――渚――




――教会の照明を消灯させてしまっていたのは、古河渚の失策であるとしか言いようが無かった。
まともな武器を持たない自分では殺し合いに乗った人間に発見されれば死が確定してしまう、という判断からの行動だったが、渚は一つ大事な事を失念していた。
自分の首輪は今もなお紅く点滅を続けているという事実を。
点滅の強さは作動当初より遥かに衰えており、多少でも照明があれば傍目には分からなかったであろうが、完全な暗闇に包まれた環境下では話が違ってくる。
夜ならば月の淡い灯りですら大地を照らし尽くせるように、首輪から漏れる微弱な光も遠目から十分見て取れる程のものとなっていた。
自分自身の目からでも首輪が周囲を照らしているのは視認出来る筈なのに、それを不味いと判断出来ぬ程渚の精神は疲弊していたのだ。


薄暗い教会の中、渚の首に取り付けられた首輪だけが、紅い点滅を間断無く続けている。
その光景を目前とした藤林杏は、冷静な判断力を完全に奪い取られてしまっていた。
「な、渚……来ないで……」
仲間の為ならば命を捨てる覚悟など出来ていたが、今目前に居るのは文字通り『歩く爆弾』と化した存在。
実際には首輪の爆発まで時間的な猶予が随分とあるのだが、その事実を杏は知る由も無かった。
杏の脳裏を過ぎるのは、爆発の直撃を受けた勝平の凄惨な亡骸――今渚に近付けば、自分も同じようになってしまう!
心の奥底にまで深く刻み込まれた痕が、今になって杏の精神に牙を剥く。
杏は一歩、また一歩と後退を続け、やがて背中が壁とぶつかるに至った。
これ以上後ろに下がれなくなった杏に対して、渚が縋るように――幽鬼のように、歩み寄ってくる。
「待って下さい……もう貴女達しか頼れる人が……いないんです……」
「嫌っ……嫌ぁっ……!」
執拗に追尾してくる爆弾を止めるべく、杏はグロック19へと手を伸ばしそうになってしまう。
しかしそこで真横から手が伸びてきて、杏の腕は動きを封じられた。
「よ、陽平っ!?」
「……落ち着くんだ、杏。これは多分、宮沢の仕業だよ」

狂騒を打ち消すような、強く響き渡る、しかし落ち着いた声。
杏とは違い爆発に対してのトラウマを植え付けられていない上に、自分の命に然程執着心を持っていない春原陽平の立ち直りは早かった。
「……どういう事?」
事態を把握出来ていない杏が、未だ恐怖に震える声で尋ねる。
陽平は渚へと視線を移し、自身が導き出した推論を語り始めた。
「いきなり首輪が点滅してるなんて、おかしいじゃん。趣味の悪い主催者が無意味に参加者を減らすとは思えない……そうなると、後は一つしか考えられない。
 古河は宮沢のリモコンで首輪を作動させられちまった――そうだろ?」
「――――っ!!」

的確に図星を突かれた渚の身体がぴくんと大きく硬直する。
宮沢有紀寧の事を話したのが本人にバレてしまえば自分も朋也も命は無いが、最早言い逃れは不可能だ。
点滅し続ける、しかし何時まで経っても爆発しない首輪の存在が、陽平の言葉が真実である何よりの証だった。
「…………はい」
だから渚は、素直に頷くしかなかった。

    *     *     *

「そうだったんだ……」
電灯を点けて明るくなった礼拝堂の中、渚から全ての事情を聞き終えた杏が、がっくりと項垂れる。
とどのつまり、この教会を訪れた古河親子と岡崎朋也は、宮沢有紀寧一派の襲撃を受けてしまったのだ。
そして首輪爆弾を作動させられてしまった渚は、情報を集めるべくこの教会に独り残されたという事だった。
「ごめんね渚、取り乱してあんな事しちゃって……」
どうしてもっと冷静に行動出来なかったのだろう、どうして自分は何度も大きな過ちを犯してしまうのだろう――
友人を見捨てるような愚行に及んでしまった杏は、強い罪悪感に苛まれていた。
しかし渚はゆっくりと首を横に振ると、落ち着いた声で言った。
「いえ、良いんです。ちゃんと説明しなかった私が悪いだけですから」
「渚……」
普通の者ならば少なからず怨恨を抱くであろう行為をしてしまったのに、渚は一瞬で自分を許してくれた。
突如殺し合いの場に放り込まれて、自分はこんなにも捻じ曲がってしまったのに、渚はこの島に来る以前となんら変わらない心優しい少女のままだった。
融け落ちるような柔らかい優しさに触れた杏は、思わず涙ぐんでしまいそうになる。
しかし杏は何とかそれを堪えると、鞄から一枚の紙を取り出し、その上に文字を書き綴った。
『盗聴されてるのは知ってる?』
渚がこくりと頷くのを確認してから、杏は続けてペンを走らせてゆく。
『まずはもう一度謝っとく――本当にゴメンね。お詫びと言ってはなんだけど、首輪の爆弾なら何とかしてあげれるよ』
「えっ、それはどういう……!?」
杏は大声を上げそうになった渚の口を慌てて塞ぎ、唇の前に指を立てる仕草をしてみせた。
少し間を置いてから、説明を再開する。
『落ち着いて読んでね。あたし達は――もう首輪の解除が出来るのよ』

    *     *     *

全ての説明を行った後、陽平はワルサーP38を天井に向けて構えていた。
「と、突然何をするんですかっ!?」
「ごめん古河、やっぱりお前みたいな足手纏いとは一緒に行動なんてしてられねえよ。此処で死んでくれ」
切迫した叫び声を上げる渚に対して、冷たい声で告げる陽平。
「そうよ、あたし達は二人いれば十分なの。情報も十分引き出させてもらったし、あんたにはもう利用価値なんて無いわ」
杏もそんな陽平を咎めるどころか、臆面も無く肯定の言葉を吐き捨てる。

――勿論これは、事前の打ち合わせを経た上での偽装工作に過ぎない。
渚の首輪を解除さえすれば、爆弾の脅威は取り除けるが、一つ障害がある。
解除された首輪は、装備していた者が死んだという情報だけを主催者側に送り続けるのだ。
そして何も争いが起こっていないのに死亡判定が送られれば、確実に主催者は怪しむだろう。
だからこそ陽平達は一芝居打って、仲間割れを起こしたように見せかけていたのだった。

「でも安心してくれ、岡崎もすぐあの世に送ってあげるからさ。天国で仲良く暮らすと良いよ」
「そ、そんなっ……!」
非情な言葉とは裏腹に、陽平はこみ上げる笑いを抑えるのに必死だった。

◆

渚と陽平が言葉上では緊迫したやり取りを交わしている間に、杏は素早く首輪解除作業を進めてゆく。
解除手順図通りにネジを回して首輪の外装の一部を取り外す。
剥き出しとなった複雑な内臓装置のうち、赤いコードに対してナイフの先端を押し当てる。
このコードを切りさえすれば、首輪の爆弾は機能を完全に失い、実質的に解除は終了する筈だった。
そこで杏は陽平に対して親指を立ててみせ、合図を送った。
その直後に大きな銃声が鳴り響き、天井に小さな穴が開けられる。
これでもう、渚の首輪が死亡判定を出したとしても可笑しくは無い。
音声上でしか情報を収集出来ぬ主催者達からすれば、渚は銃弾を受けて死亡したとしか思えぬだろう。
杏は余裕たっぷりの面構えのまま、赤いコードを切断し――大きく目を見開いた。

「な――――これはっ!?」
それは予測不能の事態、そして決して起こってはならない出来事。
「そんな……どうして……」
絶望的な光景を目の当たりにした杏が、引き攣った声を上げる。
コードを切断された首輪は、今までとは比べ物にならぬ程強く速く点滅をし始めていた。
そこから推測される答えは単純にして明快、解除は失敗。それどころか、爆弾の起動を大幅に早めてしまったのだ。
「こんな、おかしいよっ! あたしはちゃんと手順通りにやったのに! これで首輪爆弾は停止する筈なのに!」
盗聴されている事すら思考の中から消し飛んでしまい、杏が絶叫する。
杏達の作戦に手落ちは無かった――自分達の持っている解除手順図が、主催者の準備したダミーであり起爆手順図であったという一点を除けば。
その間にも渚の首輪は無慈悲に点滅のペースを早めてゆき、けたたましい電子音が礼拝堂に響き渡る。
「これ……ヤベえよ……。もしかしてすぐに爆発しちゃうんじゃ……」
どんどんと悪化していく現実に、陽平さえもが冷静さを失ってしまっていた。
だが狂騒に支配されたこの場の中に於いて、渚がただ一人、落ち着き払った様子で静かに口を開いた。
「失敗……だったみたいですね」
言い終えた渚はつかつかと歩を進め、杏達と距離を取ってゆく。
礼拝堂の逆端に辿り着いた後、身体の向きを杏達の方へと戻した。

「私は此処で一人だけで死のうと思います。爆発の規模がどれくらいになるか分かりませんから、お二人は私に近付かないで下さい」
自殺宣告に他ならないそれは、間違いなく正論であり、至極当然の結論。
渚の言い分は理解出来る――しかし杏は、素直に従う気になどなれなかった。
自分はこれまで何度も失敗を犯してきたし、多くの仲間を死なせてしまった。
そして今度もまた、大事な友人を救えなかった。
それどころかその死期まで大幅に早めてしまい、まだ残されていたかも知れない可能性を完全に摘み取ってしまったのだ。
「何馬鹿な事言ってんのよ! あたしの所為でこうなっちゃったんだから、あんたを見捨てれる訳ないでしょ!」
最早手の打ちようなど無い事態となってしまったのは分かっているが、このまま渚を一人で死なせたりなどしない。
どうやっても救えないのなら、せめて一緒に――そう考え、杏は足を踏み出そうとする。

しかしそこで、電子音を遥かに上回るとても大きな叫び声が聞こえた。
「来ないで下さいっ!!」
「――え?」
突如制止の声を投げ掛けられ、杏の歩みがぴたりと停止する。
それを確認してから、渚が言葉を続けた。
「此処で藤林さんが爆発に巻き込まれても、誰も救われません……違いますか?
 それに藤林さんや春原さんまで死んじゃったら、朋也君を支えてあげれる人がいなくなっちゃいます」
その言葉を聞いた瞬間、杏はがつんと頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
そうだ――自分まで死んでしまったら、誰が窮地に陥っている朋也を救うというのだ?
朋也は今も何処かで、首輪爆弾により有紀寧への隷従を強いられているだろう。
貴明達が全滅してしまった今、朋也を救える者は知り得る限り自分達しかいない。
そして朋也の首輪が爆発するのはまだまだ先なのだから、救い出せる可能性はある。
ならば此処で、ただの自己満足に殉じて命を投げ捨てるような真似は許されなかった。

杏はぽろぽろと涙を零しながら、か細い嗚咽を漏らした。
「渚……ごめんね……ごめんねっ……!」
「クソッ……! 古河……ごめんな……」
陽平も、泣いていた。
自分達の手で友人を死に追いやってしまったというのに、間近で看取ってあげる事さえ出来ない。
余りにも悲しくて、余りにも申し訳なくて、余りにも悔しくて、身体の震えを止められなかった。
そんな二人に対して、渚が驚くくらい穏やかな声音で言った。
「大丈夫です、私はお二人を恨んでいません――けれど、一つだけお願いがあります。
 どうか朋也君だけでも、助けてあげて下さい。それからお二人とも私の大切なお友達ですから、絶対に生き延びて下さいね」
電子音の間隔が、更に短くなる。
渚は静かに――どこまでも静かに、呟いた。
「お父さん、お母さん、今そっちに行きます……」

そこで突然、教会の扉が開け放たれた。
「――――!?」
一同の視線がその先に集中する。
それは遅過ぎた再会――そこには有紀寧から解放された朋也が立っていたのだ。

「朋也く――」

そして、朋也と渚の目が合ったその瞬間。

礼拝堂を、眩い閃光が照らし上げた。




【残り24人】

【時間:3日目・3:00】
【場所:G-3左上教会】
春原陽平
 【装備品:ワルサー P38(残弾数7/8)、ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×10、鉈】
 【持ち物1:9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、89式小銃の予備弾(30発)】
 【持ち物2:鋏、鉄パイプ、工具】
 【持ち物3:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料を少し消費)】
 【状態:呆然、全身打撲(大分マシになっている)・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも大体は治療済み)】
藤林杏
 【装備品:ドラグノフ(5/10)、グロック19(残弾数2/15)、投げナイフ(×2)、スタンガン】
 【持ち物1:Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書×2(和英、英和)、救急箱、食料など家から持ってきた様々な品々、缶詰×3】
 【持ち物2:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)、支給品一式】
 【持ち物3:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、工具、首輪の起爆方法を載せた紙】
 【状態:呆然、全身打撲】
ボタン
 【状態:健康、杏の足許にいる】
久寿川ささら
 【持ち物1:スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、救急箱(少し消費)】
 【持ち物2:包丁、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、支給品一式】
 【状態:礼拝堂の隅に横たえられている、右肩負傷(応急処置及び治療済み)、疲労中 気絶】
岡崎朋也
 【所持品:三角帽子、薙刀、殺虫剤、トカレフ(TT30)銃弾数(6/8)、風子の支給品一式】
 【状態@:精神状態不明、疲労大、マーダーへの激しい憎悪。全身に痛み(治療済み)、腹部打撲】
 【状態A:背中と脇腹と左肩に重度の打撲、左眼球欠損(応急処置済み)、首輪爆破まであと22:40】
 【目的:今後の方針は不明】
古河渚
 【持ち物:鍬、クラッカー残り一個、双眼鏡、包丁、S&W M29(残弾数0/6)・支給品一式(食料3人分)、支給品一式】 
 【状態:死亡】

【備考】
・陽平と杏はささらから事の顛末を聞いてない。状況から貴明、珊瑚、ゆめみの死亡を推定。
・朋也は、珊瑚達が企てているハッキング計画についての情報を入手しています
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