君を想う




地下要塞の一角、大型機械の前で黙々と作業を続ける男が一人。
彼の名は長瀬源五郎。
『元』来栖川エレクトロニクス中央研究所、第七研究開発室HM開発課、開発主任である。
彼はとある交換条件の下、篁財閥に転職した。
篁がこちらに提供してくれるものは単純にして明快――メイドロボット開発費の資金援助である。
その引き換えとして自分は、此度の殺人遊戯における首輪の管理を行う事となった。

この殺し合いには自分の知り合いである、姫百合珊瑚も参加している。
彼女はこと機械に関して紛れも無く天才であり、ハッキングを仕掛けてくる事など分かっていた。
だからこそ自分は、首輪の盗聴器と島中に仕掛けたカメラだけでは飽き足らず、島にある全てのパソコンに発信機を埋め込んだ。
完璧な対策だった筈だ。
破られる事など万が一にも有り得ない筈だった。
にも関わらず珊瑚はこれらの防壁を全て突破し、針の穴程の隙間を縫って、ハッキングを成功させたのだ。

篁にその失態を恐る恐る伝えると、こう言われた。
『自分の不始末は自分でケジメをつけろ。首輪爆弾遠隔操作装置の復旧と防衛は、全てお前一人で行うのだ』と。
恐らくこの命令を遂行出来なければ、資金援助を打ち切る程度では済まされず、殺されてしまうだろう。
だからこそ今こうして自分は、最早戦地と化した要塞で護衛も連れずに、独り装置の復旧作業を行っているのだ。
念には念を入れて手動で装置を操作出来るようにしておいた為、復旧作業にはそう長い時間を要すまい。
恐らくは後数時間もあれば操作方法の切り替えが終了し、再び首輪爆弾遠隔操作装置は機能するだろう。
どんな手を使ってでも機能を復活させ、尚且つこの地を守りきってみせる。
何しろ自分には、絶対に譲れない夢があるのだから。

    *     *     *

走る、走る。
春原陽平と藤林杏は、体力を切らさない程度のペースで、地下要塞内部を駆けていた。
身体は熱く、しかし心は驚く程冷静に。
永きに渡った戦いは、終局の時を迎えようとしている。

「陽平。今からどうすれば良いか……分かってるわね」
「ああ。まず『首輪爆弾遠隔操作装置』をぶっ壊して、それから『高天原』に向かうんだろ?」
杏はこくりと頷いた後、周囲を大きく見渡した。
自分達の進路からも、後方からも、人の気配一つ感じ取れない。
敵も、罠も、何の妨害も存在しない。
そこから導き出される結論は一つ。
「多分敵は『首輪爆弾遠隔操作装置』の守りを放棄して、『高天原』に戦力を集中させてる。
 早く終わらせて、柳川さん達を助けに行くわよっ!」
頷き合う二人の心には、先に待ち受けるであろう死闘への恐怖も、敵を殺す事への迷いも無かった。
あるのはただ一つの決意、自分達は与えられた役目を忠実にこなし、全てを終わらせる。

これまで自分達は様々な苦難を経験し、決定的な挫折を嫌と言う程味わってきた。
陽平も杏も、自身の一番大切な人は守れなかったし、多くの仲間を死なせてしまった。
こうして今は肩を並べている二人だったが、些細な食い違いから揉めた時もあった。
自分達がこの島で味わされたのは、楽しい事よりも悲しい事の方が圧倒的に多いだろう。
しかしだからこそ自分達は、強くなれた。
これまで支え合ってきた仲間達のお陰で、大切な人を救おうとし続けた過去の自分のお陰で、本当の強さを手にする事が出来た。
仲間達との思い出一つ一つが、自分達の背を強く押してくれる。
だからこそ、この先にどんな苦難や悲しみが待ち受けていようとも、決して止まりはしない。

二人は走り続ける。
何人分もの想いを背負いながら、一心不乱に先へと進む。
やがて『首輪爆弾遠隔操作装置』の置き場――情報システム制御分室に通じる扉を発見し、二人は足を止めた。
もしかしたらこの先に、番犬の如き強力な守り手が待ち構えているかも知れない。
しかし陽平はコンマ一秒程の逡巡すら必要とせず、告げる。
「――杏、行こう」
「うん、オッケーよ」

扉を開け放つ。
足を踏み入れた地は、パソコンを置いた机が規則正しく並べてある、然程広くない空間だった。
奥の方には曲がり角があり、恐らくその先に『首輪爆弾遠隔操作装置』があるのだろう。
陽平と杏は、そこに向かって慎重に歩を進める。
そうして部屋の中央辺りにまで進んだ時、見知らぬ男が奥から現れた。

「やあ、こんにちは。春原陽平さんに、藤林杏さん」
いかにも科学者であるといった風の白いコートを身に纏い、快活な声で話し掛けて来る眼鏡の男。
敵の襲撃がある可能性は当然考慮していたものの、今の状況は想定外だ。
たちまち杏は訝しげな顔となり、慎重に口を開いた。

「……何なのよ、アンタ」
「あ、自己紹介がまだでしたね……私は長瀬源五郎と申します。元来栖川エレクトロニクスHM開発課、開発主任です。
 現在は転職し、篁財閥で働いています」
源五郎はそう言うと、軽く一礼をした。

陽平は緊張した肩を何とか動かして、警戒態勢を取る。
「良く分かんないけど……篁財閥所属なら、僕らの敵って事だよね」
それで、間違いない筈だった。
主催者の正体が篁である以上、その部下であるこの男も自分達の敵に違いない。
だが――源五郎は軽く肩を竦めた。
「そうとも限りませんよ? 少なくとも私は無駄な争いを避けたいと考えていますから」
「……どういう事なの?」

杏が眉間に皺を寄せて問い掛けると、源五郎は己の胸に手を当てた。
「いやね、私は『首輪爆弾遠隔操作装置』を防衛するよう命令されているんですけど、逆に言えばそれ以外はやる必要が無い。
 出来れば大人しく引き返して欲しいんですが、如何ですか? そうして頂ければ何も危害は加えません」
「もし僕達が、嫌だといったら?」
「その時は――」
源五郎は懐に手を入れ、筒のような形をした物体を取り出した。
一見短機関銃と似ているが、その先端は鋭く尖っており、弾丸を発射出来る程の穴は開いていない。
源五郎はその物体をおもむろに天井へと向け、トリガーを引いた。
物体の先端から青白い閃光が、一直線に奔る。

「――――!?」
直後、陽平も杏も大きく息を呑んだ。
恐らくは鉄筋コンクリートで造られているであろう要塞の天井が、撃ち抜かれた一点だけ黒く焼け焦げていたのだ。
僅か一瞬の照射で、この火力。明らかに尋常では無い。

「これはレーザーガン……篁セキュリティのレーザーディフェンスシステムを応用したものです。
 もし貴女達が此処から先に進むつもりなら、これで応戦しざるを得なくなりますよ?」
戦慄に歪んだ杏達の顔を眺め見ながら、源五郎が得意げに語る。
「という訳ですので、今すぐお引取り願えませんか? 貴女達はもう首輪を外したんですし、此処で無駄死にする事も無いでしょう?
 繰り返しますが、大人しく引き返してくれれば一切危害は加えません」
それは、源五郎の言う通りだった。
『首輪爆弾遠隔操作装置』を破壊する事は、主催者打倒にあたっての必須条件では無いのだ。
源五郎の言い分に従って引き返しても、地下要塞の攻略に大きな支障は生じないだろう。

だが――杏はゆっくりと、首を横に振った。
「そんなのお断りよ。まだ首輪に縛られてる人が六人も残ってるのに、見捨てられる訳無いじゃない」
そもそも杏達は、『首輪爆弾遠隔操作装置』破壊のメリットが何かなど承知の上で、この地まで攻めあがってきたのだ。
強力な武器を持った相手が一人現れた程度で、尻尾を巻いて逃げ帰る気など毛頭無かった。
すると源五郎は僅かに唇を噛み、大きく息を吐いた。
「考え直してくれませんかねえ。私は所詮科学者ですから、戦いは好みません」
それに、と続ける。
「私には夢がある。篁財閥の豊富な資金力を活かし、低コストで、尚且つ『心』を持ち合わせたメイドロボを世に送り出すという、大きな夢がね。
 『心』を持ったメイドロボが出回れば、きっと世界は素晴らしいものになります。それに比べればたった六人の命なんて、安いものでしょう?」

試作型マルチのような『心』を持ったメイドロボットを、安価に抑えれるよう改良し、製品として販売する。
それが源五郎の目的だった。
その目的を成し遂げる為には、無尽蔵とも言える資金力を保有している篁財閥の協力が必要不可欠なのだ。
そこには篁への義理や忠誠心など欠片も無く、ただ科学者としての情熱だけが存在する。
そう――人間に対する思いやりすら、一片も存在しない。

その事実は陽平の心に、燃え盛る怒りの業火を生み出した。
「ふざけんじゃねえよ! ポンコツ機械の開発なんかより、人の命の方が大事に決まってるだろ!」
怒号、轟く。
高速で取り出す、ワルサーP38。
攣り切れんばかりにトリガーを引き絞る。
放たれた9mmパラベラム弾は確実に、源五郎の胸部へと吸い込まれていた。
強い衝撃を受けた源五郎は二、三歩後退したが――踏み留まった。
「なっ!?」
「そうですか……交渉決裂のようですね」
レーザーガンを握り締めた源五郎の腕がすいと、水平に構えられる。

「……くぅ!」
陽平は咄嗟の判断で横に飛び退き、その一秒後にはそれまで自分が居た空間をレーザーが貫いていた。
回避動作を続けながら、苦々しげに吐き捨てる。
「畜生、お前も朝霧麻亜子と同じで……防弾チョッキを着てるのか!」
「御名答、その通りです。貴方達が持っている銃程度では、防弾チョッキの上から致命傷は与えられない」
続けざまに照射されるレーザーが、次々と陽平に襲い掛かる。
陽平は麻亜子により傷付けられた右足を酷使して、迫る死から何とか身を躱していた。

「この――ナメんじゃないわよ!」
今度は杏のS&W M1076が吠えた。
源五郎の身体がすっと仕事机の後ろに沈み、そこに置かれていたパソコンを弾丸が吹き飛ばした。

杏は一瞬だけ視線を横に移して、銃を持っていない方の手で前方を指差した。
「――陽平!」
「オーケイ!」
陽平と杏は、源五郎が隠れていると思われる机に向かって、各々の銃の引き金を何度も何度も絞った。
銃を持った杏の手が上下へと小刻みに揺れ、仕事机に穴が掘られてゆく。
S&W M1076がカチカチっと音を立て、弾切れを訴える。

杏は素早い動作でマガジンを取り替え、更に連打した。
敵が仕事机の後ろから動いた気配は無い――ここで一気に勝負を決める!
陽平もワルサーP38に予備マガジンを詰め込み、立て続けに銃弾を放ってゆく。
二人が総数にして20発以上の弾丸を撃ち尽くした後には、仕事机は蜂の巣の如く穴だらけとなっていた。

杏が弾の尽きたS&W M1076を下ろしながら、確認するように呟いた。
「……やったの?」
「間違いなくね。あれだけ銃弾を撃ち込まれちゃ、防弾チョッキを着てたって生きてられないさ」
この状態ならいくら防弾チョッキで身を守ろうとも、いくら仕事机の影に隠れていようとも無駄な筈だ。
貧相な堤防では猛り狂う津波を押し止められぬように、長瀬源五郎は銃弾の波に飲まれこまれてしまっただろう。
陽平達はそう考えていた。

しかし――

「……残念でしたね。私は臆病な科学者ですから、色々と前準備はしてあります」
「――――っ!?」
有り得ない筈の声が耳朶へと届き、ピクリと反応した陽平は後退しようとしたが、遅い。
迸る青白い光線は、逃げ遅れた陽平の左肩をいとも簡単に貫いていた。
「ぐぁああああ!!」
陽平の左肩から花開くような鮮血が舞い散り、苦悶の絶叫が響き渡る。
杏が前方へ視線を向けると、倒したと思っていた源五郎が――掃射を浴びせる前とほぼ変わらぬ姿で、悠然と屹立していた。
違いはただ一点、その手に握り締められた強化プラスチックの大盾のみ。

陽平達には知る由も無い事だが、源五郎は襲撃に備えて予め強化プラスチックの大盾を隠していた。
先程逃げ込んだのはその隠し場所である自身の仕事机であり、だからこそ源五郎は迫る猛攻を難無く凌げたのだった。
「……危ない危ない。念の為に隠しておいて正解――でしたよ!」
源五郎は勝ち誇った笑みを浮かべつつ、再びレーザーガンを構えた。

考えるより先に、身体が動いていた。
「陽平っっ!!」
限界ギリギリ、正しく刹那のタイミングで杏は陽平を抱き締め、床に滑り込む。
青白い殺人光線に後ろ髪を消し飛ばされながらも、勢いに身を任せ机の後ろへと飛び込んだ。

「――ぅ、ぐぅ……。クソッ……」
血の流れ出る左腕を押さえ、苦しげに息を荒立てる陽平。
自分は甘かった。
此処は敵の基地であり何があっても可笑しくはないというのに、安易な考えから油断してしまったのだ。
そして、油断の代償は余りにも大きい。
付け根の辺りを穿たれた左腕は、最早指一本動かせなくなっていた。

「ヤバイわね……あんなのまで持ってるなんて……」
杏は陽平と共に机の影に隠れながら、焦燥に駆られる頭脳を必死に宥めていた。
源五郎が携えていたのは、少年が用いてたという強化プラスチック製大盾。
アサルトライフルの銃弾すらも防ぎ切る程の、恐ろしい強度を秘めた防具だ。
自分達が持っている拳銃程度では、到底貫けない上、源五郎は防弾チョッキまで身に纏っている。
所謂、絶望的状況だった。

杏はこれからどうすべきか考え抜いた末、一つの結論に達した。
「陽平、此処は一旦引いた方が良いんじゃない……?」
それは苦渋の選択であり、先程啖呵を切った手前、絶対に避けたい道だった。
問い掛けた杏の肩は悔しさでぶるぶると震えており、奥歯はぎりぎりと噛み締められている。
しかし杏の内心を理解して尚、陽平は首を縦に振った。
「……そうだね。此処で死んじまったら、元も子もない。僕らは篁をぶっ倒すまで、死ぬ訳にはいかないんだ」
『首輪爆弾遠隔操作装置』の破壊は、最大の目的に非ず。
命を捨ててまで果たさねばならない任務では、無い。
あくまで目標は篁の打倒であり、だからこそ向坂環も『敵の防御が厚いようなら引き返せ』と言っていたのだ。
このような条件下では、最大の攻撃を凌がれ弱気となった陽平達が逃亡を選ぶのは無理もないだろう。

陽平は杏の手を借りて起き上がり、机の影を進んで出口に向かおうとする。
それは確かに、この場では最良の選択だったかも知れない。
――もう少し早く、決断していれば。

「それで隠れているつもりですか? 科学の力を甘くって見て貰っては困りますね」
一際眩い、青い閃光が陽平の視界に入った。
「え……?」
「……あああっ!!」
陽平の真横で、ドサリと、杏が床に崩れ落ちる。
杏の身体から、取り返しがつかない程の血が噴き出している。
レーザーガンより放たれた強大な殺意は、机ごと杏の腹部を貫いていたのだ。
「杏! きょおおおおう!」
陽平の悲痛な叫びが、辺り一帯に木霊した。


「ふふっ……だから最初に大人しく引き返してくださいと言ったんです。このレーザーガンは標的を一瞬で焼き尽くす、最新科学の結晶です。
 この銃の前には、生半可な防御など無意味っ……!」
源五郎はすっと立ち上がり、ボロ雑巾のようになった自身の仕事机を眺め見た。
貴重な研究データが入っているノートパソコンも、机の上に置いてあったファイルも、修復不可能な程に破壊されている。
それまで一貫して冷静だった源五郎の瞳に、初めて昏い殺気が混じった。
「よくも私の仕事机をこんなにしてくれましたね。もう引き返すと言っても許さない……貴女達を殺します」

◆

杏の腹部から止め処なく血が溢れ出す様を見て、陽平の喉は呼吸を忘れてしまったかのように動かなくなっていた。
机の向こう側から聞こえてくる死刑宣告は、銃弾となって陽平の神経を絶望に浸してゆく。
(ここまでか……)
最早この傷では、杏を連れては逃げ切れぬだろう。
そして杏を置いて逃げるなどという行動は取る気が無いのだから、自分達は此処で殺されるのだ。

思えば源五郎に撃ち込んだ最初の一撃で、狙った箇所が不味かった。
的が大きいという理由から胴体部を狙ったのだが、もう少し慎重に思案を巡らせれば、防弾チョッキの存在に思い至っただろう。
予想出来る材料は十分に揃っていた。
何しろ自分は、来栖川綾香が、朝霧麻亜子が、防弾チョッキにより命を繋げる姿を目の当たりにしているのだから。
仲間を死なせてしまった分まで、責務を果たすと考えていたのに――このザマか。

「ごめんるーこ……僕はお前みたいに戦えなかったよ……」
間も無く訪れるであろう死を前にして、陽平は身を丸く縮こませ、瞳に涙を溜め込んだ。
死ぬのは元より覚悟していたが、主催者に一矢も報えぬまま、こんな所で殺されてしまうのが悔しかった。
しかし陽平の友人――否、相棒はまだ諦めていなかった。

「陽……平……諦めちゃ、駄目……」
今にも消え入りそうな、弱々しい声。
陽平がばっと顔を上げると、杏が玉汗を額から零しながらも上体を起こしていた。
その瞳に宿る強い意志、暖かい光が、陽平の心を現実に引き戻す。
「杏っ!? お前大丈夫なのか!?」
「そんな事、後回しでいいから……耳を、貸して……」
言われた通りに耳を差し出した陽平へ、杏は最後の作戦を告げる。

◆

源五郎は一気に勝負をつけるべく、陽平達が隠れている机の方へと歩み寄っていた。
敵の叫び声から察するに、杏は先の一撃で致命傷を負ったのだろう。
後は残る一人を仕留めれば、自分の任務は果たせる筈だ。
こんな戦略的価値の薄い場所には、新手の敵部隊など送られて来ないに違いないのだから。

そう――油断する事無く、狩りを行うだけ。

そこで突如、それまで机に隠れているだけだった陽平が飛び出してきた。
手元にあるワルサーP38の銃口は、こちらに向いている。
「――――ッ!」
防弾チョッキの存在がバレてしまった以上、次は頭を狙ってくる筈。
源五郎は咄嗟の判断で攻撃よりも防御を優先させ、強化プラスチック製大盾で頭部を守った。
銃声が鳴り響いた直後、予想通り弾丸が盾の上に撃ち込まれた。

源五郎は間髪入れずに右腕を突き出し、レーザーガンの引き金を何度も引いた。
しかし陽平は円を描くような軌道で走り回っており、なかなか攻撃が命中しない。
「ちっ……ちょこまかと……!」
――これは、進路上に予め攻撃を置いておかなければ当たらない。
そう考えた源五郎は、身体の向きをくるりと180度変えた。
「いい加減……死ねえっ!」
寸分の狂い無く、陽平の進路上にレーザーガンの銃口を向ける。

「しまっ――!?」
ようやくこちらの狙いに気付いた陽平が身体の勢いを押し止めようとするが、もう間に合わない。
レーザーガンから放たれる強力無比な光線は、陽平の身体に致命傷を刻み込むだろう。
「取った……!」
源五郎は、己が勝利を確信した。


だが源五郎は一つだけ、大きな判断ミスを犯していた。
声という不確かな要因だけで、藤林杏が戦闘不能になったと判断してしまうという、取り返しのつかないミスを。
「――それはこっちの台詞よっ!」
「…………え?」
聞こえてきた叫び。
振り向いた先では、腹を真っ赤に染めた少女が腕を大きく振り上げ、投げナイフを投擲していた。
防弾チョッキでは、刃物は防げない――

反応する以前に、未だ頭が現実を理解出来ていない。
恐るべき肩力で放たれた雷光の如き一撃は防弾チョッキを易々と破り、正確に源五郎の心臓を貫いていた。
「ガッ……ハ……」
自らの血液で作られた血溜まりに倒れ込む。
急速に意識が遠のいてゆき、何も考えられなくなる。
長瀬源五郎は己の失敗を悔いる時間も、科学の発展を祈る時間も与えられず、この世を去った。

◆

「――ク……ハア、ハァ……」
血の池に飲み込まれ動かなくなった源五郎を見下ろしながら、陽平は息を整える。
――強敵だった。
用意周到な下準備に加え、強力な装備。
最後の作戦も何か一つ間違えば、結果は逆となっていただろう。
未だ無事な右腕を伸ばし、レーザーガンを拾い上げてから、杏の手当てをするべく振り返る。
杏は真っ赤に染まった腹部を押さえ、机に片腕を付きながら、しかし確かに自力で立っていた。

「杏、手当てを――」
「後回しで良いわ。先に『首輪爆弾遠隔操作装置』を壊してきて。また邪魔する奴が現れたら、堪ったもんじゃないしね」
一理ある。
重傷には違いないが、自力で立ててる以上死にはしないだろう。
ならば手早く『首輪爆弾遠隔操作装置』を破壊して、それから手当てをするべきだ。

陽平は駆け足で部屋の奥へと進み、高さにして3メートル、横幅にして4メートルはある大掛かりな装置を発見した。
中心に細かいコードやボタンが密集した部位があり、恐らくはあれが中核となっているのだろう。
陽平は武器をワルサーP38に持ち替えて、何ら迷う事無く引き金を引いた。
銃声と共に照準を合わせた部位が、これまで参加者を縛っていた悪魔の枷が、呆気無く砕け散った。

第一の責務は果たした。
次は杏の手当てをしなければならない。
陽平はすぐさま踵を返し――眩暈に似た感覚に襲われた。
部屋の中から、杏の姿が消えていたのだ。
「ぷひぃ……ぷひぃ…………」
胸を締め付けるようなボタンの泣き声だけが、只唯聞こえてくる。

まさか――
陽平は声を上げる暇すら惜しんで、先程まで杏が立っていた位置へと駆け込んだ。
乱暴に机を押しのけて、床を覗き込む。
そこには。
「そ、そんな……」
「ぷひぃ……」
今にも息絶えそうな青白い顔色で、杏がぐったりと倒れていた。
その横ではボタンが見た事も無いくらい悲しそうな顔で、杏に寄り縋っている。
「杏!」
陽平は杏に駆け寄って、右腕だけで彼女の身体を抱き起こした。
「おいっ、どうしたんだよ!? さっきまであんなに元気だったじゃないか!」
杏は冷静に状況を分析し、的確な作戦と並外れた肩力により長瀬源五郎を打倒した。
とても死にゆく人間に出来る芸当だとは思えない。
だからこそ陽平は、杏が助かるものだと信じて疑っていなかった。

だが杏は寂しげな、そして酷く儚い笑みを浮かべた。
「火事場の……馬鹿力って……知ってるよね? さっきのは、それよ……。でももう、限界みたい……」
言い終わるや否や、杏は大きく血を吐いた。

陽平は涙を堪えながら杏の身体に縋りつき、子供のように叫ぶ。
「杏っ! お願いだ、死なないでくれよ!!」
失いたくなかった。死なせたくなかった。
自分に残された、最後の大切な人を。
何としてでも死の淵から救って、これから先の人生を親友として共に過ごしたかった。

しかし杏は穏やかな――驚く程穏やかな声で、言った。
「大丈夫……あたしは死なないよ」
「え……?」
目をぱちくりとさせる陽平に対し、続ける。
「少し休むだけだから……。休んだら……ちゃんと、後を追うから……あんたは先に、行きなさい……。
 ボタンと一緒に……『高天原』へ……」
その言葉に、説得力は全く無い。
何しろ話しているそばから、杏の顔色は益々白くなってゆくのだから。

「何言ってんだよ! お前を置いていける訳ないじゃないか!」
「良いから……先に行きなさい。こんな所にも……あんな強い奴が居るんだもん……。『高天原』に言った皆はきっと……もっと苦戦してる……。
 だから早く行って……助けてあげて……」
「駄目だ駄目だ! 僕はお前と一緒に生き延びるって決めたんだ! 僕は――」
陽平は全てを拒絶するように、大きく首を振っていた。
そんな彼の後頭部に、杏の手がするりと回される。

「もう……そんなうるさい口は……」
「――――っ!?」

突然の事態に、陽平が大きく目を見開く。
杏が震える手で陽平の顔を引き寄せ、キスをしていたのだ。
そのキスには甘い味など一切せず――ただ血の味だけが、口の中に広がった。

「……こうやって、塞いじゃうんだから」
唇が離れる。

杏は紫色に染まった唇を動かして、何とか言葉を搾り出した。
「最後に……一つだけ良い? あんたはまだ……、るーこの事が好き?」
「……ああ。僕はるーこを愛している」
たとえ何が起きようとも、その想いだけは永久に変わらない――故に何ら迷う事無く、陽平は即答していた。

杏はふっと笑って、陽平の後頭部から手を離した。
「分かったわ……さあ、行って。最後の戦いを終わらせに……」
陽平は、もう迷わなかった。
半ば光を失った杏の瞳をしっかりと見据えながら、告げる。
「うん、行ってくるよ。僕……お前に会えて、良かった」
「ふふ……あたしもよ」
陽平は杏の手を一度だけ握り締めた後、ボタンを抱き上げ、自分の意思で立ち上がった。
最早抑えようの無い涙を、服の袖で乱暴に拭いながら駆け出す。
目的地は『高天原』、目標は篁の打倒。
絶対に全てを終わらせ――生き延びてみせる。


陽平の後ろ姿を見送りながら、杏はぼそりと呟いた。
「フラれちゃったわね…………」
自分は何とも思っていない相手に口付けが出来る程、軽い女ではない。
自分は間違いなく、陽平に惚れていた。
陽平の心はるーこで埋め尽くされており、自分が入り込む隙間が無い事など分かっていたが――惚れていたのだ。
此処で自分は死ぬだろう。
死ぬのは怖いし、身体から熱が奪われていく感覚は狂いそうな程に恐ろしい。
それでも、思う。
最後に大好きな人を守り切れて良かったと。
だからこそ自分は、満足して逝ける。
「陽平……あんたは……生き延びなさいよ…………」
最後まで春原陽平の無事を祈りながら、藤林杏はゆっくりと目を閉じた。


【残り16人】




【時間:3日目11:50】
【場所:h-4地下要塞内部】
春原陽平
 【装備品:レーザーガン(残エネルギー50%)】
 【持ち物1:9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、89式小銃の予備弾(30発)】
 【持ち物2:鋏、鉄パイプ、工具、ワルサー P38(残弾数6/8)、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×10、鉈】
 【持ち物3:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料を少し消費)】
 【状態@:嗚咽、右脇腹軽傷・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも治療済み・多少回復)、首輪解除済み】
 【状態A:中度の疲労、左肩致命傷(腕も指も全く動かない)】
 【目的:走って『高天原』に向かう。篁を倒し生き延びる】
ボタン
 【状態:悲しみ、陽平に抱き上げられている】

藤林杏
 【装備品:グロック19(残弾数2/15)、S&W M1076 残弾数(0/7)予備マガジン(7発入り×2)、投げナイフ(×1)、スタンガン】
 【持ち物1:Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書(英和)、救急箱、食料など家から持ってきた様々な品々、缶詰×3】
 【持ち物2:支給品一式】
 【持ち物3:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、工具、首輪の起爆方法を載せた紙】
 【状態:死亡】
長瀬源五郎
 【装備品:防弾チョッキ(半壊)】
 【状態:死亡】

【備考】
・首輪爆弾遠隔操作装置は破壊されました。
・杏の死体の近くに、強化プラスチック製の大盾と投げナイフが落ちています
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