運命の選択




あれ程激しく降り注いでいた重い雨粒は、何時の間にか鳴りを潜めていた。
空はすっかり晴れ渡り、海から流れてきたであろう潮の香りが、輪郭を持たずに辺りを漂っている。
そんな中、長森瑞佳をリヤカーで護送していた月島拓也は、呆然と立ち尽くしていた。

「な……何だって……」

拓也の心は驚愕で覆い尽くされていた。
先程流れた第四回放送で告げられた、余りにも絶望的な現実。
心の何処かで頼りにしていた長瀬祐介も死んだ。
瑞佳の幼馴染である折原浩平も死んだ。
あの忌々しい水瀬親子も死んだ。
瑞佳が電話で聞いた情報だが――このゲームを打倒し得る最有力勢力――姫百合珊瑚の一団も全滅した。
要するに自分達が知り得る限りの味方も敵も、殆どが死に絶えてしまったのだ。
生き残りはごく僅か――そして、自分達は未だ大した武装も情報も持ち合わせていない。
自分には瑞佳が絶対必要なのだから、今更ゲームに乗るなどという選択肢は有り得ないが、これから先の事を考えるとどうしても弱気な考えしか浮かんでこない。
仮に生き残った人間が全員友好的な者であったとしても、十に届かぬ程度の人数でこのゲームを覆せるのだろうか?

拓也が苦悩に頭を抱えていると、唐突に横から腕を引かれた。
視線をそちらに移すと、瑞佳が神妙な顔付きをしていた。
潮風に揺れる長い髪が、太陽の陽射しに輝いてとても美しく見えた。

「お兄ちゃん……今の放送おかしいよ」
「――え?」
「余りこんな考え方はしたくないんだけど……。
 戦いは規模が大きければ大きい程被害者が増える――逆に規模が小くなれば、その分だけ被害者も減ると思うんだよ。
 第三回放送が終わった時点で四十四人しか生き残りがいなかったのに、たった半日で三十五人も死ぬなんて有り得ないよ」
「あ……」

瑞佳の的確な指摘を受け、拓也は思わず言葉を失った。
そうだ――そもそもこの広大な島に於いては、他者と出会う事すら容易で無いのだ。
にも拘らず僅か十二時間程度で、生き残っていた者の四分の三以上が死ぬという事態は明らかに異常だ。
そう考えると先の放送は信憑性が皆無であると言わざるを得ないが、そこで新たな疑問が拓也の脳裏を過ぎる。

「……どういう事だ? 主催者は何の為にそんな嘘を吐いたんだ?」
「それは私も分からないよ。けどとにかく今は、坂上さん達の所へ行くのが先決なんじゃないかな」

――その通りだった。
大人数で考察した方が良い考えも浮かぶだろうし、こんな所で立ち止まっていては何時襲撃されるか分からない。
瑞佳の身体では逃げ切るのは殆ど不可能だし、自分の武装程度では敵を迎え撃つのも難しい。
今の自分達はこの島の中で、恐らく最も不利な状態にあるという事を決して忘れてはならないのだ。
拓也は気を引き締め直し、坂上智代達が滞在しているであろう鎌石村消防署に向かって再び進み始めた。

    *     *     *

「そ、そんな莫迦な……」

過去最多の名前が読み上げられてた第四回放送を受け、消防署の一室で坂上智代は掠れた声を絞り出す。
――全ては上手く行っていた筈だった。
鹿沼葉子という強力な仲間も得て、更に二人同志を加え、万全の状態で対主催の人間が集まっている教会に行けると思っていた。
しかし現実は厳しく、首輪解除の任務に就いていた珊瑚や春原陽平も、そして岡崎朋也までもが死んでしまった。

「なあ、私達はこれからどうすれば良いんだ……?」

酷く重苦しいその呟きに、里村茜も柚木詩子も、鹿沼葉子も答えられなかった。
生き残りは自分達といずれ此処に来るであろう瑞佳達を除けば、僅か三人。
その三人の中に、首輪解除し得るだけの技術を持った者がいる可能性は極めて低い。
幾ら仲間を集めた所で、首に着けられた悪魔の枷を外せなければどうしようもない。
そして――この中で唯一『鬼の力』を目の当たりにしている詩子が、途切れ途切れに言葉を紡いだ。

「姫百合さんも柳川さんも皆、死んじゃったね……。姫百合さん達は銃を何個も持っていたのに……。
 柳川さんは、千鶴さんと同じ『鬼の力』を持っていたみたいなのに……」
「そうだな……私達よりもずっと戦力が整っていたにも拘らず、彼女達は殺されてしまったんだ。
 殺し合いに乗った、そして恐ろしい異能力を持った何者かに」

ウサギの言葉通り、殺し合いを肯定した人間――それも想像を絶する怪物が居なければ、こんな事態は起こり得ない。
珊瑚達は徒党を組んでいたのだから、並大抵の事で全滅したりはしないだろう。
それに『鬼の力』と強力な武装を有する柳川は、こと直接戦闘に於いては桁外れの実力を発揮する筈。
まだ姿の見えぬ殺人鬼は、その双方を倒してのけたのだ。
それが智代と詩子の結論だったが、茜はゆっくりと首を横に振った。

「そうとも限りませんよ。強力な人間や集団を倒す方法は、圧倒的な力による正面勝負だけではありません。
 どれだけ強い人間だって、後ろから撃たれてしまえば死んでしまいます。
 どれだけ強力な武器を揃えた集団だって、内部に裏切り者がいれば崩壊してしまいます」
「――姫百合達や柳川さんは何者かの騙まし討ちを受けてしまったと、そう言いたいのか?」
「怪物などといったものがいると考えるよりは、そう判断する方が現実的です。騙まし討ちなら、特別な力を持っていない人間だって出来ますから」
「ふむ……」

そこまで言われて、智代は思った――今回は茜の言い分の方が正しいと。
幾ら『鬼の力』などといった非現実的なものが存在するからといって、何もかもを異能力の一言で片付けるのは間違いだ。
この世には科学で説明出来ない異常な現象よりも、人智の範疇に収まる物の方が圧倒的に多い。
ならばまずは異常な要素を排した上で、整合性が取れる推論を模索してみるべきだった。
ようやくその結論に達した智代はがっくりと項垂れ、沈んだ声を洩らす。

「そうか……私はまた、早とちりをしてしまったんだな……」

自分はこれまで度重なる失敗を犯し、その度に茜に諫められてきた。
初めて出会った時はゲームを止めると宣言した自分が、ずっと茜の足を引っ張ってばかりいる。
そんな自分がどうしようも無いくらい情けない存在に思えた。
――しかし智代はこの時、気落ちしている時間があるならば、もっと茜の様子に注意しておくべきだった。
そうすればきっと気付けた筈だ。
いつもは抑揚の無い茜の声に、今は明らかな苛立ちの色が混じっていると。

「……そして裏切り者が一人とは限りません。大人数の集団にとって一番怖いのは、外部からの襲撃者よりも内紛の種です。だから」

茜が一歩、二歩と歩みを進め、机の上に置いてあったニューナンブM60を拾い上げる。

「――内紛の種と成り得る人間を、これ以上生かしておく事は許容出来ません」
「…………っ!?」

茜以外の人間は例外無く、驚愕に目を大きく見開いた。
茜が冷たい目で――これまで一度も見せた事の無かった暗殺者のような顔で、葉子に銃口を向けていたのだ。
鬼気迫る尋常でない様子に、修羅場を何度も経験している葉子ですらも唾を飲み下す。

「茜! あんた何やってるのよ!?」
「――――詩子。私は、貴女や智代の事は信用しています。ですが葉子さんは別です。
 葉子さん、貴女は何故一人で此処に来たんですか? 診療所には生き残っている仲間がまだいたのに、何故?
 『土地勘のない所を夜間、無闇に移動するなど自殺行為』と分かっているにも拘らず、何故夜中にこの村を訪れたのですか?」
「…………」

突然の蛮行を押し留めるべく詩子が叫ぶが、それに構う事無く茜は自身の内に巣食った不信を吐き出してゆく。
その疑念を一身に受ける事となった葉子は、何も言い返す事が出来ず、ポケットに忍ばせたメスへと手を伸ばすだけで精一杯だった。
葉子の反応を見て取った茜はますます疑惑を深め、次々に言葉を紡いでゆく。

「この島では普通集団で行動します――殺し合いに乗った人間以外は。
 葉子さん。貴女の行動には不審な点が多過ぎる。貴女の言動には不審な点が多過ぎる。貴女に関する全てには、不審な点が多過ぎる。
 ですから私は此処で貴女を殺し、内紛を未然に防ぎます」


最早茜の中で、葉子は限りなく黒に近い灰色だった。
確実に裏切るとまでは言い切れないが、余りにも怪し過ぎる。
このまま葉子を放置しておけば、いずれ自分も珊瑚や柳川の二の舞となってしまう可能性が高い。
そして生き残りが僅かとなってしまった以上、何時葉子が本性を見せてもおかしくは無いのだから、もう一刻の猶予も無い。

「ちょっと待て、お前は焦り過ぎてるんだ! ちゃんと話し合えばきっと……」
「――話し合えば分かり合えるとでも言うつもりですか? 冗談も大概にして下さい。そんな事をしていれば、いずれ裏切られてしまうだけです」

予想通り葉子を庇い制止を呼び掛けてきた智代に対し、茜は苛立ち気味に返事を返す。
智代の言葉は何の根拠も無い、ただの希望的観測だ。
あれだけ多くの人間が死んだにも拘らず未だそのような妄言を吐くなど、余りにも愚鈍過ぎる。
そんな愚か者の意志に従っていては自分まで、無意味に、惨たらしく殺されてしまう。
だから茜は、立ち塞がる智代を灼き切らんばかりに睨み付け、告げた。

「智代。止めるつもりなら、貴女も殺します」
「え……?」
「約束した筈です――失敗した時にはゲームに乗れば良いと」
「なっ――」


一瞬にして智代の意識が凍り付く。
仲間の――ゲーム開始以来ずっと行動を共にした相棒の放った、俄かには信じ難い宣告。

智代からすれば、残り少ない生き残り同士で殺しあうなど有り得ない事だった。
自分だって葉子に対し多少の疑念を抱きはしたが、それは些細なものでありいずれ時間が解決してくれると思っていた。
にも拘らず茜は突然葉子を殺害するなどと言い出し、事もあろうに邪魔をするならゲームに乗るなどと言ってのけたのだ。
智代は狼狽に支配されながらも、必死に言葉を返す。

「な、何を言っているんだ! まだチャンスはある! 疑念を捨てて皆で協力し合えば、きっと道は見えてくる!
 こんな時だからこそお互い信じ合わないと駄目なんだ!」
「智代……今の貴女は目が曇り切っているし、目的の為に人を殺す覚悟があるようにも見えません。
 この期に及んで不審人物の一人も殺せないようでは、もう主催者の打倒など不可能です。
 ですからもし此処で貴女が決断を誤まるようなら、私は優勝する事で生還を果たそうと思います」

茜の言葉に、嘘偽りは一切含まれていない。
自分だけが銃を保持している以上、今この場に居る人間達を屠るのは容易い。
そして瑞佳達が来るのはもう少し先の事である筈だから、準備して待ち伏せする余裕はある。
そうやって智代と瑞佳の一団を排除すれば、生き残りは自分を含めて僅か4名――もう優勝は目前だ。

「選びなさい智代。私と出会った『あの時』の聡明な智代に戻って、何としてでもゲームを破壊するか――それとも口先だけの女と成り果てて、此処で死ぬかを」

少女は突きつける。
堕落してしまった友に、運命の選択を――




【時間:三日目・06:10頃】
【場所:鎌石村消防署(C-05)近く】
月島拓也
 【持ち物:消防斧、リヤカー、支給品一式(食料は空)】
 【状態:リヤカーを牽引。両手に貫通創(処置済み)、背中に軽い痛み、水瀬母子を憎悪する】
 【目的:瑞佳を何としてでも守り切る。まずは鎌石村消防署へ。放送の真相を確かめる】
長森瑞佳
 【装備品:半弓(矢1本)】
 【持ち物:消火器、支給品一式(食料は空)】
 【状態1:リヤカーに乗っている。リボンを解いて髪はストレートになっている、リボンはポケットの中】
 【状態2:出血多量(止血済み)、脇腹の傷口化膿(処置済み、快方に向かっている)】
 【目的:拓也と一緒に生き延びる。まずは鎌石村消防署へ。放送の真相を確かめる】

【時間:三日目・06:10頃】
【場所:鎌石村消防署(C-05)】
坂上智代
【装備品:専用バズーカ砲&捕縛用ネット弾(残り1発)】
【持ち物1:38口径ダブルアクション式拳銃用予備弾薬69発ホローポイント弾11発使用、手斧】
【持ち物2:ブロックタイプ栄養食品×3、LL牛乳×3、支給品一式(食料は残り2食分)】
【状態:動揺、葉子に不審の念】
【目的:今後の行動方針は不明】
里村茜
【装備品:ニューナンブM60(5発装填)、予備弾丸2セット(10発)】
【持ち物:包丁、フォーク、LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料は2日と1食分)、救急箱】
【状態:苛立ち、簡単に人を信用しない】
【目的:葉子を殺害する。邪魔をするようなら智代と詩子も殺害して、優勝を目指す】
柚木詩子
【装備品:鉈】
【持ち物:ブロックタイプ栄養食品×3、LL牛乳×3、支給品一式(食料は残り2食分)】
【状態:動揺、葉子にやや懐疑心を持つ】
【目的:今後の行動方針は不明】
鹿沼葉子
【所持品:メス、支給品一式(食料なし)】
【状態1:焦り、消防署員の制服着用、マーダー】
【状態2:肩に軽症(手当て済み)、右大腿部銃弾貫通(手当て済み、全力で動くと痛みを伴う)】
【目的:今後の行動方針は不明】

【備考1:智代、茜、詩子は葉子から見聞きしたことを聞いている(天沢郁未と古河親子を除く)】
【備考2:葉子は智代達の知人や見聞きしたことを聞いている(古河親子と長森瑞佳を除く)】
【備考3:拓也は予定を早めたことを智代に伝えていない】
【備考4:拓也と瑞佳は第四回放送の内容を信じていない】
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