Resistance




「…………っ」
湯浅皐月は激しく脈動する心臓を必死に鎮め、ともすれば萎縮しかねない精神を抑え込もうとする。
眼前には最悪の襲撃者であり、同時に主催側の人間でもある醍醐が薄ら笑いを浮かべながら立っている。
打ち倒された高槻は未だ地面に倒れ伏せており、今も聞こえてくる呻き声が彼の被害状況を物語っていた。
絶望的な状況に置かれている皐月だったが、それでも何とか打開策を模索しようとする。

このまま交戦を続けるのは、間違いなく愚策に過ぎるだろう。
銃も無いし負傷もしている自分達では、最早勝ち目は零に近い。
次に思い付く選択肢は逃走だが、先程醍醐が見せた巨体に似合わぬ俊敏な動き。
自分一人でも逃げ切るのは厳しいし、ましてや高槻と郁乃を連れて逃げ切るなど不可能だ。 
となれば、残された手段は一つ。
ポケットに仕舞い込んだ青い宝石へと手を伸ばし、強く握り締める。

(これを渡すしか無いの……?)
醍醐の言葉を素直に信じるのならば、青い宝石さえ譲渡してしまえば、自分達は助かる筈だ。
――だがしかし、本当にそれで良いのか?
幸村俊夫、保科智子、笹森花梨。
彼らは全員が全員、少年という圧倒的な存在から仲間を、青い石を守る為に、その命を散らせてしまった。
三人分の命を背負って生きている自分が、此処で屈服してしまって本当に良いのか?
そう考えてしまうと思考は逡巡の一途を辿ってゆき、どうしても即断を下す事が出来ない。

そしてその迷いは、醍醐にとって絶好の隙。
「ふん、考え事をしている暇などあると思ってるのか!?」
意識が逸れていた皐月は、聞こえてきた怒号に遅まきながら視線を戻すも、既に醍醐は目前まで迫っていた。
上方より空気を切り裂きながら振り下ろされる、恐ろしい迫力を伴った特殊警棒。
「くぅ――――」
咄嗟の判断で横にステップを踏んだ直後、それまで皐月の背後にあった壁が大きく削り取られる。
まるで削岩機。信じられない程の威力を見せ付けられ、皐月の意識が一瞬硬直する。
しかしとにもかくにも、何とか一撃は躱す事が出来た。
このまま一旦距離を取るか――冗談じゃない。此処で逃げるのは臆病且つ愚か者のやる事だ。
こちらを侮っていたのか、必要以上の大振りを行った敵は今や隙らだけなのだから。

「ブッ・コローーーース!!」
醍醐の顔面に狙いを定め、大きく踏み込みながら高速の正拳突きを放つ。
醍醐は未だ余裕の表情を崩さず、片腕のガードでそれを受け止めようとしていた。
しかし皐月は醍醐の腕を軽く殴るに留め、すぐに次の動作へと移った。
「ガァァッ!?」
どんな人間であろうと決して鍛えようの無い部分がある――故に皐月は、上方に気が逸れた醍醐の金的を、躊躇無く思い切り蹴り上げた。
続いて身体が折れた醍醐の懐に素早く潜り込み、間髪置かずに襟元と胸元を掴む。
いざという時に信用出来るのは、小手先の小細工よりも洗練された技術。
常日頃より宗一相手に行ってきた、自分が持つ最大の必殺技。
その名も――

「メイ=ストォォォォォムッ!!」

醍醐の下腹部を思い切り足裏で蹴り上げ、そのまま投げ飛ばそうとする。
上段への攻撃に意識を持たせ金的ヒット、下がった襟を掴んでの巴投げに移行する。
ここまでの流れは文句の付けようが無い程完璧だった。
屈強な職業軍人であろうとも、不意を突かれた上に体勢まで崩されてしまっていては、碌に受身すら取れないだろう。
「グ――おおおおっ!!」
「……えっ!?」
しかしそれはあくまで一般的な軍人相手の話であり、怪力を誇るこの男にまで共通するような事柄では無い。
醍醐は皐月の腕を掴み取り、投げ飛ばされかけていた身体を強引に押し留めたのだ。
そのまま密着状態から当身を放ち、皐月を弾き飛ばす。

「痛ぁっ……」
地面に尻餅を付いた皐月の瞳に、特殊警棒を握り締めた醍醐が映った。
転んだ反動で皐月のポケットから青い宝石が零れ落ちていたが、醍醐はそれに見向きもしない。
先程までは油断していたのだろうが、最早醍醐の表情からは笑みが消えている。
世界中の外人傭兵を震え上がらせる程の怪物が、正真正銘本気で自分を殺しに来る。
「こんな所で――」
那須宗一の、ゆかりの仇を討てぬまま、こんな所で死ぬ訳にはいかない。
皐月は最後まで諦めずに横に飛び退こうとするが、本気となった醍醐は残酷な程に冷静だった。
「逃がさんぞ、ガキがっ!」
回避動作を取っている皐月の懐に、疾風と化した醍醐が潜り込む。
醍醐は腰を横に捻り、反動をつけて横薙ぎに特殊警棒を振ろうとする。
確実に距離を詰めてから放たれる必殺の一撃、それは皐月にとって回避も防御も不可能な死の狂風だ。

しかしそこで突然白い物体――ぴろが、醍醐の足元に飛び掛った。
「ふにゃーっ!」
「ぐおっ!?」
足を乱暴に引っ掛かれた醍醐は、予期せぬ痛みに一瞬動きが鈍る。
その隙に皐月は何とか後ろに飛び退き、醍醐の警棒から身を躱す事が出来た。
ぴろは決死の突撃を敢行し、圧倒的な脅威から主人の命を救ったのだ。
しかしその代償は余りにも、大きかった。

「この……野良猫があああっ!」
「ふにゃぁぁぁ!?」
戦闘狂の醍醐からすれば、折角の真剣勝負を横から邪魔されては堪らない。
醍醐は怒りの形相を露にすると、未だ自分の足元に張り付いていたぴろを掴み上げた。
そのまま腕に力を籠め、ぎりぎりと万力のようにぴろの身体を締め上げてゆく。
皐月が声を上げる暇も無い。
ぐしゃりと嫌な音がして、ぴろの身体はトマトのように、呆気無く潰された。

醍醐はかつてぴろだった物体を投げ捨てると、事も無げに吐き捨てた。
「ふん。下等な動物如きが俺の戦いを邪魔するから、こういう事になるのだ」
「あ…………ああ……」
眼前で起きた出来事を脳が認識した途端に、皐月の四肢から力が抜けてゆく。
自身の震える奥歯同士が激しくぶつかり合い、不快な音響を奏でる。
あの時と――少年に二度襲われた時と、同じだ。
少なからず修羅場慣れしており、多少は体術の心得もある自分こそが、皆を守らないといけなかったのに。
また、何も出来なかった。また、庇われてしまった。
こんな自分とずっと一緒にいてくれたぴろさえも、助けられなかった。
皐月は脱力感に身を任せ、そのままぺたりと地面に座り込んでしまった。

「どうしたガキ? もう抵抗せんのか?」
醍醐が声を投げ掛けてくるが、それは皐月の意識にまで届かない。
今や皐月の心は、無力感と後悔と罪悪感で、覆い尽くされていたのだ。
「……ちっ。それなりにやる女だと思ったが、どうやら俺の勘違いだったようだな。
 青い宝石は無事手に入ったが――下らん任務だった」
醍醐は心底不愉快げにそう呟くと、地面に落ちている青い宝石を鞄へ放り込んだ。
続けて皐月の眼前にまで歩み寄り、おもむろに特殊合金の警棒を振り上げる。

◆

「ぐぅ……くそっ……」
醍醐に腹部を強打された高槻だったが、気力を振り絞り、何とか自力で立ち上がっていた。
しかしそれで限界。未だに膝はガクガクと揺れ、足に力が入らない。
(やべえ……このままじゃ湯浅までやられちまうっ!)
高槻の前方では、既に醍醐が特殊警棒を天高く掲げている。
今から飛び掛っても間に合わないし、奇跡的に間に合ったとしても返り討ちにされてしまうのオチだろう。、
もう少し時間を置かねば、自分の衰弱した身体では肉弾戦など不可能だ。
しかしコルトガガバメントは周囲を覆う薄暗い闇の所為で見失ってしまい、何処にあるか分からない。

――絶望。
そんな言葉が、高槻の脳裏を過ぎる。
だがそんな折、生死を共にした相棒の鳴き声が真横より聞こえてきた。
「ぴこっ……ぴこっ……!」
相棒――ポテトの口には、コルトガバメントがしっかりと咥えられている。
ぴろと同様、ポテトもまた主人の危機を察知し駆けつけてきたのだ。

「ポテトォっ!」
高槻は素早い動作で銃を受け取ると、それを醍醐の背中に向けて構えた。
ようやく異変に気付いた醍醐がこちらへ振り向くが、高槻は既に攻撃の準備を終えている。
「食らえっ! 俺の銃弾を食らえっ! このドグサレがッ!!」
唇真一文字に噛み締めて、攣り切れんばかりにトリガーを引き絞った。
醍醐は一瞬で銃口の向きを読み取って回避に移ったものの、初動の遅れが災いして避け切れない。
「グおおおッ!!」
響く濁声。強襲を掛けた一発の銃弾は、醍醐の無防備な耳朶を貫いていた。
高槻は防弾チョッキに守られた胴体部よりも頭部を狙うべきだと判断し、一瞬で狙いを切り替えていたのだ。
ようやく傷を負わせられたのだが――高槻の表情は晴れる所か、益々険しいものに変わってゆく。
醍醐を狙った時点で、コルトガバメント内に残された銃弾は残り二つだった。
その内の一つを絶好の好機に注ぎ込んだ成果が耳朶一つでは、余りにも割が合わなさ過ぎる。

そんな高槻の内心など意にも介さず、手痛い一撃を受けた醍醐は怒りに筋肉を怒張させる。
「高槻ぃぃぃ! 貴様よくもぉぉぉぉっ!!」
「……ッ」
醍醐は狙いをこちらに変え、ダンプカーの如き凄まじい勢いで突進を仕掛けてきた。
あの怪物を残された僅か一発の銃弾で止めるなど、とても無理だ。
迫る死に、圧倒的な敵に、高槻の心が折れそうになる。

だがしかし――負けられない。
自分は沢渡真琴に救われたおかげで、今もこうして生きていられる。
自分が此処で負けてしまっては、真琴に申し訳が立たない。
自分が此処で負けてしまっては、皐月も郁乃も殺されてしまう。
何より、全ての元凶である主催者の手下には、絶対に負けてはいけないのだ。
(そうだ……俺は負けられねえッ!)
まだ弾は一発残っている――醍醐を打倒し得る可能性は潰えていない。
中途半端な距離で引き金を絞っても、この敵にはまず当たらないだろう。
狙うなら超至近距離、醍醐が攻撃してくるその瞬間に銃弾を叩き込む。
それは下手すれば――否、奇跡が起こらぬ限り、良くて相打ちにしかならぬ選択肢。

『――控えよ、醍醐っ!!』
だが接触の寸前、醍醐の胸元より発された大喝一つで、二人の意識は凍り付いた。
声だけだというのに、何という圧倒的な威圧感。高槻には直感で分かった。
この声の主こそが全ての元凶にして黒幕――主催者、篁財閥総帥だ。
醍醐は慌てて高槻から距離を取ると、胸元の無線機に手を伸ばした。
「そ、総帥っ!? それは一体……」
『青い宝石はもう手に入れたのだろう? ならばそれ以上の戦いは不要であろう。
 私が下した命令を忘れた訳ではあるまい? こんな所で時間を無駄遣いせず、島中に散らばっている想いを回収してくるのだ』
「……ハ、ハハアッ!!」
興奮にアドレナリンを噴き出さんばかりの勢いだった醍醐が、あっさりと武器を仕舞い込む。
あれ程の実力と激しい気性を併せ持った狂犬が、ただの一言二言でだ。

その様子を目の当たりにした高槻は、心の奥底より沸き上がる動揺を隠し切れなかった。
自分は常識外れの存在――不可視の力を操る者達と面識があるが、そんな連中ですら主催者の足元にも及ばないだろう。
あの狂犬を声一つで制御し切るなど、Class Aの能力者でも不可能に違いないから。
「高槻ぃぃぃ! 覚えておけ、貴様は絶対に俺が殺してやるぞおおおおっ!!」
醍醐は般若の如き形相でそう叫ぶと、くるりと踵を返して駆け出した。
命を拾う形となった高槻は追撃を掛ける事も出来ず、ただその背中が闇に消えていくのを眺めるしか無かった。

◆

◆

「高槻……皐月さん……」
戦闘が終わったのを見計らって、郁乃が奥の寝室から姿を見せた。
銃が一つしか無い現状では郁乃は足手纏いにしか成り得ない為、高槻が待機を命じていたのだ。
郁乃の眼前に広がっている光景は、正に地獄絵図そのものであった。
粉々に砕け散った家具、大きく削り取られた壁、そしてぴろの亡骸を抱きかかえている皐月。
郁乃は車椅子の車輪を回し、皐月の傍にまで近寄った。
「ぴろ……ごめんね……」
呟く皐月の顔は悲痛に歪んでおり、普段の勝気な印象は欠片も見当たらない。
戦いの一部始終を見ていた訳では無い郁乃だが、すぐに何が起こったかを悟った。
要するに――ぴろは皐月を救う為に襲撃者と戦って、殺されてしまったのだ。

皐月は自身の腕が血塗れになるのも構わずに、ぴろを強く抱き締める。
「ごめんね……あたしと一緒にいなきゃ、ぴろは死なずに済んだのに……」
高槻はそんな皐月の肩にぽんと手を置いて、言った。
「そう言ってやるな……そいつは精一杯主人を守り抜いたんだ。きっと満足しながら逝ったんだろうぜ……」
「ぴろ……ぴろッ……!」
高槻の一言で堤防が決壊し、皐月は嗚咽を上げ始めた。
戦場跡の様相を呈している民家の中に、少女の啜り泣く声だけが虚しく響き渡る。
仲間が死んだ悲しみに、醍醐への怒りに、主催者に対する戦慄に、高槻は強く、強く――拳を握り締めていた。




【時間:三日目・0:00】
【場所:C-4一軒家】
湯浅皐月
 【所持品1:H&K PSG-1(残り0発。6倍スコープ付き)、自分と花梨の支給品一式】
 【所持品2:海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、手帳、ピッキング用の針金、セイカクハンテンダケ(×1個)】
 【状態:嗚咽、首に打撲、左肩、左足、右わき腹負傷、右腕にかすり傷(全て応急処置済み)】
高槻
 【所持品:分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:1/7)、コルトガバメントの予備弾(6)、スコップ、ほか食料以外の支給品一式】
 【状態:様々な感情、全身に軽い痛み、腹部打撲、左肩貫通銃創(簡単な手当て済みだが左腕を動かすとかなりの痛みを伴う)】
 【目的:岸田、醍醐、主催者を直々にブッ潰す】
小牧郁乃
 【所持品:写真集×2、車椅子、支給品一式】
 【状態:悲しみ】
ポテト
 【状態:健康】
ぴろ
 【状態:死亡】

醍醐
 【所持品:高性能特殊警棒、防弾チョッキ、高性能首輪探知機(番号まで表示される)、青い宝石(光4個)、無線機、他不明】
 【状態:右耳朶一部喪失、股間に軽い痛み、怒り】
 【目的:まずは島に散在する『想い』を集める、余計な交戦は避ける。篁の許可が降り次第高槻を抹殺する】


【時間:三日目・0:00】
【場所:不明】
篁
【所持品:不明】
【状態:健康】

【備考:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、支給品×3(食料は一人分)は高槻達が居る家に置いてあります。高槻達の翌日の行動は未定】
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