葉鍵ロワイアル3/ルートD-5 BLサイド・終章「アイニミチル」 ****** ―――違うよ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。 ****** 「……ここも、久しぶりですね」 地の底まで続くかのような、長く薄暗い洞窟の中に、静かな声が反響する。 点在する灯火の揺らめきに照らされるその瞳は少女らしき容貌に似合わず、 朝霧に煙る湖面の如き妖しい静謐を湛えていた。 背後には、ぼんやりと淡い光を放つ巨大な何かが二つ、存在している。 まるで従者の如く少女の歩に合わせて動くそれは、色硝子によって作られた十字架のようであった。 十字架とは元来、聖の象徴ではない。冷厳たる磔の道具である。 内部から淡い真紅の光を放つその十字架にもまた、磔刑に処されたかのような影が、あった。 ぐったりと俯いたまま動かない姿は十字架と同じ、二つ。 淡い光に浮かんだシルエットは、どちらも女のようであった。 「―――貴女がいつ、ここに足を踏み入れたというのですか、パーフェクト・リバ」 かつ、と革靴の岩肌を食む音と共に声がした。 薄闇の向こうから現れた姿は、やはり少女。 たっぷりとした長い髪を二つに編みこんで肩から垂らしている。 しかし儚げな雰囲気を漂わせるその小さな体に、不釣合いといえるものがあった。 声と、瞳である。 触れれば斬れそうな鋭さと、底知れぬ冷たさを秘めた声。 瞳はといえば、夜の森の深奥に咆哮を上げる獣のそれと同じ色の光が浮かんでいる。 場にそぐわぬ分厚い本を手にしたその姿を認めて、赤光の十字架を連れた少女が足を止めた。 「先回り、ですか。ご苦労なことですね、里村さん」 皮肉めいた言葉と共に僅かに会釈するが、名を呼ばれた編み髪の少女、里村茜は ただ厳しい視線を向けるのみで、挨拶を返そうともしない。 無表情に近い顔の中、瞳にだけ怒気を浮かべて口を開いた。 「贄を返してもらいましょうか、パーフェクト・リバ」 「私には天野美汐という名があるのですけれど」 十字架の少女、美汐が苦笑気味に呟く。 委細構わず、といった風情で茜が一歩を踏み出した。 「貴女は私たちに与することを拒んだ。……ならば、その贄を連れまわすことも、 この場に足を踏み入れることも赦しません。贄を引渡し、早々に立ち去りなさい」 「それも、『黙示録』の定めた事象ですか?」 「……!」 微かな笑みを浮かべて漏らされた美汐の呟きに、茜の顔色が変わる。 瞳の奥に蠢く獣が、牙を剥いて唸るかのような視線。 美汐の視線は茜の手にした分厚い本に向けられていた。 「……貴女にその名を呼ぶ資格はありません、パーフェクト・リバ」 「それを棄てた女の言葉には腹が立ちますか、やはり」 薄笑いを浮かべた美汐の言葉が、空気を一段と刺々しいものにしていく。 いつの間にか、茜の持つ本が淡い光を帯びている。 それは美汐の連れた十字架の放つものと同じ系統の、赤い光であった。 明るく澄んだ十字架のそれと比べ、茜の本から漏れ出すそれは暗く澱み、酸化した血液を想起させる。 流れ出た血の色の光をその手に纏わせて、茜がさらに一歩を踏み出す。 「素直に引き渡さないというのであれば、あまり望ましくない手段を採らざるを得ません」 言いながら歩を詰めるその眼は、既に害意に満ちている。 本から漏れ出す光が次第に強くなっていく。 「……『黙示録』はあなたの勝利を告げているのですか」 「黙りなさい」 「言葉を変えましょう。……その『黙示録』とやらに、私の名は刻まれていますか」 「黙りなさい、と言っているのです」 刃の如き言葉と同時、茜の手から光が伸びた。 垂れ落ちる血のような光が、まるで粘性の体を持つ生物であるかのようにのたくりながら美汐へと迫ったのである。 光は瞬く間に美汐の腕に絡みつく。 「……赤の力で私が止められると、そう思っているのですか」 自由を奪われた腕を、しかし表情を変えずに煙るような瞳で見やりながら、美汐がつまらなそうに告げた。 対する茜は美汐の言葉に、不敵な笑みを返してみせる。 「ええ、一時しのぎにしかならないでしょうね」 「なら―――」 「一時しのぎにはなる、と言ったのですよ、私は」 言うが早いか、茜の手から新たな光が伸び、形を成していく。 新たな光は美汐の腕を捕らえた粘性のそれとは違い、硬質な印象を与える。 伸びていく光が、人の二の腕ほどの長さでその伸長を止める。 赤光で作られたそれはまるで刃―――短刀のようであった。 一瞬の内に、茜の手には赤光の短刀が握られていた。 「また、器用な真似を」 苦笑する美汐に、ぎらりと光る刃が向けられる。 表情一つ変えぬその顔に突き込まれるかと見えた刃は、だが美汐ではなく、狭い洞窟の天井を指し、止まる。 「貴女にも―――贄となっていただきましょう」 刃を天へと翳した茜が、それを振り下ろす。 何もない中空を斬った刃が、光の粒となって消える。 奇妙な行動の成果は、奇怪となって表れた。 赤光の刃が通った軌跡、その空間が、黒く染まっていたのである。 否、空間が黒に染まったのではない。空間に、黒が染み出していた。 美汐の十字架の放つ淡い光も、点在する灯火も、茜の手にした本から漏れる赤光も、黒を照らすことはない。 光という概念を否定するかのような、それは厳然たる黒であった。 一瞬の間を置いて、黒の中に色が現れた。 蠢く、桃色。 人の皮膚を裂き、真皮を剥ぎ取った向こうに見えるような、脈動する肉の色であった。 うぞうぞと蠢く肉色が、黒を侵食するように増えていく。 清廉な黒を腫瘍が侵していくような、そんな醜悪な光景。 肉色に隠されて、次第に黒が見えなくなっていく。 ぞる、と怖気の立つような音を引きずりながら実体を持った肉色の塊がその頭を覗かせたのは、 黒が覆い尽くされて間もなくのことだった。 茜の赤光が斬ったその空間から、肉色の不気味な塊がぞるぞると這い出してくる。 絶え間なく涎を啜るような音を立てながら次々と現れたそれは、巨大な蚯蚓か、蛞蝓を連想させる。 人の腕ほどもある太さの胴は長く、そのところどころに醜い凹凸を持つ、眼も口もない蚯蚓。 全身を得体の知れない粘液でぬらぬらと照り光らせ蠢くそれは、まさしく悪夢の産物であった。 「パーフェクト・リバ……極上の餌に、この子たちも喜んでいるようです」 「……」 肉色の蚯蚓が、ぞろりと舌なめずりをするように動いた。 見やる美汐の目に恐怖の色はない。 ただどこか光を照り返さぬようなところのある瞳が無表情に、蠢く蚯蚓の群れを眺めていた。 「贄……ですか。これまで一体、幾人を捧げてきたのでしょうね」 「知ってどうします? これから蟲に犯され、呑まれる方が」 「こんなものを喚び出して、贄を捧げていれば……次第に境界が歪んでいくというのに」 「……」 「このこと……あの方はご存知なのですか?」 「答えるつもりはありません」 淡々と交わされる言葉の端々に、棘が覗く。 棘にはたっぷりと毒が塗りつけてある。 人の肉ではなくその内側を傷つけ、やがては死にまでも至らしめる、それは悪意という猛毒であった。 「……そう、ですか」 「ええ。さようなら、パーフェクト・リバ」 言葉を合図に、茜の足元に蠢いていた蚯蚓が、その鎌首をもたげた。 半透明の粘液が、どろりと糸を引いて地面を汚す。 ぞるぞるとのたくる眼球もないそれらが一体どのような器官をもってか、一斉に美汐の方を向き――― 「……あなたは少し、ご自身でも痛い目を見られた方が宜しいでしょう」 ―――その動きを、止めた。 「……っ!?」 茜が眼を見張る。 一瞬の間を置いて、蚯蚓の群れがその動きを取り戻していた。 茜が、一歩を退いた。 蚯蚓の群れは、そのどろどろと粘液を排泄する頭を、一斉に茜の方へと向けていたのである。 「……!」 さらに一歩を退いた茜の革靴の踵が、何かに触れる。 ぶよぶよとした感触。 思わず振り向いた、その眼前。 息のかかりそうな間近に、蚯蚓の肉色があった。 悲鳴にも似た吐息が漏れるよりも早く、茜の手首に濡れた感触が走る。 白く細い手に、醜い肉の蚯蚓が、まとわりついていた。 どろりとした粘液が茜の掌に垂れる。 「……っ!」 「―――怖ろしければ叫んでも構わないのですよ、哀れな贄のように」 必死に悲鳴を押し殺したような茜の吐息に、美汐が微かに笑う。 いつの間に解いたものか、その腕を拘束していたはずの赤い光は既に影も形もない。 「これ、は……どういう、ことですか……、パーフェクト・リバ……!」 睨むような視線にも、美汐は意に介した風もなくそっと肩をすくめてみせる。 その仕草にあわせたように、新たな蚯蚓が茜の身体へと迫っていく。 べたりとした粘着質の柔らかいものが、茜の肉付きの悪い脛に巻きついた。 圧迫されたふくらはぎがその形を歪める。 寄せられた肉がぷっくりと膨らむところに、嫌な臭いのする粘液が塗りたくられた。 嫌悪感に表情を強張らせる茜を面白そうに眺める美汐。 「少し、講釈をしましょうか……『先輩』として」 「……くぅっ……!」 茜のハイソックスの内側に、蚯蚓が入り込んだ。 踝を嘗め回されるような、鳥肌の立つ感触。 白い布地の内側から粘液が染みて、その色を変えていく。 既に声など聞こえていないようだった。 構わず言葉を紡ぐ美汐。 「―――GLは憧憬。凛と立つ百合に添う薄暮の茜」 謡うような節回し。 細い美汐の声が、このときばかりは凛々しく張り詰めたものとなっていた。 「あなたの手にしている書の、冒頭に記された言葉です。 GLの概念を示したものと伝えているはずですね」 「……ぁ……っ!」 まとわりつく蚯蚓を払おうと振り回されていた、茜の空いた方の手が、数匹の蚯蚓によって捕らえられた。 白い二の腕についた柔らかな肉を食むように、蚯蚓が這い回る。 その通った跡に残る粘液が淡い赤光を反射して、てらてらと煌いた。 「ちなみに、BLの使徒が持つ書の冒頭には、こう記されています。 BLは幻想。麗しき薔薇の咲き誇るを飾る蒼穹の風、と」 両の手を押さえられ、制するもののなくなった茜の身体に、蚯蚓が我先と這い上がっていく。 ベージュのベストの裾が捲り上げられた。 「どうしてそんなことを、とでも言いたげですね。 何故BLの書に記されていることを知っているのか、と」 茜は美汐の方に視線を向ける余裕もない。 ベストの下に纏った白いシャツのボタンが、ぷつりと弾けて飛んだ。 臙脂色のスカートの上、ほんのりと薄く紅潮した肌が外気に晒される。 「驚くにはあたりません。何せGLにせよBLにせよ、二冊の書は私が……、 いえ、『私たち』が、書き記してきたのですから」 一瞬だけ、茜の視線が美汐を射抜いた。 しかし臍の周りを舐るように這う蚯蚓の感触の前に、すぐに俯いてしまう。 「それにしても『黙示録』とは、随分と大仰な呼ばれ方をしていますね。 我々の頃はそう……単に『覚書』と呼び習わしていたものですから、 図鑑、というBL側の呼称の方が余程馴染みます。……話を戻しましょうか」 臍の胡麻を嘗め取るように、執拗に穴の奥まで頭を押し付けていた蚯蚓が、ようやくにして離れる。 息をつく間もなく、そのずるずると粘る感触が茜の胴を這い上がっていく。 荒い呼吸の度に浮かび上がる肋骨の隙間を一本、また一本と堪能するかのように、蚯蚓が群がる。 終わりなく続く怖気の立つ感触に、茜の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。 そんな茜の様子には委細構う風もなく、美汐は淡々と言葉を続ける。 「各々の書に記されたBLとGLの概念。これは私たちが、恣意的に歪めたものです。 より正確に伝えるならば……たとえばこんな風に言い表すべきでしょう」 「……っ!」 茜の身体が、弓なりに反った。 臍を嬲っていた蚯蚓どもが、今度は茜の白く細い脇と背筋を責めていた。 くすぐったさと薄気味の悪さ、粘液の冷たさと蚯蚓の肉の生温さ、それらが相まった、 ひどく異様な感覚であった。 「青は認める力。あり得べからざるを肯んずる心に湧く清水。 赤は拒む力。認め得ぬ来し方、行く末の悉くを灼く想いの焔。 相克の両儀も根は一つ。即ち―――意に沿わぬ『いま』の変革。 青は『在る』を認め―――赤は『無き』を拒む、と」 ぷつり、ぷつりとシャツのボタンが飛んでいく。 胸元まで捲り上げられたベストの下、白く簡素な下着が見え隠れしていた。 その間にも、蚯蚓は背筋をそろそろと這い上がる。 脇を責めていた群れは、とうとう腋の下へと到達していた。 「―――それが、『私たち』が永い時の果てに見出した答えです。 分かりますか? ……青も赤も、その根源には性など介在しないのです」 汗ばんだ腋に生えるものはない。 ただぷつぷつと毛穴だけが盛り上がっている。 そこに浮かぶ玉の汗を丁寧に掬い取るように、蚯蚓が触れては離れ、離れては触れる動きを繰り返す。 びくり、びくりと茜の身体が跳ねた。 「BLと呼ばれる青、GLと呼ばれる赤、各々が性の昂ぶりに呼応する力。 ……そう、確かに力は性を奉ずる時、その威を増す。 ですがそこに、明確な理由は見出せないのです。 力の根源に性はなく、我々の使うこの力はただ、想いによって顕現する」 言った美汐の両手には、それぞれ違う色の光が宿っていた。 右には青い光。寄せては返す、南の島の波の色。 左には赤い光。夜闇を照らし、揺らめく炎の色だった。 「表裏を成す絶対具現の力―――無限を繰り返す私たちにすら、掴み得ぬ神秘」 両手を合わせると、光は一瞬だけ紫電を放ち、消えた。 後には何も残らない。 「私は、私たちには……この力で為すべき宿願があるのですよ。 あなたもまた、そうであるように」 蚯蚓はいまや、茜の全身にまとわりついていた。 簡素な下着の上から、押しつぶすようにして茜の上体を締め上げるものがあった。 執拗に背筋を上下するものがあった。 膝から太腿にかけてを、何度も何度もねぶるものがあった。 編みこまれた豊かな髪を粘液で汚すものがあった。 白く細い指の一本一本に巻きつき、擦るものがあった。 「御機嫌よう、GLの使徒。私の可愛い後輩にして哀れな歴史の道化」 声を上げぬよう歯を食いしばって堪える茜に、最後にそう声をかけると、 美汐は暗い洞窟の奥へと歩き出す。 二つの赤い十字架もまた、滑るようにその後へと続いた。 「……っ!」 伸ばされた茜の手を、蚯蚓が引きずり戻す。 肉色の海の中に、濡れた音だけが響いた。 【時間:2日目午前11時半すぎ】 【場所:B−2 海岸洞穴内】 天野美汐 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】 里村茜 【持ち物:GL図鑑(B×4、C×無数)】 【状態:GLの使徒、危険】 霧島聖 【所持品:なし】 【状態:気絶中、元BLの使徒】 巳間晴香 【所持品:なし】 【状態:気絶中、GLの騎士】 - BACK