どん、という鈍い音が聞こえた。 手にしていたペットボトル(支給品の水)は足元に落ちたはずなのに、随分と遠くの音のように思えた。 12時間ぶりの、三回目の放送。 ――どこかで、呼ばれるはずがないと思っていた。 佳乃、霧島佳乃と、 あの観鈴が。 神尾、観鈴が……その名前が呼ばれた。 ……嘘だろ? そんな僅かな否定の言葉すら出ないくらいに、往人は呆然としていた。 同時に襲い掛かってくのは、何とも言えない無力感。 自分のこれまでの行動を、一蹴された。 ――何のために、殺したんだ? たった一人、それも殺人鬼だとしても、往人は人を殺した。 この島に巣食う殺人鬼どもを駆逐していけば、結果的に守りたい人たちは守れる……そう信じていた。 なのに、無駄だった。 死んでしまった。 いなくなって、しまった。 ……最初から、探していれば良かった。 つまらないプライドや虚栄心に拘って、ただ探して、走り続けていれば良かった。 ガキのように、がむしゃらに…… 後悔しても、遅すぎた。 往人の脳裏に浮かんでくるのは、診療所での面白可笑しい日常。 それもあった。しかし、それ以上に浮かんできたのは、 神尾家での日々。 『こんにちはっ。でっかいおむすびですね』 『疲れは、とれましたか? 今日は、暇ですか?』 あの田舎での、往人の最初の知り合い。 いつ、どこでだって、彼女は往人の味方であってくれた。 いつも上手くいかない人形劇。 俺の代で法術の力は終わりだ。人形劇もそれっきりかもしれない。 そんなことを言っていた往人に、観鈴は言った。 『往人さん、笑わせられるよ。子供たち』 『純粋に心から笑わせること、できるよ』 本当に、いつだって、どんな時でも…… どこの馬の骨とも知れない往人に、よくしてくれた。 そうして、いつしか……観鈴も笑わせてあげたかった。 自分の本当の人形劇で、楽しんでもらいたかった。 口に出さないだけで、心の底ではずっとそう思っていたのに。 どうして、もっと早く。 もっと早く、それに気付けなかったんだろう。 もう、できない。 もう、笑わせることができない。 ――届かない。 ――届かないんだよ、ここからじゃ。 ……どうする。 これから、どうする。 観鈴のいなくなったこの島で、どうする。 何を目的に、生きていけばいい。 放送時間の変更。 生き残れる人数が増えたこと。 全部、どうでもよかった。 往人にとっては何もかもが意味を為さなかった。 ……いや、取り敢えず、目の前の少女の治療だ。 吐き捨てたい思いをなんとか押し留め、まずはそうしようと考えた。 川澄舞の治療が終わればその場を去り、観鈴の遺体を探して埋める。 まだ何人か知り合いはいるが、どうせ観鈴がいなくては意味もない。 それどころか後でどうにでもなれと自暴自棄に殺し合いに乗ることさえ考えた。 「――佐祐理、祐一、今行く」 が。 往人の目の前の舞はそんな心情など知ったこっちゃないとでも言わんばかりに。 刀を、自らの腹部へと向けて。 突き刺せ―― 「やめろ……っ!」 ――なかった。 往人の手は、ギリギリのところで舞の刀を打ち払い部屋の隅へと押し飛ばしていた。 やってから、どうしてこんなことをしているのだろう、と往人はまるで他人事のように思った。 どうして反射的に手を伸ばした? 放っておけばよかったのではないか。往人とは何の関わり合いもなかった舞が死のうが、関係ないではないか。 死なれると名目上の目的ですら果たせなくなるからか? それとも、人としての良心がそうさせたのか? 何を、今更。 こんなにも愚かで無力な自分が何かをしたところで、どうなると…… 「……どうして、邪魔するの」 往人のそんな思考を止めたのは、またもや舞だった。 吹けば飛びそうなくらいの弱々しい声で。 表情からはそれまでにないほどの絶望を溢れさせ。 泣いていた。ぽろぽろと涙を流して、泣いていた。 「佐祐理も、祐一も」 「貴明も、護も、チエも、志保も、マナも、ささらも」 「みんな、いなくなった」 「……どうして」 「どうして、私だけ生きてるの?」 舞が顔を上げる。 悲しみに満ちた瞳が、往人を真っ直ぐに見つめる。 それは路頭に迷った子供のようで。 ひどく、往人に似ていた。 往人は思う。 もしも、翼のある、空にいる少女がいたとしたらきっとこんな表情なのだろう、と。 ああ、そうか。 だから、止めたのだ。 いつか、どこかで。 笑わせてみたい。確かにそう思ったはずだった。 目の前にいる少女が旅で探し続けてきた翼の少女だとは思わない。 だが、その悲しみの深さは同等か、それ以上なのだと思う。 だから。 仕事だ。 自分のことなどどうでもいい。それは今も変わらない。 しかし、せめてこの瞬間だけは。 この少女のための国崎往人でありたいと、そう思った。 終われば、どうにでもなればいい。 故に全力。 故に必ず。 笑わせてみせる。人形劇で。 「……見て欲しいものがあるんだ」 「……」 いつもの人形はない。あるのは、この島で作った仮初めの相棒。 旅の道連れ。 手を触れずとも動き出す、古ぼけた人形ではない。 お粗末にも食べ物で作った、今の往人に相応しいパンの人形。 既にカチカチになっている。錆付いてしまった機械のように。 それでも構わない。それで、必ず目的を果たしてみせる。 パン人形を置くと、往人は再び、この前口上を告げる。 「さあ、楽しい人形劇の始まりだ」 手をかざし、パン人形に力を込める。 法術。 往人の力である、モノを動かす異能。 日銭を稼ぐために使ってきたこの力を、今は舞一人のためだけに使う。 人形が立ち上がる。 カチカチになっているせいで上手く関節を曲げられないが、力技だ。 半ば無理矢理感が漂うが、一生懸命に歩いているようにみせる。 一歩。二歩。三歩。 始めの方こそぎこちない動きだったが、そのうちに本来の動きを取り戻していく。 ぴょこぴょこと、滑稽な動き方ではあるが、中々にユーモラスな動きで舞の目の前を動く。 それは本来往人が使っている人形と、レベルだけなら遜色ない。 ――しかし。 「……」 表情に変化はない。 見てはいるが、ただそれだけ。 笑わない。 いや、どうこう思ってすらいない。 不思議とも、驚きとも。 馬鹿にしていた町の子供達でさえ、そう思っていたのに。 届かない。 届いていないのだ。 それでも一生懸命に往人は力を込め、動かす。 たとえ力が尽きようとも、たとえこの場で襲われたとしても。 動かし続ける。 だが、しかし…… 「……」 どんなに頑張っても、どんなに精一杯面白そうだと思える動きをさせても。 変わらない。 何も、変わらない。 ない頭を振り絞って、考えに考えて動かしても楽しんでいるという雰囲気はおろか、興味すら持たれていない。 見ろ、と言われているから見ているだけ。 それでは意味がないのに。 知らず知らずのうちに、往人の体が震える。 疲労のためではない。 何も届いていないということが、悔しかった。 (……俺の力は、こんなものなのか?) あかりは笑わせる事ができたのに、出来ないはずはないのに。 なけなしの力を振り絞ってでさえ。 無力さを呪う。 心が、折れかける。 ガラガラと、崩れ落ちていく舞の心を掴む事が出来ない。 (……ダメなのか) 燃え盛る炎は、次第に蝋燭に灯る小さな火に。 萎んでいくのが分かる。 人形も動かなくなっていく。 諦めの感情が湧き出てきているのが理解出来てしまう。 もう、いいじゃないか。 所詮、無くなりかけた国崎往人の力はこんなものなのだ。 二人で闇に落ちればいい。 そうすればもう、苦しまずに済む。 観鈴にだって会いにいけるかもしれない。 既に往人が生きる意味は殆ど失われてしまっているのだから。 往人は目を閉じる。 永遠の眠りにつくように、深く、ゆっくりと。 けれども。 見えるのは、深淵の真っ黒な闇ではなかった。 一面の空だ。 雲が所々に点在し、ふわりとして涼しそうな青の色。 懐かしい声がした。 『一緒にいく?』 誰の言葉だっただろうか。 思い出す。 ……母の言葉だ。 もう一度、声を耳に傾ける。 往人の意識が、少しずつ昔を手繰り寄せていった。 * * * 鳴り止まない歓声。 夏の匂い。 人だかりの中で踊る様々な小道具。 その中心にいたのが、母だった。 実際に俺が母と行動していたのは僅か一年足らずに過ぎない。 それまでは母は俺を寺に預け、行方知れずとなっていた。 もう何年前だっただろうか。 芸を終えた母は俺の前にやってくると、こう言った。 「この人形はね、ひとを笑わせる……楽しませる事ができる道具」 人形を俺に差し出して、動かすように言った。 唐突に現れ、母だという女性。 何を言われてもまるで実感はなかったし、感動することもなかった。 だから、当然人形も動かす事ができなかった。 「思えば通じる。思いは通じるから」 「けど、動かしたい思いだけじゃなくて、その先の願いに触れて、人形は動き出すの」 「往人は、人を笑わせたいと思ってる?」 最初は何を言っているのかさっぱり分からなかった。 一ヶ月経っても何も変わることはなかった。 人形を動かす必要性が、分からなかったからだ。 けれども、母は一生懸命だった。 一生懸命、俺に人形を動かさせようとしていた。 何かを教えようとしていた。 その思いはよく伝わってきた。 だから、母に付き合って人形を動かそうとした。 心のどこかで、いつかこれが人を笑わせる事が出来るようになるのだろうか。 もし出来るなら、すごいことだし、そうしたい。そう思いながら。 しかし、何も成果はなかった。 そうしているうちに、母は出立するときが来てしまったらしい。 荷物をまとめながら、母は俺に旅についてくるかどうか尋ねた。 人を笑わせるのが、わたしの生きがいで、生業だから。 その表情は誇らしげで、でも寂しそうだった。 旅についていくことは強制ではなかった。 今まで往人を放っておいたわたしにそんな権利はないから、そう言って。 けれども、俺は母についていった。 母についていくことで、一人きりだったあの頃から何かが変わるかもしれないと思っていたからだ。 それからは、ひたすら母の背中を追う日々が続いた。 町を転々としては道すがら小道具を広げ、大道芸を始める。 大人も子供も目を輝かせていた。 笑っている人もいた。 喝采を浴びる母を、俺も誇らしげな目で見つめていた。 初めての家族。 自慢の家族。 共に歩む昼。 寄り添って眠る夜。 暇があるときは、母が人形劇を教えてくれた。 母は根気強く教えてくれた。 俺もそんな母に応えたかった。 笑わせたかった。 初めて、人を笑わせたいと思うようになっていた。 そうしてある夜、努力が実ったのか、はたまた『思いが通じた』のか人形が動き出した。手を触れることなく。 「うまくできたね」 頭を撫でてもらったときの感触がひどく優しかったのを思い出す。 初めての充足感だった。 こんなにも胸が躍るのは、生まれて初めてだった。 もっと笑う顔が見たい。 それだけを願って人形を動かし続けた。 だが…… 母はいなくなった。 俺をひとり残して、忽然と消えてしまった。 その直前まで、母が何を語っていたのかはおぼろげにしか思い出せない。 ただ教えられた言葉の欠片は断片的に残っていた。 空の向こうに、翼を持った少女がいる。 彼女は終わらない悲しみの中で泣き続けている。 なら、その子を笑わせてみたいと思った。母と同じように。 母を探す旅は、いなくなってしまったことを受け入れたときに、それに変わった。 今度はそれを目的に歩き始めた。 いや……正確には違う。 幸せにしたかったのだ。 自分の力で、誰かに笑い続けてもらって、幸せになって欲しかったのだ。 なのに。 いつからか、俺は自分のことばかり考えるようになって…… ただ日銭を稼ぐばかりで、人を笑わせようなんて考えなくもなって…… 俺はいつだって気付くのが遅すぎる。 観鈴のことばかりだけじゃなく、目の前のこの少女も。 ただ笑わせるんじゃない。 真摯に向き合わなくちゃいけないんだ。 もう失うわけにはいかない。 彼女は翼の少女じゃないが…… 悲しみを抱えているのなら、俺が、笑わせる。 俺は、そうやって……生きる! 「人形に心を篭めなさい」 「思いは、必ず通じるから」 「頑張って、往人」 意識を戻す寸前、そんな母の声が聞こえたような気がした。 * * * 明らかな変化を、往人は感じていた。 パン人形から、まるで生きているかのような脈動を感じる。 暖かい。 人形の手足の感覚が、まるで自分のもののようだ。 今ならどんな動きだって出来そうだ。湧き水のように自信が生まれてくる。 (けどそれだけじゃダメなんだ) もう一度、言葉を反芻する。 人形に心を篭める。 思いの先の願いに触れて、人形は動き出す。 往人の脳裏に一瞬、観鈴の笑顔が浮かぶ。 見つけることも守ることもままならないうちに、観鈴はいなくなってしまった。 ひょっとしたら最後まで往人のことを案じてくれていたのかもしれない。 あるいは大切な仲間を見つけて、その人を庇って殺されたのかもしれない。 推測しても結論は出ない。 だが、観鈴の思いが今もそこに残っているのだとしたら。 頼む、もう一度だけ、力を貸してくれ。 一つ呟くと、往人は人形を動かす。 イメージは観鈴。 危なっかしく動き回り、よく失敗もするが、それでも一生懸命に頑張る。 可愛らしい仕草をする。優しげな仕草もする。そして、何より……笑う。 それを精一杯表現する。 今の人形劇の動きと、観鈴の楽しげな雰囲気があれば、必ずいける。そう信じて。 人形は、思いを乗せて動き続ける。 『分からないんです、でも、何だかおかしくって……本当に面白かったんです』 この島で初めて人形劇を見せた、神岸あかりの声を思い出す。 今にして思えば、その先には続きがあったのかもしれないと考える。 だから、それでもっとたくさんのひとを元気付けてあげてください。そんな言葉が。 そのあかりも、放送で呼ばれてしまっている。 切欠を与えてくれた彼女にもう会えないのかと思うと、往人も悲痛な気分になる。 だが今はそれも、自分の力になっている……そんな気がする。 痛みも悲しみも、味方に変えながら。 (よし……大技だ。決めるぞ) 程よいタイミングと感じた往人が、一際強く力を込める。 ふわり、と人形が浮き、飛ぶように舞った。 まるで、大空にはばたく鳥のように。 そして、空中を自由に泳ぎ回った人形がすとん、と着地を決める。 ――しかし。 地面に降り立った瞬間、よろよろと大袈裟によろけ……べちん、と顔から倒れる。 優雅だと思わせ、締めは滑稽に。 所謂ギャップを狙った芸だ。 そう、国崎往人はあくまで芸人だった。 「…………ふふ」 小さな声が、届いた。 舞の身体が小刻みに揺れている。 「……どうして、私は笑ってるの?」 まだ僅かにだが、笑いを漏らしながらそんな疑問が舞の口を突いて出る。 自分がそんなことをしているのが信じられない、そんな感じだった。 しかし、往人はなんだそんなことかとでも言わんばかりに朗らかに即答する。 「決まってるさ。俺の芸が面白いからだ」 なんでやねん。 合いの手を入れるようにパン人形が往人の体を叩く。 その挙動がまたツボに入ったのか、今度こそ舞は思い切り表情を変えて笑い出した。 ――ぽろぽろと、涙を流しながら。 「ダメ……笑っちゃ、ダメなのに……みんなの、責任を取らなきゃいけないのに」 泣き笑いだった。 そう、舞の中では何も結論は出ていない。人形劇は切欠に過ぎない。 往人は力を解くと、舞の肩を掴んで自分の方へと向かせる。 「責任か。……それは何なんだ? 死ぬことか」 「……分からない……でも、私が生きていても」 「俺はそうは思わない。……いや、さっきまではお前と同じ考えだったかもしれない」 「……」 「見ただろ、さっきの人形劇。俺はあれを生業にして生きてきた」 往人の傍らに佇む人形を見て、舞が頷く。 元は人形ですらないのにその一挙手一投足は確かに舞を笑わせた。楽しませていた。 「……金を稼ぐためにな。生きていく上では仕方なかったとは言え、俺はそのためだけに人形劇をしていた。誰が何を思おうなんてどうでもよかった。金を貰って、飯にさえありつければよかった。ひとに楽しんでもらうということを、忘れていた」 にわかには、舞は信じられなかった。今までの往人がそんな目的のためにあの人形劇をしていたなんて。 「思い出したんだ」 舞から手を離し、往人が見上げる。そこには暗くなりつつある天井しかなかったが、そうではなくその先の、空を見上げているようであった。 「ある町で、知り合いになった人間がいた。神尾観鈴って奴でな……もう、さっきの放送で死んでしまったが」 「大切な、人だった……?」 「ああ。いつも笑っているようなアホな奴だった。……殺されていいような奴じゃなかった」 舞は申し訳なさそうに頭を下げる。 悲しみに沈んでいたのは往人もだった。そんなのは分かりきっていたことだったのに、悲しみの中にいるのは自分だけだと舞は思い込んでいた。 その愚かさぶりには呆れるしかない。 「そいつのいた町にはしばらく滞在していたんだが、その少し前くらいからどうにも劇が振るわなくてな。 そこでは特に振るわなかった。一時期は人形劇をやめてしまおうかとも思った。 でもあるとき、そいつが……観鈴が言ってくれた。 子供達を純粋に心から笑わせる事が出来るよ、ってな。 そうやって、いつだって俺を支えてくれていたんだ。 俺は無意識のところで、観鈴に応えたいと思っていた。 そんなに応援してくれていた観鈴にも、俺の最高の芸で笑ってほしいとも思っていたんだ。 でも、バカだったよ俺は。それに気付いたのが……ついさっき、あいつが死んだと聞かされたときだったんだからな。 俺は、本当は、あいつのために人形劇を続けたかったんだ」 少しだけ、自嘲するように往人は笑う。 失ってから初めて気付くもの。それは舞にも分かる。 舞も無くしかけていたから。 どう言えば言いのだろうと迷っていたが、しかし往人はすぐに表情を戻し言葉を続ける。 「俺はバカだ。今更気付いたところでもうどうにもならない。観鈴も戻ってこない。 でもだからといって俺は人形劇をやめる気はない。みっともなくても続けていく。お前のように笑ってくれる人を探すためにな。 それはあいつが望んだことだと思うし、俺もそうしたい。 誰かが笑ってくれれば、俺は幸せなんだと気付けたから……俺は今の自分を受け入れて、あいつが死んだことも受け入れて、生きていく。 お前は……自分が死ぬことが、誰かを幸せにすると思うのか?」 往人の真っ直ぐな目が舞の瞳を捉える。 どんな真実でも見抜いてしまいそうな、濁りのない目。 知らず知らずのうちに、舞は自分が思ったことを正直に話していた。 「……違う。それは違う。だけど……どうすればいいか、分からない」 「何をすればいいのか、か……悪いが、それについては俺はなんとも言えない。それはお前自身が決める事だからだ」 「……」 「だが、助言くらいはしてやれる。お前がその足で立って、歩いていくのなら」 「私は……」 まだ分からない、という風に首を振る。 けれども、その目は自殺しようとしたときのように暗くはなかった。 僅かながらも瞳の奥には光があった。夜空にぽつんと輝く星のように。 「でも、一つお願いしたいことがある……聞いてほしい」 「何だ? ……ああ、そう言えば治療もしなきゃな。……で、頼みって?」 「……側に、いて」 舞は往人の隣に移動し、寄りかかるようにしてもたれる。 生きる気力を何とか取り戻したとはいえ、つい先程まで精神的に参っていたのだ。まだ、舞には時間が必要だった。 「そうだな。ついでに絆創膏と、自己紹介もしておくか。手を出してくれ」 「……ん」 手を差し出す舞に、まずは傷口を水で洗い流す。特に痛そうな表情ではなかったので、やはりそれほど深くはなかったようだ。 続いてそこを適当にあったタオルで拭き、残った汚れを落とす。しかる後に絆創膏を張りながら往人がまず自己紹介する。 「随分と紹介が遅れたが、俺は国崎……国崎往人だ。好きに呼んでくれて構わない」 「往人……うん、分かった。私は、舞……川澄舞。舞で構わない」 「舞か……いい名前だ。覚えやすくていい」 「……ありがとう」 紹介を終えると同時に絆創膏も張り終わり、舞が手を開いたり閉じたりして調子を確かめる。概ね支障はなさそうだった。 往人は治療が終わっても特に何もせず、そんな舞の姿を眺めていた。 「……佐祐理と祐一は」 そうしてしばらくじっとしていると、どこからともなく舞が切り出した。 「私の親友だった。あまり人付き合いが上手くない私に仲良くしてくれた。……私には、勿体ないくらいに。 だから絶対に守りたいと思った。でも……結局会えなかった。何も出来なかった。 そればかりじゃない。一緒にいたはずのみんな……ここにいるみんなでさえ、私は守れなかった。 何も出来ずに、ただ見ているだけで……怖いとさえ思った。口だけだった……だから、あの時は死んでしまおうと思った。 私なんて生きている価値もない。約束も守れない。誰にも許されない。お前みたいな役立たずが何で生きているんだ……そんな風に考えて。 でも……違うと思った。貴方の人形劇を見て」 そう言うと、舞は往人が動かしていたパン人形を手に取り、優しく、そして敬意をもって見つめる。 その先に、何か大切なものがあるかのように。 「最初はぎこちなかった。すごくみっともなく動いてるように見えて、それでも必死に動いて、繰り返して、最後に大きく跳んで成功したように見えたけど……結局失敗して、転んで、また立ち上がって……ずっと繰り返し。みっともないと思ったけど、でも私はそれ以下だった……みっともないことさえ出来なかった」 「……まさか、面白くなかったのか?」 慌てたように聞く往人に、そうじゃない、と僅かに笑いながら舞は否定する。 「本当に往人の芸は面白かった。みっともなかったけど、頑張れば誰かを楽しませることができる。笑わせることができる。 ……それを教えてくれた。それに、佐祐理や祐一がやろうとしていたことも思い出させてくれた。 少しずつ努力すれば、きっと私だって認めてくれる。私も普通の女の子なんだって、そのために色々奔走してくれていたことを。 あれと同じ。上手くはいかなかったけど、でも、少し大きくなれたような気がした。 ……どうして、私は忘れていたんだろう。分かっていたのに」 往人はああ、やはり同じだ、と思った。 分かっていたはずなのに、本当に大切なことを忘れてしまった。 気付いたときには、応えることもできず。 出会って数時間も経っていないのに、まるで自らの半身のような親近感を往人は覚えていた。 「私は頑張れるのかな、往人……私のような、どうしようもないダメな子でも何か出来る……? まだ、どうすればいいのか分からないけど」 「……ああ。俺が保障する」 そう言って往人はぽん、と舞の頭に手を乗せる。 舞は特に嫌がることもなく、往人の行為に身を任せていた。 どうしたら、いなくなってしまった人たちに応えられる生き方ができるか。そんなことを考えて。 今はただ、お互いの暖かさを感じながら―― 【時間:2日目午後19時00分頃】 【場所:G−1】 国崎往人 【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】 【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】 【その他:岸田洋一に関する情報を入手。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】 川澄舞 【所持品:日本刀・支給品一式】 【状態:同志を探す。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】 【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】 その他:家の中にあるそれぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。 (家の中にある武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:4本) - BACK