前夜の雨が空気中の塵を払い、空の蒼さも相まって朝のすがすがしい風がそよいでいた。 鎌石村消防署を出立して一時間あまり、月島拓也一行は難なく鎌石村役場前に着くことができた。 道を曲がると入り口からそう遠くない所に、一組の男女が折り重なって倒れている。 彼らの周辺には割れたガラスが飛び散っており、二階から落ちたらしいことが解かった。 仰向けに倒れている少年の顔を見るなり、長森瑞佳と柚木詩子は駆け出していた。 「こ、浩平……こーへー!」 瑞佳は変わり果てた折原浩平に取り縋り、声を枯らして幼馴染みの名を何度も叫ぶ。 慟哭する瑞佳の隣に詩子が座りこみ嗚咽を漏らした。 風が穏やかに流れる中少女達の泣き声が響き渡り、拓也ら三人は呆然とするしかなかった。 艱難辛苦を乗り越えてやっと会えたときは遅かった。 瑞佳はなんだかもう、どうでもいいような気がした。 投げやりな気持ちになる中、それでも自分だけが生き残って優勝の願いを叶えてもらおうなどとは思わない。 他の人には迷惑をかけず浩平の後を追うのがいいかもしれない。 顔を上げると、両手をそっと浩平の顔に当てる。その感触に違和感があった。 「冷たくない!」 おそるおそる運命を共にした少女──立田七海と重なっている所に手を入れてみる。 「どうしたんだ?」 「お兄ちゃんも触ってみて」 拓也は言われた通り、二人の重なっている所に手を入れた。 確かに感じる生前の体温の残滓。 掌を返して七海の胸を触ってみる。貧弱だが十分な弾力と温もりがあった。 見た目は瑠璃子よりも一つか二つほど年下の、このいたいけな女の子の死に様に目頭が熱くなる。 そのまま七海の胸を弄びながら、もう片方の手を浩平の背と地面の間に入れてみる。 背中側もやはり温もりが残っていた。 観察するに出血の具合からして雨が止んだ後、それも死んでさほど時間が経ってないようだ。 「この温かさからして、二人とも数時間前までは生きていた」 溜息が漏れやりきれない思いが募るばかりである。 「あのー、死んでるからって、いつまでもおっぱい触るのはいかがなものかと思うんですけど」 詩子が恨めしそうに睨んでいた。 「ああ、そうだったな。悪い……いやこれは検死。揉みしだくことによって死後の経過時間がおおよそ解るんだ」 名残惜しそうに手を抜いた時だった。 「首輪が、ない。二人ともない」 どうして誰も気づかなかったのか、坂上智代がぽつりと呟いた。 皆仰天し、口に手を当てたまま暫し沈黙が流れた。 「彼らは首輪解除の方法を得たに違いありません。その情報はきっと中にあると思います」 後ろ手に縛られ、見ているだけだった鹿沼葉子が興奮ぎみに口を開いた。 悲しみに暮れる中、明るい兆しが見えたような気がした。 葉子の言う通り役場内には首輪に関する重要な情報があるに違いない。 「中へ入ってみようよ。今はどうか堪えて」 智代と詩子に両脇を支えられながら瑞佳は浩平から引き剥がされた。 腰縄をつけた葉子を先頭に一同は役場の中へと足を踏み入れる。 その奥にはおぞましい光景が待ち受けていた。 陽光が差し込む明るい室内には、智代と詩子の見知った人物が変わり果てた姿となって置かれていた。 壁や備品に残る弾痕と血飛沫が彩る状況から、ここで柏木千鶴に対する壮絶な戦いが行われたことが窺われる。 「この人が悪名高い千鶴さん」 一頻り説明すると、詩子は千鶴に襲われたことを思い出し身震いした。 四人の遺体は外で見たものよりも、見るに耐えないほど酷いものである。 詩子と葉子以外は皆耐え切れずに嘔吐した。 「外の空気吸いに行こう。私につかまって」 「お兄ちゃん、ちょっと気分転換してくるからね」 「くれぐれもトイレに行かないでくれ、な」 智代に支えられながら瑞佳は裏口へと歩いて行った。 声からして二人のどちらのものとも知れぬ悲鳴が上がったのは、それから数十秒後のことであった。 それぞれの武器を手に二人は一斉に裏口へと駆けた。 外に出て間もなく、拓也と同じ学校の制服を着た少女が倒れていた。 こちらも首を切られているが更に頭部を割られているのが痛々しい。 拓也は覗き込むように観察するが腐敗が進み、人相が生前のものとはかけ離れている。 一瞬瑠璃子かと思いかけたが、付近に眼鏡が落ちていることからして藍原瑞穂のようだ。 「皆さん、すぐ戻ってください。外した首輪が見つかりました」 声のする方に振り向くと葉子が出入口に立っていた。 (しまった。柱にでも括り付けてなければ……しかし、よく逃げなかったな) 戸惑いを覚えながらも拓也は中へ戻ることにした。 一同ぞろぞろと屋内に戻る中、智代と詩子は居残り囁き合う。 「逃げようと思えば逃げられたのに、なぜ逃げなかったのだろう」 「そうねえ。もしかして本当にあたし達に協力するつもりなのかしら」 「ポーカーフェイスだからなあ、あの人。何を企んでるのか解らん」 脅して聞き出した内容から考えるに戦場遊泳をしているかのようだ。 ある時は敵対し、ある時は味方につくということをやるようではとても信用は得られない。 「くれぐれも背後を取られないようにね。さ、行こっか」 いつまでも密談をしているわけにもいかず、詩子が切り上げて中へ戻ろうとした。 「ところでだ。お前はいったい何者なのだ。さっきの惨殺死体を見ても割りと平気だったじゃないか」 「何者っていわれてもねえ。うーん、強いていえば、『ちょっとヘルシーなミルキーっ娘』だよ」 「『ちょっとヘルシー』なら『ほとんどビョーキ』ではないか。やはり只者ではない。そのうち化けの皮を剥いでやるからな」 二人が戻ると拓也の両側に瑞佳と葉子が並び、拓也の操作するノートパソコンを心配そうに見つめていた。 机の足元には外された四つの首輪と工具が落ちている。 うち二つは浩平と浩平に殉じた少女のものに違いない。残る二つは……。 緊張が高まる中、ロワちゃんねるのアイコンが表示された直後、一枚の紙切れが差し出された。 【これからは筆談で話を進めた方がよいかと思います】 的確な助言をしたのは以外にも葉子だった。 皆無言で頷き、筆記用具の準備をしながらモニターを注視する。 誰もが固唾を飲み、これから予想されること──首輪の解除方法が示されるのを待ち望む。 「出たぁーっ!」 喜びを隠しきれず拓也が口パクで叫んだ。 しかし現れたデータは予想を遥かに上回るものだった。 首輪解除はおろか、柳川祐也以下生存者が主催者打倒の作戦を実行中とのことだった。勿論高槻組も含めて。 【まずは私を実験台にしてください】 万が一偽の情報の可能性もある。それなのに葉子が最初を申し出たのである。 【どうする?】 四人は互いに顔を見合わせ、十秒を待たずして頷いた。 葉子の無事を確認すると次々と全員のものが外された。 最後に瑞佳の分が終わると拓也は智代と、瑞佳は詩子と強く抱き合い涙を流した。 喜びも束の間、瑞佳と智代の心は新たな悲しみに満ちていた。 (七瀬さんやっぱり死んじゃったんだ。力のないわたしなんかが生き残って……) (岡崎……やはり放送の通りだったのか。会いたかった) 書き込みの中に七瀬留美と岡崎朋也の名はなかった。 「坂上さん、我慢しなくていいんだよ。僕の胸で気が済むまで泣くがいい」 「えっ、あ、あの……」 髪を撫でられ、もう片方の手で背中を撫でられているにもかかわらず、なぜか不快感が起きない。 「坂上さんは石鹸の香りがする。いい女の子の匂いだ」 「お取り込み中済みませんが、地下要塞攻略作戦を見てみましょう」 葉子の凛とした声に二人は我に返った。 「そうですね。さあ、僕の隣に座っていっしょに見ようじゃないか」 「な……」 ごく普通な感じで半分空けてあった拓也の隣に座らされてしまった。それでいていやらしさはない。 拓也はそれ以上の誘惑をせずキーを打ち始めた。 性格が朋也とは全く正反対の男と肩をくっつけ合って座っている。 ただそれだけなのに、智代はなぜか安らぎのようなものを感じるのであった。 「ずるーい、あたしもー。月島さん、ポッ」 何を思ったか詩子が椅子を拓也の隣に運んできて座り、身を寄せる。 「両手に花とはまさにこのことだな。僕は幸せだなあ」 残された瑞佳と葉子は事の成り行きに憮然としていた。 仲間が決死の思いで戦っているというのに何という様なのか。 ふと葉子を見ると額に青筋が立っている。額が異様なほどに輝いて見えるのは浮き出た汗が光っているせいか。 手の自由が効かないことから、おそらく膝蹴りを浴びせるのは時間の問題だった。 視線を拓也に戻し、髪の毛を数本摘まむや一気に引き抜く。 「ぎゃっ!」 「ごめんね。白髪を抜こうとしたら抜かないでいいの抜いちゃった」 驚くべきことに鎌石村の入り口──要塞進入路は消防署の近くだった。 「私達もすぐに駆けつけよう」 だが拓也は頭を抱えて動かなかった。 「君達は知らないだろうが、主催者が『あの』篁財閥の爺さんなんだ。篁総帥だったなんて」 「お兄ちゃん、篁という人はどんな人なの?」 「僕だって名前くらいしか、表の顔しか知らないんだ。裏では何をやってるかは……」 「私がお話しましょう」 葉子の語るところは皆を驚愕せしめるものだった。 「なぜ葉子さんがそんな裏事情を知ってるんだ。あなたは何者なんだ?」 「私は神の使い。もっとも知っているのはほんの一部ですが」 葉子も拓也も口には出さないが共通の認識を持っていた。 異能者の力を制限する力があることから、篁は人外なのではないかと。 望みは薄いが座して死を待つよりも、進んで敵の懐に飛び込むしか方法はなさそうだ。 今後の戦術について議論は進まなかった。 相手が組織だけに膨大な数の武装兵が警備していることが予想された。 こちらの貧弱な装備でどうやって『プロ』の兵隊と戦うというのか。 末席に座る葉子を除いて四人が一通り意見を述べた。 どうにかまともなのは瑞佳ぐらいで、人数の多い柳川組に合流しようというものである。 「拓也さん、あなたはそれでも男の子ですか? 奮い立つのはセックスの時ばかりではいけませんっ!」 「そんなあ、瑞佳とはまだ──」 「わたしの縄を解きなさい。わたし一人でも行きます。敵に包囲される前に動くのです!」 この人は本気なのかと皆が思うほどに葉子は真面目な顔をしていた。 「鹿沼さんのいう通りだよ。こういうのを虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうじゃない」 果たして先発の高槻達と会えるかどうか──不安に思いつつも瑞佳は押し殺した声で叫んだ。 「解った。いう通りにしよう。縄を解いてやってくれ」 瑞佳に処置を頼むと、拓也は名簿を開き詩子と二言三言何事かを話し、続いて葉子とも同じやり取りをした。 名簿の幾人かに印がつけられ、あることが判明した。 「折原君といっしょに死んでた子なんだが、65番の立田七海さんらしい。それから二人を殺害した犯人なんだが……」 そこで一旦区切り口を濁した。 「何か言いにくいことでも? もしかして高槻さん達が」 「残る首輪は二つ。推測が正しければ……水瀬親子だ。間違いない、あの馬鹿っ母とイカレ娘だ」 「どうしてあの人達が殺すんだよう。お兄ちゃんの思い違いだよう」 瑞佳はムッとなり抗議した。少なくとも秋子はしっかりした考えの人であり、殺す側に回るような性格の人ではない。 「何か意見の対立があったのだろう。そうとしか言いようがない」 最後は消え入るような声だった。 「みんなも飲むとよ。いい気付けになるから」 いつの間にか詩子が酒瓶を片手に酒らしきものを飲んでいた。 「この不良め。高校生が飲んでいいのかっ?」 「智代も飲みなさいよ。ここは治外法権なんだから新聞に少女Tなんて載らないよ」 「いいじゃありませんか。ここで皆の『絆』を固めましょう。瑞佳さん、紙コップを出してください」 なかなか笑顔を見せない葉子が、初めて微笑んでいた。ニコニコと。 拓也も瑞佳も智代も詩子も皆が皆、血の気が引くのを感じた。 「ど、どうぞ」 震える声で瑞佳は一通り日本酒を注いで回った。 注ぎ終ると酒瓶の入っていたデイパックを見、これが浩平のものだったのかと思うと苦笑せずにはいられなかった。 支給品が日本酒だったなんて、ついてなかったとしか言い様がない。 「もう一つのデイパックにフラッシュメモリーがあったんですけど、調べますか?」 「時間がありません。一応持って行くといいでしょう」 皆が驚くほど葉子はテキパキと指示を出し、無駄なものは一切なかった。 柳川組が行動を開始してからかなり時間が経っている。 連携が上手くいかなければ篁に抹殺されてしまう。 出立を前に瑞佳は浩平のもとへとやって来た。 胸に組まれた手を両手で包み込み、じっと見つめる。 (浩平、お葬式してあげられなくてごめんね。わたしもそのうち行くから) 別れのキスをすると瑞佳は拓也達のもとへと駆けて行った。 「どうしてリヤカーに乗ってるんですかぁ?」 「見ての通り、脚がこの有様ですから本番を前に体力を消耗するわけにはいかないのです」 「瑞佳は……あ、戻ってきたか。また一時間ほどかかるなあ」 「さあ皆さん、地下要塞へゴーです」 葉子を囲む形で一同は消防署付近にある入り口を目指す。 だが狐につまれたような気分であった。 先ほどは護送だったのが護衛になっている。 囚われの身だった葉子は縄を解かれて意気盛んである。 皆と協力して主催者と戦うというのは本当なのか疑問が残るところであった。 葉子は拓也を立ててはいるが、実質的には葉子がリーダーようなものだ。 どうしてこのようになってしまったのか。そして自分達にはどのような運命が待っているのか。 四人の心は複雑だった。 【時間:三日目10:25】 【場所:C-03鎌石村役場】 月島拓也 【装備品:消防斧、メス】 【持ち物:包丁、日本酒(残り2分の1)、リヤカー、支給品一式】 【状態:リヤカーを牽引。両手に貫通創(処置済み)、背中に軽い痛み、首輪解除済み】 【目的:まずは要塞内部へ移動。高槻組との合流を試みる。主催者の打倒】 長森瑞佳 【装備品:半弓(矢1本)】 【持ち物:フォーク、フラッシュメモリー、消火器、支給品一式、浩平と七海の支給品一式、だんご大家族(残り100人)】 【状態1:リボンを解いて髪はストレートになっている、リボンはポケットの中】 【状態2:出血多量(止血済み)、脇腹の傷口化膿(処置済み、快方に向かっている)、首輪解除済み】 【目的:まずは要塞内部へ移動。高槻組との合流を試みる。主催者の打倒】 坂上智代 【装備品:専用バズーカ砲&捕縛用ネット弾(残り1発)、手斧】 【持ち物1:38口径ダブルアクション式拳銃用予備弾薬69発ホローポイント弾11発使用】 【持ち物2:ブロックタイプ栄養食品×3、LL牛乳×3、支給品一式】 【状態:健康、首輪解除済み】 【目的:まずは要塞内部へ移動。高槻組との合流を試みる。主催者の打倒】 柚木詩子 【装備品:ニューナンブM60(5発装填)、予備弾丸2セット(10発)、鉈】 【持ち物:ブロックタイプ栄養食品×3、LL牛乳×3、支給品一式、茜の支給品一式】 【状態:健康、首輪解除済み】 【目的:まずは要塞内部へ移動。高槻組との合流を試みる。主催者の打倒】 鹿沼葉子 【持ち物:支給品一式】 【状態1:リヤカーに乗っている】 【状態2:肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、全力で動くと痛みを伴う)、首輪解除済み】 【目的:まずは要塞内部へ移動。主催者の打倒。何としてでも生き延びる】 【備考】 ・消火器、浩平・七海・茜の支給品一式(日本酒含む)はリヤカーに積載 ・智代と詩子は船のことを誰にも話していない - BACK