Like a dream





 ――どうすればいいのだろう。

 そんな考えだけが、川澄舞の思考にあった。

 ――どうして、こうなってしまったのだろう。

 そんな感情だけが、川澄舞の頭で渦巻く。

 悲劇は、防げたはずだった。
 武器を収め、きちんと話し合えば、犠牲者は最悪でも一人……吉岡チエだけに留めることができたはずだ。

「……私が、喋るのが苦手だったから……」

 もっと上手い言葉で説得できていれば。
 もっと穏やかな言葉で話し合っていれば。
 もしも、あの時、ああできれば。そんな後悔だけで、時間は経過していく。

「……佐祐理……私は、どうすればいいの」

 自分の最もよき理解者であった、倉田佐祐理に向けて、助言を求める。しかし返事はなく、空虚に言葉は吸い込まれていくばかりで。
 返ってくるのは、沈黙と言う名の罵倒。生き残ったほうが罪だ。そうとでもいうような。
 そう感じるのも、無理からぬことだった。たった一人の舞に、言葉を投げかけてくれる者はいない。
 加えて、元来舞は自己犠牲の精神が強い人間でもある。
 自殺すら、舞の脳裏には選択肢として存在していたくらいだ。
 それをどうにか押し留めているのは、未だ出会えぬ親友の佐祐理の存在があるからこそであった。
 その細すぎる一本の線だけを頼りに、舞はぶら下がっていた。

「……」

 少し、顔を上げれば、そこには涙の跡を残しながら、無念の表情で散っていった河野貴明の姿がある。
 その近くには、自らの死さえ理解できずに死んだ久寿川ささらが。
 隣では、憎しみに顔を歪めた長岡志保が。
 その少し先に、へらへらと奇妙な笑いを浮かべている、住井護が。
 そして、ここからでは見えないが、ぐちゃぐちゃになった頭で、恐怖の表情を浮かべたままの、観月マナの遺体があるのだろう。

 それは、いずれも生を渇望してやまなかった人間の姿である。
 濃密な死の匂いと一緒に、その思いが今も伝わってくる。
 どう応えればいいのだろう。彼らの思いは、どこで報われるのだろうか。
 知っているのは、舞ただ一人だった。

「知らせ、ないと」

 彼ら、或いは彼女らの友人に、知り合いに、知らせなくてはならない。
 そして、贖罪をせねばならない。
 罪人は、罰を受けるべきなのだ。
 うわ言のように、その言葉を発しながら、舞は貴明の遺体を外へと運ぶ。

 一人ずつ、埋葬する。
 それが生き残ってしまった者の勤めだと、舞はそう考えたのだ。
 鎖につながれた囚人のような、鈍すぎる足取りで、まずは貴明を外に出す。
 白い腕が、赤の化粧でみるみるうちに染まっていく。
 彼女が着ている赤を基調とした制服と合わせて、言わば紅の喪服。
 それは図らずも、彼女の沈痛な気持ちをよく表していた。

 貴明を地面に寝かせたところで、舞は道具が足りない事に気付く。
 地面を掘り返す道具がなかったのだ。
 ふらふらと立ち上がると、幽鬼のような面持ちでスコップ、或いはそれに準じる物を探す。
 物置。家の中。棚。押入れ――しかし、何故だろうか、地面を掘るのに適した道具は一つも見つからなかった。
 そこで、舞が選んだ方法とは――

     *     *     *

 どこか遠くで、小さな音が聞こえる。
 銃声だろうか、断続的に聞こえてきて、しかし大まかな場所すら特定できず、国崎往人は眉を顰めるしかなかった。
 平瀬村に入ったはいいものの、日も暮れかけている上に天候も芳しくない。その上早速死体を二つほど見つけたところだ。
 男と、女が一人。笹森花梨が言っていた北川潤と、広瀬真希という人物の特長には一致する。
 だとすると、その片割れの一人である遠野美凪の安否が気にかかるところではあるが……考えて、往人は美凪が殺し合いに乗っている可能性は、と思考を切り替える。

「……まさかな」

 あの超絶天然ボケ天文部部長が拳銃握り締めて殺し合いをしている姿など、どうしても往人には想像できなかった。
 そもそも、あの田舎町でみちると遊んでいた姿を見れば分かる。
 柔らかな物腰の奥にある、全てを包み込むような母性の瞳。
 あの優しさだけは付き合いの浅い往人でも分かる。あれだけは、何があっても揺ぎ無いものであると。

「……みちる」

 だからこそ、彼女の死が、恐らく美凪にとっては家族以上の存在である、みちるの死がどれだけ辛いものであるかは、往人でさえ察するに余りある。
 そう、だから自分が敵討ちを、引いては殺し合いに乗った人間の排除をしなくてはならないのだ。
 既に、往人は殺人鬼とはいえ人を一人殺してしまったのだ。
 大義名分があろうとも殺人には変わりない。いつか、大きなしっぺ返しを喰らうかもしれない。一人寂しく死んでいくのかもしれない。

 しかしそれでも、最悪でも自分の知り合いだけは。
 傲慢かもしれないが、観鈴も、美凪も、佳乃も、他の知り合いも。
 守れる限りは、俺が守ってみせる。

 新たに手に入れた、38口径ダブルアクション式拳銃(よく確認したところ、コルト・ガバメントのカスタムバージョンだということが分かった。別にガンマニアではない往人はどうこう思わなかったが)を決意を込めて握り締める。
 それまで持っていたフェイファー・ツェリスカはあまりに重過ぎることと、撃ってみて反動が半端ではなかったので少しでも扱いやすい拳銃を選ぶことにしたのだ。
 とはいえ、デイパックの中に入れていてなお存在感を放つその重厚感は、頼りになるのには違いなかった。

「そういえば……」

 ポケットの中から、伊吹風子にもらったスペツナズナイフの柄を取り出す。お守りにともらったものなのだが、役に立つとは思えない。
 かといって、ポイッとデイパックに仕舞えるほど往人は冷たい男でもない。往人は人情に熱い男なのだ。目つきは最悪だが。

「ふむ」

 どうにかして穴を開けて、紐を通して首からかけておけばいいだろう。おお、お守りらしいじゃないか。
 以前観鈴の家で見た戦争映画の、兵士がつけているドックタグを思い浮かべながら、往人は満足そうに頷いた。

「となれば、まずはどこかで穴を開けるものを探さないとな。キリがベストだ」

 幸いにして柄の部分は木製だ。まあ金属製の部分もあるだろうが、力技で開ければいい。往人は力の一号なのだ。目つきは最悪だが。
 これまたテレビで見ていた、『大脱走』のテーマを鼻歌で鳴らしながら(音程が滅茶苦茶だったが)往人はそれっぽいものがありそうな民家を探して平瀬村を進んでいく。


 さく、さく。


 そうだ、探すといえば、人形も探さないとな。いつまでもパン人形のままでは人形遣いの名がすたる。
 一番いいのはずっと労苦を共にしてきたあの人形なんだがな、とぼやきながら往人は歩き続ける。


 さく、さく。


 待てよ、こんな殺し合いを開催した人物があの人形を捨ててやしないだろうか。恐らく持ち物は没収されているのだろうし。
 いや、別に汚いと言っているわけじゃないぞ。ただあれは相当な年代物だからな。なにしろ何代も前の代物らしいし。


 さく、さく。


 考えてみればあれもガキに蹴られたり犬に持ち逃げされたり、不憫だ……ずっと一緒にいると妙な愛着があるんだよな。
 相棒というか、古女房というか。うーむ、ますます捨てられてないか不安になってきたぞ。


 さく、さく。


 ……それにしても、さっきから聞こえるこの不規則な音はなんだ?
 気のせいだと思っていたが、僅かに何かを引き摺るような、擦るような音がする。


 さく、さく。


 空を見上げる。雲が見え始めてきたコーラ色の空から、したたるように聞こえる小さな違和感。
 まとわりつかれるような、そんな不気味さを含んでいる。


 さく、さく。


 いや、それは呻きだった。
 生者、死者を問わず搾り出される、怨嗟の悲鳴だ。


 さく、さく。


 濃密な死臭。いつの間にかそれが自分の周りを取り囲んでいることに、往人は気付いた。
 そこにいるだけで、どんな意思をも奪いそうな。


 さく、さく。


 ふわりと舞い上がった匂いが、撫でるように往人の頬を通る。
 それが自分を暗闇に引きずり込む腕のような気がして、往人は逃げ出したくなった。


 さく、さく。


 だが、と思い直す。
 これが幻聴でないのならば、その先には、同じように死の気配に囁かれる、人がいるのではないだろうか。


 さく、さく。


 もしも、それが観鈴であったなら――
 振り払わなければならない。この匂いが帯びるモノを。
 次の音が聞こえる前に、往人は返しそうになる踵にしっかりしろと鞭打って、前進させた。


 さく、さく。
 さく、さく。
 さく、さく。


 音の正体は、やはり、人であった。
 しかし、それは囚人、奴隷、亡者か、いずれその類に違いない。
 そう思わせるほどに、目の前の光景は異常だった。
 往人は言葉にできなかった。

 目の前に居座る人間が、穴を掘り返している。
 近くには死体。
 恐らく、墓でも作ろうとしているのだろうか。
 その程度の察しはつく。
 だが、目の前の人間は、少女は、何も持ってはいなかった。

 病的なまでの動作で、手を用いて穴を掘り返している。
 さく、さく。と、爪を地面に突き刺し、ブルドーザーのように土を削り取ろうとして、けれども失敗。
 僅かに土を払うばかりで、一向に穴は大きくならない。
 いや、そもそも人の手で墓を作れるほどの穴を掘れるわけがないのだ。
 まるで、おままごとだった。そしてそれ以上に、作業は永遠であった。

 ここは、どこなのだ?
 そんなわけの分からない疑問が、立ち尽くす往人の頭に浮かぶ。次いで、すぐに状況を表すべき言葉が浮かぶ。
 殺し合いの場ではない。ましてや平和な世界でもない。
 そう、地獄なのだ。咎人が果て無き贖罪を繰り返す、牢獄だった。

 往人は眩暈で倒れそうになる。
 人の赴く場所ではなかった。引き返し、すぐにでも新鮮な生を帯びた空気を吸い込まねばならない。
 こんなところにいては、気がおかしくなってしまう。
 それに目の前の人間は一目見るだけで観鈴ではないと分かる。

 引き返せ、引き返せ。それは逃避ではないのだと、往人の本能が告げる。
 往人の呼吸が荒くなる。胸が苦しくなり、汗が吹き出す。
 これ以上毒気に当たってはならぬ。国崎往人、お前の目的はここに来ることではないはずだ。つまり。目の前の『モノ』は、


 見捨てろ――


 往人の内の声が、そう囁くと同時か、少し遅れて、背後の気配に気付いたのか、虚ろな様子で振り向いた。

 色こそ違えど、腰まで真っ直ぐに伸びている流麗な髪。
 土や血の朱が汚していてもなお、輝きを失わない白い肌。
 深遠を閉じ込めたような、自然を映す瞳。
 少女ではなく、それは、女の子だった。

 身体を絡め取られた往人を一瞥すると、女の子が、口を開く。

「――」

 声は小さすぎて、何を言っているのか往人には判別できなかった。
 だが声を聞いた時、いや女の子……川澄舞のその瞳を見た瞬間、往人はまとわりついていた己の内の全てを振り払って、彼女に駆け寄っていた。

『助けて――』

 実際は違うだろう。間違いなく違うと、そう言えるだけの自信が往人にはある。
 恐らくは、言った本人でさえどうでもいいことを呟いただけなのだろう。
 しかし、それでも、虚ろで悲しいその目は、往人を確実に動かしたのだ。
 また、助けたいというその意思は、往人が望んだものでもあったから。

「何をしてる!」

 一瞥しただけで、また作業に戻ろうとした舞の腕を往人が掴む。
 どこでこびりついたのだろう、爪は土の色以上に血まみれで赤いマニキュアと化していた。

「やめろっ! 何があったのか知らないが、お前、血だらけじゃないか!」
「……放して」

 しかし、舞が示したのは拒絶だった。
 舞にとっては、これは墓作りであり、贖い。それをしなければ、地獄に落ちる資格すらないと彼女は思っていたのだ。
 弱々しく振り払おうとする。しかし一層強く、往人は舞の腕を……いや、手を握った。まるで包み込むように。

「……放して」

 うわ言のように、繰り返す。そこに意思は感じられなかった。往人は黙って首を振る。

「墓を作るなら、手伝ってやる。だがお前がそんなんじゃ作業にもならない。墓なんて、いつまで経っても作れないぞ」
「……」

 まずは、この無意味な行為を止めさせなければならなかった。終わりの無いメビウスの輪を、断ち切らなければならなかった。
 手を握りながら、真摯に舞へと向き合う。例え目の前の舞の瞳が往人を映していなくとも、きっと見えるようになるはず、そう信じて。

「まずお前の手当てだ。指がボロボロだしな。他に怪我はないか」
「……」

 返事はない。だが手を引っ張っても抵抗する様子は見られない。とりあえず納得はしてもらえたようだ。
 見たところ血まみれだが特に怪我などは見当たらない。そこは大丈夫そうだった。
 まだそこまで頑なではない舞に、多少ホッとしつつ、往人は舞の手を引いてすぐ近くにあった民家の中へと入る。

 ……しかし、その家の中は、さらに死の匂いで満ちていた。
 死体。死体。死体。死体。死体――計五つ。
 外に置かれていた一人など、まだその一人に過ぎなかったというのか。
 舞の手が震えているのを、往人は感じた。

 これだけの人間の死を、一手に受け止めたであろう少女。その絶望は、果たしてどれほどのものであったのだろう。
 何度か死を間近に捉えたことのある往人でさえ、想像も及びつかない。
 そして、このような状況になるまでには、さらに深い惨劇があっただろう。
 恐らくは、誤解、憎悪、怨嗟、悲鳴、殺戮。負という負の言葉を全て織り交ぜた光景が広がっていたのだろう。

「……ここは、まずいな」

 ここで治療を施すのは、往人でも躊躇われる。幸いにして(現実的に考えれば当たり前であるが)、部屋は複数あるし、襖で境界もある。
 隣の部屋あたりで行うのが一番であろう。

「行こう」
「……」

 手を引く。反抗は、なかった。

 隣の部屋に座らせ、往人は包帯なり絆創膏なり、とにかく治療できる道具を探すことにした。
 一応それなりの心得は旅を続けるうちに身につけていたし、霧島聖の診療所でバイトをしているときに教えてもらった経緯がある。
 そうでなくとも、これくらいのことは誰だってできる。

「絆創膏はあったか……だが消毒液が見当たらん」

 一箱ほどそれを入手したものの肝心の消毒剤がない。
 とはいえ、それで死ぬということもないだろう。……恐らく、ではあるが。
 うん、感染症にかかったりはしない……ことを願おう。
 なんとなく不安になりつつ、手の傷口を洗い流すために近くにあったデイパックから水を拝借する。

「悪いな、借りてくぞ」

 往人が拝借したのは、かつて会話したことのある観月マナのものだった。
 脳を打ち抜かれたマナは、ぽかんと口を開けて己の死さえ気づいていないようだった。恐らく、誤射か何かで運悪く頭に命中してしまったのだろう。

「……あいつは、俺が助けてやる」

 脳漿のこびりついているマナの顔をゆっくりと拭ってやり、永遠の安息を願い、目を閉じてやった。
 閉じた後、マナの顔はひどく安心しているように見えた。

「悪い、待たせた――」
 往人がそう言って、舞のいる部屋へ入ろうとしたとき。
 家の中にまで響くような大音量で、例の放送が入った。




【時間:2日目午後18時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:まずはこの先の平瀬村に向かう、観鈴ほか知り合いを探す、マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:絶望、祐一・佐祐理ほか知人・同志を探す。両手に多少怪我】

その他:家の中にあるそれぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。
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