彼の見た真実/家族ヲ想フ/くやしさでいっぱい




よぉ。よい子のみんな、元気にしてたかな? 俺様は元気だぞ。メインルートのB-18も終わって新シリーズの始まりだ! …えっ、別に新シリーズでも何でもない? まぁそんな固いこと言うなよ。
それじゃ、本題に戻るとしますか。

     *     *     *

さて、悪のマッドサイエンティストこと藤林杏の魔改造が終了してパワーアップ(?)を果たしたゆめみさんなんだが、それは置いておいてまずは目を覚ました七海に今の状況を説明しなきゃな。
…ところで、七海は俺様の名前を知ってたっけか?

「…あ、あなたはこの前会った自称はーどぼいるど…さん?」
自称とはなんだ自称とは。俺様は久寿川たちを救い、郁乃たちを救い(しかも2回だぞ、2回)、仲間の墓を作ってやった名実ともにハードボイルドな男なんだぞ。
…って、それ全部七海は見てないんだったか。

「高槻だ、覚えておくんだな。色々訳あって今は郁乃たちの棋士様として活躍中だ」
「漢字、違ってるからな」
横から様子を見ていた折原がすぐさまツッコミを入れる。うるせえな、俺様は碁も嗜むんだよ。ルールは分からないけどな。

「あっ、こーへいさんも…どうしたんですか? あちこちぐるぐる巻きになってますけど」
「ん…まぁ名誉の負傷ってやつだ。ちょっと悪人を追い払ったときにな」
実際は床に磔にされていただけだったのだが、お子様の夢を壊すわけにはいかないので黙っておくことにする。俺様は空気の読める男だからな。

「そうだったんですか…私、気絶してたから…ごめんなさい」
七海はしょぼんとうなだれてため息をつく。助けてあげられなかったことを後悔しているのだろう。
「気にするな。誰にだってそういうときの一つや二つあるさ」
「でも…私、最初に郁乃ちゃんが襲われてたときにも気絶してたんですけど…」
「「……」」

途端に黙り込む俺様たち。いかん、これはいかんぞ。ナーバスな空気は人を駄目にする。
「は、はは、次に頑張ればいいさ、次にな」
折原がテストでいつも悪い点を取っているオチコボレ学生のような言い訳をして、無意味に笑った。

「ねぇそこ、なんか空気澱んでない…?」
藤林が俺様たちを見て正直な感想を漏らした。ほっといてくれ…待て、そうだ、ゆめみは、ゆめみはどうなった?
俺様はいち早く三人組から抜け出しゆめみの元へ駆け寄った。

更新が完了し、再起動したゆめみは軽くステップを踏んでいたり腕を動かしたりしていた。
「あ、高槻さん。見てください。まるで体が羽のように軽いです!」
相変わらず左腕は動いていない(そりゃそうか、修理をしたわけじゃないし)もののゆめみの体はまるで別人のような躍動感を見せていた。

「それにしてもすごいわね…たかがプログラムを組み込んだだけなのにこんなに動きが良くなってるなんて」
郁乃が感心したように頷く。それは俺様も思う。今までのポンコツぶりが嘘のようだ。もしかして岸田の野郎が襲ってきた時既にこの状態だったら俺様の助けが必要なかったんじゃないか…?
嬉しいような、悲しいような複雑な気分だった。

「どこまで動けるのか、ちょっと試してみてよゆめみさん」
藤林が手を組みながらゆめみに指示する。流石マッドサイエンティスト、この程度じゃ不満なようだ。ゆめみははい、と返事してまずはサイドステップを踏む。
一歩で軽く横に2〜3メートルは移動している。その上スピードも中々速い。やばい…本格的に『運動能力ナンバーワン』の地位が危ぶまれる…

俺様の苦悩を余所にゆめみは次にダッシュする。悪路だというのにも関わらず並の人間以上のスピードで走っている。
「ゆめみさん…凄いです!」

俺様が『筋肉改造計画』を本気で実行しようかどうか悩んでいるのも知らず、七海が無邪気な声援を送る。
「ゆめみ、もしかして側転とかバック転もできちゃったり…する?」
郁乃が尋ねると、ゆめみは少し考えて「試してみます」と言い数歩、後ろへ下がった。

側転ならともかくバック転は流石に俺様でも出来ない。それにゆめみはぽややんとした性格だ。多分出来ないはずだ。もし出来たら小遣いやるよ。100円な。
ゆめみが地を蹴り、助走を開始する。一歩、二歩、…三歩目の右足がついたところでゆめみの体が宙を舞った。地面に手をつき、そのまま流れに沿ってゆめみが回転する。
綺麗に足から着地を終え、まずは側転が成功する。その勢いのままに今度は体を反転させ、後ろ向きに宙を――

「お、おおっ!?」

その時、俺様は奇跡を見た。

ほんの偶然だったのだ。ゆめみが回転するときに、偶然ゆめみのスカートの中が見えてしまったのだ。

それだけでオイシイ展開だ。まさしくギャルゲエロゲの主人公らしい展開じゃないか。お前らもそう思うだろ?

だが…それ以上のものが待ってるとは、この時の俺様は思いもしなかったんだ。

普通なら、女性のスカートの中にはまあ、あれだ、いわゆる『ぱんつ』があるはずなんだ。男のロマンだ。だけどな…

ここまで言えば勘のいいお前らは気づいているよな?

そう、ゆめみは、所謂『 ぱ ん つ は い て な い 』だったのだ!

――舞った。
俺様はその一部始終を目撃した後、つかつかと折原のところまで歩いて行った。

「見たか」
「ああ」
一言、折原はそう言ってゆっくりと頷いた。
流石だ。あの一瞬をよく見ていた。奴もやはり男だったというわけだ。
俺様と折原は黙ったまま熱い握手を交わしあった。

「アホかアンタ達はっ!」
そんな声が聞こえたと思うが早いか、どこからか飛んできた英和辞書と国語辞典がそれぞれ俺様と折原の脳天を直撃していた。
「バカ! スケベ! 最っ低!」
同じく顔を真っ赤にして怒っている郁乃が写真集×2(緒方理奈と森川由綺のものだ。イケてる顔だった)を投げてきやがった。角が当たってものすごく痛かったぞ。
「こーへいさん…たかつきさん…ひどいです」
七海までが非難の目線を送ってくる。

「って、オイ、ちょっとタンマ! ゆめみにバック転をしろって言ったのは郁乃じゃねえかっ! 見えたのは不可抗力、つまり俺様は悪くねぇだろっ!」
必死に身振り手振りをして無実を訴える俺様と折原。しかしヒステリーを起こしている二人は知ったこっちゃないと言わんばかりに罵声の嵐を投げかけてきた。

「たとえ見えたとしても! 不可抗力だったとしても! 見ないふりをするのが紳士ってもんでしょ!」
「そうよそうよ、これ見よがしに鼻の下伸ばして!」
そんな無茶な。言ってることは分かるが俺様の遺伝子が見ろと命じるんだよ。分かりやすく言うとだな、男の性ってやつだ。女子供はこれを理解してないからいけない。だよなポテト?

ぎゃーぎゃー言っている藤林と郁乃の言葉を、耳に蓋をしてシャットアウトしつつ心の友・ポテトを見る。
「…ぴこ」
だが当のポテトは「まだまだだね」とでも言わんばかりにやれやれと首を振るのだった。
むかつく。その体をラケットでテニスボールよろしく吹き飛ばしてやろうか。

「ほら、ゆめみさんも言ってやって言ってやって!」
藤林が煽るもののゆめみはきょとんとした顔で、
「高槻さんたちが見たと申しましても…わたしは何を見られたのかさっぱり分からないのですが…あの、バック転ってそんなに恥ずかしいものなのですか?」

いたって真面目な顔で確認するゆめみに唖然とする藤林。…そうか、よく考えてみりゃロボットにはそんな感情はプログラムされていないのかもな。ビバロボット。

ゆめみのボケにより調子が狂ってしまった藤林はしばらく目を泳がせていたが、やがて大きく一つ咳払いをすると、
「ま、まぁ…ゆめみさんは心が広いから許してくれたようだし、今日はここまでにしておいてあげるけど…とにかく、この非常時にそんなバカげたことはしないでよね?」

それを最後にようやくお説教が終わる。あーやれやれ鬱陶しいったらありゃしねえ。…しかし、こんなに大騒ぎしててよく敵に感づかれなかったもんだ。
確かに、もう少し気を引き締めた方がいいかもな。…いやいや、俺様はいつだって大真面目じゃないか。真面目じゃないのは折原だ。
「おいオッサン、何か今オレのことバカにしてなかったか?」
何て鋭い奴だ。こいつに依頼すれば、どんな難事件でも解決してくれるかも。

「道草を食うのはここまでにしようぜ。今の騒ぎで誰かがやってくるかもしれねえ」
誰のせいよ誰の、という声がそこかしこから聞こえてきたが概ね俺様の意見には賛成のようで地面に置いた各々の荷物を拾い上げて静々と固まって歩き始める。
それでようやく分かったんだが、寄せては繰り返す、波の音がどこからともなく聞こえてきたんだ。
海が近い、という証拠だった。

     *     *     *

柏木千鶴は、小牧愛佳と別れてから新たな獲物を探してウォプタルで徘徊していた。
ウォプタルの機動力と圧倒的な威力を誇るウージー。たとえ一人であっても負ける気がしない。そう、相手が多数であってもだ。

だが予備マガジンが4本しかないことを考えると無駄遣いは極力避けたいところだ。普段は日本刀で攻撃し、強敵に遭ったときだけウージーを使うのがいいだろう。
「ともかく、時間は惜しいわ…みんなのためにも急がないと」
悠長に構えている暇は、もうない。いつどこで妹たちが襲われているとも分からないのだ。

まずは外回りにこの島を回ってみることにする。案外、島の端っこに身を潜めている参加者がいるかもしれない。
生き残ることを優先するなら一箇所にとどまってじっとしている可能性も高い。そこを突くべきだった。

「さあ、行きましょう」
手綱を引っ張りウォプタルのスピードを上げる。愛佳といたときには見られなかった狩猟者の目が、赤く光っていた。
朝露の光る森を駆け抜け、まだひんやりとした空気のある村の郊外を駆け抜ける。まだ夜が明けて間もないからか、村の中に人の気配はない。家の中をしらみつぶしに探そうかとも考えたがそれでは攻める側が不利になる。

誰も彼もが襲撃に備えていないというわけではないはずだった。よほどあからさまに動いているのでなければ自分から突入するのは控えたほうがよさそうだ。
一応家の中の様子に気を配りつつ村を抜けていく。

…が、結局村の中では対した成果は得られなかった。誰とも遭遇することなく千鶴は村を外れて、海沿いの街道を歩いていた。
緩やかな傾斜が続く道で、見通しもいいところだった。海から吹き抜けていく風が千鶴の長い髪をそよそよと撫でていく。
見上げればそこには羊雲が広がり、その間からは陽光と、青のキャンパスが顔を覗かせている。観光として来たならば、どれだけゆったりとした時間を過ごせるだろうか。そんなことをぼんやりと考える。

「まったく、主催者も粋な計らいをしてくれるものね…」
皮肉を交えた笑みを浮かべつつ先へと進んでいく。
最初は見通しの良かった道だが、坂を上るにつれて海側のほうは崖が広がり、その反対側も普通に考えれば登れない傾斜の急な崖が聳え立っている。
道幅も狭くなり、まさに逃げも隠れも出来ない完全な一本道になっていた。

「こんなところを通る人がいるのかしら…」
引き返そうか、と考えたとき曲がった道の向こう、千鶴からは山が邪魔で死角になって見えない所から、にわかに人の気配がするのを感じた。

どうやら何人かが固まって行動しているようで何種類かの声が聞こえる。
すぐさま千鶴はウォプタルを駆けさせ、日本刀を抜いた。
座して待つよりも急襲をかけて虚をついたほうが効果的だと判断したのだ。
ウォプタルがその体を傾けた瞬間、千鶴は日本刀を構えた。

     *     *     *

「やだ、道が狭くなってる…」
順調に進む俺様たちだったがここに来て急に道幅が狭くなり、海側は断崖絶壁、森側は登れそうにねえ傾斜の急な岩壁になってやがった。
まさに一本道。道から踏み外せば海に真っ逆さまってことだ。

「何だ、怖いのか?」
俺様は「道が狭い」と漏らした郁乃に向かって笑いながらからかってみる。
「だって…私車椅子だから踏み外したら終わりじゃない」
てっきりいつものように噛み付いてくるかと思いきゃ珍しく弱気な意見を出した。

確かに、車椅子だから落ちたら一巻の終わりだわな…
「小牧さんはなるべく海側に寄らないようにしたほうがいいですね」
郁乃の車椅子を押していた藤林はゆめみの意見に頷いて、森側に寄るように車椅子を押す。
俺様と折原が郁乃の横に、後ろにゆめみ、藤林、七海が並ぶ。名付けていくのんフォーメーション。

我ながら素晴らしいネーミングセンスだと思ったが別に陣形でも何でもないことにすぐに気が付き口に出すのは控えておいた。
「狭いところだけど、見晴らしはいいですね…」
七海が海の彼方を見つめながらぼんやりと呟く。それにつられて俺様ほか、全員が崖の向こうに広がる広大な海原を見る。
「本当だな…水平線も見えるぞ」
空と海の境界は直線一本のみで区切られている。そう言えば、水平線なんて見るのは初めてだな…

「けど、逆に言えば近くに島がないってことよね…」
藤林の一言。それは、ここがまさに絶海の孤島だということを示していた。
すなわち、船がなければ脱出できない。
「それがどうした。主催者だって泳いでここまで来たってわけじゃあねえ。必ず船の一隻や二隻あるはずだ」
俺様はあくまでもポジティヴ・シンキング。何故なら俺様は主役だからだ。主役は諦めないってのが当たり前なのよ。

「そうね…そうよね。必ず脱出手段はあるはずよね」
藤林がそう言った時だった。
「おい、何か足音が聞こえないか?」
折原が道の向こう、曲がったところを指差した、その瞬間。

「なんだありゃ!?」
ポテトにも勝るとも劣らない珍妙な(たとえるなら恐竜だな)生物に跨った女がニッポンのサムライよろしく日本刀を構えながらこちらに突進してきた。
おいおい、多人数だと敵も簡単に襲ってこないつったのはどこのどいつだっけ? …なんて文句垂れてる場合じゃあねえよなッ!
俺様はコルト・ガバメントを構えて女に警告…

「ふっ!」
一瞬、何をしたのか分からなかった。女が手綱を引っ張ったかと思うと謎の怪恐竜が飛び上がり、俺様の遥か上を越していきやがったんだ。
郁乃や七海を守るために前に押し出ていた折原やゆめみもこれに反応できず女にがら空きの後ろを取らせてしまう結果になった。

「くっ!」
唯一郁乃の車椅子を押すため後ろにいた藤林が何か武器を取り出そうとするが…
「遅い!」
怪恐竜の尻尾が藤林をなぎ払う。切磋に反応してなぎ払いを避けた藤林ではあったが…
攻撃を食らった奴が一人いた。

「きゃあっ!」
尻尾の一部が車椅子に当たり、止まっていた車椅子が海の方向へと向けて動き出す。
「あ…っ」
七海が手を伸ばしたが届かず、動き出した車椅子はそのまま崖から落ち、郁乃もろとも海へと落下していく。

「郁乃っ! ちっ、本当に落ちるんじゃねえよ!」
落下する郁乃を追って、俺様も崖の下へダイブする。だが同時に飛び降りた奴がもう一人…いやもう一体いた。

「小牧さんっ! 今行きます!」
横を見ると、既に俺様に並ぶようにしてゆめみもダイブしていた。…ちょ、待て待て待て!
「ゆめみ! お前ロボットだろうがっ! 海水とか大丈夫なのか!?」
「はい、わたしの筐体は第2種業務防水仕様となっておりまして…」
つまり大丈夫なようだ。
「ならいい! しっかり郁乃を捕まえとけよ!」
「はい、分かりました!」

ゆめみは恭しく返答すると郁乃の方へ再度向き直った。俺様もそれに続く。途中で、その本人と目が合った。
「ゆめみ、高槻…どうして」
明らかに戸惑った目線と口調。そりゃそうだ、崖は崖でも断崖絶壁。高い高い。普通飛び降りようとは思わないからな。

本来なら『決まってるだろ、俺様はハードボイルド小説の愛読者だからな』とでも言うシーンだけどよ、そんな余裕はないんだな。だから俺様は簡潔に、こう言ってやったさ。
「ぴっこり」
…違う、今のは俺様じゃあねえ、ってかまたポテトか! お前までついてきやがって…あくまでも俺様から主役の座を奪うつもりか? そうはイカツンツン…って、台詞言う暇が無くなった。
結局、無言のまま俺様とゆめみ(+ポテト)は郁乃を追って海へと飛び込んだのだった。

     *     *     *

高槻とゆめみが飛び込んだ後。
先程は遅れを取った杏だが、持ち前の運動神経を生かしてすぐに起き上がり、七海を連れて浩平の元へ合流することに成功した。
愛用の辞書を取り出しながら、浩平に問う。

「ねえ浩平…どうする? あんたは飛び込まないの? …と、ボタン、あんたも隠れてなさい」
「ぷひ」
言われたボタンは素直にデイパックの中に隠れる。
「まさか。オッサンみたいな度胸、オレにはないって。そういうあんたは」
浩平はPSG1を取り出して水平に構える。杏も笑って、言った。
「以下同文。それに…土をつけられたまま逃げんのは好きじゃないし」

体勢を低くし、いつでも攻撃に移れるようにしている。顔を向けぬまま、今度は七海に言う。
「七海ちゃん。あたし達の後ろにいて。絶対出てきちゃダメよ」
「い、いえ! わ、私もえんごしますっ! 暴力なんて嫌いですけど…役立たずなのは…私はイヤです」
溢れんばかりの殺気を放つ千鶴を前にして身体を震えさせながらも七海もまた戦おうとしていた。
「だけど…」

諫めようと杏が後ろを振り向いた瞬間だった。千鶴を乗せたウォプタルが地を蹴り、さながら豹のような獰猛なスピードで前進してきた。
「来るぞっ!」
浩平は叫ぶとPSG1を発砲する。しかし狙撃銃であるPSG1は近距離での攻撃には向いていない。

銃弾はウォプタルの横をすり抜けていくだけだった。
「ヘタクソっ! お山の大将さえ落とせば…!」
杏は素早く振りかぶるとまず右手で英和辞書を、続いて左手で国語辞典を千鶴の頭部目掛けて投擲する。
「七海ちゃん、三冊目!」
「は、はい!」
手を差し出す杏に素早く和英辞書を手渡す七海。
初撃と二撃目は相手の体勢を崩すためのもの。三冊目の投擲で千鶴の顔面に命中させてやるつもりだった。だが…

千鶴はウォプタルの上に立つとそのまま跳躍し、そのまま頭上から日本刀を振り下ろした!
投げられた辞書は、むなしく空を切る。
「狙いはいいわ、だけど素人なのよ!」
一度起こした動作はすぐに止められるものではない。辞書を渡しかけていた七海に、無常な一閃が見舞われる。

日本刀によって、右肩から胸部が引き裂かれ放射状に血液がばら撒かれる。
「あ、ああ…」
乾いた声が七海の口から漏れたかと思うと、まるで糸が切れた操り人形のように、辞書を赤く自身の血で染めて…立田七海は倒れた。
「七海…ちゃん…っ、このぉ!」

目の前で仲間が倒され、今すぐにでも駆け寄って介抱してやりたい気持ちに駆られた杏だったがそんなことをしていては次に殺されるのは自分だ。それに…こうなったのは明らかに自身の失策。
尻拭いは…自分でしてみせる!

辞書の代わりに、一番近くにあったスコップを掴み横薙ぎに千鶴へと叩きつける。
だが千鶴は軽く刀身で受け流すとそのまま蹴りを杏に見舞った。
腹部に直撃を受け、数歩後退してしまう。なんて力だ、と杏は思った。

「今度はオレの番だ!」
近距離ではPSG1が役に立たないと悟った浩平は34徳ナイフに持ち替えて千鶴へと肉薄する。
しかし浩平の攻撃も予測していた千鶴は懐へ入られた差を補うために日本刀を真上に放り投げ、ナイフを避け、自由になった両手でナイフを持った浩平の手首を掴み、そのまま腕を捻った。
「なっ…!」
浩平の身体が回転し、そのまま激しく地面に打ち付けられる。そのときの衝撃でナイフが手から滑り落ち、それを千鶴が海へと蹴り落とす。
そして、それから一秒と経たないうちに、再び日本刀が落下してきて――器用に、千鶴は柄を空中で掴んでみせた。

「くそ…!」
必死に地面を転がって千鶴の刀の射程圏外まで離れ、杏の側でまた立ち上がる。

「杏、あのおねーさんまるでバケモンだぜ」
「二人がかりでも歯が立たないなんて…いや、まだまだこれからよ」
「ああ、早いとこ倒して七海を手当てしないとな…武器残ってるか」
「包丁あるわよ」
「借りるぜ」

ごく短い会話だけを交わして、杏はスコップを、浩平は包丁を武器に構える。
「でやあぁぁっ!」
そのまま、突進。いくら相手が強くてもこっちは二対一なのだ。波状攻撃を仕掛ければ勝てなくはないはずだった。
まずは杏がスコップを槍のように突き出す。千鶴はそれを最低限の動きで横に避け、肘鉄を杏の顔面に叩き込む。
鬼の力によって常人を超えるほどの圧力が杏を倒れさせる。

次はその横から浩平が包丁を水平に薙ぐ。しかし千鶴はそちらに向き直ることなく素早く屈み、その美しく長い足で浩平の足元を掬い、バランスを崩した次の瞬間には立ち上がりざまの後ろ回し蹴りが浩平を捉えていた。
流れるような一連の動作に何も出来ぬまま浩平もまたあっけなく地面に膝をつく。
「日本刀じゃ長すぎてやりにくいわね…さっきのナイフ、拾っておくべきだったかしら」
運動能力ではそこらの女子を遥かに上回る杏、そして男である浩平の二人を相手にしているにも関わらず余裕綽々の千鶴。まるで格闘の模擬戦でもやっているかのような態度だった。

「余裕ぶっちゃって…後悔するわよっ!」
「嘗めるなっ!」
同時に起き上がり、杏は千鶴の前から、浩平は後ろから挟み撃ちにする。
千鶴はまず、浩平へと向かう。

日本刀と包丁ではリーチが違いすぎる。だが相打ちくらいにはもっていってみせる。
「覚悟っ!」
真っ直ぐ突き出して最短距離で千鶴を攻撃する。千鶴としてはこんなところで傷をつけられるわけにはいかなかった。
だから千鶴は攻撃は行わずに浩平の一撃を受け流す。届くはずの攻撃が虚しく千鶴の横を通過していく。

「お釣りはいらないわ、取っておきなさい」
千鶴と浩平が横に並んだ瞬間、強烈な手刀が浩平の横っ腹にめり込む。電気が流れるような痛みが浩平を襲い、次には岩肌に体を打ち付ける結果になった。
「…あなたもね」

続いて迫る杏もスコップを刀で打ち払い、がら空きになった胴に前蹴りを見舞う。
「げほっ、ぐ…」
あまりの衝撃に咳き込み、行動が取れなくなる。その間に距離をとられ、また千鶴の前に二人が並ぶような形になった。

「強い…」
「ああ、まったくだ…ここまで力の差があるとは思わなかった」
強すぎる敵。だが二人の目から闘志が失われるような気配はない。
「「だけど、強くても勝つ!」」

七海を手当てしなければいけないから。彼女のためにも、まだ戦いをやめるわけにはいかない。
しかし千鶴は冷酷な目線で、二人を見下すように言った。
「無駄よ…あなた達では私に勝てない。この子のように、すぐに楽にしてあげる。…来なさいウォプタル!」
千鶴が一声かけるやいなやそれまで後方で待機していたウォプタルが近寄り主を乗せるべく首を垂れる。

「そろそろ終わりよ!」
颯爽とウォプタルに跨ると、また千鶴は二人へと直進する。
「う…! 高さが…」
ウォプタルの体長は二人の身長ほどあるのでそれに跨っている千鶴の身体には攻撃が届かない。
他に武器はない。
避けるスペースも見当たらない。
正面から、受け止めるしかなかった。

「ごめんっ、恐竜さん!」
ならばウォプタルを潰せばよいと考え、スコップを縦に構えウォプタルの頭を狙った杏だが…
またもや千鶴の乗ったウォプタルが、杏の射程に入る一歩手前で跳躍した。
そして千鶴が持っていたのは――日本刀ではなく、サブマシンガン、マイクロウージーだった。

着地と同時、振り向きざまにウージーが掃射される。
避ける間もなく、二人のいる空間に銃弾の雨が降り注ぐ。特に、杏に向かって。
背中に浴びせられた銃弾が杏の身体を貫き、蹂躙する。しかし奇跡的にそのうちのどれもが致命傷となることはなかった。不安定な姿勢で放ったことで銃口が大きく逸れたのだ。

だが、身体の何箇所にも風穴を開けられた杏が重傷であるのには変わりない。前のめりに倒れる杏を、浩平がまだ痛む体で必死に抱き抱えた。
「杏! クソッ、しっかりしろ!」
「あ…く…」
まだ息はあるようだったが相当苦しいのかまともな声を出せない様子だった。浩平は思った。
このままでは、全員死んでしまう、と。

もはや浩平と杏に残された道は、七海を残して…悪く言えば、見殺しにしてでも逃げるしかなかった。だが、それすら出来るかどうか怪しい。
残された道具で、逃げる策を講じなければならなかった。
(何か、何か目くらましになるようなものは…?)
デイパックの中身を漁ろうとしたが、千鶴がそれを許すわけがない。再びウージーを構えた姿を見て、浩平は破れかぶれに自分のデイパックを空中に放り投げた。

ばらばらと、中身が零れる。そして、その中身の一つ。それにウォプタルが反応した。
「え…? ウォプタ…きゃあっ!」
いきなりウォプタルが動き出したため、バランスを崩した千鶴が地面に落下してしまう。
「しめたっ!」
千鶴が地面に落ちたのをこれ幸いに杏と他の荷物を抱えたままと全速力で逃げる浩平。全身が痛くてたまらなかったが、それでも駆けた。
杏の手当てを、一刻も早く杏の手当てをしなければならない。それが出来る施設は…
「…学校の、保健室しかないか!」

今まで来た道を、浩平は戻っていく。その際、七海の姿が脳裏を掠める。
助けられなかった。
「悪い…悪いっ…立田…」
泣きたかったが、今は泣くわけにはいかなかった。逃げろ。ひたすら、今は逃げろ。


     *     *     *

ようやく起き上がった千鶴は、どうしてウォプタルがいきなり動き出したのか、ようやくわかった。
ウォプタルが美味しそうに頬張っているもの。それは浩平のデイパックの中にあっただんご大家族(100人)だった。
「お腹が空いてたのね…」
忘れていた。この珍妙な生物もまた生きているのである。今の今まで酷使してきたのだから空腹になって当然だった。

「今回は仕方がない、わね」
気付かなかったのは自分のミス。次からは気をつけるようにしなければならない。取り敢えずウォプタルが満腹になるまで待つとして…その間に戦利品を拾っておく。
戦利品を整理している間、千鶴は七海の遺体を何度も見ていた。
千鶴が斬りつけた時には、まだ息があるはずだった。しかし戦闘が終わったときには、既に彼女は絶命していた。

恐らく、苦しみながら死んでいっただろう。妹たちと同じくらいの年齢の子だった。きっとまだ生きたかっただろう。
「…でも、私にも大切な家族がいるのよ」
全てはそのため。家族を守るために…千鶴はその手を血で汚すことを選んだ。その選択は、今でも間違っているとは思っていない。だが…

「悲しい、わね」

千鶴の小さな一言。けれども、それは、海から聞こえる波の音にかき消されてしまった。
無邪気に鳴くウォプタルの声が、千鶴を慰めるように響いた。




【時間:2日目・10:30】
【場所:C−6東】

柏木千鶴
【持ち物1:日本刀・支給品一式、ウージー(残弾12)、予備マガジン×4、H&K PSG−1(残り3発。6倍スコープ付き)、日本酒(残り3分の2)】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図】
【状態:左肩に浅い切り傷(応急手当済み)、マーダー】
ウォプタル
【状態:食事中(だんご大家族・43人死亡)】

ダイバー高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:7/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:海へ飛び込む。岸田と主催者を直々にブッ潰す】

小牧郁乃
【所持品:写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、車椅子、ほか支給品一式】
【状態:海へ転落】

立田七海
【所持品:なし】
【状態:死亡】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(忍者刀・手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:海へ飛び込む。左腕が動かない。運動能力向上】

折原浩平
【所持品:包丁、フラッシュメモリ、七海の支給品一式】
【状態:打ち身など多数(どちらもそこそこマシに)。両手に怪我(治療済み)。外回りで鎌石村へ】

藤林杏
【所持品1:携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ほか支給品一式】
【所持品2:スコップ、救急箱、食料など家から持ってきたさまざまな品々】
【状態:重傷、ただし急所は外れている】

ボタン
【状態:杏のデイパックの中】

【その他:34徳ナイフ、辞書(国語、英和)は海へ落下、和英辞書は七海のそばに放置】
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