青い宝石




「ここは……」

今、湯浅皐月の前には一つの大きな建築物があった。
自分の荷物の中から地図を取り出し確かめてみる皐月、場所からいってホテル跡で間違いはないだろう。
菅原神社から全力で逃げてきた皐月の辿り着いた場所が、ここだった。
閑散とした雰囲気に人の気配は感じられない、それでも用心するに越したことはないと足音を潜めながら皐月は中へと足を踏み入れる。
入ってすぐの場所はエントランスだ、これはホテルなら当たり前の造りである。
高い天井にシャンデリア、明かりがついていないため不気味な雰囲気を醸し出しているがそれだけである。

「本当に、誰もいないわよね」

血濡れの少女に一つの遺体、思い出しただけで吐き気を催すその光景は皐月にとってトラウマ以外の何物でもないのだろう。
他者に対し過敏になっている今の皐月に、セイカクハンテンダケの時の冷静な面影はない。
那須宗一や伏見ゆかりなどの親しい知人等が傍にいないという現実は、彼女の心細さを膨張させるだけである。

(ゆかり……そう言えば、何かゆかりのことで考えなくちゃいけないことがあったはずなんだけど……)

セイカクハンテンダケ使用時の記憶がすっぽり抜けている今の皐月は、行われた放送の情報が入っていない状態である。
しかし大切な友人に関わることだからだろうか、微かに覚える違和感が皐月の脳に何かを訴えている。
考えようにも答えの出ないその迷宮、一先ず皐月はそのことを置いておとくことにしホテルの探索を始めた。

「うわ、綺麗……」

エントラス脇、西洋風の少女の肖像画がそこには飾られていた。
少し埃の積もったそれ、暗闇の中こちらに微笑みを向けている絵に皐月はゆっくりと近づいていく。
斜めに差し込む月の光が絵の一点を指し示していた、皐月もそれでこの絵の存在に気づいたことになる。
石。宝石か何かだろうか、光を反射し自己主張するそれは絵の中の少女の身に着けているネックレスの先端に埋め込まれていた。

「凝った作り〜、高価なものなのかな」
『こんにちは』
「え?」

声、少女の声。
皐月の耳が捉えたものは、人の声に間違いなかった。
すぐに姿勢を正すと、皐月は周囲に人の気配がないか神経を研ぎ澄まさせる。
しかし静まり返ったエントランスには足音一つ響かない、どうしたものかと皐月が首を捻った時だった。

『ここ。お姉さんの目の前、ちゃんと見て』
「……へ?」

きょろきょろと首を動かした後、先ほどの少女の絵の前で皐月の目線は再び止まった。
まさかね、そんなまさか。超常現象を目の前に皐月の頬がぴくりと引きつく。

『こんにちは』
「え、うっそ本当?! 絵がしゃべってるの?!!」
『似たようなものだけど、そう思いたいならそれでいいよ』

舌っ足らずな少女の声は年端かのいかないものに違いない。
幽霊でも乗移ってるのか、突飛ではあるがそのような発想しか皐月はできなかった。

『お姉さんに聞きたいことがあるの』

絵の少女は問いかける、それは唐突としか表せないほど場の空気を読んでいないものだった。
胡散臭げにメンチを切る皐月を無視して、少女は静かに問いかける。

『お姉さんは、大事な人のためなら人を殺すことが出来る?』
「な……っ!」

訝しげな皐月の表情が、一瞬で消し飛んだ。
少女の問いに含まれるストレートな残虐性は皐月の度肝を抜き、彼女の中に再び警戒心を呼び起こす。

『ねえ、お姉さんにも大事な人がいるんでしょ?』
「そりゃ、いるけど……」
『どうするの?』
「な、何よ急に! あんた何が目的なの?」

少女は答えない。
あくまで問う側は自分であるかのような、そんな意固地な主張にも見えるだろう。
焦りを抑えるため、皐月は大きく息を吐いた。
だがそうやって改めると、自分が今後そのような場面にあった場合どう行動を取るかなど皐月は全く考えていないことに気づく。
前はどうだったのか、思い出そうにも襲ってくる鈍痛が皐月に消えた数時間の出来事を教える気はないらしい。
ではこれからどうするのか。それは、きちんと前もって決めていなければいけない事ではないのか。
今後宗一やゆかりが危険な目に合っていた場合、皐月自身はどう動くのか。

「あたしは……」
『うん』
「やっちゃう、かもしれない」

フラッシュバックするあの光景、拳銃を抱くように抱えた少女は笑いながら皐月を見ていた。
少女の足元にいた女性、血に濡れたそれはシルエットから言って皐月の知り合いでないことは確かだった。
だが、もしあの女性が……それこそ、例えばリサだったとしたら。

「あたしは、宗一やゆかりを守るためならきっと……手を、汚せると思う」
『ふーん』
「だ、だって、当たり前じゃない! ううん、あたしがやらなきゃいけないのよっ。
 特にゆかりはこんなことに巻き込まれて、きっと心細くなっちゃってるはずだもの。
 あたしが守ってあげなくちゃ、あたしがやらなきゃ、あたしが」
『落ち着いて、お姉さん』
「っ! ご、ごめん……」

ムキになってしまっていたことに気づき、さつきは思わず押し黙る。
それによりただでさえ暗いエントランスはさらにその不気味さを増していった。
しんと静まり返ったエントランス、それは音という概念がこの場から消えてしまったという錯覚さえをも皐月に植え付けようとする。

(バカみたい、何やってんだろあたし……もう少し、落ち着こ)

そう思い、また一つ深呼吸を皐月がしようとした時だった。

『じゃあ、いいや』
「え?」

冷ややかな少女の声からは感情というものが全く読み取れず、その淡々とした雰囲気に思わず皐月は顔を上げる。
だが、浮かび上がる疑問符の形が凝固するその前に。それは、鳴った。
ピピピピピ……と電子音が辺りに響き渡る、何事かと構える皐月だが音の出所はすぐ傍であった。
目で確認することは出来ない、それは彼女の視野に入る位置に取り付けられているものではないからである。
そう、彼女の首に嵌められた首輪。音の出所はそれだった。
チカチカと警告を表すかのごとく点滅する赤の光、それは暗闇の中電子音と共に首輪が尋常でない状態であることを皐月に訴えかける。
一瞬で青く染まっていく皐月の顔色、彼女の中でも嫌な予感が瞬時に沸き立つ。

『あたし、お姉さん嫌い。いらない』

宣告。幼い少女の台詞は、その声質からは想像も出来ないほどの冷淡なものだった。
何がいいのか、いけなのか。
皐月が考える暇などない。

『さよなら。人殺しは、嫌い』

嫌悪に満ちたそれ。
皐月が最期に耳にした音はそんな少女からの悪意が込められた台詞と、耳がつんざくような爆発音だった。




【時間:2日目午前0時30分】
【場所:E−04・ホテル跡】

湯浅皐月 死亡

皐月の荷物(セイカクハンテンダケ(2/3)・支給品一式)は遺体傍に放置
-


BACK