雪のように白く




里村茜の唐突な行為に、周りの者は皆顔を強張らせなす術もなかった。
ニューナンブM60を突きつけながらも、鹿沼葉子は内心叱咤して気を落ち着けようと試みる。
不可視の力は微塵も使えず絶体絶命の危機。
だが威厳を保ち威圧するように睨みつける。
(ここは少しでも時間を稼いで来訪者の到着を待つしかない。隙は必ず生まれる)
そして今、願望通りに坂上智代に決断を促す時間を与えている。
気配から智代が茜につくのは間違いない。
苦渋に顔を歪める智代を見ながら、葉子は刻(とき)を計る。

「茜の言う通り私は──」
──今だ!
葉子は呼吸を整え智代が口を開くのを待っていた。
「沈着冷静な茜さんが身勝手な人とは思いもよりませんでした。内紛の種ですって? 私が『その気』ならあなた方がお休みの時にとっくに殺してます」
「私は一睡もしてません。いつ寝首を掻かれるやもしれぬのに眠れるわけがありません」
「被害妄想というか、目が曇ってるのはあなたです。智代さんは信義に厚く聡明な方と見ております。愚かな誘いに乗ってはなりません」
「申し訳ないが茜の言う通りだ。殺人ゲームを止められないときは非情な手段を取る約束をしている」
かつて天沢郁未と交わしたことを目の前の少女達も考えていたとは──
「そうですか。よろしい、私の命を差し上げましょう。私を亡き者にした後、あなた方は『友情』を捨てて醜い争いをするのですね? 
では詩子さんにはその覚悟がありますか? 『希望』を持ってやってくる二人の人間をも手にかけることができますか?」

友情と希望という言葉に力が込められていた。
「どういうことななの? 茜、智代……二人揃ってそんな恐ろしいことを計画してたんだ」
柚木詩子は二人の密約を初めて知り驚きおののく。
「他の五人が何か良い手掛かりを持ってるかもしれないのに、どうして『希望』を捨てるのですかっ!」
憤然とした一喝が揺れる智代の悪心を打ちのめした。
智代は項垂れ、詩子は茜を睨んでいる。
問題のすり替えにまんまと成功し、葉子包囲網は未然に消滅した。

茜は苛立ちを募らせながらうろたえた。
幼馴染みである詩子には最悪の場合のこと──転向して最後の一人を目指すことを話してはいなかった。
頬を汗が伝い、顎から滴りとなって落ちて行く。
「……詩子。これも……運命なのです。だから……私に協力してください」
「あたしや長森さんを殺してまで生き延びようとするの? そんなぁ! あたしの知ってる茜は裏切ったりしないよぉ!」



長森瑞佳はドアを叩こうとして固まった。
中で何事か口論しているらしく、代わりに月島拓也が名乗りを上げる。
「坂上さん聞こえるか? 月島拓也だ。瑞佳もいっしょだっ」
──徒に時間を潰してしまった!
今葉子を撃ち殺すのは容易いが瑞佳と拓也が逃げてしまう。
迷いが迷いを誘い、冷静な判断をできなくしてしまった。
「詩子さん、お二人を入れなさい!」
──詩子といえども容赦しない。
「駄目です! 詩ぃ子っ!」
くるりと百八十度向きを変えると出入口へと走る背中へニューナンブM60を構え、引き金に手をかける。
詩子はドアのノブに手をかけ振り返った。その直後──
「あっ!」という智代の悲痛な叫びと、大きく目を見開く茜。
ニューナンブM60が手から放れ床に落ちた。

首の後ろから伝わる痺れるような痛み。
迂闊にも葉子に背を向けてしまったと気づいた時は遅かった。
体中の力という力が抜けていく。
視界ははっきりしているが、思考が億劫になってくる。
死ぬ直前とはこのようなものなのか。

宙を掴むような姿で茜は前のめりに倒れた。
首の後ろには鏡面のごとく銀色に輝くメスが刺さっていた。
「茜ぇっ!」
抱き起こされ茜は目を開けた。
「本気で撃とうとしました。ごめんなさい。愚かな……私を……」
「嫌だ、死んじゃ嫌だっ。しっかりしてぇっ!」
詩子は抱き締めながら泣きすがる。
(浩平……これでよかったのでしょうか)
放送で呼ばれた折原浩平のことを想いながら茜は静かに目を閉じた。

葉子は肩で息をしていた。
勤めて平静を装っていたがいつしか興奮していた。
──ひとまず危機は去った。
喉の渇きを覚えながら次に取る行動を考える。
と、刺すような視線を感じ、その方に顔を向けると智代が肩を震わせながら睨んでいた。
「智代さんも見たはずです。これは正当防衛です」
「クッ……」
「詩子さん。拓也さんと瑞佳さんをお迎えするのです」
外からは拓也がドアを叩き続けている。


「これはいったい……」
異様な光景を目の当たりにし、拓也と瑞佳は絶句した。
奥の方で茜が倒れている。凶器が刺さっている具合からして絶命しているのが見てとれた。
追い討ちをかけるように詩子が意外なことを訊ねた。
「あなた、誰?」
「誰って……わたし、長森瑞佳、だよ」
瑞佳が困惑するのも無理はなかった。
死線を彷徨うほどにストレスに晒され、頬肉がこけ落ち別人のように変わり果てていたからである。

詩子は後ずさるとニューナンブM60を拾い狙いを定める。
「声質は長森さんのようだけど長森さんじゃない。あなた誰なのよ」
「えっ……わからないの? お兄ちゃん、私、どこか変?」
「ああ、山で拾った時より痩せてるからな。鏡見たらびっくりするだろう」
相手は興奮しておりいつ撃たれてもおかしくはない。ここは何としても詩子の誤解を解かねばならなかった。
「お願いだから撃たないで。どうしたら信用してくれるかな?」
「……そうねえ。持ち物捨てて手を頭の後ろに組んでこっち来てくれる?」
瑞佳は弓矢とデイパックを拓也に預けると指示に従い歩を進めた。
周囲の者は固唾を飲み見守っていたが、失笑の溜息が漏れた。
何をするのかと思いきや、詩子は銃口を突きつけたまま瑞佳の顔をまじまじと見、鼻先を胸の谷間に擦り付けたのである。
「わっ、ちょっと詩子さん、臭い嗅いじゃヤだよ〜」
「この匂い……長森さんだ。うぅっ、長森さ〜ん、茜が、茜がぁ……」
泣きじゃくる詩子を抱き締めながら瑞佳は安堵の溜息をついた。

頃合を見計らって拓也は茜のもとに歩み寄り、メスを引き抜いた。
「何があったのか、事情を説明してもらおうか」
「放送を聴いた後茜さんが乱心致しました。説得に応じず私や詩子さんを殺そうとしたので成敗しました」
葉子は凛とした声で事も無げに言い放つ。

──どこかで聞いたことのある声。
瑞佳は正面奥に立つ女を見据えた。
記憶の糸を辿り、行き着いた先に二人組の殺人鬼の残照があった。
「この人鹿沼葉子だよ! 氷川村で天沢郁未といっしょにわたしを殺そうとした人だよっ!」
「なんだってぇー?!」
四人の刺すような眼差しがいっせいに向けられた。

──あの時の女の子が生きていた!
郁未が殺そうとしたまさにその時、芳野祐介に助けられた少女が瑞佳だったとは。
生き証人である以上、もはや言い逃れは不可能である。
葉子は声にならない声を上げ尻餅をついた。

「月島瑠璃子を殺したのはあなたか?」
拓也はメスを手に詰め寄る。
「私は誰も殺してませんし、そのような人は知りません! 他の人を襲いましたが殺したのは郁未さんです!」
悠然とした態度から一転し今にも泣きそうな声が響いた。
「誰を殺したんだ?」
それまで沈黙していた智代が問い質した。顔つきが困惑から怒りへと変わっていた。
「……古川早苗という若い婦人です。私はご主人に撃たれ脱落しました」
(確か古河──渚のお袋さんだったか)
智代は目を閉じ古河親子の冥福を祈った。

「この極悪人め。殺された人の下へ行って詫びるがいい!」
「待って下さい、拓也さん。仰る通り私は悪の道を走っておりましたが、間違いに気づき目覚めたのです」
「この期に及んで言い逃れが通用すると思ってるのか?」
「診療所には様々な思惑の人が集まって戦い、成り行きから私は脱出を目指す人の側につきました。
何度も危険な目に遭い、私はそれまでの考え方が間違っていることに気づいたのです。どうか殺さないでください」
喋るうちに葉子どこまでが真実でどこまでが嘘なのかわからなくなっていた。
床に額を擦り付け助命を懇願する葉子を前に、一同は困惑するばかりであった。

──生かすべきか殺すべきか。
瑞佳は葉子の処遇を決めるべく智代と詩子の顔を窺う。その最中葉子が意外なことを口にした。
「智代さん、殺し合いに乗ろうとしたあなたが私を責めることができますか?」
今度は皆の視線が一斉に智代に向けられる。
話からして智代と茜がかつての葉子・郁未コンビと同じことをしようとしたらしい。
今葉子を処刑するのは容易いが、不穏な空気の中、不測の事態が発生する虞があった。
ここは一刻も早く放送の不可解さを説明し、二人の動揺を鎮めなければならない。
茜が欠け、残る二人の友情が脆く、否壊れかけている。
「鹿沼さんの処遇については保留にしていいかな。坂上さんと柚木さんに聞いて欲しいことがあるんだよ」
「後は任せる。私は考え事があるので独りにさせてもらいたい」
手斧を掴むと智代は寝室に引き籠ってしまった。

瑞佳は拓也と共に葉子を後ろ手に縛り上げ倉庫に監禁した。
足は縛らないが腰紐をパイプに括り付け、殆ど動けないようにしておく。
拓也に詩子の慰撫を依頼すると、瑞佳はすぐさま智代の下へと向かった。
「入っていいかな。相談したいことがあるんだ」
「独りにさせてくれと言ったはずだ。今は誰とも会いたくない」
「時間がないんだよ。ごめん、開けるよ」
一呼吸起き、智代にせめてもの対応できる時間を与えてからドアを開ける。
智代はベッドの上で膝を抱えたまま外を見ている。
頭を掻き毟ったらしく長い髪が乱れ、床にはヘアバンドが転がっていた。
「さっきの放送のことで話したいとがあるんだよ」
膝をつくと智代とほぼ同じ目線で話しかけ、拓也に話したことと同じ疑問を伝えた。

「な、なんだと?」
「だから、どうかまだ諦めないで。三人の他に生存者がいる可能性があるんだよ」
「その三人以外と誰か会えれば放送に偽りがあったことになるな」
言われてみればその通りで、今回は死者の数が多過ぎる。
智代は心の靄が晴れるような気分になり瑞佳を見つめた。
目の澄んだ人だ。健気で屈託のない性格はどこか渚に似ている。
正常な容姿なら自分も憧れるようなかわいい女の子だろう。
電話で聞いた限りでは何度も死にかけたとのこと。見た目にも非力な彼女がどうしてこんなにも逞しいのか。
(──男だ。残り三人のうちに彼氏が……でもなかった。折原浩平の名前があったか)

茜との出会いから最期を話すと瑞佳は一瞬驚き、考え込んでしまった。
「もしかしたら他のグループでも同じようなことが起きたのかもしれないね。それでも四十四人が九人なんて絶対おかしいよ」
「首輪を外したなんてことは……無理か」
「わからないけど、このままウサギの言いなりになるなんて悔しいよ。お願いだからわたし達に協力して」
「わかった。長森の言うとおりにしよう」
「ありがと。じゃあ気分を切り替えて付け直そうよ」
差し出されたのは投げ捨てたヘアバンドだった。
「お前変な奴、否いい奴だな。気に入った」

「お疲れさん。坂上さんの協力を得られたようだな」
「お兄ちゃんの方は?」
「なんとかなーってとこだけど、柚木さんが離れてくれないんだ」
詩子は拓也の胸に顔を埋めていた。
「いつまでも悲しんでいる場合じゃないぞ。頭を切り替えろっ」
「じゃあ頭を切り替えて内紛の種を消去しなきゃね」
振り向きざまニューナンブM60が向けられる。
「待ってくれ! 茜と交わしたことはあくまでも方便なのだ」
「往生際が悪いよ。もう誰も信用しないから。こうなった以上、あたしも優勝を狙うことにするよ」
詩子の眼差しは未だかつて見たことがないほど冷たいものだった。
一存で決すべく拓也は瑞佳の表情を窺う。
詩子を半抱きした状態だから押さえ込めることは十分可能だ。しかし──
(クソッ、駄目かよ)
アイコンタクトで返ってきたのは「否」だった。

「待って。柚木さんの気持ち、わたしにもわかるよ。お兄ちゃんから聞いた通り、まだ生存者がいるかもしれないんだよ」
「もうどうでもいいような気がするんだ。茜に裏切られたショックが大きいんでね」
「せめて生存が確実な三人に会うまでは投げないでちょうだい。この通りだよ」
そう言って瑞佳はひれ伏し、切に願いを乞うた。
「そうだ、今時単独で行動している奴はいないと思う。三人はいっしょに違いない。僕からもお願いだ、柚木さん」
二人の哀願に若干送れて智代は膝をついた。
「私が悪かった。どうかもう一度協力してほしい」
自分の時と同じく瑞佳は全身全霊でもって行動していることが智代の心を動かした。
床に手をつき頭を下げるより他はなかった。
暫し沈黙が流れ、それは一時間以上も長いものに感ぜられた。
「あたしって悪人になれないのかなあ。皆ににそこまでされちゃ考え直すとするか」
付き合いは短いが、瑞佳の人柄を詩子は大層気に入っていた。
油断すれば殺されるという非情な環境の中でも、瑞佳の魅力は大いなるものがあった。

一同は茜の死から立ち直り、結束を固めた頃にはかなり時間が経っていた。
「まずは鎌石村役場で情報収集し、平地の街道を通って平瀬村へ行こう。他に意見は?」
「それでいい。葉子さんの扱いは如何に?」
珍しく全員の意見が一致──助命しないということだった。
かといって、改心したと泣き喚く丸腰の者を処刑するのは誰もが嫌がった。
拓也は前科があり、智代も口先だけとはいえ優勝を目指そうとしたし、詩子は葉子に命を助けられた。
瑞佳は生来の優しさが災いし、拓也の例もあって葉子のいうことは本当かもしれないと迷うところである。
皆それぞれ思う所があり、話し合いの末当分の間生かしておくという取り決めになった。
その裏には二日後の放送で死者がいない場合、誰かの首輪が爆発するのを防ぐための生贄の役目もあった。

外に出るとみずみずしい蒼い空が広がっていた。
天候の良さに、皆は藁をも掴む思いでより良い結果が訪れる淡い期待を抱く。
他の生存者が主催者との対決に臨む中、事態の推移を知らない拓也一行の放浪の旅が始まろうとしていた。




【残り17人】

【時間:三日目08:30】
【場所:C-05鎌石村消防署】
月島拓也
 【装備品:メス】
 【持ち物:消防斧、リヤカー、支給品一式】
 【状態:リヤカーを牽引。両手に貫通創(処置済み)、背中に軽い痛み、水瀬母子を憎悪する】
 【目的:同志を集める。まずは鎌石村役場へ。放送の真相を確かめる】
長森瑞佳
 【装備品:半弓(矢1本)】
 【持ち物:消火器、支給品一式】
 【状態1:リボンを解いて髪はストレートになっている、リボンはポケットの中】
 【状態2:出血多量(止血済み)、脇腹の傷口化膿(処置済み、快方に向かっている)】
 【目的:同志を集める。まずは鎌石村役場へ。放送の真相を確かめる】

坂上智代
 【装備品:専用バズーカ砲&捕縛用ネット弾(残り1発)、手斧】
 【持ち物1:38口径ダブルアクション式拳銃用予備弾薬69発ホローポイント弾11発使用】
 【持ち物2:ブロックタイプ栄養食品×3、LL牛乳×3、支給品一式】
 【状態:健康】
 【目的:同志を集める。まずは鎌石村役場へ。放送の真相を確かめる】
柚木詩子
 【装備品:ニューナンブM60(5発装填)、予備弾丸2セット(10発)、鉈】
 【持ち物:ブロックタイプ栄養食品×3、LL牛乳×3、支給品一式】
 【状態:健康、智代に複雑な思いを抱いている】
 【目的:同志を集める。まずは鎌石村役場へ。放送の真相を確かめる】
鹿沼葉子
 【持ち物:支給品一式】
 【状態1:両手を後ろ手に拘束、リヤカーに乗っている】
 【状態2:肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、全力で動くと痛みを伴う)】
 【目的:何としてでも生き延びる】
里村茜
【持ち物:包丁、フォーク、LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料は2日と1食分)、救急箱】
【状態:死亡】

【備考1:消防斧、消火器はリヤカーに積載】
【備考2:全員に一日分の握り飯を配布】
【備考3:拓也を先頭にリヤカーの左側を瑞佳、右側を智代、後方を詩子が配置】
【備考4:茜の死体は埋葬、持ち物は拓也と瑞佳に譲与の予定】
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