誰が為に





「……ふむ、それで、バラバラになって逃げてきた、と」
 鎌石村小中学校内にある保健室。古い校舎故か八畳の広さもないと思われる狭い空間に、四人の男女(内一人は意識がないが)が輪になりながら話し合いをしている。
 消毒用のアルコールの匂いに紛れてはいるが、それでも染み付いた赤の汚れは飛散し、そこは決して安息の地などではないことを示していた。
 頼りなげに彼らの天井で光る照明も、それに拍車をかけている。チカ、チカと、彼らの命が儚いものだとでもいうように。

「ええ、ひょっとしたら、今にでもあの女がここに足を運んでいるかもしれません。目立つ場所だから、ここは」
「確かにな……」

 藤林杏の治療を終えてようやく折原浩平の話を聞く事ができた聖は、腰掛けた回転椅子の上で足を組み替えながら何事かを考えているようだった。
 その隣ではパートナーである一ノ瀬ことみが心配そうに杏の様子を窺いながらも、まずはこの会話に集中することにしたのか自分のデイパックから一枚の紙を取り出すと、それを浩平に渡す。
「私達は、今は人探しをしているんだけど……」
 それが本当の目的ではないということは、あまり考えるのが得意ではない浩平にもすぐに分かった。
 浩平に渡されたのは、先にことみが芳野祐介や神岸あかりと出会った時に書き綴った脱出計画のあらまし。そのために必要な材料の確保。これが現在の行動指針ということらしかった。恐らく、友人を探すのはそのついでなのだろう、と浩平は思った。

「私は佳乃という妹。ことみ君は岡崎朋也、古河渚、藤林椋、そして今ここにいる藤林杏……を探しているんだが、君に心当たりはないか?」
「……いや」

 割と数多くの人間と行動してきたつもりではある浩平だが、その人間については知らない。それよりも気になるのは、本当にこんなもので爆弾が、それも建物一つを吹っ飛ばせるものが作れるのか、ということだったが、だからといって浩平に別案があるわけでもなかったので信じるべきだろう、と自分を納得させる。

「あ、そうだ。さっき会った人達と情報交換をしてきたんだけど……」
「何? 初耳だぞ、ことみ君」

 いつの間にメモなんか書いていたのか、と思っていた聖だったが誰かに会って脱出計画の話をしてきたというのなら一応納得は出来る。ただ、その情報交換をした人間とやらが本当に信用できるのか、という疑問はあった。万が一にでも、この計画は主催者側には知られてはならないのだから。

「うん、芳野祐介って人と、神岸あかりって人と……別行動をしてるみたいなんだけど、長森瑞佳って……」
「長森!? 待て、詳しく聞かせてくれっ! オレの知り合いなんだ!」

 瑞佳の名前を聞いた瞬間、身を乗り出すようにしてことみに詰め寄る浩平を、「落ち着け」と頭を軽く叩いて椅子に座らせる聖。何はともあれまずは冷静に話を聞け、と付け加えて。
 いきなり形相を変えた浩平の様子に怖気づきながらも、ことみは話を進める。

「えっと、それと、柚木詩子って人もその長森瑞佳って人と別行動してて、今はそれぞれ分かれながら使えそうなものを探しているらしいの」
「柚木もいたのか……なら、いいが……」
「折原君、一ついいかな」

 瑞佳が知り合いと一緒にいると分かって少し安堵していた浩平に、今度は聖が問いかける。
「その長森君、とやらはどんな人物なんだ? ああ、それと柚木君、という方も知っているようだからそちらについても教えてくれると助かる」
 直接会ったわけではない聖は若干ながら疑いの念を持ってはいる。浩平の様子からそこまで危険視するほどでもないと考えてはいるが、一応尋ねておくべきだ、と思ったからだった。

「長森はオレの幼馴染だ。ガキんときからの腐れ縁だからあいつの性格はおつりが来るくらい知ってるさ。世話焼きで、まあしっかり者だよ。お人よし、とも言うかな……とにかく、あいつは絶対信頼できる。間違いないっす。柚木の方は……うるさい。やかましい。アホ。これくらいっす」

 瑞佳の評価に対して詩子のほうはおざなりだな、と聖は思ったが子供の時からの腐れ縁、だというならその性格に関しては問題ないだろう。
 残りは芳野祐介と神岸あかり、という人物だが……名前からして、芳野という方は男だろうし、ことみの言動から見ても、心配はないはずだ。
 いささか慎重になりすぎだろうか、と聖は自分を分析しながら「すまない、話の腰を折ってしまったな。ことみ君、続けてくれ」と話を促す。

「うん、それで、お互いの目的を確認し合って、芳野さん達には西を、私達は東を当たることにしたの」
 ことみは浩平の手から紙を取ると、鉛筆で『硝酸アンモニウム』の部分に横線を引き、上に小さく『芳野組、達成』と書き足した。
 つまり、既に芳野達は行動を開始している、ということになる。残すは軽油とロケット花火だった。

「ふむ、つまり、私達は当初の行動を変える必要はない……むしろその芳野祐介とやらが肩代わりしてくれているから手間が省ける、そういうことだな?」
「大正解なの」

 ぱちぱちぱち、とことみが拍手する。だがそれを遮るように、浩平が「もういいか?」と言いながら席を立ち、保健室の外へと向かおうとする。

「悪いが、オレは長森を追いかける。芳野とか神岸って奴がどんなのか知らないが、長森もオレを探してここまで来たはずなんだ。会ってやらないと」
「待て、折原君」
「……何すか、聖さん」

 扉に手をかけられたとき、聖が呼び止める。

「会って、それからどうする? 一緒に行くのか? それともここに戻ってくるか、それだけ聞かせてくれ。場合によってはこちらも行動指針を変えなければならないからな」
「……? どうしてすか?」
 一人がいなくなったところで何か変わるものなのか。かなり真剣な様子の聖の声に、浩平は疑問を抱かずにはいられない。それよりも早く瑞佳を追いたい、そればかりが浩平の頭の中を過ぎっていた。

「そんなことも分からないか?」
 やれやれという調子で肩をすくめる聖の挙動に、少しイラッとした浩平が声のトーンを上げる。
「もったいぶってないで、早く言ってくれませんか」
「……本当に分からんか」
 呆れたようにため息を吐き出すと、聖は立ち上がり保健室の奥にあるカーテンを引く。
「あ……」

 浩平が、呆けたように声を出す。
 それは患者を寝かせるベッドと聖達のいる応接間というべき部分を分かつカーテンだった。
 ミントグリーンの、柔らかな絹のそれに守られるようにして、ベッドで眠っていたのは、藤林杏。
 肩から上の部分しかその姿は確認できないが、穴が開き、赤と土色で無残に汚れた制服がハンガーにかけられていることから、恐らくは下着のみなのだろう。
 つまり、それだけの大怪我を負っていた。その事実を雄弁に物語っている。
 さらに時折聞こえる苦しそうな寝息が、彼女の命がまだ危ういものであることを証明している。

「――分かったか」
 数メートル先にいるはずなのに、聖の声は耳元で話しかけられたように、浩平には思えた。
 見せるべきではなかったんだがな、と呟いてから聖はカーテンを閉め直す。
「あんな怪我人を連れて行動なんてできない。いや、医者としてそうさせるわけにはいかない。これは私の意地だ」

 連れて行けるわけがない。そうだ、連れて来たのはオレなのに。どのくらい酷い怪我だったのかはオレが一番良く知っていたはずなのに。
 どうして失念していたんだろう。

 思いながら、そう、浩平は肩を落とした。
「彼女をここに置いておくとなると、当然護衛……というのは大げさにしても、付き人が必要だ。何せ抵抗もできないのだからな。となると、折原君が戻ってこなかった場合、私かことみ君のどちらか一人で探索に向かうことになる。それはそれでまた危険だ。だから君に答えを求めた」
 確かに、爆弾を作る材料を抱えながらの移動は危険極まりない。加えて聖……はともかく、ことみは女性だ。腕力的にも材料を持って運べるか、と尋ねられると……無理だろう、と浩平は考える。
 それに、二人のやろうとしていることは万が一にでも失敗が許されないものだということは浩平にも分かっている。万全を期すためにも危険は極力避けたいところなのだろう。

 つまり、今後どう行動するかは、浩平に委ねられている、と言っても過言ではなかった。
「どうなんだ、折原君」
 再度、聖が尋ねる。ようやく平静さを取り戻した浩平の頭が、この場の全員にとって、最善だと思える選択肢を、瑞佳にとって最良の選択肢となるように、論理を導き出す。

「……やっぱり、長森には会いに行きます。それで、もし聖さん側に連れて来れるようだったら、そっちに戻ってその後はついて行きます。ダメだったら……長森について行きます。その時は、その旨は必ず伝えるつもりですけどね。だから、オレが長森に会って答えを出してくるまでここで待ってて下さい」
 妥協できるのはここまでだった。何はともあれ、ずっと浩平と共に在った瑞佳の存在は、やはり大きなものだった。
 えいえんのせかい。
 そこに消えていくだけの浩平を連れ戻してくれたのは、瑞佳だったのだから。

「……どうだ、ことみ君」
「10分で済ませな。それまでは大人しく待っててやるぜベイベ、なの」
「何の真似だよ、そりゃ」

 一昔前の映画俳優のような渋い口調で提案を受け入れたことみと、そして聖に、浩平は呆れ顔で笑いながらも我侭を許してくれたことを感謝する。
 ぺこり、と一つ大きく頭を下げて。
「それじゃ、行ってきます」
 平凡な日常で、学校に行くときの挨拶のように。

 折原浩平は永遠から日常へと回帰するためにドアを開け放った。

     *     *     *

「芳野、さん……」
 瑞佳と詩子の身体を調べていた芳野は、黙って首を振る。もう手遅れだ、と付け加えて。
「畜生……なんで、俺はあんなことを」

 仏頂面ないつもの芳野祐介は、もうそこにはいなかった。
 突如瑞佳と詩子の命を奪った殺人鬼への怒りと、間違った判断を下してしまった自分への情けなさとが入り混じって。
 何度も何度も、歯を食いしばりながら芳野は拳を地面に打ち付ける。血が滲むほどに、芳野の手は土埃で汚れていく。

「くそっ……くそっ!」
 一際大きく拳を振り上げようとしたところで、芳野の異変を感じ取ったあかりが慌ててその腕を掴む。
 拳先から僅かにあふれ出していた血が、あかりの目に留まる。
 それは詩子の脳からあふれ出していたそれとはまた違う、土と赤が入り混じった絵の具のような汚い色だった。

「神岸、放せ」
「だ、だめです」

 ドスを利かせた暗闇の中からの声に一瞬力を緩めてしまいそうになるが、それでもあかりなりの意地を出して芳野の腕をがっちりと止める。
 ぎゅっ、と。抱きかかえるようにして。
「お願いです、自分だけを傷つけるようなことだけはしないでください……誰が悪いわけでもないんです。でも、みんなに責任があるんです。私も、長森さんも、柚木さんも……芳野さんにも」
 なお振りほどこうとする芳野だったが、殴り続けていたせいで力が入らずあかりの拘束を受け続ける羽目になる。
 力でねじ伏せることの出来なくなった芳野は、口先を武器に反論する。

「全部俺の責任なんだ。効率ばかりを重視して、こいつらの安全を確保しなかった。時間がかかってもいい、命はあってこそのものなんだ。それを、俺は……俺はっ!」
「違います! これは私たちが、自分で決めたことなんです!」
「何を!」
「反対ならいくらでも出来ました! 別れることの危険性や、デメリット……それくらい私にだって分かります。木偶人形じゃないんだから! 口には出さなかったけど、みんな、それを納得して芳野さんの意見に賛成した! だから責任は私たち全員にあるの!」

 芳野の怒りにも負けぬような、あかりの決死の反論。
 それは推測に過ぎない。本当にそれらを分かっていたかどうかなんて、今となっては知りようもない。
 けれども、別れるときに異論はないかと尋ねた芳野に、誰も異論は挟まなかった。それは事実だ。確かに、納得していたのだ。その時は。
 どんな人物に二人が殺害されたのかは、芳野にもあかりにも分かるわけがない。
 だがあかりは、今までの話から詩子も瑞佳もそれなりの戦闘を掻い潜ってきていることは知っている。警戒心が全くなかったわけではない。
 つまり、そこから考え出せる推論は、こうだ。
 二人は、してやられたのだ。狡猾に、隙を窺い、卑劣にも恥辱を与えるような、残虐で凶悪な人間に。
 それは誰かが悪かったわけではない。だが責任がなかったわけでもないのだ。そこまで最悪な事態を考慮できなかった、その思考に。

「仕方がなかったなんて言えないけど……でも、自分を傷つけたってどうにもならないよ……後悔しても、もう、戻ってこないから……」

 不用意な行動のせいで、あかりは自分を信じてくれた一人の人間を殺害したにも等しい行為をしてしまった。
 いくら謝罪しても、いくら泣いて喚いても時間は戻らない。
 だから、せめて。

「無理矢理にでも、先に進むしかないよ……長森さんや、柚木さんが探していた人と、会えるまで」

 一際強く、あかりは芳野の腕を抱きしめる。許しを請うわけではなく、贖罪をして、償っていくために、逃げることはあかりには許されていなかった。
 それが、国崎往人の拙い人形劇を見たときに決めたことだったから。

「逃げちゃ、いけないんです」

 ふっ、と。
 芳野の腕から、急速に力が抜けていく。握り締められていた拳は、いつの間にか開かれていた。

「……確かにな」
 自嘲するような、芳野の呟き。
「いつもそうだ。何もかも背負い込んだ気になって、一人で勝手に潰れて、逃げようとする。昔っから変わらない」

 遠い、今ではなく遥かな昔に、青かった時となんら変わらない自分に、芳野は辟易する。
 伊吹公子が優しく迎え入れてくれたあの時に、もうそんな真似はしないと誓ったはずだったのに。
 また、こうして叱ってくれるまで忘れていた。
 男だから。年上だから。
 そんなつまらないプライドのために逃げ出そうとしていたのだ。
 嘆いて形ばかりの責任を取るよりは、もう過ちを犯さないために彼女らの死を無駄にしないことの方が余程マシだ。

「ああ、そうだ。今は、やれることをやるしかない」
 石のように重たかった芳野の頭は、今は羽のように軽い。
 だから、空を見上げることができた。
「いつか、歌を贈らせてもらう。その時まで、今はまだ俺を許してくれ」
 題名は、そうだな。『永遠へのラブ・ソング』。

 目標を立てることで、芳野は新たに生き残る意思を固める。またそうすることで、少しは彼女らの意思を継げると思ったから。
「すまない。手を、離してくれ。長森と、柚木を弔ってやらなくちゃいけない」
「……はい。私も手伝います」

 あかりの腕が静かに離れる。手の甲についていた血は、すっかり乾ききっていた。力も、十分に入る。
「一人ずつだ。まずは……長森からだ。裸のままにしておくのは、忍びないからな」
「ですね……」
 近くにあった瑞佳の制服を取り、丁寧に包み込むように、贈り物を包装するように瑞佳の身体に包んでやる。これ以上、誰にも汚させぬように。
 芳野が、お姫様抱っこの要領で持ち上げ、埋葬に適した場所に連れて行こうとした、その時だった。

「……おい、あんた、何だよ、それ」
 一人の少年の声。
 信じられないというように、当惑するように、そして、怒りを隠しきれぬ声色を以って。
「あんた……長森に、柚木に何をしやがった!」
 ――折原浩平が、仁王立ちとなって、芳野とあかりの背後で叫んでいた。

 握り締められた包丁はカタカタと震え、一直線に進む視線からは明らかな殺意が見て取れる。いや、殺意だけではない。
 そこには絶望が、悲しみが、困惑が。大切な宝物を奪われた少年の顔が、そこにあった。
「お前……推測を承知で言うが、折原浩平か」
 見ず知らずの芳野に言い当てられたことに少々驚いた浩平ではあったが、すぐに表情を怒りのそれへと戻して返答する。

「ああ、そうだ。あんたが抱えてる……長森瑞佳の……幼馴染だよ。あんたが殺した、長森のなっ!」
 は、と唾を吐き捨てて浩平は芳野への罵倒を続ける。
「そうやって騙したんだろ? 善人の振りして、情報を引き出して、用済みになったから殺したんだろ?」
「ちが……」
 それは間違っている、と主張しようとしたあかりを、芳野は片手で制して止める。言わせてやれ、と浩平には聞こえないように、小声で言いながら。
「大事そうに抱きかかえやがって、そんな悲しそうな目をしてたって……オレには分かるんだからな。あんたは人殺しだ、殺人鬼なんだろ。全部演技なんだろ。無駄だからな、オレを騙そうったってそうはいかないんだからな……なあ、何とか言えよ! 図星なんだろっ!?」

 芳野は黙ったまま。言い訳もせず、ただ黙って目を伏せたまま、浩平の罵倒を受け入れていた。
 それくらいなら、いくらでも聞いてやる。そうとでも言うように。

「なあ、オレはな……」
 怒りだけだった浩平の声が、次第に転調を始める。
「長森のこと、どうしようもないアホで、お節介で、世話焼きで、鬱陶しいとか思ってたときもあったけどさ、でもオレにはいなくちゃいけないやつだったんだよ……あんたみたいなクソ人殺しには分からないに決まってるだろうけどさ、長森は、オレの支えだったんだ。いつだってオレを助けてくれてさ、いつだってオレのバカに付き合ってくれてさ、そんないいやつ、この世にいると思うか?
 いないんだよ、長森はたった一人なんだよ、他にどんなバカ正直なお人よしがいたとしてもさ、長森はたった一人で、オレがありがとうって言えるのは長森しかいないんだよ。なのに」

 一本の線が、浩平の頬を伝う。
 震えの原因は、怒りから、悲しみに。喪失感で溢れたものへと、変わっていた。
「なのに、もう、いないんだよ。言ってること分かるか? いなくなったんだ。もう、オレは長森に何もできない。できたとして、全部自己満足なんだよ。もう、あいつから、何も聞けないんだ。あいつには、いっぱい、しなきゃいけないことがあったのに」

 浩平には分かっていたのだ。芳野が、演技などではとてもできない本気の涙を流しながら、瑞佳を抱いていたから。
 何も言わず、言い訳すらせず、浩平のしようとしていることを受け入れようとしている。
 そんな奴が、長森を殺すはずがない。長森も、そんな奴じゃなきゃ付いていかない。だって、一番よく知ってるんだから。
 そんなこと、とっくの昔に分かってたのに。
 やり場のない怒りを、目の前の男にぶつけることで何とか発散しようとしている。
 なんて小さい男なんだ、オレは。
 だから、浩平は、泣き喚きながらそうするしかなかった。

「責任取れよ」

 包丁を捨てる。
 カラン、と卑小な音を立ててそれが地面に落ちる。
 ゆっくりと、浩平は芳野に向けて歩き出す。

「責任取りやがれよ」

 分かっている。こんな行動こそ、まさに自己満足でしかない。
 なのに、止まらない。止められない。
 ガキだから。聞き分けのないクソガキだからだ。

「長森と柚木がどんだけ苦しんで、どんだけ助けを求めたか、あんたには分かるんだろ! なら、お前もそれを味わえよっ! この……」

 ――走り出す。
 拳にやり場のない怒りを乗せて。
 まずは一発、いや、最初で最後の一発を放つ。

「――ダメぇっ!」

 ――つもりだった、のに。
 どん、と。
 浩平……いや、何故か芳野もあかりによって突き飛ばされていた。女の子とはとても思えないくらいの、全力で。

「うおっ……!?」
「ぐ……!?」

 2メートル。
 それくらいは離れただろうか。
 二人は尻餅をつく。二人とも、突き飛ばしたあかりを見上げる形になる。
 分からない。何が『ダメ』なのか。
 芳野は真意を、浩平は文句を、それぞれ唱えようとしたとき。

 たたた、と。
 どこか遠くで、でもすごく近い、そんなところから浩平には聞き覚えのある音がして。
「――!!」
 悲鳴を、必死に食いしばるようにして、神岸あかりが何かに貫かれ、くるくると回転しながら、赤いスプレーを、さながらスプリンクラーのように散らしながら。
 どさっ、と。
「……か、かみ、ぎし……!」
 倒れた。

     *     *     *

 多分、それは時間にすれば、ほんの一瞬で、今までの人間の歴史から――それどころか、私が生きてきた短い人生から見てもゴマ粒のように一瞬だったように思う。
 逆に言えば、それだけあれば人は死ぬんだなあ、って思う。長森さんや柚木さんも、こんな一瞬で、痛みを通り越して死んでしまったのかな?
 でも、やっぱり死にたくはなかったんだろうなって思う。だって、今の私がそうなのに。
 なんで、あんなことしちゃったんだろう。銃口に気付いて、切磋に突き飛ばす、なんて。

 いや、きっとそれで正解だったのだと思う。
 私一人が生き残って勝てない戦いをするより、芳野さんと、折原浩平、っていう人が一緒に戦ってくれれば。
 それに、あの人は、ほんのチラッと見ただけだけど……美坂さんを、殺した柏木千鶴――その人だったように思う。
 ああ、今にして考えれば、折原浩平くんのように、一発殴りたかったな。私らしくないけど、簡単に人の命を奪うような人を、私は絶対に許せない。
 殺された人にも、家族とか、友達とか、好きな人がいたはずなのに。
 ……けど、やっぱり柏木千鶴さんにも、人を殺してまで守りたかった人がいるのかもしれない。他人を切り捨てられるくらいに愛する人がいたのかもしれない。
 そう考えると……誰も悪くはないのかな、と思うようになってきた。ああ、でも、やっぱり、浩之ちゃんに会えなくなっちゃったのは、とても、辛い。

 浩之ちゃんも、折原浩平くんみたいに私を探してくれてるのかな。長森さんのように……とまではいかないけど、私が死んだら凄く悲しむのかな。
 それを想像すると、胸が痛んだ。でも、私の行動は間違っていなかったと思う。
 だって、人を見殺しにするなんて、浩之ちゃんなら絶対にやらなかっただろうから。分かるから。ずっと一緒にいた、幼馴染だったから。

 ……国崎さん。もし、もう一度国崎さんに会えたら、その時はあの人形劇を見せてもらいたかったな。あれは、元気と、勇気のでる、最高のおまじないだから。
 ……長森さん、柚木さん。少ししか一緒にいられなかったけど、とても楽しかった。どこかで、会えるといいな。
 ……志保、雅史ちゃん、レミィ、葵ちゃん、来栖川先輩、姫川さん、マルチちゃん、みんな、ごめんね。
 ……浩之ちゃん――

 ――大好き。

     *     *     *

 柏木千鶴が鎌石村小中学校にやってきたのは、ウォプタルがだんご大家族(100匹分)を全て平らげた後だった。
 来た道を戻ってきたのは、先の戦闘で、これ以上進んでも人間との遭遇は在り得ないと結論付けたからだ。
 加えて、それなりの武器は入手している。自身の戦闘力を踏まえれば大抵の戦闘は潜り抜けられる。
 乱戦の中に飛び込んでも勝利できるだけの自信はあった。

 そして、さらに幸運なことに、学校にやってきてみれば、二人の男が口論のようなことをしているではないか。
 あと一人女……と思われる人間がいるが、止める術を持たないのかただ傍観しているばかり。
 何を言っているかは分からないが、この機に乗じて全員抹殺することは容易だと、千鶴は考えた。
 一方の……少年と思われるほうが、今にも掴みかかりそうな勢いで、青年の方の男に迫る。
 二人の格闘が始まる瞬間が、千鶴にとっては好機だった。
 ウージーサブマシンガンを構え、始まると同時にウォプタルを駆けさせ、ウージーを乱射し一網打尽にする。
 それで終わりのはずだった。
 だが、少年が掴みかかろうとしたまさにその瞬間、女の方がこちらに気付く。

「あの子は……」
 前に一度見た事がある。いやそればかりか殺害寸前にまで持っていったことがある少女。
 偶然の再会に、千鶴のトリガーにかかった指が、一瞬だが止まる。
 それが結果的に未来を大きく変えてしまうことになる。
 千鶴の指が止まっている時に、少女――神岸あかりは二人の男――芳野祐介と折原浩平を突き飛ばし、彼らを千鶴の射線から外してしまったのだ。
 当然、指の動きを止めていたのは一瞬だったので、狙いを変えることは出来なかった。
 たたた、とウージーが弾を吐き出し終えても……
「――く、しくじった!」
 倒したのは、あかり一人だけという結果。いや、そればかりか。

「貴様ぁ……ッ!」
 芳野祐介が、千鶴に向けてサバイバルナイフを振るう。あかりが倒れた瞬間、芳野はその矛先を襲撃者――千鶴に向け、目にも留まらぬ勢いで疾走し、攻撃を開始する。
 悲しみでもなく、動揺するだけでもなく。ただ、あかりを倒した目の前の女が許せなかったのだ。そして、またもや気付けなかった芳野自身にも。

「キャウウウウゥゥゥゥッ!」

 避けきることの出来なかったナイフは、真っ直ぐにウォプタルの首筋を切り裂く。
 暴れ、もがくウォプタルの背中に乗っていられぬと判断した千鶴は素早く飛び降り、体勢を整えようとする。
 そこに、芳野の第二撃が迫る。
 順手ではなく、逆手でナイフを握っての斬撃。突くのではなく、振るうという目的で使うにはこちらの方がより効果を発揮する。
 回転するように振るわれた芳野のナイフは……当たらない。
 キィン、という甲高い音と共に、千鶴は日本刀の刀身で芳野の刃を受け止めていた。

「くっ……」
「くそ……」

 二人の力が、刃を通じて真正面からぶつかり合う。
 ギリギリと、お互いの意地と怒りを乗せて。
 芳野は引けない。
 千鶴はマシンガンを持っていて、少しでも後退しようものならそれで穴だらけにされて終わるだろう。
 千鶴は距離を取りたい。
 むざむざ相手の有利な距離で戦う必要性は皆無。その上戦う相手は芳野だけではないからだ。
 しかし……

「ぐ……」
 なんだ、この女の力は?

 少しずつ押される事実に、芳野は戸惑いを隠せない。
 日本刀が、徐々に芳野の顔面に近づいてきているのだ。押し返そうとするも、それ以上の圧力で跳ね返されてしまう。どう見ても、細身の女だというのに。

「どうしたの? 苦しそうだけど」
「あんたに、心配される筋合いは……ない……!」

 千鶴に、少し余裕が生まれる。
 このまま押し切っても距離を取っても、芳野に勝利できる公算は十分にある。むしろこのままジリ貧になってくれたほうが都合がいい。
「く、そっ……」
 日本刀の先が、芳野の髪の毛に触れる。
 もう少し――

 千鶴が、更に力を込めようとする。その真横から、新たに迫る人影があった。
「!?」
 気付いて避けようとしたが、既に遅かった。芳野と鍔迫り合いしていたから、というのもあった。
 折原浩平が、包丁を抱えて、突進してきていた。
 勢いをつけられた包丁の刃が、千鶴に突き刺さる。

「っ……!!」
 悲鳴を出すことは流石にしなかったが、日本にかける力が緩んでしまう。それを芳野が見逃すはずはなかった。
 一歩下がると、思い切り体勢を低くし、アッパーのようにナイフを振り上げる。
 しかし千鶴もさるもの、バックステップを利用しあっという間に数メートルの距離を取る。

「やって、くれるわね」
 憎々しげに、千鶴は浩平を見据える。刺された左腕からはとめどなく血が流れ出し、既にウージーは強く握れなくなっている。
 どうせ弾切れだ。
 千鶴はそれを地面に打ち捨てると日本刀を横一文字に構え、二人に対峙する。
 ちらりと横目で見れば、ウォプタルは苦しそうに呻いていて、足としての役割は期待できそうにない。
 いいわ。これはハンデにしておいてあげる。真っ向勝負で屈服させてあげるから。
 目が、細められる。それは紛れもなく、本気を出した『鬼』の様相を呈していた。

「……さっきは助かった」
「勘違いすんな、これはオレのリベンジなんだ。あいつは……オレが絶対に倒す。ちょっとした因縁もあるからな」

 浩平は七海を屠り、杏に大怪我を負わせ、今またあかりを殺害した千鶴に対して絶対的な敵意を向けていた。
 そして、またもや助けられ、何もできなかった自分への不甲斐なさ、無力さにも。

 どうして、オレはいつもこうなんだ。
 誰かに助けられて、理不尽にも当たり散らすだけで、また誰かに助けられて……
 ふざけんな。
 ここで決別する。
 オレは、オレで借りを返せる人間になるんだ。クソガキなオレは、今日で卒業だ。

 ――えいえんのせかいなんて、ブッ壊してやる。

 少年が、覚悟を決める。
 しかしただ熱くなっているだけではない。冷静に、浩平は状況を分析していた。
 柏木千鶴とは以前戦ったことがあり、その身体能力の差は歴然としていた。真っ向からの勝負では、とても勝ち目はない。
 ならば、勝機はどこにあるのか。
 答えは……

「――せあっ!」
「来るぞ!」

 芳野の声に弾かれるようにして、浩平が真横に飛ぶ。それまでいた空間は既に千鶴の日本刀によって貫かれていた。
 これで安心してはならない。
 浩平は包丁を縦に構え、受けの体勢を取る。果たして予測は外れなかった。
 甲高い音と共に、包丁は千鶴の追撃を跳ね返す。

「――!」

 千鶴は少々面食らった顔をしていたが、サッと刀を返すと真後ろから迫っていた芳野の斬撃を打ち払う。
 またもや押し負けた芳野が僅かにふらつくのを見逃すわけもなく、千鶴が追撃とばかりに芳野の腹部に横蹴りを放ち、クリーンヒットさせる。
 横転しながらもすぐに体勢を立て直す芳野に、二の矢が迫る。
 首ごと斬り飛ばすかの如き勢いで垂直に振り下ろされる刀。芳野は膝立ちの体勢から横に小さく飛んでごろごろと転がりつつ、辛うじて躱す。次にようやく立ち上がったかと思えば、水平に放たれた刃が迫る。慌てて動作をひっくり返ししゃがみの体勢を取る。相反する命令を下されながらも、ぎりぎりのところで刀を空振りさせた。
 それでも僅かに切れた髪の毛が、ぱらぱらと宙に舞う。ゾッとする怖気を感じながらも、芳野は懐に飛び込んだ今がチャンスだと即座に判断し、千鶴の胸元へと向けてナイフを振るう。

 しかし千鶴の反応はそれ以上であり、半歩引いたかと思うと刀身でナイフを弾き、完璧に防御する。
 だが一度懐に飛び込んだのだ、引けば即、死に繋がる。
 素早くナイフを順手に持ち替えた芳野が、縦、横、袈裟と次々に斬撃を繰り出して千鶴に反撃する隙を与えない。

「くそ、どうして当たらない!」

 様々な方向から斬り付けているはずなのに、全て防御されことごとく弾かれる。
 剣道の達人とでもいうのか。いやそれにしては太刀筋はそう変わらない。とにかく、手練れであることは間違いない。
 だが、徐々に押してはいる。流石にこうも連続して攻撃を加えられては引きながら戦わざるを得まい。追い詰めさえすれば。
 そう考える芳野の視界に、浩平があるものを拾い上げているのが写る。

 マイクロウージー。千鶴が捨てていたサブマシンガンだ。
 だが捨てていたということは弾丸は入っていないのでは? 弾丸のない銃など役立たずも同然。何を考えているのか。
 その時、芳野の脳裏にある推論が思い浮かぶ。そしてそれは、浩平がへたり込んでいるウォプタルに向かったことで、確信へと変わる。
 間違いない、あいつはあの恐竜みたいなのにぶらさがっているデイパックからマシンガンのマガジンを奪うつもりだ!
 身軽にするためと、自身に負担をかけさせないためにそうしていたのだろうが、それは荷物を放り出しているも同じ。それが奴の命取りだ。

(……だが、問題は予備のマガジンがあの中に入っているかどうかだ。可能性として本当に弾切れになったから捨てていたかもしれない。運否天賦、になるが……)

 実際はそうではない。浩平はPSG1が奪われたことも知っていたためたとえマガジンがなくとも銃を確保できるのは確実だった。だが、破壊力からすればウージーのマガジンが入っていることの方が遥かに望ましい。
 結果は――

「……よし!」

 ウォプタルにぶら下がっていたデイパックの中から、ウージーの予備マガジンが浩平の手中に納まる。
 これをはめ込み、千鶴に向かって乱射すれば命中は確実だった。

 浩平がマガジンを取り替える動作に入ろうとした、その時。
「……遅いのよ」
 ふっ、と芳野の視界から千鶴が消える。何が起こったか、一瞬理解できなかった。だが数瞬の後。
「な……」

 一歩分の距離はあったはずだった。密着などしていてはナイフは振るえない。
 なのに。
 千鶴の顔は、キスできそうなほどの近距離にあったのだ。
 次いで、ずん、と何か重いものを叩き込まれる衝撃。肘を打ち込まれたのだと分かった時には顎を刀の柄で突き上げられ、仕上げとばかりに回し蹴りで薙ぎ倒された。

「がは……っ」
 無様に地面を転がりながら、なお千鶴の追撃に備えようとしたが、それは間違いだと知ることになる。

「そうやって、交換する動作の時が……一番無防備なの。わざわざ遊んでやったのはこのため……甘ちゃんなのよ」

 芳野が目にしたのは、浩平の腹部が千鶴によって貫かれていた光景だった。
 背中から突き出した刃が、浩平の鮮血を啜って怪しく輝いている。待ち焦がれた、とでも言うように。
「く、そっ、そういう事か……」

 芳野は理解する。
 最初から、こうなるように仕向けていた。二人いっぺんの刃物を相手取るよりは銃を持たせ、マガジンを交換する隙に仕留める。
 一対一なら苦労するまでもなく、あっという間に倒せる。押されていたのではない。そうさせていたのだ。
 見取りが甘かった。最初の鍔迫り合いのときに普通の女ではないことは分かっていたはずだった。ナイフを全て防御されていたときに、おかしいと気付くべきだった。
 敗北か。俺達の――
 芳野は悔しさに歯をかみ締めようとした。

「甘ちゃん……? へへ、あんたの方が甘いぜ、大甘だ……!」

 それを嘲笑うかのように。折原浩平が、笑っていた。
「何が――ぐっ!?」
 いつの間にか、千鶴は刀ごと腕を掴まれているのに気付く。握られた手は石のように硬く、また刀が刺さっているのも相俟って、ビクとも動かない。
「は、刺された、くらいで、死ぬとか……動けなくなるとか思われたら、困るんだよ……こっちは、腹、くくってんだからな!」
 浩平は叫ぶと、更に刀を食い込ませるように、より引きにくくさせるかのように、一歩千鶴へと向けて進む。
 加えて、はまり切っていなかったウージーのマガジンを膝で叩いて無理矢理押し込む。

「撃てるぜ、おねーさんよ」
 それはいつもと同じ、下らないことを思いついたときの浩平の笑みである。だがそれは、今の千鶴にとっては悪鬼の笑みに他ならない。
 心臓が早鐘を打ち、訳もなく足が震える。
(嘘……? 鬼の、わたしが、怖がっている……?)
 ゆらり、と死刑を宣告するように浩平の腕が持ち上げられる。千鶴は何とか逃れようと全力でもがき、怪我をしている左腕で浩平の顔を殴りつけるもまるで応える様子がない。

「あんたの殺戮劇は……もう、閉幕なんだよっ!」
「こんな……! 耕一さ……!」

 千鶴の叫びは、五月蝿過ぎるくらいの銃声に飲まれ、消えた。
 大きな血の穴を開けながら、最期の最期まで家族のために戦った、哀しき鬼の末裔が――あっけなく、崩れ落ちた。

     *     *     *

 くそ、カッコよく決めたつもりだったけどさ、やっぱ、生き残れなくっちゃヒーローじゃあないよな。
 上手く立てたつもりだったのにな。見破られてたなんて思いもしなかったぜ。
 気合と根性! でどうにかしたけどさ。はぁ、やっぱオレってそんなのは似合わないよなぁ。
 七瀬あたりが見てたら何そのヒーローごっこ、みたいな感じで笑われてたかもな。
 ……いや、泣くだろうな。絶対泣く。漢泣きするね、きっと。

 ……。
 ふぅ、アホッ、とかまたバカなこと言ってる、とかそういうツッコミがないのは寂しいな。なんだよ、結局オレは一人じゃダメなんじゃないか。
 笑っちゃうよな、全く……
 本当、アホだわ、オレは。

 ……。
 何だよ、何か、体軽くなったな。ハハア。オレはこれから天国に連れて行かれるんだな? いや、一人殺したから地獄か? いやいやいや、情状酌量の余地は残ってるはずだぜ? だから考え直してよ閻魔さんよ。
 なんて、お願いしてみたけど、まあやっぱり地獄だよな。それでもいいか。長森たちと会えないのはちょっと寂しいけどな。
 ひょっとしたら誰か知り合いがいたりして。深山先輩とか。
 いやいや、冗談ですって。だからオレの頭に入ってこないで! イヤーン!

 ……。
 冗談はともかくとして、まだ茜や、みさき先輩、澪に、七瀬、住井に……まあ、広瀬もか。そいつらは生きてるよな。
 絶対こいつらなら生き残ってくれるさ。みんなオレなんかより強くていい奴らだからな。後は頼むぜ。

 ……。
 お、何か体が重くなったぞ。ひょっとしたら地獄にご到着なのかもな。なんだよ、誰もいないじゃないか。最近の地獄は人手不足なのか?
 まあいいや、のんびりさせてもらおう。ふはは、オレこそが地獄の閻魔大王だー、なんて。

 ……長森。
 本当に済まないと思ってる。
 お前がいなきゃ、今のオレはなかった。お前がいてくれたから、オレはオレであり続けられたんだ。
 けど……結局、何も出来なかった。せめて、最後に、お前に、触れてやりたかったのに……

 ――できるよ。

 ……え?

 ――できるよ。ほら、わたしはここにいるから、浩平。

 ウソ……だろ。何で、長森が、ここに……いや、恥ずかしいわけじゃないぞ。ちょっと驚いただけなんだからな。
 あー、その、触れてやるってのはだな、つまり、その……

 ――ね、お願い、していいかな?

 お? お、おう、どーんと来い! 長森ごときの願い事なぞオレに叶えられないわけないっ!

 ――じゃあ……


 ぎゅって、して……


     *     *     *

「いくらなんでも、遅すぎるな」
 浩平が出て行ってから早一時間近く経っている。学校や、外を探し回っているにしても遅すぎる。
「ことみ君、確かに間違いはないんだな?」
「うん、多分……」

 芳野祐介達に硝酸アンモニウムの運搬を任せ、そのまま島を西回りに材料を探してもらうという約束。
 硝酸アンモニウムを探してもらうところから始めてもらったというのだから、探索して、運び出して、仕舞う。このプロセスを辿るだけでも結構に時間がかかるはずだ。
 浩平が出遅れた、ということはありえない。
 だとすれば、何らかのトラブルに巻き込まれたという可能性が高い。

「様子を、見に行ってみるか。少し離れることになるが……杏くんはまあ大丈夫だろう」
「うん……私も、心配なの」
「よし、行こう」

 聖とことみは立ち上がると、保健室に鍵をかけて校舎内から、まずは外に硝酸アンモニウムを仕舞ってあるはずの体育倉庫へと向かう。
 ――だが、そこまで行く必要は、なかった。
 彼女らが外に出た時。

「……これ、は」
「芳野、さん?」

 横たわっているのは、幾つもの死体。幾つもの血溜まりが、グラウンドを塗りつぶしている。
 その中央では、一人の男が悲しげに佇んでいた。

「……俺には、こいつらを背負い込むには小さすぎる」
 芳野祐介。
 その足元には、二人の男女が折り重なるように――いや、芳野が折り重ねていたのだ――横たわっている。
「手伝って、くれないか」
 恨むでもなく、ただ死者に応えるようにと願うような口調で、芳野は二人に向き直った。




【時間:2日目午後15時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)、腹部に鈍痛(数時間で直る)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。まずは死者たちを埋葬したい。爆弾の材料を探す。もう誰の死も無駄にしたくない】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

柏木千鶴
【持ち物1:日本刀・支給品一式、ウージー(残弾18/30)、予備マガジン×3、H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図】
【状態:死亡】
ウォプタル
【状態:首に怪我。衰弱中(数時間は動けない)】

霧島聖
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【状態:爆弾の材料を探す。死体の山に呆然】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。杏ちゃんが心配。死体の山に呆然】

折原浩平
【所持品:包丁、フラッシュメモリ、七海の支給品一式】
【状態:死亡】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷(処置は完了。回復までにはかなり時間がかかる)。うなされながら睡眠中】


【その他:付近には瑞佳の遺体(浩平の遺体と重なっている)と詩子の遺体があります】
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