嘲笑




小休止を終え、『高天原』への扉を開け放った時、柳川祐也達は此処が地獄の底であるという事を実感した。
名目上『高天原』は巨大シェルターであるらしいが、そんな言葉ではこの空間を言い表せまい。
震える程の恐怖を感じながら、向坂環が苦々しげに呟いた。

「――何よコレ。これじゃまるで、小説や漫画に出てくる魔界みたいじゃない……」
「空気が重いですね……まるで別の世界に迷い込んじゃったみたいに……」

倉田佐祐理は全身が鉛で覆われたかのような錯覚に襲われながら、周囲を見渡す。
直径にして優に数キロはある広大な空間は最早地下要塞のそれではなく、殺伐とした暗黒の大地そのものだ。
辺り一帯に充満した圧倒的な死の気配が、手足を痺れさせる悪寒が、何もせずとも精神を削り取ってゆく。
異界の一端には、円状となっている闘技場のような舞台が準備されている。
その中央が突如光り輝き――

「――ようこそ、諸君。私が今回の遊戯を企画した主催者……篁だ」

眩いばかりのスポットライトを浴びながら、篁は己が獲物達を歓迎した。

「――――っ!」
その圧倒的重圧、圧倒的存在感、圧倒的威厳に気圧され、柳川は思わず息を呑んだ。
主催者にして篁財閥総帥の地位を持つ男は、予想を遥かに上回る怪物だったのだ。
篁財閥総帥は齢八十程の筈であるが、今目の前にいる男はどう見ても枯れ果てる寸前の老人では無い。
いや、そもそもこの男には年齢などという概念自体通じまい。
黒衣を纏った身体は、青色の禍々しいオーラに包まれている。
力そのものを噴き出すような、全てを灼き尽くすような、紅く輝く蛇の瞳。
その姿形は、
「そうか……やはり主催者は人間では無かったんだな……」
『鬼の力』を秘めたる柳川にすら、そう言わしめる程であった。
アレは、異形中の異形だ。
距離はまだ十分離れているというのに、同じ空間に居るだけで意識が完全に凍りつく程の。

柳川の狼狽を見て取った篁が、凄惨に口元を歪める。
見ているだけで寒気を催すような、臓腑を抉るような、おぞましい笑みだった。
「フフフ……当然だ。この私を人間のような矮小な存在と一緒にされて貰っては困る」
それに、と続ける。
「柳川祐也よ、人間で無いのはお前も同じだろう? 雌狐をも凌駕した鬼の力、とても人間の範疇に収まり切るものではない」
「…………」

柳川は答えない。
すると代わりと言わんばかりに、環が一歩前に足を踏み出した。
多分に怒気を孕んだ目で睨み付けながら、告げる。
「そんな事どうだって良いわ……聞きたいのは一つだけ。貴方はどうしてこんな殺し合いを開催したの?」
「クックッ、良い質問だ。答えは簡単――人間の『想い』を集める為だ」
「……想い?」
訝しげな表情を浮かべる環に対し、篁は愉しげに言葉を続ける。
「人間自体は取るに足らぬ脆弱な存在に過ぎぬが、『想い』だけは違う。人の『想い』は何よりも強く美しい。
 だからこそ私は今回の遊戯を行い、『想い』を集めたのだよ」

人を惑わす甘美な、しかし粘りつくように重い声で紡がれる言葉。
それは環に、抑えがたい生理的嫌悪感を齎した。
「……詭弁ね。貴方の言ってる事は、何一つ理解出来ないわ」
「分からずとも良い。所詮人間如きに、神の意志が理解出来る筈も無いのだからな」
篁はそう言うと、パチンと指を鳴らした。
途端、闇から湧き出るように三体のセリオ達が現われた。
しかし数十分前に戦った物とは違い、今回のセリオ達は徒手空拳だった。

――わざわざ武装する時間を与える必要も、義理も、何処にも存在しない。
柳川は鋼鉄の少女達に、一切の躊躇無くマシンガンの掃射を浴びせ掛ける。
しかし次の瞬間、俄かには信じ難い光景が繰り広げられた。

「……何だと!?」
銃弾は一つの例外も無くセリオ達を包む青い光に飲み込まれ、消えていたのだ。
ならばと、柳川は素早くフェイファー・ツェリスカを取り出し撃ち放ったが、結果は同じ。
最強の超大型拳銃ですら、セリオ達には掠り傷一つ付けられなかった。

「ククク……理解して貰えたかね? これが『ラストリゾート』だ。我が叡智の前には不粋な銃火器など無意味――頼れるのは己の肉体のみ」
「グッ……!」
――ラストリゾートはまだ破られていなかった。
この土壇場で初めて判明した事実は、柳川達に雪崩の如き焦燥感を齎した。
「そう焦らずとも良い……その人形共はあくまで量産型、外にいた物とは違うし武器も持たせていない。君達の脆弱な肉体でも、十分対抗し得るだろう。
 さあ舞え! 死の舞を我が前で!」
その言葉を待っていたかのように、三匹の猟犬は獲物に飛び掛かる。

「倉田、久寿川、お前達は下がっていろ! 行くぞ、向坂!」
柳川は即座に指示を出した後、環と共に前方へ駆けた。

◆

三体のセリオの内二体は柳川、そして残る一体は環に牙を剥いた。
「くぅ――」
環は素早く横にステップを踏み、セリオの拳を空転させる。
直接触れずとも髪を舞い上げる風圧が、敵の優れた膂力を雄弁に物語っていた。
まともに食らったらどうなるかと考えると、背筋に冷たいものを感じずにはいられないが、技術ではこちらが上だ。
「ハッ!」
がら空きとなったセリオの胴体部に、鋭い回し蹴りを打ち込む。
革靴越しに伝わる、確かな手応え。それは十二分な威力を伴った打撃が、確実に決まった証。
並の相手ならば、この一撃で勝負は決まっていただろう。
しかし敵はロボット、人間相手の道理など通用しない。

「な――!?」
突然視界が反転し、環は驚きの声を上げた。
セリオは環の蹴り足を掴み取り、軽々と投げ飛ばしていたのだ。
まるで野球のボールか何かのように、環の体が宙を舞う。
「こんのっ……!」
環は驚異的な運動神経を駆使して、空中で態勢を整え、どうにか地面に降り立った。
眼前のセリオに対する警戒は解かず、視線だけ柳川の方に移す。
柳川は鬼神の如き戦い振りで二体のセリオと互角以上の戦いを繰り広げていたが、仕留めるまでにはまだ時間が掛かりそうだった。
少なくとも今目の前に居るセリオは、自力で倒さなければならないだろう。

「負けられないっ……」
環は迫るセリオの拳を掻い潜って、懷深くまで潜り込む。
掴み掛かってくるセリオの手を逆に掴み取り、一本背負いの形で投げ飛ばした。
セリオが大地に叩き付けられるのを待たず、その後を追う。
「負けてられないのよっ……!」
そうだ――今が正しく正念場、憎むべき黒幕はすぐ傍にいるのだ。
こんなロボット一体如きに、苦戦している場合では無い。

環は仰向けに倒れたセリオの上に、所謂馬乗りの形で飛び乗った。
髪の毛を思い切り引っ張られたが、こんなもの死んでいった仲間達が味わった痛みに比べれば些事に過ぎぬ。
環は一瞬の判断で手をチョキの形にし、それを凄まじい勢いでセリオの両目へと突き刺した。
内蔵されたカメラのレンズを破壊され、セリオは視覚機能を完全に失った。
標的の正確な認識が困難となり、セリオはじゃじゃ馬の如く無闇矢鱈に暴れまわったが、渾身の力で押さえつけられている所為で体勢は変わらない。
続けて環はセリオの頭部を片腕で握り締め、全握力を以ってしっかりと固定した。

「負けてらんないのよ、アンタなんかにぃぃぃぃ!!」
何度も、何度も。
セリオの頭部を、渾身の力で地面に叩き付ける。
一発一発に、死んでいった仲間達の無念を、救えなかった自分への怒りを籠めて。
叩き付ける度にセリオの身体が跳ね、頭部には罅が走り、抵抗の力が弱まっていく。
数え切れない程同じ動作を繰り返した末、鋼鉄の少女はピクリとも動かなくなった。
環はすいと立ち上がると、倒れ伏せたセリオにはもう一瞥もせずに、視線を動かした。

視界に入った男がどこまでも愉しげに、口元を吊り上げる。
「ククク……中々に愉快な見世物だったぞ。向坂君――君は人間の身でありながら、実に私を楽しませてくれる。
 血を分けた弟との戦い、仲間を守れず嗚咽する姿、素晴らしい。さあ、遠慮はいらん。
 褒美として私に挑む権利を与えよう」
男は環のこれまでの戦いも、悲しみも、決意も、全てを嘲笑っていた。

瞬間、環の中で何かが音を立てて切れた。
全ての元凶――篁を睨み付け、絶叫する。
「たかむらあああっ!!」
怒りがエネルギーとなって、全身を満たしてゆく。
少女は裂帛の気合を携えて、何ら躊躇う事無く黒い邪神に向かって走り出した。

あの男さえいなければ、こんな哀しい戦いは起こらなかった。
貴明も雄二もこのみも、この島で出会った仲間達も、皆死なずに済んだ。
誰も悲しまないで良かったし、誰も憎しみを抱かないで良かったし、きっと幸せなまま暮らせた筈だ。
それが、あの狂人一人の所為で――!

    *     *     *

辺りに響く、派手な打撃音。
腹部を強打されたセリオは、その場に踏み止まる事が出来ず後退してゆく。
その足元には、既に首を叩き折られた別のセリオが転がっている。

「―――ーフッ!!」
柳川は姿勢を低くして、残る最後のセリオに追い縋る。
篁の言葉通り、このセリオは先の殺人兵器達などとは違う。
特筆すべき運動能力も戦闘技術も持たぬ、少々腕力があるだけのメイドロボットに過ぎない。
痛覚が存在しないロボットによる二人掛けを破るのには時間を食ったが、これで最後だ。
「……遅い!」
苦し紛れに繰り出されたセリオの中段蹴りを、片腕だけで易々と掴み取った。
そのままセリオの身体を宙に持ち上げ、ハンマー投げの要領で振り回す。
一回点、二回転、三回転、四回転と勢いを付け――最後に向きを変え、地面という名の凶器目掛けて振り下ろした。
大きく火花を撒き散らし、セリオの身体が床の上をごろごろと転がってゆく。
勢いが止まった時にはもう、セリオは活動を停止していた。

一仕事終えた柳川が、息を整えながら周囲を確認しようとしたその時。

「――たかむらあああっ!!」

聞こえてきた怒号に、柳川は首を向ける。
視界に入った光景を正しく認識した瞬間、誰の目から見ても明白な動揺の表情を浮かべてしまう。
環が、たった一人で篁に殴り掛かろうとしていたのだ。
確かに今まで環は良く戦い、期待以上の成果をあげくれたが――あの男相手だけは不味い。

「向坂さん、待って!」
ささらの放った静止の声が大きく木霊したが、環は止まらない。
柳川の頭に浮かぶのは、数瞬後に生み出されてしまうであろう最悪の光景。
あんな怪物に何の異能も持たぬ者が勝負を挑めば、秒を待たずして殺されてしまう。

「何っ……!?」
だが事態は柳川の予想とまるで逆の方向に、推移していた。
恐らくはささらも佐祐理も、驚愕に目を見開いていたに違いない。
――環の指が、篁のこめかみにしっかりと食い込んでいた。
篁は迫り来る環に対して、何の迎撃も回避動作も行おうとはしなかったのだ。
そしてそのまま、篁の身体が天高く持ち上げられる。


「皆の仇! 倒れなさい、篁ぁっ!」
環は呼吸する力すら腕に集結させ、五指という名の万力を思い切り締め上げる。
人一人を持ち上げる程の握力で掴み上げられているのだから、篁の頭部にも首にも、相当の負担が掛かっている筈。
この状態が続けば、いくら人外の者とも言えども倒せるのでは――
そんな淡い期待が、環の脳裏を過ぎった。

「フフフ……ハハハハ」
「っ―――ー!?」
だというのに、耳障りな嘲笑は消えなかった。
篁はまるで何事も無かったかのように、余裕綽々の表情で哂い続けている。

「ウワアッハッハッハッハッハッハッハッハ! そうれい!」
「…………ガッ!?」
篁の右手がゆっくりと伸び、環の首を握り締める。
それでも体勢的には環の方が圧倒的有利であり、吊り上げられている側の者は勝利し得ない。
どれだけ並外れた剛力を誇る人間であろうとも、足場が無い状態では碌に力を発揮出来ないのだ。
それは重力に縛られた地球上で生きる限り、逃れ得ない理。

しかし――この世の理に捉われぬ高次の存在こそが、『理外の民』篁。
柳川が駆け寄る暇すら無かった。

ぐしゃり、と。
何かが砕ける音。
真っ赤な鮮血が、床に池を作り上げ――環だったモノの頭部が、胴体が、別々に落ちた。

「向坂さああああああんっ!!」
「いやあああああっっ!!」
ささらと佐祐理の絶叫は、広大な空間に虚しく吸い込まれてゆくだけだった。
どれだけ叫ぼうとも、首から上を失った環の身体が動く事はもう二度と有り得ないのだ。

「ハーハッハッハッハッ! 脆い、脆過ぎる! さあ愚かな人間共よ、己の無力さを嘆き、神の前にひれ伏すがよいわ!」
篁の嘲笑は、止まらない。


【残り18人】




【時間:3日目12:40】
【場所:f-5高天原】
柳川祐也
 【所持品:イングラムM10(12/30)、イングラムの予備マガジン30発×3、コルトバイソン(1/6)、日本刀、支給品一式(食料と水残り2/3)×1】
 【所持品2:フェイファー・ツェリスカ(4/5)+予備弾薬38発、強化プラスチック製大盾】
 【状態:驚愕・動揺。軽度の疲労。左上腕部亀裂骨折・肋骨三本骨折・一本亀裂骨折(全て応急処置済み・ある程度回復)・首輪解除済み】
 【目的:篁の打倒。最優先目標は佐祐理を守る事】
倉田佐祐理
 【所持品1:レミントン(M700)装弾数(4/5)・予備弾丸(10/10)、レジャーシート、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】
 【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、日本刀、支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱】
 【所持品3:コルト・ディティクティブスペシャル(4/6)】
 【状態1:絶叫、留美のリボンを用いてツインテールになっている、首輪解除済み】
 【状態2:右腕打撲。両肩・両足重傷(大きく動かすと痛みを伴う、応急処置済み)】
 【目的:篁の打倒】
久寿川ささら
 【持ち物1:ドラグノフ(4/10)、電磁波発生スイッチ(作動した首輪爆弾の解除用、充電済み)、トンカチ、カッターナイフ、救急箱(少し消費)】
 【持ち物2:包丁、携帯電話(GPS付き)、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、ニューナンブM60(3/5)、支給品一式】
 【状態:絶叫、右肩負傷(応急処置及び治療済み・若干回復)、首輪解除済み】
 【目的:篁の打倒。麻亜子と貴明の分まで一生懸命生きる】
篁
 【所持品:青い宝石(光86個)、他不明】
 【状態:健康、ラストリゾート発動中】
向坂環
 【所持品@:ベアークロー・鉄芯入りウッドトンファー、フェイファー・ツェリスカ(5/5)+予備弾薬43発、強化プラスチック製大盾】
 【所持品A:M4カービン(残弾15、予備マガジン×1)、救急箱、ほか水・食料以外の支給品一式】
 【状態:死亡】
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