖」

そう呼ぶ声は、記憶の中にあるものと寸分違わず。
じわ、と浮かぶ涙を霧島聖は堪えきれない。

「姉、さま……!」

言葉はそれしか出てこない。
今この時において医師としての、あるいは成熟した女性としての霧島聖は存在していなかった。
そこにいたのは、青の戦士として戦っていた、一人の少女である。
戸惑いと、懐かしさと、悲しさと、寂しさと、嬉しさと、辛さと、喜びと、色々なものがない交ぜになって、
その中にあったはずの疑念は混沌に磨り潰されて消えていた。

「姉さま、姉さま、姉さま……!」

何度もその名を呼ぶ。
それはまるで、空白の日々を埋めるように。
あるいはまるで、空白の日々など存在していないかのように。
霧島聖は、無垢な少女のように、恋焦がれる相手の名を、呼ぶ。

その目には、たった一人の姿しか映っていない。
すぐ眼前で濃厚な女の臭いを立ち昇らせる裸体も、それを嬲る女も、それらを照らす赤い光も、
ゆらゆらと揺れる灯火も、そのたびに貼り付いた影が形を変える岩壁も、聖の視界には映らない。
ただ豪奢な玉座に腰掛ける、かつて『青』と呼ばれていた人物だけを、潤んだ瞳で見ている。

「―――聖」
「姉さ、」

聖の言葉が途切れた。
座る人影が、口元の微笑を消していた。

「……『青』はあの夜、門の向こうで死んだのですよ、聖」
「え……?」

細められ、聖を真っ直ぐに射抜く瞳に、温度はない。
突き放すような冷たい視線に、聖が表情を凍らせる。

「―――そこにいるのは、『青』ではありませんよ」

声は、聖の眼下から。
救いを求めるように目をやれば、そこには天野美汐の霧に煙るような瞳があった。
巳間晴香の唇を吸っていた美汐が、たっぷりと時間をかけて顔を離す。
糸を引いて垂れる唾液を薄い舌で舐め取って淫蕩に笑む美汐が、楽しげに言う。

「ご紹介が遅れて申し訳ありません。
 ……そちらにおわす方こそ、赤の力を持つ者の王―――『認めぬ者』たちの首魁」

晴香の白い肌の上を滑らせるようにして、美汐の指が玉座を指す。
紅潮する晴香の耳朶に差し込まれた美汐の舌が告げたのは、

「水瀬秋子―――またの名を、GL総帥・シスターリリー」

ただのそれだけである。
それきり口を閉ざし、美汐は晴香への愛撫へと没頭し始めていた。

「……」
「……」

声が、出ない。
ねちゃねちゃと、粘液質な音だけが広い洞穴に微かに響いていた。
双丘の頂にある桜色の突起を音を立てて吸い、秘裂に差し入れた指を
ゆるやかに動かす美汐の愛撫に、晴香が熱い吐息を漏らす。

「聖、あなたが……」

口火を切ったのは、秋子である。
はっと顔を上げた聖に向けられる表情は僅かに翳を帯びているようにも見えた。

「あなたが青の力を以て戦う、名もなき戦士であった頃から……どれほどの時が流れたか、覚えていますか」
「……」
「そう、『青』が門の向こうに消えた夜の先にも、戦いはあった」

聖は言葉を返さない。
ただじっと、秋子を見つめている。

「それは、あの異形たちとは違う敵……異形を遣う赤の力を持つ者たち」
「……」
「戸惑うあなたの前に、とある組織が現れた。
 青の力を束ねるという触れ込みであなたに近づいたその者たちが称して―――BL」

何故そんなことを知っているのか、と聖は問わない。
秋子の―――否、聖の知る『青』の語り口は、ある種の確信を持っている人間のそれであった。
そこには論拠と、そして何らかの事実があるのだろうと、思う。聖の思考はそこで止まっている。
感情が状況の分析を拒み、判断の取捨選択を放棄させていた。
成人女性としての霧島聖はどこかへ消えてしまったかのようだった。
ただ情動に突き動かされるままに世界と対峙していた頃のように、溢れる感情に理性と思考が押し流されていく。
それを自覚することすら、今の聖にはできなかった。
独白じみた秋子の言葉は続く。

「彼らは赤の力の遣い手をGLと呼び、あなたの敵だと説いた。
 『青』を喪ったあなたは失意と混乱のままに彼らの言葉を受け入れ、その日から新たな名を得た。
 名もなき青の戦士、聖ではなく―――BLの使徒、聖と」

ほんの少しだけ、秋子が笑ったように、聖には見えた。
だがその笑みに『青』の温かさは存在しない。
どこまでも酷薄な、それは微笑だった。

「BLの使徒となったあなたは、一冊の本を手にGLとの抗争に身を投じた。
 『青』との絆を胸に数々の難敵を退け、ついにはその、晴香さんとの決戦に勝利した」

その、と区切られた言葉の合間に向けられた視線の先には、汗に濡れた裸体がある。
柔らかい尻に伸ばされた美汐の細い指に菊門を撫でられ、びくりと身体を震わせる晴香は、
口元から垂れる唾液を拭うこともせずに快楽に身を任せている。

「総帥と呼ばれる人物の足取りは杳として掴めずにいたものの、BLは大幹部の敗北に動揺するGLの隙をついた総攻撃を開始。
 GLという組織は事実上、壊滅した」

淡々と語る秋子は、その眼前で繰り広げられる痴態にも眉筋一つ動かさない。

「……それから十数年。壊滅したはずのGL残党が動き出したとの情報を得て、BLは再びあなたを戦いの場へと
 送り出そうとした。しかし……」
「……」

意味ありげに言葉を止めた秋子の視線を受け止めきれず、聖は思わず目を逸らす。
一度は止まった涙が、再び溢れ出ていた。
まるで『青』を慕っていた少女時代に戻ったように涙を流し、しゃくり上げる。
そんな聖の様子に小さく息を漏らすと、秋子は言葉を続ける。

「聖、あなたは既に青の力を失っていた。GLとの決戦……いいえ、それよりもずっと以前から。
 『青』を喪った夜から、あなたの中の青の力は薄れ続けていた」
「……」

聖は顔を上げない。

「小さくなっていく力をBL図鑑と呼ばれる『本』の力で補って、あなたはGLに勝利した。
 けれど、時を経て完全に青の力を喪失したあなたは『本』の声を聞くことすらできなかった。
 残念です、聖。……青の本質を、結局あなたは見出せなかったのですね」

微かに首を振った秋子の表情を、聖は見ていない。
顔を伏せ、ぼろぼろと涙を零しながら、突き刺さるような言葉に必死に耐えていた。

「……戦う術を失ったあなたには、GL残党を抑えることすら難しくなっていた。
 それでも『本』に記された危機はまだ先の話と考えていたあなた方は、急な状況の逼迫に焦りを覚えた。
 かつての戦いでは現れなかった、GLの使徒と名乗る者の存在が確認されたことも、それに拍車をかけたのでしょう。
 もう一人の使徒の出現は、『本』に記された危機の予兆だったのですから。
 ……そう、神の復活が間近に迫っていると、その事実は告げていた」

そこまでを言い切って、秋子は僅かに息をつく。

「……ですが、おかしいと思ったことはありませんか」

静謐なその瞳に、ゆっくりと色が宿っていく。
底知れぬ精神の深奥で渦を巻く、それは風の色。
いずれ来る嵐を予感させる、雨の匂いのする風の色だった。

「BLという組織には、いくつもの不可解な点があったはずです。
 青の力を束ねると称するにもかかわらず聖、あなた以外に青の力を使う者は存在しない。
 BL図鑑、青の力を秘めるという『本』とは一体何なのか。
 彼らの敵、GLはどうして異形を遣うのか。もしも異形が彼らの敵であるというのならば、
 ならば何故―――『青』の戦いに、彼らは現れようとしなかったのか」

ゆらゆらと灯火に照らされる秋子の姿が、奇妙な形の影を玉座に落とす。

「答えは簡単です。彼ら……BLと称する彼らは聖、あなたと『青』が戦っていた頃には、
 そもそも存在していなかったのですから」

淡々と告げられるそれは簡素で、事務的に響くその内には何らの感情も存在しない。
それは疑いようのない事実を語る言葉だけが持ち得る、乾いた重さだった。
ただデータを読み上げるような秋子の声にも、聖は口を挟めない。
鼻の奥がつんと痛む、その感覚に耐えるのが精一杯だった。
しゃくり上げる聖の精神は既に飽和している。
雄々しく、余裕に満ちた霧島聖の姿はそこにはない。
自身の許容量を超える事態、その認識を聖の理性は拒絶していた。
理解を拒み、情報を遮断し、退行を模倣することで自己の安定を図るそれは卑劣で、
同時にひどく素直な、霧島聖という人間の精神構造だった。

「急ごしらえにしては頑張ってくれました。BLも……それから、GLも。
 戦いの中で生み出され、空に融けた沢山の青と赤の力。
 それらは『私たち』の計画の下地として申し分のないものでした」

俯き、時折声を漏らしながら涙を流すだけの聖を、既に秋子は見ていない。
湿った風の吹き抜ける空のような瞳は、赤光に照らされる眼下の痴態に向けられていた。

「……『在る』を認める青、『無き』を拒む赤。
 空に融けたそれは凝集し―――変革の火種となる」

独白は、濡れた音に紛れる。
天野美汐が、巳間晴香の両性具有の証をその口に含んだ音だった。
秘裂の上に屹立する、赤黒い異形の肉棒。
その槍の穂先を丹念に擦り上げるように、美汐の薄い舌が熱い肉を嬲る。
異様に長い竿には、白い指が絡み付いていた。
熟した果実に蛇が巻きつくように、肉棒をゆっくりと締め上げていく美汐の指。
空いた手は秘裂の入口を円を描くように愛撫している。

「世界は変わらねばならない―――神の軛から解き放たれなければ、終末は何度でも繰り返される。
 繰り返す歴史の末に見出した、それが『私たち』の結論」

いつからだろうか、赤い光が晴香の全身から立ち昇っていた。
ゆらゆらと、ゆらゆらと煙のように立ち昇るそれは舞い上がると、中空へと消えていく。
赤光に塗れたその裸身が、びくりと跳ねる。
美汐の小さな犬歯が、槍の穂先に広がる肉の平原を甘噛みしていた。
跳ねた拍子に秘裂へと潜り込んだ親指を、美汐はそっと動かしていく。
柔らかい粘膜の感触を楽しむように、時に細かく震わせ、時に擦り上げるようにしながら歩を進ませる。
その度に晴香が甘い声を上げ、小さく身体を跳ねさせる。

「神はかつて交合より生まれた……ならば人の持つ業、肉欲への執着そのものが、神の力の根源」

もぞ、と内股をすり合わせる晴香の仕草に、美汐が笑む。
雁首を舌先で突付くようにしていた口を離すと、肉棒から下へ伝うように指を這わせた。
下腹部、濃い茂みの辺りを撫でるようにすると、晴香の表情が変わった。
快楽一色のそれから、ある種の苦痛と、それに耐える快楽の入り混じった倒錯の表情。
眉を顰めたその表情に笑みを深くすると、美汐はおもむろに晴香の唇を吸う。
舌を割り入れれば、その歯列は堅く食いしばられている。
唇の裏側と歯茎とを味わうように動かすと、晴香の瞳に切なさの色が濃くなっていく。
同時、秘裂に差し入れた指と、下腹部を撫でていた手の動きを強くする。
と、晴香の目が見開かれる。
舌を抜いた美汐が、晴香の耳元で何事かを囁いた。
驚いたように美汐を見ると、首を振る晴香。
焦るように内股をすり合わせるその表情が、苦痛の度合いを強めていく。
薄く笑った美汐が、晴香の耳朶を掃除するように、その紅い舌を閃かせる。

「相克の両儀の根源に性は介在せず、しかし性は両儀を加速する。
 ならば―――性を加速する両儀もまた、性を変質するが道理」

小さく首を振る晴香の目尻に、涙が溜まっていく。
熱い吐息を漏らした晴香が、肺に酸素を取り込もうと口を開いた瞬間。
美汐が晴香の下腹部、黒い茂みの上を掌で潰すように、押した。
秘裂に差し入れた美汐の指が強く締め上げられるような感触を覚えた、次の刹那。
水音が、響いた。
小さな水音はやがて勢いを増し、止まらない。
温かな液体が、美汐の腕を濡らす。
ほんのりと湯気を立ち昇らせるその液体は美汐の白い腕を汚しながら床へと伝い、泉を広げていく。
やがて水音が、やんだ。
排泄液に濡れた指を、美汐がそっと晴香の眼前に掲げる。
潤んだ瞳で首を振る晴香の唇に、美汐の指が触れる。
紅を注すように丹念に擦り込むと、その汚れた唇を、美汐は舐める。
口を堅く閉ざした晴香にも、鼻から漏れる吐息に混じる甘さは隠せない。
美汐の手が、動く。
秘裂の奥へと進む細い指は肉芽の裏を探り当てるように這い回り、温かい液体に濡れた手は
再び晴香の肉槍へと巻き付き、速いリズムで扱き上げる。
裏筋に当てられた指の爪が時折雁首を掻き、痛みにも近い快楽を与えていく。
唇、秘芯、肉槍。
三箇所の粘膜へ与えられる快楽が、晴香を融かしていく。
比喩ではない。
ゆらり、ゆらりと立ち昇る光が、晴香の嬌声と共に強くなっていた。
そして強い光が漏れるたび、晴香の裸身、汗に濡れたその裸身が、次第に輪郭を失っていたのである。

「究極の青と赤、両儀の合一は世界を変革する―――愛が、肉欲を喪失する地平」

秋子の眼前、晴香が大きく一度、跳ねた。
高らかに声を上げ、絶頂を迎えたその表情は、人の持つ業の集成であるかのように悦びを湛え。
透けるような裸身が目映いほどの赤光を立ち昇らせ―――、

「業の祓われた新世界に、神は神たる能わず」

そして、光と共に。

「神座なき世界は、終末の先へと進む―――」

巳間晴香も、消えた。

「……それこそが、真のレズビアンナイト計画」

唱和するような声は、天野美汐。
全身にまとわりつくような赤光を、腕の一振りで中空へと払う。

「その為の贄、その為の大仕掛け……BL、そしてGLの、それが存在の意味」

笑む美汐が、一歩を踏み出す。
その先には、すべてを拒絶するようにただしゃくり上げる姿。
霧島聖の磔刑に処される、十字架があった。
聖がどこまで二人の言葉を聞いていたのか、それは定かではない。
あるいは認識していたのかもしれない。
しかし、そこに理解はなかった。
自身の半生の否定を許容することを、聖の精神は許さなかった。
故に、美汐の歩を進める先にあるのは、無力という言葉の意味だった。
霧島聖に抗う術はなかった。
抗うという選択をすら、聖は拒絶していた。

「貴女も……悦楽の果てに導いてさしあげましょう」

美汐の笑みを、俯く聖を、秋子はじっと見つめている。
底知れぬ色を湛えたその瞳が、微かに揺れる。
美汐が、歩を進める。

「―――天野さん」

言葉に、美汐が足を止める。
振り向くことはしない。
その冷たい背中は、情や躊躇の一切を断ち切れと、雄弁に語っている。
だが、続く秋子の言葉はその天野をして、振り返らせるに充分なものだった。

「どうやら……最後のお客様が、いらしたようです」

言って静かに目を閉じた、その表情に安堵が混じっているように見えたのは、
揺らめく灯火の加減であっただろうか。

「……」

天野美汐の振り返った、視線の先。
薄暗い洞穴の、その闇の向こうに光るものがあった。
目の覚めるような、それは青。
赤に満たされた世界を吹き抜ける青を纏った、それは少女。
少女を迎える玉座の主が、静かに終景の開幕を告げる。

「―――ようこそ、青の使徒」

観月マナは、そこにいた。



 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー、『青』】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

霧島聖
 【状態:元BLの使徒】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv4(A×1、B×4)、BL力暴走中?】

巳間晴香
 【状態:消滅】
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