――箱の中。 そう表現するのが正しい、白色と僅かな光の中に彼はいる。 安っぽい蛍光灯が明滅を繰り返す中、少年――久瀬と呼ばれている人間――は疲れきったようにうつ伏せになっていた。 いや、実際彼は疲弊している。 何十人もの死を黙って見届けるのは、健常者である彼からすれば拷問にも等しい。 何か手立てはないものか。 苦悩し、頭や壁を掻き毟っても命が零れ落ちていく速度は変わらない。むしろ加速していっている。 『君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ』 『参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ』 昼……つまり、前回の放送から6時間が経過した時点でこの人数。さらに6時間経過しているとあれば最早生き残っている参加者は40人どころか30人近くになっているのではないか? なんと、無力な。 久瀬は僅かに顔を上げ、拳を今は真っ黒なモニタに叩きつける。 このまま突き抜けて中に現れるウサギ(悪趣味な主催者のことだ、クソ)を殴り飛ばせたらいいのに。 普段ならば暴力的だと一蹴しているのに、これほどまでに悪意を持ったことはない。 ――もう、限界だ。 いかに久瀬が殺人とは無縁の世界で、黙っていればしばらくは無事であろうとも、これ以上手をこまねいて見ているのは吐き気がするくらいに嫌だ。 恐怖がないわけではない。 いや逃げ出したいくらいだ。 このまま黙って、この出来事をなかったことにできればどんなに幸いだろうか。 一学生として、生徒会長の座に居座って踏ん反り返っていれば、どんなに楽だっただろう。 しかし、久瀬という、英雄でも戦士でもない少年にも、一介の矜持というものがある。 それは復讐心にも似ている。 恋心……とまではいかなくても、既に鬼籍に入っている倉田佐祐理に好意を持っていたのは確かで、その死を嘲笑うかのように振舞っていた主催者の男だけは許せない。 憎い。恐らくは、倉田佐祐理を殺害した人物よりも。 実際に殺害の現場を目撃したわけではないし、殺害した人物の姿を見ていないからそう思っているのであろうが、胸の内に暗く、燃え盛る炎があるのも事実だった。 だが、武器があるわけではない(持っていたらとっくに反乱してますか、そりゃそうだ)。出入り口はこれまでに食事やタオルなどを持ってきた、主催者の秘書らしき人物が出入りする、壁の色と同じ扉一つのみ。 当然ながら鍵はかかっており、こちらからはどうすることもできない。久瀬には針金もなければ、ピッキング能力すらない。 しかし、久瀬には他の参加者と決定的に違う点が一つだけある。 首輪がない。そう、本来命を握る大切な手綱であるはずの首輪爆弾が、久瀬には付けられていない。 舐められたものだ。 個室に閉じ込めているから、いや主催の本拠地だからといってこれでは飼い犬を野放しにしているようなものである。 いいだろう、ならばその喉元に一気に噛み付いてやる。 何かの配慮か、単に都合がいいだけなのだろうか、持ってくるのは常に放送の直前だ。 ……狙うとするなら、扉を開けた瞬間。 体当たりをかまし、そのまま部屋の外に逃走すればよい。 部屋を爆発させるとか何とか言っていたが、その部屋から脱出さえしてしまえばどうにでもなる。 それまでの計二回あった放送でも何ら抵抗はしてこなかったのだから、敵も油断しているはず。 ……後は、逃げ回りながら参加者の首輪を管理している場所まで潜入し、解除してしまえば人数の多いこちらのものだ。 次々と浮かぶ自身の発想に、久瀬は上手くいくと確信を得ながらも、どうして今まで行動を起こさなかったのだろうと後悔する。 いや、既に原因は分かっている。 怖かったのだ、死ぬのが。 死の苦痛に怯え、みっともなく燻っていた負け犬だった。 それ以上の地獄が、外の島では展開されているというのに、久瀬は己の事情しか考えなかった。 鞭を打ってくれたのは、倉田佐祐理だ。 皮肉なことだが、彼女の死が、彼女が死んだからこそ、久瀬は立ち上がろうと思えたのだ。 やはり敵わないな、と久瀬は思う。 恐らく、彼女は最後の最後まで人格者であったのだろう。 誰かに思いが伝わると信じて散っていったに違いない。 ならば遅かれどもそれに応えよう。 ありったけの怒りを、主催者にぶつけてやろう。 許されるとは思わない。許してもらおうとも思わない。 これは、久瀬のための、久瀬自身の戦いだ。 部屋に立てかけられている時計を見る。 ――5時50分。 来る。そろそろ、来る。 体の向きを扉へと向け、石のように硬く拳を握り締める。 チャンスは一瞬。 距離から考える。飛び出すタイミングは開けてから数瞬の後がベスト。 肩から飛び込め。何も考えさせるな。後は走れ。 唇が堅く結ばれる。 心臓が早鐘を打つ。 腰が浮きそうになる。 落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着け―― 繰り返し、繰り返しながら久瀬は時を待つ。 そして…… きぃ、と。 扉が開いた。 (今だ……!) 勇気の、矢は―― * * * 『やれやれ、ですね。とんでもないことになりました……そうですよね?』 はい、と女は頷く。 女の視線の向こうには、モニタに移るウサギの姿。声はいつものような合成音声ではなく、編集をかけていない……デイビッド・サリンジャーの声。 『まぁ、こうなっては致し方ないですね。代わりにやっちゃいましょう。リストは覚えているな』 はい、と女は頷く。 サリンジャーの声はひどく落ち着いている。まるでそのことを予期していたかのように、自然な声だった。 それどころかスピーカーの向こうからはコーヒーを啜る音さえ聞こえてくる。 『あぁ、そうだ。例の件、付け足しておけ。どのように伝えるかは任せる』 承知しました、と女が頷く。 そのまま女はモニタの近くにあるマイクを手に取ると、あまりにも似つかわしくないような、朗らかな声で告げる。 「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。 ――では、第三回目の放送を、開始致します。 1 相沢祐一 5 天野美汐 12 岡崎朋也 16 折原浩平 17 柏木梓 19 柏木耕一 20 柏木千鶴 25 神尾観鈴 26 神岸あかり 29 川名みさき 30 北川潤 31 霧島佳乃 34 久寿川ささら 36 倉田佐祐理 37 来栖川綾香 40 向坂雄二 41 上月澪 42 河野貴明 43 幸村俊夫 44 小牧郁乃 46 坂上智代 47 相楽美佐枝 49 佐藤雅史 50 里村茜 52 沢渡真琴 55 少年 58 春原陽平 59 住井護 64 橘敬介 65 立田七海 71 長岡志保 73 長瀬祐介 74 長森瑞佳 83 雛山理緒 87 広瀬真希 88 藤井冬弥 96 保科智子 98 マルチ 101 みちる 102 観月マナ 103 水瀬秋子 106 巳間良祐 113 湯浅皐月 114 柚木詩子 117 吉岡チエ 以上、45名となりますが、他特別な事情を含めました特殊参加者の方も含めますと46名となります。 それと、人数の減少に伴いましてルールを変更させて頂きます。 まずは、放送の間隔をこれからは6時間ごとに行いたいと思います。 これはより早く参加者の皆様が情報を把握できるように、そしてより円滑にゲームを進めたいとの意向によるものです。 続きまして、最終生存者の増加につきましてお知らせ致します。 現在は一人しか生き延びる事が出来ません。参加者の皆様方には大切な方、大切な家族の皆様がいらっしゃることでしょう。 ですがご安心ください。そのご心情を踏まえまして、運営陣の方でルールが変更なされ、残り二人になった時点でゲームを終了することになりました。 もちろん、優勝者の願いを叶えるという約束も違えることはありません。ゲームが終了した暁には、お二人とも、その願いを叶えて差し上げます。 ですから安心して、今後もゲームを続けてなさって結構です。皆様の健闘を、我々も期待しております。 ――では、神のご加護が皆様にあらんことを」 * * * 女の声による放送が終了するのを、サリンジャーは満足そうに聞いていた。 声に聞き惚れていた、というのが正しいだろうか。 やはり美しい、と一人ごちる。 それはさておき、放送でのルール追加を決定したのはサリンジャーである。というよりは、実質運営を行っているのがサリンジャー一人しかいないからなのであるが、一応そこには狙いがある。 放送の間隔を縮めるのは、放送でもあった通りより円滑に進めるため。 そして最終的に生き残れる生存者の数を増やしたのは徒党を組んでいる連中を瓦解させるため。なるべくならバラバラに、小競り合いで少しずつ減っていってほしいというのも狙いとしてある。 しかし何より、二人生き残れるという現実的なルール変更にすれば、より乗る人間が増えるかもしれない。 そうなれば……愉快だ。 「ふふふふふ……まぁ、期待はしないでおきますか。それにしても――何を考えて、あんなことをしたのですかね、久瀬君は。用済みでしたし、いい機会ではあったのですがね」 モニターの隅に映る、じわじわと広がりつつあるそれを、サリンジャーは汚らしいものを見るような目で見つめる。 それは真っ赤な池。 中心には、ひどく折れ曲がった肢体が横たわっている。 頭部は砕かれ、脳漿がどろりと零れ落ち、眼球には割れた眼鏡の破片が突き刺さっている。 明らかに、人の力によるものではなかった。 久瀬は、床に頭から強烈に叩き付けられ頭部を割られたことにより、即死していた。 床にある罅割れは、その証明でもある。 ここで問題。 果たして、女がこのような怪力を出せるものであろうか? 否。 では、彼女は何者なのか。 「どうでもいいですね。おい、配置に戻れ。任務を続行しろ」 モニタの向こうにサリンジャーが呼びかけると、女は頷き、身を翻して軽やかに去っていく。 そのとき、彼女の着ている修道服が、ふわりと揺れた。 深くスリーブの入ったスカート部分から艶かしい足が覗く。男であれば、思わずそれに目を奪われていたことだろう。 ――だが、そこには刻印があった。 太腿の内側にある『acht neun』。そしてその下には『01』という数字が刻まれてあった。 それはタトゥーなどではなく。 彼女の『番号』であり。 ドイツ製、最新鋭の自動人形(ロボット)――『アハトノイン』という名の死神の姿であった。 久瀬は気付かなかった。 彼女がロボットだということも、勇気の矢は、既に折られていたのだということも。 血溜まりを残して、殺し合いは変わりなく、続く。 【場所:高天原内部】 【時間:二日目午後:18:00】 デイビッド・サリンジャー 【状態:殺し合いの様子を眺めている】 久瀬 【状態:死亡】 アハトノイン(01) 【状態:高天原内部の警備に戻る】 【その他:放送が6時間間隔に変更。生き残れる人数を二人に変更】 - BACK