もうヘタレなんて言わせな……あれ?





―― まるで、一年くらい眠っていた気がする。

目を覚ました藤井冬弥が思ったことが、まずそれだった。
窓から差し込む日差しの眩しさ、カーテンから漏れるそれで冬弥は貪っていた惰眠を奪われる。
しぱしぱと微妙に痛む瞳、夢の類を冬弥は見ていない。
それぐらい、彼の眠りは深かったのだろう。

布団を跳ね除け、ゆっくりとした動作で冬弥は休んでいた宿直室を後にした。
そのまま給湯室へ向かう冬弥、そこには夜中に途中で見張りを交替することになった七瀬留美がいるはずだからだ。
年下の女の子にそのような仕事を負わせることを、当初冬弥は拒んだ。
しかし体力は有限であるが故、休息を取らないということは冬弥自身に大きな影響を与える可能性があることを留美は必死な形相で説いてくる。
最もである留美の言い分、それを否定してまで冬弥も無理をする気はなかった。

見張りの時間、冬弥はひたすら支給品である銃器の手入れを行った。
素人故の不慣れさ、知識の浅さがありそこまで細かいことはできないものの、周りを丁寧にふき取ることぐらいは冬弥にもできることだった。
黙々と作業を続ける冬弥は、自身の武器が終わったら次は留美の物へと手を伸ばす。
再開される手入れの時間、冬弥はひたすら行為に没頭していた。
それは、現実逃避の成れの果てだったのかもしれない。

緒方理奈が死んだ。
河島はるかが死んだ。
そして、森川由綺が死んだ。

信じられない、信じたくない事柄が並ぶ第一回目の放送に冬弥の思考回路は麻痺しかける。
嘘だ、と取り乱し叫びたかっただろう。
涙し、悲観にくれたかっただろう。
しかし冬弥はその悲しみを、あくまで表には出さなかった。

「……ま、ゆ?」

目の前の少女、向き合う形で椅子についていた留美の呟きに冬弥がはっとなる。
自分より幾分か年下の少女は、呆け、唇を戦慄かせながら必死に何かに耐えていた。
震える肩の小ささ、それに合わせるよう小刻みに揺れるツインテールが彼女の感情を物語っている。
年下の少女は、必死に慟哭を押し殺していた。
だから、冬弥も表に出す訳には行かなかった。
……つらいのは、同じだ。そんな状況で自分の直情を優先させようとは、さすがに冬弥も思わなかったのだろう。

(俺もいい加減しっかりしなくちゃな)

改めて言葉を腹の底に押し込め、冬弥は一人決意を定めた。
握り締める拳の痛みは、友人、そして恋人を失った心のそれに比べれば軽いものだろう。
冬弥は耐えた、留美に気づかれないよう激情を押し込めた。
流したい思いでいっぱいだった涙を、冬弥は目を強く瞑ることで最後の一線だけはと守ろうとする。
……力及ばず目の端から一筋だけ零れてしまったそれに、どうか気づかないで欲しい。
冬弥の願いが留美に通じたか分からないが、彼女が言及することはなかった。

そしてやってきた、朝。
結局、夜間冬弥達には何のトラブルも起こらなかった。
誰かがこの建物にやってきた気配はない、それでも冬弥が警戒を怠ることはなかった。
ゆっくりと給湯室の扉を開け、そこで見慣れたツインテールを発見し冬弥はやっと一息つく。

「おはようございます、藤井さん」

給湯室の中へ入ってきた冬弥に、留美は元気よく挨拶をした。
冬弥もそれにおはようと返し、日常の温度を実感させてくる心地よさを味わった。
給湯室の時計を確認する、時刻は午前六時前と少し早いものである。
……さて、ではここからどうするかが彼等にとっては当面の課題であった。
留美も冬弥も、知人を探すという意味で行動を共にしている面が大きい。

「七瀬さん、これからどうするかだけど……」

冬弥の声に留美が首を傾げる、しかしそれを邪魔視するノイズが突如彼らの聴覚を支配した。
第二回目の、放送である。
一夜を休息に宛てた彼らは、何も成し遂げぬままにそれを迎えることになった。





今、冬弥は朝露に濡れる地面をじっと眺めていた。
消防署の扉に持たれ込むよう背中を押し付け、思ったよりも寒い外気に冬弥は一人肩を震わせる。

澤倉美咲が死んだ。
篠塚弥生が死んだ。

ぐしゃっと寝癖のついたままの自身の髪を握り締め、冬弥は大きな深呼吸を繰り返す。
冬弥の知らない間に、これで五人もの知人が亡くなったことになる。
その間冬弥は何をしていたのか。

(安全な場所で、ゆっくり眠って……っ)

優遇されたとしか思えない自分の立ち位置に、冬弥の胃がキリキリと痛み出す。
込み上げてくる嘔吐感、自然と流れ落ちていく涙をもう冬弥は抑えることが出来なかった。
大の男がしゃくりあげる姿なんて留美に見せる訳にはいかないと、冬弥は彼女を置き一人消防署の外に出ている。

「ふ、藤井さん!」

走る背中にかけられた留美の声、しかし冬弥はそれに振り返ることなどしなかった。
否、できなかった。
歪んだ自身の表情を彼女にだけは見られたくなかった、その思いが冬弥の走る速度をさらに上げる。
留美は第一回目の放送の時と同様、必死に何かに耐えているというのに比べて自分はどうなんだと。
冬弥はそれさえもがみじめで仕方なく、また泣いた。

しっかりしなくちゃいけないと、昨晩誓ったはずの冬弥のそれには既にヒビが入っている。
それには文字通り、友人が消えていくスピードというものの速さに愕然としたのもあっただろう。
また自分が何もできていないにもかかわらず、失うものだけがどんどん増えていくという現状が冬弥には辛くて仕方なかった。

(美咲さん、弥生さん……っ)

彼女等に何があったのか、分かるはずもない。
それは第一回目の放送で呼ばれた三人も同様である。

(なら俺は、何をすべきだったんだよ……っ)

給湯室に残してきた、留美の面影が甦る。
明るい少女だった。冬弥の知人である観月マナを彷彿させる髪型から、彼女を連想しなかったとは言い切れないだろう。
年下の女の子という時点で、冬弥からすれば留美は庇護の対象に値する少女となる。
頑張らねばと、思った。年下の女の子が頑張っているのだから、自身もやらねばという思いが冬弥の中には強かった。
一種の支えだったかもしれない。
留美と言う少女がいることで、冬弥は挫けなかった。

第一回目の放送で、放心しかけた冬弥はその際手にしていたペットボトルを地面に落としてしまった。
蓋が外れたままのそれが、轢かれたカーペットに染み込んでいく様を冬弥は無言で見つめていた。
空になっていくペットボトルが、重さを感じさせない緩やかさで弧を描いていく様が冬弥の心に空虚さを煽ってくる。
もしあの時目の前に留美という少女がいなかったら、冬弥は直情に流され武器を手にしていたかもしれなかった。
友人や恋人を失った悲しみを、それで埋めようとするかもしれなかった。
敵討ちを考え、人を殺すかもしれなかった。
冬弥が思いとどまることができたのは、少女の存在があったからだ。

朝、給湯室にて冬弥を出迎えた留美の表情は晴れていた。
心配をかけないようにという、そのような意図があったかもしれない。
留美は昨夜と同じように給湯室に備え付けられている椅子に座っていた。
テーブルには、満杯になっているペットボトルが二本あった。
留美と冬弥、二人に支給されたペットボトルの中身は、再び留美の手によって満たされていた。

何気ないことだ。
ただ中身が減っていたから、先のことも考え補充したのだろうと考えるのが一般的だろう。
しかしそこには、言葉に表されていない彼女の優しさが詰まっているように冬弥は思えたのだ。
地面のカーペットはまだ乾ききっていないのか、変色した部分がいまだ深い色になっていた。
だが肝心の本体には、既に新しい物が詰められている。
それはまるで、気持ちを切り替え新たに踏み出すのがベストであることを物語っているようだった。

分かってはいる。分かってはいるのだ、冬弥も。
ただそこに気持ちが追いついていないだけで、理解ができていない訳ではないのだ。
そこが、冬弥の弱さだった。

冬弥の嗚咽は止まらない、朝の爽やかな大気に溶け込むことなく彼の周りには湿った空気が漂っていた。
いい加減留美も心配しているだろう、中に戻った方がいいのかもしれないが冬弥はそんな気になれなかった。
沈んだ気持ちが浮上する気配はない、泣きつかれたことで頭も朦朧とする冬弥が半ば自暴自棄になっていた時だった。

「とにかく、私は一端学校へ向かうわ! 悪いけど、あなた達みたいにのんびりなんてしていられないのよ」
「ま、待ってくださいっ」

せわしない会話が、乱暴に開けられたせいかかなりの大きさで響いたドアの開閉音と共に漏れ出した。
何事かと視線をやる冬弥の視界に、隣接して建てられている建築物から人が出て行く様が入り込む。
まさか隣人がいるなどと想像もしていなかった冬弥は、泣くのも忘れその光景をただただ見やるしかなかった。
長い髪を揺らす少女が肩を怒らせながらその場を後にする、その後ろには何やら小さな生物がついて行っているようだった。

「そんな、ボタンまで……」

視線を建物の入り口へと逸らす、少女よりもずっと幼く見える女の子が少女の背中を見つめていた。
女の子は、冬弥が今まで見た他の参加者と比べても郡を抜いた幼さを持っている。
こんな小さな子までが巻き込まれているのかと、そんな考えができるくらい余裕が出てきた冬弥の耳に懐かしい声が入り込んだ。

「……仕方ないなんて言葉で括るのは嫌だけど、あの書き込みがある以上僕達がここを離れる訳には行かない。
 向坂君ともまた再会することができればいいのだが」

低めのテノールの心地よさ、一人ライバル心を燃やしていた頃には癪で仕方なかったそれに冬弥の胸が高鳴った。
女の子を支えるよう、現れた男がその小さな肩を抱く。
見覚えのある横顔、それが誰であるか理解とたと同時に冬弥は言葉を口に出していた。

「緒方、英二?」

冬弥の声に、えっ、と男が振り返る。つられる形で少女も同じような動作をとった。
冬弥からすれば思ってもみない再会に、男も同じよう驚きを表情で表している。
緒方英二。
冬弥がこの島で初めて出会うことになる知人が、彼だった。




藤井冬弥
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C−05・鎌石村消防署前】
【持ち物:H&K PSG−1(残り4発。6倍スコープ付き)、他基本セット一式(食料少し消費)】
【状況:呆然】

七瀬留美
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C−05・鎌石村消防署】
【所持品:P−90(残弾50)、支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村消防署内待機】

緒方英二
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、水と食料が残り半分】
【状態:冬弥と目が合った・ロワちゃんねるの書き込みに対し警戒】

春原芽衣
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05鎌石消防分署前】
【持ち物:デイパック、水と食料が残り半分】
【状態:冬弥と目が合った・ロワちゃんねるの書き込みを朋也と信じている】

向坂環
【時間:2日目午前6時30分】
【場所:C-05】
【所持品:コルトガバメント(残弾数:20)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:鎌石村小中学校へ向かう】

ぼたん
【状態:環について行く】
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