乳色の靄の彼方で




外に出てみると雨は止み、霧がかかっていた。
日中とは違い肌寒さを覚えるほど気温は下がっている。
「僕が先行くよ。すまないが杏の銃貸してくれないか?」
「いいけど、あたしにも何か使えるも貸して」
平瀬村役場の玄関にて春原陽平と藤林杏は、装備品のワルサー P38とスタンガンを交換した。
陽平は懐中電灯の先を手で押さえ、光量を絞り足許を照らしながら歩く。
続く杏も気配を窺いながら粛々と行く。
道に迷わなければ三十分ほどで教会へ着きそうだ。
ひんやりとした空気が漂う中、二人の頬はじっとりと汗ばんでいた。
途中、朝霧摩麻子と栗栖川綾香のどちらかに遭遇することは十分あり得ることだった。

暫くして陽平は足を止め周囲の気配を窺う。と、背中に何かがぶつかる。
「いったぁー、どうしたの?」
鼻を押さえながら杏が泣きそうな声を上げる。
陽平は一歩下がり杏の耳元で囁く。
「この臭い、髪の毛というか、動物性脂肪が焼けたものだよな」
「そ、そうね。髪の毛が焼けた臭い……ガソリンも混じってるかしら」
風に乗って独特の異臭が二人の鼻をつく。
「霧で見え辛いな。杏も照らしてくれ」
「了解、って、なんか柔らかいもの踏んじゃった」
杏は急いで足許を照らす。その場所には拳ほどの大きさの肉が落ちていた。
「うまそうな肉だな。焼肉食いてぇー。教会行って古河と食べましょ……って、なんでこんな所に、イテテテ」
「あんた何寝ぼけてんのよ、ったく。そのうち「ひぃぃーっ」なんて言わないでね」
陽平の片頬を引っ張りながら付近を照らすと、乳色の靄の中から爆発で出来たものと思われる窪地が浮かび上がる。
その周囲には大小の肉片、手の指、靴、足首、壊れた銃器や水筒等が散乱していた。
肉片が人間のものであることに間違いはない。
「ねえ、杏さま。いい加減、手、放してくれませんかぁ〜? 痛いっス」
「ごめ〜ん、痛かったね。撫で撫でチュッと」
「ほえ〜、天国と地獄が織り成す摩訶不思議な世界ぃ〜ってやってる場合じゃなかった」
視界不良といつ襲撃を受けるかもしれぬという緊張の中、二人は捜索を始める。

ほどなく道から外れた茂みのところに燻る何かがあった。
近づくにつれ臭いはきつくなり、付近は強烈な火力により焼き払われていたことがわかる。
「この黒い塊、人間だぞ。格好からして生きながら焼かれたみたいだ。ひでぇー」
「性別がわからないけど、体格からして女の子みたいね」
「るーこかマナのどちらか……いや、違うな。僕達が襲われたのは民家があるところだった」
炭と化した主が小牧愛佳とは知る由もない。
「見て見て。使えそうな銃と食べられそうな缶詰が三つあるよ」
貴重な銃──ドラグノフを入手できたことは何よりも有難いことだった。

使えそうな遺品を回収し立ち去ろうとした直後、陽平は吉岡チエの遺体を発見した。
「チエちゃん……。なんということだっ。おまえ鎌石村役場へ行ったんじゃなかったのかよう」
「どういうことなの? 教えてよ」
陽平は昼過ぎに平瀬村での会議のあと別れた藤田浩之組の一人であることを説明する。
「あいつら、藤田達は鎌石村で壊滅したんだろう。で、生き残りのチエが戻って来て……そうだ、教会に行こうとしたに違いない」
「散々な目に遭って、ここで力尽きたのね。可愛そうに……」
涙ぐみながら杏はチエの手を胸に組む。
「チエちゃんいろんな物持ってるな。有難く頂戴して……行こうか。古河が待っている」
「待って。ここで複数の人が死んでるということは、まだ何か手掛かりがありそうよ」
「河野達のことを言ってるのか?」
杏は頷くと先ほどの窪地の周囲を調べることにした。

「来てっ、まだ生きてる! ささらよっ」
陽平は取るものも取りあえず杏の元へと走る。
途中卵のようなもの踏んだが気にしない。生存者がいたことは僥倖というものだ。
駆けつけると丸い明かりの中に、泥だらけになった久寿川ささらが倒れていた。
「ささらちゃん、しっかりして! 春原だ」
「何があったの? 河野君はどうしたの?」
「……春原君、杏さん……みんな、死んじゃった。みんな……」
ささらは薄目を開け陽平と杏を認めたものの、すぐに気を失ってしまった。

「みんなってことは、河野や珊瑚ちゃんやゆめみさんもだろうな」
「そうね。ここには生存者はもういないよ。行きましょう」
「えーと杏が先頭を行ってくれ。彼女を担ぐから」
陽平はささらを右肩に担ぐと立ち上がる。が、すぐに片膝をつく。
人一人を担ぐだけに左肩の傷の痛みが響いた。
「おんぶしてあげたら? なんならあたしがおぶってもいいけど」
「いや僕がやる。おまえ荷物重そうだから。ところでいい加減、どうでもいいような荷物捨ててかない?」
食材といい辞書などは必ずしも携行しなくてもよいのではないかと思う。
「うーん、そう言われてもねえ……。教会に着いてから考えるよ」
ボタンを外に出してやると開放感から嬉しそうに跳ね回っていた。

「銃の配分だけど、二つともあたしが持ってていいかな。教会に着いたら小銃の方をあげるよ、って、きゃあっ」
いきなり手を掴まれ、気がついた時には陽平の胸の中にあった。
突然のことに引っ叩くこともできず、杏はうろたえた。
「なあ杏。河野達が死んだとなるともう、残りは三十人そこそこのような気がするんだ。考え過ぎだろうか」
「考え過ぎよ。でも、時間が経つにつれて仲間が減っているのは確かよね」
「なんとしても生き延びよう、な。僕、杏を全力で守るから杏も僕に力を貸してくれ」
「うん、あたしも力の限り頑張るから……」
陽平の眼差しはいつになく優しいものだった。
惹かれるように杏は陽平と抱き合った。

「元の世界に帰れたら杏ん家でごはん食べたいなあ。ごはんの後は食後のデザート。甘くて美味しそうな杏の水密桃を──」
「桃の缶詰ならあるけど、それは置いといてさあ、夜が明けたらるーこやマナを弔ってあげようよ」
甘えた声で尋ねたものの、陽平は杏の瞳をじっと見つめたままである。
「……フフフ、本意は別にあると見た。実は投げた辞書を拾いに行きたいんでしょ?」
「……エヘッ、バレちゃったか。アレあたしの体の一部のようなものなんだから、ネ、いいでしょ? お願い〜」
杏は胸を押し付けながら甘い吐息を漏らす。
「あーあ、せっかくのロマンチックな気分がぁ〜」
溜息をつきながらも股間の怒張はしっかりといきり立っていた。

濃霧の中、舗装路と記憶を頼りに教会へ辿り着くことができたが、予定時間を大幅に過ぎていた。
暗闇に教会内部の明かりが漏れ出ているのが希望の糸のように見えた。
鈍い音を立てて扉を開くと奥の方──祭壇の前に彼女は虚ろな目をしてしゃがみこんでいた。
「春原さーん! 藤林さーん!」
目に涙を浮かべ、古河渚は足を引き摺りながら二人の元へ駆け寄る。だが──
「ひぃぃーっ、止まれぇーっ! 寄るなぁっ!」
「渚来ないでぇーっ! いやあぁぁぁっ!」
「そんなあ! わたしを見捨てないでください!」
再会の喜びも吹き飛び、礼拝堂に男女の絶叫が響き渡る。
渚を見るや陽平と杏は慌てふためき後ずさった。
彼女が一歩進む度に二人は一歩下がる。
首輪の異変がが何を意味するかを瞬時に理解していた。
本来親しい間柄のこと、助けてやらねばならないのに恐怖感が圧倒してしまう。
二人の視線は無情にも赤く点滅する首輪に注がれていた。




【時間:3日目・2:35】
【場所:G-3左上教会】
春原陽平
 【装備品:ワルサー P38(残弾数8/8)、ワルサー P38の予備マガジン(9ミリパラベラム弾8発入り)×2、予備弾丸(9ミリパラベラム弾)×10、鉈】
 【持ち物1:9ミリパラベラム弾13発入り予備マガジン、FN Five-SeveNの予備マガジン(20発入り)×2、89式小銃の予備弾(30発)】
 【持ち物2:鋏、鉄パイプ、首輪の解除方法を載せた紙、工具】
 【持ち物3:LL牛乳×3、ブロックタイプ栄養食品×3、支給品一式(食料を少し消費)】
 【状態:驚愕、渚の首輪に注目、全身打撲(大分マシになっている)・右足刺し傷・左肩銃創・数ヶ所に軽い切り傷・頭と脇腹に打撲跡(どれも大体は治療済み)】
藤林杏
 【装備品:ドラグノフ(5/10)、グロック19(残弾数2/15)、投げナイフ(×2)、スタンガン】
 【持ち物1:Remington M870の予備弾(12番ゲージ弾)×27、辞書×2(和英、英和)、救急箱、食料など家から持ってきた様々な品々、缶詰×3】
 【持ち物2:カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)、支給品一式】
 【持ち物3:ノートパソコン(バッテリー残量・まだまだ余裕)、工具】
 【状態:驚愕、渚の首輪に注目、全身打撲】
久寿川ささら
 【持ち物1:スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、救急箱(少し消費)】
 【持ち物2:包丁、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、支給品一式】
 【状態:陽平に背負われている、右肩負傷(応急処置及び治療済み)、疲労大 気絶】
古河渚
 【持ち物:鍬、クラッカー残り一個、双眼鏡、包丁、S&W M29(残弾数0/6)・支給品一式(食料3人分)、支給品一式】 
 【状態@:有紀寧とリサへの激しい憎悪、左の頬を浅く抉られている(手当て済み)、右太腿貫通(手当て済み、少し痛みを伴うが歩ける程度に回復)】
 【状態A:戸惑い、精神肉体共に疲労、首輪爆発まで首輪爆破まであと20:50(本人は44:50後だと思っている)】
 【目的:教会の留まり情報を集める、有紀寧に大人しく従い続けるかは不明】
ボタン
 【状態:健康、杏の足許にいる】

【備考】
・陽平と杏はささらから事の顛末を聞いてない。状況から貴明、珊瑚、ゆめみの死亡を推定。
・チエと愛佳の使用(食用)可能な持ち物(グロック19、投げナイフ、ノートパソコン等)を回収。
・ワルサー P38に予備弾を装填。9ミリパラベラム弾はすべて陽平が所持。
・重量軽減のため以下の共通支給品は放置。陽平1、杏1、ささら1、チエ2
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