pure snow





 ねっとり、と。
 粘つくような視線が眼前の整備された道だけでなく、左右に広がる緑色の空間にも向けられる。
 何も動いていないことを確認すると、すぐに目を別の場所に移す。
 見つかるまでは常に定まることのない、獲物を追い続けることだけに終始した視線であった。

 変わらぬのは表情。
 変わらぬのは足取り。
 変わらぬのは思考。

 好きな人と、二人だけの幸せな世界を築くために、少女、水瀬名雪は全ての参加者を抹殺するために北上を続けていた。
 彼女は血に塗れている。
 それは決して比喩的な表現ではなかった。文字通り、名雪が着込んでいる防弾性の割烹着は腰から上の部分殆どが赤黒く、独特のムラを残しながら色づけされていた。
 無論それは名雪自身の血液ではない。これだけの血液が染み込んでいるなら通常では出血多量で失血死してもおかしくないほどのものであったからだ。
 この割烹着は広瀬真希の死と……つまり命と引き換えに手に入れた形見の品というべきものでもあった。それも防弾チョッキというにはお粗末な、9mm弾を数発防げるかどうか怪しいという性能だというのに。

 人の命を奪ったことに対して罪を感じる気持ちも、逆に殺戮を快楽と感じ得る狂気の情念も、あるいは自らを生存させるための自己正当化だとも考えることは名雪にはなかった。
 殺害というのは目的ではなく手段であり、それをどうこう思うだけの感情は既に無くなっている。歩くことが手段ではないように。
 成り行きとしては当然の事である。度重なる苦痛と恐怖、ストレス、ショック……そして友人の死などが積み重なり、名雪は崩壊した。
 自分が死ぬのが、大切な人を失うのが、裏切られるのが、怖かったから。
 だから、名雪は手からするりと逃げてしまう前に奪ってでも捕まえることを決意したのだった。

 いつかの雪の日。
 ただ待っていたから、掴めなかった。
 ただ待っていたから、横取りされた。
 もう、待たない。
 手に入れる。手に入れる。しあわせ。しあわせ。
 もう、逃がさない。

 水瀬名雪の狂気は、止まらない。

     *     *     *

 名雪が歩を進めるのはゆっくりしていて遅い方であったため、そこについたのは昼を少し過ぎた時間になってからであった。
 菅原神社。
 つい先程までそこには天沢郁未が今後の方針についてうんうん頭を唸らせていたのだが、現在は彼女も去って無人の場所である。
 名雪がここに来たのも目立つ場所だから誰かがいるかもしれない、と判断してのことだったのだが、どうやら見当違いであったらしい。
 誰かがいたら射殺しようと、ポケットから取り出していたIMI・ジェリコ941を再び仕舞い直すと、今度はGPSレーダーを取り出してこの付近に誰かが潜んでいないかチェックを始める。

 このレーダーはコンパクトなサイズで重量も軽いのだが、捜索範囲がイマイチ狭い上に連続使用時間も短かったのでこのように隠れる場所が多いところ以外では使わない、と名雪は決めていた。
 光点は見受けられない。どうやら神社の内部にも何者かが潜んでいるわけでもなさそうだった。
 肩を落とすわけでもなく、ホッとするでもなく、名雪はレーダーを仕舞うと次の獲物がいそうな場所を見つけて移動するだけである。

 と、ふと地面に目を落とした名雪の目に、奇妙な跡が映った。
 石畳から少し離れた、柔らかい焦げ茶色の地面。そこに細長い楕円型の跡が、内部にミステリーサークルのような文様を残しながら転々と神社の裏側に続いていた。
 名雪はしゃがみこんで、その足跡に触れてみる。まだ柔らかい土の感触が、指に伝わる。
 いつごろ付けられたものかは定かではないが、この場には一種類しか見られないことを考えると単独、それも最近になってつけられたものだと、名雪は予測する。

 そのまましゃがんだ体勢で地図を取り出し、広げて目安になりそうな建物を探してみる。
 ――ホテル跡。
 神社の裏側を通って、どこかに向かうとすればここしか在り得ない。
 とん、と。
 地図上の鎌石村を指で指す。考える。ここに向かうならわざわざ神社の裏側を抜けて山登りする必要はない。
 とん、と。
 同じように平瀬村を指す。考える。ここに向かうとしても同じ。真っ直ぐ行けばいいだけのこと。
 故に。ホテル跡しか考えられないということだ。

 地図を手早く折り畳むと、それをデイパックに入れ、元のように背負いなおしてからその足跡を――引いては、ホテル跡へと向けて、歩き出した。
 もちろん、道中で遭った人物も殺せるように、手はポケットの中に、視線は常に動かしながら。
 真っ黒な闇を含んだ瞳は、今は森の奥に向けられていた。




【場所:E−2】
【時間:2日目15:30頃】

水瀬名雪
【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾13/14)、予備弾倉×2、GPSレーダー、MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルへ向かう】
【その他:足跡は郁未のもの。GPSレーダーの範囲は持ち主から半径50m以内ほど】
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