その山の頂へ




「壊滅……!?」

搾り出すような声は久瀬のものだった。

「まさか同士討ちとはな……D−6付近で連絡を絶ったユニットか」

坂神蝉丸が、腕組みをしたまま渋面で答える。
島の北東部を廻ったB隊の約半数が連絡を絶って、一時間強。
探索に出した部隊からの連絡は、予想を遥かに超えた惨状を示していた。
隊列を離れた数千の砧夕霧は島の北東部全域に広く展開し、午前十一時を少し回った頃、あろうことか
その全員が一斉に殺し合いを始めたというのである。
互いに意識を共有することでユニットを構成する砧夕霧としては考えられないことだったが、
事実、惨禍はとどまるところを知らずに拡大。
十分を待たずにそのほぼ全員が殺害され、少数の生存者もまた、己で己の命を絶ったという。
生存者に意識共有の再設定を試みた捜索部隊が強度のノイズを発信し、離脱者と同様の異常を見せるに至って、
観測は完全に打ち切られた。

「……『壊れるのは、楽しい』。どういう意味だと思いますか」

久瀬が口にしたのは、異常を来した捜索部隊の夕霧が最後に残した言葉だった。
蝉丸は額に深い皺を刻みつつ、小さくかぶりを振る。

「判らん。そして我々には分析する時間も、材料もない。考えるべきことは、他にある」
「……そう、ですね」
「現状では対策も存在しない原因不明の異常、……だが、僥倖もあった」
「はい。残存部隊を先行させておいたのは正解でした。もし合流を待たせていたらと思うと、ゾッとします」
「B隊の残存兵力はそれでも三千四百、再編成の完了したC隊が六百。この本隊と合わせれば、
 我々にはいまだ九千近い兵力が残されている。後は……」
「……機を窺うしか、ありませんね」

言って見上げた、その先。
神塚山山頂に、二つの巨大な影があった。
難敵・長瀬源蔵と古河秋生を葬った砧夕霧の巨大融合体を、いとも容易く灰燼へと帰せしめた黒い機体。
そして、その黒い機体と同系統のスペックを持つとみられる白い機体。

「あれがいる限り……突入は難しい」

神塚山の北、西、南。
三方の山道を制圧しておきながら、頂上を前にして待機を強いられることに苦渋を滲ませる久瀬の声。
その久瀬の肩に手を置いた蝉丸が、鋭い眼差しで頂上を見つめながら、静かな声で告げる。

「今この時を耐えれば、機は必ず来る。我々の往くべき時を、見逃すな」

蝉丸の手の重みを感じながら、久瀬が頷きを返す。
その側に佇む、砧夕霧群の中核をなす少女は、無言のまま頂上を見上げている。
数千の視線が静かに、山頂で繰り広げられる戦闘の行く末を見守っていた。


******


「―――これで、ラストっ!」

手にした薙刀を振り抜く。
少女の外見からはとても想像できぬ力と速さの一閃に、相対していた眼鏡をかけた少女の頭部、その上半分が、
まるで内部から爆破でもされたかのように弾け飛んだ。
顔といわず手足といわず真っ赤に染め抜いたような少女の全身に、返り血が新たな赤の斑模様を描く。

「またあたしの勝ち! ……えーっと、」
「……今ので六百三十二対、五百八十九です。勝ち誇るならそのくらい忘れないでください」

振り向いた少女に、静かな声がかけられる。
木陰から現れたのは、薙刀の少女と同じように全身を赤く染めた女である。
手には鮮血の滴る鉈を下げていた。

「なんだ葉子さん、もう五十体近く差がついてるじゃない。やる気ないの?
 いるわよねー、負けが込んでくると手を抜くタイプの人って」
「……人の話、聞いてませんね」

鹿沼葉子が薙刀の少女、天沢郁未を見やって嘆息する。

「私たちには時間がないと、何度も説明したでしょう」
「んー、そりゃ聞いたけどさ……」

返り血が乾いて固まった髪を指でつまんで顔を顰めながら、郁美が答える。

「でも本当なの? この雑魚どもを正午までに―――」

言って、見上げる。

「この山の天辺から片付けなきゃならない、ってのは」
「……正確には、正午までに光学戰完成躰を徹底的に排除し、砲撃を阻止することです。
 この島の全域を射程圏内に収められる神塚山山頂を制圧することは最低条件に過ぎません」
「正午、ねえ……」

得心が行かない様子で、斃れた夕霧を足先でつつく郁未。

「光学戰完成躰は、太陽光線を最適効率で熱量に変換するための兵器です。
 南中の正午、その威力は最大となる……島ごと蒸発したくなければ、急いでください」
「……へいへい」

呟いて山道を登り始める郁未。
口調の割りに疲れを感じさせぬその背中に、ふと葉子が声をかける。

「……郁未さん」

それはどこか儚げな、奇妙に低く響く声だった。
郁未は振り向かない。無言で足を進めている。

「ご存知の通り、私は光学戰試挑躰……完成躰であるあれらの、いわば原型です。
 私は、私自身の過去と訣別するために、あれと戦おうとしているのかもしれません。
 ですから、もし……もしも私が、この先の戦いで―――」

葉子の言葉は、そこで途切れていた。
振り向かぬまま進む郁未の声が、葉子の独白じみた言葉を遮っていた。

「格好つけてんじゃないわよ」

呆れたような声。
肩をすくめ、ため息をついて首を振る仕草までが目に浮かぶような、声だった。

「そういう台詞は濡れ場の一つもこなしてから言うことね、Aクラスの鹿沼葉子さん」

Aクラス。
懐かしい呼び方だった。
今はもうない教団の、痛みを伴って思い起こされる呼び方。

「……」

一瞬だけ呆気に取られたような葉子だったが、すぐに目を閉じて、笑った。
先を行く郁未は、振り向かない。

「―――そうですね。急ぎましょう」


******


沸いてくるのは、力。
捻じ伏せるのは、恐怖。

一歩を進むごとに、胸の高鳴りを感じる。
見上げる先に待つ、越えるべき壁。

うなじを撫でる風の心地よさに目を細め、来栖川綾香は大きく息を吸い込んだ。
肺腑の中で酸素が燃えるのをすら感じ取れるような、鋭敏な感覚。
一片の曇りもなく澄み渡る視界が、目指す高みの近いことを教えてくれる。
天気は快晴。
立ち込めていた雲は吹き荒ぶ風に散らされて、今はもう見えない。

ずっと纏っていた銀色の鎧を脱いだ今、身体は羽根のように軽い。
片掛けにしたバックパックを背負い直して、拳を握る。
握った拳を、じっと見つめた。
震えはない。力みもない。
そこにはただ、来栖川綾香という人間の歩んできた道だけがあった。
人を制し他を圧し、万難を穿ち貫いてきた、小さく、醜く、何よりも固い拳だった。

視線を上げる。
一際強い風が、吹き抜けた。
風を厭うように、綾香が軽く首を傾げるような仕草をする。
傾げた綾香の側頭部、その数ミリ脇を、光が迸っていた。
同時、その背後で大きな岩が爆ぜ、砕けた。

轟音に振り返ることもせず、綾香は静かに歩み続ける。
その上体が、ゆらりと揺れた。
と、やはりその刹那、背後で光と熱が弾ける。
視認と同時に着弾する、それは紛れもない殺意を持った攻撃であった。

空を写した綾香の目が、白く輝いた。
その瞳が捉えていたのは、綾香とその周辺を灼き尽くさんとする、砲撃の嵐だった。
しかし綾香は歩を止めない。
奇妙によろけるが如きその歩みで、驚くべきことに、飛来するすべての光をかわしてみせていた。
揺らめくような手足の運びと、何気ない体重移動。
ただそれだけの動きを、怒涛のような砲撃は捉えきれない。
立ち昇る陽炎に包まれて、山道周辺の岩場と草木だけが空しく焼かれていくのみだった。

雨のように降り注ぐ光の中で、綾香が静かに微笑んだ。
背のバックパックに差し入れられた手が、次の瞬間には何かを掴み出している。
買い物帰りに林檎を齧るような、何気ない動作。
しかし、白く並びのいい歯が瑞々しい果肉の代わりに銜えていたのは、小さなプラスチック片だった。
手榴弾の、安全弁。
細く編まれた輪のようなそれを吐き捨てると同時。
恐るべき殺傷能力を秘めた小さな球が、天空高く放り投げられていた。
無数に飛来する光の束の、そのすべてを縫うように、黒い球が飛んでいく。

ほんの数瞬の間を置いて、綾香の遥か前方に炎の花が咲いた。
きっかり一呼吸分、砲撃が止む。
そして次の瞬間、煌いた光は、先刻に倍する密度で蒼穹を埋め尽くした。

熱風と爆風で、短い黒髪がさわ、と靡く。
牙を剥くように、綾香が笑みを深くした。


******


「―――こういう夢を、みていたい、か」

その女は、ひどく疲れたような声で呟くと、自嘲に満ちた苦笑を漏らした。

「青い、青い感傷だ。……なんだ、私もまだまだ若いじゃないか」

目尻に幾重にも皺の寄った女がするように、小さく肩を落として重いため息をつく。
泥濘の中を歩くような足取りに、滓が溜まったように丸められた背筋。
見る者にある種の物悲しさを抱かせる、それは幾層にも積もった年月の重さだった。

「眠りたい。……もう眠りたいな。眠りたいが……」

億劫そうに目を眇めて、空を見上げる。
澱んだ視線の先、蒼穹の彼方に、小さな白い点があった。
有明の月のような、薄ぼんやりとしたそれは、しかし次第に明るく、すぐに眩いほどに輝きだした。
天に生まれたもう一つの太陽のようなそれが、割れ砕けた。
否、それの纏った光が、幾筋にも分かれて地上へと降り注いだのだった。
耳を劈くような轟音が辺りを揺るがす。

「……見届けなければ、ならない……か」

大儀そうに俯いて首を振り、深く、深く溜息をついた。
それはまるで、老いのもたらす腐臭が、口から漏れ出したようだった。
溜息に女の呟きが混じる。

「貴女は、あちらを。私は、あれを」

奇妙な言葉だった。
女の周囲には、誰一人として存在しなかった。
にもかかわらず、女は側に誰かがいるような口調で呟きを漏らし続けている。

「いつものことだ。毎度のことだ。……それでも。
 それでも見届けねばならないと、貴女は言う」

恨めしげな、しかしどこへも矛先の向かぬ、鈍い憤りと諦念の入り混じった声だった。
年月という壁の前に磨耗した、目を背けたくなるような、醜い声。

「見届けて、覚えて、覚えて、覚えて……それが何になる。
 意味も分からず、ただ諾々と繰り返すだけの歳月に、貴女も疲れきっているというのに」

言葉を切り、ふと遠くを見やる。
そちらに広がるのは静かな森。
木々の向こうには小さな集落と、その果てには、海が広がっているはずだった。

「―――ねえ、お母さん」

それはどろりと糸を引くような、呟きだった。
一日の終わりに煽った酒を口元から垂らしながら呟かれるような、そんな言葉だった。

「……眠りたい。わたし、もう眠りたいよ……」

水瀬名雪と呼ばれる女はそれきり口を噤むと、ゆっくりと歩き出した。
その行く手では、再び轟音が響き渡っていた。


******


朗々と、咆哮が響いていた。
聞く者を怖気立たせ、生存本能に警告を鳴らさせる類の、それは獣の咆哮だった。
燦々と陽光の降り注ぐ周囲の景色を、まるで夜の森とでも錯覚させるが如き唸り声をあげていたのは、
巨大な体躯を誇る、一頭の精悍な獣だった。

白く艶やかな毛並みに走る漆黒の縞模様と、その下に息づくしなやかな筋肉の脈動。
大地を踏みしめる逞しい四肢、唯の一振りで獲物を引き裂く鋭い爪。
真昼の太陽の下でも爛々と光る瞳。
ずらりと並んだ鋭い牙の間から見え隠れする、ザラついた桃色の舌。
白虎、と呼び習わされる、それは肉食獣であった。

獣の周囲には様々なものが散乱していた。
最も目につくのは、獣の傍らに落ちる一振りの日本刀と、それを飾るように散らばったガラス片である。
すぐ側に建つ民家の窓ガラスであることは、無残に割れ砕けたその窓を見れば明らかだった。
陽光に煌くそれに混じって、黒く小さな何かが地面に転がっている。
炭の欠片のようなそれは、どうやら獣に食い荒らされたらしく、既に原形を留めていない。
と、見様によっては大きな手指のようにも見えるそれを、獣の強靭な脚が踏み砕いた。
低く咽を鳴らしていた獣が、うっそりと動き出したのである。

くん、と何かの臭いを嗅ぎつけたように鼻を鳴らすと、獣はおもむろに地面に落ちていた日本刀を銜えた。
ひと噛みで粉砕されるかと見えたその鞘はしかし、がちりと音を立てて獣の牙を受け止める。
獣もまた強靭な顎をそれ以上動かすことなく、刀を加えたまま、空を見上げるような仕草をした。

獣が何を見たのか、それは伺い知れない。
ともあれ咽の奥でひと声哭くと、獣は走り出した。
丸めた背筋から蓄えられた力が解き放たれる。
後ろ肢のひと蹴りで、民家は遥か背後に遠のいていた。
一歩ごとに獣が加速していく。
地面の凹凸を、険しい茂みを、鬱蒼と茂る木々をものともせず、獣は疾走する。
その道行きは迷いなく、ただ一直線に東を目指していた。


******


「本隊後方に敵襲だと……!?」

報告を受けた久瀬が思わず声を上げる。

「綾香さんか……! 思ったよりも早い……!」
「いかんな。この場に留まれば、時を置かずに接近を許すことになるぞ」
「……っ、山頂は……戦闘はまだ続いているのか……!」

言って振り向いた久瀬の眼が、眩い光を捉えて細められる。

「……!?」
「どうやら……場が動くぞ」

蝉丸の押し殺したような声。
その言葉通り、黒と白の機体の戦闘は重大な局面を迎えているようだった。
天空高くに浮かんだ白い機体から、無数の光が神塚山西麓へと降り注ぐ。
攻撃目標は、大地に叩きつけられたまま動けずにいる黒い機体だった。
轟音と地響きが、遠く離れた久瀬の足元にすら伝わってきた。
岩盤が砕け、陥没し、崩落する。
地形が容易に変わるほどの激烈な砲撃の嵐を見て、久瀬が声を漏らす。

「あれでは、C隊は……!」
「諦めるしかない……しかし、この攻撃……白い方の、勝ちか」
「いえ……あれは!?」

驚愕する久瀬の眼前で起こった一連の出来事は、文字通り瞬く間に進展し、終結していた。
黒い炎とでもいうべき何かが、天空から降り注いだ光を呑み尽くしたかと思えば、黒と白の機体が
久瀬の視界から消え去っていたのである。

「何、が―――」

呟いたのと、凄まじい音が響いたのは、ほぼ同時だった。

「黒い方の動きが変わったのだ」
「え……あ」

絶句する久瀬の意識を、蝉丸のいかなるときも揺るがぬ巌の如き声が呼び戻す。

「……刹那の間で白い方を捕らえ、飛び去った。そして今の音は、水音……海の深さではない。
 おそらく山向こうの高原池に、落ちたな。北側のB隊に観測させれば、結論が出るはずだ」
「は……はい!」

慌てて傍らの、夕霧の中核をなす少女の方へと視線を向ける久瀬。
眼鏡の向こうの静かな眼差しが、しかし確かな頷きを返してくる。

「答えが出たようだな。……久瀬、指示を」

落ち着いた蝉丸の目線と口調に、久瀬の動転が次第に収まっていく。
振り返れば、そこには数千の視線。
無言のまま立つ、それは一つの意思の下に統一された、久瀬の戦力だった。
掌の汗をそっと制服の裾で拭い、大きく息を吸う。

「―――この機を、逃すな!」

張り上げた声は、どうにか上擦らずに済んだ。
そのことに安心して、また少し動悸が小さくなる。

「後方部隊は転回、来栖川綾香に対して遅滞を仕掛けろ! 諸君の稼ぐ一分一秒が礎となる!
 残りの全軍は我に続け―――今こそ山頂を、制圧する!」

指差すのは、ただ一点。
眼前数百メートルに迫った、神塚山山頂だった。
多くの戦いを経て今、そこには何者も存在しない。
久瀬の声が、すべての砧夕霧の意識へと伝達される。

「全軍、前進―――!」




 【時間:2日目午前11時ごろ】

【場所:F−5】
久瀬
 【状態:健康】
坂神蝉丸
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り8094(到達・0)】
 【状態:進軍】


【場所:E−5】
天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰】


【場所:F−6】
来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、こんなこともあろうかとバッグ】
 【状態:ラーニング(エルクゥ、(;゚皿゚)、魔弾の射手)、短髪、ドーピング】


【場所:E−5】
水瀬名雪
 【所持品:なし】
 【状態:水瀬家当主(継承)】


【場所:F−2】
川澄舞
 【所持品:村雨】
 【状態:獣】


【場所:D−4 高原池】
柚原春夏
 【状態:意識不明】
アヴ・カミュ=ムツミ
 【状態:完全自律行動】
神尾晴子
 【状態:操縦者】
アヴ・ウルトリィ=ミスズ
 【状態:契約者に全系統委任/それでも、お母さんと一緒】
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