多くの悲しみがあった。 多くの憎しみがあった。 多くの友情があった。 多くの愛情があった。 多くの涙が流された。 多くの血が流された。 多くの命が失われた。 様々な悲劇を生み出してきた永きに渡る悪夢は、遂に最後の最後、最終決戦の刻を迎えようとしていた。 ◇ ◇ ◇ 最早完全なる魔界と化した広大な空間、荒涼とした大地――『高天原』。 空気は赤黒く濁っており、精神力の弱い人間ならばこの場に居るだけで発狂してしまうだろう。 焼け付く空気により肌が焦げ、大地を踏み締める足がゆっくりと溶けてゆくような錯覚に襲われる。 そして、魔界の中心に鎮座する体長200メートル超の怪物――ヤマタノオロチ。 蛇のような頭を八つ持ち、八本の尾を生やし、腹は血で爛れている。 一つ一つの頭が持つ双眸には、紅く燃え盛る炎が宿されている。 その姿、その迫力、正しく邪神と呼ぶに相応しい。 悠久の時を経てヤマタノオロチが蓄えた力は最早、人間がどうにか出来るような次元の物では無くなっていた。 「な、何だあの怪物は……」 吹き付ける瘴気の所為で、柳川祐也の頬は一瞬にして血の気を失った。 全身の表面には鳥肌が立ち、喉は呼吸を忘れてしまったかのように動かない。 手足の末端までをも痺れさせる死の予感、圧倒的という言葉ですら足りぬ程の戦力差。 あの怪物の前には、どのような武器も、兵器も、救命具にすらなりはしない。 完全体の鬼が徒党を組んで挑み掛かった所で、勝ち目など無い。 「う……ああっ………」 計らずして、久寿川ささらの喉の奥から掠れた声が零れ落ちた。 他の者達も殆どが、ささらと同様に深い絶望を感じていた。 あんなモノには、勝てる筈が無い。 どれだけ勇気を振り絞ろうとも、どれだけ策を弄そうとも、あの怪物の一息で吹き飛ばされてしまうだろう。 人間は、神には決して抗えないのだから。 柳川も、ささらも、倉田佐祐理も、北川潤も、広瀬真希も、ガクリと地面に膝を付いた。 少なからず異能の力を体感している彼らだからこそ分かる――今起こっている悪夢は、間違いなく現実だと。 自分達はこれから、逃れようの無い死を与えられるのだ。 今まで抱いてきた想いも、希望も、死んだ仲間達の分も生きるという決意も、全てを無意味に打ち砕かれるのだ。 誰もが絶望し尽くし、闘志を失ったかと思われたが、その時。 「――おい、お前ら何やってんだよ! 今が一番の踏ん張り所じゃないか!」 一人悠然と屹立し、気を吐く男の名は、春原陽平。 その表情に怯えの色は微塵も無く、その瞳には決意の炎以外の何物も混じっていない。 北川が陽平の方へと視線を移し、沈んだ声で反論の言葉を口にする。 「そんな事言ったって……あんなのに、勝てる訳ないだろ……」 それは確信よりも更に確実な、疑いようの無い事実。 だというのに――陽平は、何の迷いも無く吠えた。 「勝てるか、勝てないかじゃねえ……やるかやらないか、なんだ。お前らはこのまま何もせずに死んでも良いのか? ……少なくとも、僕は絶対に嫌だね。僕はるーこと杏の分も戦わなきゃいけないんだ……最後の最後まで、全力を尽くさなきゃいけないんだ! 僕は諦めねえぞ。たとえ敵わないとしても、最後まであがき続けてやるッ!!」 告げる言葉の一つ一つには、はちきれんばかりの想いが籠められている。 自身の決意、藤林杏への友情、ルーシー・マリア・ミソラへの愛情。 かつて臆病者だった少年は最早、世界で一番勇気がある戦士へと成長していた。 少年の真摯な想いは、凛々しい雄叫びは、萎えきった柳川達の心に光を灯してゆく。 柳川がイングラムM10に新たなマガジンを装填し、前以上の闘志を瞳に宿す。 「チ――そうは言っても、貴様だけではどうにもならんだろう。仕方ない、俺も協力してやろう」 倉田佐祐理がレミントン(M700)を両手で抱え、ゆっくりと腰を起こす。 「そうでした――佐祐理も諦められません。佐祐理は祐一さんの、舞の、留美の分も戦わなくちゃいけないんです!」 久寿川ささらがドラグノフ片手に眉を吊り上げ、決意を口にする。 「私だって……戦うわ。私は先輩と貴明さんの分まで、一生懸命生きたい!」 広瀬真希がワルサーP38アンクルモデルを握り締め、勝気な笑みを浮かべる。 「そうね……あたしが間違ってた。此処まで来て諦めたりしたら、美凪とみちるに笑われちゃうわ」 北川潤が得物をSPAS12ショットガンに変えて、しっかりと立ち上がった。 「やれやれ……皆がやるってんなら、俺も行かなくちゃいけないんだろうな。どうせやるんならキッチリ勝って、皆で生きて帰ろうぜ!」 最後に、陽平が再び吠えた。 恐らくは彼の人生の中で、最も大きく力強い声で。 「さあ、行こうぜ皆!! あのバケモンをぶっ倒して、全てにケリをつけようぜ!!」 叫びが響き渡ると同時、柳川達は一人の例外も無く駆けた。 自分達の百倍以上の体躯を持つ、邪神に向かって。 ――それは、神話の再現だった。 ありとあらゆる生物を凌駕する巨大な悪神に対し、勇気ある戦士達が無謀にも挑み掛かる。 柳川のイングラムM10が、佐祐理のレミントン(M700)が、北川のSPAS12ショットガンが、ささらのドラグノフが、陽平のレーザーガンが、一斉に火を噴く。 放たれた銃弾は、全てヤマタノオロチの胴体に吸い込まれてゆく。 それは大型トラックすらも破壊し尽くす程の一斉射撃だったが、それでもヤマタノオロチには掠り傷一つ付ける事が出来なかった。 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」 直後、ヤマタノオロチの雄叫びが爆音となって響き渡り、『高天原』の大地を揺らす。 八つある内の一つの頭が口を開け、殺意が赤黒い炎の形となって吐き出された。 その炎の大きさは優に直径10メートルはあり、直撃すれば人間など簡単に叩き潰すだろう。 ヤマタノオロチが最初の贄に選んだのは、真希だった。 「――――っ!!」 真希は全力で大地を駆けたが、それでも避け切れない。 獲物の身体を飲み込むべく、赤黒い炎が凄まじい速度で宙を進む。 「真希ぃぃぃぃっ!!」 そこで北川が真希の進路に飛び込み、それと同時に迫る炎に向けてインパルス消火システムを撃ち放った。 圧縮空気で水の塊を発射するという最新技術を用いた消化砲撃が、ヤマタノオロチの炎とぶつかり合う。 だが所詮は人の生み出した技術であり、神話の世界の悪神には対抗出来る筈も無い。 赤黒い炎は噴き出される水の塊を悠々と押し退けて、北川と真希の身体を飲み込んだ。 「うっ……わあああああ!」 「きゃあああああ!!」 ある程度緩和したものの、巨大な衝撃力を殺し切る事など到底不可能だ。 北川達は大きく弾き飛ばされ、20メートル程離れた地面へと仰向けに倒れ込んだ。 「き、北川っ! 広瀬ぇぇ!」 陽平が悲痛な叫び声を上げたが、北川達からの返答は無い。 そして助けに行くような余裕も、与えられてはいない。 柳川が陽平の横に並び掛けて、視線はヤマタノオロチから外さぬままに、告げる。 「春原、今は目の前の敵に集中しろ。胴体は堅い――狙いは頭だ。炎を吐く瞬間を狙えっ!!」 全員の武器を全て撃ち込んでもまるで効果が無かった以上、胴体を破壊する手段は存在しない。 ならば、胴体よりも小さく、尚且つ重要な器官も詰まっているであろう頭部を狙う。 口が開いた瞬間に攻撃すれば、堅固な外皮に阻まれる事も無いだろう。 上手く行けば、頭部を破壊しさえすれば、きっとあの怪物も倒せる筈。 それが、柳川の判断だった。 柳川も、陽平も、ささらも、佐祐理も、各々の得物を構える。 ヤマタノオロチの一挙一動を見逃さないようにしながら、暗黒の大地を必死に駆け回る。 あの巨体に踏み潰されたら、正しく蟻のように殺されてしまうのだから、距離を確保し続けるのが重要だった。 そして―― 「ゴアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」 待ちに待った、ヤマタノオロチの咆哮。 先のパターンからすれば、この直後に炎を吐き出してくる筈だ。 柳川はその瞬間を狙うべく銃口を斜め上方に向けて――驚愕した。 「ク――あれ程の攻撃を二発同時に撃てるというのかっ!?」 ヤマタノオロチの八つの頭のうち、二つが大きく口を開いていたのだ。 それぞれの開いた口には、目に見て取れる程邪悪な瘴気が集結している。 それでも攻撃すべき瞬間、ヤマタノオロチを倒す好機は今しか存在しない。 防御など後回しで良い、今は攻撃に全てを注ぎ込め――!! 「右だッ! 右の頭を狙え!」 柳川の叫びに合わせて、陽平達は全員が全員、一つの頭部に狙いを絞った。 全弾をここで使い尽くすくらいのつもりで、攣り切れんばかりにトリガーを引き絞る。 「死ねえ! 篁ぁぁぁぁ!!」 「食らえ、るーこと杏の仇だっ!!」 「貴方は……貴方だけは許せません!!」 「先輩、貴明さん……私に力を貸してください!!」 先の一斉射撃に倍する気合、倍する火力を伴って、銃撃は全てヤマタノオロチの口の中へと吸い込まれた。 今の一撃で、陽平のレーザーガンは、ささらのドラグノフとニューナンブM60は弾切れ。 まだ他にも幾つか銃器はあるものの、明らかに火力が落ちる。 今のは柳川達の全身全霊を籠めた、最強最大の一撃なのだ。 にも関わらず―― 柳川が絶望に顔を歪め、悲痛な呻き声を上げる。 「莫、莫迦なっ……こんな莫迦なっ……!」 ヤマタノオロチは依然、凄まじい瘴気を纏ったままで存在していた。 狙った頭部は微かに黒い血を垂らした程度で、とても大きなダメージがあるような状態には見えなかった。 「グォオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」 柳川達の努力を嘲笑うかのような咆哮。 そして先程攻撃を免れた、もう一つの頭部から赤黒い業火が撃ち出された。 次なる贄は――佐祐理。 「…………ッ!!」 真希がやられた場面を目撃している分、佐祐理が回避行動に移るのは早かった。 荷物を投げ捨て、形振り構わず全力で、それこそ足が千切れても気にしないくらいのつもりで、駆ける。 ヤマタノオロチの巨体は、攻撃時に限定すれば弱点となってしまう場合がある。 炎の発射点の高度が200メートルにも達する所為で、目標までの到達が比較的遅いのだ。 だからこそ佐祐理程度の脚力でも、初動さえ早ければ何とか躱し切れる。 ――宮沢有紀寧によって負わされた、両足の怪我さえ無ければ。 「――ああっ!!」 傷付いた足で全力疾走を続けた反動だろう。 佐祐理は走っている最中に大きくバランスを崩し、地面へと転がり込んだ。 その間にも業火は容赦無く迫っており、佐祐理に絶対の死を運ぼうとする。 佐祐理は迫る絶望を目視するべく後ろを振り返り――炎は、見えなかった。 見えたのは只一つ、柳川の大きな背中のみ。 柳川は佐祐理を庇うように仁王立ちしており、業火を目前にして尚一歩も逃げ出そうとしない。 まるで此処が自分の居場所だと、佐祐理を守る事こそが自分の全てだと、そう言わんばかりに。 「や、柳川さ――」 響き渡る轟音、衝撃。 佐祐理が言い終わるのを待たずして、柳川の身体は莫大な破壊の渦に飲み込まれた。 断末魔の悲鳴すら無い。 何も語らず、何も抵抗せず、そして後ろにだけは何の攻撃も通さず、柳川は凄まじい勢いで吹き飛ばされた。 その飛距離、先の北川達の倍以上。 佐祐理が遠目で見ると、柳川の身体は鮮血に塗れていた。 止め処も無く流れ出す血、失われてゆく命。 駆け寄って確かめるまでも無い。 あれだけ凄まじい衝撃を受けて生きていられる人間など、存在し得ない。 たとえ『鬼の血』を引いている柳川だとしても、良くて瀕死――もう、絶対に助からない。 「柳川さああああああんっ!!!」 佐祐理の悲鳴が、果てしなく大きく木霊する。 最大の攻撃を直撃させたにも関わらず、ヤマタノオロチに大したダメージは与えられず、自分達の中で最強を誇る柳川も倒されてしまった。 陽平は未だ尚抵抗しようとしているが、それも1分と保たぬだろう。 ――こうして、邪神と戦士達の勝負は決した。 初めから結果の決まりきっていた勝負は、予定調和のままで結末を迎えた。 柳川達はヤマタノオロチに大したダメージを与える事すら出来ず、敗れ去ったのだ。 ◇ ◇ ◇ 「――柳川さん……畜生……!」 北川は真希と共に、目前で繰り広げられている絶望をただ見ている事しか出来なかった。 先程弾き飛ばされた際に二人共背中を強打し、立ち上がれなくなってしまったのだ。 冷たい地の感触を肌で感じ取り、阿鼻叫喚の悲鳴を耳にしながら、北川は思う。 ――自分達は一体これまで何をしてきたのだろうか。 【自分達にしか出来ないこと】をする。 これは自分と真希が終始一貫して守ってきた姿勢だ。 だがその結果、何が得られたというのだろうか。 遠野美凪も、みちるも、救う事が出来なかった。 ハッキングにはCDの発見で貢献したとは言え、功績の大部分は姫百合珊瑚にあるだろう。 柳川祐也や河野貴明のように、強力なマーダーを倒したりもしていない。 地下要塞の攻略にも、何の貢献も出来ていない。 ――自分達は何がしたかったのだろうか。 この島から脱出したかった。 生きて帰りたかった。 それは当然だ。 だが一番大きな望みは、脱出などではない。 自分達は美凪と、みちると、皆で一緒に過ごしていたかった。 過酷な殺人遊戯の場での生活は大変だったが、それでも美凪やみちると過ごした時間は、とても楽しかった。 一生忘れる事が無いであろう、掛け替えの無い時間だ。 自分達は、他の皆に比べて脱出や主催者打倒に関する執念は劣るかも知れない。 何としてでも戦い続けようという意志は劣るかも知れない。 でも美凪とみちるを大切に思う気持ちは、そして真希と北川の二人がお互いを大切に思う気持ちは、他の誰にも負けないから。 この島で一番大きな『想い』である筈だから。 北川と真希は二人で星の砂を握り締めて、願う。 北川の願いは――どうか真希を助けてあげて欲しい。 真希の願いは――どうか潤を助けてあげて欲しい。 瞬間、『高天原』に満ちていた赤黒い瘴気が消し飛び、暖かい黄金色の光が辺りを包み込んだ。 ◇ ◇ ◇ 「ギャァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ……!!」 黄金色の世界の中、ヤマタノオロチの壮絶な悲鳴が木霊する。 柳川達がどれだけ攻撃しても悲鳴一つ上げなかった怪物が、断末魔の雄叫びを上げている。 だがその雄叫びは、この場にいる他の誰にも認識されていないだろう。 何しろ陽平達の前には、死んだ筈の人間が現れているのだから。 「るーこ……杏……岡崎……?」 「先輩……貴明さん……?」 「舞……祐一さん……留美……?」 「「美凪……みちる……?」」 それぞれにとって掛け替えの無い存在が、とても穏やかな笑みを浮かべながら立っていた。 見ているだけで心が暖かくなるような、絶望が一瞬で霧散するような、そんな微笑み。 名前を呼ばれた者以外も、この島で死んだ多くの人間――青い石に吸い込まれた者も、そうでない者も、殆どの『想い』が具現化していた。 黄金色に光り輝く少女達は黙々と足を進めて、倒れている柳川の方へと歩み寄る。 柳川の前に辿り着くと、少女達の姿は掻き消え、代わりに一つの大きな光となり――言った。 ――ありがとう、と。 『高天原』を覆っていた光が急激に薄れてゆき、辺りの状況が明らかとなってゆく。 最初に陽平達の目に入ったのは、人間の姿に戻った篁だった。 「な……んだと……お…………」 篁は、威勢に狂い、権力に狂い、力に狂い、誰にも愛されなかった――ただの老人の姿をしていた。 圧倒的迫力を誇っていたヤマタノオロチと同じ存在とは、とても思えない。 「屑共が……屑共が……屑共がっ、屑共がッ、クズ共があああああっ!!」 篁はこめかみに血管を浮き立たせ、ヒステリックに叫んだ。 「おのれええええええ! よくも我が集めた『想い』の力を……全てを支配し得る力を……よくもおおおおおお!! 絶対に許さんぞ……皆殺しにしてくれるわああああああっっ!!」 叫ぶ篁の周囲に赤黒いオーラが沸き立つが、それはヤマタノオロチだった時と比べ物にならぬ程小さな瘴気だった。 それでも並の人間数人ならば屠れる筈だが、陽平達は哀れむような表情を浮かべるだけで、身構えようとすらしない。 何故なら―― 「オオオオオオオオオオオオオッ!!」 「何っ……!?」 凄まじい咆哮が聞こえ、篁は背後へと振り返る。 篁の後ろに鬼が――完全なる鬼と化した柳川が立っていた。 優に三メートルはあろうかという恐ろしいまでの巨躯、妖気を帯びて緑色に輝く双眸。 丸太のような腕の先には、長く鋭い真紅の爪が生えている。 古くから言い伝えられる鬼そのものの姿となった柳川は、全てを凍り付かせるような殺気を放っていた。 『想い』は――死者達の『想い』は篁の束縛を逃れ、柳川に力を貸したのだ。 そして真の力を制限されている篁では、完全体の鬼には対抗しようが無い。 「な――こんな事がっ……」 「グォオオオオオオオオオオオオッ!!」 篁の言葉が最後まで言い切られる事は無かった。 柳川の豪腕が篁の片腕を掴み取り、恐るべき力で上方へと投げ飛ばしていた。 「ぬおおおおおおおおおおおおおおおお…………」 天まで届きそうな程の勢いで、篁が上空へと飛ばされてゆく。 それに追い縋るべく、柳川もまた大地を蹴りつけ、天へと舞った。 篁が地獄の底から聞こえてくるような声で、絶叫する。 「ぬうううううっ……我は生成に伴う影! 我は虚無への可能性!! こんな所で滅びる訳にはいかんのだあああああっ!!!」 赤黒いオーラを纏った篁の剛拳が、下より迫る柳川の顔を正確に捉える。 だがその程度では、柳川の勢いを押し留めるには至らない。 「グオオオオオオオオオオオオ――――ッ!!!!」 鬼の咆哮と共に、白い閃光が迸る。 竜巻が生じ、血飛沫が渦を巻く。 鋼の刃と化した柳川の爪が、篁の腹部を深々と貫いていた。 柳川は地に降り立つのを待たずして、宙に浮いたまま篁の頭部を握り締める。 地面に着地すると同時、全ての力を込めて篁の頭部を締め上げ――――握り潰した。 黒い鮮血を撒き散らし、篁の身体が地面に崩れ落ちる。 身体の周りを覆っていた赤黒いオーラは消え失せて、逞しかった肉体も萎んでゆく。 後に残ったのは、みすぼらしく貧相な、ただの老人の死体だった。 『理外の民』本来の力ならば、これだけの傷を負っても生き延びられたかも知れない。 たとえ肉体が滅びたとしても、蘇る事が出来たかも知れない。 だが力を制限されてる今の状態では、いくら篁といえども死は免れなかった。 そしてその直後、柳川もまた地面に沈み、人間の――瀕死の人間の姿に、戻った。 それまで柳川の狩猟を見守るだけだった佐祐理が、弾かれた様に飛び出す。 「――柳川さんっ!!」 柳川に駆け寄り、その身体を抱き起こす。 腕に濡れた液体の感触が伝わり、その出所を確認すると――秋子に撃たれた箇所から、止め処も無く血が溢れ出していた。 秋子に撃たれた時点では致命傷になっていなかったが、ヤマタノオロチから受けた攻撃の所為で、状態が大きく悪化したのだ。 全身の骨という骨には罅が入り、或いはボロボロに砕け、自力で立ち上がる事すらままならない。 あれ程凄まじい戦闘力を誇った柳川の身体が、今はもう殆どの力を失ってしまっていた。 柳川は半ば光を失った目で、佐祐理の顔を見つめた。 「倉田……無事……か……?」 佐祐理がこくこくと頷くのを確認すると、柳川は表情を緩めて笑った。 全てをやり終えたというような、肩の荷が下りたというような、死に往く者の微笑み。 「……倉田――すまんな。お前と一緒に生きて……帰るのは、もう、不可能なようだ……」 「柳川さん……」 もう助からない――それは柳川自身も佐祐理も、認めざるを得ない事実だった。 まだ生きている事が、この身体で鬼になれた事が、既に奇跡の産物なのだ。 佐祐理は柳川の手を握り締めて、とても静かに言葉を紡ぐ。 「この島で出会ってから……私達、沢山お話しましたよね……」 「ああ……色々、話したな……」 二人は長い間、一緒に過ごしていた。 時には離れ離れになる時もあったけれど、ずっと一緒にいたいと思っていた。 この島から、脱出した後も。 佐祐理が言葉の意味、一つ一つを噛み締めながら続ける。 「一緒に星空を見ましたよね……」 「ああ……綺麗だったな……」 佐祐理は白く美しい指を伸ばし、土気色に染まった柳川の頬に手を当てた。 「何度も何度も助けてくれましたよね……」 「ああ……それが俺の、目的だったからな……」 答える柳川の声には、何の後悔も未練もありはしない。 柳川の顔は驚く程穏やかな微笑みを浮かべており、その表情からは満足感以外伝わってこない。 それも当然だろう――彼は最初から最後まで、自分の信念を貫き通したのだから。 ぽたり、ぽたりと佐祐理の瞳から涙が零れ始め、柳川の頬を塗らしてゆく。 「佐祐理は一杯……柳川さんに助けてもらったのに……ひっく……何もお返しを……、ぐすっ………出来てません……」 語る間に、涙の流れ落ちる勢いがどんどん増してゆく。 「佐祐理と、出会わなければ……っく……柳川さんは……、ひっく……きっと死なずに……済んだのに…………」 少女の涙は止め処も無く溢れる滝となって、柳川の身体に、地面に、降り注ぐ。 その様子を眺め見た柳川が、少し悲しそうな顔となって、言った。 「泣くな倉田……俺がこの島でお前と出会ったのは……決して間違いなんかじゃないんだから……」 「え……」 最後の力で佐祐理の手を握り締めながら、柳川は言葉を解放してゆく。 「俺はお前のお陰で人間の心を取り戻せた……。心温まる時間を過ごせた……。そしてお前を救う事も出来た……だからっ……」 鬼に乗っ取られてしまった筈の心を、取り戻す事が出来たから―― 永久に失ってしまった筈の暖かい気持ちを、思い出せたから―― 己に課した誓いを貫き、佐祐理を守り抜く事が出来たから―― 柳川は大きく息を吸い込んで、眠るように目を閉じ、万感の想いを言葉に変える。 「――お前に会えて、良かった」 それが、柳川の最後の言葉だった。 柳川の手は何時の間にか地面に落ち、呼吸はとうに止まっている。 佐祐理は冷たくなった柳川の手を握り締め、泣きながら、けれど微笑んで、言った。 「佐祐理も……っく、柳川さんに、会えて……良かったです……。今まで本当に……ひっぐ……有難う、御座いました……」 微笑みながら――柳川を心配させないように笑みを形作ろうとしながら、けれど少しずつ表情が崩れてゆく。 「佐祐理は死んでも、ひっく……柳川さんの事……忘れませんから……ぐすっ……」 堪えきれなくなった佐祐理はとうとう背を丸め、子供のような嗚咽を上げ始めた。 「うわああああああっ……」 大切な人を失った経験がある陽平達は、今の佐祐理に声を掛ける事など出来なかった。 全てが終わった異界の中で、少女の嗚咽だけが木霊していた。 様々な悲劇を生み出してきたこの孤島で。 最後にまた一つ大きな悲しみを残して――凄惨な殺人遊戯は幕を閉じた。 【残り:12人/主催者死亡】 【時間:3日目13:30】 【場所:f-5高天原】 倉田佐祐理 【所持品1:レミントン(M700)装弾数(0/5)・予備弾丸(7/7)、レジャーシート、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】 【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、日本刀、支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱】 【所持品3:コルト・ディティクティブスペシャル(4/6)】 【状態1:嗚咽。疲労大。留美のリボンを用いてツインテールになっている、首輪解除済み】 【状態2:右腕打撲。両肩・両足重傷(大きく動かすと痛みを伴う、応急処置済み)】 【目的:不明】 久寿川ささら 【持ち物1:ドラグノフ(0/10)、電磁波発生スイッチ(作動した首輪爆弾の解除用、充電済み)、トンカチ、カッターナイフ、救急箱(少し消費)】 【持ち物2:包丁、携帯電話(GPS付き)、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ニューナンブM60(0/5)、支給品一式】 【状態:やりきれない思い。疲労大。右肩負傷(応急処置及び治療済み・若干回復)、首輪解除済み】 【目的:麻亜子と貴明の分まで一生懸命生きる】 春原陽平 【装備品:レーザーガン(残エネルギー0%)】 【持ち物1:9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、89式小銃の予備弾(30発)】 【持ち物2:鋏、鉄パイプ、工具、ワルサー P38(残弾数6/8)、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×10、鉈】 【持ち物3:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料を少し消費)】 【状態@:やり切れない思い。右脇腹軽傷・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも治療済み・多少回復)、首輪解除済み】 【状態A:極度の疲労、左肩致命傷(腕も指も全く動かない)】 【目的:不明】 北川潤 【持ち物@:SPAS12ショットガン6/8発+予備8発+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発、支給品】 【持ち物A:インパルス消火システム スコップ、防弾性割烹着&頭巾(衝撃対策有)携帯電話、星の砂(光0個)、お米券】 【状況:やり切れない思い。極度の疲労、背中に重度の打撲、チョッキ越しに背中に弾痕(治療済み)】 【目的:不明】 広瀬真希 【持ち物@:ワルサーP38アンクルモデル5/8+予備マガジン×2、防弾性割烹着&頭巾(衝撃対策有)】 【持ち物A:ハリセン、美凪のロザリオ、消防斧、救急箱、ドリンク剤×4 お米券、支給品、携帯電話】 【状況:やり切れない思い。極度の疲労、背中に重度の打撲、チョッキ越しに背中に弾痕(治療済み)】 【目的:不明】 ボタン 【状態:健康】 柳川祐也 【所持品:イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン30発×2、コルトバイソン(1/6)、日本刀、支給品一式(食料と水残り2/3)×1】 【所持品2:フェイファー・ツェリスカ(4/5)+予備弾薬38発、強化プラスチック製大盾】 【状態:死亡】 篁 【所持品:青い宝石(光0個)、他不明】 【状態:死亡】 - BACK