「少しはマシになったみたいね……」 すぅすぅと静かな寝息を立てて眠っている美坂栞の顔を眺めながら、リサ=ヴィクセンはホッと胸を撫で下ろしていた。 あの放送以後更に容態が悪化した栞を見て、このままでは最悪の事態になるかもしれないと考えたリサは急遽ルートを変えて琴ヶ崎灯台へと向かった。自分の勘と知識に従ってのことだ。 果たして自分の思惑通り、灯台の一階には医務室があり、ある程度の解熱剤と鎮静剤などが用意されていた。本当にごく僅かしかなく、薬も市販のものだったから気休め程度にしかならないだろうが、それでもないよりはマシだろう。 ひと段落付けたら、再び予備の薬を求めて診療所まで向かわないといけないだろうとリサは考えていた。 「……さて」 この近辺を捜索するべきかどうか、少し思案する。こんな辺鄙な場所でもこの島の構造に関するヒントが得られるかもしれないからだ。あるいは何か、武器のようなものだってあるかもしれない。 現在の所、手持ちのM4には弾薬がフルロードされている。しかし敵と出会うたびに使っていたのではいざというときにその速射性が頼りになるM4はあっという間に弾切れを起こしてしまうだろう。トンファーは弾数制限がないものの威力という意味では明らかに見劣りする。それに…… 「……いや、ダメね、そんなの」 自分の内に生じた考えを首を振って取り消す。あろうことか自分が栞に戦わせる算段をつけていたことに、嫌悪感を覚える。 この娘は発砲経験も何もない、ただの(加えて、病弱な)女の子なのだ。今までの数限りない任務でパートナーとどうやって連携していくか、と常に考える癖があったのは認めるが……明らかに、何か自分は焦りを感じ始めていた。 それもそうだ。プロの軍人でさえこの状況に混乱しないはずがないだろう。早々に醍醐が退場し、なおかつあの篁総帥まで死亡の放送がなされ、そして今度は前回よりも遥かに多い27人が死亡している。しかもその中にはあのエディまでもが含まれていたのだ。 那須宗一の相方であり、兄貴分でもあり、そして後方支援、情報処理のエキスパート。その能力の高さは折紙つきのはずだった。 それが、こんなところで。 自分が落胆している以上に宗一は愕然としているはずだ。そして今は自分と同じ事を考えているに違いない。 首輪を、どうやって解除すればいいのかと。 それだけじゃない。敵方の本拠地の調査、バックアップなどエディにはやって貰いたいことが山ほどあった。いかに自分が軍人として優れていようとも、それはあくまでも戦闘に限った話。多少電子戦について心得はあるがエディのそれには遠く及ばない。この代役を務められる者があろうはずが――ない。 「いけない、また考えが横に逸れちゃってる……」 近辺を探索するかどうか考えていたはずなのに……大局的な思考は大事だがそればかりに囚われていると先が見えなくなる。そうだ、まずは本当にどうしようもないのか自分の目で確かめる必要がある。悩むのは……それからだ。 弱気の虫を強引に追い払い、探索への一歩を踏み出そうと医務室の扉に手をかけたとき、背後の方でかすかにうめき声が聞こえた。 「リ……リサ、さん……?」 「栞? 起きたの?」 すぐに身を翻して栞の元へと駆け寄る。白いベッドの上では目を半開きにした栞がけんもほろろという調子で視線を泳がせている。先ほどタオルでふき取ったはずの汗が、また額から出ていることにリサは気付きすぐに拭ってやる。 ん、とさらに目を細めながら栞が尋ねた。 「ここは……診療所なんですか?」 言葉はしっかりしているから、後遺症のようなものはなさそうだった。多少、疲れのようなものが見えるから何か暖かい食べ物でも用意してやれればいいのだが……そう考えながら、リサは静かに微笑んで答える。 「ちょっと違うわね。こっちの方が近かったから、灯台に来たの」 「灯台……」 「上手い具合に医務室があってね。解熱剤があって助かったわ」 「……」 栞は薬の効き目を確認するかのように手のひらを額に当て、熱の度合いを確かめているようだった。 「確かに、大分楽になってるみたいです……ですけど」 声のトーンを落とす栞に、リサが言い知れぬ不安を感じながらも「けど?」と続きを促す。 「夢では……なかったんですね」 「……」 視線を下のほうへ向ける栞を、リサもまた直視できずに中空へ視線を逸らす。栞にとっては、これが夢であって欲しいとどんなに願っていたことだろうか。姉の――死が。 親しいひとの……特に家族の死が、どんな苦痛よりも辛いものであるということはリサ自身が一番良く理解していた。ましてやそれが、こんな腐り果てた遊戯の代償なのだとしたら怒りや憎しみはどれほどだろうか。 本来ならここで何か慰めの言葉をかけてやるべきだった。しかしその言葉が、空っぽで中身のない表面のものだということを、リサは知っている。何故なら……自分がそうだったから。 一方の栞も何も言おうとはしない。精神的にも疲れ果てているのかもしれなかった。あるいは……今生きているのが辛い、苦しいのかもしれない。 「……まだ、身体が良くなったわけじゃないわ。もう少し寝ていたほうがいいと思うわよ」 だからそこに触れることはせず、出来る範囲での気遣いをしておくことにした。また、そうすることしか出来ない自分が腹立たしい、とも思っていた。 リサはそのまま背を向けて、医務室の外へ出て行こうとする。所詮自分は他人だった。心の穴を埋めてあげられるほど器は大きくない。一人にしておいたほうが、かえって傷つかずに済むかもしれない……そう結論付けた結果だった。 「リサさん……?」 声をかけてくる栞に、なるべく柔らかな声で応対する。 「外に出てくるわ。ここ近辺の探索はまだしてないから。けどすぐに戻ってくるわ、安心して」 「あ……そうだったんですか、済みません」 「どうしたの? 何か、お願い事でもあった?」 リサが振り返り、栞にその声と同じくらいの柔和な表情を浮かべる。遠慮させないような、暖かな雰囲気で。 「えっと……我がまま、なんですけど聞くだけ聞いてもらえませんか」 静かに頷く。聞くだけと言わず出来ることなら何でもリサはするつもりだった。それで、少しでも助けになれば。 「側に、居て欲しくて……一人だと、なんだか嫌なことまで考えてしまいそうで」 「ふぅん……それでいいの?」 「え? でもまだこの近くを調べて……わっ!?」 栞が言い終わるのを待たずに、リサが栞のベッドの中に潜り込み有無を言わさず抱きかかえる。 「え、え?」 「暖かいわね、栞は……」 幼子をあやす様に頭をゆっくりと撫でてやる。何度も何度も――慈しむように。 最初のうちはそれに戸惑っていた栞だったが、すぐにリラックスして力を抜きそのまま流れに身を任せていた。 時折、短い嗚咽を漏らしながら。 リサは願う。 誰でもいい、栞の悲しみをこの涙と共に洗い流してやって欲しい。 私の存在はちっぽけで、温もりを与えてやることくらいしかできないから……と。 * * * 「……リサさん、一つお願いがあります」 しばらくの間リサの身体に顔をうずめていた栞が、ゆっくりと口を開く。 その口調は……今までとは違う、何かをかなぐり捨てたようなものになっていた。それにどことない不安を感じながらも「なに?」と話を聞く。 「拳銃の撃ち方を……教えてくれませんか」 「ダメよ」 理由を問うこともせず真っ向から否定する。 「そんなこと言う人、嫌いです」 「素人がホイホイ撃てるものじゃないの。増してや、貴方は体力的にも……」 本当は違う。栞に、戦わせたくなかった。人殺しをさせたくなかった。憎しみに囚われて欲しくなかった。この子には、私と同じ道を辿って欲しくない――そう、強く願っていたからだった。 「お願いします、教えてください」 「ダメと言っているでしょう」 「お願いします!」 先程よりも強い、今までであれば絶対聞けなかった程の語気。だがそれくらいで屈するわけにはいかない。 「いい加減にしなさい。私でも怒るわよ」 「……怒られても諦めません」 「顔を張るわよ」 「張られても諦めません、絶対に」 至近距離からリサの顔を見据える栞の瞳。どこまでも純粋で、真っ直ぐな――直視、出来ないくらいに。 「……理由、聞かせてもらいましょうか」 訊かないはずだったのに……半分折れかけていることに気付きながらもリサはそう言った。しかし、それが憎しみに根差しているものだとしたら……こちらも絶対に止める。嫌われてもいい。たとえ復讐を果たしたところでその先に残るのは虚無感だけなのだから。 「私……強くなりたいんです」 「それだけの理由で?」 「もし、私にリサさんくらいの力があれば……いえ勇気の一つでもあればお姉ちゃんを探しに行けたはずなんです。なのに私はリサさんに会うまで怯えてばかりで、会ってからもずっとリサさんの後ろに隠れていて……柳川さんが戦っていたときも何も出来なかった。それだけじゃない、今もこうして熱を出して……リサさんの行動を遅らせている。足枷にしかなってないんです」 「それは……」 違う、と言いたかった。栞はリサの心の支えになっていた。かつてあった良心の欠片が、屈託のない笑顔が彼女にはあった。それを見ているだけで、リサの心は落ち着く。しかし……確かに、栞の言っていることもまた、事実だった。 「足手まといにだけはなりたくないんです。役立たずな私が……甘えているだけの私が……今はすごく嫌いです。殺してしまいたくなるくらいに」 自分の心臓を握りつぶすように、栞は自らの胸を掴む。そこでリサは気付く。 憎んでいるのは姉を殺した誰かじゃない、何も出来なかった無力な栞自身だということに。 (……まるで、昔の、私) いや違う、それは今も変わっていない。無力さに苛立つのは相変わらずだ。戦う以外能のない自分に。 「私一人で何もかもやりたいなんて身勝手なことは言いません、せめてリサさんの背中を守るくらいの……いや自分で自分を守れるくらいの……力が、欲しいんです」 栞はそこで一呼吸置くと、改めて心を見据えるような真っ直ぐな眼差しでリサを見る。 「お願いします、銃の撃ち方……教えてください」 負けた、とリサは思った。 「All right……教えるわよ、銃の撃ち方、って言っても拳銃がないからそこのM4になるけど」 すると栞はホッとしたような、少しだけ嬉しそうな表情になって「ありがとうございますっ!」とリサに抱きついた。 「本当……仕方のない子ね」 栞にではなく、自分に対してのようにリサは苦笑した。 「でもこれだけは覚えておいて。私が教えるのは人の殺し方……命を奪う、人間として最低、いや最悪の行為を教えるんだってことを、ね」 「……分かってます」 僅かながらの逡巡があったのが分かったが、リサは何も言う事はなかった。思いとどまるならそちらの方がいいし、リサもそう思っている。 「でも、何か出来るのに見殺しにしたり、現実逃避するよりは余程マシです。私は……そう思います」 だが、やはり考えは変わらないようだった。しかし栞自身が自分の意思で決めたことだ。覚悟を曲がりなりにでも決めたのなら、後はするべきことをするだけだ。 「OK。なら、まずは構え方からよ。持ってみて」 デイパックからM4を取り出し弾倉を抜いてから栞に渡す。可能なら実弾を発砲させたいがそこまで弾薬に余裕があるわけではない。誤射されても困るからだ。戦場においての一番の失態は仲間を撃ってしまうこと。戦力的にだけでなく撃った側の精神的ダメージも大きいからだ。 何事もまずは形から。ゆっくりと、栞の両腕にM4を乗せる。 「普通ならこれを一日中、いや一週間だって持ち続けられることが兵士の条件なんだけど……栞は兵士じゃない。戦闘中……そうね、一時間持ち続けられるだけの体力があればいいんだけど……自信ある?」 「体調さえ万全なら、何とか……ずっと寝たきり、ってわけでもなかったですし」 「なら信じるけど。いい? 自己管理や判断も重要なのよ。自分の体調や判断一つで仲間が死んだり、最悪全滅することだってある。自分を客観的に見つめなさい。肉体を根性論や精神論で考えちゃ駄目。もう一度訊くわ。自信、ある?」 「……あります!」 厳しさを見せ始めたリサの態度に少し戸惑っている様子だったが、今度は力強く頷いた。素直な栞のことだ、なら間違いはないはずだった。「いい返事ね」と頭を撫でてから続きに入る。 「銃を構えるときに重要なのはとにかく銃身がブレないように固定すること。発砲のときの反動も計算にいれて、それこそ梃子でも動かないくらいにガチガチに固める。ああでも力みすぎても駄目だけどね」 リサは栞を抱え込むように後ろに回ると、M4のグリップとハンドガードを手に持たせる。 「手は、ここ。でも手だけで固定するんじゃない、頬と右肘でストック(銃床)を固定する」 ストック部分をきっちりと固定させ、バット(床尾)を右肩のくぼみに定着させる。 「ちょっときついです」 「まあ窮屈なのは仕方ないわね。でもこれをしっかり維持できるようになれば後は発砲に移るだけ。さ、後は自分で持ってみて」 栞から離れて様子を見てみる。まだ慣れていない栞は窮屈そうにすり足で動いたり回ったりしている。傍から見てると滑稽極まりないが、そんなものだろう。 「うぅ、筋肉がちょっと引き攣ってきました……」 「一分も経ってないんだけど。でもそんなものよね……男ならともかく、女の子なんだし」 「すいません……でもリサさんだって女性なのに……」 情けない声を上げつつ、限界にきたのか頬と肘からストックを離し持っているだけの状態に戻る。 「私は特別な訓練を受けてきたからね。体力が違うのよ。ふむ……これだと……うん、教えるのはアレでいいか」 リサは一人納得すると栞からM4を取る。 「栞には膝撃ちを教えるわ。撃ち方は色々あるんだけど……これは汎用性もあるから。よく見ていて」 リサがそう言いながら射撃体勢に移る。 「右膝をついて、左足のつま先は目標に向ける。ライフルは右膝に対し約80〜90度開き、左肘は左膝の前方に出す。そして腿と左足のふくらはぎは出来るだけ密着させる事。体重は出来るだけ左足に多く掛け、左足は地面に平らにおき、前方から見て垂直になるようにする」 「え、えっと……?」 早口でまくし立てたためか情報を整理しきれていないらしい栞が困ったような笑みを浮かべる。 「……まあ、真似事が出来ればいいか。とにかくライフルから受ける反動を受け止められるようにするの。バランスを崩さないようにね。次は栞の番よ。見よう見まねでいいからやってみて」 「は、はい」 自信なさそうな返事だったが、それでもやる気はあるようなので教えていけばいずれは真似事くらいはできるだろう。 (宗一……どう思うかしらね、今の私を見たら) 何をやっているんだと怒るか、先生と生徒と見るか、あるいは姉妹か。 いずれにしてもいい感情は持たれるまい。だがそれでも――栞が望むなら。 リサ=ヴィクセンがその胸の内に秘めている感情が家族に向けるものだということに本人はまだ気付かないまま、教練は続く。 果たしてそれがどこに繋がるのか、分からぬままに。 【時間:2日目午前10時30分頃】 【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】 リサ=ヴィクセン 【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式×2、M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)】 【状態:焦り、栞に射撃の方法を教えている】 美坂栞 【所持品:無し】 【状態:小康状態。リサから射撃を教わっている(まだ素人同然)】 【その他:訓練を一通り終えたらまた診療所へ向かう予定】 - BACK