青い宝石2




「皐月さん……」

暗い森の中、柚原このみは途方に暮れていた。
菅原神社から走り去っていった湯浅皐月を追おうと彼女が決めたのは、皐月があの場から消えてから数十分経過してからだった。
あの場でくよくよしているだけでは何も変わらない、そう思い行動に出たこのみだが、時間はあまりにも経ちすぎている。
見渡す風景に皐月の向かった先の手がかりなど存在せず、このみは一人森に取り残される形になった。

「あう……寒いよぉ」

小さな体が震えているのは夜の温度のせいだけではないだろう。
悲しみや心細さといった負の波は、常にこのみを襲い続けている。
一日の疲労も溜まっているだろう、だがこのみはそれを駆使してでも皐月を見つけなければという義務感に捕らわれていた。
吹く風がこのみのほどけた髪を揺らす。
皐月との取っ組み合いで、このみのトレードマークであった桜の髪留めは外れたままだった。
顔に張り付く髪を手で掻き分けながら、このみはまた一つ無作為に歩を進めようとする。

(皐月さん……)

冷たい眼差しに頑なな姿勢、この島で皐月と過ごしたこのみの時間は決して穏やかなものではなかった。
むしろ皐月とこのみでは、「友達」や「仲間」といった言葉が当てはまる関係とも呼べなかっただろう。
あくまで協力するだけの、上辺だけの付き合い。少なくとも皐月はそのような態度を取り、そして言葉でも制していた。
常に感じる上からの目線、皐月に対しこのみもそこまで好ましい感情は抱いていなかっただろう。

しかしこの島に来てからこのみの隣には、皐月しかいなかった。
そして皐月にも、このみしかいなかった。
勿論お互いの元々知人も、この島には存在する。
しかし実際共に行動を取っていたのは、このみと皐月という初対面同士ギスギスした感の拭えない二人だけだった。
今、このみの中に生まれた思いは一種の責任感とも呼べるようなものだった。
決して好きな相手な訳ではない、だが放っておく訳にもいかないという観念だけが彼女に今の行動を押し付けている。

(皐月さん……)

既に方向感覚もなくなっているこのみの体に、デイバッグがずっしりとその重さを強調してくる。
今彼女の鞄には二種類の銃に大量の予備弾薬、そして人一人を葬った金属製のヌンチャクが押し込められていた。
それらの武器を神社の中に放置しておくことができなかったこのみ、彼女のデイバッグは今や凶悪な武器庫と化している。

ふらふらとした頼りない足取りがその建物を見つけたのは、時間にしてこのみが皐月の捜索を始めてから三時間程過ぎた頃だった。
古びてはいるがしっかりとした作りと外観の様子から、それがただの無作為に作られた物ではないことはこのみにもすぐに理解できた。
西洋風に彩られた雰囲気から、最初このみは美術館の類ではないのかと頭を捻った。
しかし確認したのが大分前ではあるものの、地図に美術館を表す書き込みはなかったはずだとこのみは一人頭を振る。
では何か。

「あ……」

小さく呟かれたこのみの声は、一瞬で暗闇に溶け込んでしまう。
このみの前、聳え立つそれは。
スタート地点の一つである、ホテル跡だった。





「お、お邪魔します……」

律儀に掛けられたこのみの挨拶に対し、返事は返ってこない。
自分が入れるスペースだけ開いたドアから、このみはそっとホテルの中へと足を踏み入れた。
窓から差し込む月の光が、部屋を漂う埃の姿を浮かび上がらせる。
ずっと居たら喉が枯れそうだな、と不意に思った呑気なそれにこのみは頭をぷるぷると振る。

「だ、誰かいませんか〜」

広いエントランスにこのみの声がこだまする。
しかし、いくら待てどもやはり反応は返ってこない。

「タカく〜ん、お母さ〜ん……」

ぽてぽてと、小動物のように怯えながらこのみも移動を開始する。
きょろきょろと周囲を見渡し、知人の名を呼びながらこのみはエントランスをグルグル回った。

「よっち〜、ちゃる〜……」

本当にこの建物にいるのが自分だけなのか確かめたくて、必死だったのだろう。
それこそ人を殺す決意を決めた殺人鬼にでも遭遇してしまったら一貫の終わりである、しかしこのみは声かけを止めなかった。

「雄く〜ん、タマお姉ちゃ〜ん……っ!」

瞬間、ぞっと背中を駆け上がる戦慄がこのみを襲う。
ばっと背後を振り返り、このみは何が起きたかと確認すべく視線を四方八方へと勢いよく動かした。
粟立つ肌が気持ち悪く、自身をかき抱くようにこのみは身を縮める。
そして、固定される一つの視点。
このみが真っ直ぐに射ったその先には。
レストランが、あった。
エントランスと同じく照明はついていない、喫茶室も兼ねているのだろうケースに入ったショートケーキなどの見本が見る者の食欲を擽る。
しかし相変わらずの埃により、その魅力は半減だ。
このみもケーキは大好きだった、いつもの彼女なら「美味しそう〜」と嬉しそうに見本の前に近づいていっただろう。
しかし、彼女の口から漏れたものは歓喜に満ちた物ではなく。
むしろ、何も吐かれることはなく。
ただパクパクと動かされるそこには、このみの感じる得体の知れない恐怖が詰まっていた。

(皐月、さん……!!)

ちりちりと焼けるような熱を感じ、このみは両手で自分の首に手をやった。
と同時に、自身の爪が当たりカチっと小さな音が鳴る。
それはすぐに、周囲の静けさに交じり合った。

(皐月さん、皐月さん、皐月さ)

零れそうになる涙を抑え、このみは走ってその場から逃げ出した。
一刻も早く離れたいという欲求だけが、このみを突き動かしていた。
だからだろう。足元を見ずに駆けていたこのみは、不意に躓き前のめりに転がった。

「あうっ!」

でんぐり返りの要領で投げ出された少女の体が、冷たいタイルに叩きつけられる。
痛みに声を漏らしながら、このみは何が起きたのかとまたきょろきょろと周囲を見やった。
月の光がいまいち届かない場所、そこに何か転がっている異変物があるのをこのみはすぐに発見する。
どうやら、それに足を引っ掛けてしまったらしい。
目を凝らし、その正体を見極めようとこのみはゆっくりと這うように異変別へと近づいていった。
ちょうどサッカーボールやバスケットボールのような球状の物だろうか、このみがそこまで知覚した時である。

「…………」

ぴたっと。このみの動きが、止まった。
ゆっくりと、彼女のつぶらな瞳が見開かれていく。
その時ちょうど良いタイミングで、月の光が移り異変物を瞬間照らした。
視界に収まったそれに対し、このみは小さな悲鳴を上げる。
このみが捉えたのは茶色のセミロングだった。
すこしボサボサなそれは、どこかこのみと共通するものがある。
理由はすぐ、このみの脳裏に浮かび上がった。

――争ったからだ。取っ組み合う形で、喧嘩をしたからだ。

ふと、足元に目をやるこのみ。
このみの白いソックスは、既に原型を留めていないほど真っ赤に染め上げられている。
彼女の制服には、菅原寺にてこのみが撲殺した篠塚弥生の血液が大量に付着していた。
しかし足元までは。足元までは、そこまで汚れていなかったはずだった。
もう一度、このみは異変物へと視線を戻す。
ゆっくりと、ゆっくりと近づいていき、それに触れようとすした。
震える小さな指を伸ばした、その時。
ゴロンと。寝返りをうった。
それは。
驚愕に満ちた表情で。
大きく口を開け、白目をむき出しにし。
このみを。迎えた。

「いやあああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」

腹の底から抉り出された嬌声が、静かなホテルに響き渡る。
首に感じた熱も忘れ、このみは声が枯れるまで叫び続けた。
そして、不意に頭がぼうっとなり意識が薄れていくのを彼女自身も自覚する。
それに身を任せれば、きっと精神的にも一時の逃亡を図れただろう。
しかし、このみの意識を繋ぎとめようとするものがあった。

『こんにちは』

声、少女の声。
消えかけたこのみの意識をここに縫い止らせたものは、間違いなく人の声だった。




柚原このみ
【時間:2日目午前1時】
【場所:E−04・ホテル跡】
【所持品:38口径ダブルアクション式拳銃 残弾数(6/10)、ワルサー(P5)装弾数(4/8)予備弾薬80発・金属製ヌンチャク・支給品一式】
【状態:呆然・貴明達を探すのが目的】
【備考:制服に返り血を浴びている、ソックスにも血がついている】
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