十一時二十分(1)/Sense Off





死は穢れだ。骸は穢れの塊だ。
ならば僕の生きるこの場所は、既にして祝福から見放されている。

屍の折り重なる山の上、久瀬少年はそんなことを考えて、一瞬だけ目を閉じる。
吸い込んだ空気は生臭く、鉄の味がした。

瞼を開ければ、そこにあるのは骸と命の斑模様。
重く、冷たく、ぬるりとした一人が、一万、積み重なった山の上。
盤上に並ぶのは七千の駒。
着手するのは混乱した戦局の建て直し。

細く、長く息を吐く。
第一に考えるべきは指揮系統の再統一。
第二には防御陣の再構築。
そして第三に、死なせるべき五千の兵と、守り抜く二千の兵の選別だ。
残り四十分、二千四百秒。
一秒に二人、少女は死ぬ。
三人めの命だけを守るのが、将としての役割だった。
すべての命を、平等に活かす。
活かした上で、生と死に振り分ける。
それが久瀬の道。
抗いぬくと決意した、少年の歩む道だった。

拳を握る。震えはなかった。
跳ね上がる心臓の鼓動を、感覚から切り離す。
将としての久瀬が最初に殺したのは己の脈動であった。
軍配はない。
だから少年は、握った拳を打ち振るう。
その手の先に、覚悟を乗せて。

無作為に蠢いていた七千の砧夕霧が、動きを止める。
僅かな間を置いて動き出した少女達の挙動には、明らかな統制が見てとれた。
一つの意思の下、七千の少女達が寄せては返す波の如く、あるいは堅固な壁となる如く動き出す。
有機的に連動したその動きは、まるでそれ自体が山を包む巨大な一つの生き物であるようだった。

将の下、兵たちの反撃が始まった。


******


「……チッ」

舌打ちして吐いた唾は赤く、苦い。
返り血が唇を伝って口に入ったものか、それともどこかが切れているのか。
かき上げようとした髪は乾いた血がこびりついて指を通さない。
苛々とした気分を隠そうともせず、手にした薙刀を振り下ろす。
横たわった遺体の力の入っていない肉を両断する、鈍い感触が返った。
風を切るように振れば、不可視の力に包まれた刃は血脂を綺麗に弾く。
刃こぼれ一つない凶器に己の顔を映して、その返り血で赤黒く斑に染まった醜い肌に眉を顰め、
天沢郁未はその苛立ちをぶつける相手を探すように左右を見回す。
だが、刃の届く範囲に立つ影は一つだけだった。

「面倒なことになってきましたね」

突き立てた喉元から分厚い刃を引き抜きながら、影が口を開く。
鹿沼葉子だった。
動脈から噴き出す鮮血が顔に飛ぶのを避けようともしない。
長い金髪から茶色の革靴に至るまで、その全身が既に見る影もなく返り血に染め上げられていた。
新たなペイントがその身を汚していくのにも構わず、葉子は静かに山道を見上げる。

「ハナっから面倒だらけよ、私らの人生」
「中でもとびっきりです」
「そりゃひどいわ。……で?」

茶化すように問いかけた郁未だが、その瞳は一切の笑みを浮かべていない。
生まれ落ちた瞬間からそうであったような仏頂面のまま、葉子が答える。

「気付いているでしょう。……また、動きが変わった」
「戻った、の間違いじゃない?」
「かもしれません」

辺りを見渡す葉子の視界に、郁未の他には動く影が見当たらない。
殺し尽くした、という意味ではなかった。
確かに死体は無数に転がっていた。
中に詰まっていた血と臓物を存分に拡げて、世界と女たちを赤く染め上げていた。
転がる死体。
だが葉子の視線の先には、もう一種類の死体があった。
見開いた目を四方八方に向け、折れた手足を老木から伸びた枯れ枝のように突き出したそれは即ち、
山と積まれた、誰かの手によって積み上げられた、死体の壁だった。
そんな死体の壁が、十、二十、否。百を越える数で、山道のいたるところに存在していた。

「完ッ全にイカレてるわね」
「単なる狂気の沙汰であればよかったのですけれど」

壁の向こうに蠢く無数の気配を、葉子は感じている。
こびりついた血が乾き、固まった髪をばりばりと掻き毟る郁未も、それは理解していた。

「放棄したように見えた防禦拠点を、数分の間を空けてまた利用しだした。
 ……そこに何か意図があるのでしょうか」
「死体で作ったトーチカに篭るような連中が何考えてるかなんて、私にはわかんないけど」
「私にも分かりませんよ。有益な推測ができればと考えただけです」
「で、我らが頭脳労働専門家さんの回答は?」
「進めよ、されば与えられん」
「何よそれ」
「断片的な情報は往々にして安易な、自分に都合のいいストーリーを作り出すものです。
 推論の皮を被った妄想を根拠に動く愚挙を避けたまでのことですが」

さらりと告げられる相方の言葉に、郁未は深く嘆息する。

「……ま、いつも通りだけどね」
「さし当たっては一つづつ潰していくしかないでしょう」
「間に合うの?」
「間に合わせてください」
「他人事みたいに……」
「全員が当事者ですよ。蒸発したくなければ頑張ってください」
「はいはい……」

小さく首を振った郁未が、前方を見もせずに跳躍した。
葉子は既に飛び退っている。
それより一瞬だけ遅れて、二人の立っていた場所に熱線が着弾していた。
跳んだ先にある死体の壁を、郁未は思い切り蹴り崩す。
雪崩を起こした山の一番上にあった少女の骸を無造作に掴むと、

「せえ……のッ!」

勢いをつけて、投擲した。
手足を広げた格好のまま、少女の遺体が回転しながら飛んでいく。
その軌道の先にある、生きた少女の篭る死んだ少女でできた壁に、人としての尊厳を奪われた骸が激突した。

「ストラーイクッ!」

篭った少女が崩れた山の下敷きになって、光芒が途切れる。
その一瞬を逃すことなく相方が駆け出すのを目にして、郁未は牙を剥くように笑う。
笑いながら、転がる骸の一体を盾代わりに掲げ、自らもまた走り出していた。


******

 
朗、と巨獣が猛っていた。
その堂々とした体躯のあちこちから薄く煙が上がっている。
よく見れば白く煌めく剛毛の先が、小さく焦げているのだった。
新たに奔った光線がその身体を焼くのに巨獣は鬱陶しげに身を振って、光線の出所を睨む。

轟、と一つ啼いて、巨獣の体躯が跳ねた。
鋼の如き後ろ肢に力を込めて大地を蹴れば、それは既に巨獣の間合いだった。
がぱり、と開いたその口腔が音を立てて閉じる。鈍く濡れた音がした。
少女、砧夕霧の首を事も無げに噛み千切った巨獣が、次なる獲物を仕留めるべく丸太のような首を回す。
しかし、そこには既に動く影とてなかった。
無数に蠢いていたはずの夕霧はまるで波が引くように逃げ去り、既に巨獣の爪が届く場所にはいない。
代わりとばかりに四方から光線が迸り、巨獣を焼いた。
刃を通さぬその剛毛が、ほんの僅かづつではあるが黒く焦げ、ちりちりと縮れていく。
苛立たしげに唸り声を上げた巨獣が疾駆し、爪を振り上げる。
風を巻いて振り下ろされた爪の一撃に、夕霧たちの隠れていた死体の壁があっさりと突き崩される。
衝撃で四肢をばらばらにされながら四方に散る骸には目もくれず、巨獣が壁の裏に隠れていたはずの夕霧を叩き潰すべく、
その鼻面を瓦礫のように積み上げられた死体の山に突っ込む。
が、一瞬の後にその生臭い牙が探り当ててきたのはただの一人だった。
乱暴に引きずり出された際に肩を脱臼したか、腕を噛まれたままだらりと垂れ下がるようにしている砧夕霧を見て、巨獣が猛る。
ばつん、と音がして、夕霧の腕が胴体と泣き別れた。
噴水のように鮮血を噴き出す胴を踏みつけるようにして爪を下ろせば、そこにはかつて人であった肉塊だけが残っていた。

轟、と巨獣が再び吠えた。
思い通りにならぬ苛立ちが、その爛々と光る眼に隠しようもなく浮かんでいる。
ほんの数刻前から、一事が万事この調子であった。
巨獣の行く先に蠢く無数の影が、ある一点を境にして急速に厄介な存在へと変わっていた。
噛み裂き、叩き潰し、薙ぎ払えば済むだけの存在であったものが、今やひどく鬱陶しい。
駆け抜けようとすれば寄って集って足元を狙われ、食い千切ろうと駆け寄れば蜘蛛の子を散らすように逃げ去る。
一体、二体を仕留めてもどこから涌くものか、まるでその数を減らしたように見えぬ。
猛るままに大地を掻き毟れば、先刻踏み殺した一体の躯が泥と混じって磨り潰され、ぬるぬると滑って余計に苛立ちが増す。
言語にならぬ怒りに突き動かされ、獣の咆哮が辺りを揺らす。
焦燥と憤怒の入り混じった咆哮に、応えるものがあった。

ひう、ひう、と。
それは、病に伏した者の喘鳴のようだった。
一息ごとに生きる力とでもいうような何かが抜けていくような、そんな音。
呼吸というにはあまりにか細く薄暗い、生命活動の残滓。

死臭に満ちた山の上でなお濃密な、どろりと濁った血の臭いに巨獣が振り向く。
そこに、妄執が立っていた。

 ―――返せ、わたしの、宝珠。

言葉にはならぬ。
どの道、言葉を発したところで巨獣には解せぬ。
だが、ぼこりと紫色に腫れ上がった皮膚で片目を覆われ、だらだらと血膿を垂らしながら
なお巨獣を貫き通すように向けられたその醜くも鋭い眼光は、どんな言語よりも明確に、
そう語っていた。

三度、獣が吠えた。
逃げ去らぬ獲物が現れたのを悦ぶような響きが、その咆哮に満ちていた。


******

 
いける、と思う。
知らず頬が笑みを浮かべようとするのを、久瀬少年は必死に抑える。
それほどに確かな手応えが、久瀬にはあった。

北麓、及び西山道における遅滞戦術は極めて有効に機能していた。
射線を集中し侵攻ラインを限定した上で、潰されるべく配置した兵と陣だけを潰させる。
大切なのは一気に浸透させないこと。
たとえ一対多であろうと近接戦に持ち込まないこと。
持ち込まれた兵を、犠牲として活用すること。

一瞬だけ胸の中に生じた棘を、久瀬は奥歯を噛み締めて無視する。
誘導に成功した敵侵攻ラインからは一気に山頂を目指せない。
ひとたび山道から外れれば、険しい山中は天然の要害だった。
無数の遮蔽物は敵の浸透を阻止し、こちらの遠距離砲撃を有利に機能させる。
反撃開始から三分、百八十秒。
予想を下回る犠牲者数で戦局は推移していた。
残り三十七分を耐え抜き、勝利を得るだけの計算が、久瀬にはあった。
初陣であり、学生に過ぎぬ自分の指揮で勝利を得る。
思い通りに兵を動かすことの喜びが、久瀬の心中を駆け巡っていた。

高揚を抑えながら、久瀬は傍らに控える砧夕霧群の中心体を見やる。
共有意識による情報伝達は作戦の要だった。
目視では掴みきれぬ情報も、彼女がいる限り久瀬の掌中に集約されるといってよかった。
得られた情報を地図上に反映させ、そこから陣を展開していく。
一手、一手。無数の教本や戦訓を頭に浮かべながら、的確に対応する。
久瀬にとって、それは正しく盤上の勝負に等しかった。
詰めば喪われるのが生命であると、本当の意味で理解していたかどうかは定かではない。
久瀬は将であり、学生であり、そしてまた少年だった。
決意によって立ち上がり、覚悟によって将となった、彼は少年であった。

夕霧群の中心体から齎された情報を咀嚼し、久瀬が新たな指示を出すべく腕を振り上げた。
大きな身ぶりとともに声を張り上げようと、口を開き―――刹那、闇が落ちた。
視覚が、触覚が、聴覚が、嗅覚が、ありとあらゆる感覚が、途絶した。
意識も、思考も、何もかもが消えた。
後には何も、残らなかった。


久瀬少年の人生は、そこで終わっている。


 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:死亡】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6708(到達・6708)】
 【状態:迎撃】

【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

【場所:F−5】
川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】
-


BACK