(さむいっス)/Song of tundra





 暑い。

 なんとなく、まーりゃんこと朝霧麻亜子はそう思っていた。
 山頂で怪物と戦った際にしたたか打ち付けた部分が熱を帯び、頭もまだぐらぐらする。

 咳は出てない。お医者さんにかかる必要なし。
 すんごく痛くもない。手術する必要もなし。
 人は……殺せてない。

 はぁ、と麻亜子はらしくもないため息をつく。巳間良祐を殺害して以降、全く戦果が上げられていない。
 愛を語る男女(芳野祐介と長森瑞佳)には逃げられる。柏木兄妹も、実質的に殺害した(可能性がある)のは篠塚弥生。
 そもそも、山中を練り歩いていたからかもしれないが、人に出会えてない。

「ぬーん」

 首を捻りながら、麻亜子は己の不調を考える。
 ――誰かに不運でも移されたかな?
 そう言えば、と巳間良祐は途中から返り討ちにされることが多くなった、と言っていたのを麻亜子は思い出す。

「ティンときた」

 間違いない。奴の不運を貰ってしまっているのだ。

「ふんっ! 亡霊のタタリごときにこのまーりゃんが屈すると思ったか! 退かぬ、媚びぬ、省みぬー! ……あいてて」

 気合を入れようとしても空回りになってしまう。日常でもありえるような鈍痛の連続が、麻亜子の気を削いでしまう。
 銃傷や、刺傷ではないのだ。本来とは別な意味での『リアル』な痛みが否が応にも麻亜子に日常を思い出させる。
 ただ馬鹿をやって、笑って、楽しかった日常。殺し合い、なんて考えるはずもなかった。
 ふと、麻亜子は疑問を持つ。

 どうして、殺し合いに参加しちゃったんだろ?
 考えてみれば開始当初はあれだけの人数がいたのだから、ひょっとすると協力し合えば脱出への道が開けたかもしれない。
 加えて、自分の実力不足を実感する。
 今までは奇襲や急襲だったからこそ、あれだけ戦えた。しかし、正面きって戦ったとき……事は上手く運ばなかった。

 残っている参加者は有数の実力者ばかりのはず。それを相手に正々堂々と戦わざるを得なくなったとき、果たして自分一人で勝てるのか?
 いやそれならまだしも、河野貴明や久寿川ささらがそれを相手にして、生き残れる保障はあるのか?

「……やっぱ、馬鹿だね、あたしは」

 殺し合いなんて、ゲームの世界と同じで、簡単に終わるものだと思っていた。
 だが違った。これは単なる暴力の延長だ。
 戦争のように、ドタバタと死んでいつの間にか全滅していた。そんなものではない。
 例えば、激しく揉み合った末につい押し倒してしまい、運悪く頭を石にぶつけてそのまま死んでしまったような、そんなつまらない争いの連続なのだ。
 そこに運不運はない。ないとは言い切れないが、それでも最終的にモノを言うのは実力だ。
 自分はそれを分かっていなかった。

「そうだよ、あたしは馬鹿だ。だから……馬鹿だから、こんなのに乗り続けなきゃいけないんだ」

 これくらいのことを思いつけないからこそ、こうするしかなかった。
 脱出の手段なんて、思いつけるわけがない。
 仲間なんて、集められるわけがない。
 それに、ここで萎えていては今までに殺してきた人たちは一体何のために死んだのかわからなくなる。

「そうだ、あたしが絶対にさーりゃんと……たかりゃんを生かして帰すんだ。絶対……」

 頭に降りかかる疑念、雑念を必死に払うように麻亜子は頭を勢いよく振る。そのせいでぐらぐらしていた頭が更にぐらぐらしてきた。
 ごちんっ。
「い、痛い……が、がお」
 ぶんぶん頭を振っていたせいで足取りがふらふらとなり、近くにあった木にしたたか額の部分をぶつける。事あるごとに誰かの台詞を真似ているのにはこの際言及すまい。

「……ん」

 ごしごしと瞼をこすって、眼前の風景を見据える。
 そこには目指していた平瀬村の風景がある。とにかく、誰か見つけて殺害しなければ。
 ……その前に、どこかで休息を取らねばならない、と考えてはいたが。

「湿布薬が欲しいよねー。うん、乙女の身体には本当はプロの手によるマッサージが一番なんだけどさ。まー贅沢は言えないっしょ」
 コキコキと首の骨を鳴らしつつ、一番手近にある民家にそそくさと近づいていく。

「はいよー、こんにちはー。嫁入り新聞の者ですけどー、三ヶ月でもいいんで取って頂けないですかねー?」
 ボウガンを片手に構えつつ、玄関の戸を叩く。もちろん暢気に誰か出てきたら射ち殺すつもりであった。
 返事はない。悪意のある気配も、暢気な平和ボケした気配も感じられない。

「むう。開け〜、ヘソのゴマラー油っ!」
 誰もいないと確信した麻亜子はヘンな呪文を唱えながら家屋へと侵入する。
 正直なところ、また戦闘になれば今のKO寸前な麻亜子では取り逃がす可能性が高いと自己分析していたので誰もいないのは寧ろありがたい、と思っていた。
 当然、それは口に出すわけがなかったのであるが。

「ん〜……」
 まるでアメリカの家のように遠慮なく土足で侵入する。
 殺し合いの最中に行儀よく靴を脱ぐ必要はない。それに、玄関に靴を置いていたら侵入してきた人物に誰かがいると気取られる。
 一応注意深く足跡などがないか確認してみるが、どこにも土の欠片などは見当たらない。よし、完璧に無人。

 無人、という自身の思考からなんとなく、昔やっていたCMを思い出しながら和室へと潜入する。
 まだある程度新しい部屋なのか、外の殺伐として泥臭い匂いに慣れてしまったからなのか、鼻腔に広がる藺草の香りが妙に心地よい。
 一眠りする分には持ってこいだろう。そう考えた麻亜子は一つ頷くと押入れを開け、中を見渡す。

「あったあった」

 果たして予想通り、そこには綺麗に折り畳まれた布団一式が揃えられてあった。
 見たところ、張りは柔らかそうで、それに包まれる者に安息を与えようとする雰囲気がありありと出されている。

 いそいそと引っ張り出し、畳の床に広げて睡眠準備に取り掛かる。
 きちんと枕まで敷き、ゴマを擂る商人のように両手を揉みながら布団に入ろうとしたところで――麻亜子はまだ靴を履いていたことに気付く。
 ありゃ、と忘れていた自分に、照れたように頭を掻き、しばらく思案した末結局脱いで布団に入ることにした。
 足をゆっくりと差し入れる。靴下越しであるが、ふわふわとした心地よい感覚が伝わってくる。見た目通りだった。

「ではでは、おやすみ〜。さよなら三角また来て四角、っと」

 久々に感じる布団の感覚に、ふと麻亜子は何故だか不安を感じた。
 日常の欠片に触れた瞬間に、何か大切なものをなくしてしまったような、そんな感覚だった。
 いや、ただの違和感だ。布団の中に入る機会なんて、この島ではなかった。
 殺し合いという異常な環境下で普段そこにあったものに触れたから、そのような思いを茫漠と抱いただけに過ぎない。
 そんな風に考えながらも、やがて襲ってくる睡魔に屈した麻亜子は、ゆっくりと目を閉じていった。

     *     *     *

 走っている。
 延々と続く闇の中の闇を、ただひたすらに走り続けている。

 何かに追われていた。
 ひた、ひたと少しずつ大きくなっていくその音が、麻亜子の恐怖を煽る。

 それは漆黒から自分を追う、追跡者だった。
 麻亜子は後ろを振り向く。
 そこには深淵すら浅い底無しの黒が広がっていた。そこに自分を追う、追跡者は見当たらない。

 いや、人ではないのだ。例えるなら、無数の手が伸びてきて、いきなり四肢を掴みそのまま引きずり込むような、そんな存在だ。
 つまり、麻亜子は『恐怖』そのものに追われている。

 何故自分は恐怖しているのか。
 そんな疑問を浮かべる間もなく、麻亜子は走らなければならなかった。
 とにかく、自分を掴もうとする何かが怖かったのだ。引きずり込まれると、もう二度と戻れないような、そんな気がして。

 先へ、先へ走る。
 するとその目の前に……いきなり現れた人影が、麻亜子の逃避を妨げる。

「……」

 息を呑む。それは、この島にきて麻亜子が最初に殺した人間。名前も知らぬ、一見すればどこにでもいそうな中年の男が、ただじっと麻亜子の瞳を覗いている。
 そこに意思や主張はない。ただ漫然と見ているだけだった。ただ、黙って。

「……っ!」

 しかし、背後に迫る恐怖感と、不気味に映る男の視線に耐えられずに麻亜子は別の方向へと逃げ出す。
 そのすぐ先にも、また別の人間がいた。

「……」

 こちらの人物は、麻亜子も知っている。
 巳間晴香。
 麻亜子が謀略で騙し、背後から襲い、殺害した人物だ。先ほどの男と同じように沈黙しながら、腕を組んでいる。

「なに、さ……」

 最後に見せた晴香の表情は、麻亜子も知っている。憎悪と怨嗟に満ちたあの表情を忘れるわけがない。
 なのに。
 あれほど憎しみに満ちた目をしていたのに。

「なんで、そんな目なんだよっ……」

 その目は、何もなかった。
 先ほどと同じく。
 空虚に、見つめるだけ。
 鏡だった。
 姿を変え、己を映す鏡――そんな風にさえ思える。

「何か、言ってよっ!」

 痺れを切らし、麻亜子は叫んだ。
 反論しようがないのだ。言い訳すら、できない。
 しかし、晴香も微動だにしない。言葉はそのまま、麻亜子へと反射する。

「あたしは……」

 いつものように言えば良かった。「あたしは自分のために殺し合いに乗っているんじゃない」と。
 一番分かっていることではなかったのか。これ以外に方法はない。全員殺すことでしか、あの二人を生き残らせる方法はないと。
 二人?

「あた、しは……」

 いつの間にか、気付かぬ間に、麻亜子は色々な人物から見下ろされていた。
 殺してきた人物だけではない。
 宮内レミィ。巳間良祐。長森瑞佳。柏木耕一、柏木梓。相沢祐一。観月マナ……他、数え上げればキリのないほどの人間がそこにいた。
 しかし、皆に共通するのは――やはり一様に黙り、ただ見つめているということだけだった。
 四方八方から、麻亜子の姿を余すところなく映すようにそれぞれの瞳が覗いている。

 何も言えない。
 矛盾、そう、決定的な矛盾に、彼女は気付いてしまったのだ。
 生き残れるのは二人ではない。殺し合いは最後の一人になるまで続く。
 残ったとして……最後に、あの三人で残ったとして。
 『誰が、誰を殺して、誰を生き残らせるのだろうか』?
 否、殺せるわけがない。『誰も殺せない』のだ。

 手にかけられるわけがない。かけがえのない友人を、その手で引き裂くことなど……あの学校で共に過ごしてきた時間を忘れて、手にかけることは……麻亜子でさえ、殺人を犯してきた麻亜子でさえ想像を絶する。
 たとえ殺す事ができたとして、その先に待っているのは孤独と絶望だ。
 友人を殺害して、死体を前にしながら優勝が決まる。その光景を想像しただけでも、麻亜子の心は壊れそうになる。
 自分でさえこうなのに、それよりも優しいささらと、貴明がそんなのに耐えられるはずがない。

 どの道、待ち受けているのは――破滅なのではないか?

「ぁ――」
 違う、そんなことはない。
 考えるな。朝霧麻亜子……いや、まーりゃんはやるべきことをやればいいだけなのだ。
 二人の為に、殺す、殺す、殺――
 ――殺して、それからどうなるというのだ?

 一度辿り着いてしまうと、もうその考えを打ち崩すことはできない。
 頑なに現実を拒もうとするほど、麻亜子は子供ではいられなかった。
 大人にならなければ、殺し合いに加担することはできなかった。
 故に……朝霧麻亜子は立ち止まる。
 殺し合いを進めることは、破滅だと気付いてしまったから。

「でも、そしたら、あたしは……」

 一体何のために人を殺し続けてきたのか。
 人が人を殺すという、途方もない罪を背負ってまで知りえたものは破滅だけだというのか。
 麻亜子とて、殺し合いがしたくてこんなことをしているのではない。

 これしか考えられなかった。
 二人を想った、最善の選択がそれだと思った。ただ二人のことを考えて、考えて、たどり着いた結果だ。
 罪悪感を己の道化で隠し、慄く心を冗談で必死に誤魔化し、常に自分を殺しながら血を浴びてきた。

 最初に襲った……無防備な岡崎直幸でさえ、殺すのには時間がかかった。
 ナイフで一太刀、一太刀浴びせていくごとに失われていく人の命を見るのは……余りにも苦痛だった。
 麻亜子は破天荒だが、人としてやってはいけないことだけは分かっていたし、人と人の繋がりがいかに大切かということも分かっていた。
 襲い掛かる前に何度も繰り返した。

 ごめんなさい。ごめんなさい……

 時折ふざけた様に殺してきたのも、罪悪感に駆られ殺し合いを止めたくなる心を必死に抑えるため。
 一人殺したその瞬間から、麻亜子は冷酷な殺人鬼であり、赦されるわけにはいかなかった。そうでなければ、何人も殺しつくせるわけがないと思っていた。
 そうやって、いくつも罪を重ねた。
 ここで殺し合いを放棄したとして、二人が生き残れる保障はどこにもない。

「……でも、あたしは」

 続けなくちゃいけない。それが朝霧麻亜子の運命で、約束なのだ。
 今更元には戻れないし、戻れる資格もない。
 しかし、どうすればいいのだろう?
 どこを目指せば、二人は救われるのだろう?

 まるで分からないのだ。
 この、周りに広がる真っ暗闇のように。
 いつの間にか、麻亜子を取り囲む人間はいなくなっていた。

「やらなくちゃ……いけないんだ、やらなくちゃ」

 殺人だけは、やめてはならない。
 そんな脅迫じみた思考だけを頼りに、麻亜子は俯けていた顔を上げようとする。

「……あ、……」

 そこには、二人の人間がいた。

「さーりゃん、たかりゃん……」

 闇に薄く、薄く溶けるように、二人は並んで麻亜子を見つめている。
 しかし、その気配は今までとは違った。
 悲しみだ。
 悲哀に満ちた眼が、麻亜子を射抜いている。

「ち、違うよ、そうじゃ、ないんだ……」

 まるでそれが、麻亜子を責めているように感じて……いつの間にか口を開いていた。
 視線は変わらない。今までと同じだった。


「あたしは……殺し合いなんか――!」


     *     *     *

 ひどい徒労感が、麻亜子の身体を駆け巡っていた。
 それだけではない。体中に汗がべっとりと張り付き、額には玉のような汗が滲んでいる。

「……夢」

 声に出して、ようやくそれを実感する。
 けれども弱々しい声だった。
 年相応の女の子の声である。

 違う。あたしはこんな弱くなんかない。

 己にまとわりつくものを取り払うように、麻亜子は布団を乱暴に撥ね退ける。
 幸いにして、侵入者の気配はない。

「ん、もう夕方か」

 空が曇っているせいであまり分からなかったが、世界の色が橙を基調としたものに塗り変わっていることから、それくらいの考えはつく。
 あの夢は、なんだったのだろうか。
 思い出すのも憂鬱な、果てのない暗黒。
 そして責めるでも諭すでもない、掴めない人々。

「……分かんないよ」

 最後に、自分はなんと言おうとしたのだったか。
 夢は最後のあたりを覚えているものなのに、全く思い出せない。あるいは、思い出したくないのかもしれない。

「ボヤボヤしてる暇、ないよね」
 十分に休憩はとった。精神まで万全とは言いがたいが、一応頭に残っていたズキズキとした痛みはなくなっている。
「……今は、今しか考えられないよ」

 とにかく、ささらと貴明に迫る脅威を排除するのが課せられた役目だ。
 何故か言い訳のように言って、デイパックを背負おうとしたときだった。

「あ……」

 麻亜子は気付く。それが久方振りの、例の時間だということに。
 耳障りな雑音が、周囲を満たす。


 もう、この時既に――彼女は、楽園から追放されていたのだ。




【場所:F-02、北部】
【時間:二日目午後:18:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと(迷いが生じつつある)。スク水の上に制服を着ている。精神的疲労】
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