――それは、予想だにしない反応だった。 場所は平瀬村工場屋根裏部屋。解除手順図を用いて、首輪を一通り解除し終えた後の話。 「……そう、タカ坊まで死んじゃったのね」 久寿川ささらから河野貴明の死に様を聞いた向坂環は、小さくそれだけ呟いた。 環は表情に僅かな翳りを出した程度で、傍目には大きな動揺など見て取れない。 その冷淡に過ぎる反応を目の当たりにし、貴明の死を知って泣きじゃくっていた少女――姫百合珊瑚が顔を上げた。 「環さんは貴明と幼馴染やったんやろ? ウチよりもず〜っと、付き合いが長かったんやろ?」 「ええ、そうよ」 「それなのに……どうしてそんなに落ち着いていられるのよ! ウチはこんなに悲しいのに、どうして環さんは何も感じへんのよ!」 今にも掴みかからんばかりの勢いで、珊瑚が環に詰め寄る。 鋭い剣幕、荒げた語気、あの大人しい性格をした珊瑚のものとは、とても思えない. 「おい、姫百合……」 春原陽平と藤林杏の治療を手伝っていた柳川祐也や倉田佐祐理が、場を収めようと腰を上げる。 しかし環はそれを手で制すと、全く怯む事無しに凛とした視線を珊瑚へ返した。 「落ち着いてなんかいないわ。私だって胸が張り裂けそうなくらい悲しいし、悔しい。でもね――」 近くに置いてあったペットボトル――中身が入ったままの物――を握り締め、潰した。 派手に中身がぶち捲けられ、床を大きく濡らす。 「この島では悲しい事が沢山有り過ぎたから……私はもう泣き方を忘れちゃったのよ」 環の左手から、ポタポタと雫が垂れ落ちる。それは、彼女の心が流す涙。 環は手を大きく振って水滴を払い飛ばしてから、言った。 「時間が勿体無いわ。早速行動に移りましょう――死んだ皆の仇、絶対に取ってみせる」 * * * この島に来てから、自分のスタンスは次々に変化している。 最初は娘を生きて帰す為だけに、『修羅』となりゲームに乗ろうとしていた。 その次は未来ある子供達を守る為に、主催者の打倒を決意した。 しかし傷付けられた娘の姿を目撃した途端、誰かを守りたいという気持ちよりも殺人鬼への怒りが先行した。 そして、娘の懇願を受けた後は―― 凄惨な決戦から半日が過ぎた今も尚、むせ返るような死臭漂う鎌石村役場。 その広間で、水瀬秋子は折原浩平と情報交換を行っていた。 「……そうですか。ではまだ、主催者に関する具体的な情報は掴んでないんですね?」 「ああ。この島の地下に要塞があるかも知れないって事だけは推測出来たけど、主催者が何者かってのはまだ分からないな」 対主催派の人間による情報収集は、秋子の予想よりも遥かに進行具合が遅かった。 これだけ殺し合いが進行してしまったというのに、まだ主催者が誰かすらも突き止めれていないというのだ。 秋子は思った――こんな調子では、話にならぬと。 これ程手際が悪い連中では、主催者を打倒するなど到底不可能だろう。 何処まで自分達の盾として機能してくれるかも、怪しいと判断しざるを得ない。 しかしその一方で、浩平や立田七海は明らかにゲームに乗っておらず、信頼出来るという一点に於いては文句無しである。 こんな子供達を自分の手で殺したくは無いし、暫くは行動を共にしてみよう、というのが秋子の結論だった。 秋子は浩平から視線を外し、改めて部屋を見渡した。 「しかしこれは……酷い光景ですね。初めて見た時は思わず冷や汗を掻いてしまいました」 辺り一帯に飛散した鮮血、銃弾で破壊された机や壁の破片。 そして部屋の隅に横たえられている、苦悶の表情を浮かべた肉塊達。 それは正しく地獄と表現するに相応しい光景だった。 「……そうだよな。こんな物見せられちゃ、誰だって驚くよな」 浩平はそう言うと、隣に座っている七海の頭を撫で始めた。 「こ、こ〜へいさん!?」 「七海、本当にごめんな。もう少しお前に気を遣ってやるべきだった」 「そ、そんなに気にしなくても……」 恥ずかしそうに顔を赤らめる七海だったが、それでも浩平は撫でるのを止めない。 やがて七海も諦めたのか大人しくなり、気持ち良さそうに目を細めていた。 そんな二人の様子を微笑みながら眺めていた秋子だったが、ふと隣の名雪に目をやる。 (…………っ!) 秋子は大きく息を呑む。名雪の瞳はゾッとするような、底知れぬ闇を湛えていた。 そうだ――自分は娘を守り抜き、そして優勝しなければならないのだ。 心を凍らせ、感情を捨て、ただ目的の為に行動しなければならない。 秋子はもう一度、注意深く周りを見渡した。 すると視界の隅に、古ぼけたノートパソコンが映った。 「浩平さん、あそこにあるノートパソコンはもう調べましたか?」 「いや、まだ調べてないよ」 「そうですか……では今から調べてみましょう。何か役立つ情報が隠されているかも知れませんから」 秋子はすくっと立ち上がり、静かに足を進める。 ノートパソコンの電源を入れて少し待っていると、メイン画面が浮かび上がった。 そこにはただ一つ、『ロワちゃんねる』という謎のアイコンだけが表示されていた。 「……これは何でしょうか?」 「藤林さんから聞いた話だと、現在の参加者死亡状況や自由に書き込める掲示板が見れるらしいですよ」 秋子の疑問に、七海が素早く答えを返してくれた。 秋子はおもむろに『ロワちゃんねる』を調べ始め――やがて絶句した。 そこにはこの島と地下要塞の詳細や、首輪解除方法、主催者の監視方法についてなど、様々なデータが入っていたのだ。 特に注目すべきなのが、次の文章だ。 『初めまして、向坂環と言う者です。突然ですが私の仲間が主催者のホストコンピュータへのハッキングに成功しました。 今なら首輪爆弾遠隔操作システムもこちらの手中にあるので、安全に首輪を外せます。 私達を信用してくれる方は、090-9xxx-xxxxまで連絡をお願いします。 島に流されてあった妨害電波は解除したので、島内への電話なら通じる筈です。 今こそ皆で手を取り合って、全ての元凶である主催者を倒しましょう! 向坂環・姫百合珊瑚・久寿川ささら・柳川祐也・倉田佐祐理・春原陽平・藤林杏』 「これは……本当なのか?主催者の罠じゃないのか?」 一通り読み終えた浩平が、未だに信じられない、と言った顔で呟いた。 それ程に衝撃的な内容――真実ならば、主催者打倒の準備が整いつつあるという事――だったのだ。 俄かには信じがたい話だったが、秋子は極めて冷静に思考を巡らせて、言った。 「恐らく本当でしょう。主催者が私達を殺すつもりならいつでも殺せたのですから、今更こんな罠を仕掛ける意味がありません」 「それじゃあ……」 「ええ。文面通りに受け取っても大丈夫だと思いますよ」 秋子が頬に手を当ててにこりと微笑むと、ようやく浩平の瞳から警戒の色が消えた。 浩平は七海と手を握り合って、飛び跳ねながら歓喜の叫びを上げる。 「よっしゃあああっ! ようやく希望が見えてきたな!」 「はいっ!」 これまでも諦めてはいなかったものの、主催者を打倒する方法の足掛かりさえ掴めていなかった。 それが突然、何の前触れも無く、此処まで具体的な形で示されたのだ。 だから浩平も七海も、顔を綻ばせ喜びを露にしていた。 一方秋子は、今後の方針を大きく変えようと考えていた。 これ程までに対主催の準備が進んでいるのならば、他の参加者と協力した方が良いだろう。 最早主催者の思惑に嵌り、優勝の褒美などと言った物に頼る必要は無い。 主催者側の勢力を壊滅寸前まで追い込んでから脅迫し、祐一を生き返らせれば良いのだ。 この方法なら罪の無い子供達も救えるし、主催者が人を生き返らせれるのならという条件付きではあるが、名雪の願いも叶えられる。 自分の願い、信念を曲げずに、善良な者達と手を取り合って歩んでゆける。 これ以上無いくらいの名案なように思えた。 そうと決まれば、早く話した方が良い。 方針の変更を伝えなければ、名雪が暴走して浩平達を襲ってしまうかも知れない。 そう考えた秋子は早速役場にあった工具を用いて、皆の首輪を取り外し、盗聴される危険を排除した。 念の為に自分が最初の実験台となり、首輪の解除が本当に出来るのか試してみたのだが、杞憂だった。 首輪は――参加者達を律してきた悪魔の枷は、拍子抜けするくらいあっさりと外す事が出来たのだ。 続いて『主催者を脅迫し、皆を生き返らせる』という作戦を、丁寧に説明する。 当然の事ながら誰も反対する者は居らず、秋子の提案は受け入れられた。 「それではまず電話してみましょうか? 向こうには浩平さんの知り合い……杏さんという方もいらっしゃるようですし」 浩平が頷くのを確認してから、秋子は広間の奥に設置してある受話器へ向け歩を進める。 その時に、それは起こった。 「……あうっ!」 突然の悲鳴。 秋子が振り向くと、七海の左肩から鮮血が噴出していた。 名雪が――八徳ナイフを握り締めて、七海の肩を切り裂いたのだ。 「な――――」 秋子が声を上げるより早く、名雪はトドメを刺すべくナイフを振り上げる。 しかし当然の事ながら、浩平が自身の最優先守護対象を見捨てる訳が無い。 「止めろぉぉーっ!!」 浩平はヘッドスライディングの要領で飛び込み、七海の体を抱きかかえて離脱した。 そのまま一転して起き上がり、素早い動作でS&W 500マグナムを握り締める。 秋子は慌ててスカートに捻じ込んであったジェリコ941を取り出し、一喝した。 「待ちなさいっ!!」 ピタリと浩平達の動きが止まり、視線が秋子へと集中する。 秋子はいつでも射撃体勢に移れるように身構えながら、続けた。 「名雪、一体どういうつもり? 作戦はさっき説明したでしょ? もう私達は殺し合わなくても良いのよ」 その筈だった。 首輪の爆弾が無い以上、自分達の命はもう主催者に握られていないのだから。 敵の要塞に関するデータもあるし、殺し合いを続けるより協力し合った方が、生き残れる可能性が高いのは明白だ。 にも拘らず、名雪は一瞬きょとんとした顔になった後、呆れたような微笑を浮かべた。 眼光はどこか妖しく、瞳の奥はどろりと濁っている。 罅割れた唇から紡がれる、昏く、冷たく、重い声。 「お母さん、何言ってるの? 私は何も悪い事してないのに、皆に苛められんだよ? きっと折原君も七海ちゃんも、私達が隙を見せるのを待ってるよ。 その『ロワちゃんねる』に書いてるのだって、参加者の誰かが仕掛けた罠に決まってるじゃない。信用させてから寝首を掻く作戦だよ。 もう、お母さんちゃんとしてよね。甘い馴れ合いなんかに逃げちゃ駄目なんだよ!」 娘が吐いた言葉は正しく狂気の理論であり、それは秋子を驚愕させるに十分であった。 「てめえ、ふざけんじゃねえ! 俺達は殺し合いするつもりなんかねえよ!」 あらぬ疑いを掛けられた浩平が、怒りで大きく目を見開きつつ叫ぶ。 しかし名雪はその怒号を一笑に付した。 「……皆最初はそう言うんだよ月島さんも最初は殺し合いに乗っているようには見えなかったでも突然掌を返して襲い掛かってきたんだよ。 人間なんて裏で何考えてるか分からないし何が切っ掛けで心変わりするかも分からないだから私はお母さん以外絶対に信用しない!!」 「なゆきっ……」 矢継ぎ早に繋がれる異常な理論。 それは秋子の知らぬ人物だが――狂気に取り憑かれた向坂雄二と同じ、最早癒しようの無い人間不信。 秋子の口元がわなわなと震えた。 認めなければならない……本当は昨晩、優勝を懇願された時に認めなければならなかった。 ――娘はもう、完全に狂ってしまったと。 こうなる事は、予測して然るべきだった。 昨晩あれ程名雪の狂態を見せ付けられた自分なら、十分予想出来た筈だった。 ただ自分の目が眩んでいただけなのだ。 子供達を守り続けるという道が、互いを想い合う浩平と七海の姿が、余りにも眩し過ぎたから。 最初から他に選択肢など無かった。 人間不信に陥った娘を引き連れ、他の者と協力し続けるなど到底不可能だ。 ――だから秋子は、 「私、優勝して祐一を生き返らせる為に頑張るから、お母さんも頑張ろ?」 ――ジェリコ941を構えて、 「……了承。後は私がやるから、名雪は安全な場所に隠れていなさい」 ――そう言った。 ◆ 浩平は唾を飲み込みながら、目の前で展開されている事態を呆然と眺め見ていた。 名雪は最初から口数が極端に少なかったので、何か違和感を感じてはいたのだが―― 狂っている。 あの少女は間違いなく、このゲームの狂気に飲み込まれてしまっている。 そして間違いを正すべき存在である筈の秋子すらもが、名雪に同調したのだ。 浩平は怒りと驚愕に震える叫びを上げる。 「秋子さんまで何言ってるんだよ! アンタまで俺達を疑うってのか!?」 「いいえ……そんな事はありません。ただ私にとっては名雪が最優先であり、全てなだけです」 秋子の冷たく冴えた目が、じっと自分を捉えている。 その視線に気圧されながらも、浩平は必死に頭脳を回転させていた。 追い詰められてる状況にも拘らず――いや、だからこそかも知れないが、驚くべき速度で結論を弾き出す。 視線は秋子に固定させたまま、横で震えている七海に声を掛ける。 「七海……逃げろ」 「……え?」 「此処は俺が何とかするから、お前は高槻達の所へ逃げ込め。高槻なら……あいつならきっと、お前を守り抜いてくれる」 説得は不可能。ならば自分が敵を引きつけ、その隙に七海を逃がす。 当然七海がその作戦を認める筈も無く、反論の言葉が返ってくる。 「そんなっ……こ〜へいさんを置いていくなんてっ……」 そう――七海は自分よりも人の事を第一に考えてしまう少女だ。 それが分かっているからこそ、浩平はわざと強い口調で吐き捨てた。 「勘違いするな、お前の為なんかじゃない。七海を連れたまんまじゃ俺まで逃げ切れないから……先に行けって言ってるんだ」 とどのつまり浩平は、『お前がいると足手纏いになって逃げ切れない』と言っている。 お前が逃げなければ自分まで危なくなってしまうと、そう言っているのだ。 こうなってしまっては、七海も素直に従う他無くなる。 「……分かりました」 「何があっても決して振り向くな……どんなに疲れても決して足を止めるなよ。さあっ、行け!」 浩平が叫ぶと同時、七海が出口に向かって走り出す。 ゲームに乗っている事を広められたくはないであろう秋子が、七海の背中に銃口を向けようとする。 その行動を予期していた浩平は、素早くS&W 500マグナムの銃口を持ち上げ、その時にはもう撃っていた。 「させねえよっ!」 「くっ――――」 すんでの所秋子が横に飛び退いた為に銃弾は命中しなかったものの、七海が建物外に脱出する時間を稼ぐ事は出来た。 しかしまだまだ足りない。 怪我もしており子供でもある七海が完全に逃げ切るには、もう暫く敵を此処に釘付けしておく必要がある。 浩平は横に走りながら、一発、二発と引き金を絞った。 銃弾が敵の体を捉える事は無かったが、構わずそのまま机の影に滑り込む。 ポケットから取り出した銃弾を装填しながら、冷静に計算を巡らせた。 この大口径の銃――S&W 500マグナムは、余りにも反動が大き過ぎる。 自分の傷付いた両手では、後数回しか弾を放てまい。 このまま時間稼ぎの撃ち合いを続けるような余力などないし、一撃で敵を仕留める技能も自分は持ち合わせていない。 ならば―― 浩平は机の影から飛び出し、また一発撃った。 続けて二階へと繋がる階段に向けて疾駆しながら、叫ぶ。 「くそっ、裏切りやがって!電話して島中にお前達の事を言いふらしてやるからな!」 「…………っ!」 秋子が青ざめた顔をして、疾風の如き勢いで追い縋ってくる。 それを見て取った浩平は、こんな危険な状況にも拘らずニヤリと笑みを浮かべた。 予想通り敵は、自分達がゲームに乗ったと広められるのを恐れている。 当然だ――此処まで主催者打倒への道程が明らかになった今、ゲームに乗ったと知られれば多くの者から集中攻撃を受けるだろうから。 これで良い。 七海を追うのなんて後回しにして、こっちを追って来てくれれば良い。 少しの間で良いから鬼ごっこでもして、楽しく時間を過ごそうじゃないか。 浩平はもう銃と予備弾以外の荷物は投げ捨てて、全力で階段を駆け上がった。 その最中背後から銃声がして、左脇腹に灼けつくような痛みを感じた。 (大丈夫、まだ動ける!) 脇腹の端を抉り取られ血が噴き出したが、それでも浩平は足を止めない。 階段を昇りきった後、すぐ横に見えた扉を半ば体当たりする形で開ける。 部屋――応接室の中に飛び込んだ瞬間、直ぐ様扉を閉め、鍵を掛けた。 これで少しは時間を稼げるが、ここで一息つくという訳にはいかない。 今や敵の狙いは、自分一人に集中している。 敵はすぐにドアを破り、中に侵入してくるだろう。 今度は自分自身が、どうにかしてこの危機的状況から脱さなければいけない。 選択肢は二つ。 窓を破って一階へのダイブを敢行するか、此処で息を潜めて迎え撃つか。 見た所隠れる場所は無い――部屋の中には、大きなソファーが四つあるだけだった。 即ち迎え撃つなら正面勝負という事になるが、岸田洋一と主催者以外の相手に命懸けで挑むつもりは無い。 此処は逃亡すべきだと判断し、窓を開いて身を乗り出し――驚愕した。 (な、何だよこれっ……!?) 二階とは言え、役場の二階は予想を大幅に上回る高さだったのだ。 これでは、飛び降りて逃げるなど無謀も良い所だ。 良くても足を骨折してしまい逃げられなくなるだろうし、頭から落ちれば確実に死ぬ。 自分の頭がトマトのように潰れた姿を想像してしまい、浩平の背に氷塊が落ちた。 その余分な思考、余分な感情が、行動の切り替えを大幅に遅らせる。 背後より聞こえる、ドアを蹴破る派手な音。 「――――っ!!」 浩平は弾かれたように振り返って、S&W 500マグナムを構えようとするが、余りにも遅過ぎる。 秋子の冷たい視線が自分を射抜いた次の瞬間、聞こえる銃声、腹に響く強烈な衝撃、激しい痛み。 「あっ……?」 何より今自分が立っている位置が、致命的に不味かった。 浩平の身体は撃たれた衝撃で後ろ――窓の外へと、押し出されていた。 まだ頭が現実を理解し切れていない中、強大な風圧と重圧が容赦無く身体を絞る。 浩平は重力に抗う事も適わず空中を急降下し、背中から地面に叩きつけられた。 「ぐっ……があああ……!!」 表面積の大きい背中から落ちたお陰で即死には至らなかったものの、脊椎の一部を傷付けてしまったのか体が動かない。 広い平地の上に寝そべった体勢のまま、撃ち抜かれた腹から止め処も無く血が流れ出てゆく。 もう、とても戦えないし、とても逃げれない。 間もなく追撃に来るであろう秋子に、抵抗も出来ず殺されてしまうだろう。 それにこのまま放置されたとしても、自分はもう余命幾ばくも無いに違いない。 そんな絶望的状況下であったが、浩平は血に塗れた口元を笑みの形に歪めた。 死ぬのが恐くないと言えば嘘になるが――少なくとも、最優先目標は果たした。 これだけ時間を稼いだのだから、最早敵は七海に追いつけまい。 後は上手く高槻と合流出来さえすれば、七海は助かる。 首輪を解除する方法も判明したのだから、この島から生きて脱出出来るだろう。 一番やらなければならない事を成し遂げたのだから、自分の死は決して無駄なんかじゃない。 浩平は死の恐怖よりも大きな満足感を覚えていたが、そんな中で足音が近付いてくるのを聞き取った。 まだ浩平が叩き落されてから、三十秒も経っていない。 (……幾らなんでも早すぎないか?) どう考えても変だ。まさか飛び降りては来ないだろうし、秋子が追ってきたにしては早過ぎる。 まさか―― 頭の中に浮かび上がる、最悪の推論。 「こ〜へいさんっ!!」 聞こえてきた声に首を向けると、先に逃げた筈の七海がこちらに向かって駆けて来ていた。 浩平は狼狽した表情となり、殆ど泣きそうな声を上げる。 「七海…………お前……どうして……」 「やっぱり駄目です……。こ〜へいさんを残して逃げるなんて出来ませんっ!」 七海はきっぱりとそう言って、浩平の身体を持ち上げようとする。 「こ〜へいさん――私頑張りますから、強くなりますから……一緒に逃げましょう」 しかし決して小柄とは言えぬ浩平の身体は、七海程度の膂力ではとても支え切れない。 すぐにバランスを崩してしまい、二人は地面に倒れ込んでしまう それでも再度同じ挑戦を繰り返そうとしている七海に対し、浩平は諭すように言った。 「いいから……」 「え?」 七海の――妹のような、健気な少女の頭に、優しくぽんと手を乗せてから続ける。 「俺の事はもう良いから……お前だけでも逃げてくれ……。俺は七海を守って死ねるんなら、本望だから……。 七海さえ生きていてくれれば、俺の死は無駄にならないから……」 死にゆく自分の事など放って、早く逃げて欲しかった。 でないと、何の為に自分は命を懸けてまで敵に立ち向かったのか、分からなくなる。 七海が大きな瞳に涙を溜め込みながら、唇を震わせる。 「こ〜へいさん、私……私――」 そこでパンッ、という乾いた銃声が一度だけ鳴り、浩平の目の前で、七海の額に穴が開いた。 七海の身体が、浩平の胴体の上に折り重なる形で崩れ落ちる。 七海の額から噴き出た鮮血が、浩平の腹部に生温い感触を伝えた。 何が起こったか、考えるまでも無い。 狩猟者――水瀬秋子が遂に此処まで来てしまい、七海を撃ち殺したのだ。 浩平の心は、人生最大の絶望と無力感により押し潰されそうになってしまう。 (守れなかった……自分自身も、みさき先輩も……そして、七海も……) だが身体に伝わる七海の暖かさが、浩平に最後の闘志を与えてくれた。 指先に伝わる硬い感触が、最後の目標を与えてくれた。 浩平は最早動かぬ骸と化してしまった少女に目をやった。 (七海……お前、本当に優しい奴だったよな。守ってやれなくてごめんな。でも――) 残された全生命力を振り絞って、手元に落ちている七海の銃――S&W M60を拾い上げる。 (お前が来てくれた事、絶対無駄にはしねえ――――!!) 上半身を起こし、近付いてくる足音の方へと振り向くと同時に、引き金を思い切り絞る。 鳴り響く銃声を認識した時にはもう、浩平の身体は再び地面に吸い込まれていく所だった。 湿った土の感触を頬で感じ取りながら、思う。 (は……は……もう動けねえや…………。最後の一発……当たったかな…………) 秋子の姿を視認している余力すら、残されてはいなかった。 全生命力を振り絞って尚、先の動作で限界だったのだ。 (長森……高槻のオッサン……お前らはまだまだ頑張ってくれよな。悪いけど俺と七海は少し疲れたから……もう休ませて貰うよ……) 瑞佳は無事に生き延びれるだろうか? 秋子の話――今となっては本当かどうか分からないが、危険な男と一緒に行動しているようだし心配だ。 高槻は無事に生き延びれるだろうか? きっと大丈夫、高槻なら自分の代わりに、主催者に怒りの制裁を加えてくれる筈だ。 そして最後に思ったのは―― (長森や七瀬とまた一緒に学校に行って、馬鹿騒ぎしたかったな……) そして、折原浩平は死を迎えた。 浩平に覆い被さっている七海の目から、一滴の涙が零れ落ちていた。 * * * 名雪は役場の女子トイレで、八徳ナイフにこびり付いた血を洗い流しながら、先の出来事について考えていた。 敵に騙されてしまった母の目を醒ます為とは言え、先程は少しやり過ぎてしまった。 今後はもう少し慎重にしなければならない。 秋子は自分の願いを何でも叶えてくれる最高の母親だが、島中の人間に狙われてしまっては流石に分が悪い。 鎌石村に向かうまでの道中で秋子が言っていたように、ゲームに乗っている事を悟られないように動くべきだ。 この島に居る人間の誰もが何時ゲームに乗るか分からないのだから、信頼など出来る筈が無いのだが――ともかく、表面上だけでも取り繕わねばならない。 大丈夫、秋子の指示に従っておけば、きっと祐一を取り戻せる。 (……そろそろ終わった頃かな?) 最後の銃声が聞こえてから、既に十分以上が経過している。 自分は指示通りに身を隠していたのだが、そろそろ決着が着いた――即ち、秋子が浩平と七海を殺害せしめた頃だろう。 名雪はトイレを後にし、軽い足取りで広間へと歩を進める。 そこに待っていたのは頬から少し血を流している、しかしそれ以外は何時もと変わらぬ秋子の姿だった。 「お母さん、折原君と七海ちゃんは?」 訊ねると、秋子は少し表情を曇らせながらも静かに答えた。 「……安心して、ちゃんと二人とも殺したわ」 その返答を確認した途端に、名雪は可愛らしい――しかし何処か不気味な笑みを浮かべた。 「私やっぱり、お母さんの事大好き!」 名雪はそう言って秋子の胸に飛び込もうとする。 しかし秋子はそれを手で制して、子供を諭すように言った。 「駄目よ名雪、今はそんな事してる暇は無いわ。さっきの銃声は辺り一帯に響いているでしょうし、すぐに移動しないと危険よ」 「何処に行くの?」 「ロワちゃんねるに載ってた番号に電話を掛けてみたらね、どうやら平瀬村工場に人が集まってるみたいなの。 まずはそこに行ってみましょう」 親子は手を取り合って、二人で運ぶ。 希望を持って生きている者達へ、死を届けに往く。 【残り21人】 【時間:3日目5:40】 【場所:G−2平瀬村工場屋根裏部屋】 柳川祐也 【所持品:イングラムM10(24/30)、イングラムの予備マガジン30発×6、日本刀、支給品一式(食料と水残り2/3)×1】 【所持品2:S&W M1076 残弾数(7/7)予備マガジン(7発入り×3)】 【状態:左上腕部亀裂骨折・肋骨三本骨折・一本亀裂骨折(全て応急処置済み・若干回復)・内臓にダメージ、首輪解除済み】 【目的:主催者の打倒。最優先目標は佐祐理を守る事】 倉田佐祐理 【所持品1:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(10/10)、レジャーシート、吹き矢セット(青×3:麻酔薬、赤×3:効能不明、黄×3:効能不明)】 【所持品2:二連式デリンジャー(残弾0発)、暗殺用十徳ナイフ、投げナイフ(残り2本)、日本刀、支給品一式×3(内一つの食料と水残り2/3)、救急箱】 【状態1:留美のリボンを用いてツインテールになっている、首輪解除済み】 【状態2:右腕打撲。両肩・両足重傷(動かすと痛みを伴う、応急処置済み)】 【目的:主催者の打倒】 姫百合珊瑚 【持ち物@:デイパック、コルト・ディテクティブスペシャル(2/6)、ノートパソコン×2、ノートパソコン(解体済み)、発信機、コルトバイソン(1/6)、何かの充電機】 【持ち物A:コミパのメモとハッキング用CD、工具、携帯電話(GPS付き)、ツールセット、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、スイッチ(0/6)】 【持ち物B:ゆめみのメモリー(故障中)】 【状態:中度の疲労、首輪解除済み】 【目的:主催者の打倒】 向坂環 【所持品@:包丁・ベアークロー・鉄芯入りウッドトンファー】 【所持品A:M4カービン(残弾7、予備マガジン×3)、救急箱、ほか水・食料以外の支給品一式】 【状態@:後頭部と側頭部に怪我・全身に殴打による傷(治療済み)、全身に軽い痛み、脇腹打撲(応急処置済み)、首輪解除済み】 【状態A:左肩に包丁による切り傷・右肩骨折(応急処置済み・若干回復)、軽度の疲労】 【目的:主催者の打倒】 春原陽平 【装備品:ワルサー P38(残弾数5/8)、ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×10、鉈】 【持ち物1:9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、89式小銃の予備弾(30発)】 【持ち物2:鋏、鉄パイプ、工具】 【持ち物3:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料を少し消費)】 【状態:右脇腹軽傷・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも治療済み)、首輪解除済み】 【目的:ゲームの破壊、杏と生き延びる】 藤林杏 【装備品:ドラグノフ(5/10)、グロック19(残弾数2/15)、投げナイフ(×2)、スタンガン】 【持ち物1:Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書(英和)、救急箱、食料など家から持ってきた様々な品々、缶詰×3】 【持ち物2:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)、支給品一式】 【持ち物3:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、工具、首輪の起爆方法を載せた紙】 【状態:右腕上腕部重傷・左肩軽傷・全身打撲(全て応急処置済み)、首輪解除済み】 【目的:ゲームの破壊、陽平と生き延びる】 ボタン 【状態:健康、杏の鞄の中にいる】 久寿川ささら 【持ち物1:電磁波発生スイッチ(作動した首輪爆弾の解除用、残電力は半分)、トンカチ、カッターナイフ、救急箱(少し消費)】 【持ち物2:包丁、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、支給品一式】 【状態:軽度の疲労、右肩負傷(応急処置及び治療済み)、首輪解除済み】 【目的:麻亜子と貴明の分まで一生懸命生きる】 【時間:三日目・05:50】 【場所:C-03・鎌石村役場】 水瀬秋子 【持ち物1:ジェリコ941(残弾6/14)、トカレフTT30の弾倉、澪のスケッチブック、支給品一式】 【持ち物2:S&W 500マグナム(5/5 予備弾2発)、ライター、34徳ナイフ】 【状態:マーダー、腹部重症(傷口は塞がっている・若干回復)、頬に掠り傷、軽い疲労、首輪解除済み】 【目的:優勝して祐一を生き返らせる。名雪の安全を最優先。まずは平瀬村工場へ】 水瀬名雪 【持ち物:八徳ナイフ、S&W M60(5/5)、M60用357マグナム弾×9】 【状態:精神異常、極度の人間不信、マーダー】 【目的:優勝して祐一のいる世界を取り戻す】 折原浩平 【状態:死亡】 立田七海 【所持品:フラッシュメモリ、支給品一式】 【状態:死亡】 【備考】 ・屋根裏部屋の床に『主催者(篁)について書かれた紙』『ラストリゾートについて書かれた紙』『島や要塞内部の詳細図』『首輪爆弾解除用の手順図(本物)』 が置いてあります。詳細は後続任せ。 ・ささらの持っている電磁波発生スイッチは一度使用するごとに、電力を半分消費します。その為最高でも二回までしか連続使用出来ません。 ・珊瑚が乗っ取っているのは、首輪遠隔操作装置のコントロールシステムであり、装置そのものではありません。 主催者の対応次第では、首輪遠隔操作装置が再び機能してしまう可能性もあります。 ・『ロワちゃんねる』はネット上にある為、珊瑚が完全に掌握しています。 ・主催者の居る地下要塞の出入り口は、全てロックが外されています。 ・『ロワちゃんねる』の内容は書き換えられました。作中で言及されている内容以外は後続任せ。載せてある番号は藤林杏が持っている携帯電話のものです ・(島内のみ)全ての電話が使用可能になりました ・だんご大家族(残り100人)、日本酒(残り3分の2)、支給品一式(食料は二人分)は鎌石村役場内に放置 - BACK