結局夜中起きていたものの誰一人として訪れることも襲撃してくることもなかった。診療所といえばこの島唯一の医療機関に相違ないはず。もっと治療のため、応急処置のための救急道具確保のため誰かしらが来ると思っていたのだが…そうでもなかったようだ。 まだ日は高くない。気温も昨日の状況から考えて暑さで体力が奪われるなんてことはないだろう。もう少し、佳乃や渚が起きるのを待ってからでも遅くはない。 そう結論付けると宗一は腰かけていた椅子に深く寄りかかりそっと目を閉じる。まったく寝ていなかったため10分ほどでもいい、睡眠を取っておきたかったのだ。 …が、いざうつらうつらと夢うつつになった段階で彼の眠りを妨げるダミ声が聞こえてきた。 「――みなさん…聞こえているでしょうか。これから第2回放送を始めます。辛いでしょうがどうか落ち着いてよく聞いてください。それでは、今までに死んだ人の名前を発表…します」 いや、ダミ声ではなかった。放送の調子が悪いのかくぐもった声になっているだけだったのだ。 やれやれ、と宗一は思う。そんなに俺のお肌を悪くさせたいんですかそうですか。 流石の宗一も死人の名前が読み上げられるのを眠って聞き逃すほど神経が図太くない。 名簿を取り出しながらメモを取る準備をする。今度は、一体誰の名前が読み上げられるのだろうか。 少なくとも胸糞の悪くなることだけは容易に想像できる。宗一が深呼吸をしたと同時に、一人目の名前が読み上げられた。 * * * 「……」 放送を聞き終えた宗一は色褪せた天井を見ながら、放送で呼ばれたある二人のことを思っていた。 「…エディ、それに…姉さん」 もっとも信頼でき、もっとも頼りにしていたパートナーが、ずっと守りたいと思っていた、ずっと大切にしたいと思っていたたった一人の家族が。 「…いなくなっちまったのか」 涙は流れなかった。職業柄、人の死には慣れてしまった。それでも二人とも、自分にとってはかけがえのない人たちだというのに… 最低だな、と思う。人の死を「いなくなった」の一言で片づけてしまうとは。 渚とはまったく対照的だった。それどころか、既に頭の中には、欠けてしまったエディの代わりはいるのか、という思考に切り替わっている。 「いるわけがないだろ…」 情報の収集能力とバックアップにかけてはエディは天才的だ。恐らく、世界でも頂点に位置するだろうと宗一は思っている。首輪を外すにしてもエディの協力なしには到底為せないものだとさえ思っていた。 どうする、という考えが渦巻く。宗一自身もハッキングや機械工学に通じてないわけじゃないがエディのそれには及ばない。 あの篁をこんなゲームに巻き込むほどの主催者だ。セキュリティはそんな甘いものではないはず。自分だけで何とかなるとは思えなかった。 これからどうする。諦めるのか? 開き直ってこの殺し合いに乗るか? 考えてもみろ、NASTYBOYこと那須宗一は世界でもトップのエージェントだ。リサ=ヴィクセンはともかくとして大半の参加者は一般人に過ぎない。 その人間たちを殺戮していくことなど造作もないはずだ。そう、HBの鉛筆をベキッとへし折るように簡単に出来るはずだ。既に生き残りは3分の2。それに目の前には佳乃と渚という格好の標的がいるではないか。 さあやれ。殺してみせろ。生き残るためだ、死にたかないだろベイベ? 「ノウ」 理性が弾き出す、最も生存確率が高くなるであろう行動指針をあっさりと否定した。 俺はその考えに、反逆する。 そうするのが本当のNASTYBOYであるはずだ。気に食わない奴はブッ飛ばす、本当の自分の姿であるはずだ。 弱い考え、弱い考えに流れていくのは最も嫌いな行為だった。 「やってみなくちゃ分かんねぇだろうが」 まだ勝負はついていない。勝てないと決まったわけではまったくないのだ。 行動指針は変えない。まずは同志を探し出して戦力を整える。全てはそれからだ。 「よし行くかっ」 意気揚々と外に出て行こうとして、何か忘れていることに気付く。 ああ、そうだ、思い出した。 「…まずは同志二人を起こさないとな」 エディと夕菜の苦笑いが、聞こえたような気がした。 * * * 佳乃と渚の二人を起こした宗一は、放送の内容を伝えてからなるべく早く出立の準備をするように伝えた。もちろん、夕菜とエディのことは伏せて。 「そんなにたくさんの方が…」 渚は悲しそうな顔をして、泣きそうな表情になっていた。分かっているとはいえ、家族の名前が読み上げられただけでも辛いだろうに… 佳乃はというと、渚の方を見ながらどう反応していいのかというような複雑な表情をしていた。 「どうした?」 「ううん、何でもない…ただ、あたしはあの中に知り合いの名前が一人もいなかったから…喜んでいいのかな、って」 渚の心情を考えるに、手放しで喜んではいけないと思ったのだろう。そんな佳乃に、渚は優しく笑いかける。 「喜んで…いいと思います。だって、また大好きな人と会える可能性がまだありますから。わたしも、お父さんとお母さんはいなくなってしまいましたけど… でも、朋也くんや春原さん、ふぅちゃん、ことみちゃん、杏さん、椋ちゃん、坂上さんに会える可能性はゼロじゃないですから…」 「…うん、そうだね。喜ぶ、べきだよね。ごめんね、変なこと言って」 気にしないで下さい、と首を横に振る。今ある現実に絶望するよりも、先の未来を信じて行動しろ。そうしろと言っているようにも見て取れた。 なんだ、まるで俺と考えていることが同じじゃないか、と宗一は思った。 「ともかく、まずはここから出るぞ。仲間を集めるんだ」 自身のデイパックを持ち上げ、先に外へ出ようとする。すると佳乃が「ちょっと待って」と宗一を呼び止める。 「あのね、置き手紙を残しておくのはどうかな? ほら、ここってこれからもたくさん人が来そうだし…これから行く場所とかを書いておくとか」 置き手紙か。宗一はしばし顎に手を当てて考える。良さそうな案ではあるが、敵に知り合い関係、これからの行き先を知られてしまう可能性もある。 「しかしな、万が一敵がその手紙を見たらどうする? 俺たちの行く先に待ち伏せされるかもしれないぞ」 慎重な意見を出したつもりの宗一だが、あっさりと佳乃に反論される。 「そこはそれ。見た人にしか分からない秘密の暗号を使うんだよ」 ハハア。考えたものだ。なるほど暗号か。 「その発想はなかったな」 「でしょ〜?」 えへんと胸を反らしている佳乃にうんうんと宗一が頷いていると、横から渚が、 「あの…確か那須さんって世界でも一番のエージェントさんなんですよね…手紙とかを暗号にするの、よくやってるって思ってたんですけど」 と言った。 「「……」」 途端、場の空気(特に宗一周辺)が一気に凍りついた。沈黙が場を支配し、診療所のお粗末な窓が風もないのにカタカタと揺れた。 「あ、あれ? わたし、何かヘンなこと言いましたか? す、すみませんっ。わたし、映画の見すぎですよね、えへへ…」 渚の言葉がさらに突き刺さる。もうやめて! NASTYBOYの精神力はとっくにゼロよ! 「…つくづく思うんだけど、ホント〜に宗一くんってエージェントに思えないよね」 「ほっといてくれ、どうせ俺はゴクツブシさ…」 誰もそんなことは言ってやしないのだが。 「と、とにかく、置き手紙を作るんですよね? 文面はどうするんですか?」 悪の演劇部長、古河渚が必死に空気を戻そうとする。佳乃も「そ、そうそう、頼むよ宗一くん」と合いの手を入れる。それでようやくやる気を取り戻した宗一は筆記用具を取り出し、文面を考え始める。 暗号、ね…使ったことは何度もあるさ。ある…が、作るのも解くのももっぱら機械任せだったからなぁ…それに頭のいいリサはともかく皐月や七海にも分かるようにするべきなのか… いや、決して二人がバカだって言ってるわけじゃないぞ。ただリサがアレだからさ、うん。 などと言い訳していると、ふと思い浮かんだ疑問が口から出る。 「…そう言えば、そもそもどこに行くんだっけ?」 「あ、それ決めてなかったね。どこがいい渚ちゃん?」 渚は「わたしは那須さんにお任せします」と言い、それを聞いた佳乃も「じゃあ私もそうする」と宗一に委任する形を取る。これで決定権は宗一に移ったのだが、さてどこに移動するか。 人を集めるなら必然的に集まりうそうな場所…つまり島の各所にある村を訪ねるのが手っ取り早い。当然敵に出くわす危険性も高まるが虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。 氷川村はもう調べてしまったから東回りに行き鎌石村に行くか、西回りに行って平瀬村に行くか。 東回りの場合、灯台や学校などポイントとなる施設はあるが頻繁に人が集まるとは考えにくい。鎌石村までの距離も遠い。こっちは時間をかけて移動していられるほど余裕はない。 「先に西回りで平瀬村に行くか。後は暗号を考えて…」 とは言うものの、正直ネタが浮かばない。簡単すぎず難しすぎない暗号というのは作成が困難なのである。 「平瀬村…ひらせ…ヒラメ…ヒラメの燻製…燻製…スモークチーズ…にょろーん…」 「ねえ、ただの連想ゲームになってないかな?」 佳乃に突っ込まれる。出来るなら最後の言葉に突っ込んでほしかったと宗一は思った。 「って、冗談言ってる場合じゃないな。そうだな…西回り…西…お、閃いた」 妙案が浮かんだ宗一は元・秋生の地図の裏に短い一文を書き込んだ。 『太陽の沈む村で合流しよう。待ってるぜ。NASTYBOYより愛を込めて』 「太陽の沈む村って? あ、私も名前書くね」 佳乃が質問しつつ宗一の文の下に名前を書き込む。名義は『同じく、ポテトの親友一号より』であった。 「太陽は東から昇って西に沈むだろ? 西にある村は平瀬村ってことさ」 「でもそれってちょっと単純じゃないかな…どうせなら、『日出ずる処のなすてぃぼうい、書を日没する処の村に致す。そこで合流されたし』とかそーいうロマン溢れる文面の方が良かったのに」 佳乃の方が宗一よかいい意見を出していた。確かに、適度に分かりにくい程度になっている。 「…そっちのほうがいいかもな」 まさに形無し。 ああ、ちょっと待て。俺は世界でもトップクラスのエージェントじゃなかったのか? いつからこんな役立たずキャラに変貌してしまったんだ? まて、慌てるな。これはきっと主催者の罠だ。俺の知識、経験を異能力で封じてるんだ。 …そんなのは無理だろ。常識的に考えて。 ガックリと肩を落とす宗一に佳乃が慌ててフォローする。 「そ、そんなに気にすることないよ宗一くん。私だって、さっきのは解説があって急に閃いただけだし…宗一くんの意見ありきだから、皆の共同作業で生まれたってことでFAっ! あははは…」 佳乃が乾いた笑いを出している間に渚も名前を書く。 「『演劇部部長から部員のみなさんに』…できましたっ」 渚が紙を宗一に手渡す。受け取った宗一は深くため息をつくと、自分の書いた暗号を二重線で消し、佳乃発案の文章を書いていった。 書いている間、もし無事に戻れたら鍛錬は怠らないようにしよう、と心に誓う宗一であった。 * * * 置き手紙を残して診療所を出た宗一たちは島の海岸に沿って平瀬村を目指し続けていた。 荷物は武器を宗一が、食料を渚が、その他の品を佳乃が持っている。 ここまで誰とも出会うことなく順調に進めたのは幸運だと言っていいだろう。逆に言えば、もうそれだけの人間が死んでいるという事実でもあるが。 「誰とも会わないね…」 佳乃が周囲をきょろきょろと見回しながら呟く。 「案外海岸沿いってのは人があまり歩かない場所なのかもな」 道が一本しかない関係上逃げるのには不都合だ。そういう心理効果が働いているのかもしれない。 「ところで霧島さん、気になっていることがあるんですけど…」 渚が遠慮がちに聞く。聞かれた佳乃は後ろ向きに歩きながら「何かな?」と答えた。 「霧島さんのそのバンダナ、どうして手首につけているんですか? 怪我をなさっている様には見えませんけど…」 そう言えば、と宗一も思う。気にはなっていたが中々聞く機会を得られなかった。 佳乃は「ああ、これ?」とバンダナをひらひらと振った。何年も使っているのか、少し色褪せているようにも見える。 「ヘンなこと言うかもしれないけど…魔法が使えたらって、思ったことはないかな?」 魔法? バンダナとはおよそ縁のなさそうな言葉に二人は首をかしげる。佳乃はバンダナを高々と空に掲げて、続けた。 「これを外すとね、魔法が使えるようになるんだって。大人になってからの話だけど」 「魔法…が使えるんですかっ?」 渚は興味津々といった様子で佳乃の言葉に聞き入っている。宗一はその手の話は信じないタイプなので胡散臭そうな目を向けていたが。 「私にも分かんないけどね。ただ、気が付いたときには腕にこれがあって、お姉ちゃんがそう話してくれたんだ」 「お姉さん…?」 「ああ、そっか。渚ちゃんにはまだ話してなかったよね。聖、霧島聖って名前で、私のお姉ちゃん。世界一のお医者さんなんだよ。なんたってトラクターも直せるんだから」 それは医者と関係ないんじゃないか、と突っ込もうとした宗一だったが間をおかずに佳乃が喋り続けるので機会を得られなかった。 機械に機会を邪魔された。なんつって。 自分で言っておいて、皐月並みにつまらないと思った。 「お医者さん…ですか。凄いです」 「でしょ? …で、もし大人になって、魔法が使えるようになったら…空を飛んでみたいんだ。空って、なんか気持ちよさそうだよね?」 佳乃が空を見上げる。つられるようにして二人も空を見た。 この殺し合いの中でも空はただ変わりなく、悠々と流れ続けている。 「空が飛べたら…こんなところから、すぐ出て行けるのにね」 「…飛べるさ。このクソ馬鹿げたゲームを支配してる奴らを倒せば、きっと」 宗一が空に手を突き出し、親指を高々と天に突き上げた後それを180度回転させ地面へと向けた。 世界を、ひっくり返してやる。 平瀬村までは、もうすぐだった。 【時間:午前9時30分】 【場所:H-3】 霧島佳乃 【持ち物:S&W M29 6/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】 【状態:健康。平瀬村まで行く】 古河渚 【持ち物:おにぎりなど食料品・支給品一式(秋生のもの)】 【状態:健康。平瀬村まで行く】 那須宗一 【所持品:FN Five-SeveN(残弾数20/20)包丁、ほか水・食料以外の支給品一式】 【状態:健康。渚と佳乃を守る。平瀬村まで行く】 【その他:食料以外の支給品は全て診療室に置いてある、ハリセンは放置。診療所内に置き手紙を残しておいた】 - BACK