夜の闇も深い山中で、二人の女性が戦っている。 一人は神尾晴子。愛する我が子を守る為、生き残らせるが為に殺し合いに乗ってしまった女。 一人は来栖川綾香。裏切られ、挑発された屈辱に煽られ、怒りのままに乗ってしまった女。 動機こそ違えど二者が二者とも殺人鬼である事には違いない。しかし各々の目的のために戦い、思いを迸らせる姿は美しくもあり。 そう、それはまさに、殺人舞踏会と言えた。 * * * 「さぁ、このまま一気に押し切るで!」 初手のトンカチ投げのお陰で上手い具合に綾香を郁未と分断し、一対一の状況へ持ち込ませた晴子は前進しつつ木の陰から綾香を銃撃していた。 我ながらに上出来な判断だった、と晴子は思った。 二対一で戦い続ければ自然と敗北するのはこの自分に他ならない。ならばこの深すぎる夜を利用し、二人を分断して各個撃破していくのが最上の戦法と言えよう。 幸運な事にそれは見事成功した。だが問題が一つある。 (速攻で決着をつけなアカン、という事やな…) この眼前にいる来栖川綾香を一刻も早く撃破しないと天沢郁未に合流され挟撃される可能性がある。銃声でこちらの位置は大体把握されているのだ。合流されれば不利になるのは火を見るよりも明らかだ。 だからこそ、自分は少々危険を犯してでも綾香に攻撃を叩き込む必要があった。 「そこやっ!」 晴子の姿を確認しようとして気の陰からちらりと顔を覗かせた綾香にまた晴子の銃弾が飛ぶ。しかし綾香は驚くべき反射力でまたサッと身を隠し飛んできた銃弾から身を躱す。それどころか素早く反転し、反対の木の陰から2発射撃してきた。 息をもつかせぬ一連の流れにギリギリで反応できた晴子は思い切り身を捻り地面に倒れながらも全弾、回避することに成功した。 「くそっ、思ってたより動きがええな、あのガキ…」 晴子は知る由も無いが、来栖川綾香はエクストリームの王者。普段から鍛え抜かれたその体は同じ世代の女性の身体能力を遥かに上回る。もちろん晴子もその例外ではない。 にも関わらず一応互角の戦いに持ち込めていたのは綾香の本分とするところの肉弾戦ではなく銃撃戦になっているからだ。銃に関しては、流石の綾香も素人に過ぎない(最もそれは晴子も同じだが)。ここでも晴子は幸運だった。 もし晴子が肉弾戦を選んでいたならば一対一でも軍配は綾香に上がっていた事だろう。綾香にしてみれば、得意な接近戦に持ち込めないのは歯痒い以外の何者でもなかったが。 さて、ここからどう討って出るか。 木に背を預け座り込む形で隠れた晴子は次の一手を模索していた。 僅かな戦闘だが、十分に敵の動きは良い事が判明した。悔しいが、身体能力に関しては恐らく、自分よりも上だろう。 銃の命中精度を上げるには近づくのが一番なのだが、身体能力が劣っている以上無闇に近づくと手痛い反撃を受ける恐れがある。 だからといって、このままずるずると戦いを続けていてはもう一人の敵が来る。もう時間的余裕は無い。 不意の一撃が必要なのだ。相手の思いも寄らないような、完璧な騙し討ちが。 考えるが、いいアイデアは浮かばない。元々あれこれ考えるのは晴子の性に合ってないのだ。 煮詰まった挙句に、晴子は最も単純な攻撃を仕掛けることにした。 「ええいくそ、もうどうにでもなってまえ!」 デイパックを盾代わりにしつつ気の陰から飛び出し撃ちを行う。こうなった以上、もう勢いだ。勢いで突き崩すしかない。 地面を蹴りながら綾香の隠れている木へと向けて走りつつ連続で発砲する。2発、3発…そこまで撃ったとき、視界の下の方からぬっ、と人影が姿を現す。しゃがんでいた来栖川綾香だった。 「飛び出してきてくれてどうもありがとう、オバサン」 下方からのボディブロー。突き上げられる拳が暴風の如き勢いで繰り出される。 それに気づき、何とかデイパックでガードしようとした晴子だったが、綾香の方が明らかに早かった。 まともに腹部にめり込んだ拳が、晴子の体をくの字に折り曲げる。続けて綾香は晴子の顔面に向けて回し蹴りを放った。 「ありがとう…やとぉ!? 調子乗るんもええかげんにせんかい、クソジャリがぁ!」 拳がめり込みはしたがその直前に腹筋に力を入れていたのである程度ダメージは軽減できた。今度の回し蹴りも早い。が、蹴りは拳に比べて隙も大きい――! 体勢を屈めて丸くなり、肩から肘を突き出して綾香の方へと体重を乗せて体当たりする。 「がぁ…!?」 肘を胸部に突きこまれた綾香が身体のバランスを失い、2、3歩後ろへと後退する。 「くっ…」 追撃を警戒し身構える綾香だが逆に晴子も数歩後退し、体勢を整え直していた。少なからず晴子にもダメージはあった。ボディへの攻撃は一撃必殺ではなく後々ダメージを及ぼす蓄積型のものだ。その点で結果的に大きいダメージを受けていたのは晴子だった。 それを即座に悟って無理に攻撃に行かなかった事に、綾香は多少なりとも感心していた。 「へぇ…意外とやるじゃない」 「はっ、そんな余裕かましてると後悔するでぇ?」 腹を押さえながらも手をちょいちょいと動かして挑発する晴子にも、綾香は動じない。 「お生憎様、これくらいの距離でも一秒もかからずに詰められる自信はあるわ。貴女が銃を構える間に薙ぎ倒すことだって出来るわよ?」 両者の距離は、およそ4メートル弱。確かに、この程度の距離だと綾香ならば一瞬で詰められるだろう。だが、綾香は一つ見落としをしていた。 「そうかい、んじゃやってみるんやな!」 構わずVP70を持ち上げる晴子。 一瞬、正気かと綾香は思った。さっきの反応を鑑みるにこちらの方が早い事はもうとっくに気づいているはず。にも関わらず無謀な銃撃をしようというのか。 (さっきはいい判断だと思ったんだけど…ただの偶然だったようね…! 所詮その程度か) 拳を握り、構える前に顔面を殴ってやろうと突進する、が晴子の行動は違った。 「引っかかったなアホが!」 構えるのではなくアンダースロウの要領で晴子はVP70を投げつけたのだ! 速さと重量を兼ね備えた黒い塊が綾香目掛けて飛来する。 「何っ!?」 まったく予測していなかった攻撃に綾香は攻撃を避けられない。肩口にVP70が当たり、骨から神経系へと鈍痛が伝わっていく。 「痛ぁ…!」 痛みに耐えかねて思わず走る速度を緩めてしまう。それを晴子がむざむざ見逃す理由はない。 「どりゃあああああ!」 猛スピードからの飛び蹴りが、弓矢の如き勢いを持って綾香の身体へと向かう。当然、これも綾香は避けられなかった。 体重の乗った蹴りは綾香の身体を大きく吹き飛ばし、受身を取らせる暇もなくその体に土をつける。しかもその際に手に持っていたS&W M1076を手放してしまった(最も、さっきの銃撃戦でとっくに弾切れになっていたが)。 綾香にとっては2度目の屈辱だった。こんな普通の女にしてやられたのだから。すぐに跳ね起きて攻撃態勢へと戻る。その顔に、怒りと敬意の色を宿して。 「…やるわね、さっきのはかなり痛かったわ」 未だに痛みが残る肩に目線を走らせながら、既に落ちたVP70を拾っていた晴子を睨む。晴子にも油断はなかった。今度はしっかりとVP70を固定し、いつでも撃てる状態にしている。 僅かながらに形勢は逆転していた。綾香はダメージを受けた上、既にVP70を構えられているのだ。これでは再び接近するまでに確実に撃たれる。 防弾チョッキがあるものの過信はできない。頭や足にはチョッキの効果は及んでいないからだ。足ならまだマシだが、頭に当たればそれは即ち、死を意味する。 二人の距離は先程と同じく4メートル弱。綾香が手放してしまった弾切れのM1076はちょうど二人の中間に落ちている。 まだ綾香の手元にはトカレフがあるけれども、それはスカートのポケットの中。取り出そうとすればそれより先に晴子は撃ってくるに違いなかった。となれば、この不利な状況を何とか出来るのは一時の同盟を結んだあの女しかいないのだが… (ちっ、あのアホは何モタついてんのよ!) 天沢郁未。何故か姿を現さない彼女に綾香は苛立ちを募らせていた。思っているほど時間が経過していないのかとも思ったが、それにしても何もなさすぎる。あるいは、高みの見物とでもしゃれ込んでいるのか。 『互いが互いを利用しあう』関係なのだ。郁未からすれば綾香と晴子が潰し合ってくれるのは願ってもない話であろう。 もう少し協力関係を築いておくべきだったと今更ながらに思った。だが、後悔しても晴子が生きて逃がす訳ではない。それが証拠に―― 「とどめや、行くでぇ!」 ――躊躇いもなく、引き金を引いたからだ! 「まだよっ!」 横っ飛びに地面を蹴り、銃弾が発射される前に回避運動に入り、ポケットに手を突っ込む。これはまだ回避できる。しかし、次は無い。 相手に余裕の無い事を知っている晴子は無駄撃ちはせず冷静に標準を切り替えて飛んだ直後、動けなくなった綾香に標準を合わせた。 やられる――! ポケットの中で握っているトカレフはまだ外に出せない。撃ち返す事が出来ない。 これで終わりか、そう綾香が思い、目を閉じた時だった。 「うがぁああああああっ!」 悲鳴が轟く。もちろん綾香のものではなかった。恐る恐る目を開けてみる。そこには―― 「ぐっ…ちくしょう! 何やこれ…! 後一歩やいうのに!」 VP70を取り落とし、右手からまるでよく成長した植物のように鉈を生やしていた晴子が額から脂汗を垂らしつつ苦痛に呻いていた。 そして、現れた人影、天沢郁未が高らかに声を上げる。 「残念ね、オバサン」 * * * 綾香と晴子が森の奥へ消えていった後、分断された郁未はすぐに後を追おうかと思ったが、思いとどまって思考する。 (いや、あいつらが勝手に潰し合ってくれるならわざわざ飛び込む必要はないじゃない。あのオバサンも好戦的なようだし、どっちかが死ぬまで戦ってくれそうね) それよりも、もう一人の奴を片付けるほうが先だ。 郁未は方向転換すると、瀕死状態になっている橘敬介にすがりついて泣きじゃくっている雛山理緒へと向かって歩き出す。 「橘さん、橘さぁん…しっかり、しっかりしてくださいよぉ…」 理緒は倒れている敬介の胸から溢れ出る血を一生懸命止めようとしていたが手で押さえたくらいでは血が止まるわけもなく、次第に目を閉じたままの敬介の顔色からは血の気が失せていっていた。 諦めては駄目だ、諦めては駄目だ――理緒は心の中でひたすらにそう繰り返しながらどうにかして血を止めようとする。 やってきた郁未は、そんな理緒の姿を見てやれやれとため息をつく。 「無駄よ。その男はもうとっくに死んでるわ」 「…っ!」 背後からいきなり呼びかけられ、慄きながらも理緒は固く唇を結んで振り返った。 見上げたその先には悠然と構えている郁未の姿がある。そこには余裕と、絶対的な殺意が存在していた。 理緒は次は自分の番かもしれないという恐怖を持ちながらも郁未に言葉をぶつける。 「どうして…こんな事をするんですか…」 聞き飽きた質問に郁未は鼻で笑い、答える。 「どうしても何もないでしょ? このゲームから生きて帰れるのはたったの一人だけ…そしてそのための手段は殺し合い。私はルールに則って行動してるだけよ」 「っ! そんな理由で人を殺して…そんなことが許されると思ってるんですか!?」 「十分な理由じゃない? 人間誰だって死にたくないものよ。ここには法律も裁判所もない。暴力がこの島の全て。仲良しゴッコなんてしてるヒマないの…で、下らない質問はそれだけ?」 鈍い光を放つ薙刀の刃が、理緒に向けられる。再び垣間見る死の光景にまた震えそうになったが、理緒は逃げようとはしなかった。 思い出されるのは、名前も知らぬ少女の死とその遺品。 頼れる人間もいなくて怖かっただろう。 いきなり襲われて怖かっただろう。 どうして――どうして、あの時守ってやろうと思わなかったのか。自分だけ助かりたいと思ってしまったのか。 自分のせいで、あの少女は命を落としてしまったのだ。弟たちと同じくらいの年齢であるにも関わらず。 もう誰も見捨てたりはしない。それが雛山理緒の誓いであった。 理緒は無言で立ち上がると、両手を大きく広げて敬介を守るように立ちはだかった。 「あなたがそう言うのなら…もう何も言いません。ですけど…この人にだけは手を出させません。橘さんはまだ死んでいません。助けを呼んで、治療してもらうんです。だから…あなたなんかにこの人を殺させやしない!」 今にも泣きそうな顔のくせに、毅然とした理緒の態度は郁未にあの古河渚の事を思い出させる。 思い出した途端、腹が立ってしょうがなくなってきた。 「威勢がいいわね…ムカつくわ…なら、二人まとめて殺してやる!」 郁未が薙刀を振り上げる。数秒も経たない内に自分の命を刈り取るであろう凶器を目の前にしても、理緒は目を逸らさずじっと殺人鬼の姿を睨んでいた。 薙刀の柄が、頂点まで上がった。 「…ダ、メだっ…逃げる…んだ、り…お、ちゃん」 「――え?」 かすれた声が聞こえたかと思うと、理緒の後ろで倒れていたはずの橘敬介がうっすらと目を開けて唇を震えさせながらも声を出していた。 「橘さん! 良かった、生きて…」 理緒が振り向いて言葉をかけている途中。郁未の振り下ろした薙刀が理緒の肩を砕き、肉と骨を破壊し、その刃を体の中心近くにまで食い込ませていた。 「余所見してるなんて…舐められたものね、私も」 ドスの利いた声で言うと、刃の部分をぐりぐりと回し、更に肉を削り取ってゆく。 「り…!」 敬介が悲鳴を上げそうになるが、それを制するように理緒が笑う。 「わた、しなら大丈…夫です。まってて…下さい。もうすぐに、人を、呼んで、きま、す…!」 痛くないはずがなかった。意識が飛んでもおかしくないはずの激痛を理緒は必死で耐えていた。 既に片方の腕には脳からの命令が届いていない。動かない腕をもどかしく思いながら、まだ動く片方の手で自分の体から生えている薙刀の刃を掴み、固定する。 掴んだ手から血が噴出するが、理緒に痛覚はなかった。おかしくなっているのかもしれない。 「なっ…この、離しなさい…! ぐっ!?」 薙刀を抜こうとする郁未だが、まるで金縛りにあったかのように動かない。押しても引いてもびくともしなかった。 背を向けたままの理緒が、掠れた声で言う。 「邪魔です…! さっさと武器を捨てて…どっかに行って下さい!」 「くっ…ええいもう、じれったいわね!」 業を煮やした郁未が今度は鉈を取り出して理緒の背中へと打ちつける。背中を深く裂かれた体から力が抜け、薙刀を掴んでいた手がだらんと垂れ下がった。それを好機と捉えた郁未がここぞとばかりに薙刀を引き抜く。 「う…くうぅ…」 引き抜かれた反動で前へと押し出される理緒。しかし彼女は最期の力を振り絞り、敬介の体に覆いかぶさるようにして倒れた。終わりの終わりまで、彼女は仲間を守ろうとしていたのだ。 「り…お、ちゃん…済まない…」 「いい…ん…です。たちばなさんは…わたし、私が…まも――」 ずんっ。 敬介と理緒、二人ともがその音を聞いたのを最後に、意識を深い闇の底へと沈めていった。 「済まないだの守るだの…ごちゃごちゃとうるさいわね…死ぬなら黙って死にゃいいのよ」 重なった二人に上から薙刀を突き刺した郁未が、苦虫を噛み潰すように呟く。 殺すこと自体は楽だったが、精神的に疲れた。理緒の言葉の一つ一つに苛々していたせいかもしれなかった。 「ふぅ…さて、そろそろ様子見に行きますか」 そろそろ来栖川綾香とあのオバサン――神尾晴子――との決着もついた頃だろうと思うので銃声の聞こえていた方向へと足を進める。その途中で、また銃声や叫び声が聞こえた。 どうやら、まだ決着はついていないらしい。 「ちぇ、案外役立たずなのね、あの綾香ってコは…それとも、あのオバサンが強いのかな?」 暢気に死闘の結末を予想しながら少しだけ早足で現場に急ぐ。 聞こえた銃声や声の大きさから、さほど距離は離れていない。流れ弾に当たらぬようやや腰を低くして綾香らを探す。 程なくして、森の片隅で未だに戦いを続けている神尾晴子と来栖川綾香を発見した。 よくよく見れば綾香の方はどこかを痛めたのか肩を押さえており、対する晴子はしっかりと銃の標準をつけている。黙って見ていれば殺されるのは、綾香に違いなかった。 「何よ、オバサンが勝ってるじゃない…仕方ない、助太刀するかな!」 不可視の力は制限されていて使えない。しかし当ててみせる。 大きく振りかぶって、手に持った鉈を晴子目がけて投げつけた。 くるくると回転しながら肉薄した鉈は狙い通りとまではいかなかったが、拳銃の引き金を引こうとしていた右手に深々と突き刺さっていた。 「うがぁああああああっ! ぐっ…ちくしょう! 何やこれ…! 後一歩やいうのに!」 「残念ね、オバサン」 * * * 「今頃のこのこと…遅いのよ、この役立たず」 憎まれ口を叩きつつ綾香も立ち上がる。 「あら、せっかく助けてやったのに何よその言葉は」 「誰も助けてくれだなんて頼んでないわ」 「あらそう、じゃあ放っとけば良かった」 「ちっ…そのうち殺す」 「その言葉、そのまま返すわ。けど今はそれよりも――」 言いながら郁未が振り向く。そこにはいっぱいいっぱいの表情で鉈を引き抜いた晴子の姿があった。苦痛に顔を歪ませながらも、その表情から戦意は失われていない。 「…ええ、まずはこのオバサンを片付けなきゃ、ね」 二人が並び、郁未は薙刀を、綾香はトカレフを持って晴子の前に出る。一方の晴子は鉈を引き抜いたものの右手からの出血が激しく、すぐにでも止血しなければ危ない状態であった。 「クソッタレが…どいつもこいつもオバサン言いおってからに…! 神尾晴子や、覚えとけやボケ!」 不利な状況ながらも晴子は弱腰になることはない。娘の、観鈴のためにも晴子に負ける事は許されないのだ。 出血を続ける右手で、晴子はVP70を構える。 「へぇ、その根性は認めるけど…一対二じゃいささか分が悪いんじゃないかしら?」 郁未が自信たっぷりに言う。心中で晴子は、そんな事わかっとるわアホ、と毒づく。 確かに、一対二では現状勝ち目は無い。しかもこの怪我だ、一旦退いて体勢を立て直すしかない。そのために逃げる『策』を、既に講じている。後は、運を天に任せるしかなかった。 「かかってきぃや、ウチは負けへんで!」 一喝。風すら一瞬止まったように、音が森から消えた。 「それじゃあ…遠慮なくいかせて貰おうかしら!」 掛け声と共に郁未が走り、綾香がトカレフを構える。 来る! 晴子にとって、人生で一番長い数秒が始まる。 現れた新手。先程鉈を手にぶち当てた技量から考えるに実力も相当なものだろう。 だが奴には奴が知らない情報がある。 晴子は空いた左手で自分の尻の下にあるS&W M1076を素早く掴む。先の戦闘で綾香が手放したものだ。 銃弾がまだ入っているかどうか、晴子にも分からないがそれは目の前の郁未も同じである。 入っていればよし。そうでなくてもブラフをかけられる。要は郁未の足を一瞬でも止められさえすれば良かった。 残る懸念に綾香のトカレフがあるが、所詮素人。外るも八卦、当たるも八卦だ。 こればかりは神頼みである。 (…勝負!) 右手のVP70で綾香に銃口を、左手のM1076で郁未に銃口を向ける。 「二人とも、いてまえぇ!」 「!? くっ…!」 いきなり向けられたM1076に驚き、反射的に飛び退いてしまう郁未。 カチッ。虚しく響く弾切れの音。 (ち、ハズレかい!) だがVP70の方は弾が残っている。こっちは撃たせてもらう! 逃げながら放たれた一発。だがこちらは怪我をしているせいか弾は明後日の方向へと飛んでいく。にやりと笑った綾香が反撃の一発を放つ。 トカレフから放たれた銃弾が、晴子の左肩へと直撃する。 「ぐ…っ、あぁ…!」 鉈に続く二度目の激痛にせっかく手に入れたM1076を手放してしまう。口惜しかったが、命を落とすよりマシだ。 痛みに足をもつれさせそうになりながらも晴子は走り続ける。 「くそっ、逃がさないわよ!」 郁未が後を追おうとするが、後ろから綾香が引き止める。 「…? 何のつもり? あのオバサンに肩入れするの?」 首を振って綾香は答える。 「放っておけばいいじゃない? どうせ相手は死に掛け、そのうち死ぬわよ。たとえ生きていたとしても、あのオバサンも乗った奴みたいだから他の奴らと勝手に潰し合ってくれるのならそっちの方がいいでしょ?」 郁未はしばらく腕を組んで考えていたが、それもそうね、と納得すると落ちていたM1076を拾う。 トリガーを引いてみるが弾は出ない。 「弾切れ…」 クソッ、と悔しがって地団駄を踏む。一方の綾香はまた痛み始めた肩をさすりながら、いつか晴子を自らの手で屠ってやろう、と思うのだった。 * * * 戦闘が終わった後、綾香と郁未は敬介や理緒が持っていた荷物の回収をしていたが、その所持品のあまりの貧弱さに呆れていた。 「何よコレ…アヒル隊長? 何の役に立つっての? …あ、説明書があった」 郁未が理緒のデイパックの奥底で眠っていた説明書を読み漁っている間、綾香はノートパソコンを起動し、何か役立つものはないかと探していた。 「殆どまっさらね…これ本当に支給品なのかしら…ん? 何かしらこれ? ロワ…ちゃんねる?」 気になったので中身を覗いてみる。そこには他の参加者が立てたスレッドと思しきものがいくつかあった。 「なになに? 私にも見せなさいよ」 横からアヒル隊長を持った郁未も顔を出し、パソコンの画面に見入る。 「どうやらこの島限定の掲示板みたいね。スレッドも立てられるみたい」 今現在あるスレは、 『管理人より』 『死亡者報告スレッド』 『自分の安否を報告するスレッド』 の三つ。一番上にあるのは注意書きのようなもので、特に重要ではないだろう。次の『死亡者報告』は見ておく必要がある。 生き残りの数を確認しておくことでこれからの方針を変える必要性もあるからだ。それと、この情報の発信される速さを確かめる上でも。 綾香は後ろを振り向く。そこには郁未が殺した敬介と理緒の死体がまだ新鮮な血の匂いを放ちながら横たわっていた。もし本当にこれが主催者側によって立てられたものならこの二人の名前もリストに載っているはず。確認のために、綾香は郁未に聞く。 「ねぇ、あそこの二人の名前は分かる?」 「ん? ああ、確か…『たちばなさん』とか『りおちゃん』とか呼び合ってたわ。多分名簿の…この二人で間違いないと思う」 アヒル隊長で遊ぶのをやめ、名簿を取り出して『橘敬介』と『雛山理緒』の名前を探し出して指差す。この二人の名前が載っていれば、信憑性は格段に高まる。 クリックして内容を見てみる。順番に見ていくと、ある人物の名前がそこに記されているのに気づいた。 「姉さん…!」 挙げられている名前の中に、『来栖川芹香』の名がはっきりと書かれていたのだ。 郁未は苗字と反応から察して、「探してたの?」と聞く。 「…ええ、一応はね。そうか、姉さんも殺されちゃったのか…」 残念そうな声ではあるが、それほど気にしたそぶりもない。姉妹仲が悪かったのだろうかと郁未は思ったが、「ああ、勘違いしないでよ」と綾香が続ける。 「仲は悪くなかったし、むしろ殺されて腹が立ってるわ…けど、もう私は人殺しの部類に入っているからかどうか知らないけど、もう、悲しみも何も感じなくなってきてるのよね。慣れてきたというか。それよりも、あのまーりゃんとかいう奴を早く見つけ出して、殺す…そっちの方が優先なのよ。ああくそ、あいつの顔を思い出したらまたムカついてきた…早くブチ殺してやりたい…!」 よほど屈辱的な目に遭わされたらしい。肩をいからせて熱くなっている綾香を尻目に、郁未はそのすぐ側に載っている鹿沼葉子の名前をじっと見つめていた。 (生き残ってみせるわ…必ず) 決意を新たにして、その先を読み進める。その最後尾、追加された死亡者の中に『橘敬介』と「雛山理緒』の名前が確かにあった。 「100%確実ね。これで放送を聞く必要もなくなった」 このパソコンさえあれば常時死亡者の最新情報が得られる。生き残りの数を正確に把握できるようになるというのは案外大きい。 「さて残りは…『自分の安否を報告するスレッド』か。参加者同士で連絡を取り合うって目的なんでしょうけど…」 スレを開こうとして、その先に広がっているであろう『絶対に助かる』だの『諦めてはいけない』だのといった偽善や欺瞞の声を想像してしまい綾香はため息をつく。 「嫌でも見るべきよ。ひょっとしたら安易に、どこかで会おう、とかの連絡が書き込まれてる可能性もあるわ」 「んなこと分かってるわよ…うるさいわね」 文句を言いながらスレを開く。そこにはやはり予想通りの言葉が一番最初に来ていた。 『みんな、希望を捨てちゃ駄目よ。生き延びて、みんなでまたもとの町へ帰りましょう!』 希望的観測もいいところの言葉にげんなりする二人。このままパソコンを叩き割ってやったらどんなに気持ちいいだろうかと考えたが、まだ続きはあるのでそのまま読み進める。 レスはまだ最初のものも含めて二つしかなかった。 天野美汐なる人物によれば、 2:天野美汐:一日目 18:16:21 ID:H54erWwvc 皆さん気をつけてください! 最初は友好的に近づいてきたのに、いきなり態度が急変して襲われました。 なんとか逃げることが出来て、今これを見つけて書いています。 確か名前は「橘敬介」って名乗っていました。 トンカチを隠し持っていると思います。 真琴、相沢さん、どうかご無事で。 と書かれていたが、郁未が先程の戦闘で敬介を倒してしまったためどうでもよい事柄になってしまっていた。 あるいは『橘敬介』が偽名を用いている可能性もあるし、そもそもこの『天野美汐』自体が嘘である可能性もある。 つまり警告を発している『天野美汐』が一概に危険人物ではない、とは言い切れないのだ。 ともかく、この名前を騙る人物が現れたら問答無用で攻撃したほうがいい、という結論に二人は達した。 見終えるとパソコンを終了させ、二人は荷物をまとめ始めた。途中で、綾香は疑問に思っている事を郁未に尋ねた。 「思ってたんだけど…そのアヒル隊長、結局何なの?」 「ああ、これ? 別に。ただの玩具。ハズレよ」 言うだけ言うとさっさとアヒル隊長をデイパックに仕舞い込む。ならどうして捨てないのかと不審に思ったが、すぐにどうでもいいかと思い直しこれ以上問わないようにした。 綾香はパソコンいじりで気づいていなかったが、郁未は残された説明書からこれが時限爆弾である事を知っていた。 しかも綾香が気づかなかったのをこれ幸いと、爆弾の秘密を隠すことにしたのだ。いざとなれば、郁未はこれで綾香を吹き飛ばすつもりであった。 最も、タイムリミットがあったから上手くいくかどうかは分からなかったが。 「さて荷物もまとまった事だし、どこか寝床を探さない? 一日歩いてくたびれたんだけど」 「そうね…そうしましょう。けど、寝首を掻くなんて考えないほうがいいわよ?」 まさか、と郁未は笑い飛ばす。今、協力者は一人でも多いほうが良い。むざむざそれを減らすような真似はしない。それは郁未の本心だった。 そして、その思いは綾香も同じであった。先程のは警告のために言っておいたまでだ。 二日目が始まった森の中で、まだ険悪な雰囲気を交えながらも二人は並んで歩き出した。 【時間:2日目午前1時30分】 【場所:G−3】 神尾晴子 【所持品:H&K VP70(残弾、残り7)、支給品一式】 【状態:右手に深い刺し傷、左肩を大怪我、逃走】 雛山理緒 【持ち物:なし】 【状態:死亡】 橘敬介 【持ち物:なし】 【状況:死亡】 来栖川綾香 【所持品:S&W M1076 残弾数(0/6)予備弾丸28・防弾チョッキ・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、支給品一式】 【状態:興奮気味。腕を軽症(治療済み)、肩に軽い痛み。麻亜子と、それに関連する人物の殺害。ゲームに乗っている】 天沢郁未 【持ち物:アヒル隊長(11時間後に爆発)、鉈、薙刀、支給品一式×2(うちひとつは水半分)】 【状態:右腕軽症(処置済み)、ヤル気を取り戻す】 【その他:鋏、支給品一式は放置。(敬介の支給品一式(花火セットはこの中)は美汐のところへ放置)。トンカチは森の中へ飛んで行きました】 - BACK