孤独な戦場




絶対の死を内包する蒼白い光芒が、黒の機体へ向けて迸った、その刹那。
黒の機体の姿が、掻き消えていた。
次の瞬間、その漆黒の姿は、破壊の光線によって虚しく焦土と化した湖畔の遥か上空にあった。
その背の翼が、大きく広げられていた。
天を掴まんと五指を開くが如き影が、遠く大地に落ちている。
燦々と照る陽光を呑むような漆黒の機体が、天を疾駆するように、翔んでいた。

黒翼がゆっくりと撓められていく。
大気を殴りつけるような羽ばたきと同時、風の爆ぜる音がして、黒の機体が跳ねた。
眼下の大地へと逆落としに落ちる動き。
極限の加速の中、黒の機体は大気の壁を断ち割るように、流麗な指を伸ばした。
華奢とも見えるその銀色の指はしかし、鋼鉄を凌駕する大気圧をものともせず、真っ直ぐに行く手へと
差し伸べられている。
瞬きするよりも早く迫り来る大地の色は朱、神塚山の山頂だった。
その草木の緑も疎らな岩盤の上に、動くものがあった。
黒の機体の更に数倍上を行く巨躯の数は三体。砧夕霧の融合体である。
夕霧たちが異変に気づくよりも早く、黒の機体は山頂へと肉薄していた。
音速を超過する、常軌を逸した速度。
大地と激突するかと見えた瞬間、黒い機体の翼が羽ばたいた。
爆発的な風圧が、山頂を薙ぎ払う。
一抱えほどもある石くれが砂粒のように飛んでいく。
猛烈な突風の中心で、翼を広げた黒の機体は悠然と舞っていた。
その表面には傷一つない。その機動の前には慣性など、意味を成さないかのようだった。

やがて風が止み、舞い飛んだ塵がようやく収まる頃。
黒の機体は、再び翼を広げていた。
ゆっくりと上昇していく、その手に掴まれるものがあった。
重力に逆らう動きに巨大な手足をばたつかせる、砧夕霧融合体の内の一体であった。
顔面を鷲掴みにされた格好のまま引きずられていくその足先が、遂に大地から離れた。
風を巻きながら、黒の機体が天空高くへと昇っていく。
己に数倍する巨体を手にしていることなど意に介さぬかのような、軽やかな上昇。
蒼穹に差す影法師のように、それはどこか現実味の薄い光景だった。
地上からは豆粒ほどにしか映らぬ高みまで到達すると、ようやくその上昇が止まる。
手にした砧夕霧を、ゆっくりと眼前に抱え上げていく黒の機体。
賜杯を掲げるように両手で夕霧の顔を吊り上げると、その仔細を検分するように動きを止めた。

る、と音が響く。
頭部を吊り上げられた格好の夕霧が哭く声だった。
森の木々を容易く薙ぎ倒すその巨大な手が、拘束を振りほどこうと黒の機体の腕に伸ばされるが、
優美な銀の腕はびくともしない。
耳の辺りを押さえた小さな手も、まるでそこに根を張ったかのように動かなかった。
上空を吹き荒ぶ強い風が、夕霧の髪をはためかせた。

る、と。
再び哭き声を響かせた夕霧の顔が、唐突に歪んだ。
まるで瓢箪のように、その輪郭が捻じ曲げられていく。
ミシミシと音を立てるくびれの部分には、小さな銀色の手指があった。
黒の機体の細腕が、一抱えほどもある夕霧の顔面を、まるでクッションでも抱きしめるかのように、
押し潰そうとしているのだった。夕霧の咆哮が、絶叫に変わる。
強風が、音を立てて吹き抜けた瞬間。
砧夕霧の頭部が、上下に割れ爆ぜていた。

「―――」

夕霧の巨体を構成する無数の砧夕霧が、統御を失って崩れていく。
紙吹雪の如く舞うその小さな欠片たちには何の興味も示さぬというように、黒い機体が夕霧だったものの名残を放り捨てる。
同時、黒翼が羽ばたき、機体が再び大地を目指して疾駆を開始した。
散りゆく小さな命を風圧で吹き飛ばしながら瞬く間に追い抜くと、またも急制動をかける。
荒れ狂う風を従える王の如くに眼下を睥睨する黒い機体が、ゆっくりと山頂へと降り立った。
と見るや、その優美な脚が岩盤を踏みしだき、加速を開始する。
行く手には、同胞と融合し巨大化した夕霧の一体がいた。

交錯は一瞬。
疾風と化した黒い機体が駆け抜けたその後に、ばらばらと何かが飛び散っていた。
赤く、白く、手足を生やした小さな何か。巨大な夕霧を構成する、砧夕霧の原型だった。
ほんの少しだけ遅れて、地響きが辺りを揺るがす。
巨大な夕霧が、どうと膝をつく音だった。その腹部に、大穴が開いている。
血の流れぬその穴からは、代わりに無数の小さな顔が覗いていた。
ぐずぐずと泡立つように浮かんでは消える夕霧の顔が、見る見るうちに穴を塞いでいく。
だが、白い肌が元通りの姿を取り戻した瞬間、先刻と寸分たがわぬその場所に、再び穴が開いていた。
穴から飛び出していたのは、優美な銀の手指。
黒い機体の腕が、ずるりと引き抜かれる。
その腕に体液のようにこびり付いた乳白色の粘液が、外気に触れるや人の形を取り戻していく。
頭半分が欠損し、あるいは腰から上がそっくり喪われた、生命活動を保てるはずもない個体が
ぽろぽろと大地に落ち、赤い花を咲かせた。

幾つもの砧夕霧だったものをまとわりつかせた黒い機体の腕が、無造作に伸ばされる。
片手で巨大な砧夕霧の髪を掴み、上体を強引に引き起こした。
る、と力なく哭くその夕霧の頸に空いた手を差し入れると、黒い機体は夕霧の顎を鷲掴みにする。
両手で頭部を抱え込むような格好のまま、黒い機体が体勢を変えた。
背を逸らし、片足を軸足として大地に突き立てると、そのまま身を翻す。
その視線の先には、山頂を蹂躙した巨大な夕霧の、最後の一体がいた。
額を輝かせ、今にも光線を放ちかけていたその個体を目掛けて、巨大な影が飛んだ。
轟と猛烈な風を巻いて飛んでいたのは、黒い機体に掴まれていた個体である。
身を翻した際の遠心力を利用した、強引すぎる投擲。
頭部をグリップ、頸をワイヤーと見立てたハンマー投げの要領。
黒い機体の圧倒的な膂力をもって、初めて成し得る脅威だった。

激突。
巨大な質量同士の衝突に、音が物理的な破壊力をもって周辺を薙ぎ払い、山頂一帯に幾度めかの破壊をもたらした。


******


「ハッ! なかなかやるやないの、あのおばはん!」

快哉を叫んで足を踏み鳴らしたのは、神尾晴子である。
底の厚いライダーブーツに蹴りつけられた計器盤が、かつんと軽い音を立てる。

「なんや、きゅーっと一杯やりたいところやなあ……なぁ、神さん?」
『……』

底意地の悪い笑みを浮かべた晴子の言葉に、ウルトリィは答えを返さない。
モニタには、眼下の山頂で繰り広げられる戦闘の様子が映し出されていた。
否、それは既に戦闘と呼べるものではない。
あまりに一方的な、それは虐殺だった。
つい先程までこの島の支配者の如くに振舞っていた巨大な少女たちは、今や哀れな供物に過ぎなかった。
島の至るところを焦土と化した光線も時折空しく閃くのみで、黒い機体―――カミュを捉えることはできなかった。
貫かれ、叩き潰され、その度に身体を一回り小さくして復活しながら、少女は蹂躙され続けていた。
山頂は既に、文字通り足の踏み場もないほどに砧夕霧の遺骸で埋め尽くされていた。

「……ええねんなあ、放っといて」

にたにたと笑いながら、晴子が口を開く。

「仰山死んどるなあ。黒んぼ、ハッスルしすぎと違うん? ……神さん怒らすと怖いんやねえ」
『……』

両手で自らを抱きしめて、わざとらしく身体を震わせる真似をしてみせる晴子。

「あんたの妹やってんなあ。ちゅーことはアレや、あんた怒らしたらうちも殺されてまうんかなあ。
 怖っ! あかん、なんでもするわ、せやから殺さんといてぇー」

言って、げらげらと笑い出す。
そうしてひとしきり笑うと、晴子は突然表情を変えた。
ガツンと計器盤を蹴りつける。

「なんや言えや、ボケ神コラ」
『……』
「おのれの身内が不始末しとるん、どう落とし前つける気やと聞いとんねや、うちは」

狭いコクピットに、断続的な音が響く。
晴子のブーツが辺り構わず蹴りつける音だった。
眼下では虐殺が続いている。夕霧の巨大な腕が肩口から引き裂かれ、飛んだ。

『……あれは、』
「あぁ?」

ようやく返ってきた小さな言葉に、晴子は表情を歪める。

「聞こえんわボケ! 神さんらしゅう、デカい声で言えや!」
『……あれは、カミュの意思ではありません』

返答に、今度は晴子が黙り込んだ。
目を閉じ、何かを反芻するように小さく何度か頷いている。
しばらくそうしていた晴子が、唐突に目を開くと、おもむろに唾を吐き捨てた。
傍らのモニタに、唾が垂れ落ちる。

「……死なすぞボケ」
『……』
「あんまトボけとったらあかんやろ。あんだけ派手にやらかしといて、何が誰の意思やないて?
 ええ加減にさらせ。おのれの妹が盛大に人殺して回っとんじゃハゲ」
『ですから、それは……』
「―――ゲンジツ、見ようや」

それは一転して、優しくすら聞こえる声音だった。
眉尻を下げ、目元を緩ませた表情で、晴子が言う。

「見たらわかるやん。黒いのは、実際あのバケモンどもを端から殺しとる」
『ですから、それは……』
「せやな、あんたの妹のせいやないかもしれんな」
『ええ、ですから……』
「……せやけど、使われとるのはその身体やん?」
『……』

僅かな沈黙。
その隙間にねじ込むように、晴子の言葉が続く。

「黒んぼがやっとること、あんた見過ごしとってええん?」
『それは……』
「何があったんか知らんけど、妹さんの身体、勝手に使われとるかもしれんねやろ?」

宥めるような声音。
つい先刻まで悪態をついていたのと同じ口から出ているとは俄かに信じ難い、それは穏やかな声だった。

「したら、止めなあかんやん。……そんで、ゆっくり事情聞いたらええねん」
『それは……その通りですが……、』
「で、や」

一転、晴子の表情が変わる。
不敵な笑みが、その口元に浮かんでいた。

「ぶっちゃけ、あんたアレに勝てるん?」
『……』

沈黙。
晴子の笑みが、深くなる。

「観鈴の話やったら、あんたら……自分だけやったら上手く動けへんのと違う?」
『……』
「妹さん、強いなあ。……妹さんだけで、あんなんできるのん?」

返答はない。
雄弁な沈黙だった。

「……不思議なもんやなあ」

言って、晴子が両手を広げる。

「うち、ここに座って屁ェこいとっただけやで」

目を閉じて、深呼吸。
張った胸が上下する。

「そんでも何かな、こう……頭ン中に、浮かぶねん」
『……』
「あんた、いや……観鈴をどうやったら一番上手く動かせるか。これって……」

目を開けて、笑う。

「―――才能やんなあ」

快活とは程遠い、根の深い笑み。
くつくつと、声を漏らす。

「身内の乱心、見なかったことにするか、うち抜きで相手してみるか。
 それとも……」

晴子の笑みに差す闇が、その濃度を増した。
一目でそれと分かる、悪意に満ちた笑みだった。

「なあ、うちからしたら、どっちでもええねんで……?」

言って、目を閉じる。
腕を組んだまま微動だにしない。
狭いコクピットに降りた沈黙を支配するように、晴子はじっと佇んでいた。
やがて、たっぷりと間を空けて、白い神像の声がコクピットに響いていた。

『……わかりました』

どこか苦渋を滲ませるような口調だったが、言葉に淀みはなかった。

『私の……そして契約者・神尾観鈴の意志において、あなたの拘束を一時的に解除します』

それを聞くと、晴子は腕を組んだまま一つ大きく頷いて、ゆっくりと目を開けた。


******


幾度、幾十度かの致命傷と復活を経て、すっかりその身を削ぎ落とした夕霧が、宙を舞う。
黒い機体に蹴り上げられたのだった。
放物線を描いて落ちてくるそれを、細く優美な腕が無造作に掴む。
今や片手にすっぽりと包めるほどにまで小さくなったその顔面を鷲掴みにしたまま、黒い機体が身を屈める。
片膝をつくようにして、夕霧の顔を掴んだ手を振り上げると、躊躇いなく振り下ろした。
小さな地震にも匹敵するような衝撃を周囲に撒き散らしながら、夕霧の顔面が大地に叩きつけられる。
二度、三度、四度。
原形を留めぬほどに歪んだその顔面が、罅の入った岩盤から引き抜かれる。
ぶくぶくと小さな夕霧の顔を浮かべて修復を始めるその頭部を掴んだ銀色の指が、何気ない仕草で、閉じられた。
葡萄を搾るように握り締められたその手の中から、乳白色の粘液が零れ落ちる。
それは大地に落ちる寸前に人の姿を取り戻し、しかし手足を、頭部を、上半身を下半身を欠損した、
到底生きることの叶わぬ姿のまま地面に落ち、そうして血と肉の塊に変じて山頂を汚していった。

そんな光景を見ようともせず、黒い機体の両手が、手足の先からバラバラと解体が始まる巨大な夕霧の胴にかけられる。
みちり、と奇妙な音がして、一瞬の後、夕霧の身体は腰の辺りから両断されていた。
放り捨てられる、胴と足。
省みることもなく黒翼を広げた機体が、しかし飛び立つ寸前でゆっくりとその翼を畳むと、振り返った。
いつの間に降り立ったものか、そこには大きな機影があった。
黒い機体と同程度の全高、似通ったフォルム。
白を基調とした、それは美しい機体だった。

「―――正義の味方参上、や」

打ち捨てられた夕霧の上半身を踏み躙りながら、白い神像がそこに立っていた。




【時間:2日目午前11時過ぎ】
【場所:F−5】

柚原春夏
【状態:覚醒】
アヴ・カミュ
【状態:自律行動不能】

神尾晴子
【状況:操縦者】
アヴ・ウルトリィ=ミスズ 
【状況:契約者に操縦系統委任/それでも、お母さんと一緒】

融合砧夕霧【1584体相当】
 【状態:死亡】
融合砧夕霧【2851体相当】
 【状態:死亡】
融合砧夕霧【1996体相当】
 【状態:死亡】

砧夕霧
【残り9482(到達・215)】
【状態:進軍中】
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