十一時十二分/Why R U Here?





爆風と閃光、焦熱の嵐の中、少女は笑う。
膝を、頸を、脊椎を踏み砕かれて倒れ伏す幾多の少女を睥睨し、来栖川綾香は呵う。
迫り来る死と踊るように歩を進めてきた少女の笑みはしかし今、ただ一点へと向けられていた。

「―――久しぶり」

少女の眼前に、一つの影があった。
皮が裂け、滲んだ血の固まった両手にそれぞれぶら下げたのは、黒焦げになった砧夕霧の躯。
三つ編みを無造作に掴んだまま引きずってきたものか、遺骸に僅かに残された白い肌の腕といわず足といわず、
無数の擦過傷が走っている。
と、影が夕霧の躯を、まるで空き缶でも投げ捨てるように放り出した。
音を立てて地に落ちたその物言わぬ体にはちらりとも目を向けず、影は静かに綾香と向かい合っている。
佇む二人の至近に光弾が着弾し、草木を焼いた。
閃光に照らされた影の瞳が、綾香をじっと見つめていた。

「どうした? 先輩に挨拶もできなくなったか」

血と煤に塗れ、どろりとした眼で自分を見る影に向けて、綾香は楽しそうに口の端を歪める。
短く切られたその髪がさわ、と揺れた。
微かに反らした上体を掠めるように、光弾が駆け抜けていく。

「―――押忍」

それは小さな声だった。
綾香の背後で石くれが爆ぜ、木々が燃え上がるのに掻き消されそうな、声。
だがそれを聞いた綾香は口元に浮かべた笑みを深くする。
くつくつと、くつくつと。

「おいおい、いつもの無駄な元気はどうしたよ―――葵?」

名を呼ばれた影の表情が、僅かに歪む。
呼んだ綾香は、笑んだまま握った拳を胸元に引く。

「構えろよ。それがうちらの流儀、なんだからさ」

だが影、葵と呼ばれた少女は血に濡れた拳を握ることもせず、曇天を切り取ったような眼を綾香に向けると、
ぼそりと呟いた。

「……どうして」

薄暗い呟き。

「どうしてあの人は、飛ばなきゃならなかったんですか……?」
「……」

す、と綾香の表情が消える。
ちりちりと草の焦げる音だけが、二人の間にあった。

「……知らねえよ」

僅かな間を置いて、綾香の表情に再び笑みが浮かぶ。
しかしその顔に刻まれていたのは、先ほどまでの楽しげなそれではない。

「知らねえよ、そんなの。あいつに直接聞いてこいよ」

そこにあったのは、明確な嘲笑だった。


******


一つの記事がある。
新聞の地方欄の、小さな囲み記事だ。

―――
×月×日未明、首都圏の某高層ビルから、少女が屋上の柵を乗り越えて飛び降りた。
少女は約40m下の道路に叩きつけられ死亡した。自殺を図ったとみられている。

警視庁によると、事件が起きたのは午前四時ごろ。
付近を巡回していた警官が倒れている少女を発見した。
近くの病院に収容されたが、間もなく死亡が確認された。
警察では少女が自殺を図ったものとみて身元の特定を急いでいる。
―――

その後、この事件に関連した記事が一般紙の紙面を飾ることはなかった。
だが奇妙なことに、一部週刊誌やタブロイド紙を中心にして、続報は後を絶たなかった。
様々な見出しが躍り、興味本位の活字が闊歩し、憶測と邪推が少女の死を侵した。

悪意に満ち溢れた報道が無数に生まれ続ける「真実」を面白おかしく書きたてる中で、
それでも幾つかの共通した文言だけは辛うじて事実と呼べるだけの信憑性を持っていた。

曰く。
死の前日、少女は一つの催しに参加していた。
会場収容人数にして数万人、様々な媒体による中継を介してその数十倍。
百万の瞳が映したのは、少女が己の総てを賭けて挑み―――そして敗れる、その姿だった。

エクストリーム、特別ルールスペシャルエキジビションマッチ。
3R8分45秒、KO。

勝者、来栖川綾香。
そして敗者の名を、坂下好恵という。


******


「前十字靭帯断裂、右膝側副靭帯断裂、肘靭帯断裂、腓骨粉砕骨折、踵骨骨折、
 鎖骨、肋骨、上腕骨橈骨中手骨鼻骨眼窩底膵臓脾臓腰椎」

訥々と、葵が人体の損傷を口にする。

「お経かよ」
「もう立てなくなっていた人に、ここまでする必要があったんですか」

茶化すような言葉を無視し、葵が濁った眼で綾香を見据える。
悪意を隠そうともせず嗤いながら、綾香が答えた。

「両者合意による特別ルール。TKOなし、セコンドタオル投入なし。……違ったか?」

噛んで含めるような口調にも、葵の表情は動かない。

「確かに、そういうルールでした。主催もドクターも、遺恨を煽ったプレスも来栖川寄りの試合。
 けれど、だからこそ止めることはできたはずです。あそこまでやる必要は、なかった。
 結局、綾香さんだってリングを離れることになって―――」

ぼそぼそと告げる葵が、ふと言葉を切った。
足元に転がる砧夕霧の死骸をおもむろに蹴り上げる。
跳ね上がったその無惨な躯を片手で掴むや、半身だけ振り向く。
直後、閃光が葵の掲げた夕霧の、黒焦げの腹に直撃した。
光が収まるのとほぼ同時、人体構造の限界に達したか、夕霧の躯が閃光を浴びた部分を境にぼろりと焼け崩れ、
脂の焼ける匂いを辺りに漂わせた。
盾代わりに使った遺骸を一瞥もせず再び放り捨てた葵が、何事もなかったように言葉を続ける。

「……して……まで、……んですか」
「……、え?」

風が、強く吹いた。
聞き返した綾香を濁った瞳で見据え、葵が今度ははっきりと口にする。

「どうして、最後までやったんですか」

どろどろと渦巻くものが形を成したような、問い。
その視線を受けながら、しかし対する綾香の顔に浮かんでいたのは、困惑とも戸惑いともつかぬ表情だった。
何かを言いあぐねるように、綾香が何度か口を開きかけ、閉じて、また何かを言い出そうとして黙る。
奇妙な沈黙が下り、しばらくしてようやく綾香が捻り出したのは、ひどく簡素な言葉だった。

「―――何を、言ってんだ?」

嘲笑も悪意もない、純粋な疑問符。
それはまるで、歩き方を聞かれたとでも、呼吸の仕方を尋ねられたとでもいうような。

「なんで、止めきゃなんないんだよ」

うろたえたような声音に、徐々に別の色が混ざっていく。

「悪い冗談はやめろよ、なあ」

切迫した、どこか縋るような口調。

「なあ、なあ、葵。あたしの世界、あたしの手が届く場所、あたしの指で触れるもの」

困惑と失望と、

「世界って、そんだけだよ。そん中に、お前も入ってる。
 ……入ってるんだよ、葵」

そして―――懇願の、入り混じった声。

「だからそんな、そんなわけのわかんないこと、言うなよ。
 な、……頼むよ、言わないでくれよ」

一歩を踏み出したその足の下で、砧夕霧の黒く炭化した腕が、ばきりと折れた。
崩れた骨片が風に乗って舞い上がる。
恐々と伸ばされた綾香の白く長い指が、小さく震えているように見えた。
尚も何かを言い募ろうと綾香が口を開こうとした瞬間、葵が言葉を接いだ。

「私には分かりません……もう、あなたの勝ちは、決まっていたというのに」

風が、止まった。
梢のざわめきだけが消えるよりも前、ほんの刹那の沈黙を破ったのは、綾香だった。

「ああ、」

と。
その小さな呟きを境に、綾香の表情が変わっていた。

「ああ、そういうことか」

まず困惑が、懇願が、綾香の顔から消えた。
能面のような無表情。

「……お前、だめだよ」

それから、モノトーンの世界に色彩が零れるように、落胆という表情が綾香に加わる。

「全然だめ。話になんない」

小さく首を振って、嘆息。
一瞬だけ眼を伏せた後、正面に立つ葵を貫いていたのは、冷厳とすらいえる瞳。

「お前、それは外側の言葉だよ、葵」

声音は氷の如く。

「勝つとか負けるとか、そういうのは、そんなところには、ない」

逡巡なく、

「殴って、蹴って、投げて絞めて極めて殴られて蹴られて投げられて絞められて極められて。
 そんで、なんだ? 勝ちと負けを決めるのはなんだ? あたしらを分けるのはなんだ?
 テンカウントか? レフェリーのジェスチャーか? それともジャッジの採点か?
 ……違うだろ、葵。そういうんじゃない。そういうんじゃないだろ。」

小さな火種が、燎原に燃え広がるように。

「そんなこともわかんなくなっちまったんなら、そんな簡単なことも忘れちまったんなら、
 葵、あたしがお前に言ってやれることは一つだけだ。たった一つだけだ、松原葵」

来栖川綾香が拳を握り、告げる。

「―――弱くすら在れないまま、死ね」




【時間:2日目 AM11:14】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】
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