身体を打ちつける風が、妙に冷たく感じられる。 目的の地――鎌石村北西部に位置する地下要塞入り口へと近付くにつれて、民家は疎らに点在するだけとなり、不吉な気配が増してゆく。 高槻ら一行は鉄の意志を以って、死に侵された場所へ自ら飛び込もうとしていた。 やがて入り口に辿り着き、湯浅皐月は開け放たれた扉の先に見える闇を覗き込む。 まるで地獄への入り口のように広がる暗黒の中に、階段とスロープが並んでいるのがうっすらと見える。 太陽の光が一切届かぬ入り口の深部は、今の立ち位置からでは窺い知る事は出来ず、否応無しに不気味さを感じさせる。 「真っ暗ね……正に悪の根城って感じ……」 「ああ。成金野郎は無駄遣いが好きみてえだな」 「ぴこ、ぴこ〜……」 ポテトも本能的に危険を感じ取ったのか、不安げな鳴き声を上げていた。 皐月は早鐘を打ち鳴らす心臓を必死に鎮めながら、目前の闇に足を踏み入れる。 高槻は車椅子の背を押している為に両腕が塞がっているので、皐月が先頭に立ち前方を懐中電灯で照らした。 見ると階段とスロープは壁伝いに造られており、ぐるりと弧を描いていた。 懐中電灯から洩れる微かな光だけを頼りに、無機質な鉄で構成された道を降ってゆく。 規則正しい三つの足音と車椅子の車輪が鳴らす金属音が交じり合って、一つの協奏曲を奏でる。 「ねえ高槻、あたしも歩いた方が良いんじゃ……」 「何言ってんだ、今から歩いてたら肝心な時にバテちまうだろ。お前の切り札は、いざって時まで取っとけ」 郁乃が気遣うように言ったが、高槻はその申し出を即座に断った。 努力の甲斐あって郁乃は歩けるようになりはしたのだが、それは多大な体力を費やせばの話だ。 まだ敵と出会ってすらいない状況下で、無駄に戦力を消耗する愚は避けなければならなかった。 そうやって、随分と長い間歩き続けた後。 やがて突き当たりに辿り着き、一行は揃って足を止める。 目の前には見るからに頑丈そうな鉄製の扉が、悠然と立ち塞がっている。 皐月はその扉を押し開けようとして――高槻に腕を掴まれた。 直ぐ様訝しげな視線を送ったが、高槻は唇の前に人差し指を立てている。 皐月はその意味を計りかねたが、少し時間が経った後異変に気付く。 「――――ッ!」 本来ならば聞き逃てしまうような微小な音を、緊張と警戒で極度に研ぎ澄まされた神経がどうにか拾い上げたのだ。 扉の向こうから微かながら足音が聞こえきていた。 この状況で扉の向こうに居る人間が何者か、考えるまでも無い。 主催者側の人間――恐らくは防衛の任に就いている兵士が、この先に居るのだろう。 音から察するに、その数は三。 敵がこちらに気付いた様子は無い為奇襲は十分可能だが、決して見逃せぬ大きな問題がある。 敵は恐らく全員が銃で武装しているだろうが、自分達は銃を一つしか持っていないのだ。 それでは少々不意を突いた所で敵を仕留め切れず、逆に反撃の掃射を浴びてしまう羽目になるだろう。 この状況を制するには、ただの不意打ちよりも効果的な奇策を用いねばならない。 どうしたものかと皐月が考え込んでいたその時、高槻が郁乃の膝からデイバックを一つ取り上げた。 扉の向こうに届かぬよう小さな声で、高槻がぼそぼそと耳打ちをしてくる。 皐月は即座に高槻の意図を理解し、にやりと不敵な笑みを浮かべる事で肯定の意を示した。 ◆ 兵士――此処では便宜上、船橋という仮名で呼ぶ事にしよう――は、地下要塞内の大きな通路で、周りに悟られぬくらいの小さな溜息を吐いた。 自分は篁財閥とは別系統に属する組織の、しがない一構成員だった。 高給につられて篁財閥の末端構成員となり、この要塞を守護する役目に就いたのだが、三日続いて何の異変も起こらない。 外で何が起きているかは一切教えて貰えぬし、退屈を紛らわせるような余興も準備されてはいない。 これでは気が緩んでも仕方無いというものであろう。 それは自分以外の者も同じであるようで、同僚の二人も良く注視すれば弛緩している事が窺い知れた。 このような安全且つ下らぬ仕事で、何故破格の給料が支払われるのかまるで分からない。 しかし自分程度の俗人では、一代で巨財を築き上げた怪物の考えなど理解出来る筈も無いし、しようとする意味も無いだろう。 ともかく自分は指定された日数を此処で過ごして、当分は働く必要が無くなる程の金を受け取るだけだ。 非常につまらぬ状況だが、今は我慢するしか無い。 船橋は支給されたS&W M1076を手の中で弄びながら、またもう一度溜息を吐こうとした。 そこで突然、すぐ傍の扉が開け放たれた。 「――――敵かっ!?」 船橋は心臓が跳ね上がりそうな感覚に襲われながらも、半ば反射的にS&W M1076を構えていた。 周囲の仲間達は未だ狼狽に支配されたままで、立ち往生している。 そういった点では、船橋は他の者に比べると幾分か優秀であったと言えるだろう。 扉から何かが飛び出してくるのに反応して、素早い動作でS&W M1076の引き金を絞る。 銃弾は正確に飛来物を捉え、破壊していた。 しかし飛来物の正体を見て取った船橋は、驚愕に大きく目を見開いた。 自分が撃ち抜いたのは、何の変哲も無いただの鞄だったのだ。 その事に気付いた瞬間、船橋は殆ど反射的に地面を転がっていた。 そして、数発の銃声。 「ぎゃあああアアァあっ!!」 「ぐがっ…………」 恐らくは余りにも唐突な事態の連続に、反応し切れなかったのだろう。 棒立ちのまま撃ち抜かれたであろう仲間の悲鳴が、真横から聞こえてくる。 しかし船橋はそちらに視線を送ろうともせずに、銃声がした方へとS&W M1076を放っていた。 「――――ッ!」 襲撃者――酷い癖毛を携えた怪しい風体の男は、済んでの所で横に飛び退いていた。 船橋は間髪入れずに床を蹴り飛ばし、男との距離を縮めてゆく。 突然の奇襲には驚きもしたが、それさえ凌いでしまえばこちらのものだ。 敵が何者なのかは分からないが、外見から察するに軍人では無いだろう。 自分は一応この道で飯を食っているのだから、有象無象の相手如きに正面勝負で遅れなど取らない――! 「ちっ……!」 「逃がすか!!」 一発、二発と放った銃弾を敵は何とか回避しているものの、そう長くは続くまい。 もう少し間合いを詰めてしまえば、瞬く間に勝負は決するだろう。 そう考えた船橋が足により力を込めたその時、横から別の足音が聞こえてきた。 その音に反応するよりも前に、側頭部を強烈な衝撃が襲う。 「がはっ……」 船橋は堪らず呻き声を上げ、もんどり打って地面に倒れ込んだ。 碌に訓練されていない弛緩し切った兵士ならば、この時点で戦意を失っていたかもしれない。 (くそっ……新手か!?) それでもやはり船橋は優秀で、混乱する思考の中で必死に反撃しようとする。 二つ目の足音の主……ヨーヨーを構えた構えた少女の方に首を向け、それと同時にS&W M1076を構える。 しかしそこで視界を、白い物体が覆い尽くした。 「――――ッ…………」 断末魔の悲鳴を上げる暇も無い。 船橋は謎の物体に視界を防がれたまま、男――高槻によって、正確に心臓を撃ち抜かれていた。 自分がどのような悪事に加担していたのか、どのような敵を相手していたのかすら理解する事無く、船橋の意識は闇に飲み込まれていった。 ◆ 高槻は戦利品をあらかた収拾し終えた後、心底苛立たし気に毒づいた。 「――クソッ! 篁の野郎、自分の部下まで使い捨てにする気か……」 「……どういう事?」 「この兵士達、防弾チョッキはおろか機関銃の類も一切持たされてねえ。持ってたのは拳銃が一つずつだけだ。 どう考えてもこの程度の人数と装備じゃ、守り切れる筈が無い。最初から破られるのを承知の上で、こいつらは此処に配置されてたんだ」 郁乃の疑問に答えた後、高槻は手に入れた拳銃とその予備マガジンを、二人に向けて放り投げる。 皐月はそれを受け取りながら、地面に倒れ伏せる兵士へと目をやった。 床を赤く染め上げる血。苦悶に満ちた表情。 これらは全て自分達の手によって、生み出されたものなのだ。 自分達は間違いなく彼らの人生を、命を、全てを奪い尽くしたのだ。 やらなければ確実に殺されていたとは言え、罪悪感が沸き上がるのを禁じ得ない。 「ねえ高槻さん、どうしてあたし達は殺し合わなきゃいけないのかな……」 「ああん?」 「この兵隊の人達も自分の生活があっただろうし、人間の心だって持っていたと思うの。 殺し合いに乗ったっていうリサさんだって、本当は凄い優しい人だった……。多分好き好んで殺し合いをする人なんて、殆どいないと思うんだ。 なのにどうして……」 怪訝な顔をする高槻に対し、悲痛な声で訴え掛ける。 「どうして皆殺し合っちゃうの……? どうして宗一やゆかりは死ななくちゃいけなかったの……? 皆良い人だったのに、悪い事なんかしてなかったのに、どうしてっ……!」 静まりかえった通路の中で、皐月の叫びだけが空しく響く。 暫らくしてから、高槻が諭すように言った。 「……良いか湯浅。俺様には小難しい事なんて分からねえが、これだけは言っておくぞ」 そこで高槻の瞳に、冷たい光が宿る。 見ているだけで背筋が寒くなるような、そんな眼光だった。 「殺し合う理由なんざ考える必要がねえよ。いざって時に敵より先に引き金を引けなきゃ、死ぬのは自分ってだけなんだ。 人柄やそれまでの人生なんざ関係ねえ。死んじまった奴らは弱かったか、迷いがあったか、それとも運が悪かっただけだ」 話しを続ける内に皐月の表情が厳しくなっていくが、それでも高槻は言葉を止めない。 「だから自分の前に立つ敵がいたら、相手の事なんざ考えずに容赦無く殺せ。敵に掛ける情けなんざ、ドブ川にでも捨てちまえ」 それは正論ではあるのかも知れないが、余りにも冷酷過ぎる言い分。 皐月はふるふると肩を震わせながら、大きく叫んだ。 「そんな……そんな言い方って無いよ……! 殺さなきゃ殺されちゃうのかも知れないけど、そんな風に割り切るのは絶対おかしい!」 皐月には納得出来なかった。 高槻の考えは、まるで感情を持たぬ殺人兵器のソレだ。 そんなものが正しいと、認めたくは無かった。 しかし高槻は全く動じる事無く、淡々とした口調で言葉を返す。 「じゃあてめえは迷った挙げ句、自分の命、譲れない物、守りたい物、全てを失っても満足だっていうのか? 敵の事を考えた所為で殺されちまっても良いってのか?」 「そ……それは……」 「俺様は奇麗事で誤魔化す気なんか無いぞ。これは紛れも無く殺し合いで、敵の全てを奪う為に戦わなきゃいけねえ。 正義を掲げた聖戦なんかじゃなくて、穢れた者同士の戦争をしなくちゃいけねえんだ。 その覚悟が持てないなら今すぐ引き返せ。そんなんじゃ無駄死にするだけだからな」 それが、現実だった。 元凶の主催者勢力が相手とは言え、殺人は間違いなく殺人。 その事実を理解した上で、生き延びる為に覚悟を決めろと高槻は言っているのだ。 少しばかり逡巡した後、皐月は視線を地面へと下ろした。 「……一つだけ、良いかな?」 途切れ途切れの、しかし迷いだけは消えた声で。 「あたしはやっぱり篁が許せないし、皆で生きて帰る為に覚悟を持って戦うよ。 でも、殺しちゃった相手にお祈りくらいしてあげても良いかな?」 「――勝手にしやがれ」 高槻の返事を確認した後、皐月は倒れ伏せた死体の方へ振り向いた。 (ごめんね……。だけどあたしにだって、譲れないモノ、守りたいモノがあるから……) 目を閉じて、一度だけ手を合わせた後、再び奥に向かって歩き始める。 最後の殺し合いを行い、全てを終わらせる為に。 その後は大した障害も無く、一行はダウンロードした要塞詳細図に従って、順調に通路を突き進んでいった。 「さっきから誰も出てこないわね……。もう少しでラストリゾート発生装置まで辿り着いちゃうのに、おかしくない?」 車椅子ごと高槻に運ばれながら、郁乃がぼそりと呟いた。 高槻は何処か浮かぬ表情で、それに答える。 「そうだな。ここまで楽だと却って不気味だ。これじゃまるで、侵入して下さいって言ってるようなもんだぜ……」 先の一戦で自分達の襲撃はバレたに違いないのに、敵の一人すらも出てこない。 久寿川ささらの情報で敵の数が少ないのは知っていたが、これは明らかに異常だ。 『ラストリゾート』は敵の防御の要である筈なのだから、もっと厳しい警備を行って然るべきである。 にも関わらず何故、敵はこれ程までにずさんな守備陣しか敷いていないのか。 何故――? その疑問は、通路を進み終えて大きな広間に出た瞬間、直ぐに解決した。 高槻達の視界の先――ラストリゾート発生装置がある部屋への扉を守るように、難攻不落の男が屹立していた。 ただでさえ歴戦の猛者であるのに、その上装備面でも何一つ手落ちが無い真の守り手。 男が携えた特殊警棒は戦槌の如き威力を誇り、高性能の防弾チョッキと鍛え抜かれた筋肉は生半可な銃弾など無効化してしまうだろう。 恐らくは先の兵士達が束になってかかろうとも、この男相手では十秒と保たずに蹂躙されてしまうに違いない。 この男さえいれば、他の兵士など必要無い。 男の頬が邪悪に歪む。 決闘を前にしての高揚と、死にゆく高槻達への嘲笑。 「フッフッフッフッフ……ようやく来たか、高槻」 「てめえはっ……!」 寒気を催す重苦しい声、死を連想させる程の圧迫感、忘れる筈が無い。 高槻達の前には、先の兵隊達とまるで比べ物にならぬ怪物――世界有数の実力を持った傭兵――『狂犬』醍醐が立ちはだかっていた。 【時間:三日目・12:40】 【場所:c-5地下要塞内部・ラストリゾート発生装置付近】 湯浅皐月 【所持品1:S&W M1076(装弾数:3/7)、予備弾倉(7発入り×3)、H&K PSG-1(残り0発。6倍スコープ付き)、ヨーヨー、ノートパソコン、工具】 【所持品2:海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、手帳、ピッキング用の針金、セイカクハンテンダケ(×1個)、自分と花梨の支給品一式】 【状態:首に打撲・左肩・左足・右わき腹負傷・右腕にかすり傷(全て応急処置済み・多少回復)、首輪解除済み】 【目的:ラストリゾートの破壊。主催者の打倒】 高槻 【所持品1:分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、コルトガバメントの予備弾倉7発×4、スコップ、携帯電話、ほか食料以外の支給品一式】 【所持品2:ワルサーP38(装弾数:8/8)、予備弾倉(8発入り×3)、地下要塞詳細図】 【状態:全身に軽い痛み、腹部打撲、左肩貫通銃創(簡単な手当て済みだが左腕を大きく動かすと痛みを伴う)、首輪解除済み】 【目的:ラストリゾートをブッ壊す、主催者と醍醐を直々にブッ潰す】 小牧郁乃 【所持品1:写真集×2、車椅子、要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、トンネル見取り図、支給品一式×3(食料は一人分)】 【所持品2:ベレッタM950(装弾数:7/7)、予備弾倉(7発入り×3)】 【状態:首輪解除済み】 【目的:ラストリゾートの破壊。主催者の打倒】 ポテト 【状態:高槻の足元にいる、光一個】 醍醐 【所持品:高性能特殊警棒、防弾チョッキ、高性能首輪探知機(番号まで表示される)、無線機、他不明】 【状態:右耳朶一部喪失・興奮】 【目的:ラストリゾート発生装置の防衛、高槻の抹殺】 【備考】 ・醍醐は青い宝石(光86個)を篁に返還しました - BACK