久瀬の戦い




部屋に並べられたモニター、そして目の前に置かれたディスプレイから浮かび上がる薄暗い光が久瀬の身体を包んでいた。
深く椅子に身体を預け、思案するように腕組みをしたまま規則正しく首が縦に揺れる。
密室には一定の音階から外さぬパソコンの稼動音と、深い闇に意識を落とした久瀬の呼吸音が共鳴するように響いていた。
ディスプレイは彼の苦悩の証とも言えよう、画面上を覆い尽くすように開かれたファイル達で覆い尽くされていた。
彼に与えられた観測者と言う役目。
望んでもいないその責務から一時的に開放された久瀬だったが、時折顔をゆがませ苦しそうに喘いでいた。
僅かな休息をも許されず、彼も殺し合いという舞台の裏側にいながらも苦しんでいるのがはっきりと見て取れた。

小刻みに揺れていた久瀬の頭の揺れがだんだんと大きくなっていく。
ゆっくりではありながらその幅は深さを増し、一際大きくなったかと思った瞬間久瀬の首が上半身ごと前に倒れこみ、衝撃に久瀬の瞳が薄く見開かれる。
朦朧とした意識が現状を忘れさせ、瞳をボンヤリとさせたまま久瀬はあたりを見渡した。
正面にありながら認識できずに何度も通り過ぎた視線が目の前のディスプレイにようやくたどり着き、そこで久瀬の意識は鮮明に現実へと戻された。
「――くそっ、僕は一体何をやってるんだ! 暢気に寝てる場合じゃないだろう!!」
苛立ちを隠そうともせず自身の頬を叩き、すぐさまメールボックスを開く。
だがそこには久瀬を落胆させるにはありあまるほどの無慈悲な文章が表示されていた。

『新着メールはありません』

メールを送信してから数時間が経過していた。
良い悪いに関わらず、さすがに何らかの進展があってもいいはずである。
一向に返って来ない返事に久瀬の顔に焦りの色が浮かび、唇を軽く噛みながら思わず項垂れる。

幾つもの人の死を見せ付けられ、死者の名前を読み上げさせられる。
そんな精神的疲労の中で作業をしつづけた久瀬。
久瀬が睡魔に負け、一時的に意識を閉ざしてしまったとして誰が責められるものか。
事実久瀬の助言によって何人もの人間が首輪と言う悪意から開放される事になる。
さらに言えば久瀬もまだ知りえない情報――『この殺し合いを仕組んだ人物の正体』すらも探り当てることに成功せしめえるのだ。

――だが、そのことを久瀬は知らない。
「まさかあいつらに殺されたなんて事は無いよな!」
――だから彼は叫ぶ。自分の不甲斐なさを悔いながら。
島内を映し出すモニターに飛びつきながら必死に目を凝らす。
「誰か、誰か生きていないのか!?」
首を、顔を、瞳を、瞳孔を、全てを動かしながら画面を凝視しつづけた。
だがみな疲弊しきった中での深夜と言う非活動的な時間であること、あたりを覆い尽くす闇、
そして20数名にまで減ってしまったことによって、生きて動いている人間達の姿を久瀬の視界で捕らえることは出来なかった。
切り替わるたびに映し出されるのは死体、死体、死体――。
それだけでも久瀬の精神を消耗させていくには十分な代物だった。
にも関わらず追い討ちをかけるように彼に突きつけられた現実。
ソレは画面の割合に対してとても小さく、無惨にも原型の半分以上が欠けており、赤い液体と薄黒い土砂により汚れ、簡単には判別をつけることも難しい。
切り替えられたモニターから視界に飛び込んできたのは、爆発であろう何かによって深くえぐられた地面、そしてその隅に転がるモノ――。
久瀬はそれが何なのか、いや誰だったのかを知っていた。
名前を見た後ですぐに開いた参加者一覧表。
そこにはどこか中性的な顔立ちの少年が写っていた。
同姓でも思わず顔が緩んでしまいそうな優しい笑顔を浮かべていた顔。
もはや再び動くことは二度とありえない――河野貴明の頭部だった。
爆発らしきものによりえぐられた地面。
身体から離れてしまった頭。
理由を想像するのに数秒とかからず――

「うああアぁァぁぁぁぁっっっ!!!!」

久瀬は感情を口から吐き出すことしか出来なかった。

・
・
・

椅子に腰をかけ、組んだ足を一度上げ逆に組み直しながら篁は目の前の光景を見て口元を緩めた。
(――うああアぁァぁぁぁぁっっっ!!!!)
目に映る絶望に打ちひしがれる表情。
耳に届く悲痛な叫び。
人とはこのようにして足掻き、そして朽ちるのか。
人の『想い』、その華奢さと儚さに篁の心は躍っていた。
久瀬の一挙一動に篁の顔は愉悦にに満たされる。
唯一悔やまれるのはここに青い石が無い事であった。
あれほどの『想い』であればまた一歩道が開けたに違いないであろう。
久瀬の姿は篁にそう確信させるには十分なほどであった。
「ふむ……少し試してみるとするか」
言いながら篁は眼前に置かれたマイクを持ち、スイッチを一つ押した。
『総帥! 何でございましょうか!!』
同時に島内で『想い』を集めているはずの醍醐の声がスピーカーから響き渡ってきた。
「その後はどうなっておる?」
『――は……それが、その……思ったよりも人間の姿があらず……その、……難航しております』
しどろもどろになりながら答える醍醐の声に、篁は椅子を激しく叩き不満げに呟いた。
「……お前は主人の使いもすぐにこなせないような木偶だったのか。期待しすぎてしまっていたのだろうか?」
明らかに不機嫌になった篁の声に醍醐が慌てて弁明の言葉を返す。
『め、めっそうもございません。ただちに! 必ずや総帥をご満足させてごらんにいれます』
「く……」
『……?』
「くはははは……」
慌てふためく醍醐の声に、篁は打って変わって清々しいまでの声で大きく笑い声を上げた。
『そ、総帥……?』
「少しからかってみただけだ、気にするでない。お前の忠義は良く知っておる」
『は、はぁ……』
「なに、少々面白い趣向を思いついたのでな。青い宝石が必要となった。早急に戻ってくるが良い」
『はっ! 仰せのままに!』

・
・
・

時はまもなく5:00を指そうとしていた。
第4回放送の時間も近い。
篁がモニターに映る久瀬を見やると、魂が抜け落ちたかのように呆然と椅子に座り込んでいる姿が映し出されていた。
思い出したようにパソコンに触れては、変化の無いことに絶望し、再び塞ぎこむのをただずっと繰り返していた。
それも仕方の無いことかもしれない。
久瀬が貴明の死を認識してからさらに数時間、一向に変化が訪れないのだから。
そうした久瀬の行動や表情を逐一観察しながら篁はゆっくりと時を待つ。
もうじき青い石が手元に戻る。
そしてそれによりまた一歩自分の理想が近づくのだ。
湧き上がる笑いを抑えようともせずモニターを眺めつづけていた。

「――それにしても」
先刻、慌しい声で聞かされた報告。
首輪遠隔操作装置のコントロールシステム・ロワちゃんねる・地下要塞のロック。
それらが再び行われたハッキングによって破られたと言うことだった。
「此度の参加者達は私の期待以上の働きをしてくれるものだ」
世辞ではなく、心の奥底から沸き起こる笑いを隠そうともせずに篁はボソリと一人ごちる。
笑いながらであるにも関わらず暗く心に突き刺さるその声に、それを聞いた隣に立つ部下の一人が畏れながらに身を震わせる。
それも仕方の無いことではあった。
ハッキングの事を報告したのは彼であり、その時の狼狽振りに篁に叱責されたばかりの事であったからだ。
普段であったら篁の機嫌を損ねた場合、どうなっていたか想像するのはたやすいことだ。
だが、今の篁はそれを鑑みても余るほど上機嫌であった。

「遅くなり、申し訳ございません!」
篁が無言で画面を眺めつづけるという緊迫した空気を破り、醍醐が扉を開いて姿をあらわした。
待ちかねたと言わんばかりに篁は椅子をくるりと回し、醍醐に身体を向ける。
「気にするな。それで、青い宝石は?」
「ハッ、しかとここに」
懐から醍醐が取り出した宝石を手に取り、天井に掲げながら見つめる。
ライトの光が薄く反射し、篁の目に注がれていた。
紛れも無い。ようやく我が手に戻ってきた。
篁が喜びに打ち震え顔を顰める。
それは醍醐が今までに見た事も無いような妖絶な笑みだった。
「よくやった」
簡単な、たったそれだけのねぎらいの言葉。
儀礼でもなんでも構わない。
それだけで高槻との戦いで溜まった欲求不満が抜け落ちた、そんな気分にさせてくれる主の笑みに醍醐の心は喜びに打ち震えていた。
「……総帥、お喜びのところ申し訳ありません。
 任務を中止してまでこれを必要とするなど……一体何があったのでしょうか?」
たとえ水を刺す事になろうとも聞かねばならなかった。
『想い』を集めると言う最優先事項である任務を差し置いてまで自分を、いや、青い宝石を呼び戻した理由が一体何なのか。
「そう怖い顔で睨むでない。言ったであろう? 面白い趣向だと」
言いながら篁が向けた視線。
釣られるように醍醐もそちらに目を向ける。
モニターに映し出される久瀬の姿に、やはり久瀬を泳がせて問題でも起きたのだろうかと言う疑念が沸き起こっていた。
「ハッキングしてきたものどもの頭と思われる少年が死んだのだよ」
今まで浮かべていた笑みを消し、普段の重く深い声が篁の喉から発せられる。
「……なるほど、それでショックを受けている、と言ったところですな」
「そう言う事だ」
「それで、その石と久瀬とどのような関係が?」
「まだわからぬのか……」
呆れたように溜息をつきながら篁が椅子を立ち上がる。
「まあよい、ついてくればわかることだ」
そう言い放つと醍醐にくるりと背を向け歩き出し、扉を開け放つ。
威厳に満ちた足取りに、慌てながらも醍醐はその後を小走りについていった。

・
・
・

何もする気力が沸かず、久瀬は項垂れていた。
最初のうちは可能性を信じていた。
だがそれは空回りでしかなかったのではないか?
メールボックスを確認するたびに久瀬の心は喩えようも無い悲しみに襲われていた。

――絶望。

その言葉の重さが今なら本当にわかる。
結局自分がしたことはなんだったのか。
いたずらに参加者を惑わし、結果死なせただけではないのだろうか。
だったら最初から何もしなければ……。
数時間前の決意に満ちた久瀬の姿は、もうどこにも無かった。

『だいぶ落ち込んでいるようだね』

聞きなれた、しかし聞きたくも無いウサギの声が流れ始め、久瀬は思わず硬直する。
「……放送の時間ですってところか」
久瀬が力なくそう答えるものの、まだ放送時間までは間があった。
だがそんなことを確認する気力も無いほど久瀬の精神は疲弊しきっていた。

『時間にはちょっと早いけどね、あまりにも落ち込んでいるからどうしたものかと思ってね』

「何を今更わかりきったことを……」
ウサギの台詞に激しい嫌悪感を覚える。
「これがお前の計画だったんだろう?」
……こんな奴と会話なんかしていたくない。
「僕をけしかけて邪魔者を排除したってところか」
……もう僕を放って置いてくれ。

『落ち込む必要はまったく無いと思うんだけどね。まあこれを見てごらんよ』

同時にパソコンのディスプレイが切り替わり、見るだけでも吐き気を催す赤色に染め上がっていった。
そして次々と浮かび上がる人名。
見間違いではない……その中にやはり河野貴明の文字はあった。
もうすでに100人以上の人間がこの島で、こんなウサギの戯れの犠牲になっている。
でも何も出来なかった……むしろ片棒を担ぐ羽目になってしまった自分に怒りが湧いてしょうがなかった。
そしてそれ以上にどうしようもなく久瀬の心を深く抉ったものがあった。
あっては欲しくなかった名前。
それだけは望んでいなかった名前。
そう、ずっと片思いを続けていた倉田佐祐理の名前がそこには書かれていたのだった。
全身から力が抜ける。
立っている気力さえ沸かなかった。
倉田さんが何をしたと言うんだ。
もはや声を発するという行為すら億劫になる。

だが、次のウサギの言葉に久瀬の全身は敏感に反応していた。

『この中にね、生きている人間がいるんだよ。何故だかわかるかい?』

……生きている?
ウサギが何を言いたいのか必死に頭をめぐらせる。
だが沈みきった心は頭をうまく回せない。

『生きているか死んでいるか。それは首輪で判定を行っているんだ。つまり――』

「首輪を外せば生きているか死んでいるかお前達にはわからないって事か?」
最後のウサギの言葉に頭がクリアになっていくのがわかった。
空っぽで冷たい風が吹きっぱなしだった心に、暖かな何かが流れ込んで来た感覚にとらわれる。
だったら可能性が無いわけじゃない、もしかしたら、もしかしたら――。

――パチパチパチ
突如久瀬の後ろから響いた手を叩き合わせる音。
その音に久瀬は慌てて振り返る。
固く閉ざされていた扉が開け放たれ、廊下の光が部屋に差し込む。
そこには二人の男が立っていた。
一人は軍服に身を包んだ、如何にも軍人といった恰幅の良い男。
そしてもう一人――
「その通りだよ、久瀬君。そして首輪を外すことが出来たのは君の功績が大きいのだから何も落ち込むことは無いんだ」
『その通りだよ、久瀬君。そして首輪を外すことが出来たのは君の功績が大きいのだから何も落ち込むことは無いんだ』
目の前の男の口と後ろの画面から、同時に声が響いた。
「そして君の思い人もおそらくは首輪を外すことに成功している、安心したかい?」
『そして君の思い人もおそらくは首輪を外すことに成功している、安心したかい?』
それの意味するところはつまり――
「そう、私がこの殺し合いを主催した人間だ」
――目の前の初老の男……篁はマイクを懐にしまいこむと、再び手を叩きながらそう呟いた。

・
・
・

「……ここに来たって事は良い様にやられた腹いせに僕を殺しに来たって所なのかな」
久瀬は膝についた埃を払いながら立ち上がると、ゆっくり口をついた。
そこにさっきまでの彼の姿は無く、自信に満ち溢れた口調ではっきりと発せられていた。
「ふむ、なんでそう思うのかね?」
だが、久瀬の豹変振りを嘲笑うかのように、篁は口元を上げ尋ねる。
返された言葉に久瀬は自分の身体が勝手に震えているのを感じた。
どう見ても外見だけ見れば年寄りであるにも関わらず、その口調も、立ち振る舞いも、見るものを怯ませる迫力を感じさせられた。
「そりゃそうだろ? 僕を……いや僕らを舐めてたんだろうけれど、遊び心を出して足元を掬われちゃ間抜け以外の何者でもないからね」
「貴様! 総帥になんて口を――」
久瀬の、主に対する明らかな侮蔑の言葉。
醍醐が顔を紅くしながら久瀬に飛び出そうとしたのを、篁の右手が構わんとばかりに制していた。
「良いのだ醍醐」
「そ、総帥……」
そう言われては掴み掛かるわけにもいかず、やり場の無い怒りをかみ殺しながら醍醐は久瀬を睨みつけた。
「ふむ……舐めていたのとはちょっと違うな」
「……?」
「どちらかと言うと期待していたのだよ」
「期待……だって?」
予想もしていなかった言葉に久瀬の眉がピクリと痙攣した。
「ああそうだ、そして君は。いや言い直すならば君達は、か。私の期待以上だった。それ故に私は喜びに打ち震えているのだよ」
何かを誤魔化しているような風でもない。
篁の言葉には喜びという感情が確かに感じ取れた。
かと言ってそれが何故かなどと久瀬には分かるはずも無かった。
「言ってる意味がさっぱりわからないな。首輪を外されて嬉しい?」
「わからずとも良い。所詮愚鈍な凡俗には私の考えなぞ理解することも出来まい」
再び口元を歪め、そして久瀬を見つめる瞳に苛立ちが沸き起こる。
こいつは何を言っているのだろうか。
「負け惜しみにしか聞こえないね。それじゃあんたはここに何をしに来たって言うんだ?」
「どうしても直接礼を言いたくてね」
「礼だって?」

「ああそうだ、願いを叶えてやろうと言うんだよ。君の願いはなんだ? 何でも言ってみたまえ」
篁の口から出た言葉に呆れながら久瀬は答える。
「馬鹿馬鹿しい。そんな嘘を僕が信じるとでも?」
「何故嘘だと思う」
そう返されるのが信じられないといったような表情を浮かべ篁は久瀬に尋ね返した。
「常識的に考えて普通の人間ならそう思うのが当たり前だと思うけどね」
「普通の人間ならな。だが違う。私はそのような矮小な存在ではないのだよ」
「……会話すら成立しないね、くだらない。何でも願いを叶えてくれると言うのならあんたの命をくれよ。
 あんたの自己満足で何人もの人間が死んだ。僕は絶対許せな――」
「いい加減にしろ、小僧!」
久瀬の言葉を最後まで許すことなく、憤慨した醍醐が一瞬で久瀬の背後に回りこんでいた。
自身の右手で久瀬の左腕を背中に回して掴み上げ、左腕でしっかりと久瀬の頭を挟み込む。
久瀬が必死に抵抗しようと身体を動かそうとするも、その怪力にピクリとも動かすことが出来なかった。
だが、その醍醐の行動に憤慨し、 篁は醍醐に歩み寄ると顔面を殴りつけ言い放った。
「醍醐! 私は黙っておれと言っている!!」
「し、しかし……」
「くどいッ! もう良い、お前は下がっておれ!!」
「グッ……し、失礼しました」
忌々しげに久瀬を睨みつけたままではいるものの、篁の言葉に従い醍醐は久瀬の身体を離すとおずおずと踵を返し、部屋を出た。
残された久瀬は痛みに身体を抑えながらも篁の目から視線を外さず無言で睨みつける。

「部下が興をそいで申し訳なかったな。ふむ……しかし確かに何でも願いをかなえるとは言ったが、それは難しいことでもある」
いきなり180度変わった言葉に久瀬は鼻で笑いつけた。
「やっぱり口だけか。結局あんたも自分で卑下した存在でしかないじゃないか」
「そう言う意味ではないのだよ。叶えてやりたいのは山々なのだが……そうだ、これならどうだ」
篁の言葉と共に取り出した一本の銃。
それは篁の手を離れ、久瀬の足元へとコロコロと転がっていった。
「自由に使って良い」
「は? ……あんたほんとにボケてるんじゃないか?」
これを使って自分を撃てとでも言うのか?
願いを叶えるということを実現するために殺されても良いと言うのか。たった今嫌だと言ったじゃないか。
目の前の老人の行動の真意がまったく読めない。
「人間とは哀れな生き物だな……。自分の理解できないものを認めようとしない。本当に醜く、卑しい、なんと悲しいことか」
戸惑いを感じていたものの、篁が発したその言葉に久瀬の中で何かが切れた。
「こんな気が触れたような爺さんのお遊びに川澄君も……相沢君も……何人もの人が死んだと思うと反吐が出る」

真っ直ぐと銃口を篁に向ける。
「出来ないとか思ってるんだろう? でも僕は撃つさ。皆の仇だ」
目の前に立っているのは全ての元凶の男。
こんなキチガイのせいで。
そう、何人も死んだ。
誰も望んでなんかいなかったはずの殺し合い。
生きるため。守るため。
目的は人それぞれだったけれど、本来ならばする必要の無い、日常の自分から見たらB級ホラーにもならないただの愚考。
身体が震える。
当たり前だ、銃なんか持ったことが無い。
人を撃つ……いや人を殺す?
この僕が?
何を躊躇う必要があるものか。
画面の前で流した悔し涙を忘れたのか?
お前は幾つもの悲劇を見てきただろう。
手を差し伸べることも出来ず、声をかけてやれるわけでもなく、観測者としてこの殺し合いに参加してきた。
だからこそ今のこのチャンスがあるんだ。
全ての人の想いをお前が背負ってる。
だから引け。その人差し指にゆっくり力を込めるだけでいい。迷うな――!

ドンッっと鈍い音が部屋の中にこだまする。
思わず閉じてしまった目を恐る恐ると見開いていく。
「……え?」
火薬の匂いが鼻につきクラクラと振るえる意識の中、変わらずに立ちつづける篁の姿が久瀬の目に映った。
「私の言ってる意味がわかってもらえたかな」
落ち着いた口調で、哀れむように声をかけてくる。
「て、手元が狂っただけだ」
もう引き金を引くことに怯まなかった。
ちょっと手を伸ばせば届く距離……ちゃんと目を開けて撃てば外すわけが無い。
だから今度こそしっかりと狙いをつける。
一発……そしてもう一発……。
久瀬は固い決意と共に引き金を絞った――だが、結果は何も変わってはいなかった。
篁の身体に確かに当たってはいた……はずだ。
火薬の匂いが弾丸が出たことを証明してくれている。
「すまんな、その程度じゃ死ねないのだよ……わかってもらえたかな」
申し訳なさそうに語る篁の言葉にビクリと震え、久瀬は取り付かれたように引き金を引き続けた。
「馬鹿な、馬鹿な……」
全弾を打ち尽くし、なおも引き金を絞る銃からは、カチカチとした音だけが鳴り続けていた。
――銃が効かない……嘘だろ……化け物か? こんな相手を倒すことなんて出来るのか!?
「良い顔だ」
先ほどと変わらぬ篁の顔が急激に恐ろしく冷たいモノに見えた。
手が震え力が抜け、久瀬は思わず銃を取り落としていた。
「今まで君の考えて来た事全てが私の目的だ。人は小さく弱い。だが人の『想い』は何よりも雄雄しく素晴らしい。
 だから本当に君には感謝しているよ。この篁がここまで敬意を払ったのは君が初めてだ。
 誇りに思いながら――眠りたまえ」
そう言いながら篁がポケットから取り出したもの。
宮沢有紀寧に支給されていたものと一緒の形状の物体。
多少の違いはあれどその用途はまったく一緒である。
違いとは使用回数制限が無いこと、そして爆破までに猶予が無い――つまりはすぐさま殺す為のスイッチであった。
その機械はゆっくりと久瀬の首輪へと向けられ、淀む事の無い動きで親指にかかったスイッチは押された。

久瀬の首輪が紅い光点を灯し、点滅を始める。
「僕は死ぬのか……」
久瀬の口から淡々と言葉が吐き出された。
「そうだ。これが私なりの礼だ。君をこのゲームから除外してやろう。もう何も苦しむことも無くなる」
やはり自分の考えなんて目の前の男の言う通りちっぽけなものでしかなかったのだろうか。
いや、違う。確かに自分の力は小さいけれども諦めたら、諦めたらそこで全てが終わってしまう。
首輪の解除だって一人の力じゃない。皆で力を合わせたから起こしうることが出来た。

覚悟はしていた。
僕に出来ることはここまでだ。
悔いは……無い。
きっと、後はきっと他の人間がこいつらを倒してくれる。
僕はそれを信じれる。
だから――

その瞬間久瀬は篁に向かって走り出していた。
そして同時に抱きつくように篁の身体を全身で押さえつける。
だが篁はその動きを眉一つ動かさず見つめ許容していた。
「逃げないんだな、やっぱり」
「残念だが、その必要が無い」

わかっている。
銃がまったく効かなかった相手だ。
この首輪が爆発したところで自分が死んで終わるだけだろう。
だからといって何もせず終わることなんかやはり出来やしなかった。
最後の最後まで自分に出来ることを。

――出会ったことも無い参加者達へ。

僕はここで死ぬ。

僕に出来たことは本当に小さなことだったけれど、みんなが僕の遺志をついでくれると信じている。

たとえ見知らぬ相手でも。

僕達は仲間だったと……そう、信じてる。



――倉田さん。

ずっと言えなかったけど、僕は君が好きだった。

もう言えなくなるけれど、いつか直接絶対君に告げるよ。

でもそれが出来るだけ遠い未来であることを祈ってる

だから絶対に――

――川澄君、相沢君。

いつも衝突していたけれど、君達が倉田さんの本当の友人だったって知っている。

僕は倉田さんを守れたのかな?

胸を張っていいのかな?

(――はちみつくまさん)

(――ああ、勿論だ。俺が保証するぜ)

……もうこの世にいないはずの二人の声が聞こえた気がした。

笑って、僕に向かって真っ直ぐ手を伸ばしてくれていた。



――……ありがとう



部屋の中に響き渡る爆音と、全てを消し去るようなまばゆい光と共に。
久瀬は自らの役目を終え生涯を閉じた……。


・
・
・

久瀬がいた部屋。
主人を失った部屋に立ち上った煙が少しずつ晴れ、そこには少し前まで久瀬であったモノが横たわっていた。
首から上にあるべきものはついておらず、もはやピクリとも動かない。
篁は傷一つ負うこともなく、そのカラダを悠然と見下ろしてながら笑っていた。
見つめる視線の先にはふわふわと漂う光。
その眩いばかりの色に目を奪われながらも、篁は懐から宝石を取り出す。
同時に久瀬から飛び出た光が宝石へと吸い込まれていった。

「そう言うことだったのですか」
篁の行動をようやく理解した醍醐が、傍らでかしづきながら納得したという表情を浮かべていた。
「理解したか?」
「はい」
「ならばこれを持って再び『想い』を集めてくるのだ。島に点在しているもの。これからもなお生み出されるもの。それは多種多様である。
 勿論、お前からの参加者への直接的接触は今までどおり禁じるが、首輪を解除しレーダーに映らない人間達……こやつらが問題ではある。
 気を抜いて不用意に近づかれることの無いようゆめゆめ気をつけることだな。とは言えお前ほどのものに言うことでもない事でもあるが」
「とんでもございません! この醍醐、総帥のお心使いありがたく頂戴いたします」
「もしもそれがより強い『想い』を得るために必要であると感じたのであれば、遠慮はいらん。思う存分腕を振るうことを許そう」
「ハッ! ありがとうございます」
「醍醐、私を失望させるなよ?」
「無論であります」
その言葉を最後に、醍醐の姿がその場から煙のように消えていった。

「さて……観測者がいなくなってしまったか」
気づけば放送時間が差し迫っていた。
首輪を外したものがいる以上生死判別が出来ないこともあり、死者放送として不鮮明なものになることは間違いない。
だが死んだと思われていたものが首輪を外して生きていたとしたらどうだろう。
それでまた大きく動きが起こるかもしれない。
もしくは死者の発表は中止して死者をわからなくし、参加者の不安を煽るのも面白いかもしれない。
どちらにせよ全ては崇高なる目的の為……如何に効率よく事を進められるか、だ。
もうじきこの殺し合いも終わるだろう。そしてそれが全ての始まりであるのだ。
その時の事を考えるだけで、篁の顔からは笑みが消えることは無かった。




【時間:三日目・5:55】
【場所:不明】
篁
【所持品:不明】
醍醐
 【所持品:高性能特殊警棒、防弾チョッキ、高性能首輪探知機(番号まで表示される)、青い宝石(光5個)、無線機、他不明】
 【状態:右耳朶一部喪失】
 【目的:島に散在する『想い』を集める
     自分からの参加者への接触は禁止されている(ただし、接触「された」場合は自己判断にて行動)
     篁の許可が降り次第高槻を抹殺する】

久瀬
【死亡】
-


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