何が正しいのか




降り注ぐ光が徐々に強くなり、空は白みを帯び始めている。
水瀬秋子は水瀬名雪と共に鎌石村西部を目指して、山を迂回する形で歩いていた。
敢えて鎌石村東部を避けるのは、月島拓也との接触を回避したかったからだ。
長森瑞佳と別れた際、彼女は拓也を説得した上で無学寺に来ると言っていた。
にも拘らずいつまで経っても来ないという事は、やはり拓也はゲームに乗ったままだったと判断しざるを得ない。
恐らく拓也は瑞佳を殺害した後鎌石村に向かい、今は進路上にある消防分署や観音堂辺りで暴れている頃だろう。
自分は不意を突いたおかげで拓也に圧勝したものの、次も上手く勝利を収められるとは限らない。
だからこそ遠回りしてでも危険地帯を避け、盾として使える集団を探そうとしているのだった。

秋子は唐突に歩みを止めて、上方に広がる空を眺め見た。
雨はすっかり止んでおり、雲の姿は一つも認められない――所謂、快晴と呼べる天気だった。
しかし人々を祝福するかのように澄み渡った空の下では、数え切れない程多くの死体が野晒しとされているのだ。
そこまで考えた秋子は、唐突に皮肉な笑みを浮かべた。
(こんな綺麗な空なのに、なんて矛盾……。まるで今の私みたいね)
子供達を守り、主催者を誅すという目的の下に行動し続けてきた筈の自分が、今や真逆の立場を取っている。
相沢祐一に救われた命を、彼の遺志とはまるで正反対の形で使おうとしているのだ。
それでも自分は私情を棄て、鬼畜の道を歩まねばならない――娘の願いに応える為に。

「ハ――――う……」
秋子は一度大きく深呼吸をし、その途端に濁った血の味を感じ取った。
口内に血が溜まっていた所為か、呼吸をするだけで喉の奥にどろりとした空気が流れ込んできたのだ。
本来なら心地良い筈である新鮮な朝の空気が、今はとても薄汚れた物に感じられる。
「お母さん、どうしたの?」
「ごめんなさい、何でもないわ。先を急ぎましょう」
名雪が心配そうな顔でこちらを覗きこんでいた為、秋子は平静を装った。
しかしそれはあくまで表面上の事であり、実際には腹部の鈍痛が続いているし、身体の反応も鈍い。
昨晩あれ程感じていた眩暈や吐き気こそ収まっているものの、とても本調子と言える状態では無かった。
となれば幾ら優勝を狙っているとは言え、真っ向勝負を行うのは極力避け、色々と搦め手を用いてゆくべきだろう。

方針は基本的に、昨日の夜に考えたものと変わらない。
自分の持つ最大の強みは、これまで一貫して貫いてきた対主催・対マーダーの姿勢だ。
危険人物には一切情けを掛けずに排除するという、今にして思えば度が過ぎたやり方だったが、それが今からは活きてくる。
今まで他の人間に見せてきた『子供達を守る為に、正義を貫く』という強固な姿勢は、自分が対主催側の人間であると偽証してくれる筈だ。
ならばその利点を最大限に活かし、なお且つ守り続けるべきである。
まずは主催者打倒という名目の元に集まっている集団に紛れ込み、自分達の安全を確保する。
それから隙を見て、一人ずつ証拠を残さぬ形で排除してゆく。
自分で強引に隙を作る必要も無い。
主催者や他のマーダー達との戦闘は必ず起きる筈であるのだから、自分はただその好機を待てば良いのだ。

そんな事を考えながら足を進めていると、突然名雪が声を上げた。
「お母さん、あそこ……」
「――え?」
名雪の指差す先――木々の向こう側を、一人の小さな少女が歩いていた。

   *     *     *    *     *     *

昨晩気絶してしまった後、目を醒ますと川原に倒れていた。
大地に打ち付けた胸はまだ少し痛むが、骨は無事だったようで大事に至る事は無かったのだ。

そして現在立田七海は木々の隙間より光が漏れる森の中を、とぼとぼと歩いていた。
既に陽は昇り始めている為周囲は明るくなっていたが、七海の表情は晴れなかった。
(こ〜へいさん……ごめんなさい……)
一人残された折原浩平を気遣う余り、七海は今もまだ冷静さを取り戻せてはいなかった。
――とんでもない事をしてしまった。
自分は恐怖に我を忘れ、同行していた浩平を置き去りにして暴走してしまった。
あれだけ自分に対して優しくしてくれていた浩平を、最悪の形で裏切ってしまったのだ。
浩平は怒ってはいないだろうか? 浩平は無事だろうか?
今もまだ自分を探して、当ても無く何処かを彷徨っているのではないか?
……ひょっとしたら捜索の最中に襲撃を受け、殺されてしまったのではないか?
次々と浮かび上がる不吉な想像が、七海の精神を疲弊させてゆく。
今七海の思考を占めているのは浩平に対する気遣いだけであり、自身の安全確保など完全に忘れ去ってしまっていた。
その所為だろう。

「……そこの貴女、ちょっと良いかしら?」
「――――!?」
背後より近付いてきた存在に、声を掛けられるまで気が付かなかったのは。
七海は悲鳴を上げたい欲求に抗いながら、慌てて後ろを振り返ろうとする。
しかしその拍子にバランスを崩してしまい、地面に転んでしまいそうになった。
「わわっ!?」
「……とっ――大丈夫?」
済んでの所で腰の裏を支えられて、どうにか体勢を持ち直す事が出来た。
続いて頭上より聞こえてくる、静かで優しい声。

「驚かせちゃってごめんなさい。でも私達は殺し合いをする気は無いから、落ち着いて頂戴」
「え……?」
顔を上げた七海の瞳に映ったのは、頬に片手を添えながら穏やかに微笑んでいる女性――水瀬秋子だった。
その佇まいからは悪意というものは一切感じられず、寧ろ包み込むような優しい雰囲気が漂っていた。
困惑気味の表情を浮かべている七海に対し、秋子はゆっくりと語り掛けた。
「私は水瀬秋子よ。そして隣にいるのが私の娘――」
「水瀬名雪だよ。貴女はお名前何ていうの?」
「え……あ……」
七海は名雪へと視線を移し、ようやく相手が二人いるという事を認識した。
急激な状況の変化にまだ思考が追い付けていないが、一つだけ確信が持てる。
秋子と名乗った女性が浮かべた優しい笑顔、そして『一人しか生き残れない』この殺人ゲームで集団行動をしている二人。
とどのつまりこの二人はゲームに乗っていない、信頼に値する相手なように思えた。
「――立田七海です。たったななみって覚えてください!」
だから七海はにこりと笑みを形作って、元気良くそう答えていたのだった。

――七海は、先程自分が命拾いしたという事実に気付いていない。
秋子はずっと、ポケットの中に忍ばせたIMIジェリコ941を握り締めていたのだ。
七海がもう少し冷静だったのなら、背後より忍び寄ってきた秋子達に対して銃を向けてしまったかも知れない。
そしてそんな事をしてしまえば確実に、七海は殺されてしまっていただろう。
偶然にも七海の抱いている焦りこそが、自身の命を救う結果に繋がったのだ。

   *     *     *    *     *     *

舞台は変わり、鎌石村の西部に存在する一際大きな建築物――鎌石村役場。
そこから程近くにある開けた平野の上に、朝日を受けて一つの長い影が伸びていた。
影の主、折原浩平は役場で発見したスコップを手に、独り黙々とある作業を行っていた。
浩平の眼下には大きな穴が掘られており、その中にはかつて川名みさきと呼ばれていた少女の亡骸が入れられている。
浩平は高槻達と別れた後に鎌石村役場へ移動し、陽が出るのを待ってみさきの埋葬を行っていたのだ。
程無くして作業は終焉の時を迎え、みさきの身体は完全に土に覆われてしまった。
浩平はその上に小さな花をそっと乗せた後、両手を胸の前で合わせた。

「みさき先輩……」
みさきは光を完全に失ってしまったにも拘らず、明るく前向きに生き続けていた。
自分如きでは比較対象にすら成り得ぬ程、とても優しく、とても暖かく、とても強い人だった。
何故彼女のような人間が、こんなにも理不尽な形で命を落とさなければならないのか。
「仇は取ってやるからな……岸田も主催者も、俺がぶっ潰してやるからなッ……!」
――許せなかった。
人の命をゴミのように踏み躙る主催者と、みさきの遺体を穢した岸田洋一は、必ずこの手で倒してみせる。
浩平はみさきの墓の前でそう誓った後、S&W500マグナムを強く握り締めて、その場を後にした。

役場に戻る道程の最中、浩平は思う。
最終目標が明確に定まったのは良いが、具体的にはこれからどうすべきなのだろうか?
岸田洋一は恐ろしい男だが、自分とて強力な大口径銃を持っているし勝ち目はある。
しかし強大な主催者に対し一人で決戦を挑むのは、どう考えても無謀に過ぎる。
そう考えると、まずは対主催の同志を集めるのが最善の一手だと言えるだろう。

同志と言えば最初に思い付くのは高槻達だが――彼らとはもう、行動を共にする気にはなれない。
この殺し合いの場に於いて一度芽生えた不信の種は際限無く膨らみ、やがて大惨事を招いてしまう危険性があるのだ。
集団を形成している者達にとって一番恐ろしいのは、ゲームに乗った者の襲撃よりも内紛だろう。
自分が居ない限りは高槻達も内紛など起こさぬだろうし、彼らの戦力なら岸田相手でも遅れは取るまい。

悪いのは七海を見失ってしまった自分だ。
十分な戦力と結束を誇っている高槻達の所へ、わざわざ不信の種を持ち込むような厚顔無恥に過ぎる真似など出来る筈が無い、
しかし自分は高槻達以外の人間とは殆ど出会っておらず、誰が信用出来る人間であるかという情報に精通していない。
下手に知らぬ者と組んで寝首を掻かれるような事態は避けたいが、確実にゲームに乗ってないであろう七瀬留美や長森瑞佳も行方が分からない。

(そうだな……まずは立田を探すか……)
七海なら100%信用出来るし、何より彼女は自分の所為で窮地に追い遣られてしまっている可能性がある。
もしかしたら遅まきながら高槻達の元に戻っている可能性もあるが、逆もまた然りであるのだ。
鎌石村かその周辺にいる事はほぼ間違いないだろうし、まずは彼女を探してみるべきだ。
みさおのような――妹のような雰囲気を持った彼女と、出来ることなら一緒に行動したい。
但し、彼女がこんな自分を許してくれるのならばという条件付きではあるが。
そもそも本当に彼女の事を想うならば、夜のうちから捜索を行っておくべきだったのだ。
それにも拘らず自身の休養とみさきの埋葬を優先してしまった自分を、きっと七海は許してくれないだろう。

だがそれでも、やはり七海を探そう。
主催者に戦いを挑めば、殺されてしまう危険性は大いにある――否、生き延びれる可能性の方が圧倒的に少ない。
謝れる内にきちんと謝りそれから対主催の具体的な行動へと移ろう、というのが浩平の出した結論だった。
その為ならば多少の労力など惜しまぬつもりであったのだが――再会の時は、すぐに訪れる。

「――こ〜へいさんっ!」
聞き覚えのある声がした方に首を向けると、半日近く前に見失ってしまった少女。
自分の探し人である七海が、頬を緩めながらこちらに向けて走り寄ってきていた。
「立田っ!!」
七海の姿を認識した瞬間、浩平もまた大地を蹴って一直線に駆けた。
互いの距離はたちまち縮まってゆき、二人は役場の前で足を止めて見つめ合った。
「立田……ごめんな……」
「どうして……どうしてこ〜へいさんが、謝るんですか……?」
疑問の表情を浮かべる七海に対して、浩平は申し訳無さげな声で返答する。
「俺が余計な事を言った所為で、立田に怖い思いをさせちまった……」
七海が無事で嬉しかった――そしてそれ以上に、この少女を危険な目に合わせた愚かな自分が腹立たしかった。

だが七海はゆっくりと首を横に振った後、静かに声を洩らした。
「そんな……謝るのは私の方です。私が怖がりな所為で、浩平さんに迷惑を掛けちゃいました……」
震える声、伏せた瞳。七海の秘めたる気持ちが、嫌というくらいに伝わってくる。
七海は全く怒っておらず、寧ろ自分自身を責め続けていたのだ。
「こ〜へいさんはこんな私に凄い優しくしてくれたのに……。それなのに私は……一人で逃げ出して……。
 もっと強くならないといけないのに、私はどうしようもなく弱い子供なんです……」

半ば涙交じりに訴えてくる七海だったが――弱いのは自分の方だ。
七海はこんなにも心を痛めていたというのに、自分は希望的観測に身を任せ、捜索を後回しにしてしまった。
その後もただみさきの死を嘆き、主催者や岸田を憎しんでいるだけで、七海の事に思い至ったのは半日近くも経ってしまった後だった。
七海が向けてくれる優しさに報えるだけの事を、これまでの自分は行っていなかったのだ。
しかし今度こそ、復讐よりも何よりも優先順位が高い絶対の決意を胸に、浩平は七海を思い切り抱き締めた。
「……怖がりでも良いじゃないか。立田……七海は女の子なんだから。
 今すぐ強くなろうとしなくても良いんだよ。七海は俺が絶対に、守るから」
「こ〜へいさん……暖かいです……」
体温を伝えながら、小さな身体を両腕で包み込みながら、浩平は思った。

自分もまた、このゲームの狂気に飲まれかけていたのだ。
人を守る事よりも、皆で生きて帰る事よりも、復讐を優先しようとしてしまっていた。
仲間を集めようとしたのも、主催者に対抗出来るだけの戦力が欲しいという動機によるものだった。
自分は人間としてとても大事な物を、失いかけてしまっていた。
その事に、七海の優しさが気付かせてくれたのだ。
だから、決めた。
勿論みさきの仇は取ってやりたいし、岸田と主催者は許せぬが、それは一番大事な目標では無い。
自分は何よりもこの少女を――七海を守る事を最優先に、生きてゆこう。

◆

抱き締め合う少年少女の傍に屹立する、二つの影。
その片割れである水瀬秋子は複雑な表情を浮かべながら、浩平達の様子を眺め見ていた。
疑うまでも無い。
彼らは間違いなく殺し合いに乗っておらず、それどころか共に支え合って生き延びようとしている。
七海と出会った時点では、自分の選んだ道に対して迷いなど欠片も抱かなかった。
七海を殺さなかったのは『いつでも殺せる』と判断したが故に、時が来るまで利用しようと考えただけの事だった。
無力な存在の保護者という立場を取れば、見知らぬ人間達の信用も容易く勝ち取れるに違いないから。
実際目の前にいる少年は、きっとこの先自分を疑いなどしないだろう。
自分は彼らを利用するだけ利用して、優勝への道を切り開いてゆけば良い筈だ。

しかし――
(本当に私はそれで良いの……? ねえ澪ちゃん……私はどうすれば良いのっ……!?)
自分が名雪を想うのと同様に、七海と少年は互いの事をとても大事に考えているだろう。
彼女達の想いを踏み躙って、本当かどうかも分からない褒美を狙うのが、正しいのか?
分からない。
もう、分からない。

秋子の心中では、激しい葛藤が行われていた。
だから彼女は気付かない。
秋子の隣で、生気の無い瞳を携えている少女――名雪の落ち窪んだ瞳に潜む、昏い影に。
名雪はポケットに忍ばせた八徳ナイフを握り締め、開戦の合図を今か今かと待ち望んでいた。




【時間:三日目・05:20】
【場所:C-03・鎌石村役場前】
折原浩平
 【所持品1:S&W 500マグナム(5/5 予備弾6発)、34徳ナイフ、だんご大家族(残り100人)、日本酒(残り3分の2)、ライター、支給品一式(食料は二人分)】
 【状態:決意、頭部と手に軽いダメージ、全身に軽い打撲、打ち身など多数。両手に怪我(治療済み)】
 【目的:第一目標は七海と共に生き延びる事。第二目標は岸田と主催者への復讐】
立田七海
 【所持品:S&W M60(5/5)、M60用357マグナム弾×10、フラッシュメモリ、支給品一式】
 【状態:啜り泣き、胸部打撲】
 【目的:こ〜へいさんと一緒に生き延びる。こ〜へいさんに迷惑を掛けないように強くなる】

水瀬秋子
 【持ち物1:ジェリコ941(残弾9/14)、トカレフTT30の弾倉、澪のスケッチブック、支給品一式】
 【状態:迷い、マーダー、腹部重症(傷口は塞がっている)、軽い疲労】
 【目的:優勝を狙っているが、迷い。名雪の安全を最優先】
水瀬名雪
 【持ち物:八徳ナイフ】
 【状態:精神不安定、マーダー、秋子の合図を待っている】
 【目的:優勝して祐一のいる世界を取り戻す】
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