最悪の追跡者




懐中電灯を取り出す。
春原陽平は藤林杏と共に、地下要塞の入り口へ足を踏み入れようとしていた。
真後ろで見守る水瀬秋子に顔を向け、陽平はペコリと頭を下げた。
「それじゃ秋子さん、珊瑚ちゃんを宜しく頼んだよ」
「ええ、任せて。珊瑚ちゃんは絶対に私達が守るから、春原さん達は心配せずに戦ってきて頂戴」

方針は決まっていた。
水瀬親子はハッキング作業中の珊瑚を防衛し、陽平と藤林杏は予定通り『首輪爆弾遠隔操作装置』を破壊しにゆく。
そしてハッキングが終了次第、秋子達も地下要塞内部に突入する。
秋子達はより迅速に増援を行えるよう、陽平達と共に地下要塞入り口まで移動したのだ。

珊瑚は苦しげに目を細めた後、躊躇いがちに呟いた。
「陽平も杏も、絶対に死んだらあかんよ……?」
「へーきよ。殺し合いを企んだ連中相手なら容赦無くやれるし、ボッコボコにしてやるわ。
 あんたこそハッキングが終わったら早く来なさいよ? あんまり遅かったら、美味しいトコは全部あたしが持っていっちゃうからね」
「おいおい、僕だって居るんだぜ? 杏にばっか良い格好はさせてらんないよ」

それはあからさまな強がりに過ぎぬだろう。何しろ杏達は地下要塞に突入する三組の中で、最も戦力的に劣るのだから。
しかし、これこそが藤林杏流の、春原陽平流の、別れの挨拶なのだ。
杏は一度だけ勝気な笑みを浮かべて見せた後、長い髪を靡かせて地下要塞の中へと消えていった。

    *     *     *

地下要塞入り口から程近い民家の一室にて、珊瑚は思う。
自分は成し遂げた。
孤島という名の箱庭で行われた、百二十人のピエロによる殺人遊戯を食い止めたのだ。
今も昔も、自分は機械関連の技術以外、何の取り柄も持ち合わせてはいない。
そんな自分に出来る事は一つ、主催者側のホストコンピュータへのハッキングだ。
そしてその一つを遂行するだけで、今まで参加者達を縛っていた悪魔の枷が取り除かれた。

だが自分は最低限の義務を果たしただけで、誇れる程の事は未だ出来ていない。
目的を完遂するまでに、余りにも多くの犠牲を出してしまった。
自分にとって、別格に大切な者は三人――姫百合瑠璃、河野貴明、イルファだ。
しかしイルファは自分を逃がす為、常識外れの怪物に挑み、散った。
瑠璃もまた自分を庇って、復讐鬼来栖川綾香に殺されてしまった。
貴明も自分が止め切れなかった所為で、命を落とした。

故に、まだまだ足りない。
自分の至らなさが原因で死んでしまった者達の死に報いるには、まだまだ戦い続けねばならぬ。
首輪が無効化された今、殺し合いはもう中断したに違いないが、未だ主催者達は健在だ。
彼らを倒し切ったその瞬間まで、本当の意味での勝利は訪れない。

背後で水瀬親子が見守る中、珊瑚は一心不乱にノートパソコンのキーボードを叩き始める。
まず最初に考えなければいけないのは、より多くの同志を、極力迅速に動かすという事だった。
未だ連絡を取れていない生き残りは、放送から推測するに六人。
『ロワちゃんねる』はノートパソコンさえあれば見れるが、全員が電話を使用出来る環境にあるかどうかは分からない。
そして作戦が始まってしまった今、電話を探している時間は致命的なロスになりかねない。
そんな時間があれば、一刻も早く地下要塞に突入し、仲間達を助けてあげて欲しい。
だから珊瑚は、柳川祐也達が行っている地下要塞攻略作戦をファイルに纏め、『ロワちゃんねる』に掲載した。
これでもう、『ロワちゃんねる』を見た人間は、時間を無駄にする事無く地下要塞内部へと駆けつけてくれるだろう。

そして次が本命、ハッキングだ。
つい先程までは、敵のホストコンピュータは外部とのネットを全て遮断していた為に、ハッキングは不可能となっていた。
しかし今なら、仲間達が突入を開始した今なら――

「……やったー!」
思惑通りに事が進み、計らずして珊瑚は甲高い声を上げた。
「どうしたの?」
事情を理解しかねた秋子が、眉根を寄せて訊ねてくる。
珊瑚はキーボードを打つ手は止めずに、背中を向けたままで返事を返す。
「要塞が危なくなったら各施設の状況を確認する為に、外部とのネットを復活させるかもと思ってたんやけど……ビンゴやった。
 これなら……もっかいハッキング出来る!」

敵が外部とのネットを繋いだ瞬間を狙って、再びハッキングする――それが珊瑚の作戦だった。
今の所その目論見は上手く進んでおり、針の穴のような隙間を通って、無事ホストコンピュータ内部に侵入する事が出来た。
そして今度は、前回よりも更に大仕事をしなければならない。
これから自分はホストコンピュータそのものを乗っ取り、敵要塞の機能全てを停止させる。
そうすれば残る脅威は、人的な脅威――即ち敵兵士と、篁本人だけになる。

「絶対……絶対まるごと乗っ取ったる!」
「乗っ取って……それからどうするつもりなの?」
「まずは首輪を無効化した事について、島内放送で皆に教えてあげるねん。
 それから皆に呼び掛けて、地下要塞内に突入する。要塞の奥に居る悪い人を、島中の皆でやっつけたるねん!」

そうだ。
ホストコンピュータを乗っ取るという事は、あの放送も自由に流せるという事。
そして上手く行けば『ラストリゾート』すらも、仲間達の守護に使えるようになるかも知れない。
大丈夫――前回で、敵コンピュータの防御パターンは8割方把握している。
既にもう、敵ホストコンピュータの中核近くまで迫っている。
このままハッキングしきってみせる。
そう考え作業のペースをより一層早めようとしたその時、それまで黙りこくっていた名雪が唐突に口を開いた。

「ふ〜ん、そうなんだ……。だけど皆が皆、その考えに賛同するかどうか分からないんじゃない?」
「……そんな事あらへんよ! 首輪が無いのに参加者同士の殺し合いを望んでる人なんて、いる訳無いもん!」

折角盛り上がっている所に、冷や水を掛けるような真似をされ、珊瑚は思わずムッとなった。
参加者同士の情報交換が十分に行われた今なら、殺し合いに乗った人間がいれば即座に分かるだろう。
そして自分の知り得る限り、自ら進んで殺し合いを行う綾香や岸田洋一のような人間は、もう死に絶えた。
つまり生き残った者達は善良な人間ばかりである筈なのに、どうしてそんな事を言う?
珊瑚は、後ろを振り向き――

「そうとも限らないよ? だって――」

直後、珊瑚の右胸部に鋭い痛みが突き刺さった。

「此処に二人、殺し合いを望んでる人間がいるんだから」

肺を損傷した珊瑚は盛大に吐血し、大きく目を剥いた。
凛々しく直立した秋子が、凍り付くような表情で珊瑚を見下ろしてる。
そして中腰で屈みこんでいる名雪が、珊瑚の胸を八徳ナイフで深々と突き刺していた。
名雪が手を離すと、珊瑚の身体は横ざまに地面へと叩きつけられた。

「――うっ、ぐが、アァ……」

思考が追い付かない。何故自分が、仲間である筈の水瀬親子に襲われるのだ。
こちらを睨み付ける名雪の瞳は、何故あんなにも昏く濁っているのだ。
混乱に支配された珊瑚は、やっとの思いで掠れた声を絞り出した。

「名雪……秋子さん……どうして……悪い人の隠れ家も見つけて……後一歩なのに……」
「どうしてもこうしても無いよ。珊瑚ちゃんは甘い、甘過ぎるんだよ。この島では相手を信用した人から死んでいくんだよ。
 騙された人間の末路がどんなものかまだ分かってないんなら、私が――」

名雪は狂気に染まった理論を口にしながら、八徳ナイフを天高く振り上げる。

「――教えてあげるねっ!」
「うぁ――ああああっ!!」

ザクッという、果物を切るような音が珊瑚の耳に届く。
仰向けに倒れる珊瑚の脇腹を、無常にも鋭利な白刃が貫いていた。
名雪の攻撃は、獲物が即死せぬ範囲で最大限の苦痛を与えるものだった。
想像を絶する激痛が脳に伝達され、珊瑚の凄惨な悲鳴が建物内に木霊する。
その様子を眺め見ていた秋子が、懐から34徳ナイフを取り出す。

――横殴りに、閃光めいた疾風が奔った。

「珊瑚ちゃん、後一歩というのは大きな間違いよ。地下要塞内に突入した人達は全員死ぬわ。
 何しろ――これから私達が彼らの後を追って、一組ずつ潰していくのだから」

それは明らかな背信宣言だったが、珊瑚はもう秋子を言い咎める事が出来ない。
秋子の34徳ナイフは、一切の容赦も情緒も無く、珊瑚の喉を切り裂いていたのだ。
目が見えない。
四肢の指先、身体の末端から感覚が消えていく。
「さ、お母さん。次行こうよ」
「はいはい、名雪はせっかちね。でも先に返り血を洗い流さないと駄目よ?」
痛みすら感じなくなり、ただ声だけが聞こえてくる。
それも長くは保たず、やがて聴覚も失われる。
(るりちゃん……貴明……イルファ……ゆめみ……ごめんな。皆に助けてもらった命…………守り切れへんかった……)
その事が悔しくて、残る全ての力で手を握り締める。
そして最後に、意識が途絶えた。




【残り19人】

【時間:3日目10:10】
【場所:G−2地下要塞入り口】
春原陽平
 【装備品:ワルサー P38(残弾数5/8)、ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×10、鉈】
 【持ち物1:9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、89式小銃の予備弾(30発)】
 【持ち物2:鋏、鉄パイプ、工具】
 【持ち物3:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料を少し消費)】
 【状態:右脇腹軽傷・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも治療済み・多少回復)、首輪解除済み】
 【目的:要塞内部へ移動。可能ならば『首輪爆弾遠隔操作装置』を破壊。杏と生き延びる。】
藤林杏
 【装備品:グロック19(残弾数2/15)、S&W M1076 残弾数(7/7)予備マガジン(7発入り×3)、投げナイフ(×2)、スタンガン】
 【持ち物1:Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書(英和)、救急箱、食料など家から持ってきた様々な品々、缶詰×3】
 【持ち物2:支給品一式】
 【持ち物3:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、工具、首輪の起爆方法を載せた紙】
 【状態:右腕上腕部重傷・左肩軽傷・全身打撲(全て応急処置済み・多少回復)、首輪解除済み】
 【目的:要塞内部へ移動。可能ならば『首輪爆弾遠隔操作装置』を破壊。陽平と生き延びる】
ボタン
 【状態:杏に同行】

【時間:3日目10:25】
【場所:G−2地下要塞近くの民家】
水瀬秋子
 【持ち物1:ジェリコ941(残弾6/14)、トカレフTT30の弾倉、澪のスケッチブック、支給品一式】
 【持ち物2:S&W 500マグナム(5/5 予備弾2発)、ライター、34徳ナイフ】
 【状態:マーダー、腹部重症(傷口は塞がっている・多少回復)、頬に掠り傷、首輪解除済み】
 【目的:優勝して祐一を生き返らせる。名雪の安全を最優先。地下要塞内部に移動】
水瀬名雪
 【持ち物:八徳ナイフ、S&W M60(5/5)、M60用357マグナム弾×9】
 【状態:マーダー、精神異常、極度の人間不信、首輪解除済み】
 【目的:優勝して祐一の居る世界を取り戻す。地下要塞内部に移動】
姫百合珊瑚
 【持ち物@:包丁、デイパック、コルト・ディテクティブスペシャル(2/6)、ノートパソコン×2、ノートパソコン(解体済み)、発信機、何かの充電機】
 【持ち物A:コミパのメモとハッキング用CD、工具、ツールセット、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(0/6)】
 【持ち物B:ゆめみのメモリー(故障中)、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
 【状態:死亡】
【備考】
・珊瑚の死体の近くに、『主催者(篁)について書かれた紙』『ラストリゾートについて書かれた紙』『島や要塞内部の詳細図』『首輪爆弾解除用の手順図』
が置いてあります。
・『ロワちゃんねる』に、柳川達が行っている地下要塞攻略作戦についての概要が掲載されました
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