さよならも言えぬままに




辿り着いた平瀬村は、まだ早朝なおかげか涼しかった。
村の中を吹き抜けていく風が心地よく体を撫でる。
住井護は、それを体全体で受けながら大きく伸びをしていた。
「朝って、こんなに気持ちのいいもんだったんだな…」
普段早起きしない住井にとってみればそれは新鮮な感覚だった。長岡志保や吉岡チエにとっても同様だったようで、うんうんと住井の言葉に頷いていた。
「本当にね…あまり喜ばしい状況じゃないけど、こういうのもいいかもね」

「川澄先輩は早起きなんスか?」
先頭に立って歩いている川澄舞に話題を振ってみる。
なんとなく早起きそうな性格だと思ったからだ。舞は振り向かずに「普通」とだけ答えた。
普通と言われてもチエの普通と舞の普通では基準が違う。どう反応していいやらと思ったものの普通というからには自分たちと同じくらいにしておこう、とチエは思うのだった。
「それより」とここでようやく舞はチエたちのほうを振り向いて言う。

「チエの武器を探した方がいい。今のままじゃ戦力的に不安」
舞はまだマシな方なのだが、住井と志保がナイフ二本、チエに至っては武器すらないというのでは話にならない。
どこかで、早急に得物を求める必要があった。
「そうよね…よっちだって、何も持ってないんじゃ不安でしょ?」
チエが頷く。これ以上このパーティのお荷物にならないためにも、河野貴明と会うためにも、身を守るものは欲しかった。

「よし、それじゃまずは吉岡さんの武器を探すんだな? それについてなんだけど…どうやって探す? 俺は一旦ここで別れて個別に探してくるほうがいいと思ってるんだけど。その方が効率もいいだろうしさ」
住井が意見を出すが、すぐに志保に反論される。
「でもそれって危なくない? こっちはそんなに強力な武器がないのよ。固まって行動すべきじゃない?」
「いや、まぁそれはそうだけど…多人数だからって安全ってわけでもないだろ? むしろ発見されやすくなるかもしれないしさ。俺が言いたいのは敵に見つからないように隠密に行動しようって意味で…」

確かに、住井の言葉にも一理あった。柏木千鶴の例があるように数に関係なく襲ってくる敵もいるし、大勢でいれば発見されやすくなるかもしれない。
「でも…やっぱり、単独行動は危険だと思うっス」
どちらにもメリット、デメリットはある。それゆえに話が平行線になりかけていたが、舞が「待って」と話を止める。

「どっちの言い分ももっともだと思う。だからここは公平に決めるべき。例えば…じゃんけんとか」
そんな方法で決めていいのかと三人は思ったのだが、話が纏まらない以上それで決めるのもいいかもしれない。条件は同じなのだ。
「オーケイ、俺はそれでもいいぜ。そっちは」
「あたしも構わないわよ。よっち、あたしがジャンケンするけどいい?」
「ういっス。志保先輩頑張ってください!」
住井と志保が身構え、じゃんけんの構えをとる。一対一の荒野の対決。気分はガンマンさ。

「「せーのっ、じゃーんけんぽんっ!」」

勝負は一回で決まった。住井がパーを、志保がチョキを出し、この勝負は志保の勝利に終わった。
負けた住井は口惜しそうに手のひらを眺めながらも、勝負は勝負と割り切った。
「ちぇ、悔しいけど負けたからには従うぜ。どうぞ私めをお使いくださいな」
恭しく頭を下げる住井。志保は(似合わない)高笑いをしながら、「それでは参りましょうか、ほほほ」と言いながら歩いていくのだった。

     *     *     *

倉田佐祐理の殺害に成功した藤林椋は、山を下って平瀬村の方向へと走っていた。
柳川は今頃、佐祐理の死体を発見して自分が犯人だということに感づいているだろう。それでなお自分が犯人でないと思っているのだとしたら相当のバカだ。まぁ、それはそれで与しやすいのであるが。
疲れているのにまた走ってきたので、かなり息が荒い。もうそろそろ歩いてもよさそうだ。

椋はゆっくりと歩きに切り替えると、デイパックの中身を再確認する。
佐祐理の所持品を手に入れたのはいいものの内容に関しては少しガッカリだった。
吹き矢セットに、二連式デリンジャー。
暗殺用の武器としてはそこそこ役に立ちそうだが、破壊力はないし、デリンジャーに至っては予備弾薬がない。
「それに…」

途中で気づいたのだが、ショットガンに弾薬が入っていないのだ。弾薬が入っていない銃など屏風に描いた虎。まったく意味がなかった。
どこかで弾薬を入手したいところであるがアメリカのようにそこらに銃砲店があるわけでもないので民家などからの入手は不可能だろう。ならば参加者から奪うしかないのであるが、果たしてそう上手くいくだろうか。

いや、と椋は思う。やるしかないのだ。やらなければこちらがやられるのだから。
とにかく、また誰かの中に紛れ込んで殺していき、ショットガンの弾があれば奪う。そうしていくしかないだろう。問題はいかにして紛れ込むかということであるが…
ふと、そこで椋は未だ自分が血まみれの衣服のままだということに気付いた。これではいくら「仲間にしてくれ」と言ったところで到底してもらえるわけがない。しかも自分は、無傷だ。
顔に付着した血は拭き取ったものの衣服に関しては着替えるしかない。洗ったところで落ちるものではないのだ。
しかしながらこの近辺に民家はないし代わりの衣服を求めて平瀬村に行ったとしてもこの格好を発見されては元も子もない。

「…そうだ。ちょっと痛いですけど」
血が出ていないのなら、血を出せばいい。椋は手に持ったままの血まみれの包丁を、佐祐理の血がついている部分――すなわち自分の左腕へと向けて、軽く切り裂いた。
「くっ…」
痛みが走り、切り裂いた部分から血が流れ出して衣服をさらに赤くしていくが、これでいい。
襲われてその際に斬られたという設定にしておけば大抵の人間はその通りだと思うはず。真偽かどうかなんて調べようもない。

後はこれを理由にどこかの集団へ「助けてください」とでも言って紛れ込めばいいのだ。そしてつい先程まで襲われていたという臨場感を出すために、敢えて傷の治療はしない。
残りは必死な表情をしていれば大丈夫だろう。偽善者どもにはちょうどいい演出だ。
もちろん、凶器である包丁は捨てる。これが発見されれば演技だとバレる恐れがあったからだ。
見つかりにくそうな茂みに包丁を投げ捨てると、痛みを押して椋はまた駆け足で平瀬村に向かった。

     *     *     *

二回目の放送を聞き終えた河野貴明はその死者の多さにだけでなく、その一覧にいた人間の名前に驚愕していた。
(イルファさん、新城さんに、月島さんも…)
雄二たちと別れたあと、彼らに何があったのかは分からない。ただ死という事実だけがそこにあった。そして、何よりも貴明を驚愕させたのが。
(このみに、春夏さんまで…)
いつも一緒だった幼馴染み。それを探すために雄二たちと別れてきたというのに、これでは何の為に別れてきたのか分からなかった。

あるいは、雄二たちと別れなければ沙織も瑠璃子も死ななかったのかもしれないし、このみだって見つけられたかもしれない。だが今こうしていなければ環は死んでいたかもしれないし、ささらだって見つけられなかった。麻亜子の暴挙だって分からなかった。
結局は、何かを守ろうとすると何かを失う。そういう結論に辿り着くだけなのかもしれない。全部を守ろうとすることは、ただのエゴなのかもしれない。それでも…
それでも、貴明は全てを守りたかった。何故なら、これ以上悲しみを、増やしたくはなかったから。
もうこのみは死んでしまった。その事実を受け止めて、今一緒にいるこの二人を守るべきだった。

「あの、貴明さん、その、言いにくいことなんですけど…」
放送が終わってから一言もしゃべろうとしない貴明に、ささらが遠慮がちに声をかける。
「…ああ、大丈夫です。ちょっとショックを受けてただけですから」
ちょっとどころではないのだが、二人を不安にさせないためにも貴明は嘘をついた。それに気付いているかは分からなかったが、ささらは「そうですか…」と言ってそれ以上追及することはなかった。
「それよりも、早くまーりゃん先輩を探しましょう。あの人にもう罪を重ねさせないように」
貴明の言葉に二人が頷く。鎌石村の捜索はまだ始まったばかりだった。

現在は村の東部を捜索しているが、まだ夜明けからそんなに時間が経っていないからか鎌石村に人の気配はない。もし麻亜子なら人の多い場所へさっさと移動しそうな気もしたが、裏をかいてどこかに潜んでいるかもしれない。
貴明たちは再び村の中を歩き始めるのだった。

     *     *     *

それから数時間かけて鎌石村中を捜索したものの麻亜子の気配は一つとして掴めず、それどころか誰とも遭遇することすらなかった。
ただ入れ違いになっていただけということもあるかもしれないが、それでもなお見つからない以上、貴明たちの頭には『麻亜子はもう鎌石村にはいない、あるいは最初から鎌石村にいなかったのではないか』という結論に達しつつあった。

「参ったな…見当違いだったのか?」
舌打ちをしながら貴明が悔しそうに言う。このただっ広い島で特定の人物を見つけることが容易ではないとはいえ、残念なことには変わりなかった。
「仕方ないわよ…それにしても、誰とも会わないわね…」
マナが納得のいかないような不満げな顔をして漏らす。家の多い地域には人が集まると思っていたのだが、そうではなかった。あるいはこの村にだけ人が少ないのかもしれない。

「愚痴を言っても仕方ないか…よし、ここを切り上げて次の場所へ行こうと思うんだけど。先輩はどう思います? 年長者として一言」
年長者、という言葉にマナが顔をムッとさせる。
「あのー、私も一応年長者なんですけど。18才よ、私」
「へ? 観月さんって中学生じゃ…がっ!」
中学生という言葉に腹を立てたマナが貴明の膝小僧に蹴りを見舞う。あまりの痛さに貴明がぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「い、痛ってぇ〜…な、何するのさいきなり」
「あんたね、よく鈍いとか言われるでしょ」
「た、たまに…」
「でしょうね…」
はぁ、と嘆息して「どうして私と会う男はこんな奴ばっかりなのかしら…」とぐちぐちと漏らす。

ささらはその様子を見ながらどうしたものかという目で両者を見回していた。ささらもマナは年下だと思っていたので何も言うことができなかっただけなのだが。
「ま、確かにここの捜索を切り上げるってのは間違いじゃないと思うわ。久寿川さんもそう思ってるでしょ?」
話を振られたささらが「え、ええ」と相槌を打つ。
「私もそうしたほうがいいと思います。順番からいって次は平瀬村に行くのがいいと思いますが…」
ささらが地図を取り出して平瀬村を指す。距離が少し遠いものの一、二時間歩けば辿り着ける距離だろう。道も直線的になっているので迷うこともない。
「…そうだね。こっちなら誰かがいるかもしれないし」
貴明がぴょんぴょん跳ねながら顔を出す。よほど痛かったのか目尻に涙が溜まっているように見えなくもない。

「…そんなに痛かったの?」
全力でやったつもりはないと思っているマナが尋ねる。貴明は大きく頷いて、
「そりゃもう。まるでプロレスラーかなにかに蹴られたような…おうっ!」
プロレスラーに例えられたのがムカついたのか、今度は先程の数倍のスピードの蹴りが貴明を襲う。あまりの痛さに貴明はごろごろと地面を転がっていた。
「あんたさ、たまに余計なことを口に出して酷い目に遭ったことがあるでしょ」
「よ、よく分かるね…」
「というか、酷い目に遭わせたのは観月さんじゃ…」
ささらが小さな声で突っ込む。ささらも痛い目には遭いたくなかったのでそうしたのだった。
「はぁ…とにかく平瀬村に行きましょう」
ため息をつきながらマナが先頭に立って進む。それを追うようにしてささらが、そして片足で跳ねながら必死に追う貴明がついていく。
前途は多難だった。

が、平瀬村に向かうまでの道中もまあ静かなもので、何事もなく行進を続けることができた。
「お腹…空かない?」
観月マナがそうつぶやくまでは。
「そう言えば…昨日から何も食べてないよね」
今頃気付いたかのように貴明が言う。言った途端に腹が催促を始めたのでなんだかな、と思う。
「食事にしたほうがよさそうですね…パン、食べましょうか」
ささらが提案するが、「いや」と貴明が代替案を出す。

「まだ二日目なんだから無闇に携帯食を消費するのは避けたほうがいいと思う。まずは村で食料を探すべきだと思うんだ。どうしても見つからなかったときだけそのパンを使おうよ」
確かに空腹ではあるが我慢できないほどではない。食料を探せるだけの余力はまだあった。
「それもそうですね…観月さんもそれでいいですか?」
「ええ、いいわよ」とマナも同意する。取り敢えず今は麻亜子のことは後回しにして食料捜索を優先することになった。と、ふと貴明は食事といえばあることを思い出した。

「そう言えば…先輩は手料理とかはダメなんでしたっけ」
「はい、そうですけど…」
「…? どうして手料理がダメなの? アレルギー?」
マナの質問にささら自身が答える。
「私はちょっとした事情があって…コンビニ弁当とか、フランス料理とかの高級料理しか受け付けなくなってるんです」
「何それ? おかしな体質ね」
アレルギーとは言い得て妙だとマナは思った。

久寿川ささらさん、えーあなたはどうやら手料理アレルギーのようですねぇ。申し訳ありませんが今後の人生は外食だけで済ましてもらうということで…いやはや。

「まあとにかく、そういうことなんだってことを理解しておいてくれよ。だから食料を探すにしてもそれを調理する、ってことはないかもしれないから」
つまり手料理にはありつけないということを意味していた。それを悟ったマナはがっくりと肩を落とす。こんな状況下でも、せめて食事くらいは暖かいものの方が良かった。

「すみません、がっかりさせてしまったみたいで…」
「いいわよ。体質ならしょうがないわ」
謝ることはないとひらひらと手を振る。
しかし料理が出来ないのは案外痛いかもしれない。貴明は男だから出来なくても仕方がないとは思っていたが、期待していたささらもこれでは出来そうにない。自分自身ですか? まあそれについては言わないでくださいな。
「何にせよ、まずは平瀬村に辿り着くことが第一だ…って、見えてきたね」
貴明が指差した先には、数件ほどの民家がちらほらと見えていた。

「意外と早かったわね」
「そうでもないかと…多分、今頃はお昼じゃないかしら」
空を見上げながらささらが言った。マナも見てみると、太陽がちょうど頭上にあり確かに正午に近いということには違いなさそうだった。
「鎌石村を探してて大分時間が経ったんだと思うよ。ともかく、日があるうちに探そう」
第二の捜索が、今始まろうとしていた。

     *     *     *

「ここもダメか…」
平瀬村の民家の一角で、住井護が戸棚を開けながら諦めにも似た声を上げる。

あれから何件か家を回ってみたものの荒らされている家はあるわ何があったのか死体が放置されている家まであった。その上死体の一つには見るも無残に殺されており、目が抉られ、全身メッタ刺しにさせられていた。B級ホラー映画だってここまではやらないだろう。
それを見た志保が思わず嘔吐してしまったのは記憶に新しい。軽いトラウマにもなってしまったようだ。ちなみにもう一つ死体があったのだが、その近くに置いてあったフライパンは吉岡チエの武器になった。

これで一応武器は全員に行き渡ったということになったが、ここでもう一つ問題が浮上した。
「腹、減ったよな…」
そう、チエが武器を手に入れたのはいいものかなり時間が経過してしまった。出てくるときに家の中の時計を見たが、あれを信じるならもう時刻は正午に近い頃合いとなっていた。
いかに昨日あれだけの牛丼を平らげた勇者とは言ってもあれから一日経てばまた腹は減ってくる。食い溜めという言葉は存在しないのだと思い知らされた瞬間だった。

「はちみつくまさん…」
「あたしもっス…」
「こっちも…吐いたせいで余計に腹が減ったというか…」
住井以外の他の三人も同様だった。こんなことならあの牛丼をとっておこうかと思ったのだが品質の落ちた肉など食べたくはなかったし、食中毒になる恐れもあった。それが原因で死のうものなら情けないことこの上ない。

えー、次のニュースです。今日未明発見された四人の遺体についてですが、周囲に牛丼の中身が散乱していることからー、えー食中毒で亡くなったものと…

結局、次の任務は食料の捜索ということになった。ちなみに死体を発見したあの家にも食事があったのだが何か乱闘でもあったのか食事は全て床に散らばっていて血と混ざり合っていた。これでは吸血鬼以外食べる気にもならなかったので、諦めたのだった。

そして今。
それからさらに何件か回ってみたが既に持っていかれてしまったのか元々なかったのか食料は依然として見つけることが出来なかった。支給品のパンを食べようという意見が出たがそれは最終手段ということで村の家全件になければ食べるという意見に落ち着いた。
「カンパンみたいな携帯食もないのー? もう、シケてるわね…」
「志保先輩、口調が空き巣みたいになってるっス」
「実際空き巣をしてる…」
舞がポツリと呟くが、チエには聞こえなかったようだ。相変わらず腹を立てている志保をなだめている。

そろそろ限界だった。腹が減ってきているせいで集中力も切れかけていた。
家を出たところで、次で見つからなければ諦めてパンを食べようという意見になり最後の家を求めて歩くことになった。
「食料も見つからないけど、誰にも会わないよね…」
道中、志保が空腹を紛らわせるために話題を振る。ここまで捜索しても出てきたのは死体とその遺品だけだったからだ。敵に会わないのは良かったが、味方に会わないのも困ったものだ。

「そうだよな…折原の奴、今頃どこで何してんだろうな」
住井が頭の後ろで手を組みながら友人のことを口に出す。
「ヒロもあかりも…無事かなぁ…」
志保も同じように心配そうに声を出した。チエも舞も、口にこそ出さなかったが友人を思う気持ちは同じだった。
ここまで、このメンバーのうちの誰もが知り合いに会えていないのだ。人を探すのは意外と難しいということを思い知らされる。

そんな時だった。急に舞がピクッと反応し、きょろきょろと周りを見始めた。
「どうかしたのか?」
住井がそう尋ねると、舞は刀を抜いて「誰か来る」と言った。
「えっ、ど、どこから来るんスか?」
チエが慌ててフライパンを取り出しながら言った。舞は冷静に答える。
「東と、北のほうから来てる。人数は分からない。まず、東のほうから先に来る。みんなは下がって」
前に躍り出る舞だが、「男が後ろで隠れてられるか」と住井が躍起になって前に出てくる。

前衛に舞と住井、後衛に志保とチエとなる形になった。体勢は整えたもののこちらには近距離用の武器しかないのだ。遠距離から射撃できるような武器が相手側にあれば不利なのは間違いない。
無論100%敵である訳ではないが。

しばらくすると、舞の予想通りまず東の方角から少女が一人飛び出してきた。服が血で汚れていて、どうやら怪我でもしているのか片腕を押さえながら走っている。こちらには気付いていないのか走るのをやめようとしなかった。
まずは話くらいしてみようと、後ろから志保が声をかける。
「そこの人っ! ちょっといいかな!」
少女にしてみればいきなり声をかけられたにも等しいのでびくっと身を縮こませてこちらを見てきた。
次にその様子を見た住井が、敵ではないと判断し好意的に話しかける。
「驚かせて悪かった。敵かどうか分からなかったから警戒してたんだよ。安心してくれ、俺たちは敵じゃない。取り敢えずこっちに来てくれないか」

少女は少し悩んでいたようだったがやがて大丈夫と思ったのか腕を押さえながらこちらへとやってきた。やはり怪我をしていたようで押さえた部分から少しずつ血が出ている。
「後ろに隠れて。まだ北のほうから誰かが来るから」
「え、誰かって…て、敵なんですか?」
舞の言葉におろおろする少女に、チエが少女を引き入れながら大丈夫と声をかける。
「今の人川澄先輩って言うんスけどものすごい強いから安心してオッケーっスよ」
「は、はぁ…」
そう言った時、舞が「…いた、あそこ」と声を出す。皆が一斉に舞の見た方向を見ると、こちらに向かって三人の男女が歩いてきているのが見えた。しかもそれぞれが銃を持っているようで五人の間に緊張が走る。

相手側もすぐに気付いたようで、しかし何を思ったのかこちらを見ながら声をかけてきた。
「話をしないか! こっちに敵意はない! 聞きたいこともあるんだ」
どうやら情報交換がしたいようだったが信じていいのかどうかと思っていると、チエが歓喜に満ちた表情になって相手側へと走っていった。
「河野先輩! 河野先輩っスよね! あたしです、よっちっス!」
「え…吉岡さんなのか! 良かった、君も無事だったんだね!」

なんと、チエが話に出していた河野貴明が現れたらしい。知り合いだと分かると河野貴明だと思われる男がチエの元へと走り寄っていく。
「やれやれ、噂をすればなんとやら、か?」
住井が安堵のため息をついて、肩をすくめた。

     *     *     *

「はい、治療はこれでおしまいです」
「ど、どうもありがとうございます」
河野貴明たちとの会話の末、一緒に行くことになった志保たち四人組+藤林椋は現在とある民家で食料の捜索をしていた。そしてちょうど今、椋がささらから救急箱で治療を受けたところである。

最初に志保たちと会ったとき、いきなり声をかけられたので椋は心臓が飛び上がるほど驚いたがどうやら無差別に攻撃してくる人間ではなかったようで会話をすることができた。
もちろん主催を倒す云々の話は信じるわけがなかったが、取り敢えずこの集団に取り入ることができて一安心…かと思ったら今度は別の集団が現れたのにはヒヤリとした。

しかも現れた三人が三人とも銃を持っていたので椋は逃げるべきかどうかとも考えたが吉岡チエが知り合いの一人をその中に見つけたようで、取り敢えず逃げる必要がなくなったことには安心した。
それからいくらかの情報交換を済ませたが、椋にとって目ぼしい情報はあまりなかった。
価値のあるものは柏木千鶴と朝霧麻亜子という二人の危険人物の存在で、身体的特徴まで得られたのは良かったものの、肝心の姉の居所が分からないのでは意味がなかった。
知り合い云々については興味も教えるつもりもなかったので「知りません」とだけ言っておいた。だから友人関連の話は殆ど聞いていなかった。

情報交換の後、どうしてだか全員が全員空腹だということで食料探しをすることにした。椋は別にどうでもよかったので取り敢えず賛同だけはしておき協調性のあることを示しておいたのだった。
ここで今現在に戻るのだが、どうやらこの家はいわゆる「アタリ」だったようで携帯食やら野菜やらの食材も色々あった。それらはまとめて机の上に置かれている。
椋の治療が終わったのを確認した志保が「料理を作ろう」と言い出し、誰が食事を作るかという話になった。

     *     *     *

「長岡さん、料理できるの?」
マナの疑問に、志保が胸を張って答える。
「当然。あたしに任せちゃってよ。…だけど一人で八人分作るのは流石に辛いから、もう何人か手伝いが欲しいわ。よっち、出来る?」
「んー、少しだけなら…自信ないっスけど」
まずチエが加わる。志保は他の人間にも聞いていくがことごとく首を横に振られる。
「藤林さんは?」
椋も料理は苦手なので断ろうかとも思ったが、ふと頭の中にある考えが浮かんだので「あ、はい…あんまり得意じゃないですけど」と言って参加することにした。

「三人か…まぁそれだけいれば十分よね。それじゃあたしたちは料理を作るから、川澄さん、住井君、河野君で外の見張りをしててくれない?」
どうやら戦闘力の高そうな人間が選ばれたようだ。舞が「はちみつくまさん」と頷いてまず外へ出て行った。続いて住井が、
「了解。観月、拳銃貸してくれよ」
「偉そうに言わないでよ」と文句を言いつつ住井へワルサーを投げ渡す。それを空中で器用に取ると、「出来たら呼んでくれよな」と言って外へと出て行った。最後に貴明が、
「それじゃ俺も行って来るよ。…そうだ、久寿川先輩の分は作らなくていいから。ちょっとした事情があるんだ」
事情とは何のことだろうと首をかしげた志保だったが、「分かったわ」と言って貴明を送り出す。

「私たちは暇なわけだけど…荷物の整理でもしときましょうか?」
「そうですね。私たちだけ寛ぐというわけにもいきませんし」
机の上の携帯食を持って、マナとささらが隣の部屋へと移動する。全員の荷物はここにまとめている。
こうして、キッチンには志保、チエ、椋の三人が残った。
「さて、料理を始めるわけだけど…メニューは何にする? あたしは野菜スープがいいと思ってるんだけど」
「あたしもそれで構わないっスよ」
「私もそれで…」
全員の了解を得たところで、調理が始まる。まずはそれぞれが野菜の皮を剥く。七人分ともなると流石に作業量も多かった。

皮を剥きながら椋は目立たぬようにそっと制服の内ポケットにある吹き矢のケースの感触を確かめていた。
矢は注射器のようなフォルムをしており、中には液体が、そして針の先には漏れ出すのを防ぐためと思われるキャップがつけられている。
ケースの表面を見れば分かる通り液体は恐らく毒物だろう。赤、青、黄色と三種類に分けられているがいずれも毒には違いあるまい。

そう、椋の立てた作戦とは作った料理の中にこの毒を混入し、一網打尽にすることであった。いかに鍛え上げた人間でさえ所詮は人間。毒を以ってすれば殺すことなど造作もないことだ。
これだけの大人数を屠ろうと思えば手はそれしかない。唯一計算外だったのは久寿川ささらの存在だった。まさかいらないと言い出すとは思わなかった。
食事自体は必要していたことから恐らく毒物を混入されるのを警戒してのことだろう。理由はどうとでもつけられる。まあそのときはもう一つのポケットに隠してあるこの二連式デリンジャーで撃ち殺してしまえばいい。

「…それにしても、いきなり大人数になったわよね?」
「そうっスねー…さっきまで誰とも会えないとか言ってたがウソみたいっス」
「けど心強いことじゃない。これだけ味方が増えたってことはひょっとしたらここから脱出できるのもそう遠くないことかもしれないわよ? ね、藤林さん」
「…はい?」
意識を吹き矢に向けていたせいで会話を聞いていなかった。志保がもう一度大人数の話をしていたことを言う。
「あ、はぁ…そうですね」
心強いなどと言われてもまったく人を信じる気のない椋は適当に相槌を打つことくらいしかできなかった。

「荷物の整理、終わりましたよ」
ちょうどそのとき、作業を終えたらしいささらとマナがキッチンに顔を出す。
「あ、どーもお疲れっス…痛っ!」
後ろを振り向きながら言葉をかけようとしたチエだがつい指を切ってしまった。そんなに深くは切らなかったので傷はそれほどでもないが出血はしている。
「ちょ、大丈夫!? 大したことはなさそうだけど…手当てしたほうが良さそうね。ごめん、二人でちょっと鍋見ててもらえるかな? あたしはちょっとよっちについてくから」

言うが早いか、志保はさっさとチエを連れて救急箱がある隣の部屋へと行ってしまった。マナが鍋を指差しながら、「見るって…どうすんの?」とささらにぼやく。
「さぁ…こぼれないように見ておけばいいんじゃないでしょうか」
なんとも頼りない言い方で答えるささら。鬼の副長形無しである。椋は再び野菜切りに集中していたので手が回らなかった。元々椋も料理は苦手なのである。

結局、中身がこぼれないようにじーっと見ておくだけにしておくことになり、志保とチエが戻ってくるまでのその光景は結構シュールなものであった。
そして二人が戻ってきたのは数分後のことである。チエがぽりぽりと頭を掻きながら反省する。
「いやー面目ないっス。今度からは気をつけますんで」
『今度』があるのかと椋は思ったが口には出さないようにした。黙って作業を続ける。
「本当に見てただけだけど…大丈夫よね?」
「ああオッケーオッケー。うん、とくに何も変わりないから大丈夫よ」
その返事を聞いたマナがホッとして近くにあった椅子に座る。どうやら意外とプレッシャーに思っていたらしい。

「それで、後どれくらいで出来そうですか?」
「えーっと、もうちょっとしたら出来るよ。そのままお待ちなさいな」
らしい。まだ椋は野菜切りの段階なのだが。もうちょっと、とは得てして便利な言葉なのだ。
そんな感じだったが調理自体は滞りなく進み数十分の後に無事スープは完成した。
鍋の中にはなみなみとスープが漂っている。匂いも十分食欲をかきたてるものだった。

「さて、出来上がったことだし外の皆さんを呼んでくるとしますか」
「あ、志保先輩あたしも行くっス」
とてとてと小走りに二人が外へと他の三人を呼びに行った。ささらとマナはぼーっとしたような感じで椋の方向は見ていない。今がチャンスに違いなかった。
二人からは見えないようにしてこっそりとケースをポケットから取り出す。ここは絶対にしくじれない。慎重かつ大胆に事を運ばねばならなかった。アタック・チャーンス。

使うのはもちろん赤。確実に殺せなければ意味がないのだ。
ゆっくりと液体をスープに注いでいく。液体自体は透明なので特に色の変化もなかった。念のために数回かき混ぜて十分混ざるようにしておいた。これで、完璧。
「おっ、美味しそうな匂いじゃないか。いいねぇ」
住井ほか貴明と舞が戻ってきたようだ。矢(というかほぼ注射器)をポケットに戻し何事もなかったかのように振舞う。後は食べさせるだけで事は終わる。そう、HBの鉛筆をベキッと簡単にへし折るように。

「スープは俺たちが注いでやるよ。そっちは座ってて待ってくれよ」
住井と貴明がそう言って皿を取り出し、スープを注いでいく。その間、ささらとマナが食器を出して机に並べていく。すぐにスープは全員に行き渡った。
全員が席につき、いよいよ食するだけ(ささらは携帯食だが)になった。手を合わせ、さあ食事が始まろうとした瞬間だった。

「…飲み物がない」
舞がそう呟く。確かに飲み物がなかった。一旦食事は中断され水をささらが取りに行く。椋は心中で舌打ちする。
余計なことを…どうせすぐに死ぬというのに。焦る必要はないのだがどうしても苛立ってしまう。
しかしたかだか一分に満たないタイムラグだ。落ち着け。それよりも次にささらを素早く撃ち殺す準備を――

「う〜…やっぱ我慢できないっス。すんませ〜ん、先にいただきまーす」
「え…」
止める間もなかった。いや分かっていても止められなかった。椋が気付いたときには既に、チエの口の中にスープが運ばれていた。
本来なら、それはちょっとした行儀の悪いこととして微笑ましい目で見られるくらいのことだっただろう。
だがチエが口に運んでいたものは、美味しい料理などではなく死をもたらす処刑台だった。
「う゛…っ!?」
急に顔色を変えたかと思うと、チエが目を血走らせて喉を掻き毟り始める。まるで何かに取り付かれたかのように。
そして、次の変化はすぐにやってきた。

「あ゛っ、げ、お゛えええええええええぇぇぇぇっ!」
激しく嘔吐を始め、顔色がみるみるうちにドス黒いものへと変化していく。あまりにも異常な状態になっているチエに、誰も声を出すことができなかった。
やがてひぃひぃと数度言ったかと思うと、チエがかくんとくずおれて、吐瀉物の中へと落ちていき、そのまま動かなくなった。

一体何が起こったのか、椋を除くその場にいる全員が理解できなかった。それからまず第一声が上げられたのは、実に十数秒たってからの事だった。
「な、何よ…なんなのよ、コレ!」
志保が叫ぶが、誰も反応しなかった、いやできなかった。だが一人だけ、反応した人間がいた。

「は、はは…食中毒にしちゃ大げさ過ぎるだろ…冗談にしちゃタチも悪いしさ…どういうことだよ、誰がやったんだよ、なあっ!」
住井だった。怒り心頭といった様子で、周りをギロッと見回す。
「だ、誰って…」
マナがかろうじて声を出したが、すぐにまた怒声にかき消される。
「決まってんだろ! 吉岡を殺した奴だよ! 食材が悪かったわけでもない、調理法も問題なさそうだった! だったら答えは一つだよ、この中にいる誰かが毒を入れやがったんだ!」

その瞬間、一同に緊張が流れたのが分かった。分かってはいたけれど、認めたくはない事だった。仲間の一人が、裏切っていたということに。
「なあ、おい出て来いよ、どういうことか説明してもらおうじゃないか! 誰だよ、毒を入れた奴はっ!」
激昂する住井だが、当然のごとく名乗り出るわけがなかった。それに業を煮やしたのか、住井は傍らにあるワルサーを取り出して構えたのだ!

「護!? 何をやって…」
「黙れよっ!」
いきなり銃を構えた住井を舞が諭そうとするがまた怒声に遮られる。
「確か、料理を作っていたのは長岡と藤林だったよな。まともに考えて一番料理に近い奴が犯人だって考えるのが常識だよな、そうだろ犯人さんよ!」
銃口が志保へと向けられる。見に覚えのない志保は犯人扱いされたことに対して怒らないわけがなかった。

「あ、あたしが犯人だっていうの!? 冗談じゃないわ、大体あたしのどこによっちを殺す理由があるのよ!」
「理由なんてこのゲームに優勝する気でいるんならそれだけで十分だろ! それとも図星だったからそんなにムキになってんじゃないのか?」
「そんなことを言うなら住井君だって同じじゃない! 大体住井君だってスープを運ぶときに鍋の近くにいたでしょ! それにこの村に着いたときだってやたら単独行動を進めてたわよね…もしかしてバラバラにしたところを一人ずつ殺していく気だったんじゃないの!?」
「な、何だと! いい加減なこと言うんじゃねえっ!」

加熱する口論を危険だと思った貴明と舞が仲裁に入ろうとする。
「やめろっ、そんな水掛け論をしても仕方がないじゃないか!」
「護も落ち着いて! 落ち着いて冷静に…」
だが頭に血が上りきっている二人に言葉は届かない。

「何よ、正義漢ぶっちゃって…あんただって容疑者の一人だってこと忘れてもらっちゃ困るわ! それともそうやってうやむやにするつもりなの?」
「そんな、俺は別に…」
「し、志保…」
「川澄、お前は殺人鬼がこの中に潜んでるってのによく平気だよな? 正気じゃないぜ。俺は絶対見逃すなんてゴメンだからな! だろ殺人犯の長岡ぁ!」
「だからあたしは違うって言ってるでしょ!? 怪しいっていうなら久寿川さんと観月さんだって怪しいわよ! あたしたちが目を離してる隙に入れるチャンスだってあったはずでしょ!?」

矛先が回ってきたことに対して、当然ささらは遺憾の意を表す。
「なっ、鍋の近くにいただけで犯人扱いされるんですか!? 大体、様子を見ててくれって頼んだのは長岡さんでしょう? 犯人だといわれるいわれはありません!」
必死に弁明するものの、志保はどうだかといった調子で続ける。元々他人だっただけに疑心の種が拭い去られることはなかった。

「チャンスなんていくらでも作れるわよ。そもそも久寿川さん、料理がいらないとかどうとか言ってたけど…あれは毒を入れるためにでっち上げた理由じゃないの!?」
あまりの暴言に、ついにささらも怒りを露にする。
「そんな、あれは本当に…私のことなんて何も知らないくせに、そんなことを言わないで下さい! そうやって罪を平気で擦り付けて、お二方ともいい度胸をなさってますね!」
「だから俺は違うって言ってるだろうが!」
「あたしだって違うわよ! ふざけないで!」

口論は収まるどころか火に油を注ぐ結果となり、いつ誰が爆発するとも知れない険悪な状況になっていた。このままでは最悪の状況を招くと、もう一度貴明と舞が止めに入る。
「先輩まで熱くならないで下さい! まず状況を整理して…」
「外から見てるように言ってんじゃねぇよっ! そうやって口を挟むからグダグダになるんじゃないか! それとも自分が犯人だからそう言ってるのか、あ?」
「護、止めて! そうやって疑うから…」
「川澄さんは疑うなって言うの!? 自分一人直接スープに触ってないからって調子に乗らないでよ!」
どんなに説得してもことごとく無駄骨に終わり、そればかりかさらに状況は悪くなっていった。

そして、その空気がまた一人の人間に恐怖を抱かせていた。
「お、おかしいわよ…み、みんなどうかしてる…こんなところにいたら、私も殺される…い、いや…そんなの…いや!」
見に覚えのない疑いをかけられ殺されるかもしれないと思ったのだろう。マナは身を翻して外へと逃げようとする。

「おい! どこへ行くんだよ! 逃げるんじゃねえよ、それとも犯人だから逃げようってのか!?」
住井が銃を向けるがマナは意に介した様子もなくそのまま逃げようとしていた。
「止まれよ、止まらないと撃つぞ、撃つって言ってるだろ、撃つって言ってんだろぉ!」
止まらないマナに対して、ついに住井が発砲する。もちろん、この時の住井には殺す気はなかった。どんなに疑心暗鬼になっていたとしても殺人への禁忌はまだあったからだ。せいぜい肩を撃って動きを止めるくらいだった。

まぁしかし、運命とは非情なもので、そう思うようには運ばなかった。
感情に任せて発砲された銃弾は、狙った肩へと当たることなくマナの頭部を直撃――つまり、即死させていた。
脳漿を撒き散らしながらがくんと倒れるマナを、住井が呆然とした目で見つめる。
「え、あ、おい、ウ、ウソだろ? お、俺、殺すつもりなんか…」
カタカタと震える住井。視線が定まっておらず、どこへともなく言い訳を続ける。
「し、信じてくれよ、俺はそんなつもりじゃなかった、そんなつもりじゃなかったんだぁあああああっ!」

それが引き金だった。
「住井君…や、やっぱりあんたが…あんたがやったのね! こ、殺してやるっ、あんたみたいな奴なんか殺してやる!」
素早くしゃがみこんで近場にあったレミントンM870を手に取る志保。もう志保の中では、完全に住井が毒を混入した人物だという結論になっていた。

それを見た貴明が、これ以上の惨劇を起こさせないために志保の前へと躍り出て、無理矢理銃口の向きを変えた。
「や、やめろっ! 撃っちゃ駄目だ!」
貴明はただ必死だった。もうここで死人が出るのを、食い止めたかっただけだったのだ。

――だが、その思いは報われず。
「え…?」
無我夢中で変えた銃口の先には、久寿川ささらが、いた。勢いに任せて撃とうとしていた志保の指は当然止まらない。ささらの真正面に、12ケージショットシェル弾が降り注いだ。
変化は一瞬にして起こる。体がくの字に折れ曲がり、上半身と下半身がまるでロボットアニメのように分かたれるまで、ほんの一秒もかからなかった。

それを貴明たちが視覚情報としてとらえるかとらえないかの間だっただろうか。志保がレミントンを向けたのに反応して、ほぼ脊髄反射で住井もワルサーを構え、また発砲していた。
ぱん、ぱん、ぱんと連射する指の動きが弾切れとなるまで続いた。その僅か数秒の間に、銃弾が志保と貴明の二人を突き抜け、心臓部へ直撃を受けた志保もまた死亡し、貴明も全身に銃弾を浴びて倒れた。

――そして、血で塗り潰された部屋の中に残ったのは、住井護と川澄舞の二人だけとなってしまった。
舞は目の前で起こった凄惨な現実に呆然とし、何も動きを取ることが出来なかった。あまりにも、一瞬のうちに人が死にすぎたのだ。
「…は、はは、あっははははははははは! 死んだ、死んだぞ! みんな死んじまった! おい、見ろよ、全然動かないぞ? ど、どうしてだろうな、俺、撃ってないのに死んでるよ、なんでだ、なんでかなぁ!?」
意味不明な叫びを発しながら舞の方へと住井が振り向く。その目は、明らかに正気を無くした狂人のものだった。

「川澄ぃ、俺撃ってないよな、撃ってたら死んでるけど、あいつらふざけてるだけだよな、あいつら死んでないよな、だから俺だって撃ってないよな、そうだと言えよ! 言ってくれよ!」
「あ…あ」
舞にそれまでの面影はもうなかった。死という現実と目の前の狂気に怯える、ただの無力な少女と化していた。ただ立ちすくむことしか、彼女には出来なかった。
「言えよ! 言えって言ってるだろうがぁ! 俺は殺してなんかない、殺してなんかないんだぁぁぁっ!」
何も反応しない舞に、彼女もまた自分を殺人鬼扱いすると思い込んだ住井が襲いかかろうとする。

だが、その横から何かが弾けるような音がして、住井の脇腹から内臓が派手に飛び出した。
「…か…かわすみ…さん…だいじょうぶ…だ」
その声の主、死んだはずだった河野貴明が、最後の力を振り絞って住井にショットガンを放ったのだった。
一方、へらへらと奇妙な笑いを浮かべながら住井がかくんと膝から落ち、そしてその生命活動を終えた。

「す…すまない…こんな…ことに」
激しく咳き込みながら舞に謝罪の言葉を述べる貴明。よく見ると、目からは涙も溢れていた。
「た、貴明…」
よろよろとした足取りながらも、舞は一歩ずつ貴明の方へ近寄り、必死でその言葉を聞き取ろうとしていた。

「まさか…こんなことになるとは…はは、さいあく…だよ」
「貴明、しっかりして…死んじゃだめ…」
励ましというよりも懇願に近い言葉だった。貴明は疲れたように笑って、言った。
「…悪い…勝手なことをいうけど…ま、まーりゃ…んせんぱいを、止めて…それと…おれたちの…ぶん、ま…」
それっきり、貴明も動くことはなかった。惨劇の犠牲者が、また一人出てしまったのだ。
「…そんな…」
絶望に満ちた少女の声だけが、その部屋の中だけにあった。

     *     *     *

「こんなことになるなんて…」
藤林椋は、平瀬村から北の方角へと移動していた。
住井がマナを撃った瞬間、身の危険を感じた椋は隣の部屋に移動し、ショットガンの弾をいくらかと自分のデイパックを掻っ攫って窓から脱出していた。
きっと今頃は互いに殺しあっているだろうが、当初の予定より犠牲者は少なくなるのは間違いない。武器だって手に入れられるはずだったのに…収穫といえば、携帯食数点くらいだ。
だが殺し損ねるよりはマシだった。これでまたいくらか、姉の安全が確保されたのだ。
誰も信用なんてしない。殺して、殺して、殺しつくして…自分と姉の二人だけが生き残ればいいのだ。
椋の殺し合いは、まだ始まったばかりなのだ。




【時間:2日目午後14時00分頃】
【場所:G−1】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(7/7)、100円ライター、包丁、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、赤×2:即効性の猛毒、黄×3:効能不明)】
【状態:マーダー。左腕を怪我(治療済み)、姉を探しつつパーティに紛れ込み隙を見て攻撃する】

河野貴明
【所持品:Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、ほか支給品一式】
【状態:死亡】

久寿川ささら
【所持品:スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ほか支給品一式】
【状態:死亡】

観月マナ
【所持品:ワルサー P38(0/8)・支給品一式】
【状態:死亡】

吉岡チエ
【所持品:フライパン、支給品一式】
【状態:死亡】

住井護
【所持品:投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:死亡】

長岡志保
【所持品:投げナイフ(残:2本)・新聞紙・支給品一式)】
【状態:死亡】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:絶望、祐一・佐祐理ほか知人・同志を探す】

その他:それぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。
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