来る。 何か思う前に、柊勝平の足は既に動いていた。 隣に位置していた職員室に勝平が飛び込んだと同時に、先ほどまで彼が佇んでいた場所を弾丸が突き抜ける。 耳をつんざく銃声、それと共に鳴り響いた男の笑い声に対する苛立ちよりも、勝平の中に湧き上がってきたのは焦りという名の感情の乱れだった。 (落ち着け、落ち着け……っ!) 自分に言い聞かせると同時に改めて電動釘打ち機を構える勝平、職員室の机の脇に隠れながらも減った分の釘の数を彼は慌てて確認する。 勝平の指先は震えていた。彼の上下の歯が奏でる雑音も、恐らく恐怖からのものではない。 ただただ、勝平は混乱していた。 「どこ行った、ガキがぁ!!」 乱暴に引かれた職員室のドアが悲鳴を上げる。 その大きな音も、プレッシャーの一つとなり勝平を襲いだした。 先ほどまであった、勝平の胸の中に灯った温もりは既に掻き消えている。 また、その温もりを作り出した少女がどうなったか、勝平は確認していない。 ただ分かるのは。 「舐め腐りやがって……オラァ、出て来い!」 突然現れたこの男が、勝平の中に生まれかけた新しい思いを壊したということ。 蓄積されていたはずの積み重なったものを、崩したということ。 一つの答えが出るはずだった、それを導くために必要だった鍵を。 無残にも。この男は、破壊した。 何が起きた、その過程を勝平が反芻する暇などない。 しかし、今の勝平にその必要はないだろう。結果は既に出ているのだから。 (あいつが……壊した) 何に対する怒りなのか、それを噛み砕いている余裕も勝平にはない。 ただ勝平が理解できるのは、この現実を導いたのがあの怒鳴り声を上げている男だという事実のみである。 一つ大きく深呼吸をし、勝平は体に走る震えを止めた。 握り締めていた電動釘打ち機を構えなおす勝平、男は無用心にも声を上げながら移動をしている。 その足音の大きさも、男の大体の位置を勝平に教える材料となっているのを彼は気づいているのだろうか。 追い詰める側と追い詰められる側、男の中に出来ている方程式が勝平に与えられたチャンスであった。 「殺してやる……僕の邪魔をした奴は、みんな殺してやる……」 呟き隠れていた机の下から這い出ると同時に、勝平は釘打ち機の引き金を引いていた。 それからは二人、ひたすら教室の中を目まぐるしい形で動き回っていた。 勝平も男も引く様子は一切ない、整列された教員用の机の類は無残にも歪められそれが新しいフィールドを作り上げている。 限られた弾を惜しむ様子もなく男は発砲を繰り返した、勝平は寸でのところでそれらをかわしながら電動釘打ち機の引き金を引いている。 二人とも沸点を越えた怒りに身を包んでいるのであろう、血走った眼差しが双方のそれを物語っている。 相手を仕留めようとする意志の強さは互角であった、そこに存在するのは装備の違いと、そして。 「……はぁ、はぁ……っ!」 持ちえる彼等自身の、体力の差だった。 息切れと表すにはあまりにも掠れた痛々しいそれは、勝平の喉が捻り出しているものである。 極限の状態での撃ち合いは、彼等の体力だけでなく精神をも啄ばみ始めていた。 そこで現れた暦全とした物が形となる、向かい合う男には気づかれないよう勝平は慌てて自身の口へと手をやった。 吹き出る汗の量も尋常ではない、ただでさえ弱っている勝平の体を酷使した結果がこれだ。 痛む胸を顧みる余裕はない、しかし訴える鈍痛が勝平への限界を囁き始める。 膝を突き再び釘を補充する勝平の耳に届いた靴音は、間違いなくあの男のものだ。 ……この状況、全てにおいて男に有利なモノへと変化している。 (嫌だ、こんな所で終わるわけには……っ) 焦りの色に染まってはお終いだ、何か策を練らねばと勝平は脳をフル回転させながら自身のバッグへと手を伸ばした。 火力では劣っているかもしれないが、今の勝平には道中で徴収した数々の武器がある。 それらを駆使して、勝平は何とか男を撃退せねばならなかった。 (パイナップル……) その中でふと勝平の目に止まったのは、藍原瑞穂の支給品であるそれだった。……正直勝平にとって苦い思い出としか言いようのないものだろう。 また相手が藤林杏以外でも、やはりこれが原因で自身が不利益を負った記憶を勝平は何となくではあるが、所持していた。 とにかく手榴弾と勝平の相性は最悪だった。しかしこの場で一番火力の強い武器となると、勝平はそれを上げるしかならない。 どうしたものかと勝平が眉間に皺を寄せていた時だった。 「見つけたぞ」 隠れていた机と椅子の陰、膝をついていた形の勝平へと覆うようにできた影は男の作ったものだった。 邪悪な笑みに睨まれる形となり、勝平の喉が小さくなる。 勝平は右手に電動釘打ち機、左手に手榴弾を握り締め固まっていた。 どうするか、男の手には拳銃が握られているだろう。これは確実だ。 男を撃退するにはどう動けばよいのか、勝平は眼だけ動かし手榴弾を顧みる。 この距離投げつければ致命傷を与えることができるのは確実だ、しかしその場合勝平自身も被害を被るだろう。 無事で済むわけがない。その言葉の指す意味が何なのか。 「……」 見開かれた勝平の瞳が映す景色が、一瞬闇に染まる。 色が消えるということ。堕ちたら戻ることの出来ない光が存在するということ。 それは、一度命を失わないと体験できない恐怖だろう。 「うわああああああ!!」 次の瞬間勝平はすぐ傍にあった教員用の椅子をすべらせると同時に、電動釘打ち機の引き金を引いていた。 縮こまっていた勝平に対しすっかり油断していた男は、椅子の攻撃をもろに下半身へくらったと同時によろめきながらも銃を構えなおす。 しかし、もう遅い。勝平の釘は放たれている。 男が何か言葉を発するまでもなく、飛び出した釘は連続して男の腹部へと飲み込まれていた。この間五秒にも満たない。 自身が漏らしている息の音と大きく弾んだ心臓のそれが勝平の聴覚を刺激する。 倒れゆく男が背面から地に落ちることにより響き渡った振動で、やっと勝平は体の震えを止める事が出来た。 (ど、どうなった……?) 身動きを取らない男の様子は、勝平がすべらせた椅子の位置も問題となり視覚での完璧な判断を出すのは難しくなっていた。 しかし死の色を垣間見た今の勝平は、易々と男に近づくという行為自体に対し恐れをなしている面がある。 それに、男はかなりの釘を腹部へ受けていた。藤林杏の件もあり、まず助かる見込みはないだろうと勝平はそう思い込んだ。 ……勝平の精神状態はかなり不安定になっている。 それは先ほどの争いで減った体力や、その前に起きた事も関係しているに違いない。 「そうだ、あいつ……!」 男に拳銃で撃たれた少女の存在を思い出し、勝平は廊下に出るべくすかさず立ち上がった。 このまま逃げる。その選択肢も図らずとも視野に入れていたのかもしれないが、そんなことを考える余裕も勝平にはなかっただろう。 脱兎のごとく、勝平はそのまま振り返らずこの場を後にする。 駆ける勝平、右手に電動釘打ち機、左手に手榴弾をぎゅっと握り締める彼の表情から平常心という文字は読み取れない。 入り組んだ机の隙間を這うように躍り出た勝平の息は荒いままだった、いや、断続的なそれはむしろひどくなる一方だ。 しかしそれが、一瞬止まる。 勝平が少女の姿を視野に入れたと同時に、ドクンと一つ高鳴った胸が勝平に呼吸の苦しさを忘れさせる。 予想していなければいけなかったこと、むしろ起こった事象に対しそれが当然であることを勝平は理解していなければいけなかった。 「かっぺい、さん……」 薄暗い廊下、ポツンと在る一人の少女。 少女こと神尾観鈴は、浅い呼吸を繰り返しながら静かに横たわっている。 小さな声。それが自身の名を指していることに気づくと同時に、勝平は観鈴の元へと急いで駆け寄った。 観鈴の片手は真っ赤に染まっている、それは彼女が腹部に左手を添えていたからである。 最初は観鈴の身に着けている衣服が黒いワンピース上の制服だったからか、勝平もすぐには気がつかなかった。 だが廊下の窓からもれる月の光の下、彼女の衣服がかなりの湿り気を帯びていた事実に勝平は愕然となる。 それに観鈴の横たわる廊下には、衣服が吸い切れなかった液体による小さな水溜まりも生成されていた。 出血の量は決して少ないものではない、すぐの手当てが必要であるというのは勝平にもすぐに理解できたであろう。 そして、それが被弾したことによる傷だという現実に、勝平はやっと事の重大さに気づくのだった。 「おい、起きれるか?!」 肩の下に腕を回し観鈴の体を起こそうとする勝平だが、決して体格が良いとは言えない彼では上手く観鈴を持ち上げることは難しい。 何とか足に力を入れようとするものの、先の争いで体力も使い切ったに等しい勝平の体は彼の意思に反するばかりである。 しかし時を無駄にしている暇などない、とにかく最優先は観鈴に手当てを施すことだった。 このまま持ち上げられないからと言って、地団太を踏んでいるだけでは状況は悪くなる一方だ。 一つ大きく深呼吸し、どうすればいいか今一度勝平は考える。 (男だろ、こういう時に動けなくてどうするんだよ……っ) 勝平はいまだ右手に持ったままである電動釘打ち機を捨て、改めて観鈴の腰に手を回した。 柔らかい少女の体が密着するが邪念に気をやる余裕もないのだろう、勝平はそのまま観鈴を引きずるように廊下を移動しようとする。 保健室は一階にあったはず、記憶を辿り一刻も早くそこに行かなければと勝平はただただその一点だけを考えた。 観鈴を死なせないために、勝平には本当にそれだけであった。 何故やどうしてという理由付けなど関係なく、純粋に。 観鈴を、死なせるわけにはいかないと。勝平はそれだけを、思っていた。 しかし踏み出そうとした勝平の一歩が、埃積もる古臭い廊下に辿り着くことはなかった。 その代わり投げ出された体が地面へ強かに打ち付けられ、与えられた痛みに勝平は思わず言葉を漏らす。 突き飛ばされたという事実、決して強い力ではないものの勝平のアンバランスな体勢を崩すには充分な力であったそれ。 何が起きたのか、勝平が認識する前に聞き覚えのある銃声が再度吼える。 尻餅をついた状態の勝平、目線は前方のみに集中する。 見開かれた勝平の瞳に映るのは、こちらに向け両手を突っ張るように構える少女、観鈴のよろめく姿のみ。 立ち上がらせようと支えていた観鈴が、勝平を突き飛ばした犯人であった。 何故こんなことを、勝平が考える前に響いた発砲音と共に、凶器が彼女の肉に突き刺さる。 再び観鈴の体は崩れる、今度は前のめりに倒れた。 勝平はそれを見ていることしかできなかった。 溢れる血液、床に広がるそれは新たな傷口から漏れ出たものである。 笑い声。他者に不快感しか与えないそれは職員室から響いている。 聞き覚えのあるその声は勝平と争っていたあの男のものだ。 這いずり、職員室の中を覗きこむようにした勝平の目に映ったのは、先ほど倒れていた場所から銃をこちらに向け大声を上げている男の姿だった。 いつの間にか、勝平の気づかないうちに男は起き上がっていた。 腹部に大量の釘を受けたはずの男は、五体満足で笑っていた。 笑っていた。 庇われた。その事実。 撃たれた少女は地面に沈む。 男は笑う。襲撃者は愉快そうに、勝ち誇ったように笑い続ける。 再び刻み込まれた光景。苦しそうに呻く観鈴。 存在する二択。 勝つか負けるか生か死かどちらか一方の世界二択。 殺すか殺されるかどちらか一方の世界二択。 殺される側の人間殺す側の人間二種類。 観鈴は殺される側の人間となった? 勝平の中で何かが切れた。行動は瞬時に起こされる。 嘲笑としか言い表せない、人を見下したそれは今もまだ続いていた。 覗き込んでいた扉から勝平はずっと左手に握り締めていたものの安全装置を一瞬で抜き取り、それを無言で投げつけた。 投げ込むと同時に観鈴の体を引き寄せ廊下の隅へと転がり込む勝平、男の笑い声が止まる。音が消える。 勝平が投げつけたもの。それは男に追い込まれた時から握り締めていた、勝平の所持品でも一番火力のある手榴弾だった。 一拍後。 強烈な耳をつんざく爆発音と同時、閉鎖された職員室の中が白い煙で包まれた。 覆うように観鈴を抱きしめた勝平の背に、塵を含んだ爆風が襲い掛かる。 しばらくの間視界が晴れることはなかった、勝平はその間にと抱きしめていた観鈴の様子を省みる。 「……はぁ、あ……」 腕の中から不意に漏れた観鈴の呻き声、一段と白くなっていた彼女の顔色に勝平はどうしようもない痛みを覚えた。 大丈夫かなんて声をかけられる余裕も、雰囲気も、既に掻き消えている。 新しく受けた傷口からだくだくと漏れていく彼女の生命力、弱っていく観鈴を前に勝平はあまりにも無力だった。 「くそっ、ボクにどうしろってんだよ……」 「勝平さん……気にしないで、欲しいな。これ、ね、決まってたの……。 生き残った、場合、私が今日の夜、お腹撃たれるていうのは……決まって、たの」 「お前、何言ってっ!」 「世界にも法則がある、の……その一つ、だから……」 そう言って、観鈴は右手をゆっくりと勝平の頬へと寄せた。 観鈴の左手は血塗れている、それは最初の被弾箇所を左手で押さえていたからである。 だが彼女の右手は綺麗なままだった。 こんな状況でも、観鈴の右手は傷一つなく清らかなままだった。 頬に触れるその温度に戸惑いが隠せないのだろう、勝平は無言で瞬きを繰り返す。 「でも、二発は初めて……だった、から……観鈴ちん……だぶる、ぴんち」 そして、瞬きを繰り返すうちに勝平はやっと気づく。 観鈴が何を言っているのか、その意味を。 「お前、覚えてるのか」 「うん、覚えてるよ……全部……」 「ぜ、全部って……」 「私達のせいで、勝平さん……死んじゃった、こと。全部、知ってる……。 ごめん、なさい……でもね、殺すつもりなんて……なかった……私達、杏さんも、みんな」 「嘘だ! そんな……っ!」 呼吸をするにも苦しいはずの観鈴だが、いつにも増して彼女は饒舌だった。 そして彼女が口を開く度にどれだけの体力を消耗しているのか、勝平はそれを見落としている。 観鈴の告白に対する衝撃が勝平の中で圧倒的な存在感を見せ、彼の感覚を鈍らせていた。 「だから、『今回』は、私、勝平さんには……生き残って……欲しいって、思った……。 『今回』……勝平さん、杏さんに襲い掛からな、かった。 だから、違う形になると思った……でも、勝平さん、来ちゃった……どうして、だろ。 これも、法則なのかなって……思った……私には、分からない……」 にはは、という観鈴特有の笑みが。続くはずだった。 しかし代わりに出たのは苦しそうな咳の連続であり、観鈴はそのままぐったりと脱力したように勝平へともたれ掛かる。 苦しそうに血液を口から漏らす観鈴の姿は、痛ましいとしか言い表せない。 勝平は混乱を隠せぬまま、その様子を呆然と眺めていた。 「勝平さん……杏さんを、許してあげてぇ……。杏さん……泣い、てた……凄く、苦しん……で、た……」 勝平は答えられなかった。何も、答えられるわけがなかった。 今までの己の行動と結果が、勝平から言葉という媒体を奪っていた。 この島で、勝平にとって仲間と呼べる人間は一人もいなかった。 勝平自身が作ろうとせず、相手を蹂躙することだけを考えていたことも原因の一つだろう。 殺される前に殺す、それがルール的にも身を守るには一番安全な指針であると勝平は疑うことなく思っていた。 生き残って欲しい。こんなことを言われるなど、勝平にとって予想だにもしない事である。 そして溶けることになるいくつかの疑問も、じわじわと勝平を苦しめた。 何故こんなにも神尾観鈴という少女が懐いていたかという理由は、今この場で明らかになる。 彼女の思いがそこにあったということ。そのなんと重いこと。 予想外の事実に混乱が隠せないのだろう、勝平はいやいやと頭を振りながら無言で観鈴の瞳を見つめていた。 与えられた一つの真実、勝平がそれを受け入れるには時間が必要となるに違いない。 しかし、時が待ってくれることもなく。 刻一刻と過ぎていった時間は、ついに観鈴を終末へと導いていく。 「にはは……最後に、お願い……聞いてもらって、いい……?」 「お、おい、何だよ最後って」 観鈴以上に覇気のない勝平の声、観鈴はにっこりと微笑みそれを流す。 「……ループを、止めてぇ」 いまだ勝平の頬に触れたままであった観鈴の右手、清らかな右手。 小刻みに揺れるそれが、彼の首へと回される。 弱々しく引き寄せてくるそれに、勝平は抗うことなく身を任せるしかない。 徐々に近づいていく双方の瞳、距離がゼロになるその手前。 自然と合わされる、唇。 滑りを覚えそれが観鈴の血だと勝平が自覚する前、彼の視界は転換させられた。 脳裏に流れた観鈴の言葉と共に。 ―― 私の断片、受け取って ※ ※ ※ 次の瞬間、勝平の目の前には真っ青な世界が広がっていた。 強い風に負けそうになる体を懸命に押さえつけ、勝平は辺りをゆっくり見渡そうとする。 まるで高層ビルから階下を見下したような光景が、勝平の視野を彩っていた。 いや、それ以上だ。はるか遠くに位置する地上に対し、勝平は思わず呆けそうになる。 ここがとてつもなく高い場所であるということだけは、勝平にも理解できた。 しかし一体どうなっているのかまでは皆目検討もつかないだろう、勝平が途方に暮れかけたときのことである。 彼の横を、何かが横切っていった。 予測していなかったものの登場に勝平は慌てて振り返り、それが何なのかを確認しようとした。 空を切る二枚の翼、真っ白なそれが世界の青に溶け込むことなくそこに存在していた。 鮮やかな長い黒髪も気持ち良さそうに風に舞っている、翼の生えた少女は勝平を気にすることなく自由に空を飛んでいた。 真っ白な翼を広げ、空を上っていく一人の少女。 そう。今勝平がいるのは、空だった。 勝平自身も浮いていた、空を飛んでいた。 突然の状況に混乱が隠せず、勝平は無言で少女の姿を見つめ続けていた。 微かに見て取れた少女の表情の幼さが観鈴と重なり、勝平の鼓動が一つ鳴る……と同時に、世界にまた変化が起きる。 空の青が掻き消えると、今度は随分と地味な世界が現れた。 こじんまりとした小屋、シンプルな造りの部屋の中には何かを映し続けるテレビが在る。 そして、それをじっと見つめる女の子。 小さな、小さな女の子。 勝平は無言でその風景を見つめていた、先ほどのような体感を覚えることはない。 「……?」 不意に、女の子がこちらに振り向いてくる。 目が合ったような感覚を受け、勝平は一瞬体を震わせた。 あどけないその表情、無垢なる視線にどう対処していいか分からず勝平は黙り込むしかなかった。 「あ」 少女の声。驚いているのか、その妙なイントネーションが勝平の印象に残る。 だがそれだけだった。勝平の視界は、急遽その場でシャットアウトされる。 世界の終わりも、また観鈴の声と同時に告げられるものだった。 ―― にはは。お姫さまに、よろしくね つい先ほどまでよく聞いていたそれが妙に懐かしく感じる勝平に、現実が舞い戻る。 ※ ※ ※ 呆けそうになる頭に渇を入れる、勝平は頭を振ると同時に霞みかけた意識を覚醒させた。 景色は先ほどまでと同じ学校である、職員室の中に篭っている煙がまだ晴れきっていないことから時間もそこまで経っている訳ではないだろう。 一体何が起きたのか。勝平に明確な意味は伝わっていない。 二つの不思議な光景、その余韻に浸りそうになりかける勝平はふとその世界へ彼自身を誘った少女の存在を思い出した。 「……神尾?」 温もりは残っているものの唇は既に離れている、観鈴は勝平腕の中身動きを取ることなく脱力していた。 瞬間、不安が勝平の中を駆け巡る。 気づいたら自然と呼んでいたその名前、思えば勝平が彼女の名前を口にしたのは初めてだったかもしれない。 「神尾……ちょっと、神尾!」 張り上げる。だが、勝平のそれに対し反応は返ってこない。 「どうして……どうしてだよ……っ!」 強く抱きしめた観鈴の体はいまだほのかな温もりを保っている、勝平はそれがせつなくて仕方なかった。 閉じられた瞳が開かれる気配はない。 にはは笑いを繰り返していた頬が、再び緩む気配もない。 清らかだった彼女の右手は、力を失い地面へと投げ出されていた。 投げ出された地面は、彼女の血液で湿っていた。 清らかだった彼女の右手も、今は左手と同じように真っ赤に染まっていた。 いくら勝平が声をかけても、観鈴がもう答えることはない。 彼女の心拍数は既にゼロ。 観鈴の世界は、終わっていた。 『あいつみたいなのが、絶対、こんな……くだらない殺し合いを、変えてくれる、はずなんだよ……。 俺みたいな、殺すことを納得した人間じゃ……駄目、なんだ……』 染み付いた相沢祐一の言葉が、勝平の中反芻される。 戸惑い、混乱、それら全ての感情がミキサーにかけられた状態の勝平の頭の中、それだけが一際輝いていた。 「やってくれたな、あのガキが……」 一人森の中を進む男、岸田洋一が苛立たしげに一つ舌を打つ。 先ほど岸田が脱出した鎌石村小中学校の外観を見上げると、その一角からはいまだもくもくと白い煙が漏れていた。 「それにしても危なかったぜ、あのガキ何て無茶しやがる」 咄嗟に動いた岸田の体、勝平が放り込んできたものが手榴弾と認識できたと同時に岸田は背面に位置する窓に向かって駆けていた。 そしてごく自然に壁際の窓を開け、そこにある水道管を握り衝撃を殺しながら飛び降りた。 一拍後。 爆裂音と共に粉々になったガラスの破片が降り注いでくる、だがそれだけだ。 岸田は無傷で、あの絶体絶命になりかけた場面から逃れることができていた。 「今日の俺は冴えているな、絶好調だ。あのガキも次こそは仕留めてやる」 即退路を確保できたということ、それは自身の冴え渡る『勘』に他ならないと岸田は思い込んでいた。 実際彼が自覚していないのだから、そうと言い切ってしまってもおかしくはないだろう。 「ふー、これももういいか。クソッ、重かったぜ」 徐にベルトを緩め、腹部に仕込んでいた物を取り出す岸田。 英和辞典。それは岸田が回収した、藤林杏の荷物に入っていたものだった。 いざという時にためにと腹部をガードする意味で岸田だが、正にそれが役に立ち彼は奇襲に成功する。 「殺しちまったのが女っつーのも勿体無かったが……まあいい、代わりはいくらでもいる」 これも岸田曰く、冴え渡る『勘』により起こした策だった。 記憶にはなくとも自然と体が覚えていたという事象、岸田は正にそれに助けられただけだった。 しかもうち一つは、彼自身が煮え湯を飲まされたものである。 岸田は気づいていない、しかし気づいていないからこその。 「さあ、さっさと新しい獲物を見つけねーとな……」 最優先される欲望が、そこにはあった。 柊勝平 【時間:2日目午前5時半】 【場所:D−6・鎌石小中学校二階・廊下】 【所持品:手榴弾二つ・首輪・和洋中の包丁三セット・果物・カッターナイフ・アイスピック・支給品一式(食料少し消費)】 【状態:呆然、衣服に観鈴の血液が付着している】 岸田洋一 【時間:2日目午前5時半】 【場所:D−6】 【所持品:カッターナイフ、拳銃(種別未定)・包丁・辞書×3(英和、和英、国語)支給品一式(食料少し消費)】 【状態:次の獲物を探す】 神尾観鈴 死亡 電動釘打ち機5/16は廊下に放置 観鈴の持ち物(フラッシュメモリ・支給品一式(食料少し消費))は観鈴の遺体傍に放置 - BACK