Get back love in our hands.




「……い、……おーい、起きろー……」

妙な声に、意識が浮上する。

「って、全然目覚まさないじゃん、こいつ……」

暗闇の淵から、明るい方へ。
覚醒しようとする瞬間の、苦痛と快楽がない交ぜになったような感覚。

「う〜ん……ここはやっぱり、人工呼吸だよな……」

目を開けると、そこに妖怪がいた。


***


瞬きを二回。
長岡志保が悲鳴を上げる代わりに選んだのは、とりあえず右手で作ったピースサインを
妖怪の目に突き刺すことだった。

「ていっ」
「ぎゃああっ!」

妖怪が悲鳴を上げてのた打ち回る。
まだぼんやりしている頭を軽く振りながら、身を起こす志保。
溜息をつきながら、目の辺りを押さえて芋虫のように転がる妖怪を見た。

「ったくなんなのよ、いきなり……つい目潰ししちゃったじゃない」
「……つ、つい、ですることですかねえっ!?」
「あ、妖怪がしゃべった」

ぼろ雑巾のような風体に、ところどころ焦げた金髪のアフロ。
よくよく観察すれば、否、少し冷静になってさえみれば、それは妖怪などではない。
れっきとした人間、それも少年のようだった。
悲鳴を上げるその哀れな姿には、どことなく見覚えがある気さえする。

「ええっと……」

首を捻るが、思い出せない。
意識も段々としっかりしてきたが、この島に来てからというもの短期間の内に色々なことが起こりすぎて、
記憶が整理しきれていなかった。
と、妖怪じみた少年が起き上がる。

「うぅ……ひどい目に遭った……」
「あーっ!」

その不気味に腫れ上がった締まりのない顔を一目見るなり、志保が大声を上げた。
金髪、アホ面、ぼろ雑巾。
断片的だった記憶が繋がり、志保の中で一つの形を成していく。
右手に拳銃、左手にぼろ雑巾を掲げて戦う男の後ろ姿が脳裏に浮かぶ。
そう、目の前の、人間というより妖怪に近い顔かたちをしたこれは、国崎と呼ばれていた男と共に逃げてきた、

「……ひらりマント!」
「人を指差して何言ってんですかねえ!?」

春原陽平、その人であった。


***


「で、なんであんたがここにいるのよってか生きてたんだ良かったわねおめでとー。
 それで美佐枝さんたちはどうしたのよ早く言いなさいよまったく」
「あんたは少し落ち着くって言葉を知ったほうがいいと思いますけどねっ!?」

充血した目を何度もしばたたかせて、春原が声を上げる。
腫れ上がった顔が近づけられるのを嫌そうに避けながら、志保が答えた。

「っさいわねえ。いいから質問に答えなさいよ。いい?
 まず一つめ、あたしがどうしてここにいるのか。
 二つめ、どうしてあんたがここにいるのか。
 三つめ、美佐枝さんと聖さんはどこに行ったのか。
 四つめ、……戦いは、どうなったのか」

最後の一つを口にするとき、僅かに志保が口ごもる。
それに気づいた風もなく、アフロを揺らしながら春原が面倒くさそうに口を開いた。

「……まず一つめの答え、知らない。二つめ、歩いてきた。三つめ、知らない。四つめ、以下省りゃ」
「ていっ」
「ぎゃああっ!?」

眼球を抉らんばかりに突き込まれた目潰しに転げまわる春原を見下ろして、志保が怒声を上げる。

「真面目に答えなさいよっ!」
「マジメだよっ! ってかあんたムチャクチャしますねっ!?」
「もっとやられたい……?」
「ひぃぃ!? だから本当に知らないんだって!
 変な女の子が、あんたを頼むって言ったきりどっか行っちゃったんだよ!」
「変な、女の子……?」

春原の言葉に、志保が首をかしげる。

「それってこう、髪にソバージュかけた……?」
「全然違うね。なんか小学生みたいな二つお下げの子だったよ」

ますます首をかしげる志保。
その容姿は、あの場にいた三人のものではない。
美佐枝、聖、そして槍の少女の他に、誰かがいたというのか。

「……それで、その子は?」
「知らないよ、そんなの。激戦の傷を癒そうと休んでいた僕に突然声をかけてきたと思ったら、
 気絶してるあんたを預けてどっかに消えちゃったんだから。迷惑な話だよ、まったく」
「美佐枝さんと、聖さんは?」
「誰、それ。……美佐枝さんって、相楽美佐枝さんのこと?」
「知ってるの!?」

色めき立つ志保。
しかし、春原の次の一言に悄然となってしまう。

「僕らの寮の寮母さんだよ。……ここに連れて来られてたことも、今知ったくらいだけどね」
「そう……そうなんだ……」
「……あんたと一緒にいたの?」

消沈した様子の志保を見かねてか、春原が話題を継ぐ。

「うん……けど、その……」

口ごもる志保。
記憶にある美佐枝の最後の姿は、とても言葉に出せるものではなかった。
美佐枝と聖の身を案じようにも、手がかりとなる少女はもう去った後だという。
戦いはどうなったのか。二人は無事なのか。少女とは何者なのか。
志保の中をいくつもの疑問が渦巻く。

「あ、でもそれなら」

能天気な声が、志保を思考の迷宮から引きずり出した。
何かを思い出したように春原がぽん、と手を打つ。

「なに、何か知ってるの!?」
「いや……僕はあんたを預けられただけだけど、その子が言ってたんだよ。
 自分は誰だかを助けに行かなきゃいけないから、頼む……って」
「助けに行くって、どこに!? 誰を!? どうやって!?」

血相を変えて詰め寄る志保。
その勢いに若干怯えながら、春原が首を横に振る。

「だ、だから詳しいことはわかんないって。僕の青がどうとかワケわかんないことも言ってたけど、
 怖かったからあんまり関わりたくなかったんだよ! なんかあの子、目とか青かったし!」
「使えないわねえ、もう!」
「何だとおっ!?」

吐き捨てるような言葉に春原が憤るが、志保はそれを視界に入れようともしない。
どこか思案げな、安堵と不安の入り混じったような表情で小さく溜息をつく。

「けど……そう、なんだ。きっと、美佐枝さんたちを……助けて、くれるんだよね」
「……」

その雰囲気に呑まれたか、春原が怒りのやり場を失ってつまらなそうな顔になる。
そっぽを向くと、独り言じみた声音でぼそりと呟いた。

「……で、お前これからどうすんの」
「これから……?」

言われて初めて気がついたように、志保が意外そうな表情を浮かべた。
少し考えるように天を仰ぐと、すぐに俯いてしまう。

「あたしは……わかんない」
「はぁ!?」

小さな呟きに、春原が大袈裟に反応する。

「わかんないって何さ? お前、今の状況わかってる?」
「っさいわね! あんたには関係ないでしょ!
 大体さっきから、お前とかあんたとか失礼なのよっ!」
「じゃあなんて呼べばいいのさ!?」
「何とも呼んでくれなくて結構よ!」

大声を上げたのは、不安と困惑の裏返しだった。
聖がいないのなら、診療所から器具を持ち帰っても意味はない。
だからといって平瀬村の民家に戻ったとしてもできることはなかったし、何より死にゆく少女を
一人で看取ることには、得体の知れない恐怖を覚えていた。
美佐枝と聖の行方はわからず、捜そうにもこの島には今、眼鏡の少女たちや槍の少女を始めとした
恐ろしい殺人者たちが跋扈している。
一縷の可能性を信じて診療所へ行くべきなのかとも思う。
もしかしたらそこには誰か医者がいて、事情を話せばついてきてくれるかもしれない。

「あたしだって色々考えてんのよ! だけどわかんないことだってあるの!」

無論、妄想だった。
そんな都合のいいことがあるはずがなかった。
そもそも診療所が無事なのかどうかもわからない。
例えばそこに誰かがいたとして、殺人者の類でない保証もない。
今、長岡志保には一切の指針がなかった。

「おい、助けてもらっといてその言い方はないんじゃないの!?」
「誰も頼んでないわよ!」
「頼まれたんだよっ!」

目の前の少年の態度が苛立たしかった。
八つ当たりだとわかっていても、声が荒くなるのを抑えきれなかった。

「大体あんた、何にもしてないじゃない! 寝てたあたしを見てただけでしょ!?」
「そりゃそうだけどさっ!」
「っていうかヘンなことしようとしてたんじゃないの!? 変態、サイテー!」
「はぁっ!?」

売り言葉に買い言葉だった。
これ以上、少年と顔を突き合わせているのに耐えられなかった。
踵を返し、足音も荒く歩き出す。

「お、おい、どこいくんだよっ!?」
「あんたに関係ないって言ってるでしょ! ついてこないでよ変態!」

振り向きもせずに言い返す。
歩調は緩めない。

「ま、待てって!」
「ついてこないでってば、妖怪メタボ小僧!」
「誰が妖怪でメタボなんですかねえっ!?」
「そんなお腹しといて何言ってんのよ変態、なら卵でもあっためてるっての!?」
「はぁ!?」

言われた春原は一瞬だけ己の下腹部を見てから、慌てて志保の背中を追いかけ始める。
確かに腹一杯に食べた直後のように膨らんでいるようには見えたが、それどころではなかった。
眼鏡の少女たちに追われた恐怖は春原の中に色濃く残っていた。

「ひとりにされちゃたまんないっての……!
 おーい、待てよ! 僕もついていってやるってば!」

前を行く背中はその声に立ち止まるどころか、ますます歩調を速めたように見えた。


***


観月マナの世界は、青く染まっていた。
視界一杯を覆う青いスクリーンに映し出される無数の映像と、果てしなく多層化された音声。
目を閉じれば瞼の裏に、耳を塞げばその手の内側に、誇張なしに絶え間なく流し込まれる情報の海。

それは誰かの記憶であり、誰のものでもない記憶であり、遠い過去であり、つい昨日であり、
そしてまた、まだ見ぬ明日でもあった。
来し方と行く末のすべてが、巨大な波となってマナに流れ込んでいた。
それは人という器を満たし溢れて余りある力の奔流だった。
身一つで嵐の大海を漂うにも似た絶望的な物量に、マナは磨耗し続けていた。
止まれと願い、やめてと叫び、それでも波は押し寄せる。
激動たる青がマナを包み込んでいた。

膨大な量の青を生み出しているのは、マナの手にした分厚い図鑑である。
どくり、どくりと脈打つように溢れる青い光がマナを包み込んでいた。
巨大な水玉に包み込まれるように見えるマナが、ふらつきながらも一歩を踏み出す。
と、青い光の玉もまたマナに合わせて音もなく動くのだった。

青は、止まらない。
天野美汐と名乗った女の仕掛けた巨大なGL力を秘めた十字架の陣を打ち破るために
引き出した限界以上のBL力が、制御を失って暴走しているのだと理解したのは、
皮肉にも青の奔流が映し出す無限に近い情報量によってだった。
脳髄の内側に文字列を刻み込まれるような錯覚に苛まれながら、マナは歩く。
聖の連れていたであろう少女を、あの少年に預けられたのは僥倖だった。
昨晩、マナがBL力を以ってその命を救った少年。
名は知らないが、真っ直ぐで濁りのない青を持った少年だった。
彼ならばきっと善きBLの加護があるだろう、とマナは思う。

気力は既に限界を超えていた。
今すぐにでも地面に倒れ伏し、胃の中のものをぶち撒けたい。
頭蓋を斬り割って、流れ込む記憶を洗い流したい。
だがそれは許されなかった。
聖を連れ去った天野の気配は遠く霞んでいる。
その狙いはわからないが、一刻も早く追いつかなければならなかった。
耳の中で百台の街宣車が盛大にがなり立てているような苦痛に奥歯を噛み締めながら、マナが大きく息をつく。

北へ、北へ。
一歩づつを踏みしめるようにして歩く。
それは亀の歩みのように遅いようにも感じられたし、飛ぶ鳥を遥かに置き去りにする速さのようでもあった。
時間の感覚が狂っている。
今がいつで、どれだけの時間が経ったのか、判然としない。
眼前に映し出される無限の歴史の中では、また新たな文明が生まれ、滅びていった。
青の記憶とマナの記憶の境目が、曖昧になっていく。
自身が揺らいでいるのを、マナは感じていた。
一瞬前まで、マナは観月マナだった。
しかし今、BLの使徒である前に自分が何であったのか、ともすれば思い出せなくなっている。
ゆっくりと崩れる自分の欠片を拾い上げて積み直しながら、マナは歩く。

遠くに、青を感じた。
それが天野の連れた聖の残滓であるのか、既にマナには区別がつかない。
ただ吸い寄せられるように、足がそちらを向いた。




 【時間:2日目午前11時すぎ】
 【場所:G−4】

長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】

春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】


 【場所:E−3】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv3(A×1、B×4)、BL力暴走中】
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